IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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※注意※
今回は残酷な描写が含まれます。苦手な方は雰囲気がおかしくなってきたと感じたら読み飛ばしてください。


某国の密偵疑惑(十) 機能改善

 放課後の第三アリーナ。

 桜はその日、本来ならば第二アリーナで訓練するつもりだった。いざフィールドの状況を確認したところ、コールド・ブラッドとヘル・ハウンドVer2.5が激しい模擬戦を繰り広げる光景を見て、割って入れるような雰囲気ではないと思った。すぐさま第三アリーナへ訓練を行うべくその場で(きびす)を返していた。朱音、ナタリア、マリア・サイトウに断りのメールを入れ、ほかのクラスメイトにアリーナ変更を周知するように頼んでいた。

 その後第三アリーナの更衣室にたどり着いた桜は、持参したかばんから新品のISスーツを取り出し、しばしの間それを見つめた。

 四菱ケミカルの担当者からぜひモニターしてくれ、とお願いされていたものだ。市場に出回っている従来品と比べて、ナノマシン含有率を高めることで信号伝達速度を三割以上高速化したという触れ込みの試作品である。

 打鉄零式の起動試験当日に目にしたものと形状が異なっている。念のため担当者に問い合わせたところ、前の版で不具合が発覚して調整を施したそうだ。どんな不具合かと聞いてみたら、「感度が……」と言葉を濁していた。

 

「今回のは膝上まで布地があるんや」

 

 試作ISスーツの上半身はノースリーブで、下半身はスパッツと似ていた。入学前に支給された従来品はデザインが旧式スクール水着にそっくりだった。打鉄零式の全身装甲のおかげで、最近になってようやく股下を気にせずに振る舞うことができるようになった。ISスーツを指で(つま)んで広げてみると、恐ろしく肌触りが良いことがわかる。担当者によれば肌感覚で着用できることを目指したらしく、本当に実現してしまう技術力に舌を巻いた。

 桜は脱いだ制服を(たた)んでロッカーに納める。すぐにISスーツを身につけた。頭の後ろで髪ひもを結ってひとつにまとめた。

 すると入り口のほうからぶっきらぼうな声が聞こえてきた。桜がのけぞりながら声の方角を見やる。悩ましげに眉根を寄せ、整った顔立ちのために怒っているような印象を与える箒の姿があった。

 

「篠ノ之さんもこっちで訓練するんか」

 

 耳を澄ませば他にも何人かの声が聞こえてくる。ふと横を向いた箒が桜に気づき、今度は彼女がじろじろと体を見つめ返した。()うような目つきだが下世話なものではなく、引き締まった筋肉に目を奪われているらしい。

 ――篠ノ之さんには全部見られとるのに、今さら感心されても……。

 男として見るなら、本音ぐらいのむっちりとした体つきが好きだ。少し前に興味本位で彼女の腹を触ったら深層筋の鍛え方が尋常ではなく、うっかり手を引っ込めてしまったことがある。外からみると抱き心地が良さそうなのに見えない部分をしっかりと鍛え、速度と筋力を両立した女として理想的な体だった。桜は箒の顔をぼんやりと見つめながら、一度筋肉を触らせてもらえないか、と考えていた。

 同級生に話しかけられ、桜から目を離した箒が、床に落ちたスカートを拾うため身を(かが)めた。すると、桜の目に夜竹さゆかの姿が映った。

 ――夜竹飛長と似とらんな。

 桜は彼女の顔を一瞥した。夜竹飛長と部分照合しても一致するような部品がない。あえて言えば、目元が似ていないこともない、という無理矢理なこじつけしか思いつかなかった。

 とはいえ、珍しい名字なので彼女に一度聞いてみたいことがあった。一九四五年四月の時点で夜竹飛長は独身だった。もし子孫ならば、墓前で「きれいな嫁さんをもらったな」と憎まれ口を言ってやりたかった。

 桜はロッカーに暗証番号を設定し、鍵がかかっていることを確かめ、一足先にアリーナへ向かった。

 

 

「悪目立ちしとるのが分かるわ」

 

 打鉄零式を実体化させたまではよかった。

 桜が観覧席に向かって首を振り、見覚えのある二組の生徒を見つけた。彼女たちは鈴音に友好的に話しかけ、話題を振っては仲良くなろうと努める姿をよく見かけていた。

 入学してから一ヶ月近い月日が流れていた。一夏の入学や転入生といった目玉となるイベントが一組や二組で発生したため、これらのクラスは何かと話題にのぼることが多い。専任搭乗者も集中しているので華やかな印象を与える。その影で三組と四組は地味な存在として扱われがちだった。

