Fate/is inferior than Love   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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第三十話 人間失格

 頭に掛る重さと、目を開けているのに一寸先も見えない状況に対する疑問から、薫は自分が読みかけの“グイン・サーガー”をアイマスク代わりに、眠っていたことに漸く気が付いた。

 そうして本を外し、最初に目に映ったのは、トレーディングカードが並んだ棚であった。

 見渡せば、漫画やテレビゲームのソフトが並んだ棚もあり、会計カウンターの向こう側では、数人の店員が忙しなく働いている。

 薫はその情報から自分がいる場所を把握する。此処は、冬木新都に居を置く、市内で最も大きなゲームの販売店であると。

 

「アレ?」

 

 ――自分がいた場所はエルサレム市街の、“ゴルゴタの丘”に続く街道の只中ではなかったか?

 薫は、何故だかそのような疑問を抱いた。

 一体、自分は如何して此処にいるのか。寝起きで忘とした頭で考える。

 

「確か、ウェイバーがライダーやミナと協力して私のメガテンを勝手にクリアしたところまでは覚えてる」

 

 手繰り寄せた記憶は、時間にすると相当な前のことであった。

 キャスターが気まぐれで持ち込んだゲームはライダーとミナを大いに熱狂させた。

 最初テレビゲームに興味を持っていなかったウェイバーも実際やってみると大いに楽しみ、またゲームの全体への興味を深めた。

 そして、もっと別のゲームもやってみたいと思った三人が聖杯戦争という状況を忘れて、テレビゲームを買い求めに街に繰り出すのは、筋が通ると言えば筋が通る帰結である。

 他の魔術師が聞けば卒倒しかねない事態であるが。

――そういえば、ウェイバーも大分棘がなくなって来たな。ミナのお蔭だろうか。

そんなことを考えた所で、薫は他の四人にゲームを選ばせに行っている間、自分は本を読みながら待つことにしたことを思い出す。

 

「キャスターの……夢?」

 

 そして、思い至るのは先程見た夢の内容。

 薫は、興味本位で死体を暴き、偶々偶然儀式をしたことでマスターとなった神秘とは無縁の部外者である。故に、聖杯戦争の諸々の詳細についてはキャスターが齎した情報しかない。そして、キャスターの話の中には、“マスターとなった者が契約しているサーヴァントの過去を夢として垣間見る”という内容のものはなかった。

 にも関わらず――薫がそんな発想に至ったのは、“そうだったら、嬉しい”と思ったからだろう。

 ――何故、“嬉しい”と思うのかは、その理由については自分ですら定かではない。

 薫は腕を組み熟考に入ろうとして――乳房が邪魔になって組み辛いことに気が付き、胸の“前”ではなく“下”で組んだ。

 その姿勢故に、客や店員の男性の厭らしい視線が集中するが、そんなものはあっという間に感覚の外側へと追いやられた。

 それよりも彼女の関心は夢の内容にあった。

 サンジェルマンを、故郷にある同名の店に掛けて“パン屋”さんと称した薫ではあるが、その名が示す英霊についての知識くらいはある。

 傍から見れば意外と言わざる得ないのであろうが、薫は読書家であり知識量そのものは多く、学業成績自体は優秀であった。それ以外の、“危機感”だとか“一般常識”について問題が多すぎる為に、阿呆のように映るというだけなのである。

 そして、その知識で手繰るのは、サンジェルマンに付随する伝説の数々。

 薫はそこからはじき出した結論は、キャスターの真名がサンジェルマンだというのは、“嘘”であるということ。

 一応、『死ねずの君と』呼ばれた伯爵の伝説には、彼の聖人に纏わる物も存在する。イスカリオテの裏切りに因る悲惨とも言える末路を予言したというものだ。

 だが、薫が夢で見たあの場面は予言とは到底言えないものだった。

 敢えてあの場面に名を付けるならば“別離”。或いは“決意”か。

 併し乍ら、アレクサンドロス大王が病弱な矮躯ではなかったように、アーサー王が少女であったように、記録や言い伝えが真実を語っているとは限らない。あの夢は、歴史が知らないサンジェルマンのみに分かる真実であるという可能性もなくはないのである。

 だがそれを加味した上で、薫はキャスターがサンジェルマンでない可能性を捨てられなかった。

 ――夢の光景に既知感を覚えたから。何か、以前読んだ本の中であれと似た光景が描かれていたようなそんな気がした。

 

「なんだっけか……確か芥川龍之介の……」

 

 真実に漸く到達しようとしたその時だった。

 

「リュウノスケが、どうかしたの?」

 

