Fate/is inferior than Love 作:源氏物語・葵尋人・物の怪
「幾度死ぬるか……か」
山の翁は、キャスターの啖呵を繰り返した。
大言壮語の類ではない。本当に山の翁が厭というまで、殺し続ける――キャスターの言葉に嘘偽りはなかった。
故に、山の翁は答える。
「良いだろう」
鈍重そうな甲冑姿の巨躯からは想像し難い、高速での接近と共に。
「但し、心せよ。嘗試汝にも課される」
剣の一振りで以て、山の翁はキャスターに、何度も殺すと宣言した。
キャスターは剣を朱槍の石突で流し、刺突と共に言葉を返す。
「嗚呼、勿論。何度だって死んでやろう」
山の翁は大盾で迫り来る穂先を受け止める。キャスターが持つ槍は神代の海獣の骨を削り作り出したケルトの英雄が振るう槍であり、ランクBの宝具である。
併し、大盾は傷ついた様子すら見せない。この盾は銘を、“狂信天恵(ジブリール)”という。山の翁の決して砕けぬ信仰が染み付き、その結果、不破となっている。なんのことはない――元はただの盾である。
恐ろしきは、妄念を宝具化させるほどの、山の翁の信仰心である。
そもこの山の翁とは暗殺教団の開祖――詰り本質的な意味でのハサン・サッバーハその人であり、以降暗殺教団の長となりハサンを襲名した者達の審判を担ってきた人物である。暗殺という行為は神の信仰の元正しいとはいえ、人の道からは外れていることもまた道理。故に、山の翁は教団の腐敗を恐れた。腐敗とは、力の衰えであり、また己が信仰の屈曲であり――逃れ得ぬ殺害と死の運命からの逃走である。教団が腐敗した時こそ、神の名の下ですら間違いであったと証明される時であるとし、また腐敗を裁くことで歴代のハサン達が許されるようにと。
故に、山の翁はミナを――百の貌のハサンを殺そうとしている。これは憤りが故であり、慈悲が故でもあり、また神が故にである。
ならば“狂信天恵(ジブリール)”は砕けないだろう。盾の性質が山の翁の信仰心を反映している以上、天啓が生き、また山の翁がその通りに成そうとしている内は彼の内なる炎は一層燃え上がる一方なのだから。
それを察し、キャスターは盾を回避することを試みた。
「“刺し穿つ死翔の玄鳥(ゲイボルグ・トライエッジ)”!」
そう、呪いの朱槍の真名解放である。この槍には“心臓を貫く”という結果を作ってから、槍の軌道という原因を後付けする“刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)”という技が存在する。だが、これはケルト神話に輝く勇士クーフーリンにのみ許された技だ。彼に槍を授けた影の国の女王ですら、この槍は完璧に再現出来ず、双槍を用いたのだ。キャスターに完璧な再現が出来る是非は無かった。精々が心臓の辺りに命中する、といった程度が関の山である。
――ただ、衝くというだけならば。
併し、キャスターはここにアサシンを倒した秘剣“燕返し”を織り交ぜた。ほぼ同時のタイミングで、別位相から三つの斬撃を叩き付けるこれと“刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)”が合わされば、三つの心臓を狙う攻撃が山の翁に襲い掛かることになる。
「ヌゥッ……」
山の翁は同時に襲い掛かる三つの槍の軌道の内、二つを剣で、一つを盾で払おうと試みる。併し、剣は空を切り、盾は意味を成さなかった。槍が鞭のようにしなり、剣と盾を躱したのだ。心臓に命中する結果が既に存在する以上、何者もそこに介入することは出来ないのだ。
「グアッ……」
三つの槍が山の翁の胸部を貫く。伝承に曰く、肉体に突き刺さったゲイボルグは、無数の棘となり、体内で炸裂するという。山の翁の心臓は確かに貫かれた筈だった。
併し、
「オォォッ!」
山の翁は痛みに怯むことも、五体に刺さった槍を抜こうと逡巡することすらもなく、キャスターの首を薙ぎにいった。
幾許かの隙が出来る事を想定していたキャスターの首は、敢え無く断絶。だが、
「調子に乗るなよ。君が死なないなら、こっちは死ねないんだ」
頸を落されながらも、キャスターの意志も未だ折れてはいなかった。それどころか、今度は手中に“薪”を収め、
「“妄想心音(ザバーニーヤ)”って知ってる?」
と、山の翁に問い掛けた。
愚問――というより他なかった。山の翁が、いや、山の翁こそ知らない筈がない。ハサン・サッバーハの名を継いだ、歴代の暗殺教団の長は自身の肉体を改造し、自分だけの暗殺技巧を持つ。というよりも、それを持たない限りはハサン・サッバーハの名を受けることは出来ないのだ。
それらは全て“死の天使(ザバーニーヤ)”と称される。妄想心音もその内の一つだ。自身の肉体に継ぎ足した悪性の精霊の腕を用い、相手の体に触れ、疑似心臓を作り出す。疑似心臓は本物の心臓と共鳴しており、握りつぶせば本物の心臓も潰れる。
そういった技だ。
――だが、その薪と何の関係があるという?
