Fate/is inferior than Love   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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第十九話 移動要塞

 呉松荘――冬木新都にひっそりと建つ小さなホテルは、市内最高級とも言われる冬木ハイアットホテルにも負けない設備とサーヴィスを誇る宿泊施設であった。また、“第三の魔術師”の工房がある場所でもある。

 衛宮切嗣は見知らぬ魔術師について調べた。

 名を“ゴットフリート・フォン・ジッキン”という。魔術階梯は典位。執行人であり決闘に於いては無敵の強さを誇る……時計塔に潜り込ませていた密偵からの情報である。

 執行人というのは、時計塔が定める封印指定の魔術師を捕獲することを使命とした狩人のことだ。

 遠距離からの攻撃を警戒する頭があるのも、切嗣は納得した。

時計塔からの依頼で魔術師を殺すこともある切嗣はその人物についてもある程度面識があったのだ。ゴットフリートという魔術師は、クロスボウの名手であり、十数キロ先の目標にも的中させる時計塔きってのスナイパーである。餅は餅屋――狙撃手が狙撃手のことを分かっていない筈はないのである。

 そのゴットフリートという人物の逸話の中に“極度の飽き性であり、自分の面容すら頻繁に変える”というものがあった為、尚更ランサーのマスターであるということを疑わなかった。

 そして、この男の性質も知っていた。慎重派でありながらも、好戦的で短気という悪癖も。その詰めの甘さも。

 ――ゴットフリートの工房の所在はすぐに分かった。一切の警戒もなく、本名を使いワンフロアを貸し切るような目立つことをやっていたから。

 そして、その場所は切嗣が事前に調べ上げた、“魔術工房となり得る建物”の一つであった。図面も仕入れてある。

 破壊する為に――。

 発破解体という技術がある。建物の構造に於ける、竜骨となる部分を最小限の爆薬で破壊、そして自重を利用して倒壊させるという代物だ。この技術では、破壊された部分が傾く方向を緻密に計算することで、敷地の内側に向かい、折りたたむように、圧縮するように、ビルディングを消す。

 殺し屋である切嗣は、その技術の一環として、当然ながら破壊工作にも精通していた。

 爆発物を設置し、実際に呉松荘を魔術工房ごと瓦礫の山と変えるのには、一時間も掛らなかった。

 大地に呑み込まれるように崩落する四階建ての小さな建物を、切嗣は数区画離れた建設途中のビルの上階から確認した。

 短く深く、息を吐くと、切嗣はコートの胸ポケットを探り煙草の箱に手を伸ばしつつ、一方で携帯電話を取り出し、番号を打ち込む。

 呉松荘のはす向かいの雑居ビルの屋上に配置した舞弥の携帯電話に通ずる番号を。

 

「どうだった、舞弥」

『標的に動きはありませんでした。ゴットフリート・フォン・ジッキンは工房の中から一歩も外を出ていません』

 

 意味することは、ランサーのマスターは、工房ごとホテルの重量で以て圧殺されたということ。

 ――ホテルで働く人々の営みと共に、或いはそこでの宿泊を楽しみにしていた旅行客の笑顔と共に。

 其処に奇妙な充足感が湧くのを、切嗣は聡く感じ取った。

 アイリスフィールという妻を得、その間に娘――イリヤスフィールを設けてから衛宮切嗣という人間は弱くなっていた。

 嘗ては機械のように人を殺めていた筈なのに、聖杯戦争にあたり自分に衰えがあることに切嗣は気が付いた。

 九年という時の流れではない。只、愛する者の顔を思い浮かべると、胸が締め付けられ、銃を動作させるその手を鈍らせていたのだ。

 愛する者達が穢れなく儚げであるから、自分の手が如何に穢れているかをまざまざと知り、センチメンタリズムに陥る。

 それが、あの海浜公園での戦いまでの切嗣であった。

 その状態のままであったならば、屹度この爆破に関して“甘え”のようなものを残しただろう。

 例えば、ホテルから聖杯戦争には無関係の人々を逃がしてから爆破するような。

 そうしなかったのは、ランサーとそのマスターという脅威の為に。自身のサーヴァントを追い詰めて尚、未だ底が見えない陣営の存在が切嗣を焦らせ――逆に、往年の冷酷さと判断力を取り戻させたのだ。

