Fate/is inferior than Love   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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第二十九話 酩酊道化

「格別というほどではないが、中々の逸品が揃っている……数は少ないがな」

「……何のつもりだ」

 

 テーブルにずらりと並べられた酒の数々に対してアーチャーが述べた讃辞を綺礼は突っ撥ねた。

 無断の来客にいくらコレクションを褒められた所で、“無礼”以外の感想を抱くことが出来ようか。

 この部屋にある酒の数々は綺礼が購入した物である。

 尤も、酒仙というわけではなく、また左党というわけでもない。寧ろ、そうなれれば、そうなることこそ綺礼の目的であるといえた。

 己を痛めつけるような修行を繰り返す綺礼を、人は聖職者の鑑と持て囃したが、真実はそうではない。情熱的と言われる綺礼の内には実際には何も無かった。

 そもそも人が厳しい鍛錬に臨むのは“こうしたい”だとか“こうありたい”といった目的があるからだ。だが、綺礼の場合は逆であった。目的を求める為に、道を進んできた。

 否、実のところ綺礼は目的以前に自分が何者なのかが分からないという致命的な問題を抱えている。

 ある日、ふと気が付いた時からだ。自分の感じ方が、周囲の人々と乖離していることに気が付いたのは。

 美しいと言われた絵画を美しいと思えない。

 家族の親愛が暖かいと言われても実感出来ない。

 父が歩み、また自分が歩んでいる信仰の道すら真に前向きな姿勢にはなりきれないでいた。

 自分が何者か解りたいから目的を求め、目的を求める為に鍛錬に明け暮れる。本末転倒な道程の積み重ねこそが言峰綺礼である。

 件のコレクションにしろその一端、神父の身でありながら魔術という異端を修めたのも星の数ほどある徒労の一つに過ぎない。

 

「アーチャー、これが貴様の逸楽の一環だと言うなら今すぐここを立ち去って貰おうか。私は忙しい」

 

 併し乍ら、そのような綺礼であっても、勝手極まる来客の接待にはどう考えても価値はないと判断し退室を命じる。

 仕事をするに当たって、酔人に騒がれては集中するものも集中できない。問題はそれ以外にも存在する。

 アーチャーの服装だ。綺礼は時臣から、この自儘なサーヴァントが実体化し遊び歩いていると聞き及んでいた。勿論、黄金の鎧を纏ったまま現代社会を謳歌するなどという馬鹿な行動に流石のアーチャーも移る筈もなく、現代風の装いをしているわけであるが、そのチョイスは綺礼の目から見ても疑問が残るものであった。

 ファーをあしらった白のレザージャケットはどういうわけか丈が胸の位置までしかなく、その下に着た異様なまでの密着度を見せつける黒いシャツも大きく腹部を露出させるデザインである。下半身に目を遣ればそこにあるのはやたらと股間が強調される黒いエナメルのハーフパンツ。更に、ロングブーツまで合わせられてはその惨状たるや凄まじいものがある。

 要するに、こういった奇天烈な服装の人物が近くにいるということが、精神衛生上あまり宜しくないと感じたわけである。

 

「ほざけよ、雑種。貴様には用があったからこうして出向いて来てやったのだ。有難く思えよ」

 

 だが、アーチャーは断固として退出を拒否した。

 然も、自分の方に用事があるのにも関わらず、まるで下手に出る気がないらしい。

 綺礼は怒りを通り越して、呆れと共に嘆息する。

 

「ならば早く要件を言え」

「ああ、その前に一つ。此処の酒、幾つか持っていくぞ」

「何?」

 

 聞き間違いか、或いは冗談か。

 綺礼は疑ったが、その是非を質すよりも先にアーチャーは酒瓶を次々と歪んだ次元の中へとしまい始める。

 王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)――自身の宝具たる宝物庫の中へ。

 綺礼は言葉を失った。

 

「天上の美酒などと大それたものではないが――遊戯に対する駄賃程度にはなろう。道化への土産に丁度良い」

「その道化とやらが何者かは知らないが――酒くらい自分で用意したらどうだ?」

 

 綺礼の非難に、アーチャーは当惑したような表情を浮かべる。

 

「我(オレ)が欲しいと言い、そうして我の手に収まった。これを用意と言わずなんと言う?」

 

 極一般的に言えばこれを窃盗というが、このアーチャーは恐らくそういった感覚ではないのだろう。

 彼にしてみれば、これは“徴税”だとか“搾取”だとかそういった言葉になるに違いない。

 全世界を我(オレ)であるというなんら根拠にならない根拠を元に自分の物と認識している。

 それはこの男が英雄王ギルガメッシュであるが故に。

 一般常識で諭すという手段は元よりアーチャーには通じない。言葉が通じない以上、綺礼は酒瓶の返却を諦めるより他なかった。

 尤も、惜しい物でもない。深淵を明かり無く彷徨うような虚しい探求の痕跡に、愛着などないのだから。

 

