機動戦士ガンダム0096 白地のトロイメライ   作:吹き矢

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この小説は、SNS上で呟かれた一つのIfネタを元に製作されています。

原案 ゼルガメス(@Zelgameth1)

本文 ミナミ(@pigu0303)



第一話《蝗の王~Day after Abad~》
蝗の王~Day after Abad~①


 U.C.0096――青く美しく気高かった星はもうない。

 それは未だ座標には存在する。だが誰もが感動し、息をのみ、幾度となく眺めた姿は存在しない。

 この醜姿は三年前の『第二次ネオ・ジオン抗争』によるものだった。

 戦中〈ネオ・ジオン軍〉によって地球への落下軌道に乗った〈アクシズ〉。それは地表からも目視できるほどにまで落下を行っていた。

 それを見た地球連邦軍〈ロンド・ベル〉のエース《アムロ・レイ》の乗る《νガンダム》は、ネオ・ジオン総帥《シャア・アズナブル》の乗ったコクピットを手に落下を阻止しようとする。

 だがしかし、MS一機に出来る抵抗はあまりにも空しいものだった。落下軌道はおろか速度を落とす事すら出来ぬまま、重力の手によって降下を始めていた。が、その姿に呼応を受けた一部のMS兵達が己もと挙って、アクシズの落下阻止へと加わる。

 そして、それに反応してか、νガンダムより人々を暖かく包み込む緑の光が放たれた。

光と人々の想いから、アクシズの半分に近いほどの岩片を宇宙へと追いやる事は成功に収めたが、食い止める事は出来ず残った岩片と共に、アムロとシャアの二人は地球へと落下する。

 

 それにより地球の全生物の三分の一ほどが死滅。衝撃で舞い上がった砂塵は大気を汚染し、陽光を遮断した。そして三年という短期間で地球は今の姿【スノーアース】へとなり果てた。

 その後ネオ・ジオン軍はシャアという指導者の後任に《ハルトン・フランケンシュタイン》MS開発局局長が総帥代理として就任し、彼によって再建が始まる。

「地球連邦が我々に何をしたのか、よもや忘れる時はなかっただろう。革命家ジオン・ズム・ダイクンは我ら隷属に魅力ある未来を予言した! 指導者キャスバル・レム・ダイクンは我らに立ち上がる勇気と希望を与えた! ならば今こそがジオンの理想を叶える時なのだ!」

 過去の英霊の名を借り語るその様に誰もが魅了され、疑いと恐れを捨てた。そしてついに全人類掃滅作戦【ホワイトアース計画】が始動したのだった。

 

 それに対して地球連邦軍はどうしたか。

 アムロ・レイという英雄を失った今、対抗手段はなく、まるで土竜のように生活圏を地下へと移す事しか出来なかった。やれる事はやり尽したと言わんばかりに、基地だけを地表に突き立て、無条件降伏に近い怯え潜む事しか出来なかったのである。

 此処〈ノースベイ地球連邦空軍基地〉もその肥えた土竜たちを護る為に作られた。

 以前は広大な自然に潜むように立地していた基地だったが、スノーアース現象により全域の生物が死滅。基地は丸裸になってしまった。それにより寒風を直に受けてしまう事となり、天高く伸びていた建物は全て地下深く埋めるような形で再建造された。

 外部から見れば僅かに地上に平たい倉庫程度のものがちらほらとあるだけにしか見えないが、地下では発電施設も居住区も完備されている。

 しかし、居住としての性能を重視し建築を早めたためか、戦備は整っておらず基地防衛システムなんてものは存在すらしない。精々MS小隊を二つ三つと索敵に立てておく程度。今はネオ・ジオン軍の攻撃から生き延びた連邦軍の避難地の一つとして機能している。

 

 

 ――U.C.0096 04.15 ノースベイ地球連邦空軍基地内――

 地下一階。そこは掩体壕が大きく占めており、日夜足りぬ資源でやりくりする整備班の唸り声が響く。油の鼻をつく匂い。金属が削られているのか、残響がやけに耳奥に残る。外は今も吹雪いているというのに、熱気と人の密集で暑い。