 不意に声を掛けられた為、薫はベンチから飛び上りかねないほど背筋をびくりと震わせた。

 

「吃驚したな、キャスター。驚かせないでよ」

「君が勝手に驚いたんだろう」

 

 言葉で表すほどの感情が全く籠っていない無表情を、薫は声のした方向に向ける。

 噂に影とはこのことか、目下疑惑の対象であるキャスターが自分のすぐ隣に立っていた。

 

「他の三人は?」

「まだゲームを選んでるよ。予算は多くないから、これはと思う物を選びたいんだって」

 

 

 

「それで、リュウノスケがどうしたんだい?」

「あ、いや。そういえば、君を召喚した時にいた男の名前も龍之介だったなぁ、と」

「はぁ……」

 

 キャスターは怪訝な顔つきで薫を見つめた。

 こういった時の薫は嘘が病的なまでに下手であった。

 

「あ、そういえば、芥川龍之介の本名ってなんだっけ?」

 

 明らかに不自然な話題逸らしをする始末である。

 キャスターは、呆れた様な溜息を漏らす。

 

「あのね、リュウノスケのアレはペンネームじゃないよ。本名だ」

「あれ? そうだったけ?」

「綺麗な名前だから作り物っぽい感じするけどね」

 

 そんなことを語りながら、キャスターは薫の隣に腰かける。

 

「というか、貴方は芥川龍之介とも会ったことがあるの?」

「あるよ。序でに言えば、自殺の本当の理由も知ってるよ」

「マジか」

「マジだよ」

 

 薫は興味深げに耳を傾けた。

 言わずと知れた日本文学に於ける巨匠、芥川龍之介。その最期が“バビルトン”を用いた服毒自殺であるのは有名であるが、自殺の真相には謎がある。

 『僕の将来に対する唯ぼんやりした不安』と遺書には残っていた。時代の激動と、中国旅行中に患った病が彼の神経をすり減らした末に、とは言われている。

 だが、それだけで片付けられない何かがあったのだろうと、薫は偉大な作家の死にそのような思いを抱いていた。

 

「それで、一体どんな理由だったの?」

「ああ、何のことはないよ。リュウノスケはね、人間に飽きたんだ」

「どういう事?」

 

 “ぼんやりとした不安”以上に、ぼんやりとした理由である。

 

「そのまんまの意味だよ。自分としてやれること――まぁ、創作のことなんだけど――をやり続けるのにも、ただ気が向くままに楽しみを求めることにも、嫌気が差したんだ。病気のこともあったしね。その苦しみに耐えるだけの意味を見出せなかったんだ」

「……じゃあ、『ぼんやりした不安』は?」

「『そう書くとなんかミステリアスでカッコいいだろ?』」

「えっ?」

「って、リュウノスケは言ってた」

 

 実際に死んでいることを考えるとそうも言えないかもしれないが、薫が抱いていた芥川龍之介のイメージを崩す、存外に愉快な人物像だった。

 ただ、残された友や彼の読者の気持ちは一切合切踏み躙られているだろうが。

 

「……キャスターは、彼が死んだとき如何思った?」

 

 夢の中で人間が好きだと語った少年なら屹度悲しんだのではないのかと思いながら、薫はキャスターに訊ねた。

 

「……リュウノスケが決めたことだ。死ぬときは嬉々としていたけど、まぁ、あれはあれなりに葛藤もあったんだろうから。それに僕が一々言葉を挟むもんじゃないよ。第一、死ねないヤツが人の生き死にについて語るってのはどうなんだよ」

 

 どちらを語るにせよ、自分の言葉はあまりにも軽すぎる。キャスターはそう言いたげであった。

 それを感じて、薫は寂しさのようなものを感じた。

 

「もし、私が同じように命を絶ったら……」

 

その哀愁めいたものが薫を駆り立てる。

 

「同じように言うの?」

 

何が寂しいのかも自分で分からないにも関わらず、聞かなければならないような強迫観念にすら襲われて。

 キャスターは困ったような笑みを浮かべ、

 

「君は、死のうとしたことがあるの? それともこれから死のうとしてるの?」

 

 と、薫に訊ねた。

 

「私は……」

 

 薫はぼうっと、遠くを見つめた。

 そこでは、伝票整理や商品の仕分けといった作業を、こなす店員たちの姿があった。生き生きとした、或いは抜け殻の如き人の営みの一端がここにも確かにある。

 

「分からない」

「どういうこと?」

「死にたいと、考えたこともないけど……生きていたいと思ったこともない」

 

