Fate/is inferior than Love   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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二十三話 相棒

「ブオッホイ!」

 

 隣を歩くランサーの大きなくしゃみに驚き、ケイネスは思わずランサーを二度見した。

 

「……凄いくしゃみだな。風邪……いや、お前はひくわけが無かったな」

 

 昨日、真冬の海に飛び込み、更には薄暗い下水道を少なからぬ時間歩き続けることになった事実から自分の身に起こったかもしれないことを鑑み、そしてランサーにも当て嵌めたことに、ケイネスは少なからず驚いた。

 たかが使い魔を、一人の人間として扱い、情を注ぎ過ぎている自分に。

 

「サーヴァントだからね」

 

 輝かんばかりの笑みで当のランサーが告げたことが真実である。

 ランサー関羽雲長は人間ではない。人の身に余る程の力を振るう、英雄という名の怪物だ。

 例えば、“ヨハネの黙示録”に描かれる蒼褪めた馬に跨る騎手のようなその暴威を象徴化したような存在を相手にしてしまった場合にはその限りではないだろうが、基本的に病気にはならない。

 況して、その存在すらも危うい。

 関羽雲長そのものではなく、大刀の使い手という部分と元破落戸という側面が強調された現身。聖杯の力と、ケイネスが供給する魔力に因ってこの世に留まっている奇跡のような存在である。

 鏡の中に咲いた花であり、月夜を映した水面であり――ランサーの言葉を借りれば一夜の夢のような存在だ。

 故に否応なく別れは訪れる。

 特にそれを肯定するランサーの場合は逃れ得ぬだろう。

 

「……では一体なんだというんだ?」

 

 ケイネスは湧いて来る言いようのない感情を忘れようとランサーに問いを投げかける。

 ――朝方だからであろうか。吹き付ける風は異様に冷たく感じられ、思わずケイネスは着ていたダッフルコートの襟元をギュッと閉めた。

 

「Well(エェィリゥ)……なんつーかあれだね、誤解というかいらん風評被害というか」

 

 煙草を銜え、火を灯しながら、ランサーは紫煙交じりに答える。

 

「意味が分からん」

 

 率直に、ケイネスは吐き捨てる。

 

「そんなことよりも、だ」

 

 そして、ケイネスは手元のA4サイズほどのファイルを叩いた。

 

「……本当にこれ、全部回るのか?」

 

 中身はある人物が通った学校の学生名簿であった。

 最も新しいもので十一年前、古いもので二十年も前――その上で在学中の上級生、下級生に当たる人間のものまで在り、殆どその人物の人生を網羅しているといって良いだろう。

 其処に記された人間の名はそれこそ星の数ほど。

 二人はまさにその一人一人を当たろうとしているのだ。

 

「Police(プォリィス)は足で稼ぐってね」

「いや、魔術師とサーヴァントだが。貴様、一体我らが会わなければならない人間が何人だと思っている?」

「白起が長坂に埋めた人数よりは少ないでしょ」

 

 中華の英雄に相応しく、中華の英雄を喩えにし、ランサーは大笑いをした。

 ケイネスは苦笑いを浮かべる。

 白起というのは、関羽が活躍するより遥か昔、中国文明が誕生する以前の秦の武将のことだが、とりわけ“撃墜数”が際立った英雄である。彼の手によって殺められた人数は文書に記録されているだけでも八十万――彼が活躍した時代の戦に纏わる書物の殆どが始皇帝の治世に於いて焚書されていること、残っている書物に関しても捕虜にした敵兵の処遇について書かれているのみで戦死者の記録がないことなどを鑑みれば百万を超すと言われている。

 それでは、ランサーが話題に出した長坂の戦いで生き埋めにされた捕虜の人数とは?

諸説あるが最も一般的なもので四十万人という記録がある。

 

「……ジョークにしても笑えないぞ」

 

 言う間でもなく、四十万世帯も訪問出来るほどケイネスの根気は強くはない。

 そもそも、早朝から十軒ほど回って既に根を上げ欠けている始末だ。

 

「まぁ、安心したまえよ、Master(ムァスター)。既に回った段階で本人に近しかった人物の手掛かりは得ている。ボクと君の運の良さから言って、日が沈む前には欲しい情報に行き付くだろうさ」

 

 煙を吐きつつランサーは馴れ馴れしくケイネスの肩を叩く。

 

「それは運が良いと言うのか?」

 

 素朴な疑問をケイネスは呈した。

 

「そもそも、これは本当に意味があるのか?」

 

 ランサーは紫煙と共に溜息を吐く。

 

「良いかい、ケイネス。戦ってのはいきなり切った張ったで始まるもんじゃあない。実際は殺り合う前……」

「“相手をよく知ることから始まるんだ”……とでもいう気か?」

「分かってるじゃあないか」

「流石にこれまでの戦い方を見ていればな」

 