 その点にだけは感謝しなければならないと、切嗣は瓦礫の山を冷淡に見下ろしつつ考えた。

 嘗ての自分が戻って来る、凍結した安堵感を噛み締め乍ら、切嗣は紫煙を呑み込み、煙草を捨てる。

 

「引き上げるぞ、舞弥」

 

 相方に撤退を指示し、自身もさっさと退散しようと後ろを向いたその時――。

 かつん、かつん、かつん。

 切嗣は音を聞いた。革靴がコンクリートを踏みつける音。

 何者かが此方に向かって遣って来る。しかも、かなり近い。

 階段は上りと下りで一つずつ。近付いて来る人間は下からであり、当然顔を見せるのは階段から。顔を少しでも見せ次第――部外者ならば、意識を奪い、記憶を消去しこの場に捨てておく。他のマスター及び、この聖杯戦争の関係者であれば容赦なく抹殺する。

 切嗣はそう考えて、懐から九mm口径の拳銃――グロックを抜く。

 

「御機嫌よう。良い夜だな、衛宮切嗣」

 

 併し、切嗣は、低く冷ややかな声で自分に挨拶をする男の顔を見て、思考が完全に停止した。

 

 ――今日は厄日だ。

 

 次の瞬間には心の中でそう毒づいていた。

 兼ねてからの調査で明らかになっていた参加者の中でも、切嗣が最も危険だと断じた男がそこにいたのだ。

 遠坂時臣の弟子として魔術を学び、令呪を宿したことでマスターとなった――ということになっている男。

 元聖堂教会の代行者、あらゆる分野に於いて自分を激しく苛め抜くような鍛錬を積み続け、だのに“情熱”が見当たらない危険な男。

 無意味な遍歴の成れの果てとして黒い修道服の下には鍛え抜かれた肉体、そして双眸は絶望と怒りに淀みその黒にも況して尚も黒い。

 

「言峰……綺礼……」

 

 切嗣は、その男の名を呼んでいた。

 

 †

 

 新都に聳える冬木ハイアットホテル。最高級の設備とサーヴィス、そして市内一の“高さ”が売りのそこからほど近いコンビニエンスストア。

 それとしては広い駐車場の中には、道行く人や通り過ぎる車からも一際目を引く、一台の大型トラックが止まっていた。

 フロントデッキに甲冑を思わせるような金属加工によりラッセル車にも見える。至る所に行灯がぶら下げられ、電飾を取り付けたワイヤーが樹に絡みつく蔓を彷彿とさせる。そして最も印象的なのは、コンテナ部に描かれた見事な龍。桃の花と雪が散りばめられ、大変華やかに映る龍が今まさにも飛び出さんと空目させる。

 所謂、デコレーショントラックである。

 日増しに摘発が多くなり、数を減らしていくデコレーショントラックだが、それだけならば別段珍しくはない。人目を特に惹きつけるのは華美の中にも、品のようなものがあったからだ。

 さて、ではこのトラックの運転手は誰か。

 その人物は運転席で紙巻煙草を作っていた。手製の紙巻煙草の作り方は、本当に手で作る場合と専用の道具を用いる場合があるが、このトラックの持ち主の場合は後者だ。道具自体は非常に単純な仕組みだ。ローラーが二つ付いており、それにシートが掛けられており、その間に煙草の葉を敷きローラーをスライドさせシート内に閉じ込める。そして、その状態でローラー部分を二、三度回転させて、煙草を筒状にし、ローラーとローラーの間に出来る隙間から巻紙を入れて、ローラーを回転させる。多くの巻紙は端の部分に切手のような唾で溶ける糊が付いているからその部分を舐めれば、煙草は完成する。

