Fate/is inferior than Love 作:源氏物語・葵尋人・物の怪
世間を騒がせている殺人鬼。
ランサーがその噂を聞いたのは冬木に来てすぐ。
ランサーとケイネスが来日したのは他のマスターよりも遅れていたとはいえ、聖杯戦争は未だ大きな動きを見せてはいなかった。回らない風車を回すには息を吹きかけ風を起こせば良い――が、そうすることはあまりに短慮に感じられ、ランサーは風が吹くまで待つことを決めた。
尤も、ランサーは果報を寝て待てるほどのんびりとした性質ではない。
時間があればやるべきことと自分のやりたいことをやりたい。そして、やるべきこと――拠点を決め根城を築くことはもうその時点では終えている。となれば、あとはやりたいことをやるだけだ。
思い立ったが吉日。ランサーは冬木の街に繰り出した。無論サーヴァントとしてやるべき仕事は全てこなしながら、合間にこっそりと抜け出すという体で。
そんな毎日を繰り返した或る日。ウイスキーをメインに扱うどちらかといえば成熟した男女が集うようなバーであった。偶々一緒に飲んだ淑女が、世間話として近頃の冬木の治安の悪さについて論じた。
なんでも血を抜かれた奇妙な遺体が見つかるだとか。春売りの女、浮浪者、果ては塾帰りの子供まで年齢も性別もばらばらで、犠牲者に関係性もない。
巷では吸血鬼の仕業だのと、騒がれている猟奇殺人事件。
淑女はそんな話をしながら、何処かに守って下さる殿方はいないのかしらとランサーに抱き付いたもので、ランサーもこの一夜に限れば騎士になることも吝かではないと答えはした。
併し、女の閨にあっても、ランサーは女の渇きを満たすことに集中できなかった。
男としては実以て恥ずべきことなのかはしれないが、ランサーの頭にあったのは殺人鬼のことだ。
生前、善を貴ぶ王に仕えていた所為であろうか。どちらかといえば、中庸と定義されているランサーの性質は善性に依っていた。戦に於いて、民を巻き込もうとする者が許せぬ程には。徒に命を弄ぼうとする行為に義憤を覚える程には。
次の日の夜には、ランサーは魔術師アオザキから賜ったバイクを乗り回し、冬木中を見回った。
僥倖なことに、件の殺人鬼はいとも容易く見つかった。
さらに僥倖は今まさに、一人の十代も半ばになろうかという年頃の乙女に手を掛けんとする場面に間に合うことが出来たことだろう。
殊更に僥倖だったのは、乗っていたバイクがエンジン音を極力弱めるような改造を施してあったことだろう。
ランサーは犯行現場の廃工場に侵入すると、有らん限りの速力で以て、殺人鬼雨生龍之介に迫り、腰に隠し持った匕首で首を撥ねた。
自分で自分を褒めてやりたくなる。ランサーはその手際について、そう述懐した。
かの始皇帝も荊軻ではなく、自分がやっていたならば暗殺に成功していただろうとも強く自信すら抱いた。
併し、一つ問題が起こった。暗殺とは撤退するまでが暗殺だ。対象を殺した後によしんば捕まりでもし、口を割ってしまった場合にはその首謀者に危険が及ぶ。故に成し終えたら、音も立てず、髪の毛一本、纏う衣服の糸屑すら残さず、即座に退散しなけらばならない。
無論、ランサーもそうしようとしたが――刹那、獲物にされかかっていた少女が倒れてしまった。極度の緊張と、それに因る疲労からだろう。
ランサーは途方に暮れた。夜も深まっている。そんな中、年頃の娘を一人放っていくわけにもいかない。
起きるまで、ランサーはラジコンに興じることにした。これもアオザキから貰ったもので、ビデオカメラが内蔵され、コントローラーに備えられたモニターと連動し、飛行中の映像を見る事が出来るといった代物である。
――暇つぶしにはなるだろうと、遊んでいたら遠坂邸に丁度差し掛かり、そこでアサシン脱落の瞬間を目撃した。
このような内容を、ランサーは電話口に向かって説明する。
『――それで本題だが』
「アサシンの脱落はtruth(トゥース)か。アーチャーの正体は? これからどう出ようか? だろう?」
『こういう時のお前は、本当に話が早いな』
「そりゃまぁ、ランサーのサーヴァントだからね。速さには自信あるよ」
ランサーは、相手が見えていないにも関わらず口角を吊り上げてみせた。
ところで槍兵のサーヴァントは確かに、聖杯戦争の七騎のクラスに於いては、速さが最高値であることが適正となるが、物事の理解の速さはまるで関係のない概念である。
『冗談は良い。本題に移ろうか。まず、アサシンだ』
「Master(ムァスター)はどう思うのさ?」
ほんの少し間が開いて、
『ムシが良すぎる――というのが正直な感想だな』
と、ケイネスが考えを述べる。
「確かに呆気ない最期だったね。あのアーチャーがいくら強そうだとしても、一寸簡単にやられ過ぎだ」
『お前の目から見て、一矢報いる――詰り宝具を使う暇はあの戦いにあったと思うか?』
