「いやいや!健さんがコーヒーを淹れるなら、元の値段の三十倍は取らないと!!」
「いや、流石にボッタクリだろそりゃ」
「そんなことないっス!健さんほどのイケメンが淹れてくれるコーヒーなら、どれだけ金を積んでも飲みたいって女がいるっス!!」
チンピラからバイト戦士にランクアップした二階堂健と、店長の烏山黒子との口論から物語は始まる。
「その前に、取り敢えず俺のコーヒーの腕前を見てくれ」
コーヒーメーカー……、幸いにも、この手の道具の使い方や豆の銘柄は前の世界と同じだ。
それを使って、オリジナルブレンドのコーヒーを淹れる健。
「そ、そうっスね、そこは大事っスね」
「オリジナルブレンドなんだが、どうだ?」
音を立てずに、コーヒーを飲む黒子。品がある佇まいだ。
黒子は、男が淹れたものという付加価値を排して、しっかりと味を評価する。
やがて、その黒い液体が舌の上に乗って数秒。
「……三万円っス」
と、呟いた。
「六十倍じゃねーか!!!」
「こんなん、誰が頼むんだよ……」
「まあ、今に見てるっス、すぐに注文くるんで」
と、店を開いて。
「あの、この新メニューのオリジナルブレンドって?」
「高っ?!」
「これはアレかな、コピアルク的な?」
対応するのは、女性バイトの一人、羽鳥灰音(19)。小柄で、ウェーブのかかった金のツインテールが可愛らしいクォーターの女性だ。もちろん、顔も可愛いしスタイルも中々だ。
しかし、二階堂が同じバイトになったと見るや否や、即座に尻尾を振って媚を入れてきた、典型的な処女だ。
鳩が尻尾を振るとはこれいかに。
「はい、こちらのメニューは数量限定でして、お一人様一杯まで、そして、内容は、あちらの店員の『二階堂さんが淹れたコーヒー』になりま「注文する!!!するわ!!!!」ありがとうございまーす、オーダー入りましたー!」
『二階堂さんが淹れたコーヒー』
この一言で、静かな店内の落ち着いた雰囲気が一変する。
今までの平穏はぶち壊れ、注文を済ませた者も、していない者も、皆こぞって手を挙げる。
「こ、こっちにも同じものを!!」
「私も!」
「私が先よ!」
争うように注文してくる女達。
「嘘だろ?!三万だぞ?!お前らは三万稼ぐのにどれだけ苦労した?!どう考えてもコーヒー一杯で三万はおかしいと気づけよ!」
「いや妥当では?」
「ちょっと安いくらいですね」
「お金の使い所でしょ」
こいつらは馬鹿だと思いながら、結局、コーヒーを淹れる健。
アルバイトで食いつなぎながら求職していたストリートファイターにとって、金を稼ぐとは大変なことだと認識している。
まあ、ストリートファイターとしての賞金もあった故、金に困ってはいなかったが。
しかし、ずっとストリートファイターのままではいられないと思った健は、真面目に就職活動をしたのだ。
そんな健からすれば、たった一杯のコーヒーに三万円も払う奴の気が知れないのだ。
「うんまぁぁぁい!!!」
「ヘブン状態!!!」
「おいちい!!!」
コーヒーの筈が、まるで上質のコカインを摂取したかのような反応を見せる女達にドン引きしつつ、職務を遂行する健。
「灰音、どんどん持ってってくれ」
「はぁい、二階堂さんっ❤︎」
大量の媚が込められた声音で返事をする灰音にコーヒーを運ばせる。
その間も、女達の視線は全て健に注がれる。
健はストリートファイターであり、武道家である。視線には敏感なのだ。
しかし、今まで誰にも向けられたことのない、情欲が篭った熱視線には、本当に辟易していた。
熱視線は、店長の黒子は元より、店員の灰音も、あまつさえ、時々だが、男性保護官である宇佐美からも感じることがある。
慣れるのには時間が必要だと思った。
「ふぅ、人に見られるってのは、思いの外疲れるな……」
「お疲れ様です、健さん」
「おお、宇佐美か……。これなら工事現場とかの方が良かったか……?」
「あはは、工事現場なんで、力自慢のおばさんがやるお仕事ですよ。男性がやる仕事じゃありません」
