Fate/is inferior than Love 作:源氏物語・葵尋人・物の怪
マッケンジー宅のリビング。
つい先日までそこは落ち着いた、けれどどこか寂しさを感じさせる老夫婦だけの場所であった。
けれど、今は賑わいがある。それまではいなかった子供達がいるから。
その賑わいの中にウェイバーはいた。からからと、フローリングを鳴らすダイスを目で追いながら、
「いち、にぃ、さん、しぃ……あ、“選定の剣を抜く、三マス進む”だって」
自身と対面する童女が純粋に楽しんでいるのを見て、柔く微笑んだ。
「良かったじゃないか、ミナ」
フローリングに腰を崩す童女の頭を撫でた。
“ミナ”というのは、薫の家の前で出会いウェイバーら四人が守ると決めた幼子に呼ぶときに困るからと仮に付けた名前である。
命名は薫である。ヴラム・ストーカーの“ドラキュラ”の登場人物、ミナ・ハーカーと、アイヌ語で“笑う”を意味するミナが由来だと彼女は語った。
……名前の候補の中に、“ダイアー・ストレイツォ”という凄まじいものがあったが、大真面目にそれを十歳にも満たない少女の名として与えようとした薫をウェイバーが全力で止めたというのは極めて余談であろう。
「つぎは、おにいちゃんのばん」
「あ、そうか」
ミナに促され、ウェイバーは盤面の上に落ちた賽子を拾う。
そして、今一度、自分の駒がある位置を見る。
――自分の三マス前には、キャスターの駒が、さらにその先にはミナの駒がある。そして、四マス先には、“二回休み”の文字。あれを踏むわけにはいかない。
取りあえず出してはならない数を見極め、ウェイバーは手の中で賽子を遊ばせる。
元来負けず嫌いが性分のウェイバーは戯れにも関わらず表情を引き締めている。
それを見ながら、ミナとウェイバーの間に座るキャスターはさも愉快そうに笑っている。
彼等が遊んでいる“双六”は、キャスターが作ったものであるから、そこに冥利を覚えてのことだろうか。
ウェイバーはキャスターの心情に思いを馳せながら、いざ賽を転がす。
「あ、四だ」
一番出してはいけない目を出してしまい、ウェイバーは肩を落とす。
「よしよし」
自分よりも遥かに若年であろうミナに頭を撫でられたことが更に追い打ちとなった。
「クッ!」
切歯の後、顔に苦渋が満ちる。
「フフッ」
「笑うなよ! キャスター!」
つい吹き出すキャスターに、ウェイバーは向きになり睨み付けた。
すると、キャスターは人差し指を立て、唇の前に置く。
沈黙を促すその手振りに最初、ウェイバーは首を傾げたが、
「あ」
直ぐに言わんとしていることに気が付き、食卓の方に目を遣る。
正確には、テーブルに付くマッケンジー氏と、ダイニングで料理をする夫人へ。
今、口を吐いた言葉を怪しまれていないか、ウェイバーは恐々と二人を見つめる。
だが、そんな小さな恐怖心は、どすんと机に叩き付けられる二つの大ジョッキの音で寸断されてしまった。
「はっはっはっ! お二人とも良い呑みっぷりですな!」
向かい合わせに座る、“夫婦”に拍手すら送り、マッケンジー氏は甚く嬉しそうな顔をしている。
如何やら、ウェイバーの疑念は杞憂に終わったわけであるが、それでもウェイバーは浮かない顔をしていた。
その理由はずばり、“夫婦”に在った。
「いやぁ、まさかこのようなもてなしに預かるとは!」
感激したように豪笑したのは夫――役のライダーであった。キャスターが道具作成のスキルを利用して作ったスーツを着ている為に、何かしらの授賞式に赴いたハリウッドの筋肉俳優といった風情である。
「そんな……大したものも出せなくて……ウェイバーちゃんが、教えてくれれば、もっと御馳走の準備が出来たのですが」
夫人が手作りのつまみをテーブルに並べながら申し訳なさそうに笑う。
「いえいえ。お酒があってお母様の美味しい手料理が戴ける。それだけで充分なのです」
「あらあら、奥さんたら。お世辞がお上手だこと」
奥さんと呼ばれた、黒いタートルネックのセーターと紫のロングスカートでさも淑女を装っているのは言う間でもなく薫である。
その姿に不釣り合いな呑みっぷりを披露してしまっているが、逆に老夫婦には快活に映り好印象であるらしい。
ウェイバーはこの状況に顔が引きつるのを感じた。
そんな彼を更に追い詰めるような事態が起こる。
「はい、みんな。おやつが出来ましたよぉ」
「わぁ! おばさん、ありがとう!」
子供達の為に手作りクッキーを焼いてくれた夫人に対して喜びを顕にしたのはキャスターである。
常態の彼を知るウェイバーにとっては、その絵に描いたような子供らしい振る舞いがとても気味悪く映った。
「ウェイバーちゃん。ジョゼフちゃんとミナちゃんをしっかり見ているのよ」
「アッ、ハイ」
人様の子供に何かあったりしたら大変だから――という意味合いの言葉を理解するのにもウェイバーはかなりの時間を要してしまう。
実際子供であると思われるミナは兎も角として“ジョゼフちゃん”――キャスターが名乗った偽名――に至っては三千歳とも四千歳とも言われる人物である。子供として扱えと云うのはかなり無理があった。
否、そもそも何故子供として扱わねばならない事態になっているのか?
