機動戦士ガンダム0096 白地のトロイメライ   作:吹き矢

11 / 15
イナバ-前編- ③

 ――現時刻 十一時三十四分 キッチンルーム――

 アリナに車椅子を押されながら辿り着いた先はキッチンだった。

 自動ドアを通り抜けると、鶏肉と玉ねぎを煮る淡い香りが鼻を満たした。その時ようやく自分が空腹だったと知る。

 キッチンルームには、調理場所から少し離れた場所に数人が座れる大テーブルがあった。カフェを楽しんだりする場所だろうとミリーは考える。

 そのテーブルでコーヒーを啜る男性が居た。

 連邦軍服を着た白い顎髭を携えた老年男性。彫りが深い顔つきは険しくおぞましい。思わず身を震わせる。

 そんな恐怖に身を支配されているというのに、アリナは容赦なくその男性の前に車椅子を止めた。テーブル越しに正面で見ると、余計に彼が恐ろしく思えた。

「メリー・ディーン?」重石のような野太い声で彼は名を確かめた。

「“ミリー”・ディーン、です」すぐさま訂正を促す。

「すまない。ミリー・ディーン。空腹の虫は鳴ってるか?」

 コーヒーのカップをテーブルに戻しながら、彼は笑った。ミリーは図星を突かれた恥ずかしさに、思わず赤面を隠しきれない。

 彼はキッチンの方へ向かって指を二度鳴らす。

 するとキッチンの奥から茶色の長髪を綺麗に靡かせる女性が食盆を持ってやって来た。

 どうぞと彼女が差し出してきたのは、小さなパンが一つと小さなカップに入ったコーンスープ。何ともひもじい物だが、それでも今のミリーにはご馳走同然。

 本当に自分が食べていい物かと、思わず後ろで待機しているアリナの方を振り向く。彼女は優しく「いいのよ」と笑って答えてくれた。そうと分かれば遠慮はいらない。下品と罵られようとも一気に胃へとかっ込んだ。

「ミリー・ディーン。改めて自己紹介させてくれ。私はイリ・カツラギだ。本艦責任者を務めている。彼女はヴィカス・ライメイ少尉」

 そう言ってカツラギは、先ほど自分に食事を配膳した女性を指さした。彼女がキッチンの方から手を振ってきたから、ミリーは軽い会釈をした。

「彼女はアリナ・モントーン。この艦の軍医だ――さて、今ここに居る者、全員の名を知ったところで、君には聞きたい事がある」

「ん、ッグ……その前に、一つ。私からいいですか」

 空になったカップを盆に戻し、口についた僅かなカスを指で口に寄せ入れながら、ミリーは静かに声をあげる。カツラギはミリーに発言権を譲った。

「私以外の、皆は……」本当は聞きたくもない真実だが、これを知らない事にはこれからカツラギに何を言われても頭には入らないだろう。

 それはカツラギも同じ考えだった。「死んだよ。君以外、誰も」だから直ぐにそう答えた。

「ロディも、マークも――ミーファも、ですか……」

「ロディもマークもミーファもだ。ニッサにビリスもイーレンも誰も生きちゃいない」

 体の震えが酷くなる。目頭に涙が溜まり、全身から悲哀という感情が押しあがって来た。ボロボロと涙を零しながら、何とか声を殺そうとするがそれでも醜い嗚咽が漏れてしまう。

「涙を流す理由は私にも大いに分かるが、それでも今はその時じゃあない、ミリー・ディーン」非情にも劣悪な言葉をカツラギは投げかけた。勿論それをミリーは良しとは捉えない。

「流す涙を飲めって言うのですかッ!?」両拳をテーブルに叩きつけ、怒鳴りあげる。泣きつかれて真っ赤になった顔は怒りに満ちていた。

「言いたいことも感じている思いも分かる。分かってはいるんだ。だが我々が何故君を保護したのかを考えたまえ」

 カツラギは怒りを鎮めようと優しく諭すが、ミリーは治まりを見せない。未だテーブルで拳が震えている。

「基地があるんだろう!? もっと沢山、人が生きているんだろう!」

 カツラギの言葉にようやくミリーは彼らが居る意味を察した。悲しみと怒りで満ちた頭の中が、スーッと希望の光で治まっていく。未だ荒々しい呼吸を整えながら、顔に残った涙腺をリネンシャツで拭う。