山の翁が疑問を抱くと、キャスターは“薪”を粉々に握りつぶした。
刹那、答えは導き出された。山の翁の肉体が砕けたのだ。
「ヌアァッ……」
痛みに苦悶を上げ、山の翁は剣を落した。その隙を見て、キャスターは槍を離し、落ちた首を拾い上げ後退する。
キャスターの言葉はあくまでたとえ話であった。実際にやったことは、余程性質が悪いものである。
メレアグロス――カリュドンの猪退治で知られるギリシャの英雄である。彼は生まれて間もなく、三人の運命の女神(モイライ)から予言を受けることなる。曰く、貴き者となる、無双の勇者となる、そして炉にくべた薪が燃え尽きるまでは生き続けると。母アルタイアーの手によって薪は燃え尽きる前に炉から取り出され、以降、メレアグロスは死なずの英雄となった。彼の命を救った母親自身の手で、薪が再び炉にくべられるまでは。
先程、キャスターが握りつぶしたのは、その薪だった。メレアグロスの命と連動したこの薪は潰されれば忽ち、メレアグロスを亡き者とする。併し、それだけの力しかない。山の翁は殺せない。
だが、実際には山の翁の肉体は崩壊している。これはどういうことか。簡単だ。山の翁に、“メレアグロス”の名を付与したのである。
名前は体を表すと言い、日本神話に於いては名を新たに授けられた神が新たな力を得、また名を失った神が力を失う様子が描かれる。キャスターがやったのはこれだ。
メレアグロスの名を重ねられた山の翁は、薪を潰され致命的なダメージを負ったのである。
だが、それでも尚、山の翁の信念は折れず。自身に突き刺さったゲイボルグを無理矢理引き抜き、
「フンッ!」
キャスターに投げつけた。肉体は崩壊している筈、ゲイボルグは体内で無数の棘となり引き抜くにも想像を絶する痛みを伴う筈――だが、山の翁は肉体にかかっていた負荷が嘘であったかのように反撃を行う。
投じた槍の威力と速度は、スティンガーミサイルと同程度。
キャスターは取りあえず切断された首を、金輪の宝具で繋ぎ、別の槍を手元に呼び寄せ、ゲイボルグを叩き落す。
魔銀(ミスリル)で作られた、大盾と見紛う穂の付いた槍で。
その間にも、髑髏の騎士は剣を拾い、キャスターへと猛進する。先程受けた肉体の損傷が嘘であるかのように、速力に陰りはない。
それに対しキャスターは、
「“死がふたりを分断つまで(ブリュンヒルデ・ロマンシア)”!」
宝具の真名解放を以て応じる。
戦乙女の持つ槍は対象に抱く愛の大きさに応じ、そのサイズと重量を膨大させる。然して山の翁に振るわれる槍は、雑居ビル程度の大きさに膨れ上がっていた。
槍の穂先が翁を襲う。“狂想天恵(ジブリ―ル)”でそれを受け止める。
盾には傷一つ付かず、また直接的なダメージも負わなかったが、体重差により山の翁は五十メートルほど後方に吹き飛ばされる。
距離が開いた。それを見て、キャスターは次の攻撃に転じる。
天を埋め尽くす宝具の中から弓を一つ手繰り寄せた。引き絞れば引き絞るだけ番えた矢の威力を上げる“天穹の弓(タウロポロス)”という宝具だ。
番える矢は“死がふたりを分断つまで(ブリュンヒルデ・ロマンシア)”。重さを保ったまま、自身の魔力を以て圧縮し、矢のサイズにまで持って行く。
弦を最大まで引き絞り、肉体に強化魔術を何重にも施し、超重の矢を以て漸く再現するは、東方の大英雄が絶技。国境を築き上げた救世の一矢。
「“流星一条(ステラ)ァァァァァッ”!」
学校の運動場の土総てを裏返しながら、瓦礫を羽根の如くに巻き上げ乍ら、襲い掛かる矢の一撃。
それと同時にキャスターの肉体が崩壊を始める。矢を放つだけの力を込めた際に生じる負荷が大きすぎたのだ。だが、ここで倒れるわけにはいかないと、キャスターは崩れる体を治癒魔術で無理矢理繋ぎ止める。