 彼女たちは打鉄零式を初めて目にしたらしい。青・白・黒の幻惑迷彩と装甲の隙間から漏れた赤い光を見て表情を凍らせていた。

 ――朱音たちは手続きで遅れるからそれまでは自主練やな……。

 田羽根さんの姿を拡大表示しながら独りごちた。田羽根さんはISを実体化させた直後、いつもちゃぶ台の上で何かしら作業をしている。内容を聞いてもふんぞり返ったまま桜には理解できない単語を口にすることが多かった。

 田羽根さんはいつものとおりIS学園の制服と青いリボンを身につけている。うさみみカチューシャをはめて、手にプラカードを持っている。そこにはバージョン番号が記されていた。

 

「田羽根さんはGOLEMシステムがバージョンアップしたことをお知らせします。Ver1.1.2ですよ!」

 

 桜は首をかしげた。いったい何が変わったのだろうか。昨日と比べて違うところと言えば、うさみみカチューシャが増えているくらいだ。

 

「大きな変更点は貫手の精度が向上しましたよ! 今までは有人ISにマニピュレーターを向けた時点で問答無用で止めました。今回から有人ISのシールドに接触する直前で止めるように改善されましたよ!」

「たとえば非固定浮遊部位とか人体以外の場所やったら貫手が使えるってことか」

「いえ~す。これで壁に向かって素振りしなくとも良くなりましたね!」

 

 今まではどんなに遠く離れていても、ISに向かって貫手の形を作ると強制停止になった。その気はなく、偶然向けたとしても攻撃の意志があると見なされて腕が動かなくなってしまった。これでは練習にならないので壁に向かって素振りを行う以外に方法がなかったのである。

 

「ほかにも変わったとこはあらへんの」

「もちろんありますよ! 名称未設定機能が一部使えるようになりました」

 

 ――ついに来た!

 桜は驚いて目を丸くし、期待に胸をふくらませた。どんな謎が解き明かされるのかと考えると心が躍った。

 自然と声が弾み、プラカードを支える田羽根さんの顔をのぞき込む。

 

「じゃ、じゃあ今ここで試すことはできるんか」

「この機能は田羽根さんでなければ使えませんよ!」

「なんやって! せやったらメニューで選択できる意味ないわ! せめて……どんな機能か教えてくれん?」

 

 田羽根さんはプラカードを地面に立て、両腕を組んで尊大なしぐさでふんぞり返った。少しだけ口をへの字に曲げて仏頂面になり、右目だけ開けて桜を見つめ返す。

 

「誠意が足りませんね!」

 

 田羽根さんは露骨に目を伏せ、桜の足もとに視線を注ぐ。毎度のことだが、桜はその都度鬱陶(うっとう)しい返事に対して平常心を強く保たねばならなかった。

 ――またや。優秀なAIやと思って下手に出れば、すぐ足もと見てつけあがりおって……。

 桜は田羽根さんへの不満をこぼしそうになってあわてて口をつぐむ。イメージ・インターフェースを介して思考を読みとられているとはいえ、搭乗者の本音と建前をよく聞き分けていると思う。どんなに不満があっても顔にさえ出さなければ田羽根さんは気にしない。もし露骨に不快感を露わにした対応をとるならば、田羽根さんは不機嫌になって打鉄零式の性能が低下する。時には機能不全まで起こす。GOLEMがシステムの深い部分にまで影響をおよぼす現状では、うかつに感情を表に出すようなまねを避けなければならなかった。

 

「どんな機能か教えていただけませんか。よろしくお願いいたします……」

「及第点ということにしてあげますね! とりあえず教えてあげますよ!」

 

 田羽根さんは現金なものでへりくだった口調のお願いを聞くと急に上機嫌になった。その証拠に両頬に朱色の渦巻き模様が現れていた。機嫌の良さにもいくつか段階があって、通常は頬に何も描かれていない。自尊心が満たされて少し機嫌が良くなると片頬に渦巻き模様が出現する。さらに機嫌が良いときは両頬に出現し、天にも昇るような気分になると回転する。逆に機嫌が悪いときは頬に×(ばつ)印が出現する。片頬、両頬の順番で現れ回転を始めたら危険な状態である。

