Fate/is inferior than Love   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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第三十三話 玉兎之詩

「は、ははは……」

 

 自然と、ウェイバーの口からは乾いた笑声が漏れていた。

 この事態にあって、最早笑うことしかウェイバーには出来なくなっていた。

 

「やめろよ、ミナ。冗談にしたって、そういうの、笑えないぞ?」

 

 ふらふらと、力の抜けた足取りでウェイバーはミナに近付く。

 

「ダメッ!」

 

 ミナの叫びと同時に、ライダーはウェイバーの肩を掴み無理矢理彼の足を止める。

 そこからさらに一瞬の後に、何かが砕ける音がした。

 ウェイバーは音に驚き、発生源を目撃し、さらに言葉を失う。ミナが振り下ろした細腕に因って、コンクリートの床に亀裂が走っていたのだ。

 とてもただの童女に出来る芸当ではない。否、人間業ですらない。

 

「ホント……なのか」

 

 如何取り繕った所で、人外の所業と言うより他なかった。

 

「ホントにサーヴァントなのかよ!」

 

 認めざるを得なかった。

 ウェイバー一人くらいならば容易に撲殺出来る程の腕力。何より、一度見たら忘れない髑髏の仮面と黒いローブ。ミナがアサシンのサーヴァントの一人であると。

 

「そうだ、あの娘はアサシンだ」

 

 驚くほど冷淡な声でライダーは答えた。

 

「知ってたのか」

 

 ウェイバーの非難するような目に、ライダーは顔を曇らせる。

 

「アレクを責めてはいけないよ、ウェイバー」

 

 ライダーと同じく、真実を知っていたキャスターが口をはさんだ。

 

「彼は君の気持ちを汲んだまでだ。その行動自体、何も間違ってはない」

「でも……」

「知っていたらどうにかなったとでも?」

 

 キャスターはウェイバーの言葉を遮り、ミナを指差す。

 

「何も知らないただの女の子という役割を与えられたあの子を、本当に何も知らないただの女の子に出来る方法があったっていうのか? 無い! 残念ながらそんな方法、僕の中にも無い!」

 

 魔術師として極限域にあるキャスターであっても不可能なことがある。そして、若しその不可能の先にあるものをウェイバーが望み、絶望することになるのだとしたら。

 最初から知らない方が幸せだろう。

 顔を悔し気に歪ませながら、ウェイバーは言い返そうとする。だが、言葉は見つからなかった。

 サーヴァントにすら無理であるのに、一体自分に何が出来るという。今まで自分の中で、認められなかった事実。目を背け続けた自分の“非才”。

 ウェイバー・ベルベットは全く以て無力な人間なのだ。だから、何も出来ない。

 何も……。

 

「クソウッ……!」

 

 ウェイバーは力無く項垂れ、泣いた。

 涙が止めどなく溢れ、もう、顔を上げる事すら出来ない。ミナを直視することも……。 

 

「泣かナ……イで、おに……チャ……」

 

 だが、そんなウェイバーを、ミナは責める事はなかった。

 

「私、お兄ちゃんに……あたま、なでてもら……エて、うれしかった……」

「ミナ……」

 

 消え入るような、不安定に揺れる声で、ミナはウェイバーにそう伝える。

 屹度、明るい笑顔を見せてくれいるのだろうと、すらウェイバーには思われ、それが逆に彼の心を深く抉る。

 顔を、上げられなかった。

 

「お姉ちゃん……まーぼー、おいしかったよ……また、たべたかった……」

 

 薫は自分に向けられたミナの言葉に、ただ押し黙った。

 ミナを見つめる瞳には、憐憫の色が見える。

 

「ちい、兄ちゃん……すごろく、たのしかった……よ……」

「うん、有難う」

 

 キャスターは感謝の言葉を返した。

 最期には誠意を以て応えたいと思ったのだ。

 

「おじちゃん……おわかれの、じかんをくれて……ありが……」

 

 ライダーへの感謝を伝えようとしたその時だった。

 

「ウアァァァァッ!」

 

 またも、ミナが月を仰いで咆哮を上げた。

 自らの腕を抑えるように肩を抱き、その場に無理くり蹲る。

 

「苦しそう」

 

 宛ら、狂戦士の暴走にも見える様が、薫には痛みに苦しんでいる様にしか見えなかった。

 

「……令呪に耐えてるんだ。ウェイバーを、いや、この場にいる誰も傷つけたくないから」

 

