Fate/is inferior than Love 作:源氏物語・葵尋人・物の怪
午前五時。
まだ眠っている人間の方がマジョリティーである時間帯。
基本的に夜に行われる戦いの所為もあり、寝ていたい気持ちが強いウェイバー・ベルベットは、理不尽にもライダーにたたき起こされ、連れ出されることになった。
不平不満を言ったウェイバーではあったが、デコピンにより沈黙。敢え無くライダーの戦車へと御用と相成り、そして行きついた場所は、市内にある小学校の校庭。
「こんな所に、一体何の用があるっていうんだよ」
空を征く戦車が、目的地に降り立って、ウェイバーはまず訊ねる。
「……声がした」
ライダーは短く、唸るように答えた。
「声?」
「余の頭の中に直接響くような声だ。それが告げた……いや、“命じた”のだ。ここに来いと」
念話の一種であろうかと、ウェイバーは推測する。
だが、昨夜の大混戦は恐らく総てのサーヴァントとマスターの知ることとなっており、当然誰もがライダーの真名を知る筈であった。
イスカンダルの名を――蹂躙王チンギス・ハンに次いで最も世界征服に届きかけた征服王の威を知り尚、挑発に出るマスターがいるならば、それは余程の馬鹿か自殺志願者のどちらかだ。
魔術師(キャスター)のクラスのサーヴァントという可能性もあるが――そんな魔術師がいるならば、それこそ自殺志願者である。
キャスターは高い魔力を持つ魔術に縁のある英雄、そうでなくとも詩作や芸術といった創作に縁のある英雄に宛がわれるクラスである。だが、筋力や耐久といった直接戦闘に纏わるスキルは他のクラスと比して格段に弱い上、剣士、槍兵、弓兵、騎兵のサーヴァントは“対魔力”という読んで字の如く魔術に対する防御能力を有する為に積極的な戦いには向かない。
主に自分にとって有利な空間を作り出す“陣地作成”のスキルを用いた籠城による防戦がキャスターの基本的な運用方法になる筈なのだ。
そして、それは聖杯戦争の基本としてマスターが知る所であり、またサーヴァントも知っているから、わざわざキャスターのテリトリーに立ち入る様なチョンボは冒さない。
わざわざ挑発する旨味はないのだ。
だが、キャスターはそれを敢えてやった。加えて言うならば、キャスターが呼び寄せた場所は陣地内ではない。
ウェイバーは魔術師としては未熟であるが、それを名乗る程度の感知能力はある。それで以ても、今、ウェイバー達がいる場所が工房ではないという結論がはじき出される。
そもそも、小学校という人の出入りが激しく、また人目に付きやすい場所に配置するなど愚かでしかない。
では一体、まだ姿を現さないキャスターの目的とは?
ウェイバーがそれを考えようとした時であった。
「このイスカンダルたる余を呼びつけたのだ! いい加減姿を見せんか!」
痺れを切らしたライダーが辺り一帯に響く程、怒鳴り声を上げた。
近隣の住民が驚き目を覚ましかねない声量に、ウェイバーは肝を冷やした。
だが、併し――ライダーの無茶も今回ばかりは功を奏した。
『ここだよ』
機械で拡張されたような子供の声が響いた。
併し、姿は見当たらず、ウェイバーとライダーはその発生源を探す。
それは上空であった。
無論ただ上空ではなく、ライダーの感知能力の範囲外となるような上空である。
四階建ての校舎より高く、また雲と肩を並べるほど高い。
それほどの位置からゆっくりと降りてくるのは、奇妙な物体である。
卵のような形をしており、至る所から砲身のような筒が生えている。物体の中央に浮き出るは断末魔を上げる人面。その額には、三位一体を表す三角形、その中に魔術儀式の陣の外周に最も用いられる円、それを割る様な形で一本線という不可思議なエンブレム。
物体の上に乗っていたのは、体にまるで合っていない大きすぎるアイスグレーのローブを纏った貴族然とした十代の前半ほどのまだ幼い少年。そしてその隣には、十代半ばと思われる、ブレザータイプの学生服を着た、倦怠的な雰囲気を醸し出す毒花のような少女が腰かけている。
遂に浮遊体は地に降り立ち、その上から少年が飛び降りる。
