原案 ゼルガメス(@Zelgameth1)
本文 ミナミ(@pigu0303)
――U.C.0096 04.16 突撃起動軍ブギーマン部隊母艦内――
祝杯。乾杯。艦内の格納庫では浴びる程の酒のシャワーが降り注ぐ。英雄のご帰還だともてはやす者たち。それに応え、彼ら以上に騒ぎ喜ぶ兵士たち。
一人は思っていた。天井の明かりが照らす酒の雨はこれ程にまで美しいのか。
一人は泣いていた。今までの惨めな生き様を捨て去る事が出来たことに。
沢山人を殺し、沢山地を焼き、沢山空を汚した。それを彼らは誇りと勲章と呼び、煽て魅せつける。
「流石ですよ、カチル隊長殿」一本のビール瓶を手渡す整備兵。その兵は勝利に喜び、生還に泣いていた。
「当然だろ。俺たちジオンだ。戦場でこそイける化生なのさ」茶の短髪をなびかせる男。右頬全体に貼られた傷を隠す人工皮膚が、チャームポイントだと彼は言う。
旧体制のジオンの頃から彼は人を殺し続けてきた。しかし同時にアンティークとして扱われ、その後の戦争では名を記すことはなかった。カチル・ハウストン。歴代続く空戦部隊ブギーマンの隊長を務めている。
カチルは受け取ったビール瓶をそのまま口につけ、豪快に中身を口内に浴びせる。滲みる苦み。弾け消える泡の食感。全てがたまらない。
「して、護衛はいかに?」ヒヒと少し不気味に笑う整備兵。
カチルはそれを待っていたかと言いたそうに、ビール瓶を持ったまま両腕を突き上げ、こう叫んだ。
「まさに退屈そのものだったよ!」その声に誰もが驚き、誰もが彼へと視線をやった。まるで演劇の一部。スポットライトが狂言者に当たったかのように誰もが静まり返る。
「空の蒼さには感涙。雪の白さには感動。連邦の奴らが死んでく様には感射精だった。――だが、ダメだ。あのV.I.Pはダメだ。MSの図体がデカけりゃ、態度もデカい。俺たちの生き甲斐を奪いやがった。俺たちの刻みの邪魔をした――ダメだな、ありゃ」声高々にカチルは叫んだ。思い上がったV.I.Pが居ない事を良い事に、好きなだけ言いたいことを叫んだ。
「ダメでしたか」「やっぱりね」「所詮後出さ。所詮インテリさ」口々に皆が不満を漏らす。それはカチルにとっては、万来の拍手喝采に等しい。アンコールに等しい。
「そうさ、ダメなのさ。戦争をしない奴らはダメなのさ。賢いだけの人間だ。ダメなんだよ、それじゃあさぁ。俺たちはジオンだ。ジオンなんだ。一度足らず二度まで負けた敗戦国。それがただただ一発奴らに思い知らせて終わり? それでいいのか? 良いはずがないだろう?」
カチルは煽った。そこにいた誰もがそうだと口にする。
彼は知っている。彼らの中にどのような思いが眠っていたかを。
彼らは知っている。自分たちがどのような思いを抱き続けたかを。
連邦を悪だと思い続け、悪は連邦だと抱き続けてきた。友を、家族を、知人を、他人を殺し続けてきた悪を、殺し続てきた。
「殺られたんだ、殺り返したっていいはずだ。いいんだよ、やってもさ――――それをいけしゃあしゃあと出しゃばりやがって。地縛霊? 利用し合う関係? オレたちゃ
「――けどそのV.I.Pのお陰で酒が飲めてる。違いますかね、隊長」観客の一人が野次を飛ばした。会場が一旦静まり返った。拙いんじゃないかと誰かが零す。
皆の心配も無駄に終わる。
「……それもそうだな。今日も酒が美味いのは馬鹿のお陰か! いいね、いいねえ」彼は上機嫌に、持っていた瓶のビールを全て頭から被る。固まっていた空気がドロリと勢いよく溶け、そしてまた欲に呑まれた。
誰かがガザWにワインをかける。
