Fate/is inferior than Love   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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第三十二話 少女地獄

 遠坂邸の地下工房――仮に若しこの瞬間此処に立ち寄った者がいたならば、まず、空間を満たす上品な芳香に気が付くことになっただろう。

 それは、時臣の手中に在るティーカップから齎されていた。

 湯気を上げるその中身は、紅茶であった。優雅を重んじる時臣は茶を嗜む。今日の茶は、インド直輸入の新芽取りの“アッサム”である。

 

『すべてのアサシンが集結しました。これより、総攻撃に移ります』

「フム……」

 

 魔導通信機から齎される綺礼の報告を聞きながら、時臣はその甘味を堪能する。

 この一時こそ、まさに優雅である。

 未だ安寧に深山町の邸宅に引き籠る時臣が、綺礼からライダーとキャスターの陣営が同盟を組んでいることを聞いたのはつい先ほど。

 これを聞いた時臣は内心で少しばかり焦りを覚えた。

 目下、彼が警戒を抱いていたのがこの二騎であったからだ。

 未だ交戦らしい交戦の形跡が見られず力の底が見えないライダーと、漸く正体が知れたばかりで詳細が一切不明のキャスターは手の内が知れない不気味な存在だ。

 ライダーに“神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)”以外に何か切り札となるものがあるのか。キャスターの戦闘方法はどんなものなのか。

 分からない以上、必勝法を立てられる筈がないのだ。

 他の三騎については有効な策を立てられていた。

 バーサーカーは楽であった。消耗ぶりが悲惨であるからマスターの枯渇を待つだけだ。わざわざ出向いて戦うまでもない。

 セイバーは真名が割れている上、頼みの綱である聖剣をランサーの宝具によって封じられている。ギルガメッシュの敵ではないし、他のサーヴァントからの襲撃での敗退も考えられる。

 ランサーについても、セイバーとの戦いであっさり真名を明かすというミスを冒している為、付け入る隙がある。その上、切り札である宝具を一つ開帳した上、対城宝具というもう一つの切り札の存在を匂わせている。畢竟、底はもうとっくに見せているわけだ。

 ――で、あるならば、アサシンをキャスターとライダーに差し向け、切り札を出さざるを得ない状況にまで追い込むべきだ、というのが時臣の考えであった。況して、ライダーのマスターは魔術師としては三流、キャスターのマスターに至っては全くの素人という始末だ。あわよくば、そのまま倒してしまえるかもしれない。

 加えて、綺礼からの進言もあった。曰く、ライダーとキャスターの同盟は何を思ったのか街に繰り出し遊興に耽り出したという。襲撃をする絶好の機会であった。

 

「だが、綺礼。本当に良かったのか?」

『何が……ですか?』

「薫という少女のことだ」

 

 ただ一つ、時臣には懸念があった。

 綺礼に迷いを生じさせ、心を塞がせた少女こそ、キャスターのマスターである。此度の襲撃の為に少女が命を落とすかもしれない。

 そうなった時、今度こそ綺礼は戦えなくなってしまうのではないかと。

 

『それならば、御心配には及びません。少女をよく見ている内に、しかと理解致しました。妻と、あの女は、全くの別物なのだと』

「そうか、ということは」

『はい。あの女を殺すのに、最早躊躇いはありません。……この手に掛けても構わないと思うほどに』

 

 それを聞き、時臣は大いに喜んだ。

 確かにアサシンというカードは失われるが、それ以上に頼りとなる弟子が本領を取り戻したことに。

 その喜びが大きかったからだろう。時臣は、ある事実に気が付いていなかった。

 

 †

 

「ここまで間抜けだと、逆に、面白味が見えてくるな!」

 

 通信機越しに繰り広げられる二人の会話を聞きながら、ギルガメッシュは大笑し、グラスを傾けた。

 よもや、姿が見えない自身のサーヴァントが、自分の弟子の元にいるなどとは思ってもみないだろう。精々何処かで遊んでいるくらいだと思うのが、時臣には関の山だ。

 それがまず間抜けの第一点。

 尤も、ギルガメッシュは宝物庫の中身の一つである“認識阻害能力を持ったヴェール”を使っている為に、見つかる筈もない故に、仕方ないとは言えるが。

 

「併し、綺礼。よくもまぁ、そこまで嘘が出てくるものよな」

 

 そして、間抜けの第二点。

 時臣が三年という長い時間を共にした弟子の心の内を、時臣はまるで見ることが出来ていない。

 アサシンを差し向ける提案をした綺礼がギルガメッシュの口車に乗せられている事には気が付いていない。単純な、自分や父に対する義に因って動いていると信じ切っているのだ。

 ギルガメッシュからすれば笑わずにはいられなかった。

 

「……いや、真実はあったか。貴様は、あの道化の隣にいる女を手に掛けたいと思っているのだからな」

 

 通信機に向かう、綺礼からの返答はなかった。

 沈黙を肯定と受け取り、ギルガメッシュは微笑を零す。

 