「アサシンの最後っ屁のチャンス? あのアサシンの技量がどれほどか見た映像だけじゃ分からないからアレだけど……あったんじゃないかな? まぁ、持ってる宝具の使い所が限定されてて使えなかったという場合も考えられるけど」
フムと、ケイネスが短く理解を示した。
そして、熟考に映ったのか、暫く受話器が沈黙する。
『私はあのアサシンをフェイクなのではないかと考えているが……どう思う?』
「その可能性はあり得るよ。でも、そのフェイクというのはどうやって作り出したと思う?」
『そこが問題だ。あのアサシン、低いながらもしっかりとステータスが見えていた。そう考えると本物なのだが……』
例えば、何らかの魔術でサーヴァントの偽物を作り出し、幻覚に依ってステータスを見せるという手段もなくはない。だが、その偽物を作るには、高度な降霊術が――それも降霊術の達人であるケイネスにも匹敵する技量が必要になる。幻惑も同様のことだ。
まだ、参加者全員の顔が明らかになったわけではないが、少なくともケイネスとランサーが知る限りそれが出来る魔術師の参戦は確認できない。
『可能性としてはアサシンとキャスターのマスターが手を組んでいた、か』
キャスターとは、魔術師のサーヴァントである。魔力の高いサーヴァント、魔術を扱う逸話のあるサーヴァントなどが該当するクラスであり、そこに嵌る様な英霊であれば、成程ケイネスの考え通りのことは遣って退けられるだろう。
「或いは元々アサシンがそういうスキルなり宝具なりを持っているかだね」
と、ここでランサーはある英霊の可能性を示唆した。
「“ラシード・ウッディーン・スィナーン”って分かるかい?」
『確か暗殺教団の指導者の一人であったな。それが如何した?』
「そうだ。そして大麻(ハシン)を使い、多くの暗殺者を育て上げ、“山の翁”と呼ばれてしまった男だ」
山の翁伝説の大凡はこうだ。
ある山に楽園を築く老人がいて、下界の若者たちを連れ去り、麻薬を用いて彼等をもてなす。その薬の虜になった若者たちはさらに薬を欲し、老人の言葉に従うようになり、十字軍の主だった将たちを暗殺する為の手駒となる。
山の翁は無論、暗殺教団の歴代の長達に受け継がれる名前、ハサン・サッバーハを指す。
併しながら、それ以外にも山の翁と称された者がいるのだ。それがラシードである。
『……成程。この聖杯戦争のルールのアサシンは“ハサン以外は呼べない”となっているが正確には“山の翁以外は呼べない”なのだと、そう言いたいわけか』
「Exactly(イグザッチュリ―)。で、恐らく山の翁伝説そのものを宝具として持ってきてるのではないかとね」
『無限にアサシンを生み出す宝具ということか。もしそうなら厄介などという問題ではないな』
聖杯戦争が進めば進むほど町にアサシンが跋扈することになる。
然も麻薬で熱狂させた多くの若者たちを使い、十字軍と徹底抗戦したと言われるラシード・ウッディーンであるが個人の技量に於いても相当優れていたと思われる。
何しろ当時のイスラーム王、サラディンの邸宅に忍び込み枕元に毒短剣と警告文を置いて誰にも悟られずに帰っていたという逸話を持っている。王の寝所に――ましてイスラーム至上最大の英雄とも言われるサラディンの閨に忍び込むことが容易い事ではないのは言うまでもないだろう。
「――まぁ、どんな事実にしろ警戒を怠らない方が良いね。表に出る時は幻惑と自動防御の術式を忘れずに」
『無論そのつもりだ。……魔術殺しのこともある』
ケイネスは衛宮切嗣が殺した魔術師について過去七年まで遡って調べていた。その中で遠くからの狙撃で仕留められた者を見つるのは至極簡単であった。
『それで次は黄金のサーヴァントだ。お前はアレをどう見る?』
「Strong(ストーング)だ、と。そんで宝具一杯持ってるなって思った」
『子供のような感想だな』
「子供みたいだというのは自覚している。で、実際、アレは強かったのかい?」
ケイネスが詳しいステータスを確認しただろうと思い、ランサーは訊ねた。
『総合値で言えばお前と同等だった』
「成程。なら問題はあの大量の宝具ってワケだ」
『……真名に当りは?』
「あのぞんざいな扱いから察するに余程多くの宝物を手にした英雄だろうね。竜を倒して宝を得たシグルドだとか、それと同一視されるジークフリートだとか」
そして英雄の名を列挙していき、ランサーはある名前に当たる。
「――“総て見たる人(ギルガメッシュ)”だとか」
その名を聞き、ケイネスの声が上ずった。
この世の総ての財宝を有したとされる古の王。総ての英雄の原点とも言われる、最強最古の存在だ。
若しランサーの言葉通りの者が出てきてしまっているならば勝ち目などあるわけがない。
