Fate/is inferior than Love   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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第十八話 帰還

 

 ケイネスの魔術工房の生活スペース。

 四人掛けのテーブルに肘を付き、

 

「はぁ」

 

 もう何度目になるか分からない溜息を洩らした。

 ソラウはケイネスのジャケットの中に使い魔の鼠を仕込み、そこから戦場を見ていたのだが、途中でその光景が暗転してしまったのだ。

 これは使い魔が死んだことを示しているが、殊にソラウを不安にさせた。

 

「……どうしよう。あの人の身に何かあったんじゃ」

 

 否応なく不吉な想像に思考が持っていかれる。

 だが、ケイネスの体に密着した使い魔が死んだということは何かしらケイネスに外的な衝撃が加わったことを意味する。

 もしかしたら、ケイネスは死んでしまったのかもしれない。死んでいなくとも、重傷であるかもしれない。

 ――ソラウはテーブルに顔を伏せた。

 ランサーと繋がれているパスに何か重大な変化があったわけではないと、自分を言い聞かせながら。

 それでも、胸を締め付ける、狂おしい痛みに瞳を固く閉じて。

 だが、そんな感傷に浸る暇は無かった。

 

「YEAHHHHHH(イアァァァァァ)! ただいマンダム!」

 

 工房の扉が開き、訳の分からない勢いで帰りを告げるランサーの所為で。

 ソラウは顔を上げ、呆然とそちらを見つめた。

 

「……た、ただいま」

 

 ランサーに肩を強引に抱き寄せられ縮こまっているケイネスが隣にはいた。

 心底迷惑だと言いたげな表情をするケイネスを見て、きっと平時のソラウであればいたたまれない気持ちになっていただろう。

だが――

 

「ケイネス! ランサー!」

 

 ソラウは飛び出して、二人を思い切り抱きしめた。

 

「Oh(アァウ)!」

 

 業とらしくランサーは驚いてみせる。

 一方でケイネスは

 

「あ、え?」

 

 赤面し、固まったまま動けないでいた。

 そして、なんとか正気を取り戻すと、今度は自分の腹の辺りに押し付けられている柔い感触に気が付き意識を手放しかける。

 

「あの、ソラウ離してくれ。胸が……」

 

 ケイネスが発熱する脳髄で、その事を指摘するがより抱きしめる力は強くなる。

 そして、

 

「良かったぁ……」

 

 絞り出すような声がケイネスの耳元に届いた。

 

「ソ……ラウ?」

 

 氷の如くに凛とした普段の彼女からは考えられないような優しい声色にケイネスは困惑する。

 

「心配してた……。アナタに、二人に何かあったんじゃないかって思って」

「ソラウ……」

 

 ソラウは、震えていた。

泣いているようにも、ケイネスには思えた。

 このまま、抱きしめても良いのだろうか?

 柄にもなく、ケイネスはそんなことを考える。

 いや、寧ろ抱きしめたいと思った。普段弱さなど見せないソラウが弱っているように見えたから。

 だが、ケイネスはそうしようと思うと震え、出来なかった。

 そんな自分を情けなく思っていると、

 

「ああ、えっとお二人さん? Can I talk(キャノイターク)?」

 

 躊躇いがちに、ランサーが話し出した。

 

「なんだ?」

「なに?」

 

 二人してランサーの顔を見る。

 

「いや、感極まって抱き付いたのは分かるんだが、ボクとケイネスの状態を考えると……ね?」

 

 含みのある言い方にケイネスは一度眉を吊り上げると、

 

「あ」

 

 すぐに気が付いた。

 

「あ」

 

 ソラウも同様であり、すぐさまケイネスとランサーから離れた。

 それはもう逃げるように。

 当然であった。ランサーとケイネスは、ずっと海を辿り、川を泳ぎ、下水道を辿って工房まで遣って来たのだ。

 当然着ている服は水が滲み込み、汚泥に汚れている。

 そんな二人に抱き付けばどうなるか。

 

「あちゃー……」

 

 ソラウもまた水と泥で汚れることになる。

 顔を真っ赤にし、ソラウは透けたブラウスからはっきりと見えてしまう胸元を隠した。

 

 †

 

 シャワーを浴び、風呂によく使った後、ケイネスは着替えなおした。

 ――襟の裏地がノルディック調の柄となった白いYシャツ、クリーム色のセーター、青のコーデュロイパンツ。

 襲撃に備えて何時でも逃げられるようにと、街中に繰り出せるような服装である。

 ソファに腰かけるケイネスは、自身の前に置かれた低いテーブルにある本に手を伸ばす。

 そして、それを開くと、 

 

「ところで、この服はお前が用意したのか?」

 

 ケイネスはセーターの襟を引っ張るようにし、キッチンに立つランサーに声を掛ける。

 

「そうだよ」

 

 大凡、人間には不可能な動きと速度で野菜を刻みながらランサーは答える。

 

「戦争だからね。服は一着じゃ済まんだろうと思って買っといたんだ。こんなに早く出番が来るとは思っても見なかったけれど」

 

