時計の針が進む音のみが聞こえる、静閑な石の牢獄での話である。
「槻賀多……、あー、ええと、狂死、君かな?」
面会室に、黒スーツの役人が現れ、一言。
「そうだ」
面会室にいる、闇を纏う男が、一言。
黒スーツの男は、糊付けされぱりっとしたスーツを着る、いかにも役人然としたメガネの男。
その姿は平凡な社会人のそれで、特筆すべきことはない。
しかし、それと、半透明な壁を一つ隔てて存在している男は、異様であった。
狂死。
狂い死ぬというその名を表すが如く、である。
人のものとは思えない凶悪な三白眼に鋭利な凶相。
まさに人殺しの目をした男であった。
そこに、場違いな小人が。
『妖精』が一匹……。
『おーい!おーい!』
妖精は、面会室の机の上で思い切りブレイクダンスを踊る。
「……おい、これはなんだ?」
狂死は、妖精を見て一言。
「見える、のかね?」
役人は、狂死を見て一言。
『当たりだ!こいつは提督資格者だ!!!』
妖精も、狂死を見て一言……。
そこからは早かった。
すぐに話がまとまる。
「海軍少佐、伊藤海斗だ」
伊藤と名乗る、四、五十代の男が、握手を求めて手を差し出した。
伊藤は、名乗った通りに、海軍軍人らしい制服を着込んだ中年だった。
少なくとも、波風を立てようとする人間ではないらしく、人好きのするような顔を作っている。
「そうか」
しかし、その握手を無視する狂死。
この男は、波風を立てるかどうかなどということは気にしない。
「む……。君が、槻賀多狂死君だね?」
握手を拒否され、若干気分を害するが、それを表に出さずに手を引っ込める伊藤少佐。
それに対して、「そうだ」と端的に返す狂死。
「で?俺に何の用だ?」
狂死は、無駄な会話を好まないが故、即座に本題に入った。
「単刀直入に行こう。司法取引だ」
「はっ、司法取引だぁ?」
狂死は小学校にすらろくに行っていないとは言え、その単語の意味は知っている。
そして、自分にそんな価値はないことも。
「そうだ。君には提督になってもらう」
「提督?」
「知らないのかね?」
「寡聞にして知らんな」
「ふむ……。提督とは、艦娘を指揮して深海棲艦を倒す存在だ」
「深海棲艦……?ああ、そんなことがあったらしいな。何分、塀の中では外の話は入ってこなくてね」
口ではこう言っているが、狂死ももちろん現在の日本が……、世界が、深海棲艦の脅威に晒されていることくらいは知っている。故に、これは皮肉である。
「君には、提督になってもらう代わりに釈放を約束しよう」
その皮肉に気付いている伊藤少佐であったが、あえてそれを無視して、核心部に触れた。
すると狂死は、ふむ、と息を吐いて。
「断る、と言ったら?」
笑いながらそう返した。
「その場合、君はあと二十年は塀の中だ」
「それはどうかな?」
面会室の椅子に座り直す狂死。
「深海棲艦、だったか?陸にも来るんだろう?この刑務所にも来るかもなあ?全てがぶっ壊れる隙に、脱走しても良いはずだ」
「その場合はまた別の、内地の刑務所に移動させるだけの話だ」
「ハハハハハハ……、できるのかねぇ?刑務所の中でも分かるぜぇ?段々とメシが貧相になってきてなぁ?安全な内地に犯罪者の居場所はあるのかねえ?」
「そうだな。では、死刑になるかもしれん」
「……あ"?」
狂死の瞳孔が開いた。
「テメェ、この俺を脅してんのか?」
後先を考えない獣の理論である。
自分を害しようとする相手は、どんな手を使ってでも、徹底的に叩き潰す。そんな意思が読み取れる態度だった。
「そ、そんなつもりはない。ただ、情勢によっては、君のような犯罪者を養う余裕がなくなり、死刑になる可能性があると、仮定の話をしただけだ」
狂死の鬼のような凶相を目にした伊藤少佐は、たじろいだ。
その声と眼光に籠められた意思が、とても十五歳の少年が出せる気迫ではなかったからだ。