 ――ソフトウェアに足もとを見られるってどういうことや。

 桜の中でGOLEMは扱いの難しい厄介なシステムという認識が生まれていた。ソフトウェアがまるで自我を持つかのように振る舞うのだ。そのくせプログラムらしくあらかじめ組み込まれた基準でしか善悪の判定を行うことができない。今のところ田羽根さんの判断は正しく、桜から見て特に問題になるような事態は起こっていない。

 しかし、どこにバグが潜んでいるかわからない。桜は常に田羽根さんの判断に対して疑念を抱く姿勢を忘れなかった。

 

「ISコアの権限が一部解放されましたよ! 名称未設定機能によって会話とお願いができるようになりましたね!」

「会話って誰としゃべるんや。私とは最初から話をしてたやろ。通信は標準機能やし」

「対象は搭乗者ではありませんよ! 田羽根さんが田羽根さんの言語で意思疎通ができるようになりましたよ!」

「まさか……ほかの田羽根さんと、ええっと穂羽鬼くんやったか」

「それは最初からですよ! 他の田羽根さんたちではなく、他のISコアと会話ができるようになりましたよ!」

 

 田羽根さんは相変わらず甲高く明瞭な声で言いきった。研究者の間では、それぞれのISコアがコア・ネットワークを介して双方向通信を実現していることが知られている。桜は堀越が雑談の話題として話したこと覚えていた。

 ――データの送受信との違いがあるんやろか。

 桜はプログラムの入出力を基準に考えていた。ISコアとの会話で用いられる田羽根さんの言語とは、つまり決められた形式を用いてデータをやりとりしているだけではないのか。今回のアップデートがどこに影響をおよぼすのか経過観察が必要だった。

 田羽根さんは話題が途切れたと思って視野の隅へ引っ込んだ。ちゃぶ台の前に座り直し、頬づえをつきながらバナナを頬張った。そしていかにも片手間といった風情で演習モードを起ちあげ、火器類の使用制限を限定的に解除した。

 桜は念のため壁際に寄ってから非固定浮遊部位(アンロックユニット)を実体化する。田羽根さんにしごかれた甲斐あって、武装非搭載状態や非固定浮遊部位専用装備を搭載した状態でも実体化できるようになった。穂羽鬼くんの相棒にはおよばないとはいえ、コンマ五秒を超えることはないレベルまで達していた。今では呼吸をするのと同程度の感覚まで落とし込んでいた。これも地道に装備の出し入れを練習したおかげだった。

 次に一二.七ミリ重機関銃を実体化させた。この機関銃は数少ない手持ち武器である。分解・組立・メンテナンスをISが担うため、搭乗者は実体化・量子化・射撃訓練にのみ専念できた。ISならではの装備を開発して運用するという考えもあるのだが、既存兵器を流用するほうが人的資源が少なく済む。特に一二.七ミリ重機関銃は入手が容易なので例え、復元不可能な状態まで破壊されたとしても交換すれば済む。

 桜は一二.七ミリ重機関銃を腰だめに構えた。田羽根さんがCGを用いて弓道で使われるような白地に黒の同心円が三つ描かれた霞的(かすみまと)を映し出した。ランダム表示される霞的に向かって引き金を引く。もちろん弾丸もCGである。演習モードは弾丸を使うことなくソフトウェアで銃火器の挙動を再現する機能だ。それぞれの挙動は実弾を撃って測定したデータを利用している。臭いや熱さを感じられないことさえ目をつむれば、重量感や反動などの再現度が高かった。

 桜はマニュアルで微調整を繰り返しながら、次々と出現する霞的を撃ち抜いた。結果に対して田羽根さんは何も言ってこない。昔取った杵柄(きねづか)のおかげで手動照準でもそこそこ当たった。しかも的に焦点をあわせるだけで、ずれを自動修正してくれるのだ。精密射撃のために息を止める必要もない。それでいて正確だ。思ったとおりの場所に弾丸が飛ぶのが楽しくて仕方がなかった。

 桜は延べ六〇個もの霞的を撃ち抜き、一息つくために一二.七ミリ重機関銃を非固定浮遊部位へ転移させた。

 ――何の音や。

 ハイパーセンサーがかしましい話し声や推進音を拾う。うさみみを揺らしながら、頬づえをついて煎餅(せんべい)をかじっていた田羽根さんがすかさず音源の位置を特定した。桜が振り返ったとき、露天デッキからISが降り立つ所だった。

 

「ブルー・ティアーズ。白式。遅れて打鉄」

 