 今日も世界中で生き残り、寄せ集められたMSの改修が行われている。

 砂漠仕様の《ジム》はそのデザートカラーを白く塗り直され、応急的な寒冷地仕様に。

 白塗りの終わった《ジム・ライトアーマー》はその肉薄な本体に追加装甲を加えられていた。

 そして、そんな中改修中のある一機。見た目だけはただただ変わらない白体のRGM-79Q―ジム・クゥエル―。かつて連邦特別部隊〈ティターンズ〉が運用していた量産機である。《ジム・カスタム》をベースとしており、エースパイロット向けに実戦配備された。「鎮圧する」という意味を持つQUELの名を冠すこの機体は対人制圧に特化しており、各部センサーは改良を加えられ、新たなセンサーも設置されている。

 そんなジム・クゥエルの左肩にまたセンサーが増設されようとしていた。左肩の装甲は外され、フレームが露出している。

 そこで整備するのはまだ幼い少女。名を《リャオ・ハオタウ》。MS開発に携わってきた両親を持つ彼女は十代というのに、軍の整備兵にスカウトされるほどの才能を持つ。真紅の髪は長く、三つ編みに一束ねにされ、ゆらゆらと肩甲骨辺りで振り子のように揺れていた。

 オリーブ色の整備用のつなぎは熱で焦げ、油と塗料で酷くみすぼらしくなっているが、本人は特に気にしている様子はない。少女がつけている整備用のゴーグルは、元は髪色と同じ紅だったが塗装が剥げ、耳元辺りにのみ僅かに面影を残している。

 まるで子供が泥団子を練る様に、リャオは熱心にセンサーと機体内部のコードを接続しようとしていた。その顔は油まみれだが、何とも健気で可愛げのある笑みを浮かべていた。

「どうだ。いけそうか」そんな一時に水を差す様に、ジム・クゥエルの胸元にある作業台で軍靴の音と共に。若々しい男の声だった。

 それを耳にしたリャオは作業を一旦止め、声のする方へ背後へ頭を下げる。

「やーやーやー。どなたかと思えばユート・レンス上等兵殿」

 何か不満があるのかリャオの声色は低く、高い位置から見下す様に軍兵を睨む。

 何故だ、何がいけないんだと静かに心で思う彼はユート・レンス上等兵。元はモスクワ陸軍基地に居たがスノーアース後、このノースベイ基地に愛機ジム・クゥエルと共にやってきた。まだ二十歳というのに度重なる任務で茶色の髪は痛み、髪型に拘らない短髪はうなじを露出させている。目鼻立ちは整ってはいるが、左目の眼球は僅かに黒ずんでおり、左頬から伸びるように耳まで火傷痕が目立っていた。

 連邦軍に入隊して五年。さすがに慣れたのか、軍服は多少着崩されている。

「なんでそんなに突っかかるような言い方なんだ? 教えてくれよ」

「いいでしょう。言ってあげましょう――それ! その右手に持つもの!」リャオが工具を持つ手で指さす先にあるのは、ユートが持つスクイズボトル。一般的にスポーツマンがよく使う水筒だ。

「これがどうしたんだよ」スクイズボトルを強調するかのようにズイッと、リャオへと突きつける。まだ分からんのかと拳を握り、怒りを噛み締めるリャオにユートはいまだ理解が追いつかない。

「こっちはずっと整備やってたの! それを……それをぉぉ~~」

 彼女はずるいと言いたいのだ。自分はこんな蒸し風呂サウナの中で汗水油まみれ、シャワーも浴びずアンタの機体をよりよい形へなんて事をしているのに。当の本人は呑気に水分補給しながらやってきた。特に手土産もなく。

