ブラックブレットです。
この世界は現在滅びかけている。
これは比喩ではない。事実世界各地がとある化け物どもに蹂躙され、かつて凄烈なまでの栄華を地上にて齎した人間は、絶滅一歩手前まで追い詰められ、小さな小さな金属の箱庭に逃げ込んだ。
繁栄を齎した誇りも、膨大な経験からの自信も、技術も知識も数も質も何もかも、奴らには敵わなかった。
そう、正しく『バケモノ』という形容が最も似合う奴ら━━━ガストレアには。
ガストレアの姿形は様々だが、ただ一つ共通している点がある。
奴らは血のように赤い目を持っているのだ。
奴らは賢い。そして強い。
単純な力のみの強さもそうだが、ゴキブリも真っ青な耐久性と繁殖力が何より脅威だ。
ガストレア同士が交わる場面は未だ観測されていないので、交尾による繁殖はわからない。
だが、ガストレアが脅威たる所以は、仲間を増やすのに
奴らが持つ病原体。ウイルス。
それは『ガストレアウイルス』と称され、今もなお人間を蝕んでいる。
そう、このウイルスは母体を選ばない。
生物であれば全てを苗床とし、ある一定の水準を超えると母体をバケモノに変え、ガストレアとして誕生する。
このウイルスに対するワクチンは、未だ開発されていない。それどころか目処すら立っていない。
だが、それも無理なきこと。実験しようにも、失敗すればバケモノが産まれるのだ。そんな生きたニトログリセリンを、水際まで追い詰められた人間にどうしろというのだ。
さて、人間が籠の鳥と化しているこの世界。ガストレアに対する有効打は、特殊金属であるバラニウムのみ。
人間は『民警』という役職を作り出し、かろうじてその命を繋いでいる。
バケモノが蔓延り、人間が絶滅危惧種となった。
そんな状況で、捩じくれや歪みが全く発生しないなどと誰が確信を持って言えるのか。いや、言えるわけがない。
仮に言えたとするならば、それは楽観の過ぎた愚者の戯れ言だ。
『呪われた子どもたち』
妊婦がガストレアウイルスに接触することにより、突然変異を起こし産まれてきた子どもたちの総称。
ガストレアウイルスを体内に保菌し、超人的な身体能力と自己治癒能力を持つ。
そしてウイルスは遺伝子に影響し、全員が女性として誕生するのだ。
そんな彼女らに、ウイルスを内包する彼女らに対し、実の親や他の大人の人間は迫害を行なった。
産まれた我が子の目が赤い、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌イヤイヤイヤイヤイヤイヤ━━━━━死ネ。
産声を上げた赤子の鼻と口を濡らした布で抑え、窒息させる。病院の屋上から捨てる。筋弛緩剤を打ち、焼却炉に投げ入れる。
およそ親とは思えない所業を彼ら彼女らは行なった。
殺す度胸が無かった場合は、郊外に置き去りにした。
此処までを踏まえて『私』は思う。
お前たちは何だ?
最初こそ戸惑っただろう、悲しみもおぼえただろう、躊躇いもあっただろう。
だが、最近のお前たちはそんな尊い思考回路すら投げ捨てた。ただひとえに邪魔だったからというだけで。
昔の惨劇を知らない10代の者たちは、悲劇を背負った彼女らを嬲ることに愉悦すら見出しているありさまだ。
もう一度言おう。
お前たちは何だ?