誰かがガザWにパイを投げる。
やりたい放題で次々に機体が汚れていく。無礼講、無礼講。よくできた免罪符だ。上官にクラッカーを浴びせても、咎められる事はない。
宴は五時間近く続いた。天井の照明が砕け、破片が至る所に落ちている。グチャグチャに踏みつけられた料理や酒が異臭を放つ。隅に溜まった吐瀉物溜まりは誰が掃除するのだろうか。
ほとんどの者が酒気と疲労にやられ、床上で怒号に近い鼾をかいて眠っている。そんな中、たった一人。汚れたガザWを眺めながら酒を煽るカチル。喉を焼く林檎の味。酔いを醒ますのに、薬酒を飲む。
カチルは今日を振り返る。それは乙女が日記を綴るかのように、彼にとって大切なものだった。殺した者たちの声を、顔を、最後を反芻する。特別な同情を抱くわけではない。
ただただ記憶により濃く残す為に、脳髄から引きずり味わうだけだ。
嫌な笑い声を洩らし始める。これは喜びだ。討ち取った敵の頭蓋の杯。臓腑の沼を火で焼く。勝利を得た後の昂ぶりを記憶として残すもの。過去の歴将にあやかったカチルが習慣づけている事だ。
翌日、雲の上の太陽が艦内を強く照らしていた。祭りの跡は片づけられ、昨日の己を恨むように整備兵がガザWの調整を行っている。主に清掃がメインではあった。
カチルを含めたブギーマン達はブリーフィングルームに居た。中央のソファーに腰をかけ、コーヒーを嗜みながら通信を待つ。ブギーマンの連中はイカれた奴らしかいない。
エストペクトロフィリア、ホモセクシャリティのカップル、童貞の平和主義者。そして、カチル。悪鬼を名乗る部隊にはご立派すぎる。
カップルは二人だけの世界に入り込み、エストペクトロはあの戦いでの自分が得た感動、性衝動をべらべらと語っている。やたらと絡まれる若き童貞がカチルに助けの眼を配る。
しかしカチルは、通信はまだかと苛立ちを感じていた。
ようやく艦内放送が入る。
「通信映像、まわします」との言葉と共に部屋の照明が落ちていく。天井からモニターが、彼らの目の前に降りて来た。
電源が入ると、眼鏡をかけた男性が映る。知的な面立ちはその若さには似合わぬほど立派なもの。後頭部でくくった長い髪は淡い金を発している。弱弱しくも暖かさを感じる声で男は言霊を弾く。
「機嫌は、どうかな。聞かずとも分かるがね――ああ、いい。いい。そのままでゆっくりと聞いてくれ」男の言葉は気楽とも感じ取れるが、気難しさとも思えた。俗に言えば猫かぶり。
「此度の作戦、ご苦労。《アジール》のデータもよく取れた。あの白き地をより白くできたことも感謝の意を述べたい。ありがとう」本意がこもっているとは思えない声色で男は言う。
「いえ、それが我々の在り方なので……しかし、根にはもちますよ」ハハッとカチルは社交辞令で済ませる。
「無礼を告げたのは謝ろう。初めての実戦だったのだ、少し――ほんっとうに、僅かに少し。緊張していたのだ。許してほしい」
薄ら笑みを浮かべやがって。そうカチルは思いつつも「誰だって初めては緊張もするでしょう。いいですよ、許してあげましょう」と言い返した。少しはその不気味な笑面を崩せるかと目論んだが、そういかなかったらしい。彼の表情は変わらず微笑。
「では、うん。そうだね。うん。馴れ初めを聞くのは、君たちにとっては笑い話になるだろう。それは恥ずかしいな。とっても」
カチルは部下たちを退席させた。さっさと出て行けと言わんばかりに手で払いだすジェスチャーをする。このV.I.Pは随分と我儘らしい。正直癪に障る。
