Fate/is inferior than Love   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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第四十一話 人間人間

「どういう事……ッ!?」

 

 一人魔術工房に残り執筆に明け暮れていたソラウは驚愕の声を上げていた。

 自分が書き上げた作品の為に。

 自らの欲望で沸騰した――否、“腐蝕した”脳細胞の赴くままにソラウはトランス状態で書き物をしていた。当然、そんな有様で執筆をしていたのなら、その最中に自分が作ろうとしているものを認識することが出来ないのは言うまでもないだろう。

 そして、筆者本人でさえ知り得なかった我が子の全容を知り、ソラウは愕然としたのだ。

 

「何故、ケイネスが教え子と目合っているの?」

 

 ケイネスがウェイバー・ベルベッドと愛し合っていたのである。

 否、愛し合っていたというよりも愛し合うようになったというべきか。

 最初、ケイネスはウェイバーが書いた論文の評価と時計塔に於ける地位を餌に肉体を求めた。更に、時計塔にいられなくすると脅しさえもした。

 甘い蜜と、苦い明日――それらを同時に突き付けられたウェイバーは師に体を委ねざるを得なくなった。自らの凡庸さに薄々気が付いて彼にしてみれば、時計塔で生き残り魔術師としての地位を確立する為にはこの方法しかなかったのだ。

 始めの内は同じベッドに入ることすら躊躇ていたウェイバーであったが、肌を重ね、霊薬に理性を溶かされ、徐々に快楽に堕ちて行き、最後は心すらも許すようになる……。

 物語としては極ありふれた筋書きである。王道であるが故に、細部の書き込みが甘ければ駄作の評価は免れず、また逆に硝子細工を扱うように丁寧に作り込めば名作ともなり得る。

 そんな作品である。おかしいところは何も無い。

 

「ええ、そうよ。おかしい所は何も無い。ケイネスが取り得る行動として整合性はある。育ちが故の愛情表現の歪み、自分の愛が認められないのが許せない人格の歪み、自分に与えられた権力と才覚を最大限駆使する手腕ッ……。私が思い描くケイネス像から外れていない。“実用性”に関しても完璧ね……特に口移しで霊薬を飲ませながら、尿道と直腸を“月霊髄液”で蹂躙する場面なんて……」

 

 氷のような美貌を蕩けさせ、口元から零れる涎をソラウは隠そうとはしなかった。

 そんな彼女が正気に戻ったのは下腹部から背筋に懸けて、凍えるようなそれでいて焼けるような甘い感覚がのたりと這ったから。無意識のうちに、股を手で弄っていたのだ。それを省みると羞恥心が蘇り袖で拭い、ぶんぶんと首を振った。

 煩悩を跳ね飛ばすかのように。

 

「だが! 許せない、認めない! 関羽以外と繋がるケイネスなんて解釈違いも甚だしい!」

 

 そして、快楽を振り切ったソラウはその先に待っていた感情の――怒りのままに拳を机に打ち付ける。

 この世の苦しみとは思い通りにならないことであり、この世はその思い通りにならない苦しみで溢れている。仏教に於ける“一切皆苦”という思想であるが、その考え方は間違っていないとソラウは痛感していた。

 自分の手を以てしても、自分が真に好ましいと思うものを作り出すことすら出来ないのだから。

 

「もう、嫌……私、どうしちゃったのよ……」

 

 ソラウは机に顔を埋めた。

 だが、そんな彼女の憤りに寄り添おうとする者も、彼女の苛立ちを解そうとする者もここにはいない。

 余計に惨めな気持ちになって、それならいっそ酒精に浸かってしまおうと、ソラウは立ち上がる。フラフラとキッチンへと歩むその姿は、第三者が見れば弱っているという印象を受けただろう。

 さてそんな有様の中、ケイネスと関羽が、雁夜に肩を貸し、伴って帰って来た時一体、ソラウはどういった反応をしただろうか。

 

「この浮気者ォォォ!」

 

 その答えは、“ただいまと告げた許嫁とその従者に向かい当人達にはまるで身に覚えのない罵倒を浴びせる”である。

 当然、ケイネスと関羽は困惑した。

 雁夜に至っては、部屋の扉を開けたらそこが見知らぬ国であったかのような荒唐無稽さに、恐怖すら覚えていた。

 

「Oops(ヲォプス)。一体如何したっていうんだ? Kitty(クゥィツィー)、未来のHoney(ファヌィー)が帰って来たんだ。もうちょっとらしい態度っていうのがあるんじゃないかい?」

 

 関羽は明け透けにソラウを、またそれ以上にケイネスを揶揄う。

 従者の言葉に、顔を真っ赤にしケイネスは関羽を窘めようとする。

併し、それは叶わなかった。

 

「ハニーはアナタでしょうが!」

 

 ソラウの魂からの、根源的な部分からの叫びが、この場にいる男性陣の思考を凍結させたから。

 