 桜はいつものようにセシリアと一夏が訓練するものとばかり思っていた。打鉄がついてきたということはつまり、一組の生徒がISに乗っていることを示す。先ほど更衣室で見かけた少女たちの姿を思い浮かべる。着地によって前屈みになっていた打鉄が膝を伸ばし、まっすぐ一夏を見つめた。

 ――篠ノ之さんやないか。

 

 

「では一夏、はじめるとしよう」

 

 箒は何食わぬ顔で一夏の隣に並んでいた。驚くふたりの表情を涼しい顔つきのまま眺め、セシリアに構わず訓練を始めるよう促していた。

 

「一夏さん。今日はわたくしと訓練するとおっしゃりませんでしたか?」

 

 セシリアは一夏に迫り、昼休みに一夏自信が口にした言葉を確認する。箒の目の前で言質(げんち)を取ったので、彼女もそのことを承知しているはずだ。

 

「どうしても何も近接格闘訓練を積みたいと言ったのは一夏だろう。私は申し出を受けただけだ」

 

 箒は一夏の言葉を根拠とし、セシリアが唇をかむ姿を横目で見やった。

 確かにそんなことを口にしていた。セシリアは目を丸くして事実だと認めてしまい、余計な邪魔が入ったことに対して悔しそうに唇をかんだ。

 箒は涼しい顔をしたまま、セシリアの前に立つ。正面に一夏を見据え、日本刀を模したロングブレードを抜いた。反り返った刃が鞘を擦る。ぞっとするような、微かな音色が一夏の耳に残った。鈍い鉄色の刀身が白日の下にさらし、そして正眼に構えたとき、抜き身の刃が腕にのしかかる重量感が生々しさを伴っていた。

 

「一夏、刀を抜け」

 

 セシリアが押し黙ったのを良しとして、まるで世間話をするかのような軽い口調で言い放った。しかも柔らかい目つきなので、一夏は仲間内で練習する気分になって力を抜いた。

 箒はまぶたを閉じ、息を吸って胸をふくらませた。小指を締め、人差し指をわずかに浮かせる。臨戦態勢を整え、ロングブレードの延長に一夏の喉を据えた。

 

「では――」

 

 瞳を薄く開け、細く息を吐く。その瞬間、一夏の体にねっとりとした重い空気がまとわりついて淀んだ。

 一夏は突然の変化に戸惑いながらも、箒の動きに合わせて雪片弐型を実体化させた。打鉄のロングブレードよりも肉厚の刃が姿を現す。それはさながらブロードソードのようであり、片手で扱うには重すぎる武器でもあった。

 一夏は箒が次の言葉を口にする前に、腰を据えるつもりでいた。だが、鋭利な切っ先から目をそらすことができなかった。体中の血が、細胞が、彼の中に眠っていた剣士としての意識を呼び戻すにつれ、じりじりと胸の中に不安が芽生えていくのが分かった。白式のハイパーセンサーは、箒の呼気が喉頭内を通過するときに声帯の間で生じる摩擦音を捉えている。まだだ。まだ、彼女は息を吐いている。

 ――呼気が止まった。

 

「参る」

 

 力みのない静かな声である。これから刃を振るうと意思表示だった。同時にそれは一夏に激しい緊張を()いる。彼の肝を冷やし、箒の肉体から河のごとくあふれ出した殺気の(かたまり)がその足をがんじがらめにする。大蛇が獲物を食すためにその体を巻き付けた。そして窒息に至らしめるべくゆっくりと締めつける。胸が苦しい。酸素を求めて大きく口を開けてしまいたい。それをしてはならなかった。許されない行動だった。

 一夏は必死の思いで呼吸を整えようとした。眼前の切っ先から決して目を逸らすまいと念じた。

 ――箒の剣はこんなものだったか?

 彼の記憶では場を支配するかのような重たさはなかった。ただ、勇ましいだけだった。

 ――この剣は何だ。

 千冬の剣とも異なった。姉と対したときこれほどまでに凄まじい息苦しさを感じたことはなかった。

 ――勝てない、隙がないとは違う。とにかく重い。

 打鉄が半歩前に出た。箒は平然とした顔つきのままだ。だが、一夏は腹の奥をえぐられるような鈍い痛みにずっと耐えていた。先ほどの半歩は、一夏を間合いに入れ、死線を意識させるためのものだ。わかっていても動けなかった。箒の動きに合わせて半歩後ずさったとき、剣が消えてしまうような感覚に陥ったのだ。