「けど俺だって汗はかいたし、喉も乾いてるし。水ぐらい」それに油まみれになるのが好きなんだろうと付け加えたかったが、さすがにそれはやめた、

「こっ…………っちはそっち以上に汗だくなの‼ アンタの特訓癖とは湧く汗の量と質が違うの!」

 ユートが此処に来たのはもう一年ほど前になる。まだ居住区は完全ではなく、格納庫や掩体壕だけが出来ていた時だった。まだ人手も足りず、殆ど常時といって過言ではない程ユートは見張りとしてジム・クゥエルに搭乗していた。

 そして僅かな休息の際に行われる整備、その時彼の機体担当がリャオだった。いつも機体を摩耗させ帰ってくるユートにリャオは常に激昂していた。時には工具を投げつける事すらあった。それは今も変わらない。

 だが決してユートは怒鳴らなかった。なぜならそうなる理由は自分にあると分かっているからである。そして彼女が疲労でパンク寸前というのが分かっているからでもある。

 溜まるだけで吐き出せぬストレスに徒労。孤独で行う整備ほどつまらないものもないだろう。いくら楽しいとは言え、やはり吐き出したい物は出来てしまうという訳だ。そのはけ口になれるならいつだってなるつもりだった。

「オーライ。俺が悪かった。次来るときは水を持ってくるよ」

「分かればいいのよ、分かれば」

 そうすれば彼女は満足して微笑みを取り戻す。実際にフフンと鼻で笑っている。

「それで、いけそうか?」早く本題に戻さねば、次は自慢か愚痴が飛んでくると察したユートはすぐに切り出す。

 当然と胸を張って誇らしげにするリャオ。その姿は幼さを感じ、まるで犬が尻尾を振っている様なあどけなさもある。ただ常につけているあのゴーグルが女の子らしさを消していると言えば消している。

「けど目を慣らす必要はあると思うよ。サーモなんていきなり使ったら赤やら青やら黄色やらの数色次元で訳わかんないじゃん」それは整備した本人からの忠告。

 だがしかし、ユートは「それは大丈夫だ。今から慣らすからな」と言うとリャオの制止も聞かず、ジム・クゥエルのコクピットに飛び込む。

 明かりもなく薄暗い空間。四方八方殺風景な鉄色をした箱は狭苦しさを感じる。だがそれはユートには聖域ともいえる程心地よさをもたらす。

 汗と油の匂いが染みついたそこはまさに安堵を捧げてくれる。自分の血で汚れた計器。何度も強く握りしめたせいか自分の手形となった操縦桿。

 自分が此処で生きていたと証明する全てを、ユートは大きく反芻する。まるで洒落た喫茶店で洒落た珈琲を嗜んでいるようだ。ほぅと吐き出した息は冷たい鉄に吸い込まれていく。

 嗚呼――たまらない。

「さあ、やるか!」まるでスポーツ少年の気合を発する。

カチカチカチ。正面のディスプレイに備えられた五つのボタン。それを上より一番、三番、四番と押していく。押し込まれたボタンは元の位置に戻る際に赤く点滅を始めていた。

 しかし、一向に各ディスプレイは起動する様を見せず、計器の針は動く事すらしない。コクピットの開閉装置は作動せず、操縦桿を動かせど反応がない。

「当然でしょ。なんで整備が終わってないのに動けるようにしとく必要があるの」上からリャオの声が降る。自分がスイッチを入れたのが分かったのだろう。

 そうだろうなあとユートは落胆した。新機能、新戦術。それには自分を飛躍させる何かがあるかもしれない。それはとても心が躍る。

「だから今すぐ――」とユートは急かす。

「申し出は却下します」とリャオは断る。

 辛辣すぎる。やれないと言われると尚もやりたくなるのが人の性。それは犬が餌を眼前として御預けを貰うのと大差ない。

 幼い頃より農業用プチ・モビルスーツを操縦するのが得意だったユート。軍人となった今でも一日として怠らず、シュミレーター訓練を行っている。

 日課となったユートにとっては、自慰行為と何ら変わりのないものにまでなっていた。だからこそ苛立ちと高鳴りがユートを急かせる。

「なー、頼むよー」駄々をこねるかのように操縦桿を前後に何度も動かすが、一向に起動する気配はない。

 返事はない。何かの配線を繋いでいるのか、ガチガチと金属に工具が当たる音だけがする。沈黙。呆れだろうか、哀れみだろうか。自分にかけられる言葉はないと察した。この静寂は胸元に刃を当てられているようにチクチクした。

