Fate/is inferior than Love   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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第三十四話 少年少女

「これは一時しのぎに過ぎない。聖杯戦争が終われば、君たちはまた離れ離れになる」

 

 キャスターは残酷な未来を告げる。

 聖杯戦争が終わるということは、勝者が決定するか、なんらかの手段で聖杯が破壊されたり機能を停止したりするということだ。そうなってしまえば、ミナも聖杯の魔力で以て留まっているサーヴァントである以上、座へと帰ることになる。

 一応、聖杯が消えてもサーヴァントを現界させておくことも不可能ではない。だが、それには並大抵の魔術師では用意することすら不可能な膨大な魔力が必要になる。ウェイバーにそれを払うだけの資質はなかった。

 

「イヤだ」

 

 ミナはそんな別れを拒んだ。令呪を抑えその痛みに耐える精神力と、自らの死をも厭わない強さを見せた少女とは思えない程、その姿は意外なものだった。

 

「そう言うと思っていた。ウェイバー、君はどうだ?」

「……正直、もう一回同じことを体験したとして、耐えられる自信がない」

 

 その答えを予め分かっていたのか、キャスターは特に反応を示すことなく、またもミナに問う。

 

「ミナ、君は人間に……」

「ウン!」

「……速い。最後まで聞いてくれ」

「人間になりたいかってことでしょ? だから、ウン!」

 

 力強く答えるミナに、キャスターは困ったように頬を掻いた。

 それを見て、薫は腹を抱えて笑っている。

 

「ウェイバー。君は人間になったミナと一緒に居たいか?」

「人間かどうかなんて問題じゃないが、そんな奇跡があるなら」

 

 ウェイバーの中で、ミナと一緒にいられる世界への渇望は大きく膨らんでいた。聖杯に掛けるべき願いと、言ってなんらおかしくはない程に。若し、今聖杯が目の前にあったならば、屹度ウェイバーはそれを叶えていただろう。

 仮令、自分よりも余程ミナの為にやれることをやったライダーから聖杯を争うことになったとしてもだ。

 

「……僕なら叶えられるかもしれないとしたら?」

「出来るのか!」

 

 希望に顔を綻ばせるウェイバーに、キャスターは薬が入った二つの瓶を見せた。

 一つは、一見水にしか見えない透明な薬。もう一つは、禍々しい濃紫色の薬だった。

 

「“あまりある愛(ソフラーブ)”と“脳漿食む蟒蛇(エジュダハー)”という」

 

 キャスターは薬の説明をした。曰く、透明な薬“あまりある愛(ソフラーブ)”は、ペルシャが誇る英雄ロスタムが息子を蘇らせるために探し求め、手に入れたもの。だが、結局それをロスタムが息子に飲ませることはなかったという。

 

「如何して飲ませなかったんだ?」

「……それによって得られる生というのは、呪われたものだったんだ」

「如何いうことだよ?」

「この薬は“誰かを蘇らせたい”という願いを持っている人間の血を受けることで初めて完成する。でも、実際に完成した薬を飲んで蘇った人間は、その血の持ち主にその生を縛られることになるんだ」

 

 簡単に言ってしまえば、薬を飲ませてくれた人間の傍でしか生きられなくなるということだ。自分の意思で離れようとすれば、忽ちの内に死ぬことになる。そして、薬を飲ませた者が死んだ場合、蘇った者もまた死ぬという危険性も孕んでいる。

より正確に言えば、サーヴァント契約の如く、蘇った人間を魔力に因って使役するのと同義だ。畢竟、この薬はもう一度生きている姿を見たいと願うほど愛している者の自由を奪うのだ。

 自由を一切合切奪い、自分だけでその者の生を独占するということなど牢屋に獣を入れて愛でることと同じだ。そんなものは人の愛とは呼べない。

 もしそれでも、愛を語るのならば、それは愛の皮を被った狂気だ。だが、ペルシャの大英雄、無敵の勇士ロスタムはそんな狂気的な人物ではなかった。

 糸杉のような壮大な肉体を持つロスタムであったが、その愛もまた壮大だった。だから、息子を蘇らせようとは思わなかったのだ。

 

「そんな……」

「それに問題はまだある。膨大な魔力供給をどうするかという大きな問題が」

 

 ミナに人の魂を食わせるわけにはいかないだろうと嘯いて、次にキャスターは、紫色の薬を見せた。曰くこれは、“双蛇王”ザッハークの肩に寄生していた悪竜の化身たる蛇の生き血から作った魔力回路を増幅させる霊薬であるという。ザッハークに寄生した蛇は、アヴェスターに現れるアジ・ダハーカと同一視されていることは有名であるが、そのアジ・ダハーカは千の魔術を操ると言われるほど、強力な魔力を秘めている。故に、その血液より作り出した薬が魔力を増幅させる作用を持っていてもなんら不思議ではない。

 

「これを飲めば、ミナに魔力を供給してやれるってことか」

「話はそう簡単じゃない。この薬の持つ瘴気はそんな易いものじゃあないよ」

 

 悪竜の血は人間にとっては毒も同然である。飲んだら最期、痛みに苦しみ続けることになる。第一、魔力回路を作為的に増やすということは、腹腔に無理矢理臓器をもう一つねじ込んだり、足を切って二つに割いて別の箇所に取り付けたりすること同義だ。