 切っ先がはねた瞬間、勝負が決する。

 ――くそっ。わかってきた。

 一夏は箒の意図を理解した。いや、理解させられたのだ。

 ――なんてやつだ。これは練習でも試合でもないぞ。斬り合いだ。

 頭でわかっていても体が動かない。理解したがゆえに重石を乗せられたかのように足が動かなくなってしまった。大蛇の幻影がまとわりつき、締めつけはいっそう強くなる。肺を押しつぶされ、新鮮な空気が欠乏する。

 一夏は生唾を飲み込み、間合いを確かめた。決死の距離まで残りわずか半歩だ。もはや構えているだけでもやっとの状態である。歯を食いしばり、呼吸を律しているからこそかろうじて持ちこたえることができた。

 ――六年の間にいったい何があったっていうんだよ。

 幼なじみの剣は命をやりとりを強いるものだ。ISをまとっていなければ腰が引けて無様な姿をさらしてしまうに違いなかった。

 彼女が手が届かない場所に行ってしまった。一夏の心は喪失感で満たされていく。

 そのとき、短い呼気を捉えた。箒が最後の半歩を踏み出し、ロングブレードを振り下ろす。風を切り裂く音すらなかった。

 ――斬られた!

 箒は一夏の(のど)に刃をあてがう。頸動脈(けいどうみゃく)にかけて薄皮に切れ目をいれるかのように、サッと引いた。刃は骨に達することなく、致死に至る部位を精確(せいかく)に切断する。痛みは無い。刃の冷たさと擦過によって発生した熱だけが残された。

 心臓が大きく脈打つ。ぱっくりと割れた頸動脈の切断面から、行き場を失った血液が激しく噴き出す。時間の流れが緩やかになる。鮮やかな赤色の水玉が飛び出していくのが見えた。胸に去来した喪失感は文字通り現実のものとなり、体内の熱が急速に失われていく。

 

「ええいっお待ちなさい! 一夏さんのお相手をするのはこのわたくし、セシリア・オルコットでしてよ!」

 

 セシリアの甲高い声によって現実へと引き戻された。

 先ほどの体験は、彼女の剣気がもたらした妄想だ。生々しい白昼夢にすぎない。現実の彼女は半歩前に踏み出しただけである。踏み込みから斬撃に至る過程。それは実際に起きた出来事ではなかった。

 まだ生きている。一夏はその事実に気づいて安堵すると同時に全身が総毛立った。ありとあらゆる毛穴から冷や汗が吹き出す。箒は「斬る」という行為がもたらす効果を知っていた。彼の表情は緊張し、全力疾走の直後のように荒々しく肩で息をしている。幻視だろうか。確かに箒の剣が首に触れたような感触が残っていた。

 

「邪魔をするな!」

 

 箒は突然割って入ったセシリアに向かって語気を荒げる。セシリアと真っ向から対峙するも先ほどのような斬り合いの雰囲気は雲散霧消していた。

 ――セシリアは気付かなかったのか?

 一夏は雪片弐型を地面に突き立て、いがみあうセシリアの表情を確かめる。怒った顔は普段通りのものだ。ついさきほどまで命をかけた斬り合いに立ち会った者の顔ではない。

 ――疲れてるのかな。俺。

 確かに斬られたのだ。一夏は首筋に手をかざした。

 

 

 一夏たちから少し離れた場所で、桜はうつむきながら首に手をあてて膝を突く。目を見開いて自分の肩を抱き、死の恐怖に体を震わせていた。

 ――何や。さっきのは何や。

 斬られたと思った。彼女の動きがスローモーションになって見えた。研ぎ澄まされた意識がお互いの時間を緩やかなものに変えた。一方は剣を振るい、もう一方は抵抗することなく刃を受けた。

 ――どこまでが現実やったん。

 現実と妄想の境目が曖昧になっている。頭を振って頬を張った。白昼夢とはどうかしている。

 桜は顔を上げ、もういちど箒を見やった。

 

「ええい、邪魔な! ならば斬る!」

 

 箒は物騒なことを口にして、ロングブレードを振りかぶった。袈裟(けさ)をかけるように、セシリアの左肩から右わき下へ斜めに斬り下げる。

 ――さっきとはちゃう。

 うまい。それだけだ。肝が冷えるほどの圧迫感、そして大河を前にしたかのような凄まじい威圧感はどこにも存在しなかった。彼女は水を差されて怒って武器を振り回しているにすぎない。先ほどとは別人のような剣を振るっていた。

