それから少しの時間が経った。時間にして三十分も過ごしてはいない。
カツラギとウィリーは、アリナに残りの仕事を任せてヴィカス達の方へと向かっていた。地下への階段を降りながらウィリーは深いため息をひたすら吐いていた。
「ハー…………ったく。あー、もー。ハァアー…………」前で歩いているカツラギに聞こえるようひたすら繰り返す。
それを耳障りに感じたカツラギが「何か言いたいことがあるのか」と尋ねても、ウィリーは「いいえ」と答えようとしない。きっとカツラギが招いた失敗への当てつけだろう。階段を降りている間ウィリーの溜息が終わる事はなかった。相も変わらず嫌味な奴だとカツラギは思った。
基地入り口に着き、壊れた鉄扉が目に入った。また乱暴に事を済ませたのだなとカツラギは頭を悩ませる。
血みどろに次ぐ血みどろ。血の池地獄になり果てた基地内。
「あーあーあー、またまたやっちゃって」そう言うウィリーの声はどこか浮ついている。嫌悪感などは欠片もなかった。カツラギが辺りを見渡しても、此処を任せたヴィカス達の姿が目に映らない。右を左を、何処を見ても死体と残骸だけだ。
「あ」ウィリーが何かに気づいた声を出した。カツラギが彼の方を見ると、ウィリーは鼻を指さした。嗅げという事だろう。
彼の言う通りにスンスンと鼻を鳴らす。火薬の残影と死肉の芳香で充満している。しかしそんな中で別物の臭いが鼻腔内に飛び込んできた。
若干の甘みを帯びた葉の臭い。これにカツラギは覚えがある。勿論ウィリーもだ。カツラギは髪の毛を掻き毟ると本当に呆れ果てた顔で、発生元へと向かう。
すると少し離れた場所でヴィカス達が死体に腰掛け、煙草を吸いつつ、缶詰と酒を貪っていた。豆と肉を煮た缶詰の空き缶がそこら中に転がっている。
「あ、ボス」ルイが腑抜けた声を出すと、ヨハンは慌てて酒や缶詰を隠しだし、また煙草の火を消す様に促した。
椅子にしていた遺体の頭で葉巻の火を消すと「あ、ボォスゥ~……」とヨハンはまるで今気づいたかのように情けない声を出した。冷や汗を滝のように流すヨハンにカツラギは溜息をついた。彼のコバンザメっぷりは今に始まった訳ではないが、どうにも情けなく思えた。
「終わったのか?」ウィリーが侮蔑の意味で言うと、それを受け取ったヨハンが急に立ち上がって「今やるんだよ、今! 今からな!」と叫びたてた。
「今っていつよ。十二分前? フフ」紙煙草から吸った味を煙として吐き出しながら、ヴィカスは酒をあおる。
ヨハンは酔っているのか、彼女の言葉に反応したヨハンが言葉にならない怒鳴り声をあげながら、抜いた拳銃をヴィカスの左頬に力強く押し当てる。
彼女もまた酷く泥酔しているのか、静かで小さな笑い声を定感覚で震わしながら、拳銃を抜いた。そして自分を見下すヨハンの喉元に見せつけるように突き付けた。お互いに睨み合い、引き金に指をかけてまでいる。それをカツラギ以外は止めようとせず、ルイに至ってはゲラゲラと笑い転げ、二人を煽り立てていた。
「いい加減にしろ、お前ら! 船が来るまで時間がねぇんだ」カツラギが怒鳴りたてると、二人は渋々と銃をしまった。
「俺とウィリーで右半分、お前らで左半分! サボってた分、しっかり働け」
「へーいへーい」
ヨハン達は自分たちが作ったゴミを蹴散らしながら、嫌々な態度を出しつつも指示された方向へ歩みを進めた。
「おい、酒」
ヨハンが右手に持っていた酒瓶をカツラギに指摘された。
「どーも、すいやせーん」まだ酔っているのか上官にとる態度とは思えない。そこらの死体に向けて酒瓶を叩きつけると、ヨハンは手を振ってさよならを告げた。
カツラギ達が離れていくのを尻目に追いながら、ヨハンは歪んだ脳内を平常に戻そうと頭を叩く。それはヴィカスやルイもそうだった。酷いアルコールの副作用。それを治めようと体が酒を求めだす。
ヴィカスとルイは我慢できたが、欲に忠実なヨハンは隠し持っていた小さなボトルからウィスキーをあおる。
「ボスもせっかちなもんだぜ。ここまで……ッ焼けば、生きてる奴らなんてごく僅かよ」幾度となくボトルを口につけながら、ヨハンは悪態付いた。気まぐれに、そして八つ当たりで辺りの死体に乱射する。
「けれどヨハン上官殿、ガス抜きに何人か要るんじゃなかったので?」ルイがケケケと笑うと、それを思い出したヨハンが「やっべぇ……やっべぇ」と焦りだした。