 単純に戦士としての力量が高い癖に、石橋を叩いて渡るような策を立てる。

 それがランサーの戦法。

 武勇に秀るとはいえ、呂布を始め多くの武人に苦戦を強いられた彼の道程がそうさせているのだろう。

 その方策にケイネスは既に幾度か助けられているのを自覚しており、ランサーのやり方に不満はない。

 この探偵ごっこにも意味があるとも思いたい。

 思いたいのであるが、

 

「もっと他の方法は無かったのか?」

 

 貴族という育ちのケイネスには、現在のこの状況に漂う泥臭さは耐え難いものがあった。

 

「もう、我儘言わないの。Papa(プァープァ)許しませんよ」

「誰が関平だ。第一、歩きたくないというだけで言っているわけじゃない」

 

 そう言われ、ランサーは腕を組み、宙を仰ぐ。

 そして、首を下ろし、ケイネスの顔を見ると、

 

「もしかして、さっきの襲撃のこと言ってる?」

 

 と訊ねた。

 まるで困り果てた末、絞り出したと言わんばかりの顔で。

思わずケイネスは脱力し、そのまま蹴躓きそうになる。一歩間違えれば、側溝に飛び込む羽目になっていただろう。

 

「良いこけ方だ。魔術師は廃業してcomedian(コメイデヤン)に転職するべきだね」

「認められるか、そんな未来。というか、お前、あれだけのことがあったのを忘れかけたのか?」

 

 その問いにランサーがこくりと頷いた為に、ケイネスはついに顔を覆った。

 先程あった出来事はそれだけに衝撃的だったのだ。

 ――時間を二時間ほど遡る。二人がふと見つけた児童公園のベンチで休んでいた時であった。

 アサシンのサーヴァントに襲われたのである。ランサーの助言も有り、アサシンが遠坂邸で息絶えた一人のみではないと覚悟していたケイネスであったが、まさかこれほど早く見えることになるとは思っても見なかった。

 その人数が一人ではなく、四人だったということも、驚きを大きくしていたかもしれない。

 

「つっても奴ら破れかぶれな上、あんま強くなかったし」

 

 先の戦いでのアサシンをそう評しつつ、ランサーは一見懐中時計のようにも見える携帯灰皿を取り出し、その中に吸い尽くした煙草を投じた。

 

「確かにそれはそうだが……」

 

 そう言いかけて、ケイネスは続きが出てこなかった。

 事実、アサシンが弱かったからだ。戦袍すら纏わず、ランサーは匕首のみで三人のアサシンを一瞬で葬り去り、逃げようとした一人をケイネスが仕留めた。

 まさに一瞬の出来事である。

 

「また襲撃された時にどうなるか……」

「いや、次はないよ」

 

 ケイネスの懸念をランサーは払拭した。

 

「ボクが殺ったヤツから出てきたアサシン、ソイツの能力は君の目にどう映った?」

 

 ランサーが三人のアサシンを仕留めた時だった。その内の一人から、別のアサシンが排出され、そしてそのまま逃走した。

 そのアサシンの後ろ姿を見た時に、ケイネスの目に映ったステータス。

 ケイネスはそこに思考を及ばせると、

 

「弱かった。殆どの能力が最低値……だったと思う」

 

 そのように結論した。

 確固たる自信を持てないのは、よく見ようと目を凝らした時には、能力値を確認できなくなっていたからだ。

 アサシンの姿が消えたというわけでもない。恐らく何かのスキルだと、ケイネスは推測した。

 その考察をよそに、ランサーは話を続ける。

 

「そして、もう一つ前提として。多分だけど、他のアサシンについても、そこまで高い能力値ではなかったんじゃあないかな?」

「ああ、その通りだ。だが、それが何だというんだ?」

「あのアサシンの能力の秘密がこれで分かった」

 

 ランサーの言葉にケイネスはああと、納得したような声を出した。

 

「おっ? 君にも分かったようだね?」

「お前は私を舐めているのか。当然だろう」

 

 ケイネスは鼻を鳴らした。

 

「分裂能力……だろう?」

 

 ランサーは無言の笑みをケイネスに返した。

 複数同じような姿のサーヴァントがいたこと。いくら最弱の階梯と呼ばれるアサシンとは言えど、一体一体があまりにも弱すぎたということ。

 二つから割り出される答えは、一騎のサーヴァントの能力を複数に分割しているから。

 詰りアサシンの集合体総ての能力を数値化し仮にそれを“百”と仮定した場合、二人が先程戦ったアサシンたちは精々が一か二の能力でしかないということだ。

 そこまで来て、ケイネスははたと気が付く。

 

「――そうか。攻撃を仕掛け仮に失敗し数を減らした場合はアサシンの総体としての力は弱まっていく。で、あるならば」

「一度奇襲を失敗した相手にまた攻撃を掛けるのはBetter(ヴェトゥァー)ではない。やられるのは目に見えているからね」

 

