ヤンバル・クイナはネコを抱いていた。
ノンプレイヤーキャラクターとして作成された、ネコの城の主たるネコであった。
ユグドラシル、DMMORPGの最高峰として一時代をリードした、インターネットゲームサービス最終日、ヤンバル・クイナは玉座の間にいた。
ギルド名ネコさま大王国であり、城を占拠した、もっとも有名なギルドの一つである。
決して強かったわけではない。むしろ、対人戦を当然のこととしていたゲームにおいては、異例なほど対人戦を避けていた。
城という守りにくい拠点でありながら、陥とされたことはない。
攻められたことも、数えるほどしかない。
なぜか。
攻めるだけのメリットが無いからだ。
ギルドとしての戦闘力は最下層に位置するだろう。
ギルド長であるヤンバル・クイナは、ギルドとしての活路を、戦いに見出さなかった男なのだ。
ネコさま大王国の加入条件は単純で、ネコ好きであるという一点のみである。
城はギルドメンバーだけでなく、ユグドラシルの全プレイヤーに向けて解放されていた。
この城の主は、ギルド長ではなく、プレイヤーですらない。ノンプレイヤーであるネコである。
レベルは100であるが、ネコである。実際の種族はワーキャットである。さすがに、いかにユグドラシルであろうと、ただの猫を100レベルと設定することはできなかったのである。
似た種族にキャットマンがいるが、それはネコの特徴を持った亜人種である。ワーキャットは、人間形態と猫形態の二つを持つ種族で、異形種に分類される。
ギルド長であるヤンバル・クイナは、ネコさま大王国の主は、ネコこそがふさわしいと考えていた。
アイテムを使い、クラスを研究し、結果として、100レベルのノンプレイヤーキャラクターを、外見上ただのネコとすることに成功した。
ネコの人工知能、ネコの鳴き声、ネコの手触り、ネコの動き、ネコの外見、そのすべてを外注で作ってもらい、ただ一匹のネコを完成させた。
凛々しい雌の三毛猫である。
クラスとしてサモナーを極め、同族を召喚することができた。
完璧にネコを再現した城の主に召喚された同族は、やはり完璧なネコであった。
城にはモンスターは配置せず、トラップはなく、ただネコで満ちた。
かつてのギルドマスターは、ネコさま大王国に配置したのは全てネコ型種族やモンスターだった。だが、ヤンバル・クイナはさらに一歩進んで、ひたすらただのネコに固執したのである。
ユグドラシルの穏健派のプレイヤーはこぞってネコの城を訪れ、戦闘好きの過激派も、気分転換にネコと触れあいに来た。
いつしか、ネコさま大王国の城、通称ナベシマは、ユグドラシルの癒しスポットとなり、攻めようとすればリアルで叩かれるという洗礼を受けるにいたり、ネコさま大王国は平和を手に入れた。
サービスも終了日、ヤンバル・クイナは城の主である三毛猫のミケと共にいた。
アイテム課金こそほとんどしてこなかったが、かなりの金をつぎ込んでいた。自分では作成できないデータの全ては外注であり、ユグドラシルで理想のキャラを作るための専業も、リアルで存在していた。
役に立つアイテムはほとんど持っていない。だが、金をかけただけの価値はあると、ヤンバル・クイナは考えていた。
現実の世界では、ネコは高級品である。外で暮らす野良猫は大気汚染のために全滅し、慎重に管理された、きわめて高価なペットとなっていた。
ネコと会えるのはユグドラシルの中だけだった。
それが、終わろうとしている。
「ミケ……ありがとう。楽しかった」
ヤンバル・クイナは、本来ミケのものである玉座に腰かけ、ミケを膝に抱いたまま、最後の瞬間を待っていた。
ギルドメンバーの姿を最後に見たのはいつの頃だろうか。
城には、いつも客がいた。ミケに会いに、ミケが召喚した大量のネコに会いに、多くのプレイヤーが訪れた。
それも終わる。
00:00:00
その瞬間、いたたまれずにヤンバル・クイナは目を閉ざした。
膝の上が温かい。ずっしりとした重さを感じる。
まるで、ネコを抱いているかのようだ。
楽しかった。まだ、その余韻が残っているのだ。
ヤンバル・クイナが目を開けた。
膝の上に、三毛猫がいた。
「……えっ?」