 気晴らしに歌の一つでも歌って気を紛らわそうか。精一杯の皮肉を込めた曲を脳内ジュークボックスから模索する。あれかこれか。フフフと不気味な笑みを零しながら、ユートの操縦桿を握る指がリズムを取り始める。

 ああ、あれがいい。選曲が終わりレコードに針が乗る。始まりの音は管楽器。初めの言葉はH.ELLO。テンポアップの多いポップ曲。街にやって来た夢見る少女を励ます歌だ。

 スゥっと鉄の匂いと共に空気を肺に取り込む。初めはH.ELLO。リズムは軽く早く。音色と共に言霊が喉より躍り出ようとした。

 だが、その一瞬を突くかのように突如としてサイレンが鳴り響いた。

 掩体壕内が紅ランプで照らされる。けたたましく不安を煽るサイレンは止む様子を見せない。「な、なに……なんなの」リャオの不安な声が聞こえてきた。

 その声がユートのスイッチを切りかえる。リャオの名を叫び、ジム・クゥエルを起そうと起動確認を始める。その時外に居る部隊からの通信が基地内スピーカーから響く。

「敵襲ではない! 繰り返す。これは敵襲ではない! 生存部隊だ、生きている奴が居た!」必死に呼びかけてくる声。それに合わせてサイレンは止み、ランプも落ち着きを見せた。

 ふとユートは胸をなでおろす。寿命が縮んだんじゃないかと思うほど、まだ心臓の音は激しい。

 ユートが「大丈夫か」と投げかけると、「腰が……」と弱弱しくも元気な少女の声はあった。

「――人騒がせな」と取り繕いはするが、内心焦っていたのは事実。いつまでたってもあの警報は心臓に悪すぎるとコクピットシートに深く背を沈ませる。

 結局待っているしかない。ならば暇つぶしにと目を閉じ、耳に神経を集中させる。

 外から聞こえるのはリャオが誰か別の整備兵と話している声。参ったもんだと笑い話が聞こえる。

 そして掩体壕全体の作業が再開されたのか、溶接音に火花が飛び散る音。鉄は叩かれ、機体とパーツを接続する重機の唸り声が飛んでくる。

「あ、ユート。生存部隊の機体が入ってきた」リャオの声。

 確かに、機体を地上へ上げるエレベーターが動く音がする。整備されてないからか、ガタガタギギギと古臭い鉄が壁に擦れる音も重なっている。どんな機体だろうか、興味はあったが、脱力しきった肉体からは気抜けた返事だけが漏れる。

「うわっ、すごっ、うわっ……うわうわ」なんて間抜けな声。いくらリャオの事を幼く思っていても、もう少し気を引き締めてほしいものだ。

 まるでヒーローを見つけた少年のように「《ネモ》だ! ネモ、ネモ! 白いネモってこんな感じなんだ、うわ! かっこいいな」とはしゃいでいる。

 ジムに変わって新たな量産機として世に生まれたネモ。何もそんなに珍しいものではないだろう。何をそんなに喜ぶのかが分からなかった。彼女にしか感じ得ない熱があるのか、感極まって涙声になっている。

「あれ、整備したいなぁ。背についてる長距離ライフルからして恐らく狙撃機だから、よりセンサーを増強して。万が一相手に攻撃されてもいいように片腕には大型シールドとか付けるのも……」ついには念仏のように何かを唱えだした。

 この分だと自分の機体が仕上がるのはまだまだ時間がかかりそうだな――そんな事を思いながら、リャオが口にした白いネモについて何か思い出してきた。

 MSA-003 NEMO―ネモ―とは本来、時代遅れとなったジムや高性能ゆえにハイコストなリック・ディアスに替わるよう開発された量産機。アナハイムが設計・製造し、量産機としての水準値をクリアーしていた。

