Fate/is inferior than Love 作:源氏物語・葵尋人・物の怪
聖杯戦争は既に始まっていた――。
闇夜の中、小高い丘、浮かび上がる真っ白い髑髏が一つ。
否、そう見える人であった。
細身でありながら筋肉質な五体は、黒いローブに覆われていて闇に溶ける。その所為で被っている仮面のみが浮遊している様に見えるのである。
彼、名をハサン・サッバーハ。第三次十字軍遠征によりヨーロッパに持ち帰られた“山の翁伝説”の正体。イスラム教ニザール派、通称“暗殺教団”の長に代々受け継がれる名前を持つ英霊である。
“地獄の天使(マリク)”に追従する“殺戮の天使(サバーニーヤ)”が十九柱であったように、ハサンは十九人。
丘からすぐ麓の屋敷を見下ろすこの男は、その一人である。
さて、このハサン――アサシンのクラスのサーヴァントであるが、主の言峰綺礼からある指示を受けていた。
「“遠坂邸に侵入し、遠坂時臣を速やかに殺害せよ”――か」
アサシンは言峰からの命令(オーダー)を独り言つ。
遠坂邸とは、今彼の目前に見えているものである。遠坂時臣とは、アサシンのマスターたる言峰にとっては魔術の師であり、この聖杯戦争に於いては協力関係にあった人物である。
それがどうして瓦解したのか。アサシンは考える。
そして、綺礼の言葉がはたと思い浮かぶ。
『恐れることは何もない』
それは遠坂の召喚したアーチャーのクラスのサーヴァントに対する評価であった。
アサシンのサーヴァントは気配遮断というスキルをクラス特典として持っており、その名が示す通り、マスターを殺すことに関しては全七つのクラスの内随一を誇る。併し半面、サーヴァント同士の直接対決に於いては余りにも脆い。聖杯戦争中でも最弱と言って良いだろう。
対して、アーチャーのクラスは三騎士と呼ばれる、とりわけ高い能力を持つクラスのサーヴァントの一角を担う存在だ。普通は敵わない。
けれど、言峰が下した判断は“恐るるに足らず”。
恐らく余程弱小の英霊が宛がわれてしまったのだろう、とアサシンは考える。いくら強いクラスといえども、元になる英霊が弱いという事実は覆せないのだから。
そして、それが故に主は、同盟者を裏切ることになったのではないのだろうか。勝ちが望めない相手と組んでいては、利益など何もないのだから。
其処まで考えて、アサシンは口角を吊り上げた。
「だが、マスター。別にサーヴァントも斃してしまって構わんのだろう?」
と、豪語しつつ。
ハサンは嗤う。最弱と定義付けらる自分が直接の戦闘で敵を倒せるという事実に。暗殺者という職業柄、ハサンは生前から戦の誉れなどというものとは縁が遠かった。
自分には永遠に訪れないものであるとも、諦めていた。
だが、聖杯戦争というのは喜劇だ。暗殺者では味わえないであろう栄光までハサン・サッバーハに届けようというのだから。
愈々、アサシンの昂りは頂点に達した。大振りの曲短剣――アラブの短剣“ジャラビーヤ”を逆手に持つ。そして、極端な前傾姿勢からアサシンは、
「――では、赴こう」
疾走を始めた。
丘を飛ぶように駆け下り、星のような速さで駆け抜ける。
途中、鴉とすれ違った。他のマスターが監視目的で放った使い魔であろう。聖杯戦争を作り上げた御三家の内の一つである遠坂は聖杯奪取において、大きな障害になることは明々白々。
アサシンはそれを見て、殊更に喜んだ。
我が勝利を見届ける観客がいるというのは、途轍もなく愉悦であった。
――さぁ、見ていろ。このハサンの透遁を!
愈々、遠坂邸が間近に迫り、ハサンは自身の気配を経った。
館の敷地内に張り巡らされた何重もの結界を通り抜ける為だ。
無論、ただ、それだけで誤魔化しきれるとも思わない。
併し、アサシンにはこの結界を通り抜ける確固たる自信があった。
元々、言峰綺礼と遠坂時臣は協力関係にあった。詰り、この遠坂邸にも出入りがあったということである。ハサンは幾度と無く、遠坂の警護を請け負ってきた。それ故に屋敷中の索敵、罠(トラップ)の類の位置やその性能、また盲点すらも完璧に把握しているのだ。
警報結界の間をハサンは見事な体捌きで通り抜ける。
「――他愛なし」
それは舞うような、踊るような、洗礼された動きであった。
結界破りなど、暗殺者にとってみれば息を吸う程度に簡単なことでしかない。
見惚れてしまうような美しい舞踊で以て、どんどん結界を躱し、アサシンは遂に中庭へと足を踏み入れる。
風穴はこれで終いだ。ここから先は、結界を定礎している宝玉を物理的な手段で以て崩し、結界を崩しながら進むしかない。
それをしたならば、警報が作動するようなプログラムも組まれているのかもしれない。
だが、
「笑止千万」
ハサンは吐き捨てた。
侵入と結界破りに関して言えば歴代のハサンの中でも随一という自負がある。故に、そんなものが動く前に壊す自信も、方法も彼の手にはあるのだ。
ハサンは手を伸ばす。結界に。
――そういえば、アーチャーには出会わなかったな。臆病風に吹かれたか?