「何人いるんだっけ。あー、クソ。覚えてねぇ……」両手の指を使って数を思い出そうとするが、酔った頭では全く湧き上がらない。
「じゅう、2か3じゃなかったですか?」
「ああ、そうだ! そんぐらいだったな」
ルイのお陰で思い出せたヨハンは、彼の肩を力強く叩いて感謝の意を示した。その様を見ていて、ヴィカスは小さく「屑が」と呟き、足先に当たった遺体の手を蹴り飛ばした。
三人は幾度となく調べ尽くした残骸の山をまた漁りだした。要る筈もない生存者。自分たちが食いつくした為在るはずもない物資。無い物探しというのは気が遠くなるほどウンザリする。しかし藁山に一本の針が存在する事もある。彼らにとって金に等しい針をルイが見つけ出す。
端の方でやけに遺体が集まって出来た小山。そこから放たれる違和感をルイは感じ取った。皆がまるで何かを庇っているかのように、体を寄せ合っているのだ。それに女の死体が多いように見える。
まるで死神がそこにたむろしていて、自身の為に待っていてくれたようだった。手招きしている姿が虚映として目に見えた。
しかしその死神が、果たして本当にそこに居る死体だけの為に居たのか。ルイはそこの判断を誤った。
「上官殿」ルイがヨハンを呼び、小山を指さす。さすがのヨハンも酒に溺れた脳内が聡明になってゆく。
「! オォ? オォ!! オォォォ!!!」まるで豚が餌を見つけた時の雄たけびだ。彼の容姿からは誰もがそんなイメージを抱くだろう。
ヨハンは小山のそれが何を意味しているか、寸座に理解した。何故最初此処を漁ったときに気付かなかったのか。いいや、むしろ今見つけたからこそ意味がある宝になったのかもしれない。目先の欲にヨハンの気分は高まっていく。
ヴィカスの鉄仮面じみた表情も崩れる事はなかったが、口元は緩んでいた。普段あまり見せない微笑みを浮かべていた。
三人はお互いに顔を見合わせると、有無も言わずに小山へと近づいた。その足取りも先ほどの淀みや千鳥足はなく、パレードで見せる闊歩のように弾みをもっていた。
そして小山を目の前にしてヨハンがルイの背を叩く。
「よぉし、行ってこい行ってこい」
一瞬ルイは自分に対して言っているのかと理解できなかった。
「はぁ?」と思わず全身から力が抜けるような声を出してしまった。それに対してヨハンも同様に「はぁ」と声を漏らす。お互いに意識外からの不意打ちだった為か、数コンマの間唖然としている。
「いやぁ、何もやってないっしょ?」
心外だった。自分はただのお荷物。居ても居なくても変わらない扱い。しかしぐうの音も出ない事実でもある。実際今回の任務、自分は大した仕事をしていない。危険線に踏み込まず、誰かを煽り立ててお零れを貰う。
ヨハンの言葉は発火剤のようにルイのプライドを刺激した。そうと言われれば黙っているわけにはいかなかった。
「ええ、ええ、ええ!! やりましょうとも、やってやりますよ!」ルイは肩に担ぐだけだった軽機関銃を両手で構えると、安全装置を外す。そして意気込みを見せたガッツポーズをした後、握った拳でそのままヨハンの胸を叩いた。
「クソッ、クソッ、馬鹿にして」
二人が見守る中、ルイは集合した小山を銃先で崩していく。動かなくなった肉塊はとても重く、僅かに除けて道を作るのも精一杯だった。まるで死体にも馬鹿にされているようで、それが余計にルイのプライドを震え上がらせる。
見とけ、見とけ。簡単だ、こんな程度。
死体を掻き分けていくと木戸が目に映った。錆びたアルミのドアノブ。扉の部分は経年や傷のせいかボロボロだ。だがそれも今のルイには宝の部屋への入り口。金銀財宝を守る宝庫への扉。
片手で銃を構え、空いた手でドアノブを掴む。気分はアリババだ。宝を目の前にし、一喜一憂する主人公。あとは魔法の言葉を唱えて、戸を開くだけ。
見とけ、見とけ。簡単だ、こんな程度。
「開け、ゴマ」
呪文を叫んで扉を引き開けた瞬間、眩しい光と共にルイの体に衝撃が走った。価値のある宝にはそれ相応の代償があるのを、ルイは忘れていたのだ。
ノーマルスーツを貫いて、自身の肉へと突入してきた無数の鉛弾。一瞬のうちに命の灯をふき消した。衝撃は六十キロ弱あるルイの体を簡単に押し上げ、数メートル先に押し飛ばした。
