Fate/is inferior than Love   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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第三十一話 胡蝶之夢

「良い買い物をしたようだね、アレク」

 

 ライダーの顔が満面の喜色に染まっているのを、キャスターは見て取った。

 うむと、満足気に大きく頷くと、早速ライダーは戦利品を見せびらかした。

 

「これぞ、我らが選んだ逸品! 見ろ! 『アドミラブルⅣ』! 我が胸を高鳴らせる名作よ!」

 

 自信満々なライダーにウェイバーは、呆れたように溜息をつく。

 

「お前、名作かどうかはやってみないと分からないだろ」

「何を言うか、坊主。貴様も“面白そうだ”とはしゃいでいたではないか」

「うっ……」

 

 途端にウェイバーは顔を赤らめた。

 はしゃぐという行動が、子供っぽく感じられたから。

 実際、キャスターと薫は小さな笑い声を上げた。

 

「笑うなよ!」

「ごめん、ごめん」

 

 剥きになるウェイバーを、あしらいながら、薫はウェイバーの隣にいるミナに目を向ける。

 ウェイバーの手をギュッと握っていた。店の中で逸れないように、ウェイバーが手を引いていたのだろうと、薫は推察した。

 

「……ミナもこれがやりたかったの?」

「おい、話を逸らすな」

 

 ウェイバーの批判を無視し、薫はミナに問い掛ける。

 ゲームのパッケージのイラストとタイトルからして現代戦をモチーフにしたシミュレーションと考えるのが妥当な代物である。薫のイメージ的には、ミナのような幼い少女が好みそうなジャンルではない。

 だが、ライダーはソフトの選択が全員の指示によるものであると語った。

 そこから、或いはミナがウェイバーへの無意識な内からの好意によって同調したとも取れる。

 故に、薫はからかいたくなったのだ。

 

「あ、う、うん……」

 

 ミナは薫からあからさまに目を逸らした。

 明らかに嘘をついているが故の所作である。それを思って薫は、とても楽しくなった。

 関わる人間こそ少ないが、薫は人を揶揄うことが好きだ。特に、人の性事情や、男女の機微に纏わるあれこれは特に好きな題材である。

 はっきりといってしまえば、薫は性悪なのである。だが、そんな彼女であろうと流石に小さな子供にまで己の悪性を発揮しようとはしない。

 にも関わらず、実際にやってしまったのは――誰かに手を引かれるミナが、なんだかとても羨ましくなってしまったから。

 

「そうか、そうか。ミナは、ウェイバーお兄ちゃんと致したいか」

「え!? いた……!? って、なに?」

「クックックッ! 恍けちゃって。とーっても楽しいことに決まってるじゃん」

 

 薫が浮かべる淫靡な笑みに、ミナは顔を赤らめる。

 ――楽しくなってきた。

 薫が、そう思った時であった。

 

「いい加減にしなよ」

 

 雷が落ちたかのような乾いた音と共に、薫の頭がずれた。

 

「痛っ!」

 

 キャスターがどこからともなくハリセンを取り出し、薫の頭を叩いたのだ。

 

「何するんだよぉ……」

「それはこっちの台詞だよ。何、ミナに猥談ふっかけてんだよ」

「いや、私的にはゲームの対戦プレイのことを言ってたんだけど」

「言葉の言い回しがアレ過ぎるんだよ、君は」

 

 薫の言葉を意識して、ミナはウェイバーから手を離し、薫から距離を取るようにライダーの足に隠れた。

 

「嫌われたな、カオル」

 

 出会ってから向こう、ずっと薫に振り回されているウェイバーはすかさず攻勢に出た。

 ここまで、ずっとやりこめられ続けていたから、自分が優位に立ちたいという欲が出たのだ。

 

「ムヌゥ……好感度が高いからって調子に乗るなよ、ロリコン」

「誰がロリコンだ!」

 

 怒髪冠を衝くと言わんばかりの勢いで薫に向かっていくウェイバーを見て、ライダーは、はぁと、深い溜息を吐き、顔を覆った。

 

「よせ、小僧」

「離せ、ライダー! コイツは一遍分からせないと駄目だ!」

 