 先の襲撃に当り、アサシンは綺礼から令呪を以ての命を受けていた。

その内容は、『総員、玉砕せよ』。対魔力を持たないアサシンは、令呪に逆らえない。それは、ミナも例外ではなかった。

 それでも、ミナは耐えた。それだけに誰も傷つけたくないという思いが強かったのだ。だが、対魔力無しでの令呪への抵抗など虚しいばかりだ。

 出来たことと言えば、令呪に拠る指令の遂行を先送りにすること。然も、それに払った対価は多大であった。殺戮に切り替わろうとする思考を無理矢理抑え込もうとしたことにより、ミナの脳は焼け、それでも無意識に戦闘行動に移ろうとする体を押し留めた為に、全身に激痛が走っていた。

 

「お……ねが……イ……ワタ……し……けし……て……」

 

 だが、それにすらも限界が来ていた。アサシンの姿への変貌もそれが理由だ。貯めた分の負荷が一気に噴き出したのだ。

 令呪の内容は、具体的であればあるほど、より短期的な命令であればあるほど、その強制力は大きくなるが、この場合はその際たる例だろう。こうなってしまえば、最早、アサシンが死ななければ終わらない。

 いや、或いは終わるまで耐えきったとしても、アサシンは死ぬ。加えて、ミナの小さな体を焼く激痛は、“自害”という選択肢を頭から消すほどに苛烈になっている。

 

「……すまなかった。余の勝手で、お前を苦しませてしまった」

 

 雄大な英雄には似つかわしくなく、悲し気に顔を歪め謝したライダーに対し、ミナは首を横に振った。

 それが何を意味しているか、ウェイバーは理解してしまった。

 アサシンが包囲を始めた時、ミナはウェイバーのすぐ傍にいた。殺生与奪を握っていたということだ。だのに、実際にそうしなかったミナを見て、ライダーは察したのだ。だから、王の軍勢で、他のアサシン共々殺そうとはしなかった。

 あまりにも短い時間とはいえ、同じ時を笑いあった友に、別れを告げる機会を与えようとしたのだ。

 愛剣を抜き、涙に堪えるように打ち震え乍ら、ミナへと歩み寄るライダーの背中がウェイバーにはいつもよりも大きく見えた。

 

「クソウ……こんなのあんまりだ……」

 

 だが、それでも、ウェイバーには受け入れられなかった。

 

「またみんなと遊ぼうって言ったじゃないか……なのに、なんで……どうして……」

 

 言葉が続かなかった。

 楽しかったのは、ミナだけではない。ウェイバーも、一緒にいて楽しかったのだ。頭を撫でた時に見せた笑顔を見られたことがとても嬉しかったのだ。

 ――また遊ぼうは、心からの約束だったのだ。

 子供のように泣きじゃくるウェイバーに、ミナは微笑んだ。

 

「私が人間だったら良かったのにね」

 

 突き放すような、悔やむような、それでいて在り得ない可能性だった。

 ミナは、百の貌のハサンの中に生まれた人格の一つというだけのだから。

 ――限界が来た。最期の言葉を紡いだ為に、遂にミナは殺人兵器に変貌する。襤褸切れのように摩耗した体が戦闘態勢に入った。

 それを見るや否や、ライダーは剣を振り下ろす。ミナの動きは緩慢だった。刃を躱すことなど不可能だ。首が切断される。

 瞬間、ウェイバーは固く目を閉じた。サーヴァントは死んでも亡骸が残るわけではない。ただ消えるだけだ。だが、一瞬、きっと無惨な死に様が残る。それを思うとウェイバーには耐え難いものがあったのだ。

 キィィィイン――……。

 なんだか異様に硬い音だと、場違いなことを考えながらウェイバーは恐る恐ると、目を開けた。

 だが、目に映る光景は意外に過ぎるものだった。

 

「何をする、キャスター」

 

 ライダーの剣をキャスターのアゾット剣が阻んでいたのだ。

 

「こうする」

 

 左手一本でライダーの思い斬撃を受け止めるキャスターは、そう告げると、もう片手に別の短刀を持ち、ミナへと突き立てた。

 悲鳴も上げず、ミナはその場に崩れ落ちる。

 

「こうしないといけない。然う、思ったんだ……」

 

 誰に告げるでもなく、そう呟くキャスターの目には涙が流れていた。

 赤い、涙が。それは血だった。時折、聖母や聖人の石像に現れるという血の涙であった。

 

「分からん。キャスター、何故お前が止めを刺す必要があった?」

 

 意味不明の独白をライダーはそのように受け取り、キャスターに問いただす。その問い掛けにキャスターは首を横に振った。

 