何故、世に名だたる征服王と怪人サンジェルマン、頭の螺旋が緩んだ女子高生と、記憶喪失の童女が家族ごっこをしているのか?
ウェイバーは今更ながら、頭痛に駆られた。
総ての原因は薫にある。同盟を組む以上、同じ場所で生活しなければならない。自分達の住まいは大所帯にはあまりに手狭過ぎるからと、薫はウェイバーが寄生するマッケンジー家に転がり込むことを決めた。
だが、その為の策というのが、綱渡りにすらならない、失敗して当然のような酷い策であった。
ウェイバーは老夫婦に暗示を掛け、“イギリスに留学していた孫”という設定で彼等の家に転がり込んでいるわけであるが、薫はその設定を更に膨らませることにしたのだ。
曰く、“イギリスのアルバイト先でお世話になっているアレクセイ・ブラックストーンさんとその家族”。
いくら薫が実年齢よりも大人びて見えるといえどライダーと夫婦だと言い張るには無理があると言えたし、そこから生まれる子供が金髪碧眼の貴族然とした美少年と褐色肌のどこの生まれかも判然としない童女だというのは法螺話にしても過ぎるだろう。
更にウェイバーを混乱させたのは、その冗談のような話が真実としてあっさり老夫婦に受け入れられてしまったことか。
キャスターの暗示によるものだと最初は思ったが、彼曰く、“何もやっていない”。
詰りはこの奇妙な状況が成立してしまっているのはライダーと薫の器量ということだろうか。
或いは、老夫婦が余程騙されやすいか。
ウェイバーは後者であると強く思い、心配になった。いつか、怪しい壺でも買わされるような目に遭うのではないか、と。
暗示まで掛け騙している身で、老夫婦の行く末をウェイバーが案じた時、
「おにいちゃん」
ふと、ミナに名を呼ばれる。
口元には彼女の手と、そこに握られたクッキーがあった。
「あーん」
「はい?」
「おくち、あけて」
言われるがまま、ウェイバーは口を開け、クッキーを食べる。
「おいしい?」
「ああ、うん。まぁ」
「わたしも、おいしい」
ミナはそれを伝えると笑った。
「そっか」
ウェイバーはそれに釣られて笑う。
自分の感じたものを、誰かと共有したい。幼い子供特有の感情に、ウェイバーは微笑ましさを覚えた。
そして、安らぎを。ライダーや薫の振る舞いが楽し気であるから薄れてしまっている様に思われるが自分の身は戦場にある。屹度、其の為に自分は知らず知らずの内に心的苦痛を覚えていたのかもしれない。
「ふふっ」
そんな二人の様子を見てキャスターは笑みを零す。
「嬉しそうだな、ジョゼフ」
今度は偽名を口にすることを努め、ウェイバーはキャスターの眼差しが優しく細んだことを指摘する。
「……二人が幸せそうだからね。嬉しくなっちゃって」
キャスターは答えた。我が子の幸せを喜ぶ親のような顔で。
そして、いや、と言いながら、今度はライダーと薫、そしてマッケンジー夫妻に目を遣る。
マッケンジー氏が秘蔵の酒を二人に振る舞うと言い出し、歓迎の宴は小規模ながらも大いに盛り上がっていた。
「君たちだけじゃない。此処には幸せが溢れている。人間は皆好きだけど、幸せな人達を見るのは格別だよ、やっぱり」
その声色はどこまでも温かく――屹度、一流の魔術師たろう者であろう人間にとって一番忌むべきであろう感情というものが自分の中にあることをウェイバーはこの時ばかりは喜んだ。
悠久の錬金術師、第七光線の大師(マハトマ)サンジェルマン。逸話こそ多くとも、その人物像にも謎は多く、故にウェイバーは同盟を組むに中って懸念があった。
だが、彼は典型的な魔術師像とは大きくかけ離れ、大凡裏切りなどは在り得ない、極めて人間的――いや清廉とすら言えた。
然う、ウェイバーは断じかけるが、
「こんな人間が永遠に続けば良いのに」
そう彼が発した瞬間、ぞくりと背筋が粟立つのを感じた。
喉が、干上がる。息が、出来ない。髪を伝い、落ちてくる汗が、冷たい。
キャスターの表情に変化はない。だのに、何故か底なしの井戸を覗き込んだような、不安にウェイバーは襲われていた。
言葉が、出てこない。時間の感覚すら、分からなくなる。一秒なのか、一分なのか、それとも一時間、否永劫なのか。
厭な緊張感――
「ちぃにいちゃん」
それを破ったのは、ミナであった。
キャスターの袖を掴み、双六の盤面を指差す。
順番が回ったのだから、賽子を振ってくれと、訴えているのだ。
「おっ、僕の番か」