 キャスターはそれを聞いて押し黙った。

 思春期の青少年・少女にありがちな夢見がちな感覚、肥大化する自意識の発露――の類ではない。

 そういった類のものであったどんなに良かっただろうとさえ薫自身思うほどに深刻なのだ。第一、薫は幼少の時からこんな調子であった。

 何がそうさせたのかは、薫にも分からない。ただ何となく、生まれた時から患っているよく分からない五感の一部と脳の障害の所為だとは推理している。

 具体的にどんな障害を持っているかは、薫自身よく分からない――そこに触れると、彼女の両親は半狂乱になったものだから。

 そういった境涯の為に、薫は――他人から見て“おかしなひと”として見られて生きてきた。家族も含め、関わる人が殆どいないから自分の問題に気が付ける筈もなかった。実際、ある時分から読書という趣味を得、人間というものがなんとなく分かるようにあって、どこと具体的に言えるわけではないが、自分がずれた人間であるという認識に至った程である。

 最近、遂に両親から完全に縁を切られ、家賃と学費の支払いという差し迫った問題とに直面したことと、もっと人間というものを観察したいという個人的興味から、薫は春を鬻ぎ始めたが、そこでも自分のずれを一層浮き彫りにさせた。

 

「生きてる実感が薄いってこと?」

 

 キャスターが言っている言葉に、薫は、

 

「そうかもしれない」

 

 と同意した。

 人間観察の一環で、自分の体を売り、乙女であることを捨てる人間ならば、“ただの変わり者”くらいで済んだだろう。

 だが、客として取った、雨生龍之介が自分を殺そうとした時に感じたのが、恐怖ではなかったというのはどう考えても一般的な思考ではないだろう。

 感じたのは羨ましさであった。自分を殺そうとした雨生龍之介は、とても生き生きとして、人間らしさに溢れていたと言えた。

 そして、丁度タイミング悪く、体質である貧血が起こり気を失って――次に目を開けた時に感じたのは、後味の悪さだった。より人間らしい人間が死に、より非人間的な人間のような何かが生き残ることに対する申し訳なさと言っても良い。

 尤も、それも次の瞬間には記憶の奥に追いやられ、今の今まで思い出せなかったわけだが。

 

「そっか」

 

 だが、キャスターはそんな薫の思いを知ってか、知らずか微笑んだ。

 見守るように。

 

「こんな僕に言わせて貰えることがあるならだけど。そういうよく分からないって気持ちの儘なら死なない方が良いよ。そういう死に方は、“死ぬべきだと思って死ぬ”ことだから。絶対君は幸せになれない」

「幸せになれる自殺ってあるの?」

 

 キャスターの意見は、薫にしてみれば思いがけないものであった。

 巷には、自分で自分の人生を終わらせるのは愚かであって、絶対に幸せになれないとされていることだから。

 だが、キャスターは自身を持ってあると答えた。

 

「死にたいと思って死んだ時、人はその瞬間だけは幸せなんだ。それこそ、リュウノスケみたいにね。それは心が真実求めた願いでもあるんだから。でも“死ぬべき”っていうのは理性の範疇だ。選択肢を奪われて、或いは自分で狭めてそうなった袋小路のようなものだ」

「――嗚呼、なるほど」

 

 それは嫌だ、と薫は思った。

 何より窮屈そうである。そして、自分は今どうやらその窮屈な場所に陥りそうになっているらしい。

 

「有難う」

「僕は大したことは言ってないよ」

「ううん、良いことを言ったから、とか、そういうわけで言ったんじゃないんだ」

 

 ――生まれて初めて、誰かに気にかけて貰ったから。

 思えば、最初からキャスターはそうであった。死体を漁り、死体を絵具にして儀式をしたと言ったのならば、屹度薫が今まで出会った人間の総てが、人非人を見る目で彼女を見ただろう。だが、キャスターはそんなことも気にせずついて来てくれた。

 ならば――もうキャスターが自分の正体を隠していることなど小さなことだと薫は思い始めてすらいた。

 キャスターはキャスターだ。サンジェルマンだろうと、別の誰かだろうとそれは変わらない。

 では一体何故、正体に固執したのだろうか?

直ぐに応えは出た。それは彼を少しでも知りたかったからだと。

 だが、それでもそこまでに至った思いは自分の中で解せないものがあった。

 では、その疑問の答えは? と、思ったその時――

 

「買って来たぞい!」

 

 公共な場には明らかに場違いな、大声が響き、薫の思考は中断された。

 ゲームの小袋を提げたライダーが、ウェイバーとミナと共に目の前に立っていたのだ。

 




 芥川龍之介が出てきましたが、正直、キャスターの真名に纏わる大ヒントだったりします。
 ちなみに芥川の一人称は、多分“僕(やつがれ)”です。

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