民警のようにガストレアと戦うこともなく、聖天子のように国の明日を憂い想うこともなく、彼女らのようにその日その日を全霊で生きているわけでもない。そんな
自分自身は
嗚呼、貴様ら本当に━━━━━
「━━━━気に入らんな」
左手に持った銃の引き金をひいて弾丸を射出、ガストレアは死ぬ。
バラニウムで構成された黒い弾丸は、ガストレアの急所を的確に射抜き、絶命させた。
「はぁ……弱い。 つまらん」
それを為した張本人は、心底くだらなさそうに溜息を吐き、タバコに火をつけた。
本来そんなことをすればたちまちその臭いで勘づかれるのだが、構わず男は紫煙を吐き出す。
タバコの臭いはもちろんのこと、立ちのぼる煙も目印となる。
やはりというか、当然、男の周りにガストレアが集まり始めた。
男は表情を変えない。否、無表情だ。
なんだ来たのか、では死ね。
ガストレアが構えるよりも疾く、左手の銃からバラニウム弾が放たれる。
現れては撃ち殺し、撃ち殺した途端また違うのが現れる。
もはや作業と化した狩りは、男の圧勝であった。
周辺にはガストレアの屍が山と積み上げられ、男はそれに腰掛けタバコを吸う。
「……菫にやるか、これ」
男はガストレアの山を一瞥し、無くなりかけたタバコの火を揉み消した。
◆*◇
とある民警、里見連太郎は己の相棒のイニシエーター、藍原延珠と共に室戸研究所へと向かっていた。
めんどくせーなー、行きたくねーなー。
内心で一人ごちる連太郎だが、延珠の為にはそうも言ってられなかった。
イニシエーターとなれるのは呪われた子どもたちのみ。
ガストレアの力を内包した彼女らは、対ガストレア戦においてなくてはならない存在だ。
「なあなあ連太郎。 菫のところに今日は何しに行くのだ?」
「あぁ、お前の診断と、あとは俺に話があるんだとよ」
絶対碌なもんじゃないだろうけどな。
連太郎は持ち前の不幸顔を遺憾なく発揮しながら、自転車を漕ぐ。
研究所の前まで着くと、重たい扉を開け、その奥の研究室へ向かった。
そして研究室の戸を開けると………。
「連太郎連太郎、菫が死んでいるぞ」
「……何やってんだか」
半ば以上呆れながら、もはや見慣れた光景に溜息を漏らす。
「む、リアクションが薄いではないか。 君は顔の幸も薄い上に反応も薄いのか、そういえば好みも薄い胸だったな」
「違ぇよ!! ……っていうか、また食ってないのかよ」
「生きている身体は不便だ……腹が減れば動きが鈍くなるなど、死体が羨ましい」
「菫よ、死んでしまえば研究もできなくなるぞ?」
「それは困る。
先の発言からもわかる通り、彼女は異常者だ。
これでも『神医』と呼ばれるほどの腕の持ち主で、まともにしていれば途轍もない美人なのだが。
頭脳明晰、容姿端麗。
彼女はこれらのアドバンテージを他の要素で台無しにしている。
「いつにも増して眠たそうだな、何してたんだ?」
「いやなに、久しぶりに綺麗なサンプルが山のように送られて来てな。 ついつい一週間ほど徹夜しただけだ」
「菫、ついついで一週間も寝ないで大丈夫なのか?」
「もはや慣れたものだよ。 たまに意識が不明瞭になるが大したことではない」
さすが同業者のエインに『空前絶後の変態』と称されるだけはある。彼女は紛うことなき変態だった。
菫は連太郎から食べ物を貰うと、ゆっくりもしゃもしゃと食べ始めた。
時折まあまあだなと感想を漏らすあたり、神経も変態的な図太さであることがうかがえる。
この女医は、死体の胃の中から摘出した物を食べることがあるが、最近は何故か食べていない。理由は不明だ。
「つーか菫先生。 なんでいきなりそんな大量のサンプルが届いたんだ?」
「んー、とあるハンターがね、『やる』って二文字だけ喋って置いていったんだ」
「……おお、その人は気前が良いのだな」
「サンプル代を払うと言ったが、無視されたな。 まったく、相変わらずだよ。 状態は最上に近い物ばかり。 君とは射撃の腕も隔絶しているぞ、彼は」
「余計なお世話だ」
その後、延珠の定期検診も終わり、最近のガストレアの動きや連太郎のメンテナンスを終え、二人は研究所を後にした。
◆*◇
黒と赤の入り混じる汚れたコートの裾を揺らしながら、男はある人物に会おうとしていた。
まあ、格好が格好なだけに何度か呼び止められたのは当然か。さすがにそれら全てを昏倒させて強引に進むのはどうかと思うが。
タバコの煙が帯となり、廊下が白く染まっていく。
そして少し重厚な感じの扉を、ノックもせずに押し開けた。
「ノックをしてください」