だが、それだけの対価を放った一撃である。リスクが高い分リターンも大きい。放たれた一矢は、その衝撃波により宝具で取り囲んでいた学校の敷地一帯総てを呑み込んでいた。矢が直撃すれば山の翁といえど一溜りもない。おまけに、矢そのものを躱しても威力に巻き込まれる為、実質逃げ場がないのと同じだ。
山の翁の信仰が染み付いた盾であっても凌げる確率は低い。
ならば――
「“死告天使(アズライール)”!」
山の翁は受けて立つことにした。
盾と同じく自身の信仰心を以て、宝具の域まで練り上げた裁きの大剣。死を齎す彼の在り方を投影し、この剣は死そのものとなっている。
故に、この剣はあらゆるものに死を与える。
山の翁の大剣が成す斬撃の乱舞は、威力ごと、矢となった槍を一片も残さず殺した。
「……流石に目を覆いたくなるね」
必殺と思って放った一撃すら、ゆるりと片づける山の翁を見て、キャスターはそう口を吐いた。
正直、ここまでの強敵であるとは想定もしていなかったのだ。
「諦めるか。ならば、道を譲れ」
髑髏の奥の目が赤く光る。敗北とは即ち、命を掛けて守りたいものを手放すこと。山の翁はそう告げている。
ふふと、キャスターは笑った。
同時に、山の翁を三匹の巨獣が取り囲んだ。それぞれ、獅子の体と人面を持った奇怪な獣だ。それは砂漠の旅人へと試練を課す存在。王の墓を守護する神獣。恐怖の父(アブホール)とも呼ばれる伝説の獣“スフィンクス”である。
「……これが答えか」
「悪いな。こればかりは譲れないんだ」
困ったような笑みを返す、キャスターに山の翁は痛恨とばかりに頭を振った。
「無益、あまりにも無益……」
譲れない想いと譲れない信仰。それらは決して相容れぬ。ならば、このまま二人は剣を交えるのみ。
それが何合続くか、千日で終わるかは分からない。永劫続いて修羅となり果てるとも思われる。
それを思えば、無益としか言えなかった。
†
神威の戦車を末遠川の辺りまで走らせるとライダーは地上に降り立った。
長距離の移動は毒を飲んだウェイバーの体に負担を掛けると考えたからである。
ライダーは御者台に乗る他の者を見た。ウェイバーはまだ目覚めない。薫はいつものあっけらかんとした調子は何処へやら、不安に顔を曇らせている。ミナは未だ震えている。
「安心せい。此処まで来れば彼奴も追っては来まい」
ライダーは豪笑しながら、ミナに声を掛ける。だが、ミナは震えたままであった。それもその筈だ。ライダーの言葉はただの気休めなのだから。
あの髑髏の騎士が一体如何いった存在なのかは分からないがそれでも一筋縄でいかないことくらいはライダーにも理解出来た。
そもそも、山の翁が一体何処から来たのかすら分からない。若しかしたら、今自分達が立っている場所から遠く隔たる地よりミナの天命を察し、ここまで遣って来たのかもしれない。何か超常的な移動方法で以て。
だとすれば、安全な場所などどこにもないのだ。
そう思うとライダーの表情は自然と曇った。どう対処すれば良いか、策がまるで思いつかない。愈々、袋小路に詰まりかけたその時だった――
「お兄ちゃん!」
突然、震えていた筈のミナが弾んだ声を上げた。顔には希望の光が差している。そして、ライダーは次に頭痛に頭を抱え、仏頂面を見せる自分のマスターの姿を見た。
「おお! 小僧! 気が付いたか!」
ライダーは雄叫びを上げ喜びを表す。
だが、二人の歓喜をよそにウェイバーは困惑したように辺りを見回す。
「ミナ、ライダー?」
まるで何かを探しているような様子に薫は察した。
「もしかして、目が見えないの?」
ライダーはハッとし、
「そうなのか?」
とウェイバーに訊ねる。ミナも不安気な顔でウェイバーを見つめた。
するとウェイバーは苦笑する。