「では、改めて言葉を贈ろう。此度の作戦、貴殿らの甲斐あって無事成功に終わった。ネオ・ジオン総帥代理ハルトン・フランケンシュタインが勇戦を称える。旧ジオン兵でありながらその戦姿、まさしくジオン軍兵の魂のそれと見た」勿論心はこもっていない。
「……約束は守ろう。私から持ちかけた話だ、カチル隊長。なんでも欲しいものを言うといい」不敵に笑いながらも、彼の言葉に嘘は被っていなかった。
それを待っていた。精霊(ジーン)に願うよりも現実的だ。男の地位と世界の形を見れば、叶わぬものはないだろうとすら思えてくる。
何を口走ろうか。何を心思おうか。欲と思考が錯誤する。
「――だが少し待ってほしい」されどそれを遮る賢者の言葉。
思わず「は?」と敵意をむき出しにした反応をカチルは返す。
それを当然の様にハルトンは受け止めると「いやいや申し訳ない申し訳ない」と謝礼になっていない謝りと同時に願いを言う。
「いやね、やはり初めてってのは辛いものだ。仕留めそこなっているだろう。やられもしてしまった。手痛いね。辛いものだよ」
ハルトンの言いたい事を理解したカチルは、再確認をとる。まさかそんな筈はないだろうと思いながら。
「――僅かに、残っていると」
「察しが良い」馬鹿にした言い方だった。
「……恐らく、だがね。いや、まあ確実だろう。あれで全部だろう。けど、万が一という事もある。相手は土竜だ。土深く巣を作ってるかもしれない。それは君自身も分かっているだろう。だから、頼まれてくれないだろうか」
根拠のない命令。憶測だけで語るハルトンに、カチルはますます嫌悪感を抱いた。
「それは命令で?」カチルは問う。
「いいや、お願いだよ。貴官の持つ誇り高いジオン軍人魂に願ってね」敢えて違うとハルトンは言った。それが厭らしい。
カチルは暫し考えた。火器残弾、部下たちの志気。
数秒の沈黙。いやそれほどかかっていなかった。
誇り高い軍人魂という言葉に思わず、カチルは喜びを感じてしまった。返答を間違えてしまった。
「……よいでしょう」
その言葉の数十分後には、赤の船から五匹の蝗の群れが空を落ちていった。
それは雲海を一気に突き抜けていく。
――U.C.0096 04.18 ノースベイ地球連邦空軍基地跡内――
目覚めて翌日、基地で生き残った者たち総勢で、死者への手向けを行った。基地内で行われた葬式は、動かせぬほどの大きな瓦礫を墓標としただけのあまりにも粗末なものだった。
誰一人として別れの言葉を告げることなく、時に心で泣き、時に心を無き、時に心は愁いを抱いた。あまりの死者の数に名を刻むことも出来ず、ただただ瓦礫の前で時だけが過ぎる。
別れを断つ宴が出来るわけもなく、これ以上に精神へ支障をきたさぬようにと、これで別れは終わる。忘れねばならない時へと移り変わった。あまりにも呆気ない。
ユートは覚悟も何も出来ちゃいなかった。彼だけじゃないだろう。殆どの者が何もかも出来ていなかった。式を終えたあとの皆々の顔色は誰もが重たいものだった。下だけしか見ておらず、嗚咽き声ばかり洩らす者も居た。
どれだけ此処に居る皆が、悪夢に縛られる今を生きるかと思うと、ユートの心は苦しさを覚える。奇跡的に残った部屋のベッドの上で、押し殺す様に涙を流した。死んだ中には友も居た。知人も居た。他人も居た。それ故に哀しみは強い。止めどないものは溢れるばかり。
数刻が経った。厭らしくもこんな時ですら腹は減る。今から部屋を出れば、まだ炊き出しの時間には間に合った。少しながら浅はかすぎるのではと考えたが、今は生きる事こそが手向けと自分勝手ながらにもそう決めた。
ベッドから起き上がり、部屋を出る。今だに体を支配する怠惰と嫌悪感の原因は肉体か心か。それすら分からぬ程、パンクしきった頭の中がぐらりぐらりと思考を止める。