 だが唯一の欠点として火力が挙げられた。後に主兵装となるビームカノンなども開発され、様々な派生機も用意されたが、ジムに比べれば指で数えれる程度。性能は悪くないが、ジムが築き上げた量産の壁を超える事は難しかった。

 青と緑をメインカラーとするネモ。火力が欠点のネモ。自分の知識として知っている機体とはまったく違うものが此処に到着した。もし自分が唯一知っているデータベースと一致するならば、あのネモは今世紀最強と謳われる狙撃手が搭乗している。

 一撃必殺と名高い射撃。撃墜スコアは自分よりはるかに上。僅か十八歳にして勲章ものだと言われている。容姿も中々、いや軍人としては勿体ないぐらいの妖精級と聞く。二つ名は《オコジョ娘》。彼女の強さを妬んだ者たちが蔑称したらしいが、あまりにもハマっていると広まったらしい。

 確か彼女の本当の名は――。

「セフィ・ハインリヒ上等兵であります。本日付でこちらに配属という形になりました」自分の体前より少女の声。

 僅かに上体を起こし、声の主を見やる。

 なるほど。そんな言葉を洩らしてしまいそうになった。

 僅かに藍が滲みた白髪のボブヘアーは、先刻まで雪世界に居た為か毛先が固まっている。

 右眼は黒いが、左眼は黄金のように輝きを持っていた。オッドアイの眼孔は鋭く、まるでナイフのようだ。身長はリャオよりか少しは大きいが、それでも彼女より華奢だ。

 確かにこれはオコジョだと頷いてしまう。小さくも気高く、獰猛ながらも美しい。かつて西洋で毛皮として流通する程、高貴であったあの生物に例えられても仕方ないだろう。

 ふふ、白雪の妖精か……何とも詩的じゃないか。そんな事を考えていると、彼女が冷ややかな声を出す。

「カスタムされたジム・クゥエル……ユート・レンス上等兵とみてよろしいでしょうか」

 礼節を重んじて敬礼をしているのだから、ユートも応えない訳にはいかない。だらけた肉体に渾を込め、右手を額に掲げる。

「はい、ユート・レンス上等兵であります。このような場所からで不躾ではありますが、貴官の着任を歓迎します」

 セフィがはあ、何を言っているんだと僅かに怒りで眉間に皺を寄せる。

「では、あの《厄介者(ジョーカー)》のユート上等兵で間違いないのですね? 光栄です。貴方のような方と同じ場に来られて」

 厄介者。その言葉にユートの眉が跳ねる。

敬礼を解きながら「何処でその名前が広まったが知らないが、さすが狙撃手。心臓を狙うのが上手い」と皮肉を投げる。怒鳴らず、焦らず、優しく。

「初対面で私にああ、なるほどと呟くのもどうかと思うのですが?」

 聞こえていたのか。グッと何か吐き出したかったものを堪える。

 無礼なのは彼女ではなく、自分だったのだから何も言い返せるわけがない。

「それでは、手続きがあるので。貴方と同じ部隊に配属されないことを祈っています」冷徹冷笑と言うのだろうか。彼女が自分に向けた表情は閉ざされているように感じた。

 自分に背を向け歩き出し、作業台から降りる為のエレベーターのスイッチを入れるセフィ。

まるで捨てられた子犬の気分だ。雪上で舞う妖精に捨てられた子犬。頭に思い描いた風景に彼女と自分の顔を当てはめる。あまりの滑稽さに思わず吹き出しそうになった。

 彼女の言葉は冷たいが、だからといって人形とまではいかない。嫌味を言えるだけの人間性があふれている。彼女とは仲良くなれそうだ。――となれば、少々女々しいかもしれないが、お返しの皮肉を考えねばならない。こうやってるのが今や生きがいになっていると言ってもいい。昔は歌劇や映画も見れたが、今は残った書物程度しか享楽がない。