「はい……はい! はい、あります、生きています」

 助けてくれるんだ。救われるんだ。長く長く苦しかった生活から、連邦軍が自分たちを救いに来てくれたのだ。

 次に流れ出た涙は、そんな歓喜を味わったものだった。

「協力、してくれるね?」カツラギの優しい声に、ミリーは「はい! はい!!」と渾身の力を振り絞って答えた。

「それはよかった――たった数分だったが、疲れただろう。今日は休みなさい。君の部屋も用意してある」

 カツラギが合図の指を鳴らすと、アリナがミリーの車椅子を引いて、キッチンルームを出ようとした。しかしそれを一時静止させ、ミリーは何かを言おうとする。

「あの、カツラギさん。ありがとうございます、本当に。ずっと待っていました」

 そうしてキッチンルームを出ていくミリーとアリナを、カツラギはただただジッと見つめていた。何かを発する事もなく、手を振ることもなく。

 そうして少し時間が経って、キッチンの奥からヴィカスが出てくる。

「ずっと待っていました、ぁね。さしずめ鉄人のボスも応えた事でしょう?」

 ヴィカスの言葉にカツラギは、冷えたコーヒーがカップの中で揺らぐのをジッと見つめていた。

「子供を戦わせる。そんな連中を俺は人間とは思わんよ」

「同じ類だからこそ言えるものですね」

 ヴィカスは冷笑を零してキッチンルームを出ていく。一人残ったカツラギは残ったコーヒーを飲み干した。

 冷えきったコーヒーは苦々しい味を色濃く滲みだしていた。

 

 それから五日間の時が経った。二日目にまともに歩けるようになったミリーは自身の分かる範囲で全力を尽くした。

 自身が居住した基地の位置。基地に生存している人数。食料や武装といった貯蔵の話と事細かく、カツラギに聞かれ分かる事を答えていく。その度にカツラギは自身の行いは奨励だと激励してくれた。

 食事は温かく調理された物を食べれた。まだ油の効いた物は禁止されている為、スープ系統が主食だったがそれでも体が温まれば気分も高まった。

 自身に与えられた部屋はベッドに机だけという質素なものだったが、それでもボロキレで寝る毎日で無くなっただけ安らかな睡眠をとることができた。

 アリナやヴィカスから衣類ももらった。本といった娯楽も得れた。皮肉にも生き残った自分が今まで味わえなかった生というものを感じる日々を送れている。

 ただ一つ疑問に思うのは他の艦員を見かけない事だった。キッチンルームで食事をとるときも、艦内をアリナと共に移動するときも、カツラギと話をするときも、彼ら以外に誰も目に入る事すらなかった。

「結構大きな艦みたいだけど、彼らしかいないのかな。こうも寂としてると……息が詰まりそう」

 毎夜つけている日記もそろそろネタ切れだ。ああだこうだと日々何をしたかを書くだけ。誰と何をどう思ったといった事を書けはしない。暖炉の前で一人だけ寒がっているような感覚。こんなにも正義心に満ちた人達を前にしても、何処か心が冷え切っていた。それが仲間を失ったという悲しみをより一層思い出させ、日々枕を濡らし続けていた。

 六日目の朝に目標の基地間近に到着したとカツラギから教えられた。

 昼過ぎには部隊が艦隊から降りる為、同行の準備をしておく様にと通達される。その時のカツラギの表情はやけに歪で、やけに強張っていて、それでいて何処か喜びに満ちているような混沌を現していた。

 準備と言われても何も持ってこれなかったミリーは、最後のメディカルチェックをする程度しかやる事はなかった。それとたった六日間だけであったが世話になった自室の後始末をするぐらいであった。

 アリナに連れられ着いたのはブリッジ後方部にある小さな格納庫だった。小さいと言っても数週間は戦えるであろう兵装と弾薬があった。

 格納庫の端の方ではカツラギを前に五人の軍人が列を成していた。

「諸君、ミリー・ディーンだ。今回の作戦を手伝ってくれる」カツラギがミリーを指さした。するとその場に居た全員がミリーの方へと顔を向けた。

 その五人の中でミリーが知っているのはヴィカス一人だけだった。笑顔で手を振る彼女を除いた四人は全く知りもしない。だからか、各々が一人ずつ名をあげ、敬礼をする。

 首元まで伸ばした銀髪の青年がまず第一声を上げた。

「ジン・エリック伍長であります。ミリー・ディーンさん、愛想よくエリックと呼んでください」

 冷たい声ではあったが、その奥からは優しさを感じ取る事が出来た。とても静かに彼は笑った。

 次はエリックの隣に居た男性が名乗りを上げた。

「ルイ・マックリー・ウェトン、曹長です。歳は二十七。趣味は音楽鑑賞です」彼の笑顔は気味悪かった。ニタニタと口角をあげて、厭らしい目つきで自分を見てくる。とても不愉快である。