 一夏はおろおろと箒とセシリアを交互に見つめる。美人ににらみ付けられてすぐ、ふたりの怒気から逃れるべく後ずさった。すると田羽根さんが気を利かせて、彼の心拍数が増加していることを桜に知らせた。

 ――篠ノ之さん。

 先ほどの箒と同一人物だという証拠は、彼女が決してセシリアの近接武器を刃で受けるようなまねをしてみせないことだろう。受けて流すことなく、すべて避ける。現に彼女のシールドエネルギーはまったく減っていなかった。

 セシリアがスターライトmkⅢのトリガーをすばやく引いた。慣性制御により反動が打ち消されているため照準のぶれはない。演習モードが有効になっており、現実には超高速の弾丸は射出されていなかった。だが、ISをまとっている者の目には射出時と同じ閃光が映し出された。

 箒は這うように身を低く伏せ、刹那の時を経て打鉄のスラスターから推進エネルギーを放出。爆発的な加速によりセシリアの腕の下へ潜った。遅れてスターライトmkⅢの照準が箒を捉える。セシリアの予測では機体がぶつかる瞬間に体を浮かせ、胴か小手を狙う。剣道の動きが骨の髄まで染みついている箒ならば、そのように動くはずだ。

 ――すね斬り!

 桜は田羽根さんが映し出したセシリア視点の映像に生唾を飲み込んでいた。すごい迫力だ。CGとはいえ一人称視点でIS戦を観戦できるとは思わなかった。

 

「篠ノ之さんは躊躇なく下半身への攻撃を選択できるんやな。怖い人や」

「博士の妹さんですからね! 当たり前ですよ!」

 

 田羽根さんの声が少し弾んで聞こえたので、桜は気になって二頭身を拡大した。両頬に渦巻き模様が出現しており、しかも回転している。どうやらすこぶる上機嫌らしい。

 ――篠ノ之束博士が妹への賛辞を聞いたら機嫌が良くなるようにしたんやろか。こんな変なもん作るならそれぐらい仕かけてもおかしくないわ。

 田羽根さんが箒視点の映像や一夏視点の映像を出して桜の前に置いた。

 ――よくできとるわ。ハイパーセンサーで得たデータをリアルタイムでモデリングしとるんやろか。これ。

 嫉妬と怒りの矛先を向けられ、うろたえる一夏視点の映像を見るや桜は考えを中断した。

 

「当然だ!」

「当然ですわ!」

 

 一夏はどちらかの味方なのか、と問われて答えに(きゅう)した。どちらかの肩を持てば角が立つ。できれば両方の味方だと言ってしまいたい。そんな優柔不断、もとい女好きな発言ができるだろうか。いや、できない。それでもふたりは一方を選べ、と迫ってくる。

 一夏は名案だと思って第三の答えを選んだ。つまり沈黙を答えとしたのである。

 

「修羅場や。ええな。うらやましい……いやいや私は女や」

 

 桜は迫真の映像を食い入るように見つめていた。本当に一夏の両目から見ているようだ。映画やSFの話でしか体験できないとばかり思っていた。だが、技術の著しい進歩によって今、他人が目にしている映像をリアルタイムで再現するところまで来ていた。

 映像を見るかぎり一夏の煮えきらない態度がふたりの女のプライドをいたく刺激してしまったらしい。ふたりの表情が消え、沈黙と同時に武器を握りしめた。筋肉の張り具合からして相当に怒っていた。

 一夏は防衛反応から左腕のマイクロガン(近接ショートブレード)を実体化させた。つや消しのダークグレーの砲身。毎秒五〇発で固定されたマイクロガン(近接ショートブレード)の弾帯は合計八〇〇発分しかない。つまり一六秒間しか撃ち続けることができないのである。そして地面に突き立てた雪片弐型を抜いた。そしてふたりの圧力に屈する形で、一歩、もう一歩、と後ろに下がる。セシリアのスターライトmkⅢはともかく、箒の間合いから一刻も早く逃れたかった。先ほどの白昼夢のこともある。ほんの一秒稼ぐだけで良い。それだけあれば走馬燈を見るくらいは許される。

 

仲裁(ちゅうさい)せな」

 

 桜は映像から目を離した。一夏は及び腰で逃げだそうとしている。搭乗時間はせいぜい二桁の若鷲に向かってニ対一は酷だろう。まして怒りに燃える女たちを相手取っては分が悪い。