ただ一つの欲だけが体を動かしていた。
その時、一つの思念が心身に届く。人語ではない。
何を求めているかは分かった。分かった途端に体は動いた。空腹は感じなくなり、神経そのものが救助の念に向かって飛ぶように体を動かしていた。一心不乱に走り出す。
この感情は。この心を逆撫でする思念は。奴らだ。奴らしかいない。
ジオンめ、ジオンめ。許さない。絶対に。
ユートが向かったのは掩体壕。格納庫にMSを一機として見なかった。となれば残る場所はそこのみ。
基地の皆はまだ気づいてないのか。サイレンが一向に鳴る気配はない。すぐそこにまで迫っているというのに。
角を曲がった所で「おい待て、何処にいく」と腕を掴まれた。
ガクンと思わず尻餅をつきそうになったが、何とか踏ん張り、「急いでるんだ!」と怒鳴ろうと声の主の方を見る。
そこには名を知らぬ隊長。あの円卓以来だ。そういえば彼を葬式の時は見ていなかった。
本当なら、此処で隊長の名を聞いて、隊長がどういう人なのか、自分がどういう人なのか知ってもらいたかった。
「今はそんな時間はないんです」手を振り払う。例えここで悪印象を与えたとしても、それでもこの感覚を信じ、ユートは走り出す。
もちろん男には悪印象だった。尋ねただけで突き返されたと感じ取ってしまう。彼の言葉が支離滅裂であるとも錯覚されている。
しかし、同時にここまでユートが必死になるのには理由があるのではと勘繰った。
「まさか……いや、まさか」と呟きながら、男は判断を錯誤する。
その間にユートは掩体壕にまでたどり着いていた。唯一此処は無傷だったのか、薄暗い中でも天井に傷一つない事が窺えた。
息を荒げながらも辺りを見渡すと、思った通りMSがそこにはあった。中には自分のジム・クゥエルも存在していた。思っていたよりも外装に大きな傷害は見られない。溶け落ちていたバックパックも代用品が備えられている。これならいける。ユートは確信する。
この掩体壕には残った武装が集められていた。それを使えば何とかなるかもしれない。
「やれる……ッ」すぐにジム・クゥエルの胸元へと続く梯子を上る。
コクピットにたどり着くと、シートの上には衝撃吸収ベストとヘルメットが置かれていた。まるで誰かが予め用意していたようだった。
カチカチカチとリズムよくスイッチを入れていく。
「動く……死んでる箇所は、ない。やれる」その言葉と共にジム・クゥエルが大きな起動音を唸りあげた。
起動時に多少モニターに映像の乱れはあったものの、それは一時的なものであり、すぐさま回復した。それ以外に大きな違和感はなく、あえて言うならば右脚が若干重く感じた。戦えない事はない。
そうと分かれば後は兵装だった。しかし選り好みをしている時ではない。一番最初に目についた物を手に取った。それを見た時ユートは半ば喜びを感じた。これがあれば勝てると。
そしてもう一つ。ハイパー・バズーカを担ぎ持つ。本当ならばシールドも欲しかったが、それこそ贅沢だった。
ガシャガシャと激しく音をたてながら、エレベーターで地上へと上がる。
落ちゆく陽の光を浴びたユートは目を疑った。紅と茶で汚れていた雪世界が今は無く、削り抉れた大地しか目に映らないからだ。二日経ったとはいえ、その地に刻まれた爪痕は深く新しい。
あの日の戦火が脳裏から浮かび上がる。誰かの命が消える声。
今日の葬式が心から這い出てくる。哀しみが心を支配する。