 ライダーに首根っこを掴まれ、ウェイバーはじたばたと暴れる。

 

「小娘の言葉に一々目くじら立てるな。アレは、お前が反応すればするほど調子に乗るぞ」

「だけど!」

 

 と、ウェイバーが文句の次を続けようとしたその時だった。

 グゥー……――。

 あまりにも大きな腹の虫の鳴く音が響いた。

 その主は、ウェイバーであった。

 

「大きな音だね」

 

 くすくすとせせら笑いながら、薫は同意を求めるように、キャスターを見つめた。

 

「そうだね」

 

 キャスターは同意しつつ、懐から鎖でローブに繋がれた銀時計を取り出す。

 そして、外の景色を見た。

 自動ドアの硝子から差し込む光は茜色であり、今が夕方であることを語っていた。

 

「……少し早いけど、晩ご飯の時間かもね」

 

 マッケンジー宅で昼食を食べてから相当な時間が経過していた。

 

「じゃあ、そうしようか」

 

 薫の提案を全員が肯定した。

 

「うん、なら私のオススメのお店に行こうか。ウェイバーとミナへのお詫びも込めて、私のおごりということで」

 

 薫が誠意を見せた為に、ウェイバーは取りあえずこの場は許すことにした。

 併し、いざ薫が進めた店に着き、出てきた品物を見て、ウェイバーはその考えを改める。

 ――地獄という概念を仮に、色で表すとしたら、屹度こんな色になるのだろう。

 出てきた食べ物が紅蓮に染まっているのを見て、ウェイバーはそう思った。唐辛子とラー油を何世紀もの間煮込んだ異常なまでに赤い肉味噌の中に、白い豆腐が映える。ただ、皿を除いているだけで、目と鼻が焼けるように痛い。

 故に、ウェイバーは口に運ぶ前から察した。この料理は辛いと。

 ふと、隣に座るミナの表情を見た。自分と同じように、地獄のような四川料理に相対しているはずなのに、輝かんばかりの笑顔であった。

 若しかしたら、自分の感受性に問題があるのかと、ウェイバーは疑う。

 だが、ふとライダーとキャスターの顔を覗くと、引き攣っていた為に、自分の感覚は、極々自然のものだと認識した。

 

「さぁ、これが私のオススメ。今日は私のおごりだ。心ゆくまで楽しみたまえ」

「楽しめるか!」

 

 早速、自分にも並べられた同じく地獄のような食べ物を蓮華で一掬いした薫に、ウェイバーは怒鳴らざるを得なかった。

 

「いや、ホント聞きたいんだけど! コレ、なんだよ!?」

 

 ウェイバーは、岩漿と見紛う皿の中身を指差し、薫に質す。

 

「ああ、ウェイバーはイギリス人だから知らないか。これは麻婆豆腐といってね……」

「んな、こたぁ分かるわ! だから、僕が知ってる麻婆豆腐に似てんだけど、何かが違うんだよ! 決定的に何かが!」

「まぁ、それは料理人によって作り方は千差万別だから。君が知ってる中華料理屋さんにはその店のやり方が、“泰山”さんには“泰山”さんのやり方というものが、ね?」

 

 そう説き伏せられたが、ウェイバーとしては釈然としないものがあった。

 確かに同じ料理でも店ごとに製法が違うのは当然だ。併し、それを加味した上でも、薫がお気に入りだという“泰山”の麻婆豆腐は明らかにおかしかった。

 まず以て麻婆豆腐から人に食べて貰おうという気配が伝わってこない。逆に、麻婆豆腐の方が人を喰らおうとしている気配すら感ぜられる。

 

「うーん! うまうま!」

 

 何より異常なのは、この麻婆豆腐を食しているというのに、薫が死にもしない所か、幸せそうな顔をしている点であろう。

 ライダーとキャスターは唖然とした顔で、震え竦み上がっていた。

 歴史に名を刻んだ英霊が揃いも揃って、この場からどうやって逃げ出すかのみを考えていた。

 

「わぁ、これ美味しい!」

 

 だが、無情――戦慄する一堂に、更なる戦慄が待ち受けていた。ミナが明らかに危険と分かる麻婆豆腐を食した挙句に、上手いと宣い出したのだ。

 ウェイバーは流石に耳を疑った。ともすれば、殺意にすら満ち満ちている麻婆豆腐だ。

 ――否、若しかしたら美味いんじゃないか?