 女たちは阿吽(あうん)の呼吸で獲物に迫っていた。勢子(せこ)の役目を担った箒とビットに追い立てられ、セシリアの近距離射撃から必死に逃れようとしていた。

 桜が一夏の元へ駆け出そうとしたとき、

 

「情報を与えるのですか?」

 

 田羽根さんは可愛らしく小首をかしげ、心底理解できないと言わんばかりの顔つきになった。桜は冷ややかな物言いに足を止めて聞き直した。

 

「情報を与えるのですか? 田羽根さんは敵にわざわざ塩を送るまねを推奨できません」

 

 ――クラス対抗戦のことを考えとるんか。田羽根さんに情報を与えはしたが、こんな物言いは初めて聞くわ。

 桜は一夏の様子を一瞥してから考え込んだ。

 

「篠ノ之さんたちも練習風景を見とる。観覧席から他の生徒にも見られた。今もそうや。もう情報は流れとるから別に気にせんでええんやないん?」

「いえ~す。確かにそうですね! しかし、今のところはせっかくの情報が生かされていないのですよ!」

「どういうことや」

 

 田羽根さんは制服のポケットから巨大な白板を引きずり出した。明らかに名刺くらいの大きさだったものが巨大化している。白板の中央には二次関数グラフが描かれ、X軸の値が大きくなるにつれ、Y軸の値が減少している。

 

「これまで何度もアリーナで訓練をしてきました。田羽根さんは観覧席から熱い視線や冷ややかな視線を向けられた時間をこっそり計測していたのですよ。X軸は、サンプルがこの機体を目にした回数。Y軸が注目された合計時間をサンプル数で割った平均時間です。このデータから最初はびっくりして注目するけれど、動きが素人なので興味をなくしたことが分かりますね!」

 

 桜は遠回しにISの操縦が下手だと言われて、顔をひきつらせる。反論を試みるべく白板を見れば、背を向けた田羽根さんが汚い筆跡でサンプル数を書き入れている。

 

「眼中にありませんね!」

 

 田羽根さんは再び桜へ向き直った。うさみみカチューシャを揺らし、胸の前で腕を組んで誇らしげにふんぞり返った。

 アリーナは隔壁で遮られているため、常時通電して透過処理を行っている。整備や災害を想定した訓練の際に通電を停止するくらいで、観覧席からフィールド、あるいはその逆から見たとき隔壁を意識することはなかった。

 田羽根さんがまさか注目を浴びた時間を計測しているとは考えもしなかった。グラフの元データとなるデータベースの一部を見せられたので、ぐうの音も出なかった。

 ――田羽根さんが言ったことは事実や。

 

「歩兵に徹する……これでええやろ。非固定浮遊部位を量子化し、パッケージは格納したままとする。重機関銃だけを使うわ」

 

 桜は落とし所を求めて考えを口にした。大火力を用いることなく仲裁が可能だと判断した結果だ。田羽根さんは用意していた譲歩案と一致したのか反論してこなかった。その代わり、いつもの文句を口にする。

 

「情報秘匿の重要性に気づいてくれましたね! くれぐれも貫手を人体に向けて使ってはいけませんよ!」

 

 

 白式の左腕が沈黙して久しい。制限時間である一六秒を超えており、射撃命令を発しても反応がなかった。演習モードとはいえ弾帯を使い切ったと判定されていた。

 一夏は自分の射撃の腕を見限っており、牽制(けんせい)に使えれば上出来だと思っていた。実際そのとおりになった。一夏は道を塞ぐビットに向けて約五秒間射撃を行った。当たり判定が出てビット一基の機動力を約半分まで殺ぐことに成功したが、すぐにまぐれ当たりだと気づいてしまった。

 箒の気勢を耳にするなり、あわてて大きく体を開く。上段の構えから踏み込んできた箒のロングブレードが空気を裂いた。

 ロングブレード自体の重さで打鉄の膝が沈みこむ。そこに目を付けた一夏は雪片弐型を中段から下段へ小さく振った。手応えはない。その代わり自分の手首をたたかれ、引っ張られる感覚があった。

 

「まずいっ」

 

 膝に余裕を残していたのか、箒がいち早く反応した。ロングブレードの峰で小手を軽くたたき返す。白式の膝が一度沈む。勢いを吸収した後、姿勢制御を試みた。

 だが、一夏が気づいたときには背中を(したた)かに打ち付けていた。

 思わず苦悶の声が漏れた。一夏は何が起きたかを思い出すのではなく、次に来る動作から逃れようと身をよじる。自分が篠ノ之流の術中にはまったことを理解していた。箒は間違いなく対甲冑戦を想定した動きを行うだろう。篠ノ之流を演武目的の道場剣術と馬鹿にしてはいけない。創始者が剣術に狂い、無数の斬り合いを経ることで編み出された殺人術なのだ。