 そう言いつつ、ランサーは次の煙草を口に銜える。

 

「況して、ちょっとやそっとの分裂体なら蹴散らせることを、さっき主は証明してみせたわけだしね。信条であるMaster(ムァスター)殺しが通じないことが分かっている以上、ボクらのとこにまたアサシンが来ることはないと思う」

 

 そう結論して、ランサーは煙草に火を点ける。

 

「お前、もしかしてその為にワザと私を襲ったアサシンを見逃したのか?」

「あ、バレた?」

 

 ランサーは悪戯を親に発見された小僧のような笑みを浮かべ、口元から煙を零した。

 

「酷いキラーパスだったな。私が死んだらどうするつもりだった?」

 

 ケイネスはわざと嫌味っぽくランサーに問う。

 三人のアサシンが陽動としてランサーに襲い掛かり、その直ぐ後にもう一人がケイネスへと暗殺を仕掛ける。

 これが一連の流れであり、不自然な点は無いように思われる。

 だが、ケイネスは知っている。あの海浜公園での戦いで思い知らされている。ランサーの戦闘技術を。最優のセイバーの中でもとりわけ強大なアーサー王を寸での所まで追いつめる自身のサーヴァントの力量をケイネスはよく知っている。

 ならば、あの程度の単純な陽動は読めて当然、その上で敢えてアサシンの策に引っかかたと考えるべきである。

 怒りはしない。ただ、ケイネスは呆れた。

 それにより得たものもあったが、ケイネスにとってもランサーにとっても大きなものを失うリスクがあったからだ。

 だが、ランサーはあっけらかんとした表情で、

 

「君が死ぬ? あの程度で? HAHAHA! 全く考えてなかった!」

 

 と宣った。

 

「おまっ……正気で言っているのか!?」

「ボクが狂戦士のクラスだったとは衝撃の真実だね!」

「戯れも大概にしろ」

 

 マイペースにお道化るランサーを、ケイネスは滑らかな口調で窘める。

 ランサーは深く煙を呑み、一度大きく吐き出し、表情を引き締め、そして立ち止まる。

 ケイネスは五歩程度、ランサーよりも先を進んだ時点で隣に脂の匂いが消えたことに気が付き、続いて立ち止まり振り返る。

 

「……なぁ、ケイネス。君は他人の感情の機微というヤツにもうちょっと聡くなるべきだぜ?」

「何を改まる」

「君が思っている以上に君のことは信頼している。そう言いたいんだよ」

 

 真っ直ぐ、ランサーはケイネスを見据える。

 

「魔術師として、君の腕は最高峰にある。ボクはそう思っている。だから、衛宮切嗣以外の敵にはこれといった策は敢えて立てなかったし、対魔力もなく、際立って戦闘力の高いわけじゃないアサシンを君に任せようと考えた。……ちゃんと、理解してくれているかい?」

 

 それを聞き、ケイネスは言葉を失った。

 生まれて、魔道を極め二十数年――彼の成す神秘には称賛の声は数あれど、その中には常にほの暗い妬み嫉みの感情があった。

 彼の失敗を、失脚を、或いは死を望む陰口に気が付かぬ程、ケイネスは鈍感ではなかったから――故に人を信じるよりも前に疑う癖が付いた。

 だからこそ、ケイネスはランサーに一〇〇%の信頼を置くことが出来ないでいたのかもしれない――そう思わされた。

 ランサーの混じり気のない、ただただ廉直な讃辞に。

 

「フン、理解してやる。理解してやろうとも。だが、もし私が死ぬようなことがあれば、その時は貴様を呪い殺す」

 

 ケイネスは長年染み付いた憎まれ口でしか返せなかった。

 それでもランサーは、

 

「HAHAHA! 呪い殺す側を経験したボクだが、呪い殺される側にはなりたくないな!」

 

 と冗談を交えながら笑い飛ばした。

 

「如何だかな。先程、逃がしたアサシンの分裂体。あれがこの身に仇なすことになるかもしれないぞ?」

「はわわ。それについてはLittle(リトゥー)、二つほど言い訳させてくんね?」

 

 心から慌てていない癖に、その素振りだけは一丁前にランサーは右手の人差し指と中指を立てる。

 ケイネスははぁと、溜息を漏らす。

 

「構わん。まず一つ目は?」

「追いかけたら、伏兵だの火計だのが待ってると思ったんで」

「成程、確かにそうかもしれないな。というか、お前の所の軍師なら絶対そうするだろうな。二つ目は」

「益徳との約束がありまして」

 

 ランサーは苦笑し、その内容を告げた。

 

「幼子は殺しちゃ駄目ってことになってんだよね、ボク。特に女の子は」

 


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