「所で貴様の要求にも、その道化というのは関わっているのか?」

 

 それ以上に、綺礼にはギルガメッシュが齎した道化の方に興味を惹かれた。

それは、袋小路に至った自己の探求に何か変革があるかと思ったからか、或いは本人としてはあまり乗り気になれない任を師から預かった故の鬱屈からか。

 ――否、若しくは落胆の本当の原因になったある裏切りからか。

 綺礼はただ頼まれた、いち早く令呪を得ていたというだけで聖杯戦争に臨んだわけではない。

 彼は己の内に己を見出せないから、他に己を見出そうとした。遠坂時臣が事前に危険人物と断じた人物に興味があったからだ。

 衛宮切嗣――魔術師殺しとして、聖堂教会内でも魔術協会内でも悪名高い人物。事前に遠坂が魔術協会のコネクションを利用して手に入れたその遍歴に綺礼は惹かれていた。

 金の為ならなんでもやると残酷で信念のない殺し屋という時臣の評価とは乖離するその行動に綺礼は興味を抱いた。

 魔術師との闘争や、各地の紛争地帯への介入に際するスパンの短さに、綺礼は何処か破滅的な強迫観念を感じ、衛宮切嗣という人物が自分と同類である可能性を見出した。

 空(から)の心を満たすように苛烈なまでの試練を課し、“自分”が何かを見出したのではあるまいかと。

 だが、その期待は裏切られた。

 冬木新都で爆破騒ぎがあったあの日、運よく邂逅した衛宮切嗣。綺礼は嬉々として問いただした。

 だが、衛宮切嗣は綺礼が期待するような人物ではなかった。

 虚無だと思われた衛宮切嗣には願いがあった。その内容こそ分からなかったが願いはあった。

 それは、自分と同類ではないという証左。綺礼は落胆した。期待した分だけその衝撃は大きく、ふさぎ込むだけの理由となった。

 故に、であろうか。綺礼は屹度、アーチャーが見出した道化という人物に縋ったのだ。

 

「その通りだ」

 

 包み隠さず答える王に、綺礼は更に問う。

 

「……その道化というのは何者だ。この聖杯戦争に関係があるのか」

「あるとも。何せ、最後に残った魔術師の階梯に奴は居座っているのだからな」

 

 その言葉で綺礼は得心する。

 

「サンジェルマン伯爵か。伝承に因れば、彼は古代バビロニアの景色を実際に見たかの如く語ったというが……そうか、貴様とも顔を合わせていたか」

 

 だが、綺礼の回答を、アーチャーは笑い飛ばした。

 教会の一室という狭い空間に乱反射する膨大な笑声だった。

 

「ああ、その何とやらという魔術師を戯れに語っているのだったな。如何やら、周りを欺いた結果、自分をも欺いてしまっているようだが」

 

 聞き捨てならない言葉であった。

 このアーチャーは今、何と言ったのか。キャスターの真名がサンジェルマンではないと語らなかったか。

 

「貴様は、キャスターの真名を知っているのか?」

「知っているとも。他ならぬ我だけの道化だ」

 

 親愛の情にも似た熱の籠った言葉の後に、アーチャーはその名を告げた。

 

「な……に……」

 

 その名は、綺礼にとって衝撃的な名であった。

 

「なんだ、綺礼。貴様も知っているのか」

 

 アーチャーは意外そうに口を半開いたが、綺礼こそ知っていて当然の名であった。

ただアーチャーが告げたその名が正しく真名なのかは不明だ。何故なら、その英霊――反英霊と言った方が良いかもしれない存在を示す名は幾通りにも及ぶ。

 だが、不自然な点もある。何故それが古代ウルクにいるのか。その存在が成り立つ前提条件すら整っていない時代である。

 ギルガメッシュと知己となる人物としてはサンジェルマン以上に在り得ない。

 

「……それで私はかの罪人に何をすればいい」

 

 だのに、綺礼が信じることにしたのは、アーチャーの言葉は壮言でありこそすれ彼の名を呟いた時の顔つきが真剣そのものであったからなのか。

 それとも、自分の性が、彼の信仰する教義に於いては邪悪ともされる存在に惹かれるように出来ているのか。

 兎も角彼は、楽園の蛇にも似た甘言に乗ることにした。

 蛇を厭う王は、けれどいやらしく釣り上げた笑みは蛇に似ていた。

 

「罪人ではなく道化だが……まぁ、良い。アサシンをヤツに差し出せ」

「差し出せ……というのは?」

「わざわざ言わせるか?」

 

 意地の悪い笑みに込められたアーチャーの意図を、綺礼は察した。

アサシンをキャスターに向けて総動員させ玉砕させろと言うのだ。

 

