あれからどのくらい時間が経ったのだろう。気づけば俺は袋を外された状態で薄暗い廃工場らしき場所で拘束されていた。両手はロープで後ろに縛られ、足には逃げ出せないように鉄製の足枷が廃工場の柱にくくりつけられている。あたりを見渡すと、どうやら自分達は廃工場の奥にいるらしく、男達は俺を囲むように立っていた。目を開くと黒服の男がこちらを覗いてきた。
「おう、目を覚ましたか坊主。寝起きのところ申し訳ないが、坊主にとってバッドなニュースだ。こいつを聞いてみろ」
男はそう言うと、仲間からラジオを受け取り、俺の近くに置いて電源をつける。ラジオは周波数が合わないのかノイズが酷くて内容を聞き取ることができない。ただ雰囲気からして何かの中継のようだった。
「これがどうした? 」
「まあまあ、そんなに急かすな。こっからが本番だ」
男がダイヤルを弄り周波数を変えていくと、次第に音声からノイズが少しずつ消えていき──
『決まったぁぁぁぁ!! 零落白夜によって相手選手のSEが0になったこの瞬間、日本代表織斑千冬のモンド・グロッソ二連覇が現実のものへとなりました!! 』
え……?
「残念だなぁ。お前の姉さんは弟の命より名誉と金を選んだみてえだぞ。坊主じゃなくて兄の方だったら助けたかもしれないが、所詮出来損ないの弟相手じゃあ割りに合わないようだぜ」
男が俺の肩を掴んで何か言っているようだが、あまりの衝撃で俺の耳に入ってこなかった。
姉貴が優勝? 二連覇?
ということはもう決勝が終わった?
そういえばこいつらの目的は姉貴の優勝阻止のために決勝を辞退させることじゃなかったか?
じゃあ何で姉貴は決勝に出ていた?
そこで俺は男から言われたことをようやく理解することができた。理解してしまった。
嗚呼、そうか。俺は家族に捨てられたのか、と。
ラジオの向こう側で姉貴がインタビューを受けている様子を聞きながら、暗闇に沈むように全身の力が抜けていく。
ショックで泣きも喚くことすらできず、俺はただ茫然と虚空を見つめることだけしかできなかった。
裏切り、絶望、悲観、諦念、納得。様々な負の感情が身体中を濁流のように駆け巡り、ほんの僅かに残っていた希望がポキリと折れる。
「向こうが交渉に応じてくれたなら無事に解放させてやったが、この結果じゃあ解放するわけにはいかない。だが目的が破綻した今、見捨てられたお前に人質の価値もねえ。そんな役立たずが唯一できることといえば、奴らへの見せしめだけだ」
冷酷に蔑むように見下ろす男の手には拳銃が握られ、その銃口は俺の頭部に向けられている。逃げようにも手足は拘束されて身動きはとれないし、さっきのショックのせいで正直逃げようとする気力が湧かなかった。不思議なことに恐怖はなかった。というより、もうすでに感覚が麻痺してしまっているかもしれない。
俺はこれから家族に見捨てられ、犯人達にも人質の価値もない役立たずとして殺されるのか。結局、最期まで俺は『織斑の出来損ない』のままなのか……
「あばよ、出来損ない」
男が拳銃のトリガーが引かれるその瞬間、銃声とともに
まるで潰されたトマトのようになった男の血肉が目の前にいた俺に降り注ぐ。そして頭部を失って崩れ落ちた男を踏み潰すかのように俺の目の前にソレは降り立った。
『間に合ったか。まずは一人』
現れたのはいたるところに男の返り血に染まった漆黒のIS。一般的な搭乗者の身体が見えるデザインとは異なり、全身が装甲に覆われていてパイロットの表情を窺うことができない。機体から聞こえる声も機械音声らしくパイロットが何者すらもわからない。
「あんたはいったい……?」
『……………………』
黒いISは俺の問いかけに答えることなく、突然のISの登場に混乱している男達に狙いを定めている。
そこからは漆黒のISの独壇場だった。男達の断末魔の叫びをBGMに、あのISは廃工場内を駆け回りながら銃や斧らしきもので男達を殲滅していく。懇願も命乞いも無視して容赦なく殺していく姿に本当は人が乗っていないのではないかと錯覚しそうになる。数分のうちに十数人いた男達はあっという間に皆殺しにされ、埃臭かった工場内は血の生臭さが充満する。感覚が麻痺しているのか、目の前でたくさんの人が殺されたにもかかわらず、恐怖といった感情が何も湧いてこない。
正気に返り、ふと周りを見渡してみると、自分のいた場所には銃弾の跡や返り血が一切なかった。もしかしてあの戦闘の中で俺の位置を把握していたのか。気づくと返り血でドス黒く染まったISが俺を見つめている。
『君がイチカ・オリムラね?私はある人物に依頼されて君を救出にきた。信じられないと思うけれど』
「俺を?一体誰が……?」
『悪いけど、それは私の独断では明かすことはできない。今言えることは、あなたの味方であるということだけ』
本当に味方と信じてもいいのだろうか。声に敵意はみえないが、いかんせん相手の正体と目的が不明すぎる。でもわざわざ男達を皆殺ししてまで俺を騙す必要があるとは思えない。それに俺を助けるように依頼した人物の正体もわからない。だけど助けてくれなかったら俺は確実に殺されていた。
俺はこれからどうなるのだろう。このまま解放されたとしても俺を見捨てた家族のもとに戻るなんて考えられない。向こうも見捨てたはずの俺が戻ってくることを快くおもっていないはずだ。仮に戻れたとしても、おそらく今まで以上に過酷な日常が待っている。下手をすれば今回の件をきっかけに友人に手を出してくる輩も現れてくるだろう。それに、もうこれ以上、いたるところで自分を否定され続けるあの地獄のような日常に耐えられる気がしなかった。
『正直に言うと、あなたには二つの選択肢がある。ひとつはこのまま私達と一緒についていく。そしてもうひとつの選択肢は私達についていかず、家族のもとへ戻ること。私達についていくなら悪いけど今までの日常を捨ててもらう必要があるわ。逆に変化を望まないのならこのまま家族のもとへ戻ることね。私はあなたの救出を依頼されてるけれど、あなたがそれを望んでいないのならば私はそれを尊重する。我ながら卑怯な物言いなのだけど、変化を求めるか否か、あなたはどちらを選ぶ?』
答えは決まりきっていた。
ごめんな、鈴、弾。俺、もうそっちに戻ってこれそうにないや……
答えた直後、プツッと何かが切れて、俺の視界は暗転した。
『こちらT。ターゲットを無事に確保したわ。ただ日本政府がやらかしてくれたおかげでかなり危うかったわね。……ええ、了解。あとは手筈通りってことね』