小学生の頃、母親がパソコンを買った。
当時はまだ高価なもので、子供のおもちゃにしては上等過ぎる。
まあ、母親の仕事に使うもので、その合間に使わせてもらえる、と言う形だったが。
それでも、うちにパソコンがあるのは、それなりに裕福な家庭である証なのだろう。
母親がいない時間、学校から帰ってきてすぐ。
そこでアタシは、3ちゃんねるに、フラッシュ動画に出会った。
思えば、アタシの人生が壊れ始めたのはこの辺りだった気がする。
3ちゃんねる、という未知の世界に出会ったアタシは、そこから、まるでダムが決壊するかの如く、「キモヲタ」になっていった。
エバンゲリオンの公式サイトを見て、惚れ込み、本編をビデオテープに録画して、何度も見返した。
ネットの有志や、風見新九郎……、風見神が作ったフラッシュ動画にのめり込んだ。
中学生にもなると、もう完全に、アタシは壊れていた。
涼宮ハルト、るきすた、カードキャプターさくらい……。
アニメで、人生にひびが入る音を聞いた。
FF、ドラクエ、ペルソナ、アイアンギアにヴァイオハザード、北方プロジェクト……。
ゲームで、人生が割れる音を聞いた。
スレイヤース、ゼロのファミリア、レアメタルパニック、とあるシリーズ……。
ラノベで、人生が揺れる音を聞いた。
カラナド、キャノン、ソゥハート、フェイス、ランヤシリーズ……。
エロゲで、人生が軋む音を聞いた。
徐々に奇妙な冒険、ツーピース、ヘルサング……。
漫画で、人生が崩れる音を聞いた。
人生が終わるのを、感じた。
高校生にもなると、人生が完全に壊れたのを自覚した。
でも、手遅れだった。
男の子に話しかけるのって、どうやるんだっけ?
アニメなら恋ができるのに。
ゲームならゲージが見えるのに。
ラノベなら何もしなくても上手くいくのに。
エロゲなら選択肢が出るのに。
漫画ならかっこよく口説けるのに。
学校では、処女臭丸出しの駄目女と言われた。
いじめられることはなかったけれど、男子からの評判は悪かった。
根暗の、キモヲタ。
それが、男子からの、世間からのアタシの評価であり、烙印だった。
そんなアタシは、今。
「こんにちは、風見新九郎だ」
人生で最大の幸運にして……。
「はっ、ハヒッ……?!!!」
最大の危機に直面している。
待て待て。
待て待て待て待て。
ハイ、脳内のアタシ集合。
はいそこ、真っ白にならない、燃え尽きない。
そう……、アタシ1、まずは経緯の説明。
脳内会議室のアタシ1が資料片手に立ち上がる。
『はっ、まず、今朝お母さんに呼び出されて、会って欲しい人がいると伝えられました。相手は人じゃなく神でした。以上!』
よろしい。
ではアタシ2、神と出会った時、正しい反応とは?
『ああ風見神かっこいいご尊顔を拝して光栄ですうああ美しい写真より素敵スタイルいいあああ風見神がアタシに微笑んでる』
アタシ2を医務室へ連れていってやれ。
ふむ、では、アタシ3の意見を聞こうか。
『一か八かレイプするのはどうスか?』
神聖な風見神にそんなことできるか!
衛兵!アタシ3を連行しろ!
『ぎゃぁぁぁっス!!!』
アタシ4、建設的な意見を頼む!
『と、取り敢えず挨拶!挨拶しなきゃ!』
なるほど、確かにそうだ。
挨拶は大事だな。
……で、もう十年間は男の人と会話していないが、なんと声をかければ良いのかな?
はい、アタシ5。
『こんにちはで良いんじゃないっスか?!え、こんにちはで正解では?!ああ、もう、現実はクソゲー!!何で選択肢出ないんスか!!!』
よし分かった、こんにちはだな、よし、よし、こんにちは、こんにちはだ。
はい会議終了、行動決定。
「こここここ、こんにちわっしゅ!!ア、アタシ、荒木比奈っス!!風見神の大ファンでス!!!」
ひぃあああ〜?!!!