そんなことを考えながら。
「あ……れ……?」
併し――アサシンが伸ばしていた筈の手は無くなっていた。
「ムグッ……!?」
瞬間走る、激痛。脳内は混沌した。
何が起こった? そう考える彼のすぐ手前の地面には、眩い輝きを放つ槍が突き刺さっていた。投擲だ。何処からかこれをアサシンに向けて放った者がいる。
ではそれは何処にいる? 槍の刺さっている角度から類推される方向をアサシンは見極め、其方を向く。
なんと、射手は遠坂邸の切妻屋根の頂にいた。
「なっ!?」
そして、驚愕たるはその姿。黄金の髪、黄金の鎧、傲岸なる赤い眼差し、体躯から滲み出る王気。
月も出ている、星も出ている。遍く天体は、遠い夜空を彩っている。だが、この瞬間、それら総て砕け散った。
この黄金の男の輝きを前にすれば、あらゆる光は闇も同然である。
アサシンは腕を失った悲しみも、怒りも、その痛みですらも忘れ去っていた。
ただ、目の前の圧倒的な存在感を恐れ、愕然としていた。
「は、ははははは……」
アサシンは乾いた笑声を上げていた。
――恐れる必要はない? ふざけるなよ、あんなものに勝てるわけがない。
そう思って、傍とアサシンは気が付いた。綺礼の言葉の意味に。そして、彼の真の狙いに。
真実に至ってアサシンは、
「あの男! 言峰綺礼ェ! 謀ったなァ!」
怒号を上げた。
「畜生めェェェェ!」
手に持つ短刀を無茶苦茶に振り上げ、アサシンは盲滅法に黄金へと突撃を仕掛ける。
玉砕覚悟――とは違う。怒りに我を忘れていたのだ。
この瞬間、アサシンの頭には何も無かった。目の前の、アーチャーのサーヴァントが圧倒的だという事実ですらも。
「天に立つ我(オレ)に唾をかけるか。万死に値するぞ?」
黄金のアーチャーの周りに無数の輝きが湧き上がった。彼の周りの空間から滲み出たそれは、剣であり、矛であり、一つとして同じ意匠はない、けれど絢爛たる無数の武具であった。
その切っ先の全てがアサシンに向く。
「疾く死ねェ!」
アーチャーの言葉と共に、輝く武具が甚雨の如くざんざんと降り注いだ。
まず髑髏の仮面が破砕し、その光景がはっきり焼き付く間もなく、アサシンは細切れですらない肉飛沫となり、死んだ。
絶命の瞬間、アサシンが思ったのは、黄金のアーチャーのことでも、主の言峰綺礼のことでもなかった。
思考が及んだのは使い魔越しにこれを眺めている他のマスター達に対してであった。
――嗚呼、見られてしまった。栄光では決してない、この醜態を。
最期に残ったのは無念だけだった。
†
魔術師の戦いの基本に、工房を作るというものがある。
工房とは名ばかりであり――無論、魔術的なアイテムを製造したりその調整を行ったりもするが――その実は要塞だ。
遠坂邸のように防御及び索敵用の結界に守られ、使い魔が跋扈し、いざ中に踏み込めば空気ですらその主以外には毒となっている場合もある。
兎に角、そこにいる限り魔術師は戦いを有利に進められるのである。
さて、この冬木の第四次聖杯戦争にはそんな魔術師のセオリーに則らずに戦う者がいた。否、出来なかったというべきか。
魔術は兎に角金食い虫であり、工房を築くのにも莫大な資金が欲しくなる。
金が無いものには悲しいかな、工房は夢のまた夢であった。
仕方なしに、その哀れな魔術師は神秘とは無縁の一般家庭の老夫婦を催眠にかけ、彼等の孫となることで家に住み着きそこを拠点とすることにした。
その魔術師、名をウェイバー・ベルベット。ケイネス・エルメロイの生徒にして、彼から征服王の聖遺物を奪った張本人である。
彼は今、老夫婦の二階部屋で召喚した征服王イスカンダル――アレクサンドロス三世と共にアサシンの敗退を見届けていた。
共にと言っても、イスカンダルはテレビで放映中のビル・クリントンの演説にご執心であったが。ウェイバーがその理由を尋ねると、世界征服をするに当たって当面の敵になるからとさも当然のように答えた。