そう言って賽子を拾い、キャスターは手の中でそれを弄り回す。
瞬間、ウェイバーが感じていた言い知れぬ不気味なものはキャスターから消えていた。
「それっ!」
威勢の良い掛け声と共に賽子を投げる様は快活であり、ほの暗いところはまるで内容に思われた。
思い過ごしか――ウェイバーはそう考えつつ、賽子の出目を見守る。
「おっ! やった!」
キャスターはまるで見た目通りの子供であるかのように、ガッツポーズをした。
――いくら六が出たからって大袈裟過ぎるだろう。
先ほどまでキャスターに対して感じていた得も言われぬ恐怖が、まるで最初からそこになかったかのように消え去ってしまったような呆れを含んだ笑みをウェイバーは浮かべていた。
弾むようにな手つきで、鼻歌交じりに駒を動かし、キャスターは止まったマスの文字を読んだ。
「“クモが目覚める。文明が終わる。全員振り出しへ。”……アレ?」
「えぇー」
一番先頭を行っていたミナが頬を膨らませ、キャスターに抗議する。
「ごめん。でもルールなんだ。分かっておくれ」
「ぶー」
ミナは不満そうに口を尖らせたが、その気持ちはウェイバーにも理解出来た。
「ルールも何も、お前が考えた双六だろ」
まず一点がそれ。
次に二点目が――
「てか、コレ、一々マスのルールが理不尽だし、文面も不穏過ぎるんだよ! さっきから、“振り出しに戻る”ばっかじゃないか!」
ミナの不満に同意できる大きな理由であった。
五回――振り出しに戻るのマスを三人が踏んだ回数である。
しかも、それぞれ文面が違う上に書かれている言葉からは終末思想めいたものである。
先ほどのクモが目覚めて文明が滅ぶなどまだ良い方だ。
“遊星から破壊をするたびに成長を続ける巨人が飛来する。絶望に打ちひしがれる。”だの、“人類に失望した学者が核の雨を降らせる。未来はない。”だの、果てはノストラダムスの予言書に書かれた内容そのままで世界が滅んだだのと、兎に角世界が滅び続ける、苦行に苦行を重ねる――平たく言ってしまえば所謂“糞ゲー”である。
「いやぁ。ごめんごめん。経験柄、あまり明るい内容が書けなくて」
「だとしたらカリオストロがかわいそうだな!」
弁明するキャスターにウェイバーは毒を吐く。
アレッサンドロ・ディ・カリオストロとは、錬金術師を自称した稀代の詐欺師にして、晩年は巻き上げた金を貧民に分け与えた日本で言う所の鼠小僧のような一面を持った人物とされる。
――無論、それは表の世界での話である。実際は彼の詐欺師という評価は時計塔が行った暗示と文書改竄の賜物であり、時計塔に史上に於ける偉大な魔術師の一人である。
そして、サンジェルマンの伝説に於いてもまた欠かせない人物だ。というのも、彼が好んで読んでいた魔導書の著者こそがウェイバーの目の前にいる“糞ゲークリエイター”だからだ。
魔道自体が、“自身の研究が無意味であることを覚える”ことから始まる陰鬱極まりないものであり、それに纏わる書物も大抵は読み物として見た場合には暗い内容になるものであるが、だとしてもサンジェルマンの双六の内容から読み取れる絶望主義は行き過ぎたものがある。
屹度、カリオストロが読んでいたのはメランコリーに陥るような救いようのない魔導書だったのだろうとウェイバーは決めつける。
そして、稀代の錬金術師がとんでもないマゾヒストだとも。
「……でも、確かに小さな女の子もいる。そんな場面で出すような代物ではなかったな」
そう言ってキャスターは持ってきたリュックサックの中からゲーム機とソフトを一本取り出し、
「気分転換に薫の家から持ってきたゲームでもやろうか」
と提案した。
「まぁ、これよりマシなんじゃないか?」
魔術師見習いとして、近代技術全般を見下しているウェイバーであり、テレビゲームもその枠の中にあったが、絶望双六よりは余程ましであろうと納得する。
「ミナもそれで良い?」
ウェイバーの言葉にミナは小さく頷いた。
「ところで、ジョゼフ。そのゲーム、タイトルはなんて書いてあるんだい?」
棚から牡丹餅で聖遺物を手に入れ、聖杯戦争への参加を決めたウェイバーは当然それ以前にすべき準備というものをしていなかった。
例えば、資金を用意したり、現地の言葉を覚えたり。要するにウェイバーは日本語を話せないし、書けもせず、読むことすらも出来ない。
偽名を呼ばれたキャスターは快く答える。
「えっと……“真・女神転生”だね」
と――。