思ったより大きい声出たァ?!!
もう駄目だ死のう。
「そうなの?ありがとね。……ああ、取り敢えず話を聞いてね」
「はいっス!!!」
風見神からのお話。
聞かない馬鹿がこの世にいるなら見せて欲しいくらいだ。
神経を集中し、一言一句逃さずに聞き取る。
「比奈、アイドル、やらない?」
「はぇ?」
神は今何と仰った?
アイドル?
アイドルと?
アタシの耳がぶっ壊れてないなら、アイドルになれ、と。
アイドル?
んんんんんー?
神に対して失礼だと思うけど、仕方なく、本当に仕方なく、聞き返す。
ああ、高卒のアタシの馬鹿!
神の言葉を聞き返すだなんて!
「アイドルって、あの、アイドルっスか?」
「ああ、君の想像通りだよ」
え?
じゃあ、あれっスか?
なんか、こう、キラキラしてて、綺麗な。歌って踊る。
え?
アタシが、アイドル?
あ、ああ!
そっか!
からかわれているんだ!
風見神はユーモアのセンスも抜群だから!
アタシみたいな処女臭丸出しの駄目女がアイドルになんかなれる訳ないっスから!
「は、ははは、嫌だなぁ、もう!ジョークっスね?」
「ジョークに聞こえたか?」
「は、はは……、え?」
か、風見神様?
ち、近いっスよ?
汗臭い処女の近くに、神聖不可侵な風見神が近付いちゃ駄目じゃないっスか。
近いっスよ。
あっ、良い匂いがする。
男の人の匂い?
風見神の匂い?
香水?
オーデコロン?
素の匂いなのこれ?
あっあっあっあっ。
顔も、近いっスよ?
まつ毛長い。
鼻高い。
瞳が綺麗で鋭い。
髪綺麗。サラサラ。
唇赤い。
かっこいい。
あっやばい。
すごいこれ。
のうみそとろける。
あっあっあっあっ。
ああう、ああ〜。
「ああ、悪い、言い方が悪かったな」
風見神様、風見神様。
すごい、近い、一生の思い出。
この思い出だけで生きていける。
ありがたやありがたや。
あ……?
顎クイ……?
「比奈、俺のものになれ」
「あ……、え……、は、ヒ……?」
俺のものになれ?
俺のものになれ?
俺のものになれ?
どういう意味の言葉だっけそれ?
えっと?
えっと?
えっと?
風見神のものになるの?
アタシは最初から風見神のものっスよ?
風見神がアタシに言った?
つまり?
あっ。
「は、ほへぇ❤︎はひぃ❤︎なりゅ❤︎なりましゅ❤︎アタシの全部、風見神に捧げましゅううう❤︎❤︎❤︎」
「……あらら、お漏らしする程嬉しかったんだ?」
「………………へ?」
あ、れ?
これ、は?
おも、らし?
二十歳にもなって、おもらし?
よりにもよって、風見神の前で?
「あ、あは、あはははははは……」
もう、ころして。
真剣に自殺を検討したけど、風見神に着替えたらついて来いって言われて、急いでシャワー浴びて着替えてついて行きましたっス。
いや、風見神待たせるとか大罪でしょ?
もう頭の中は真っ白で、何もわからない。
でも、確かなのは、風見神の前でお漏らししたことだ。
全てが終わったら死のう。
「これ、契約書。読んでね」
「はいっス」
「そしたらサイン」
「はいっス」
「そんで顔合わせ」
「はいっス」
指示されたことは全部こなした。
「ああ、そうそう」
「はい、っス……?」
あ、また、顎クイ……?
「お漏らししちゃった比奈、可愛かったよ。あの顔、エロかった。アイドルとして頑張ったら、ゴホウビあげるよ」
よーし、自殺は延期っすね。
比奈すこ。