「ヨハンス・キャスバー中尉」

 中年太りの男は、ミリーの事が嫌いなのか不機嫌そうに名前だけしか言わなかった。敬礼も他の者は続けているというのに、すぐさま解いてカツラギの方へと向きなおす。

 最後の男性は体の右側に若干体重をかけて立っていた。見た目からしてルイと同年代だろうか。彼もまたミリーを憎視しているかのように険しい表情だった。

「ウィルセン・オルコット。以上です」まるで銃口を突き付けているかのような殺意に満ちた声で彼は言った。

 全員の名前が分かった所で、快くはないがミリーも改めて挨拶をしようと思った。

 しかし「挨拶は終わったな。よぉし、すぐさま準備に取り掛かれ」とカツラギが号令をしたと共に、皆が持ち場へと走って行ってしまった。

「ミリー。君はアリナと共にノーマルスーツの準備を。二十分後には降下する」

 そう言い残してカツラギも自身の受け持った仕事へと出歩いていく。

(あと二十分で降下する)アリナと一緒にノーマルスーツを人数分用意する中、ずっとそんな事ばかり考えていた。これで本当に皆助かるんだ。数にして四百十八名の生き残り全員が助かるんだとミリーは神へと感謝の意を称した。

「泣いてるの、ミリー」アリナの言葉にミリーは自分の目から熱い涙がこぼれているのに気付いた。

「いいえ、いいえ……そんな悲しくて泣いてるんじゃないんです。こんなにも幸運が来るなんて、うれしくて」

 彼女の言葉に思わずアリナは心が安らいだ。なんて良い子なのだろう、そしてそんな彼女を利用する私達は本当に同じ人間なのかと自分を責め立てたくなった。

 しかし己は軍人であり、人間である。だからこそ、この道を取ったのだと心を蛇に染め、敢えて笑顔で「ほんと、神様って素敵だね」と口にした。

 二十分という時間は案外早く過ぎるもので、あっという間に準備は終わってしまった。

 ミリーとアリナはカツラギに呼ばれ、僅かな細い通路を辿って、操舵室へと誘われる。そこはこの艦隊の操舵室としてはあまりにも質素なもので、まるで小型艇のものに見えた。

 カツラギが操舵席でエンジン始動の準備を始める中、それを後ろから見守る形でミリーとアリナは席に腰掛ける。その後から他の皆がゾロゾロと入ってき、それぞれが席に着いた。

 その中にエリックとウィリーの姿が見えなかったが、アリナは特に気にすることはないと言う。

 ガギンと何かが外れる大きな音が室内に響くと、この部屋が落下していると中に居ても分かった。重力に任せての自由落下というのはやけに気持ち悪い感覚だ。

(無理矢理、頭と肩が押しつぶされてる感じだ……うう、喉がすっぱい)思わず両手で口を押さえる。それを見たアリナが背を擦ってくれたが、あまり変わり映えはしない。

 落下から十数秒経って、ようやくこの部屋は一つの小船であるとミリーは知る。

 僅かな船の振動のあと、上からのGが次は前方からかかったからだ。そしてカツラギの計らいか、座席横の壁の一部分が開き、窓が現れた。此処から外を眺めろという粋な計らいだろうか。

 実際そこから見る眺めは素晴らしいものだった。白鯨の雲海を間近で見たのは初めてだったし、天上から降り注ぐ陽光は淡いオレンジの温かさを感じさせる。少し後ろを振り向くと、自分が落ちた艦船が僅かに見える。

(緑の船……。大きな靴みたい)