世界をその手に収めかけた王は、伝承で語られている姿とは打って変わり天を衝くような巌の如き錆色の鎧を纏った大男であり、伝承通りに征服者であった。彼は未だ世界の総てを手に入れる事を諦めていなかったようである。
「――で、アサシンはどうやられた?」
アサシンが斃されたことをウェイバーが伝えるとイスカンダル――ライダーのクラスのサーヴァントは逆にウェイバーに問い掛けた。
「え?」
「アサシンを倒したサーヴァント。どんな戦い方をして、どうやって倒したのか。見ていたのであろう?」
ウェイバーはしどろもどろになった。矮躯である所為でその姿はとても見苦しく映った。
正直なところ、無数の輝きの後にアサシンが倒されていたというのが事実であり、それがなんの参考になるのかと疑問に思った。
結局、ありのままを伝えるとライダーはふむと唸った。
「……実物を見ないことにはまるで分からんな」
当たり前の結論である。
「まぁ良い。寧ろ心が躍る」
磊落に笑ってライダーは突如として立ち上がった。
狭い部屋にあっては頭がつっかえそうであった。
「いきなりどうしたんだよ?」
「出陣だ。支度をせい」
「出陣って……何処へだよ?」
「そこいらへ」
「ふざけるなよ!」
ウェイバーは怒鳴った。けれど、凄んで見せても彼の顔立ちは“恐さ”からはほど遠く、ライダーは見下ろしたまま微笑むばかりだった。
「アサシンの死を見ていたのは貴様だけではあるまい。これで闇討ちを警戒していた連中が行動を起こすやもしれん。見つけ次第、狩っていく」
「それは策か! 簡単に言うけど……」
「余には他のサーヴァントにはない脚があろう? 優位には立っていると思うぞ?」
そう言うなり、腰に帯びた剣を鞘から抜き出そうとする。
「待て待て! ヤメロ! ここであれは出すな!」
ウェイバーはライダーを慌てて止めた。
ライダーというのは騎兵だ。何かに騎乗する逸話を持つ英霊に宛がわれるクラスであり、全七クラスの内でも強力な宝具を複数持つという特徴がある。
宝具というのは英雄の逸話や武具、技の具現化である。例えば、日本の始まりの王、神武天皇は山神である大熊を鎮めた“布津御霊”という剣を持っておりそれが宝具になり得、また大軍に向けて放った矢に黄金の鳶が止まり光を放ったという逸話が宝具となるかもしれない。
イスカンダルの場合は“ゴルディアスの縄目を解く”ことが宝具であった。ゴルディアス王がゼウスに献上する戦車に繋がれた牛を繋いでいた縄目を剣で斬って持ち出した逸話である。
二頭の牛に引かれた戦車。ギリシャの全能神ゼウスに由来する雷を纏い、疾走すればあらゆるものを灰塵と化す無双の戦車である。名を“神威の戦車(ゴルディアス・ホイール)”。
走ること即ちが、あらゆる難題を無理矢理踏破するまさに“ゴルディアスの縄目を解く”必殺の一撃である。
無論、それは、この老夫婦の家も例外ではない。出した瞬間消し炭になる。
「……では何処で出せば良い?」
「何処か遠いところだ!」
恍けたようなライダーの問いにウェイバーは怒鳴り声を上げた。
「全く小さい男だのぉ」
と、文句を言いながら、ライダーはしぶしぶ窓から身を乗り出し表に出た。
ウェイバーもそれに続く――わけはなく、一度玄関から表に回ることにした。老夫婦に言い訳を告げて。
そして、下まで降りて、道端の縁石に腰を掛けホメロスを読みふけるライダーを見かけ、そこでふと疑問を思い出した。
それをライダーに言おうか如何か悩んで
「――で、何処から行くんだ。ライダー」
矢張りやめた。
とても小さいことだったから。
ウェイバーが使い魔として使役していた百舌鳥。
それを妨害するように何故か、ラジコンヘリが近くに飛んでいた。
屹度、近所の子供の悪戯か何かだろうと、ウェイバーは結論付けた。
前回のクイズの答えです。
ディルムッドと関羽の意外な共通点。
正解は、『自分の死によって所属していた集団が瓦解した』でした。
まぁ、ディルムッドの場合は情状酌量の余地というか、半ば悲劇的な部分もありますが、関羽の場合は完全な自業自得です。
なんだ、やっぱりディルムッドって良いヤツじゃん。