「必要ないと判断したまでだ」
「……そうですか。では、報告を」
「モノリス外部にてガストレアの駆逐を完了。 ステージⅠが42体、ステージⅡが44体、ステージⅢが38体、ステージⅣが19体。 計143体」
「ご苦労様です。 他に何か報告は有りますか?」
「ここに来るまでに衛兵を何人か昏倒させた。 以上だ」
「何をしてるんですかあなたは………」
聖天子は軽い頭痛をおぼえ、額に手を当てる。
彼の戦闘能力、及び任務の遂行力は群を抜いて優れている。
だが、報告をしに来るたびに問題を起こすのはやめてほしい。切実に。
混乱した衛兵や従業員に対しての説明を、いったい誰がやっていると思っているのか。
聖天子が面倒が起きたことにげんなりしていると、一人の老人が入って来た。勿論、ちゃんとノックをして。
そして、男の姿を視界に捉えた途端、老人『天童菊之丞』はものすごく不愉快そうな顔をした。
「何故貴様がここにいる」
「報告をしに来ただけだ」
「そうか。 ならばその報告とやらを済ませてとっとと去ね。 その不愉快な顔を儂の前から消せ」
「ならばお前が目を瞑ればいい。 相も変わらず頭が固いなお前は」
「口を開くな穢らわしい。 さあここから出て行け。 二度と戻って来るな」
「それは出来ん。 私に命令を下せるのは、後ろで怯えている主人のみだ」
「お、怯えてません…っ」
菊之丞はひとしきり怒鳴ると、奥に引っ込んだ。
なにやら後ろで可愛い我が主人が健気にも反論しているが、その実、男と菊之丞の掛け合いに怯えていたことはバレバレだった。
「さて、主人よ。 次の任務は何だ? モノリス外部周辺をもう一度掃除でもするか?」
「い、いえ。 あなたには別の任務を用意しています」
「ならば命令するがいい。
「ええ、もとよりそのつもりです。 あなたには、ある物を奪還してもらいます」
すると聖天子は、パネルに一つのトランクを映し出した。
男はそれを見て、訝しげに眉をひそめる。なんだこれは、と。
主人に視線でそれを伝えると、聖天子は説明を開始した。
「このトランク。 正確にはその中身が奪還の目標物です」
「その中身とは何だ。 それを教えろ。 でなければ、取り返せるものも取り返せん」
「残念ながらそれは言えません。 国家機密であるこれを、あなたに教えるわけにはいきません」
「それでは道理が通らんぞ。 お前は命令する立場上、正確な情報を渡す義務がある」
毅然とした態度で、中身がなんなのかを教えない聖天子。
だが、依頼を受ける立場の男は、決して譲らなかった。
そして数十秒も続いた睨み合いは、聖天子が折れることで終結した。
「致し方ないですね。 ですが、口外しないこと。 これは絶っっ対に守ってください」
「ほう……お前との付き合いもそこそこになるが、未だここまで信用されていなかったとは、些か悲しいな」
らしくないしょんぼりとした男に、聖天子はあたふたと、いやそういうわけではないのです立場がアレなのでなんとかかんとか………。
うむ、微笑ましい。
「さて、行くか」
「まっ………てあなたはまた私を揶揄ってッ」
「いい顔をしていたぞ。 やはり飽きんな
背後でなにやら喚いているが無視する。
扉を閉じ、自分を切り替える。
これより先は地獄なり。魑魅魍魎どもが跋扈する世界へ、いざ。
「目的は盗まれたトランク及び中身の回収。 障害は絶滅対象と認識。 ガストレアの駆逐優先順位を変更。 所持武器の故障無し、残弾潤沢」
男は出立した。
◆*◇
そこには、信じられない光景が広がっていた。
武装した男たちが、隊列を組んで何かに突撃していたのだ。
郊外といえどモノリス内部。ガストレアが侵入してくることなどまずあり得ない。
では何を攻撃しているのかというと━━━━━
「いけー! やれやれぶっ殺せぇ!!」
「バケモノどもを根絶やしにしろぉ!」
「人の形したガストレアが、俺たちの近くで生きてんじゃねぇ! 死ね、死に晒しやがれー!」
━━━━まだ年端もいかない子供だった。
そう、彼らは呪われた子どもたちに火器を以って襲撃していたのだ。
どこにそんな資金があったのかはわからないが、迫撃砲や、火炎放射器まで持ち出していた。
ガストレア因子を持ち、超人的な身体能力と自己治癒能力を持っていたとしても、人を殴ったこともない無垢な幼子が敵うわけがなかった。
「死ね死ね死ね死ねぇ! いいぞ皆殺しだ!」
「バケモノめ、これが俺たち人間の力だ!」
酔っている。彼らは酔いしれていた。己に。
目の前にいる小さなバケモノの命を踏みにじることに歓喜を覚えていた。