 一連の動作を、数十年は慣れ親しんだかのような手つきでこなす運転手は、けれど二十代後半の若者のように見える。

 服装はブラウンカラーのフード付きレザージャケットにダメージ加工を施したジーンズとトラック運転手らしく見えなくはないもの。

 但し、旋毛の部分で結われた艶やかな長髪と優し気な美貌が、運転席を覗き見する人々にその認識を拒ませる。

 

「はぁ……やるとは思っていたけれど、Real(ルェル)にやるとはね」

 

 先程の呉松荘の崩壊とそれに因って起こる喧騒に、辟易とする運転手は言う間でもなく、ランサーである。

 

『お前の言う通りになるとはな』

 

 ダッシュボードに取り付けられた一見芳香剤のようにも見えるビーズのようなものが入った瓶から声が響く。

 ランサーのマスター、ケイネス・エルメロイの声だ。

 さて、このような通信機を使っているということは、ケイネスはランサーとは離れた場所にいるのであろうか?

 否、そうではない。

 ケイネスはソラウと共に、ランサーの近くにいる。

 具体的にはトラックの荷台の中に。

 然う――ケイネス・エルメロイが此度の聖杯戦争で拵えた工房はデコレーショントラックの荷台に作られていたのだ。

 だが、別に伊達や酔狂でこのようなことになったわけではない。

 これは、ランサーの策によるものであった。

 ――話はケイネスが人形師、アオザキを尋ねた所に端を発する。

 ケイネスは、ランサーが衛宮切嗣を警戒しろと言ったことを聞き入れ、念には念をと、自分とソラウの肉体に何かあった時の代替となる人形の製作を依頼したのだ。

 封印指定――魔術協会にとって物珍しく、研究に値する人間――であるアオザキは隠匿中の身であるが、ケイネスにはその捜索は至極簡単であった。そして、サーヴァントという生粋の魔術師である彼女にとっては研究価値のあるものを有するケイネスが気紛れな人形師を容易く従わせたのは言うまでもないだろう。

 そして、個人的に交友を持つゴットフリートを頼り、その名義を借りうけて新たに工房となり得るホテルを借りる。

 ケイネスが立てたのはそういった策であった。ランサーが事前に衛宮切嗣と繋がる密偵の存在を見つけ出し、“ケイネス・エルメロイの事故”と“コルネリウス・アルバという魔術師の参戦”という虚構という後ろ盾もあった為、ケイネスはこれで完璧だと確信した。

 併し、ランサーはそれではまだ不足だと言った。ランサーがまずやったことは、アオザキ製の人形をおとりに使うこと。ゴットフリートの名で貸し切ったホテルに、簡易的な工房を作り、ケイネスが誇る降霊術を用いて人形に亡霊を定着、“ランサーのマスター”と“その婚約者”に見せかけた。