ジオンめ、ジオンめ。呪文めいた怒りに燃料が投下された。より強く、より濃く、憎悪の炎が燃え上がる。それは感覚を研ぎ澄ませ、恐怖を消し去り、修羅の面をユートに被せる。
空がビリビリと震えている。静雪快晴の中、雲に隠れ見える影が五つ。
それが何か、ユートには即座に分かった。この心に伝わってきた死の念。それがまるで光装飾のように、あの影からは強く感じとれた。
あの時の奴らだ。あの日、あの時。巨人を連れて来た蝗たちだ。操縦桿を握る力が無意識に強くなる。歯を食いしばり、腹の下から力を込める。絶対に奴らをここで仕留めると誓い、操縦桿を激しく動かした。
ジム・クゥエルがハイパー・バズーカを構える。恐らく今撃っても当たりはしない。そんな事はユートにも分かっている。しかし、威嚇としては十分な意味を持っている。
まずは一発。ほとんど直上に近い角度で撃ち放つ。反動でガクリと体が後ろへと倒れそうになったが、踏ん張りすぐさま弾を眼で追った。
「ハハァ! たった一機と思えば、随分とやる気じゃねえか。ねェ! 隊長!」フレディは歓喜を露わにした。かわしたバズーカ弾が背後で破裂する音がする。
地上まで百mもない。肉眼で目標が捉えれた。
「とっとと帰れって事だろ.こっちだって来たくて来てるんじゃねえってのに……今頃コロニーでぬくぬくと過ごしてる筈だったのによ」カチルは愚痴をこぼしながらも、手元のスイッチを幾つか入れる。ガザWのシールドに隠されたバルカンへ装填が始まった。
「ドット、スマイリー‼ 旋回後二機で錯乱。その後フレディが本丸だ。いつも通り。いつも通りぶっ殺せばいい……。ジェイソン! 俺のケツから離れるなよ。新米にはまだ任せれるほど、あのパイロットは甘くなさそうだ」カチルが命令を下す。
V字に並んだガザW部隊のうち、両端が機体を傾け、落ちていく。そして、その数秒後に一機がMS形態へと変形し、自由落下を始めた。
「いいかッ! 無茶だけはするな。いくらシリアルキラーとはいえ、自分の命を擲つほどこの戦いに意味はない。無茶だと分かれば命令に背いてもいい。その背を撃ちはしない」
ジェイソンはカチルの言葉に聞き惚れていた。初めて訪れ、初めてカチルと出会った死地。そこでも彼は、同じ言葉を隊員に告げていた。このような優しさを持つ鬼が他に居ようか。同期の戦友たちにはそう語る。
「ジェイソン、俺のケツは見えているか!?」
「ハッ! 着かず離れず、隊長のガザWの黒い穴が二つ。見えております!」
「よォし……。よく拝み見てろ。間抜けがどういう者かを、その目で確かめるといい――。ある程度片付けば、お前の役目だ。そのガザWにはスキウレがある。骨董品だが、威力はお墨付きよ。そいつで地を焼け」
「やっぱり来るのかよ!」ユートは叫びながらも、モニターを食い入る様に見る。
ロックオンした二機。それが大きく左右に分かれる様が、モニターに映されている。凄まじい速さで自分を囲もうとしている。いや、既に囲まれている。あの速さならば二秒後には左右から自分へと迫りくる。
その直後だ。自分の頭に鐘が鳴る。死神か天使か。分からぬがいつも自分が生死の崖に立った時、この感覚が己を震わせる。「ドット!」「スマイリー!」自分を挟む二機から、互いに名を呼ぶ声まで聞こえた気がした。
時の狭間に投げ込まれたかのように。映像の再生と停止を司ったかのように。自分の五感全てが研ぎ澄まされ、二機の動きが感じ取れた。
操縦桿を激しく前へと動かす。足の裏で両ペダルを強く踏む。ジム・クゥエルの全身のスラスターが激しく火を噴き、その体を急激に空へと上げた。
その瞬間、先ほどまでジム・クゥエルが立っていた地で、左右からの銃弾がかち合う。あとコンマ遅れていればハチの巣だった。