「Relax(ルィラァックス)、Relax(ルィラァックス)。まだ慌てるんじゃない、Master(ムァスター)。もし仮にギルガメッシュだとしても勝ち目はZero(ズェロ)じゃないし。それにこの関羽雲長にしてみれば、砂漠の砂粒一つほどでも可能性があるなら、それは最早勝ったも同然だからさ」
ランサーは自信を以て笑い、見えていないケイネスに向かってサムズアップした。
虚勢ではない。況して優しい嘘でもありはしない。
中華一の英雄“関羽雲長”として、生き抜いたという自負が、唯一絶対の自信となっているのだ。
『ああ、頼もしい限りだな。偃月刀の閃き、存分に見せて貰うぞ』
何処か嫌味な言い回しであるが、ケイネスなりの精一杯の激励だろうとランサーは胸を叩いた。
「任せてくれ!」
と。
『だが、これからどう動く?』
「明日から街を徘徊して手当たり次第サーヴァントと戦う。恐らくアサシンが殺られたことで表立って活動する連中も出てくるだろう。それを狙う奴もいると思う。で、その内一つでもこっち側に引き入れる」
『同盟を組むということか?』
「Certainly(サトンリー)。あの黄金のサーヴァント兎に角得体が知れない。有利に出られるヤツがもし一騎でもいたならば、ソイツと一緒に戦いたい」
『同盟を結べなかった時は?』
「ソイツと金ぴかが戦うまで逃げ回る。戦った所で疲弊しきった隙を見て横合いから殴りかかれば一網打尽に出来る筈だ。でも、Better(ヴェトゥァー)なのは、仲間にすることだと思う」
『そうか……ならばそうしよう』
と、気のないように納得しながら、それでいてケイネスはランサーの案を気に入った。
誇りや矜持など微塵も入る余地のない貪欲なまでに勝ちを狙う姿勢も雇われの狩人として悪くない心構えである。
だが、故にケイネスにとって一点、気に入らないことがあった。
『ところで、貴様、何故勝手に殺人などした? 私の許可も無く』
ランサーが自分の意思で勝手に人の命に手を掛けたことである。
それを指摘されランサーは意外そうに眼を丸くした。
「堅気に手を掛けるのが気に入らないかい? それともボクの行為が偽善だとでも?」
『そうじゃない。一言声を掛けろと言ったんだ。神秘を流出に気を払った殺しならばいくらだって許可してやった』
魔術師は元来、非魔術師を見下す傾向にある。
ケイネスもその例に漏れない。その辺に転がっている人間が一人死のうが、一億人死のうが知ったことではない。その所為で神秘が諸人に知れ渡り、その持つ力が弱まったとあっては魔術師として由々しき事態であるが、そうでないなら如何でも良い。
それよりも、ランサーが“主従”をないがしろにしたことが少しだけ気に食わなかったのだ。
ランサーはそれに思い至って苦笑する。
「ごめん。ボクが鬱陶しく思ってる蚤一匹蹴散らすのに、主の許可がいるとは思っていなかったんだ。今度からは気を付けるよ」
『蚤と勘違いしたなら仕方はないが、一応人だ。気を払ってくれたまえ』
尋常な感性の人間が聞けば、ブラックジョークにしても性質が悪いと思ったことだろう。
併し、それを指摘する人間は誰もいなかった。
『ところで、お前が助けたとかいう少女はまだ起きないのか?』
「帰りが待ち遠しいかい?」
『突然、気持ち悪いことを言わんでくれ』
「ええ……」
辛辣なケイネスの物言いに涙目になっていると、噂の少女は目を覚ました。
寝ぼけたように眼を擦っている。
そして、胴と頭が離れた雨生龍之介を見つけ、
「ひっ……!」
短く悲鳴を上げた。
ランサーは笑顔を作り少女に歩み寄ろうとした。
併し、少女は後退る。自分も殺されると思っているのだろうか?
そう考えたランサーは、
「安心してくれ。君を傷つけようとした不届きな輩はボクがこの手で始末した。速くお家に帰ると良い」
と声を掛ける。すると、少しだけ顔から緊張が抜けた。
『……またナンパか?』
その様子を電話越しに効いていたケイネスが一言。
「君は主といえども、本当に無礼だね。違うってばさ」
『ならさっさと帰ってこい。ソラウが肉まんを欲している』
「おいおい、今何時だと思ってるんだよ? 太るぜ?」
『……それを帰ったら言ってやってくれ』
人間の体というものは、基本的に昼間は動き、夜は休むことを想定して作られている。故に、夜に摂取したカロリーは蓄積されやすい。おまけにものは肉まんである。
女性のソラウにとっては大きな問題だろう。
ケイネスもそれに気を遣れぬほど、女というものを知らないわけではない。だが、相手がソラウである為、強く出られなかったのだ。
ランサーは深く溜息をついた。
「分かった、すぐ帰る」
そう返して、ランサーは携帯の通話を切った。
そして、少女に背を向けて、何事もなかったかのように、廃工場を後にした。
Q.何故ランサーはランサーのクラスなのに匕首を使えるんですか?
A.薙刀道の中に薙刀を落した時、短刀で戦うという流派があったのでそれを参考にしました。