 衛宮切嗣が爆破し、建物ごと殺したものの正体がそれであった。

 だが、それではケイネスは拠点がないまま戦うことになってしまう。無論、乱世を生きたランサーは拠点の大切さを知っており、必要だとも考えていた。

 ――そこで思いついたものが、トラックを用いた移動要塞である。

 移動する分だけ、地脈から受けられる大源(マナ)の恩恵に変動が出るという欠陥があるが併し、それはケイネスの才覚により幾らでも補えた。

 さらに移動する為に、中々居場所を悟られにくい。況してランサー陣営は工房から離れる際と工房へと戻る際の移動には地下水道を利用している。拠点の発見は不可能に近い。

 ランサーの持つ“騎乗”のスキルを最大限に利用できる上、工房に改造した際に結界を張っている為、サーヴァント実体化に際する気配増幅も防ぐことが出来る。

 大凡、完璧な工房であった。

 魔術師にとって忌むべき、文明の利器(デコレーショントラック)を用いているという点を除けば。

 最初にケイネスがランサーの策を知っていれば、その購入に用いる金がケイネスのものであったならば、屹度ケイネスは全力を挙げて大反対していただろう。

 だが、マスターに無許可で、その上ランサーが“関聖帝君”に付随する“黄金律”のスキルを悪用しギャンブルで得た金で購入されたトラックを見せられてはぐうの音も出ない。

 “ランサーが購入したトラックを工房に改造しているからあくまでも自分は科学に頼ってはいない”――そんな子供のような理屈で自分を納得させるケイネスであった。

 この案に反対しようものならば、令呪を切らざるを得ない状況になるであろうことも手伝ってケイネスは胃痛を抱えながら工房を築き上げたのだ。

 ……ケイネスがそれを思い出し、胃痛がぶり返すのを感じた時であった。

 

「でも、一つ予想外はあったんだけどね」

 

 ランサーは三十数本作り上げた煙草の内、一つを銜え、火を点けながら話す。

 

『なんだ?』

 

 と、ケイネスはランサーが作った桃饅頭に舌鼓を打ちながら、訊ねる。

 

「――あの糞野郎がカタギを巻き込んだことだよ」

 

 ランサーの回答は、お道化はなく、また彼が元来持つ緩やかな気風というものは一切感じられなかった。

 少なくとも、ケイネスと彼の隣で同じように桃饅頭を楽しむソラウはその味を消失させた程、その声はぞっとするほど冷淡であった。

 サーヴァントという霊的な存在となっているが故に、霊視能力が上がっているのだろう。だから彼の目には見えたのだ。爆破に巻き込まれる、聖杯戦争とは無縁の人々の嘆きが。

 

「許せねぇ。確かに、戦場に立つ者つーのは、なんであれどうであれ須らく命に対しての責を負う。そこには誉や礼の立ち入る隙はねぇよ。だがな、血とは縁も糞もねぇ無辜の民を巻き込むのは絶対にやっちゃいけねぇことだ。それだけは、ボクのような戦う者が守らなきゃならん心理だろうが」

 

 声こそ荒立ってはいない。併し、そこには怒りがある。

 明確な、殺意と敵意もある。

 屹度、衛宮切嗣がこの場に居れば、ランサーは迷うことなく彼を細切れの、粗挽きの肉団子にしていたことだろう。

 ――ケイネスにとっては、無辜の民がどうだこうだということは別段価値のないものだ。併し、忠臣が怒っていることに気を遣らねばという思いだけはあった。

 

『お前の思いは分かる。その怒りを晴らす機会もやろう』

 

 ケイネスはそう誓う。嘘はない。

 それだけのものを与えないで、何がマスターだというのだろうか。

 だが、その上でケイネスはランサーを諫める。

 

『だが、今は収めろ。お前の殺気は大きすぎる。それが故に私の命が散ってしまえば、その機会すらなくなってしまうぞ?』

 

 その言葉を聞き、ランサーははっと目を見開く。

 青天の霹靂であった。冷静さを欠いていた自分にこの瞬間まで気が付いていなかったのだ。

 

「うん。それはそうだ」

 

 ランサーは微笑み、紫煙を呑む。

 

 ――嗚呼、良い主だ。

 ――玄徳、ボクはもう一度の生でとてもいい人に巡り遭えたよ。

 

 遠く、星を見つめ、もう一度煙を呑もうとした時であった。

 

『所で、ランサー一つ問題が起きたんだが、工房に戻ってくれないか』

「何かな? ケイネス?」

『ソラウが鼻血を吹いて倒れた』

 

 ケイネスの意外な報告に、ランサーはただただ呆然とした。

 

「いや、ボク、医学は齧る程度なのですけれど」

 

 頼りにしてくれるのは構わない。

 だが、主は自分が何でも出来る勘違いしているのではないかとランサーは疑い、苦笑した。

 


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