地上スレスレを滑空していた二機のガザWが姿勢を横向きにし、互いに腹を見せ合いながら、触れ合わぬようすれ違い、また空へと戻っていく。
「躱した!」二機のパイロットはそう叫ぶが、それをカチルは「違う! 逃げた!」と否定した。
「面白い! 空は俺たちのホームだ!」そこへフレディが飛び込む。ガザWのバーニアを強く噴かせ、一気に間合いを詰めようとする。
そして、零距離でのバルカンの放射。いつものやり方だ。何ら変わらぬ死体が出来るだけ。そうフレディは思っていた。
「フレディ! 間合いの中だ!」カチルの叫びが、両腕を構え始めたフレディの動きを止まらせた。その言葉は自分を後押しする激励にしては、あまりにも焦りの色を見せていたからだ。
「ビーム・サーベルで……ッ!」ユートは、左手で持っていたハイパー・バズーカを投げ捨てる。代わりに使うのは、ジム・クゥエルの右手が握る棒状の武器。それは剣の柄に似ていた。
そして電源を入れると、柄先からオレンジ色の刃が伸び出てくる。それが完全に出きる前に、ジム・クゥエルはガザWへ突き刺す体勢に入っていた。
フレディはその刃に見覚えがある。もし自分の記憶が正しければ、この刃は己を殺しきるには至らない。
「ヒート・サーベルかァーッ!」フレディの記憶は正しかった。
「ビーム・サーベルじゃなかったのか!?」ユートは困惑を隠しきれない。
動揺から、刃の軌道に僅かな乱れが生じる。それをフレディは逃さない。
右腕のム―バブル・シールドで刃の侵攻を防ぐ。熱振動を起こす刃は、盾と腕を貫通した時点で動きが止まった。互いのバーニアの推進力が拮抗した状態が続く。
振動熱でムーバブル・シールドが溶け始める。このままではいつかヒート・サーベルがコクピットを貫く。
そう考えたフレディは「離れろ」というカチルの言葉が耳に入らず、左腕のムーバブル・シールドよりヒート・ホークを取り出す。
左掌まで滑り落ちてきたヒート・ホークをしっかりと握ると、一度ジム・クゥエルを足蹴にし、距離を僅かに離す。そして、斧を大きく振り下ろしにかかった。
「もらったァ!」斧の刃先は確実にジム・クゥエルの胸元を捉えている。何度も倒したジム機。既にそれのコクピットの位置は熟知していた。
それにこの間合いがよかった。その思惑通り、計画通りジム・クゥエルが動いたことにフレディは笑いを零しながら叫ぶ。
「退がるのかッ? この状況で! ハハッハァ!」
ジム・クゥエルが自分のガザWから身を退いた。つまり、それは自分が巻き添えを食う事がなくなったという訳だ。
既にドットとスマイリーの二機が旋回を終え、再度左右からの挟み撃ちを仕掛けていた。そう、フレディは囮に過ぎない。
地上とは違い、空中に逃げ道はない。例え逃げたとしても、ここは重力が引っ張る滞空の世界。ジム・クゥエルのバーニアでは飛ぶ事など不可能。勝ったと確信する。
しかし逃げ場所はたった一つだけ存在した。それは何処よりも安全な場所。そこに飛び込む事が難儀ではあるが、ユートの得意とする戦法ならば可能であった。
「俺はァァァッ!」叫びを推進剤に、無謀にも飛び込んだ。
フレディのガザW。その懐にジム・クゥエルを滑りこませた。勢いよく突き上げたヒート・サーベルは、咄嗟の判断で刃を横向きにしたヒート・ホークとかち合う。熱と熱の火花が弾ける。
それを見たドットとスマイリーが急速変形による急停止を行った。「隊長‼ 撃てば当たる!」命令を乞うと、カチルは「そのまま銃口を向けていろ!」とだけ答えた。