 小船は数十分もすると目的地が視界に入るまでに到達した。

 ミリーが席から立ちあがって「ここです! ここです!」なんてはしゃいだからには、外れではないだろうと皆が確信する。

「さあ、準備をしな」カツラギが艦内放送でそう言うと、席に座っていた皆々が渋々と立ち上がり、また格納庫の方へと歩いていく。

ミリーは何も指示を聞いていなかった為半ば慌てていると、アリナが「ちょっと待っててね」と笑った。

 ――とは言ってもそう告げたアリナも格納庫の方に行ってしまった為、操舵中のカツラギを除いて実質一人だけとなったミリーは、ただただ自分の仲間が待つ基地を眺めるしかなかった。

 山岳地帯に隠れるように作られた元連邦陸軍基地を使った移民地。山岳を削って洞窟として作られた基地を利用したためか、今までジオン軍による残党狩りの被害には会っていなかった。

 残存生命その数――四百十八。とてつもない数だが、ちっぽけな数だ。老人もいる、去年は四人も赤ん坊が生まれた。小さな基地の中では今も命のサイクルが起きていた。

 そんな命の渦に呑まれ生きている回遊魚の一匹に過ぎなかったミリーが皆を救う手助けをできたというのは、幸運であったし誇らしかった。

 父母や大人達に聞いたニュータイプという英雄は子供ながらに人々を救ったという。自身がニュータイプではないと分かっていても、憧れであった英雄になれるのはこれからの自身をより一層強めていくだろう。

 フフフと小さな笑みを浮かべて窓から外を眺めているとカツラギが「よし、ミリー。行くぞ、着いてこい」と肩を叩いてきた。ミリーは「操舵はいいんですか?」と尋ねると「オートだ」とカツラギは答える。

 とにかく今は皆に救援が来たという報告をしたかったし、助かるんだという希望の光を共に味わいたかった。ミリーは急いでカツラギの後を追った。

 格納庫では皆が準備を終えていた。ノーマルスーツの上から防弾チョッキを羽織り、更に肘や膝には鉄板まで取り付けている。更にヘルメットの頭頂部辺りにはカメラゴーグルが装着されていた。

 それは先ほど笑顔をくれたアリナも同じであった。浮かれきったミリーは一瞬何故と疑問を抱いたが、すぐさま都合のいい答えを用意し、自分を納得させる。

「ルイ、ヨハン、ヴィカス。お前らはウィリーと一緒に救助にあたれ。俺とアリナで軍部の方に挨拶をしに行く――エリックは留守番だぁ! いいなぁ!?」

 カツラギが叫ぶと格納庫のハッチ近くから「良いわけないでしょう! ぼくはお荷物ですかぁ!?」と怒号が返って来た。

 そんな声に耳を貸す訳もなく、カツラギは「ミリーは俺と着いてきてもらうぞ」とミリーに言った。

 そして軽い冗談のつもりなのか、結婚式で父親が娘にエスコートするように右腕を差し出した。それを周りの皆はクスクスと嘲笑を示すが、ミリーはあえてそのおふざけに乗ってやった。

 まさか本当にするとは思ってもいなかったのか、右腕にミリーが腕を絡めた時カツラギは「おぉう」なんていう不抜けた声を漏らす。

「女性がここまでしたんですよ?」とミリーが発破をかけると、やるじゃないとしたり顔でカツラギはミリーを所定の位置まで連れていった。

 そこは小さなコンテナだった。高さ二mもない鉄の箱にミリーは足を踏み入れると、奥行きも全く無いことに気が付く。壁際に備え付けられたボロボロの座席に腰掛けるよう誘導されると、ミリーはそれに従う。

 そしてその次にはアリナもコンテナへと入って来た。彼女は大きな袋を右肩に紐で担いでいた。それをコンテナの奥に投げやるとミリーの横に腰掛ける。

「いいな、お前ら! 分かってるな!」カツラギは半ばコンテナに足を踏み入れながらも、ずっと他の隊員達に任務内容の反芻を呼び掛けていた。

 そうしてカツラギは散々叫びつくした後にコンテナの入り口横に備え付けられたボタンを叩き押す。それが信号となってコンテナの扉が閉まると、一瞬の間だが中は真っ暗となった。すぐに電気が点くと、既にカツラギはミリーの対面になる形で座席に座っていた。

「ちゃんとシートベルトをしとけよ。アリナ、教えてやれ」カツラギはそう言いながら腕を組んでいる。シートベルトの位置はすぐにアリナが教えてくれたし、そのまま着けるのも手伝ってくれた。

 一体こんな箱に閉じ込めてどうするのだろうか。そんな事がミリーの頭を埋め尽くした。 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。