「イヤ、ちょっとは見えてるから。大丈夫」
そう答えたはしたが、見えていても一寸なのだろう。御者台という短い距離すらはっきりしていないのだから。
キャスターの霊薬はウェイバーの目を破壊していたのだ。
だが、ウェイバーはそれを悲観することはなかった。寧ろ、笑ってミナの頭を撫でた。
「それに、ミナがいる。僕の代わりにミナが見て伝えてくれれば良いんだ。全然問題ない」
試練を乗り越えた為か、ウェイバーは少しだけ大きく成長しているようだった。これが平時であればライダーは喜んだだろう。でも、今はそんな余裕も無かった。
そんなライダーを少し訝しみつつ、ウェイバーは自分がいる場所といなければいけない者が一人掛けていることを確認し、此処にいる三人に問い掛ける。
「キャスターは何処だ?」
と。
躊躇いつつも、三人は先程何が起こったのかをウェイバーに説明した。それを聞くと、ウェイバーの顔は義憤に燃え上がり、
「馬鹿野郎! なんで置いて来たんだよ!」
怒鳴り声を上げた。
そして、一も二もなく御者台から飛び降り、ウェイバーは走り出そうとした。併し、ウェイバーの体は大きく泳ぎ、その場に倒れた。
「畜生ッ……!」
ウェイバーの顔は血と悔しさに塗れた。
悪竜の血液に含まれる毒素は、ウェイバーから歩行機能まで奪っていたのだ。だが、それでもウェイバーは這い蹲って進もうとする。盲になり掛けているから、何処に向かっているかすら自分で分からないのに。
「止せ、小僧! 行って如何なる!」
見かねてライダーも御者台から飛び降り、もがくウェイバーを止めようとする。
「離せライダー! アイツはミナを助けてくれたんだ! なのにここで逃げていいわけないだろ!」
「余の話を聞いておらんかったか! ヤツは……」
「ビビってんのかよ」
ライダーの次を遮ってウェイバーは断じた。
「何?」
ぴくりとライダーの額が引き攣り怒りが滲む。だが、ウェイバーはそれを見ても迷わず睨み付けた。
「だってそうじゃないか! 偉そうなことばっか言ってる癖にさ! お前、そんな髑髏一人にビビってんだよ! そんなんで世界を取る? ふざけんな!」
ライダーは目を見開いた。ウェイバーは見るからに満身創痍だ。第一、ただの人間だ。にも拘らず、どうしてここまで啖呵を切れる? 山の翁を知らないから? 否、違う。恐れよりも、恩人を助けたい気持ちの方が強いからだ。
「お前みたいな役立たず、いるか! 僕一人でだって助けに行くからな!」
ライダーは苦笑した。
まさか、ウェイバーに気が付かされるとは思わなかった。征服王イスカンダルは山の翁を恐れ、尻尾を巻いて逃げたという事実に。そこから目を背けていたことに。
成程、確かに、山の翁は強大だが、世界に比すれば如何ということはない。
況して、自分は征服王。多くの勇者を友とし束ねる王だ。ならば、友を救う為に命を掛けるのも当然だ。
呵々とライダーは笑った。そして、ウェイバーの首根っこを掴み、御者台に投げた。
「痛ッ! 何すんだよ!」
「全くボロボロではないか。よくそんな様で、このイスカンダルを役立たずと言えたもんだわ」
ウェイバーが怒鳴り返そうとするとイスカンダルは御者台に跨り手綱を取った。
「ライダー?」
「行くぞ。余がおらんと、貴様何も出来んだろう?」
二ィとライダーは歯を見せつけてウェイバーの肩を抱いた。
その力強く、また暖かい大きな手で。自然と、ウェイバーの目からは涙が伝っていた。
「……馬鹿野郎。出来るならさっさとそうしろってんだ」
憎まれ口を叩くウェイバーは、けれど小さな声で続けた。
「ありがとう」
と。
「……礼なら我らの友を助けてからにしろ」
ライダーは優し気な声を返すと、神牛を走らせる。
再び闇夜に向かって。