 視界を遮る黒い影。打鉄の足裏だとわかった。箒は篠ノ之流で習い、気が遠くなるほど繰り返した手順にしたがって一夏の胸を踏みつけた。怒りで頭に血が上っているにもかかわらず、その身に染みついた動きに迷いはなかった。記憶した動作を再現しているだけだ。それゆえに鋭い。

 肘を小さく畳みこむように引き、喉に向けて突き出す。だが、箒はハイパーセンサーが検知し、直後に鳴ったアラート音によって打鉄の肘関節を硬直させた。横合いからの射撃と理解するや、すぐに足を浮かし、スラスターを噴かせてその場から飛び退いた。

 箒は闖入者(ちんにゅうしゃ)に目を向ける。視野に赤い軌跡が流れては消えていく。まるで血涙(けつるい)を流しているかのような禍々(まがまが)しい姿が接近していた。

 

「加勢する」

メガモリ(佐倉)さん! あなた」

 

 丸みを帯びて突起物が少なく、のっぺりとしたISの接近にセシリアが声をあげた。

 桜はPICを用いて斜め上に飛び上がり、三角跳びの要領で空を駆け、空中を浮遊するセシリアの真正面に達した。すぐさま開放回線(オープンチャネル)に接続し、彼女らに向かって加勢した理由を口にした。

 

「バランスや。ニ対一じゃ織斑の分が悪いやろ」

 

 全身装甲のため外から表情が分からないので、桜はできるだけ声に感情を込めた。

 

「織斑。西洋人形さんは私に任せて。篠ノ之さんを見てやって」

()()。すまん」

 

 一夏が礼を言い、雪片弐型を構えなおした。

 箒は桜に伝えたいことがあって空を仰ぎ見る。

 

「こちらへの手出しは無用にしてほしい。もし(たが)えるならば……斬る」

「わかっとる。さっきいっぺん斬られたんや。決して近づかんから安心して」

 

 桜が弱々しくひるんだ雰囲気を漂わせたので、箒は「おっ」と軽く口ずさむ。彼女はわかっていると言わんばかりに、にやりと笑ってみせた。

 

「なるほど。佐倉は心得があるようだな」

()()……箒?」

 

 一夏も空を見上げていたが、箒の思わせぶりなつぶやきを耳にしてすぐさま正面を向き、箒の顔つきを観察しようとした。

 箒はしきりに何度もうなずき、とてもうれしそうにしていた。

 

「一夏。軽く揉んでやる。当たって砕けるつもりでかかってこい!」

「俺がボコられる前提かよ!」

 

 箒は道場にいるような気分でにわかに先輩風を吹かせた。一夏が打ちかかってきたら剣技の見本を演じて技量向上へのヒントを与えてやろう、と本気で考えていた。

 桜はふたりが互いに剣を向けあう様子を見届けた。その後セシリアの瞳をまっすぐ見つめ返した。あごを引く動きに合わせて頭部装甲がわずかに下へずれ、赤いレーダーユニットが爛々と輝いた。

 赤い一つ目が発する禍々しい雰囲気にのまれないよう、セシリアは厳しい顔つきでにらみ返す。そして桜が、()()で呼ばれていたことに気づいて目を見開いた。

 

「あなたには……」

 

 無駄のない動きでスターライトmkⅢを構え、打鉄零式の姿を照準におさめる。セシリアには我慢ならないことがあった。

 ――サラとのことがありますから、わたくしは同性愛には寛容なつもりですわ。……ですが!

 

「あなたには布仏さんがいるでしょう。そのうえ一夏さんにまで手を……贅沢(ぜいたく)にもほどがありますわ!」

 

 桜は悪い予感がしてPICを切って自機を自然落下させた。先ほどまで自分がいた場所に青白い極太の軌跡が描かれる。撃たれたことよりもむしろ、セシリアの発言のほうが気になった。一二.七ミリ重機関銃を構え、再び上昇するべくPICを有効にする。そのままジグザグに足場を蹴るように動き、主への道を阻むビットたちの猛攻をかいくぐった。

 桜は躍動射を加えてから、セシリアに向かって叫ぶ。

 

「ちょっと待って。何でそんな解釈になるんや!」

「問答無用!」

 

 

 


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