「それでは私がサーヴァントを失うことになる。そうするメリットがない。それにアサシンを使い潰すか否かの判断は時臣師に委ねられている」

「フン、よく言う。あのような面白味のない男に奉仕することに価値など見出していない癖に」

 

 見抜かれている、何もかも。

 ただ無秩序なようにも思われるアーチャーは、その実目ざとい。

 綺礼はそれを理解する。

 更にアーチャーは追及する。

 

「それとも、貴様が聖杯に懸ける願いとやらが惜しいか」

 

 総てを分かった上でこの男は言っている。

 誤魔化しは通じない。故に綺礼は包み隠さず話す。

 

「私に、願いなどない。導師を欺き、恙なくアサシンも動員出来よう。だが、貴様が熱を注ぐ場所に何があるという、ギルガメッシュ」

「愉悦」

 

 ギルガメッシュは断ずる。

 

「当然だ。道化とはその在り方だけで人を愉悦へと導く者。ならば、叩いた所で出てくるものと言えばそれしかあるまい」

 

 その回答は、マスターである遠坂時臣を何よりも馬鹿にしたものであった。

 一次的な享楽など成し遂げるべき大義を持つ人物にとっては道に転がった小石と同義だ。

 価値は無く、また時折足を掬う邪魔でしかない。

 そんなものの為に台無しになる優雅なる遠坂家の満願成就の春を思い――綺礼は得も言われぬ胸の高鳴りを覚えた。

 

「愉悦……そんなことで得られるものなのか?」

「何だ、貴様は。愉悦も分からないか」

 

 綺礼は押し黙った。

 自分が分からない以上、自分が何を求めた時に心が動くかすら分からない。それは、愉悦も同様であった。

 ――ただ、手立てだけはあるのだが。それは妻との暮らしという過去の中に。

 妻となった女は生まれて間もなく免疫系と全身の色素に異常を持ち、病を抱え込みやすくその為に出会ったその時点で余命幾許もない。

 綺礼が他者とずれを持っていることを理解してくれた女であった。愛し、また綺礼もそれに答え子供も設けた。

 楽しい暮らしであった。だが、綺礼は女を愛していなかった。

 ――家庭の楽しさというのは両者の中に愛が成立することに因る。これはどう考えても異常であった。

 併し、その異常を認識できているのに、それが何かまでは分からない。

 愛に正しく愛を返せず、またここまで自分が分からないことへの絶望。このような胡乱な存在は生まれてはならなかったと認識するのはある意味当然であった。

 それでも今日まで生きているのは――綺礼が自ら命を絶つより先に女が命を絶ったから。

 その死に感じるものが悲しみではなく、正体不明の悔恨であったから。

 命を懸けられたのだ。それならば、報いるのが当然だ。その報いとは即ち――言峰綺礼という形を解する以外に他は無い。

 それが正しいのかは分からないが、綺礼はそう思っている。

 

「アサシンを捧げる事の意味は?」

 

 その為にまずは己の愉悦の形から。

 人間を愉悦に導くという道化とやらに、果たして自分の愉悦もあるのかは甚だ疑問ではあったが。

 

「酔い覚ましだ」

「酔い覚まし?」

「……今のアレはサン何某と言う名の酩酊で以て、己の道化という形すら思い出せずにいる。髪を引っ掴み、頬を叩くくらいの衝撃は欲しいだろう」

 

 ギルガメッシュは深い嘆息を漏らす。

 

「全く困った奴よ。持て余した退屈を漸く凌げると思いきやこのように、王を煩わせるとは」

 

 実際動くことになるのは、綺礼であるというのに、アーチャーはしたり顔であった。

 

「……自分で出向けば良いのではないのか?」

「ほざけよ、雑種。己も分からぬ愚物に我が動かされて良い筈がなかろう」

 

 我儘にも程があると思ったが綺礼はその言葉を胸の内に呑み込んだ。

 それに最早、アサシンなど惜しくもない。

 

「了解した。だが、アサシンを動員出来るだけの舞台を整えるには少し時間が掛る」

「出来るだけ速く頼むぞ」

 

 グラスに少しばかり残っていた中身を飲み干すとアーチャーはソファから立ち上がった。

 その洋装に関して言えば混沌というより他ないが、動く度に燦然とした輝きが放たれるような印象を与えるこの英霊は疑いようもなく原初の王である。

 彼が部屋から出ていくと、綺礼は途端に部屋の照明が切れたような錯覚を覚えた。

 さて、風変わりな来訪者の要求を満たす為に、どう時臣師を丸め込んだものか。そう考えようとするも、綺礼の思考は別の所に及んだ。

それは、街を出歩くだけでも問題になりかねないあの服装のことであった。

 

 


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