「ケイネスはランサーとじゃないと駄目なの! それ以外の運命なんて認められる筈がないでしょう!」

「あの、ソラウさん……?」

 

 その圧倒的な気迫にケイネスは敬語になりながら恐る恐る、ソラウの肩に触れる。

 だが、

 

「触るな、裏切り者。汚らわしい」

 

 ソラウは彼の手を振り払った。

 軽蔑を含んだ冷たい視線と共に。

 

「貴方も男よ。ハレムに憧れるのも性(サガ)という意味では仕方のないことなのかもしれない。でも、それでも……」

 

 ガタと音が出る鳴るほど勢いよく立ち上がると、ソラウはケイネスの胸倉を掴み、

 

「性○隷を囲うなんて! 関羽という良人がいながら!」

 

 とケイネスを糾弾した。

 併し、ケイネスは 

 

「君は一体何を言っているんだ?」

 

 困惑しか出来なかった。

 

「ソラウさんや、僕らの衆道で盛り上がるのは構わんがね。初対面の人が当然それを理解する前提で暴走するのは如何なもんかねと思うわけでして」

 

 傍で一部始終を見ていたランサーは、億劫そうに小指をで耳を穿りながら苦言を呈する。

 

「見てみなよ。雁夜クンなんて、Shock(スィョーク)とUnpleasantness(アプリズァヌェス)で“クリムゾン・キングの宮殿”みたいな顔になってるぜ?」

 

 ランサーはそう指摘しつつ、自身の肩を親指で指す。

 ソラウはそこに視線を向けることで自分の過ちに漸く気が付く。

 ところで“クリムゾン・キングの宮殿”というのはキングクリムゾンというロックバンドのファーストアルバムの名前であり、このアルバムのジャケットは一度見たら忘れない印象的なものである。

 ジャケット一面に、新生児のような赤い肌をした男の驚愕とも悲痛とも取れる絶叫を視覚的に捉えたもの。そうとしか譬えられないようなものが描かれている。

 キングクリムゾンは世界的に見ても著名なバンドであるが、時代を重ねた魔術師の家系という浮世からは遠い場所で生まれ育ったソラウはそれを知る由もなかったが、それでも雁夜の表情が凄まじいことになっていることはよく分かった。

 

「ソラウ、暴走するなとは言わない。だが、逸脱するならせめて私たちの前だけにしてくれ。皆が君の理解者というわけではないのだから」

 

 ケイネスに窘められるとソラウはまるで子供のように沈む。

 

「というか、○奴隷……一体どこで覚えたんだそんな言葉。然も、何故私がそれを得たいなどと思った」

「だって男の人はみんなそれに憧れているって。ネットに書いてあった」

「貴様か、ソラウにいらん道具の使い方を教えたのは!」

 

 横目に自分を睨む主に、関羽は悪戯がばれた子供のようにぺろりと舌を出した。

 自分の行動に対する罪悪感は微塵も見えない。

 ……極めて余談になるが、ケイネスやソラウが生きる時代の日本に於いて、インターネットは漸く大衆向けのサーヴィスを開始し一般個人にも利用可能になった頃である。そして、黎明期のインターネットは一般的にはまだまだアンダーグラウンドの部類であった。そういった場所に跋扈する知識群が、令嬢たるソラウにとって果たして良い影響を及ぼすものであるかどうか。それは語るまでもないだろう。

 例えるならば、スラム街を歩かせるようなものである。

 尤も、つい最近現代を知ったばかりのランサーにそこまでを把握する器量がなかったというだけなのだが。

 

「……全くなんでこんなことになってしまったのか」

「貴方のせいでしょ……」

「身に覚えがないのだが?」

 

 辟易と疑問を口にしたケイネスに齎されたのは、ソラウの嗜好の始まりに関する意外な真実であった。

 だが、ケイネス自身に彼女に影響を与えるようなことをした覚えが無い。

 

「Master(ムァスター)それはだね……」

 

 薄々とソラウが抱えている感情の正体に気が付いているランサーは説明しようとする。

 ケイネスの工房には、聖杯戦争の殺伐さとは程遠い和やかな空気が流れていた。

 

「ふざけるな!」

 

 それを破ったのは、雁夜であった。

 

「何の茶番だこれは⁉ 人の、桜の命が掛ってるんだぞ!? なんでそんなにふざけてられるんだよ!?」

 

 一瞬場を沈黙が支配する。

 だが、一瞬だ。それも直ぐに打ち破られる。

 

「いや、だって心底どうでも良いもの。正直、桜って言われても“誰よそれ?”って感じだし」

 

 今まで発狂していた筈のソラウが真顔で答えた。

 

「そういうことだ。お前にとって大事な娘とやらも、私達にとってはその、なんだ、何気ない日常の会話以下ということだ」

 

 さもそれが当たり前であるかのようにケイネスはあっけらかんとして、言い放った。

 その人非人の言い草に雁夜は激怒する。

 歯を噛み締め、目の前の男の横面を思い切り殴ってやらなければという思いに燃えた。

 併し――

 