ヒート・ホークを持つ腕の角度が悪いのか、はたまた出力不足か。徐々にガザWが押し込まれていく。感覚で分かる。
一撃離脱を目的としたガザWの近接戦闘における強みは薄く、例え年季の入ったジム・クゥエルとはいえ、重なった状況下では命を落としかねない。少しでも気を緩めば、ヒート・サーベルがコクピットごと袈裟切る。ゾワリとした生暖かい汗がフレディの頬を流れる。
部隊の皆に助けを求めれば、何とかなるかもしれない。だがこの敵パイロットの特徴がつかめない今、安易な考えは身を滅ぼす可能性があった。
「聞こえるか! ジオンのパイロット!」その時、接触通信が入ってきた。トドメの一太刀を浴びせる前に嫌味でも言うのかと、フレディは奥歯を噛み締める。
「このまま死ぬこともないだろう! とっとと帰れよ!」
一体どんな汚物に例えて自分を馬鹿にするかと、少し期待すらしていたフレディは、思わず呆気にとられた。笑いすら起きた。この切羽詰まった状況で、ここまで笑った事は後にも先にもこれが唯一。
「何を言うかと、思えば……。甘ったれた情けをかけるほど、俺は手ごたえがないって、かァ!」
「こっちはただ生きてるだけなのに、それを邪魔してくるから!」
何だこいつは。何なんだこいつは。接触通信を聞いているブギーマン全隊員がそう思った。それは新兵のジェイソンですらそうだった。
皆の想いをフレディが代弁する。
「戦いをするなって……そう言いたいのかぁ? お前が生きている今で、その言葉は間抜けそのものなんだよ!」
兵器であるMSに乗る自分達にもそれなりの誇りと覚悟がある。力の世界で、その力の行使者として選ばれた誇り。それに伴う殺人と守護という重荷を背負って生きていく覚悟。
こいつはそれをしていない。できちゃいない。それにフレディは怒りを通り越し、呆れすら感じる。
「お前たちジオンが――ッ! 何もしなければ、皆死ぬことなかったんだよ!」
ジム・クゥエルの押し込みがより一層強まってきた。何が癪に障ったのか、フレディ達には分からない。
それを言うならば、こっちはどうなんだと。黒白、右左。水掛け論に過ぎない叫びをフレディは発した。
「先に仕掛けたのは、お前たちだぞ! フラットランダーッ!!」フレディの操縦桿を握る力が強まる。それに呼応するかのようにガザWがジム・クゥエルを押し返す。
フレディの声色が強くなる。しかし、それは脆く、叩けば簡単に割れそうにも聞こえた。
「お前ら地球連邦が弾圧したのを忘れたとは言わせない!」その声には受け止めきれないほどの気迫が漂う。
「お前はとんだ甘ちゃんだ。スイーツじゃあるまいしよ……軍人なんだろう? 人間なんだろう? だったら、死して逝った友の為に、殺すと一言叫べばいいだろう! それを帰れだと? 軍人を、戦争を、馬鹿にするんじゃァない! クソガキィ!」フレディが叫びながら、操縦桿を押し込んだ。
ジム・クゥエルの体勢が僅かに崩れた。ここは空中。一度でもフレディから離れれば、すぐさま周りの僚機がジム・クゥエルを喰らうだろう。
勿論、この隙をフレディが逃すわけもない。
自分の身から少し離れたジム・クゥエルを足蹴にし、空上へと遠ざける。最早一騎打ちもクソもない。語る必要すらないと、ユートを殺しにかかった。
「重力に引かれて、死んでいろ!」フレディの言葉を掛け声に、ドットとスマイリーが落ちゆくジム・クゥエルに照準を合わせた。
二人もまた、先ほどの言葉に苛立ちを感じた。ここまで癪に障った敵は初めてだと表彰してあげたいほどに。一瞬の祈りも与えず、シュツルム・ファウストを撃ちこむ為に、二機のガザWが両手を持ち上げた。