ルイはゴボゴボと口から血泡を吹きながら、痙攣を起こしていた。目をひん剝いて、必死に何かを掴み取ろうと両手がひっきりなしに宙を掻き毟っている。
「! ハッハッハハァ! ざまぁないな、おい!」それを見たヨハンの第一声。大口を開いて、腹を抱えて笑いの種を味わう。ヴィカスも同様に声を上げてはいないものの右手で口元を隠して、静かな笑いを続けている。
二人とも一切心配する事はなく、むしろ死に繋がっている今の彼を楽しんでいた。もがき苦しむ彼をまるで道化を見るかのように、絶賛の拍手までしている。
「おいおいおい、一体どういうことだ?」
そこへ現れたのがウィリーだった。脚を引きずってゆっくりと歩く彼の右腕にはライフルが握られていた。彼は爆笑の渦と血みどろのルイと交互に目を動かす。大体なにがあったのか察したのか、彼は「あーあーあー」と呆れた声を出しつつ、辺りの遺体の頭を蹴った。
そしてライフルのセーフティーを外し、ズカズカと踏み込んでいく。開いた木戸の前まで行くと中を見渡した。落ち着いた表情で恐怖に震える事なく、遺体の小山が庇っていたものを確かめた。
そこには誰もが思い描いていたものが入っていた。
――子供たち。年齢性別人種様々。乳飲み子から十五、六の子まで居た。ざっと数えて二十人弱だろうか。
その中でも特に年長者の少女が銃をウィリーに向けていた。慣れていないのか震える手で必死に。
ああ、成程。彼女にルイは殺されたのかとウィリーは頭を掻きながら、部屋の中を見渡し続ける。
天井に一つだけある電球。ベニヤ板で急造したシェルターなのだろう。部屋の隅には僅かな保存食しかない。
「出てってよ! ねぇ! 聞こえてるんでしょう!」必死に叫び続ける少女をウィリーは気にも留めない。部屋を見渡した後は、背後で血泡を吹いて死んでいるルイを眺めた。
ウィリーは暫くジッと眺めていたが、口喧しい少女の呼びかけにウンザリしたのか、ギョロリと見開いた目で睨んだ。
「ッ! ――何よ、何よ!」
(自分は悪くない、悪いのはルイ……いいや、俺達だって目だな。そりゃぁそうだろうさ)
「何か言いたい事があるの!?」怒鳴り散らす少女は今にも撃鉄を叩き落さんとしていた。
「いいや、何さ。怖いだろう? 初めて持った銃は重く黒く、獣の様。初めて出会った敵。知らぬ存ぜぬ同じ人間が、同じ人間である自分達を殺している。分かる、分かるさ――俺だってそうだったからな。怖い。怖いんだよ」
「初めて人を殺した気分は、どうだい? お嬢ちゃん。恐怖で身が震えるか? 言え知れぬ快楽が身を震わせてるか?」
「……なぁ、お互いに銃を降ろそう、どうだ?」
「……きっと何処かで俺たちは行違ったんだよ、きっと話せばわかる。そうだろう? 人間なんだぜ、俺達」
まずウィリーがライフルのマガジンを外し、その場に落とした。そして手の届かない部屋の奥隅にライフル自体を投げ飛ばす。そして次は君だと、銃を下げさせるように促した。
「ほら、どうしたよ。今俺は何も持ってない。それに俺はかたわ者だ――左半身のほとんどが肉じゃない、君より速く動く事はまず無理だよ」
そう言って左腕を叩いて見せた。僅かな金属音が室内に響く。するとウィリーの方を凝視しながらも、少女はそっと銃を床に置いた。
「――右半身は違う、がな」
一瞬だった。
臀部に備え付けたホルスターから拳銃を引き抜き、少女の頭と左胸に一発ずつ銃弾を正確に撃ち込んだ。
「フゥーッ! ハァー……アー、いいね。いいね。たまにはこういうのも悪くない。ハァァー……」
ウィリーはその場で右脚だけで地団駄を踏んだ。思わず踊りたくなる程気分が高揚もしていた。それと同時に、年長者の少女を失った子供たちはワンワンと泣き出していた。
少女を騙し殺したのは気持ち良いとは言えないが、悪い気分ではないのも事実だ。軍役後は役者を目指すのも悪くはないかもしれない。
「ほら……さっさと立って歩けよ」
先ほどの明るい声とは違い、元のどす黒さを持った声でウィリーは残った子供たちに命じる。しかし彼の声は小さかったのか、子供たちの泣き声でかき消されてしまった。
それに苛立ちを感じたウィリーは天井に数発、弾を撃ち放つ。驚きのあまりピタリと泣き止んだ子供たちを前に、普段は見せない笑顔と共にウィリーは一人の少年を指さした。