「おっと、その拳は治めて貰おうか?」

 

 その義憤のようなものは、ランサーに止められる。

 骨が軋む程、手首を掴まれるという形で。

 

「ッ……いい加減にしろよ、魔術師の狗め! 離せ!」

「ロード・エルメロイの狗というなら狗で結構。失恋をこじらせて人助けと復讐を履き違えてる負け犬よりは全然良いさ」

「貴様……ッ!」

 

 雁夜の言葉はそれ以上続かなかった。

 自分の暴かれてはならない本心を暴かれたから――。

 

「まぁ、Young(ヤァグ)でBeautiful(ビュティフー)な外見で召喚されたこのボクだがね。それでも君よりは長く生きた人間の先輩だからはっきり言わせて貰うぜ。ケイネスが言ったのはね、人として当たり前のことだよ」

 

 先程と変わらないふざけた調子でそんなことを語るランサーに、雁夜は背筋が凍るような感覚を覚える。

 無論、智の英霊たる関公の瞳は雁夜の動揺を見逃さない。

 その上で敢えて、長年連れ添った友人のような気安い態度で、雁夜の肩に手を回し、まるで笑い話であるかのように語る。

 

「千里離れた場所の顔も知らん人間の訃報よりも、手に触れられるとこにいる友垣のほんの小さな幸せを気に掛け心を動かす。道端で綺麗な花を見ただとか、気に入った娘と二つ三つ言葉を交わせただとか、それこそ君にしてみればどうでも良い、小さなことを、だ。それが大抵の人間ってヤツだよ」

 

 ランサーは煙草を上着の内ポケットから煙草を取り出し、口に銜え、ライターに火を灯そうとし――途中で止めた。

 ソラウが紫煙の匂いを嫌うために工房内は禁煙であることを思い出したから。

 

「まぁ、Exception(ヤェクスェプション)――例外ってのはいるけどサ。ボク等の王様みたいに、知らないヤツの笑顔と当たり前の幸福ってヤツが大好きで堪らないって人みたいな。そういうどうしようもない感じのお人よし。でも、君、そういう感じじゃないでしょ?」

 

 吸えない煙草を手の中で遊ばせながら、ランサーは断じた。

 

「それは……」

 

 雁夜は返す言葉を見つけらなかった。

 それは自分がここまで必死になっているのは、桜のことだから――葵が大切にしているものだからという自覚があるから。

 その自覚すら実際正しい認識ではないが、それでもランサーの言葉を否定する材料が自分の中にはないことを鑑みることは出来た。

 

「……ほら、このザマだ。そんなんでボクの主に拳を向けるんじゃないよ。君も、ケイネス・エルメロイとはさほど変わらないんだよ。天才として、玉であること定められた生まれにあるか、生まれ落ちて与えられたものを捨て敢えて凡人として生きる道を選んだかの違いでしかない。人間らしい人間だ。ボクのような英雄が愛すべきものさ」

 

 魔術を憎悪し、魔術師を人ならざる外道と認識する英雄の価値観に、雁夜は怒りを滲ませる。

 それすらもそよ風のように感じているのか、ランサーは笑みを絶やさない。

 

「ランサー、そのくらいにしろ。虐めが過ぎるぞ」

「Oh(ヲー),sorry(スォールィー)。なんというか、雁夜クン、無性に弄りたくなる感じだから」

「……改めて思うが、性格悪いな。オマエ」

 

 ケイネスは頭痛に項垂れ乍ら、改めて認識する。

 関羽雲長はまさしく“万人の敵”であると。

 彼の中のランサー評はそこで揺るぎはない。加わるものはあるが――。

 

「間桐雁夜、君も隷属という立場を自覚したまえ。過ぎたことを口にするな。間桐桜の殺生与奪は私の手に委ねられていることを肝に銘じるように」

 

 嫌味たらしい口調で、ケイネスは雁夜を窘める。

 雁夜がその怒りの矛先を再びケイネスに向けようとした。

併し、

 

「尤も、君はまず安堵しても構わないのだがな」

 

 それは、続けられた言葉に因って断絶された。

 己の従者の性質を詳らかにしようとするケイネス・エルメロイの自慢のような言葉の為に。

 

「――そこのランサー、先程はああ言ったが実のところ間桐桜のことを助けたくて、助けてたくて仕方がないのだよ。義弟との約束の為か、己の情が為か、判然とせんが、な」

 

 ケイネスが嘲弄するかのように自分に微笑したのを受けて、ランサーは気恥ずかしそうに、頬を掻いた。

 

「……そういうの言わないでくんないかなぁ。人が折角キメたとこにサ」

「おっとこれは失礼」

 

 にたりとケイネスが笑ったのを見て、ランサーはぐしゃぐしゃと頭を掻き毟り、

 

「Mood(モゥド)! 煙草吸ってくる!」

 

 逃げるように工房を出た。

 


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