「どうして女に惹かれた? 妻の面影からか? 貴様の期待を裏切った男とは違い、今度こそ期待に答えられると感じたからか?」

 

 ギルガメッシュの問い掛けを無視しながらも、内心で綺礼は辟易としていた。

 何処までこの傲慢なる王は己の内を見透かすのか、と。英雄王の問いは両方とも正解であった。

 妻が死んだとき――自分の手で殺せたならば良かったと思った。若し、仮にそれが叶えられたとして、屹度言峰綺礼の真実は、その躯の中に在ると感じたのだ。

 そして、あの女こそ自分と同類である筈だった。同じく答えなど知らないのかもしれない。だが、客観的な観測から見えてくるものに、綺礼は期待していた。

 だが、綺礼はその胸の内をギルガメッシュに教えるつもりはなかった。そこまでギルガメッシュを信用してはいないのだ。

 

「……フン。まぁ、良い」

 

 ギルガメッシュは鼻を鳴らし、直ぐに別の所に興味を向けた。

 綺礼やキャスターのマスターもギルガメッシュにとってすれば興味深い人間であったが、それが如何でも良いと思える関心事が傍にあった。

 ギルガメッシュは自らの手の中にある鏡を覗いた。ともすれば、古代の遺跡からの出土品にも見えるそれは、併し、宝物庫のコレクションの一つである。

 その中には、黄金の王の自身の姿――ではなく、キャスターの姿が映っていた。この宝物の持つ力とは、所有者が見たいものを見せるというただそれだけの力。

 だが、ギルガメッシュにはその力が今はどんな宝物よりも重要であった。道化が目を覚ますその時がいち早く分かるのだ。

 

「さぁ、我を待たせるな。早く目覚めろ。我を、笑わせろ……!」

 

 爛々と輝く、炎のような紅い双眸が、嘗め回す様に、鏡の中の少年を見つめていた。

 

 †

 

 ウェイバーは恐々として辺りを見渡した。

 巨躯、矮躯、老人、子供、女――様々な輪郭を象った影絵のような髑髏の仮面が無数に自分達を取り囲んでいる。

 異様なまでの殺気を放ちながら。

 それに怯えているのだろうか。ミナは自分の肩を抱き、震えながら泣いていた。

 

「なんて数だ……」

 

 ウェイバーもこの数には驚嘆を感じざるを得なかった。

 

「……これは困った。死ぬかもしれない」

 

 一方で、薫はぼうっとしたような無表情のまま、自らの置かれた状況をそのように言い表しつつ、煙草を捨て踏み消した。

 泰然とした一般人の少女の振る舞いが甚だウェイバーの目には異常に映ったが――今はそれを論じる気にはなれなかった。

 実際、薫が言い表した通りの状況に陥っているのが明白だったからだ。

 

「……如何見る、キャスター」

 

 仏頂面で問い掛けるライダーに、キャスターはアサシン達を見渡し、そっと目を閉じた。

 

「令呪で、強制されて動いているね」

「ということは……」

「君の想像通りのことが起こる」

 

 告げる、キャスターの声は悲し気で、それを聞くライダーはギリと大きく音が鳴る程歯噛みした。

 

「詰まらん企てをしてくれたな……」

 

 ライダーの声色には、静かな怒りが滲んでいた。

 その怒りに呼応するかのように、旋風が吹き荒れた。打ち付けた鉄の様に熱い、砂漠を征く風が。

 薫は不意に、目に違和感を覚え、擦った。原因となっていたのは砂だった。突然、巻き起こった風が砂塵を運んできたのだ。

 

「この大地に死ぬが良い」

 

 熱風の中心に立つライダーはアサシンの断罪を宣告する。

 渺――……風が嘶き、ライダーの肩にはマントが翻っていた。その姿は戦支度に変わっていた。

 

「集え――“王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)”!!」

 

 遂に疾風は、括目を許さない程に膨れ上がり――そして、暫く経ち、ウェイバーが目を開けると、世界が変じていた。

 

「あれ?」

 

 間抜けにも聞こえる声を薫は漏らしていた。それも当然だった。

 目を開けた場所が、今まで自分達が立っていた夜の学校ではなかったのだから。

 燃え盛る太陽。蒼穹の下には、赤い砂の大地。そこは、見渡す限りの広大な砂漠であった。その世界の変貌に伴い、ライダー達とアサシンの位置関係すら変わっていた。

 数に任せ包囲していたアサシンは一ヵ所に固められ、ライダーと距離を隔て相対する位置へ。ウェイバー達はライダーの背を見るような位置へ。

 

「固有結界……!」

 

 魔術のなんたるかを知るウェイバーは驚愕した。

 これは魔術師の到達点の一つ。心象風景を具象化する大禁呪である。

 

「ん? 何か来る?」

 

 砂塵に霞む地平線の向こう側から聞こえてくる足音に薫は耳を傾けた。

 ――行軍だ。薫はそう思った。

 足音の数は十や百ではなかった。万を超える、軍勢。見る見るうちに、勇壮な具足に身を包んだ屈強な戦士達がライダーの周りに集う。

 