ゴロゴロゴロゴロ……。
心地よい音と、響き、それに振動。
プログラムされていたネコの喉の音だが、ヤンバル・クイナが知っているものよりなぜかさらに心地よい。それに、喉の音から振動が出るシステムは組み込まなかった。再現できなかったのだ。
「……ミケ?」
「どうしたニャ?」
ヤンバル・クイナの膝の上で、薄目を開けてミケが見上げていた。寝返りを打つ。
腹を見せ、前足をちょこりと曲げる。いつもの、ミケだ。
「……どうして、ここにいる?」
「あたちの城だニャ」
そうだった。ここは、ミケの城だ。
当たり前だと思ってから、何かが違うと思い直す。
「おい、お前たち」
「何でしょうニャ?」
玉座の間には、最後の時に備えて呼び寄せておいた、ネコ型の使用人が揃っていた。
全員が完全な猫形態、猫サイズでありながら、直立した12人のワーキャットだ。ネコさま大王国は、合計で700レベル分のノンプレイヤーキャラクターを作ることができるが、100レベルのミケと、50レベルの使用人12人ですべて消費している。
肝心のネコは、すべてミケの召喚能力にかかっている。
そのネコたちも、玉座の間で、めいめいに寝ころんで遊んでいる。
明らかに、ネコの城だ。
「何か、異常は起きていないか?」
「……何のことでしょうかニャ?」
12人のまとめ役、アメリカンショートヘア風のチゲが首を傾げた。
「……ゲームの続きか?」
「きっとそうだニャ」
ミケは膝の上で無責任なことを言う。いかにもネコらしい。
それを喜んでいいのかどうか、わからなかった。ネコならば、話せるはずがない。
そう思ってから、ヤンバル・クイナは戦慄した。
ノンプレイヤーが話している。ゲーム上では、そんな仕様はなかった。
「何が起きている?」
「知らないニャ」
とりあえず、ヤンバル・クイナはミケの腹を撫でた。
ミケの喉がさらに大きく鳴る。
まあ、しばらくはいいか。と、考えることを放棄するヤンバル・クイナだった。
玉座の前に畏まって座っているワーキャットは、完全なネコ形態から人間形態まで変化可能だ。しかし、全員がネコの姿をしている。ヤンバルがそれを望んでいるからだ。
畏まるのを辞めるように言うと、12人の猫たちは、いかにもネコらしく、床の上でごろごろとくつろぎはじめた。
ミケのための玉座に腰かけてミケを撫でまわすこと、一時間近くが経過しただろうか。そろそろ、現在の状況について考察して見ようかと思い始めた。
ヤンバルが視線を上げると、玉座の間に見たことのない老人が入ってこようとしていた。
きちんとした執事服を着ているものの、ヤンバルは剣客でも入ってきたのかと思って身構えた。
しかし、どうやら丸腰のようだ。
一礼してから、まっすぐに玉座の前に進む。歩き方にも全く隙がない。リアルで武道などしたことがないヤンバルにもわかるほどだ。
ちなみに、ユグドラシルではヤンバルは一応戦士職ということになる。一切魔法を使えないからで、魔法は難しそうだと忌避しているうちに、魔法と無縁な職業ばかりを選択していた結果、戦士職に行きついた。
それでも100レベルなので、モンスター相手であればそこそこ戦えるが、プレイヤー相手に戦ったことは一度もない。
「外から呼びかけたのですが、どなたも対応に出られなかったので、無礼を承知で立ち入らせていただきました。私は、ナザリック地下大墳墓の執事、セバスと申します」
眼光があまりにも鋭い老人が、実に丁寧な口調で、深くお辞儀をした。
あまりにも丁重な態度に、ヤンバルは慌てた。ヤンバルはネコさま大王国のギルド長であり、客人を迎えることは多い。ネコさま大王国のギルド拠点は、何人であれわけ隔てなく開かれていたからである。
だが、所詮はゲームのプレイヤーたちであり、友達気分で対応していればよかった。自分がまるで偉い人になったかのように扱われると、困ってしまうのだ。
もちろん、ヤンバルは偉くない。あくまでネコさま大王国のギルド長であるだけで、この城の城主はあくまでもミケなのだ。
「よく来たニャ」
自分の身分が解っているミケは、ヤンバルに抱かれたまま、ご機嫌で尻尾を振った。
「……しゃべりましたな。ただのネコではないようですね」