 また深々とシートに身を沈ませると、終わらぬ整備の音を子守歌に、ユートは目を閉じた。

 妖精姿のセフィが自分の周りを皮肉を吐きながら飛び回る夢を見た。

 

 

 ――とある艦船内――

 時刻は午後一時を過ぎていた。昼に食べたピザが腹の中で暴れまわっている。

 満タンになった腹がパイロットスーツによって締め付けられている。気持ちが悪い。こんな事ならば部下の言う通り、軽く済ませればよかった。

 だがしかし、それでは腹が保てない。今から二時間。休まず空をぶっ飛ぶのだ。興奮と快感で気がどうにかなってしまうかもしれない。気付け代わりの食い持ち。腹八文目以上に済ませなくてはいけない。

 MSデッキ前にたどり着くと、自動ドアが開く。騒音の喝采。最後の最後までメンテナンスをしている整備班が互いに怒号を放っている。自分はこの耳を痛めそうな音が好きだ。

「《カチル・ハウストン》少尉殿‼ ご準備は整っております!」

 入り口近くに立っていた眼鏡をかけた若年整備兵が敬礼をする。礼には礼をだ。こちらも敬礼を返した。

「こちらを」そう言って彼が手渡してきたのは銀に光るヘルメット。額に当たる部分が赤く塗られた伝統的なもの。

 いいぞ、嗚呼。これだ。この感覚だ。これを被ると、自分が兵士だと、選ばれた軍人だと実感する。ナイフも銃も効かない無敵の兵器。それで殺しを許された存在。気分が高揚してくる。

デッキでは五機のMSが待機していた。機体の独特な深みのある緑は、このパイロットスーツ同様この国の昔ながらの風習だ。成功への願掛けと言ってもいい。

 重装可変MS AMX-016―ガザW(ウィラ)―。

 ガザ・シリーズの最終型として開発されたが、そのスタイルは従来のガザとは大きくかけ離れていた。全体的にスマートながらも人型からは離れたフォルム。目は鋭い単眼で頭部はドーガに近い。変形パターンも大きく変更され、連邦MS《ギャプラン》に近いものとなった。

 両腕のム―バブルシールドは新たな巨椀に思える程大きい。シールド内には複数の武装が施され、この五機は両方合わせて四基の大型バルカンが備え付けらていた。

 肩には天に突きつけられた剣の様に細長いビームカノンを二門。それはバーニア・スタピレーターの役割もしている。

 コクピットに乗り込むと、自動でハッチが閉まる。全天周囲モニターの電源が点くと、ハッチが閉まる時に親指を立てて笑っていた整備兵がまだ見えた。

「嗚呼、素敵だ。こいつは素敵だ。どんな女よりもヤクよりも酒よりも、キマってハイになれる。このMSは素敵だ。こいつらMSは素敵だ」合図はいつもの1、2の3。合図とスイッチに合わせて、MSのエンジンは起動する。