「待たせたね、ライダー」
軽やかな動きから笑みをライダーに飛ばすその姿は、到底戦士には見えない。ウェイバーには少なくともそう見えた。また、闘気といったものもまるで感じられず、間違いなくクラスはキャスターであろうと思われる。
「なっ!?」
だが、ウェイバーはそのサーヴァントのステータスを見て絶句した。
「……ありゃ、強いのか、小僧?」
ウェイバーの動揺を見て取り、ライダーは問う。
「強いも強い! 魔力がEX(規格外)、あとは全部Bランクだ!」
「ほう……」
短く唸り、ライダーは顎髭を撫でた。
そして、
「おい、貴様!」
とその声量だけで第七のサーヴァントを倒しかねない勢いで叫びつける。
「キャスターのサーヴァントと見受けた!」
「如何にも」
だが、少年はそれに対し恐れもせずに答えた。
ライダーはそれを見て豪快に笑い声を上げる。
「成程、魔術師の身で宣戦布告か。実に見上げた奴よ」
魔術師は臆病者――そのような先入観があったライダーは、目の前のキャスターの堂々とした振る舞いを大変に気に入った。
「その心意気は見事。だが、此処まで来て己が誇るべき真名を隠し通すつもりではあるまいなぁ!? んんっ!?」
ライダーの豪笑と共に齎された挑発。
海浜公園での戦闘では、あらゆるサーヴァントを呆れさせたそれに、ウェイバーは胃が痛くなるのを感じた。
だが、キャスターはさも楽し気に笑い、
「名乗りを上げろということだね。尤もだ、王様」
そう言って恭しく頭を下げた。
瞬間、キャスターの隣の空間が歪んだ。
それは、まるで黄金のアーチャーの宝具の発動にも似ていた。
出てきたのは、短剣であった。柄に赤い宝玉が埋め込まれた三〇cmほどのそれはウェイバーも良く知るものである。
“アゾット剣”。魔術師が、皆伝する弟子に向けて送る贈与品として最もポピュラーなアイテムである。
キャスターはその切っ先を天に向け、凛と顔を引き締めた。
そして、キャスターは厳かに告げる。
「聞け、そして慄け。薔薇十字が同胞(はらから)、カリオストロが師家、獅子心王(クール・ド・リヨン)が盟友――そして最も偉大なる魔術王ソロモンの弟子。我こそ悠久を征く魔術師サンジェルマンである!」
ライダー同様に臆面もなく真名を明かす少年に、ウェイバーは驚愕し、開いた口が塞がらない。
然も、その名がサンジェルマン――。
成程、魔術師の階梯を得るに相応しい威名である。
その男が活躍した時代は十七世紀のヨーロッパ。
あらゆる言語、あらゆる学問、あらゆる芸術に精通し、そして錬金術にも長じていた中世ヨーロッパ史上最大の怪人物。
時のフランス王と友誼を結んでいたとされるが、それ以上に彼を神秘足らしめたのはある伝説による。
彼は不老不死であったというのだ。曰く、初めてヨーロッパ史に現れた時で既に老境に差し掛かっていたにも関わらず若々しく、また何年経っても見た目が変わらなかった。曰く、十八世紀以降も度々彼はヨーロッパの各地に出没し、ある時はマリー・アントワネットの身に降りかかる危険を予言し手紙で忠告をした。
また曰く――二千年とも三千年とも言われる悠久の時を過ごした。その間に出会った人物は多岐に渡り、魔術王ソロモン、獅子心王リチャードなど大人物ばかり。
「……なぁ、ライダー。アイツの顔に見覚えある?」
そんな中世史最大の謎とも言われる人物が目の前にいることがウェイバーには信じられず、ライダーにそう訊ねていた。
若し仮にサンジェルマンの伝説が総て真実であれば、征服王イスカンダルとも盃を交わしている。詰り二人は面識がある筈であった。
「うーむ……知っているような……知らないような……」
だが、ライダーの態度は煮え切らない。
「無理を言ってはいけないよ、ウェイバー」
そんな様子を見て、キャスターはウェイバーを諫める。
「英雄というものは座に着き、永久(とこしえ)を過ごすと記憶が摩耗してしまうものなんだ。屹度、僕なんかとの記憶は溶けてしまっている。特にそのアレクサンダーのように多くの人々と交わり激動の生涯を送った大英雄ともなれば尚のことだ。人々の理想や妄念といったものを塗りつけられるということもあるしね?」