 そんな発想すら自分の中に浮かび、ウェイバーはハッとする。場を満たす混沌とした雰囲気に、呑まれかけ、状況に流されようとしていることに気が付いた。

 自分の中に生まれた危険な思考をなんとか打ち消し、何か別の料理をオーダーし直そおうと、ウェイバーが薫に提案した時だった。

 

「お兄ちゃん、あーん」

 

 ミナがレンゲを一掬いしウェイバーの口元に差し出してきたのだ。

 

「うっ……」

 

 ウェイバーは顔を歪ませた。

 ミナには悪意があるわけではない。ただ、ウェイバーにも美味しいものをはやく食べて欲しいという、純粋な思いがあるだけだ。

 その証拠に、ミナの笑顔には一点の邪気もない。

 だが、逆にそれがウェイバーに断るという手段を奪わせた。この笑顔を踏み躙るわけにはいかない。

 

「食べないの、お兄ちゃん?」

「くっ……!?」

 

 中々ウェイバーが食べない為に、ミナの表情は曇り、声の音調は目に見えて沈んでいた。

これで退路は完璧に絶たれてしまった――ウェイバーは観念し、そして覚悟を決める。

 

「クソォ!」

 

 腹の底から声を張り上げ、差し出された地獄の欠片にウェイバー・ベルベッドはかぶりついた。

 

「わぁ、美味しいなぁ!」

「やったぁ!」

 

 ウェイバーは、やけくそ気味に笑いながら嘘を吐いた。

 美味しいというのは嘘だ。否、分からないと言った方が適切か。ウェイバーの舌は、痛覚しか受容していなかったのだ。

 故に、味の感想など言えるわけがないのだ。

 

「はい、お兄ちゃん、あーん」

「あ、あーん」

 

 一口目を食べたことで、ウェイバーの中で決定的な何かが壊れた。二口目をすんなりと受け入れてしまったのだ。

 瞬間、剣山をまるごと呑み込んだかのような凄まじい痛みがウェイバーの舌に走り、体を火が付いたかのような熱が呑んだ。

 客観的に見れば、自分が童女に食べ物を食べさせて貰っている危険人物だ――という認識すら今のウェイバーには困難であった。

 

「サンジェルマン……」

「アレク……」

 

 ライダーとキャスターは互いに顔を見合わせた。ウェイバーの行動が、二人をおかしな方向に駆り立てたのだ。

 逃げてはならない。ここで逃げれば男が廃る。

 ――食(や)るしかない……ッ!

 

「彼方にこそ栄え在り(ト・フィロティモ)!」

「いと高き所に栄光在れ(グローリア・イン・エクセルシスデオ)!」

 

 二人はいざ、炎獄(ムスペルヘイム)の扉に手を掛けた。

 

 †

 

「美味しかったね、お兄ちゃん」

「ソウデスネー」

 

 ライダーの肩の上から満面の笑みと共に向けられたミナの言葉に、その隣を歩くウェイバーは脱力しきった声を返した。

 否、脱力しているのは声だけではなく体そのものか。兎に角、麻婆豆腐に総てを持って行かれ、傍から見れば廃人のように映る程ウェイバーは疲弊していた。

 他の二人も同じだった。ミナを肩車するライダーは、げっそりとした顔をし、その巨躯が二回りほど小さく見える。

 キャスターも、足取りがふらつき今にも倒れそうだった。

 

「三人とも、何かあったの?」

「何かあったからこうなってるんだよ」

 

 三人の声は揃っていた。

 泰山の麻婆豆腐はそれほどに三人を破壊していた。

 ウェイバー曰く、“麻婆豆腐が原因で聖杯戦争に敗退していたかもしれない”。

 ライダー曰く、“これは食事ではない、征服だ。この赤い麻婆とやらはこの征服王からなにもかも略奪する気なのだ”。

 キャスター曰く、“ケイローンがヒュドラの毒矢を食らった時、死のうと思った理由がよく分かった”。

 泰山の麻婆豆腐はとても食べ物と呼べた代物ではなかったのだ。

 