「さぁ、今日はどうする。どうするんだ?」ピコンと左側のモニターに部下のコクピットスーツ姿が映る。

 当然だ。「殺すに決まってるだろ」分かりきっている答えを言うと三機のパイロットが興奮を露わにする。一機だけ盛り上がりを見せない。

 ガクンと機体が縦に揺れた。ガザWを乗せたエレベーターが前に動き出したのだ。少し進むとエレベーターは出撃ハッチへと下がりだす。深く深く下へと。

 ガチンとエレベーターがロックされると、開いたハッチの先に見えたのは白雲の海。まるで大海が待ち構えているように思える。ゾクゾクする。

 早くカタパルトから飛び出たい、そんな気持ちがエレベーターから脚を放し、MSを一歩前に進ませる。

 出撃用下駄に足を固定させると、まるで春女が金をせびる様に強く足首が固定される。もう片足も前に出し、ガチンと強く固定させた。

 おおうおおう。雲海が飲み込もうとしているのか。風がぐいぐいと背中から吸い込んでくる。ダイブしたい。早くこのまま飛び込みたい。

「急かすなよ、俺。焦るなよ、俺。ホットなままで飛び込むのが一番気持ちいいんだ」そう言って自分を宥めるが、既に股ぐらはいきり立っている。

 機体の右隣の鉄壁ではランプが赤く点滅している。まるでレースが始まるのかと言いたくなるかのように赤が一つ、二つ、三つと増えていく。

「そうさ、殺すのさ。殺して、殺して、殺して……俺は明日もイキてやる! それがカッチョイーからな。カチル・ハウストン軍曹、ガザW。出るぞ!」

 溜めに溜めた出撃。下駄がカタパルトを滑る様にガザWを出口へと運ぶ。ガンとロックが外れると同時にガザWは大海へ飛び込んだ。

 ガクンと襲い掛かるGが体をシートに押し付けてくる。この間隔がたまらないのだ。ガザWの向きを百八十度変え、飛び出った母艦を眺める。背から落下しながらスリルと風を感じる。

 嗚呼、嗚呼……。なんどその快楽を洩らしただろうか。股間部が熱く滾ってくる。腹の底から熱が噴き溢れ、全身の筋肉が震えだす。

 射精。ドライオーガズム。ビビビと尻から背筋へと熱い鉄棒でぶっ刺されたような快感が全身を襲い始める。それは電流のように全身へと伝達され、脳内麻薬を分泌させる。

「今回もバリバリお仕事頑張っちゃうかァ」味方からの通信だ。相変わらずバカみたいというのがいつもの印象。

「残念無念。今回は大きな大きなお友達の為に道をつくるのが仕事だ」カチルの言葉に、ブーイングが飛び交ってくる。仕方がないだろう。それはお前たちも分かっているはずだ。

 所詮狗は使いパシリ。それでもこんな気持ちのいい機体を寄越すだけ、今のジオン様々、シャアさまって奴だと諦めるしかない。

「だが安心しな、お前ら。道中のゴミは片づけろとの命令だ。目いっぱい目を凝らして、精一杯ぶっ殺そうじゃねえか」

「それが、カッチョイーから、ですか? 隊長」

 若い一人の男の言葉に、部隊内で笑声が沸き起こった。

「言うじゃねえか、ジェイソン。愛するハニーはまだ股の予約待ってくれてるのか?」

「やめてくださいよ! ほんとにそういうの!」羞恥心で染まった青年の声に、また部隊内は笑いが起きる。

 さらば、母艦よ。さらば、平和。愛してるよ、戦争(ハニー)。

 駆けつけ一杯。持ってきた酒を瓶ごと一口。喉が焼ける。目が熱くなる。

 自作のコルク蓋で封を閉じると、ガザWを地上へと向け直す。

 いつもの合言葉。スイッチを切りかえる掛け声を腹から絞り出す。

「オレたちゃしがない」

 ハウストンのガザWの胸部が顔元を隠す様に起き上がると、腰のロックが外れる。上体が上げられ、変形機構の軸となる部分が露出する。ガクンと上半身が前に倒れ、股間部にあったアーマーに胸部が重なる。

「殺し屋さ」ハウストンの言葉に合わせて他の四機も変形を始める。

「呼ばれてなくても出てくるぜ」腰の軸が上がり、両脚部分が胴体と水平を保つために横向きに持ちあがる。腕がシールドに納入され、バルカンの銃口が前を向くように肩関節が固定されると、MA形態の完成だ。

「オレたちゃ神出鬼没のジオン」周りも子供のお遊戯会の様にはしゃぎ終えたようだ。

「Boo Yah!!〈ブギーマン〉が煙撒くぜェッ‼」

 緑の機体が太陽に照らされる。機体に描かれた黒い鬼が、牙を見せてニヒルな笑みを浮かべている。

 曲技飛行の様に機体を横回転させながら、男たちの勇ましい歓声と共にそれは雲の深海へと潜っていった。

 


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