「まあ、確かに、黒子も灰音も美人だったしな。こっちの方が役得、か」
「な、なな、な?!何を?!役得ってどういう意味ですか?!」
家に帰って、コーヒーを飲みつつ話し合う健と宇佐美。
「いや、俺も美人に囲まれるとテンション上がるわ」
「美人……」
「お前も結構顔が良いよな」
「そう、ですか?そんなこと言われたことないです」
「風俗店なら指名するレベルだぞ」
「……え?そ、それは、どういう?!」
「普通に抱けるレベル」
「そ、その、もしかして、溜まってるん、ですか?」
顔を赤くして、もじもじする宇佐美。
「あー、そういやそうだな、この世界に来てから風俗もナンパもやってねえ」
若干イライラした様子を見せる健。
基本的に、ストリートファイトに明け暮れるくらいには低俗な男なので、やることをやらないとストレスが溜まるらしい。
「あ、あのっ!!!け、健さんさえよろしければ、私が発散のお手伝いを……、うぅ❤︎」
「ゴムあんのか?」
「持ってます!大丈夫です!」
「じゃあ、来い」
「あっ……❤︎」
哀れな因幡兎は、魔物に食べられてしまったとさ。
健は、宇佐美が自分に好意を持っていることに気づいていた。
しかし、自分自身は、そこまで宇佐美を愛しているだとか好きだとか思っている訳ではない。
健からすれば、ちょっとナンパしたくらいの気持ちでいる。
それが、この世界においてどれ程のことかも知らずに。
今回のことは、正直に言ってギリギリのラインだった。
本来、ただ男性を保護する為だけの存在である男性保護官との行為、と言うのは中々に「無い」話だ。
今回は性欲の発散という大義名分があったが、そもそも、性欲が有り余っている男性など、この世界には殆ど存在しない。
つまり。
今回の件で調子に乗った健は、ナンパの成功率が高いんだな、くらいにしか思っていないが、女性達にとっては、夢にまで見たビッチが現れたということになる……。
「健さん、わた、私っ、こんなこと……❤︎」
「健って呼んでくれよ宇佐美」
「あっ、け、健……❤︎」
「良かったぜ、宇佐美。体格の割には胸も結構デカいんだな」
「はい……❤︎」
「それに、お前、ちっこいから胸にすっぽり収まって可愛いな」
「そんなことないですよ……❤︎」
基本的に神経質な方の健であったが、宇佐美はそんな健を気遣い、プライベートを尊重してきた。
また、宇佐美は、細かなところに気づくマメな女で、健の生活を的確にサポートしてきた。
よって、偏屈の健と言えども、宇佐美を気に入って、憎からず思うのは無理もない。
身体を重ねるのは時間の問題だったのかもしれない……。
「今日はトレーニングはヤメだ、バイトもないし、デートでもしようぜ」
「私と、ですか……?」
「ああ、良いだろ?暇なんだ、遊んでくれよ」
「……はいっ❤︎」
この時点で、宇佐美は完全に堕ちている。
宇佐美は、珍しく、人工授精ではなく、父親がいる家庭で育った女だ。
ある程度男慣れは(この世界の平均と比べれば)していた。
しかしそれでも、自分の父親よりも魅力的な男にコマされて、完全に惚れ込んでしまったのだ。
いや、抱かれる前から惚れてはいたが、抱かれて、より一層好いてしまった、と言う方が正しい。
本当ならば、宇佐美は、手や口で発散させるつもりだったのだ。
しかし、健は、バッチリ抱いた。
この世界の女の殆どが、処女のまま一生を終えることを考えると、抱いてもらうと言うことはとんでもないほどの愛情表現になる。
「け、健❤︎わ、私、健のこと、好きだよ❤︎」
「おう、俺も、まあ、お前のこと結構好きだぞ」
「ほんと?えへへぇ❤︎」
健にとっては、セックスはコミュニケーションの延長であり、性欲を満たす手段でしかないが、宇佐美にとっては、物凄く愛してもらえた、と言うことになる。
これ以降、宇佐美は距離感を近づけてきたが、健自身は、「甘えてくるようになったなー」くらいにしか思わない。
認識のズレ、である。
あーあ、俺もこういうちょろい世界に行きてえなぁ。