ある者は少女の足を潰してからパイルバンカーで頭部をミンチにした。
ある者は少女を組み伏し、陰口にマズルを突き入れ引き金を引いた。
またある者たちは少女たちを串刺しにし、まだ生きている状態を確認してから火炎放射器で焼き殺した。
「ハハハハハッ! なぁにがガストレアだ! 呪われた子どもたちだ! 楽勝じゃねぇかよ、なぁ!?」
「さっさと死にやがれ糞虫どもがぁ!」
「泣けよ! なぁオイ、聞いてんのかゴラァ! 泣けつってんだろバケモノォ!」
「これ俺たち英雄じゃね!? アハハハハッ、マジ気持ち悪いよこいつら」
「俺たちじゃなく自分を恨めよ。 テメェらはなぁ、生まれたことが罪なんだよォ!!」
彼らは気づいていない。
この光景において、何よりも人間を逸脱したおぞましいバケモノは、自分たちであることに。
悲鳴、叫喚、絶望、そして死。
およそマトモな者では到底受け入れられない地獄が広がっていた。
転がる死体は全て子どものものばかり。武装した青年、中年たちは嗤いながら邁進する。彼女らを根絶やしにするために。
愚かにも彼らは、殺すことに愉悦を感じていた。血を浴びることに悦楽をおぼえていた。
悲鳴が耳に心地いい。 もっと、もっとだ。
◆*◇
━━━嫌だ、やめて。
━━━殺さないで。
━━━なんで、どうして。
━━━痛い、痛いよぉ。
━━━誰か、誰か
「誰か助けて………っっ!」
━━━━━銃声。
瞬間、少女を殺そうとしていた男が吹き飛び死んだ。
少女も、周りもその現象に呆然となる。
見ると、死体の首から上がなくなっていた。
たった一発の弾丸で、たった一回の銃声で、だ。
何かがこっちに歩いてくる。
ザクザクと地を踏みしめ、こちらに何かが来ている。
━━━━銃声。
今度は複数回。
すると、男たちの火器が撃ち抜かれていた。
暴発した銃はその熱で使用者の手を焼き、火炎放射器は使用者もろとも爆散した。
途端、混乱に陥る男たち。
少女たちはその隙に拘束から抜け出し、遥か遠くまで逃げることに成功した。
そして、またも銃声が響く。
今度は先頭付近の男たちが軒並み殺された。
「何だ、何だよこれ!」
「し、知らねぇよ、俺が聞きてえよ、知るわけねぇだろ!」
足音はなおも近づいて来ている。
そしてついに、姿を見せた。
「モノリスの中にこれほどまでのゴミが沸くとはな。 お前も堕ちるところまで堕ちたものだ、天童菊之丞」
独り言なのか声は小さい。
だが、瞬く間に仲間を殺したのがこいつであることに違いはない。
全員が踵を返し、情けない悲鳴とともに逃げ出した。
「逃がさんよ。 逃すわけがないだろう、害虫ども」
一度の銃声で一人倒れる。
現れた男の射撃の正確さは恐ろしく、全員が地に伏すまでそう時間はかからなかった。
脚を撃ち抜き、腰を撃ち抜き、はたまた右の肺を撃ち抜いて、殺さずに仕留めた。
脚を撃たれた一人の青年が、男に問うた。何故撃った、撃つべきは
「はて、私にはお前たちの方がバケモノに見えたのだがな」
何だ、何なのだこの男は。
まるで意味がわからない。
殺すべきはあいつらだろう。
自分たちはバケモノを倒していた英雄なのに。
何故、何故、何故、何故何故何故何故何故何故。
「なに、簡単なことだ。 俺はゴミを掃除しているだけに過ぎん」
「ふざけるな! ゴミはあいつらだ! なんでそっちを殺さない!!?」
「まさかお前は、己が人であるなどと思っていないだろうな。 もしそうならば、笑わせるなよ畜生ども」
バケモノは殺す。それは確かだ。
だから
殺しに愉悦を感じ、幼子を嬲ることを悦楽とするモノを、人間とは呼ばん。
「人間を人間たらしめるものは生まれではない、ましてや他人による定義でもない。 己が意思、それだけだ」
「じゃ、じゃあ俺は人間だっ! 生かせ! 見逃してくれ!」
涙や血や涎でグシャグシャになった顔で懇願する青年。
しかし、返ってきた応えは無慈悲だった
「いいや、お前たちは虫の餌だ」
そう言い、男は倒れた全員を縛り上げ、モノリスの外へ引きずっていった。
道中、助けを求める悲惨な声があげられたが、応える者は誰一人として居らず、男たちは森の奥深くに置き去りにされてしまった。
「天童菊之丞、私はお前の所業を認可しない。 見当外れな憎悪と、畜生に堕ちた貴様自身も」
そうして男は、ガストレアとなってしまった少女たちを介錯していくのだった。
主人公の銃はHellsingの454カスールをイメージしてもらえれば。
ちなみに主人公は童貞卒業しております。お相手は菫先生です。