「お前……そーう、お前」
少年は先ほどの少女より三つほど年が若く見える。他の子たちとは違って涙を見せず、ジッとウィリーを睨んでいる。だからこそウィリーは声をかけた。
「全員を連れて部屋を出ろ。死にたいなら話は別だ。言葉は分かるよな、ん?」余程興奮しているのか、普段の彼とは思えない程饒舌に少年に命令する。
暫く動かなかった少年だが、何度も拳銃を主張して見せつけるウィリーに何を思ったか、ようやく立ち上がり、率先して他の子達への説得を行った。最初は拒否を見せる子も居たが、徐々に何かを察していったのか、次々と部屋を出てくる。そうして最後に少年が出ると、部屋には少女の遺体以外何も残らなくなった。
ウィリーがライフルを拾い、一先ず宝石箱から出るとヨハンの姿はなく、代わりにカツラギが居た。彼はしゃがんだ状態で死んだルイをずっと眺めていた。時折吸っている煙草の煙を、ルイの顔に吐きかけたりと悪ふざけをしていた。
ウィリーは部屋の外に集めた子供達をヴィカスに任せると、居たたまれない惨めなカツラギの方へと歩み寄った。
「ボス……そろそろ」
「……おう、分かってるやさ」
カツラギはまだ半分残っている煙草をルイの顔の横に置くと、スッと立ち上がった。そしてウィリーが指示するままに、先行させたヨハンとヴィカスを追うのだった。
カツラギ達が外へ出ると、既にコムサイが待機していた。開かれたハッチからはノーマルスーツを着た船員たちがゾロゾロと降りてくる。多くの宝を船に積むために一度母艦へ戻り、多くの担ぎ手を連れてきていたのだった。
船が来ていることを知ったカツラギは大きく手を叩いて注目を集める。多くの者がカツラギの方へと視線をやる。
「さー、クズ共、さっさと仕事を済ませるぞ」
そして多くの船員は各々が役割に使用する道具を持ちながら、洞窟内へと向かっていった。カツラギはそのうちの三名の名前を呼んだ。「レリフィック! ケヴィン! ティン!」
名を呼ばれた三人は雑多の群れから離れ、カツラギの元へとすぐさま走った。
三人はカツラギの目の前で隊列を整えると、口をそろえて「はい、ボス」と答えた。
カツラギは他の者には聞こえないように、三人をもう少し自身に寄らせると「ルイが……ルイ・マックリー・ウェトン曹長が此度の任務において殉職を遂げた――お前たち、時折アイツと仲が良かっただろう。連れてってやってくれ」
どうせ後で母艦に戻れば全員に知れ渡る事ではあるが、それでもカツラギは今この時だけはルイの友人だけに押しとどめておきたかった。
戦友を失った事を知った三人は各々が悲しみを露わにした。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしたり、必死に泣くまいと空を仰いで嗚咽を我慢したり――。
「母艦に戻った後、俺は書類をまとめる。その間にお前たちはルイの部屋を綺麗にしてくれ」冷酷かもしれないが、それだけ告げるとカツラギは列に戻るように指示する。
皆に悟られまいと必死に悲しみをかき消して、何を言われたんだと聞かれた時の言い訳を考えているであろう彼らを見送るのは、誠に心が痛んだ。しかしそのお陰で得れた命、明日に繋がった人生。噛み締めて味わう必要があった。
時間にして二時間ほどで全ての物資をコムサイに積み終えた。わざわざMSを一機減らした分、より多く積むことが出来たのは良計だった。
連れてきた船員達がハッチで待機している中、カツラギ等実行部隊はまた操舵室にてそれぞれが席に腰掛けていた。行きと違うのはウィリーがザクⅡ内という事と、帰りの運転はカツラギではないという処だった。
コムサイが地上から飛び上がり、母艦へ戻る航路へ船体を乗せる。
席の窓から見える外の景色にカツラギは様々な思いを抱いていた。悲しみやら罪悪感やら負の感情をごった煮にした黒い気分。正直ヨハンを見習って酒で全てを忘れたかったが、そういう訳にもいかない。最後の仕上げを行う必要があったからだ。
カツラギは自身らが襲った基地のある山を見つめながら、右手で握っていたリモコンのスイッチを起動させる。起動指令が送信された数秒後、雪山が内部から爆発を起こした。
爆風に船体をやられないように航空の速度を上げるコムサイ。爆炎と白煙は徐々にカツラギの視界から消えていった。