「違う、そうじゃない」

 

 キャスターはそう答えると、右手に浮かんだ赤い痣を見せた。

 

「令呪……だと!?」

「ああ、アサシンとマスターとの間に成立していた契約を破棄して、僕に移し替えた」

 

 驚愕するライダーに、キャスターはあっさりと答え、ミナを突き刺した短刀を見せる。

 

「“破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)”。あらゆる契約を破棄する宝具だ。さっき思い出した」

 

 説明と共に、アゾット剣と件の宝具が光の粒となって霧散する。

 成程、そのような効果の宝具ならば奇跡のような理不尽もまかり通るとライダーは納得した。

 

「如何してそれ、最初から使わなかったの?」

 

 だが、疑問は残る。薫が言うように、この場面を打開するのに最適な宝具を持っていたにも関わらず、どうして出し渋ったのか。

 

「こればかりは仕方ないんだ。本当に、ついさっき思い出したんだから」

 

 その答えに薫は首を傾げる。

 

「……どっかの誰かが雑な召喚をしてくれたお蔭でね、重篤な記憶障害に陥っていたみたいでね。使える宝具の三分の二くらいを忘れてたんだ」

 

 笑顔で自分を非難してくるキャスターに、薫はなんだか馬鹿にされたような気持ちになり、頭に血が上るのを感じた。

 

「……記憶障害なんて聞いてないんだけど」

 

 薫は、自分を苛めてくるキャスターに蔑むような口調で精一杯の抵抗を試みる。

 

「それは、ごめん。でも、教えられる筈がなかったんだ」

 

 苦笑交じりに、頭を下げるキャスターに、

 

「なんで?」

 

 と薫は理由を質す。

 

「記憶障害にあったことすら、今まで忘れてたんだよ」

「ああ、成程」

 

 認知症患者が、自分の認知症に気が付けないと同じことだ。そして、そういった人物に異常を気が付かせる為には、その人物の尋常を知る第三者の指摘がいる。だが、この場合にあっては、キャスターの詳細を知る第三者など居ないから、何が正常であるか分からない。

 詰り、今まで誰もが彼を正常だと思い込み、自分自身でさえもその認識だったということだ。

 

「で、丁度良く、記憶が回復したと」

「完全じゃないけどね。まだ三割くらい欠落してる」

「そうなの?」

「うん、然もその欠落の中には、どうも僕の本当の真名もあるっぽい」

 

 自分の名を忘れていたという衝撃の事実を突きつけられたにも関わらず、薫は驚かなかった。

 寧ろ、キャスターが自分に対して嘘を吐いていたわけではないということが分かり、安心した。

 詰りキャスターは今まで自分のことを、本当にサンジェルマン伯爵だと思い込んでいたのだ。

 

「ああ、もう! ここまで出かかってるんだけど!」

 

 自分の喉を指しながら、キャスターは苛立ちを露わにした。それが、少し子供っぽく映り、薫は微笑ましく思った。

 

「じゃあ、これからは君のことを“自分のことをサンジェルマンだと思い込んでいた精神異常者”と呼ぼう」

「罵倒にしても酷いよね、それ」

 

 ふざけ始めるキャスターと薫をウェイバーは呆然と見つめた。

 一体何がなんだか分からない。キャスターがアサシンのマスターとなった。アサシンとは即ち、ミナのことである。それが意味することは詰り……。

 

「うぅっ……」

 

 童女の唸り声がウェイバーの耳に届く。

 

「あれ? 私、どうして?」

 

 ウェイバーがそこを見ると、ミナが起き上がり、うつらうつらとしながら辺りを見回していた。

 髑髏の仮面も、黒いローブも消え、ウェイバーが知っている彼女の姿に戻っていた。

 

「ミナ!」

 

 堪らず、ウェイバーはミナに抱き付く。

 

「きゃっ! お、お兄ちゃん!」

「良かった……良かったよ……」

 

 慌てふためくミナをよそに、ウェイバーはただただ泣いた。

 何処かに怪我をしている様子もなく、痛みを感じているわけでもない。

 薫と戯れている間にも、キャスターが治癒魔術をミナに施していたのだろう。

 

「ありがとう、キャスター」

 

 このまま感激のあまりにミナを抱きしめ続けていたい気持ちを如何にか抑え、ウェイバーはまず恩人に感謝の言葉を伝える。

 

「いや、感謝にはまだ早いよ」

 

 すると、キャスターは頭を振った。

 


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