回答を誤ればすぐにでも喉笛に喰らい付かんという殺意を感じ取った。
理屈のない、殺人者の気迫である。
「良いかね?君は、少年犯罪故に処刑は免れたが、それでも、処刑でもおかしくないくらいの犯罪をした犯罪者だ」
「だからどうしたってんだよ」
「このまま、長い間の禁固刑か死刑か、などという話になるくらいなら、恩赦でここを出た方が良いはずだ」
「提督とやら、そんなに足りてねぇのか……」
「そうとも、足りていない。国内には三十四人しかいないのだ!」
日本国内に三十四人と言うのは真実で、これは極秘事項であった。
たったの三十四人の提督が、この広い日本を守っている……。まさに薄氷の上、砂上の楼閣。そんな比喩をされておかしくないくらいに追い詰められているのが今の日本だ。
「なるほど、社会のクズなら、鉄砲玉にしても懐が痛まないって寸法か」
「いっ、いや!そうとは言っていない!君が提督になった暁には、一年間の訓練の末、後方に配置して実戦経験を積み」
伊藤少佐の言葉を遮る狂死。
「要するに!たったの一年で素人を軍人にして戦場に出すんだろ?結局処刑じゃあねえか」
「そ、そんな、ことは……」
言い淀む海軍の軍人。
それもそのはず、この軍人自身も、たった一年の教練で、素人を最前線に出すなどというのは、死刑以外の何物でもないと自覚しているからだ。
しかして、そうしなければお国が滅ぶということも事実ではある。
それを指摘して煽る狂死だが、ここでの狂死は、最初からこの話を受けるつもりであった。
何故ここでごねているのかと言うと、提督とやらが足りずに、本格的に日本が危機を迎えていると分かった上で、揺さぶりをかけてよりよい条件を引き出そうとしているのである。
こう言った犯罪者は、他人の弱みを見つける技術に長けている。弱点を見つけて、そこから食い破るためだ。
「にしても、たった一年の訓練で士官とは、随分お気楽な組織なんだなあ、日本軍ってのは!ハハハハハハ!!!」
「し、仕方がないのだ!最早、悠長に訓練などしている時間はない!我々も心苦しいが、提督の諸君には短期間の教育を施したあとは、すぐに戦場に出てもらうしかないのだ!」
「ほう!俺はともかく、なんの罪もない少年を徴兵して戦わせ、仕方がないの一言で済ませるのか!軍人より政治家の方が向いてるんじゃないか?!」
「ぐ、ぬ……!な、なんとでも言いたまえ。我々にはもう、後がないのだ!」
「後がない?つまり、提督は最後の希望だと?ほほう、ならば、きっと待遇は最高のものなんだろうなぁ……?」
「……待遇を上げろと言うことか?」
「いやいや、ただ、人類の最後の希望たる提督が謀反などを起こした場合、きっとたくさんの人が悲しむんだろうなあという仮定の話だよ」
「た、待遇については、例え前科があろうとなんだろうと、他の提督と同じように最高のものを約束しよう!」
「はぁ?最高の待遇は当然、大前提だ。その他に何をくれるんだ?」
「なっ……?!特別扱いなど!」
「おい、勘違いするなよ?俺は別に提督とやらにならなくても良いんだぞ?」
「貴様……、言わせておけば!!!」
「良いのかねぇ、そんな態度で?」
「ぐっ……!分かった!最大限配慮する!」
とは言え、狂死もここで、そこまで大きな譲歩を引き出せるとは思ってはいない。
狂死は、「最大限配慮する」という言葉を引き出したいだけだった。
最大限配慮する、と言うのは、何をしてくれるのか明確ではない答えである。
だがそれは、裏を返せば、何かをしてくれることの確約でもある。
もし、自分が提督として優れていたのであれば、この「最大限配慮する」という言葉を持ち出して、更なる要求をするという腹積りだ。
そうして、契約は成り。
一匹の獣が、野に放たれた……。
死にてえなあ。
まあそれはいいとしてローグライクですよ。
そこそこ書けたんだけどさあ、読み返すとやっぱり、なんかパンチが弱えなーって。