「こちらは、ナベシマ城の城主、ミケ様です。俺はギルド、ネコさま大王国のギルド長として、こちらのミケ様に仕えています」
「こりゃ、持ちあげるな。威厳が無くなるニャ」
ミケの脇を抱えて持ち上げてみせると、ミケに怒られた。ヤンバルはもとのようにミケを膝に戻す。
「こちらが……城主様ですか」
「ええ。ただのネコではありません。ワーキャットです、普段は、俺の希望を叶え、ネコの姿をしてくださっているのです」
「……ほう。失礼ですが……こちらの皆さまは?」
「同じく、ミケ様に仕える者たちだニャ」
床の上でごろごろしていたペルシャのワフが顔を上げる。
「……誠に恐縮ですが、我が主が皆様をお招きしたいと申しております」
セバスと名乗った老人は、突然話題を変えた。ネコの相手をしていても仕方ないとでも思ったのだろうか。失礼な老人だ。
「招くとは……先ほど言っていた、ナザリック地下大墳墓ですか? あなたの主人とは誰ですか?」
「はい。ギルド、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長、モモンガ様です」
「……聞いたこと……ある」
ヤンバルの声が震えた。
「そうか……アインズ・ウール・ゴウン……ユグドラシルで最多のワールドアイテムを所有するというギルドだ。その本拠地が陥落したなら、さすがに噂になるはずだ。最後まで守り通し……サービス終了を待って……何か仕掛けたんだな」
「どうしました?」
あまりの衝撃に、ヤンバルはセバスの存在を忘れて口走っていた。セバスに目を向ける。執事服を着ているが、この老人もプレイヤーなのだろう。全て、悪名高いアインズ・ウール・ゴウンの策略なのだ。
「俺を脅すつもりなんだね。このネコたちを、元に戻してほしくなければ、従えというんだね。ワールドアイテムで、ユグドラシルのサービス終了を一時的に伸ばしたのかい? このネコたちは、いつまでこうしていられるのかい?」
「おっしゃる意味がわかりませんが……失礼。モモンガ様、セバスです。現在ナザリック地下大墳墓の隣接に発見した城の内部でギルド長と名乗る方からお話を伺っております。ナザリックに来ていただくよう依頼したのですが……私には理解できないことをおっしゃっていまして。名前ですか? ネコさま大王国のギルド長ヤンバル・クイナと仰っています……はい。承知しました」
〈伝言〉の魔法を使用していたのだと、ヤンバルは理解した。ヤンバル自身は一切魔法を使用できないので、存在を知っているだけだ。
「いまのは、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長からですか?」
「はい。こちらにいらっしゃるようです」
セバスの言葉に、ヤンバルは頷いた。驚くことではない。交渉であれば、ギルド長自身が乗りだすのは当然でもある。
特に、ネコさま大王国は全プレイヤーに対して門戸を開いていたことで有名だ。いままでにアインズ・ウール・ゴウンのメンバーが来た記憶はないが、数多くのプレイヤーを招き、ネコの素晴らしさを分かち合ったものだ。
「では、ミケ様も紹介したほうがいいでしょうが、まずは二階にご案内しましょう。ミケ様の城が誇るネコカフェがあります。モモンガさんも、きっと気に入るでしょう」
「ご配慮、感謝いたします」
セバスは腰を折った。ヤンバルは数多くのプレイヤーを満足させたネコカフェに自身を持っていた。ネコに囲まれて、和まない人間がいるはずがないと思っていたのである。
ちなみに、ネコカフェのネコも、ミケがスキルで召喚したネコたちだ。
ただのネコである。だが、ネコとしての再現性が極めて高い。ミケ様の人工頭脳に大金をかけてネコらしくするほど、ミケが召喚する眷属のネコたちも、ネコらしくなっていった。
本物のネコを飼っているというセレブなプレイヤーでさえ、完璧に近いと評したほどだ。
ヤンバルはネコを記録映像でしか見たことはなかったが、こんな素晴らしい動物はいないとまで思っていた。
アインズ・ウール・ゴウンが異形種のみで構成されていることは知らなかったが、中身が人間であれば、ネコに癒されないはずがないと固く信じていた。