「サーヴァントだ……コイツら、全員サーヴァントだ!」

 

 ウェイバーはマスターに与えられるサーヴァントの能力を評価する透視能力に因りそれを見抜く。

 そして、イスカンダルの切り札、最大宝具の正体を。

 

「サーヴァントがサーヴァントを……召喚できるのか……」

 

 流石の薫も、驚愕を禁じえなかった。

 サーヴァントは一体だけでも、軟肌を撫でただけで人間を殺せるような強大な存在だ。それが凡そ数万。

 

「征服王イスカンダルと共に大地を疾走した勇者達が共有する心象風景。その理は、生前の軍団の召喚」

 

 キャスターは淡々と告げる。

 そこで、薫は気が付く。ライダーの部下の中には、単独でも十分に強い英霊がいるということに。

 “独眼”のアンチゴノス一世。その息子の“攻城者”デメトリオス一世。“救済王(ソテル)”と謳われたプトレマイオス。“勝利王(ニカトール)”という名で神格を持つセレウコス……単独でも強力だと推定される英霊が山のようにいるのだ。

 然も、軍勢の中には飾馬に跨った、特に際立った意匠の鎧を纏った者がいる事から、それらの英霊がいることを察するのは、薫にも容易なことであった。

 畢竟、彼女が何を言いたいかといえば――

 

「死んだな」

 

 これから、アサシンが酷死するという事実に他ならない。

 ライダーの傍に、騎手のいない馬が近寄った。凄まじい巨躯を誇る、逞しい黒い馬が。その額には角が生えていた。

 

「征くぞ、相棒」

 

 ライダーがそう告げ、駿馬に跨る。これこそ、人食いの伝説さえ残る英霊馬。イスカンダルの相棒、ブケファラスである。

 この馬に乗った者は、世界を支配するという。

 それが嘘か真実か果たして分かったものではないが、今この瞬間、アサシンの命くらいはいともたやすく支配できることは誰であっても簡単に察することが出来た。

 百の貌のハサンは、最早勝利を諦めた。それによって取った行動は、個体によって様々だった。逃げ惑う者がいた。自棄を起こし特攻を掛ける者もいた。また、ただ茫然と立ち尽くす者がいた。

 

「蹂躙せよ!」

 

 だが、ライダーの中に、そんな彼等に掛けるべき慈悲はなかった。躊躇いなくライダーは号令を下す。

 

『AAAALaLaLaieッ!』

 

 軍勢はそれに応じ、鬨の声を上げた。豪風とも見紛う進軍。

 アサシンの命は――風の前の塵に同じ。

 一合もかからず、跡形もなく消え去った。

 

『オオオォォォォォォォォッ!!』

 

 いつの間にか、王に呼び出された勇者達が勝鬨を上げているこの様はともすれば、喜劇である。

 そして、役目を終えると、英霊たちはふたたび幽世の彼方へと返っていく。 

 すると、景色が学校の屋上に戻っていく。固有結界は、呼び出された英霊の魔力の総和で以て保っていたのだろうと、ウェイバーは推測した。

 目の前には、先程の何も変わらない光景が広がっていた。そう思った所で、ウェイバーはハッと気が付いた。

 

「ミナがいない」

 

 自分の傍にいた筈のミナがいなくなっていることに。

――そういえば、ライダーの宝具が発動した時にはいなかったような……。

ふと思い返しながら、薫も辺りを見渡した。

 

「あっ、いた」

 

 すんなりと、ミナは見つかった。転落防止の為の柵の傍に立っていたのだ。

 

「ミナ」

 

 ほっと胸を撫で下ろし、ウェイバーはミナの傍に行こうとした。

 だが――

 

「きちゃだめ!」

 

 ミナが突然叫び、ウェイバーは足を止めた。

 ぞくりと、ウェイバーの背筋が粟立った。

 ミナを、もう一度よく見た。震えている。顔を伏せ、息も洗い。体中から滝のような汗が流れている。しかも、それが赤く染まっていた。

 ――血汗現象?

 

「イィッ……」

 

 不意にそんな言葉が、薫の中に湧いた瞬間だった。

 

「イヤァァァァアアアアアァッ!」

 

 絶叫、空を仰ぎ、この小さい体のどこからこの声が出てくるのかと、そんな疑問が浮かぶほど、ミナは叫び、そして哭いた。

 涙が、文字通り滝の如くに溢れる。然も、それが、白い。まるで、人骨のような――。

 この場にいる全員がそう錯覚した瞬間だった。

 涙がミナの顔を覆い、髑髏を象り、張り付いた。そして、その身を、黒いローブが覆う。

 

「ミナ……」

 

 ウェイバーは茫然と、彼女の名を呼ぶ。

 何が起こっているのか、状況が分からない。否、認めたくない。

 

「逃ゲテ……オ……にイ……チャん……」

 

 さっきまで自分の近くで笑っていたただの少女が、アサシンにしか見えないという厳然とした事実を。

 


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