 魔力回路前提で創られるホムンクルスは故に寿命が短くなるし、人為的に回路を増設した魔術師から人間として当たり前に備わっている能力が欠損するなどというのは魔術師にはよくある話だ。

 

「勿論生きていられる保証もない。一歩間違えれば、ウェイバー、君は死ぬ」

 

 ミナの顔が蒼白になる。自分が人間になろうとすることでウェイバーが死ぬかもしれないという可能性に、恐怖したのだ。

 

「怖いだろう、ミナ。でも、本来死んでいた者を――否、本当は存在しなかったかもしれない者を生かし続けるってのはそういうことだ」

 

 元々ミナというのは、百の貌のハサンの中に発生した人格の一つでしかない。彼女の中にある記憶らしきものも、嗜好も、ウェイバーに見せた笑顔も、蜃気楼のような曖昧なものだ。

 そんな胡乱な存在を確かなものにすることが難しくないわけがないのだ。当然、対価がいる。

 ウェイバーにとっては重すぎる対価が。

 

「どうする、ウェイバー?」

 

 自らの身を犠牲にしてまで、少女に不安定な生を与えたという咎を背負うか。自分だけはまともな体で、少女との別れを選ぶか。

 選択肢は二つに一つ。

 ミナが不安気な顔でその選択を見守る中、

 

「ごめんな」

 

 ウェイバーは選んだ。

 

「ライダー、お前の戦い、ここで終わるかもしれない」

 

 ――ミナが生きていられる可能性を。

 ウェイバーは右手の親指の皮を噛み切り、キャスターが手に持った透明の薬に、自身の血を垂らす。

 “あまりある愛(ソフラーブ)”が鮮やかな赤に染まる。

 それを見るとライダーは呵々大笑した。

 

「余はこの世界を喰らうのだ。こんなことで終わるとは思っとらんぞ?」

 

 ウェイバーが失敗するなんて考えてすらいないのだ。

 ライダーが信じてくれるということが、ウェイバーにはとても嬉しかった。

 

「本当にそれで良いのかい、ウェイバー?」

「腕が飛ぶにしても、頭が爆発するにしても、あれより辛いなんてことはないだろ」

 

 ミナとの別れが逃れ難いと思ったあの瞬間の方が、自分の身に起こることよりも余程大きい筈だ。

 キャスターの今一度の問いに答え、ウェイバーは何の迷いもなく、“脳漿食む蟒蛇(エジュダハー)”を受け取る。

 

「ミナ、君はどうする?」

 

 だが、これはウェイバーだけの決定だ。ミナが果たしてどうしたいかは分からない。

 

「……君がそこまでして生きたくないっていうなら、僕はそれでも良いんだ」

 

 だからウェイバーは自分の気持ちだけを伝える。若し、縛られた命を選びたくないならそれでも良いという思いを。

 

「そんなこと、言わないでよ」

 

 だが、ミナはウェイバーの言葉に頬を膨らませ、キャスターの手から“あまりある愛(ソフラーブ)”を引っ手繰った。

 

「君は間違いなくウェイバーの重荷になるぞ? それでも良いのかい?」

 

 キャスターは最期の警告をする。

 

「うん、ごめんなさい」

 

 ミナの意志は変わらなかった。ウェイバーに対して、ぺこりと頭を下げるミナは振る舞いこそ幼いがそこには断固たるものがある。

 その選択を、キャスターは哄笑と共に讃える。

 

「素敵だ、子供達よ。君たちの選択、このキャスターが覚えておく」

 

 そして、試練の旅へと少年少女を促すのもまたキャスターの声だ。

 

「往って来い、少年!」

 

 最後にウェイバーとミナは約束を交わす。また起きたら、頭を撫でて貰いたいと少女が言って、少年がそれに答える、そんな分かり易い約束を。

ウェイバーとミナは、それが結ばれたのをお互いの笑顔で以て確認し、手に持った薬を一気に飲み干した。

 

 †

 

 ウェイバー・ベルベットは小一時間絶叫を繰り返した後、疲れ果て、眠った。死んではいない。だが、寝息は荒く、そして一体彼の肉体にどんな爪痕が残ったものかも、彼を見守る四人には分からない。

 

「……でも、学校で一晩を過ごすことになるなんて思わなかった」

 

 ライダーが脱いだマントを枕にするウェイバーの寝顔を見ながら、薫はそこだけに不満を漏らしつつ煙草を吹かす。

 

「成り行きに任せてしまったからね」

「手負いの小僧を戦車に乗せるわけにもいかんからなぁ」

 

 サーヴァント二人の意見に、仕方ないかと薫は諦める事にする。このままウェイバーを一人きりで寝かせておくわけにもいかない。他のサーヴァントに狙われる可能性もあるのだ。

 ……それにしても、何も薫まで起きている必要はないのだが、そこは彼女の意地のようなものだ。

 だが、暇と言えば暇であるのも事実だった。

 思い立ったが吉日、薫はウェイバーの目覚めを今か今かと待つミナを揶揄い倒して遊ぶことにする。

 

「ねぇ、ミナ」

 

 と、話しかけようとした時だった。薫はミナの異変に気が付く。

 震えていたのだ。耳を塞ぐようにして。

 

「……どうしたの、ミナ」

「イヤッ……聞こえる……」

 

 それだけでは、漠としていた為、薫はもう一度訊ねる。

 

「一体何が聞こえるの?」

 

 すると、ミナは答えた。

 

「鐘の……音が……」

 

 と――。

 


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