「……甘い物でも食べたい気分だ」

「あ、僕もそれ思った」

「余も同じく」

 

 衝撃的な辛さは、三人の頭から“聖杯戦争”という単語を奪う。

 そして、

 

「じゃあ、私が知ってるクレープ屋さんに行ってみる?」

 

 薫が思いつきでそんな提案をして、

 

「ミナ、あまいの大好き!」

 

 ミナがそれに乗るという形で、一堂は一気に遊ぶ方向へと流れていった。

 最初に、薫の行きつけだというクレープの屋台に行った。クリームの甘さが殺人級の麻婆豆腐に苦しめられた三人の心を癒し、またミナがとても楽しそうだったから、三人もまた楽しくなった。薫が選んだ山椒がかかった山葵クリームのクレープについては皆、引き笑いをするだけだったが。

そして、近くにゲームセンターがあるからとそこに向かうことになり――その途中で、ミナが立ち止まった。

 一体何かと、ウェイバーが思うと、どうやらぬいぐるみの専門店のショーウィンドウに飾られた大きな熊のぬいぐるみに心を奪われたようだった。ウェイバーが、ミナに見たいか訊ねると、気恥ずかしそうに頷くから、みんなでぬいぐるみを見ることになった。ぬいぐるみが最も似つかわしくないライダーの存在もあって、他の客や店員の視線に苦しめられることになるが、それでも楽しい時間だった。

 ミナがウェイバーにせがんだ大きな熊のぬいぐるみは聖杯戦争中の軍資金に大打撃を与えることにもなったが、ミナの感謝の言葉を聞いたら、帰りの旅行費くらいなくなってもなんとかなるだろうという希望が湧いてきた。

 そして、時間はあっという間に過ぎて――冬木の街に夜の帳が降りてきた。

 

「……で、なんで僕達、お前の学校にいるんだよ?」

 

 ウェイバーは途中で買った缶ジュースを啜りながら、愚痴る。

 五人がいたのは、薫の学校――然も屋上だった。

 

「夜の学校ってドキドキしない?」

 

 黒檀の風変わりな見た目の煙草を吹かしながら、薫は答えた。

 ウェイバーは、薫の意見に同意出来ない。

 そもそもウェイバーは薫やライダーのような、意味不明な行動力のある人間というのは接していて疲れるから好きではない。

 

「私は、楽しかったよ」

 

 けれど、ミナはそう言って笑った。

 

「みんなと一緒に遊べてホントに楽しかったよ」

 

 ウェイバーからのプレゼントをぎゅっと抱きしめ、心から、笑った。

 

「また、みんなと遊びたいな」

 

 何処か、その言葉は寂し気で――このまま、ミナが消えてしまいそうな不安に駆られて、

 

「うん、遊ぼう」

 

 ウェイバーはミナの頭を撫でた。

 

「ライダーとキャスターは分かんないけど……僕と薫なら、また遊んでやれるからさ」

 

 ウェイバーは薫に同意を求めるように笑みを投げた。

 すると、薫は深く紫煙を吐いて、

 

「そうだね」

 

 と気だるそうに答えた。

 

「それにライダーだって……」

 

 世界征服を目指すからこっちに残っていてくれるかもしれない――然う期待して自分のサーヴァントの顔に目を遣ると、ウェイバーは表情の変化に気が付いた。

 沈んでいる。磊落な余裕に満ちたいつもの顔がない。

 物悲し気な、最もこの男に似合わない感情が現れていた。

 

「ライダー……?」

 

 どうしたんだよ、と聞こうとしたその時だった。

 ミナが抱きかかえていたぬいぐるみを落し――瞬間、二騎のサーヴァントの表情が引き締まった。僅かに遅れ、ウェイバーも周囲の気配の変化に気が付く。異様なまでの殺意が辺りに充満している。

 ウェイバーは辺りを見る。

 すると、そこには、月夜に浮かび上がる、青白い髑髏が一つ――。

 そして、最初の一つを確認してすぐに二つ、三つ――。

 漆黒のローブに身を包んだ奇怪な集団が、五人を取り囲むように、フェンスや貯水タンクの上に立っていたのだ。 

 


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