ウェイバーは何だか妙な気分になった。
目の前の人物こそ、伝説に名高きサンジェルマン伯爵だとしても、その姿は子供。子供に諭されるのはとても釈然としない。
「そういうわけなんだ。分かってくれただろうか、童貞君(チェリーボーイ)」
そして、そこにキャスターのマスターと思われる少女の追撃。
腹立たしさが加速した。
童貞というのは、ウェイバー・ベルベットにとって厳然たる事実であるが人から指摘されれば怒りも込み上げてくる。
「……ファック」
ぼそりとウェイバーは呟いた。
だが、それがいけなかった。
「ファック……それは私に、という意味だろうか?」
耳聡く聞き取った少女はウェイバーにそう訊ねていた。
「はい?」
ウェイバーは聞き返す。
何を言っているのか、意味が分からず。
「どうしよう、困った。私的には童貞っぽいっていうのは実は褒め言葉なんだけれど。“男は女にとって最初の男になることを望み、女は男にとって最後の女であることを望む”なんて言葉があるけれど、私的には実は女の子も男にとって最初の人が良いよねと思っているんだよね」
ウェイバーにとってはそんな思想、知ったことではない。
聞いたところで困る。
「まぁ、それを知らずに君のように怒ってしまう人がいるのですが。でもまさか、筆卸までさせようとするのは君が初めてだ。如何しよう……引き受けてあげたいけどコンドームの持ち合わせがない」
気だるげな表情と、気の抜けた口調で口走る少女の言葉の意図をウェイバーは漸く理解し、
「な、何を言ってやがりますかぁぁぁ!」
赤面し絶叫した。
童貞のウェイバー其方の方面について初心であるから童貞なのである。
列挙される淫語は動揺を促すには覿面であった。
ライダーは寸劇に腹を抱えて笑い、キャスターは溜息を吐いて呆れている。
「君の顔はすごい好みだし、したいという気持ちは強いのだけれど。全然安全日だし、でももしもということがあるから……」
「おいコラ、話を聞け」
ウェイバーの言葉を無視し、少女は顎に手を当て押し黙る。
そして、指を指す。校庭の隅に建てられたウサギ小屋を。
「うん、女は度胸だ。出来てしまったらその時はその時。そこのウサギ小屋でウサギさんみたいにエキサイトしようぜ!」
「だから、僕の言うことを聞けってんだよ!」
ウェイバーは顔から火が出るような思いを抱え、叫んだ。
胃に、穴が空いたような痛みが走る。
「落ちつけ、小僧」
そんなウェイバーの肩を叩きライダーは激励する。
「あんなものはただの冗談だ。笑って流せないようでどうする?」
ライダーのその言葉に、少女はムッと顔を顰めた。
「結構本気だったのだけれど」
「あんなにあけすけに物を言ったんじゃ、軽んじられて当然だよ、カオル」
自身のマスターにキャスターは容赦なく毒を吐きつけた。
「というか、話の腰を折らないでくれ。当初の目的を忘れてしまったのかい?」
「ああ――割と忘れていた」
呆けた顔で答える薫に、キャスターは頭を押さえた。
ウェイバーは彼に憐憫を覚える。
こんなマスターと組まされる彼は屹度、とても運が悪いのだと。
「……すまなかった、アレク」
「ああ、うん」
磊落なライダーですら、同情の目をキャスターに向ける。
「それで、貴様の目的とは一体なんだ? この征服王との決闘を望むならば受けて立つが」
いや、とキャスターはそれを否定した。
「無茶を言わないでくれ。戦闘は苦手なんだ」
「だが、貴様、剣を持っておろうが」
「……これは“星を視る、元素使いの剣(カルデアス・アゾット)”と言って儀式に使う杖のようなものなんだ。まぁ、ちょっと面白いことが出来るけれど、直接的な殺傷力はあまりない。僕自身の剣術も嗜む程度だ」
苦笑交じりにキャスターは自分の非力さを自嘲した。
そして、直ぐに顔を引き締めると、
「だから、闘争ではない。逆だ。僕らの目的は君との和睦だ」
キャスターは自身の目的をライダーに告げる。
「余との同盟を望むということか?」
ライダーは言葉の真意をそう取った。
「そういうこと」
キャスターは首肯し、微笑を浮かべた。