 高く上がる炎を前に涼やかな笑みを浮かべながら中華鍋を振るうランサーもまた同じように新しい服に着替えていた。

 ブラウンのフード付きレザージャケット、牛の頭蓋骨のようなものがデザインされた黒のTシャツ、濃紺のダメージジーンズといった一式。

 調理中である為に、その上からきのこをモチーフにしたよく分からないキャラクターが描かれたエプロンを着ている。

 

「……そうか」

 

 ケイネスは炒める食材を空中で一回転させるほど激しいランサーの調理に唖然としながら相槌を打つ。

 ランサーの調理は食材が飛んだり、目で追えない程素早い包丁捌きを行ったりとケイネスの常識を大きく超越しているものであり、まるで慣れることが出来ないでいた。

 

「そういえばさー」

 

 そんなケイネスをよそにランサーは手元を殆ど見ずに、寸胴鍋から茹でていた麺を掬い出し、湯切りをしながら話し出す。

 

「手元を見ろ、危ないぞ……何だ?」

「ボクを舐めるな、へまはやらんさ。ソラウさんのことなんだけどね」

 

 麺を、食材を炒めているものとは別の中華鍋に移し焼き始めつつ、ランサーは訊ねる。

 

「ソラウさん、なんか病気やってる?」

 

 その問いに、ケイネスは胡乱気に眉を顰める。

 

「いや、至って健康体だが?」

「そうか、そうか。それなら良いんだけど」

「何故そんなことを?」

 

 首を傾げるケイネスに対して、ランサーは麺の焼き加減と具材の焼き加減を両方見ながら、火を調整する。

 

「そりゃ、聞くだろうさ。お風呂から出てきたら、顔真っ赤にして鼻血垂らしてればね」

 

 ランサーは苦笑する。

 話を少しばかり遡り一同ずぶ濡れになった直後。一体誰が一番先に風呂に入るかを話し合った時、ソラウからの提案でランサーとケイネスが二人で同時に浴びることになった。

 曰く、ランサーは料理をしなければいけないから優先的に体を洗うべきだが、かと言ってケイネスも人間の身で冬の海や川、溝に小一時間浸っていたから早急に体を温めた方が良い。

 ともすれば、ランサーとケイネスは一緒にシャワーを浴びるべきだ。

 このような論法に因って、あれよあれよという間に男二人でのシャワーが決定してしまった。

 ケイネスの強い拒否をよそにである。

 

「病気じゃないとしたらなんで鼻血なんて……。扁桃でも食い過ぎたんかね?」

 

 流石にランサーの眼力を以てしても、ソラウという人間の性(さが)は推し量れなかったのか、アーモンドの食べ過ぎという斜め上過ぎる予想を立てる。

 だが、ケイネスは知っている。否、知ってしまっている。

 以前から、その前兆は察知していた。

 何やら書き物をしているということ、ケイネスのセクシャリティーを邪推したこと。

 そして、机に置かれた流麗な書体で『K×K』と表紙に書かれた、瘴気のような只ならぬ存在感を放つ分厚い日記帳。ケイネスは、その中身を見ることで推測を確信へと変えた。

 

「Master(ムァスター)? 如何したんだい?」

 

 ケイネスが顔を蒼褪めさせる一方で、悔しいとも辛いともとれるようななんとも言えない表情になったのをランサーは訝しむ。

 理由を問いただそうと、ランサーが思い立ったその時――

 

「良いお湯だったわ」

 

 丁度、ソラウが風呂から出てきた。

 

「うわァァァァ!」

 

 すると、突然、ケイネスが絶叫を上げた。

 

「……どうしたのよ?」

「な、な、な、な、なんでもないぞよ?」

 

 不自然を丸出しにする形になってしまったケイネスは、当然ソラウに怪訝な目を向けられる。

 併し、読まれたら拙い著作物をケイネスが読んだとは思ってはいないだろう。

 件(くだん)の文書を、ケイネスは咄嗟にソファの下に隠したのだから。

 

「ねぇ、ケイネス」

「な、何かなソラウ?」

「ここに、本が置いてなかった?」

 

 ソラウがソファの前のテーブルを指してケイネスに訊ねた。

 ケイネスは背筋に寒気が走るのを感じる。

 ソラウの瞳から不意に光が消え失せ、声には“美塵葬・大紅蓮(チンロン・ユーメイレン)”も斯くやというほどの冷気を帯びていたのだ。

 心臓が早鐘を打ち、どっと冷たい汗が流れるのをケイネスは感じた。

 

 ――誤魔化しきれるか?

 

 ケイネスが生唾を呑み込んだその時――

 

「ごー飯がぁーでーきーまーしーたーよォォォ!」

 

 ゴンゴンと中華鍋をレードルで何度も打ち鳴らしながら、ランサーが騒ぎ始めた。

 見れば、四人掛けのテーブルの上には人数分の料理が並んでいた。

 皿の上に盛られたそれは、あんかけ焼きそばである。

 料理の失敗と思われるような不自然な焦げは一切なく、立ち上る湯気がとろみのついた野菜や卵、魚介をより艶やかに映す。

 

「さぁ、冷めない内に食べるアル! お残しは許さないネ!」

 

 尚も、中華鍋を銅鑼の如く鳴らしながらランサーはソラウとケイネスに着席を促す。

 

「ああ、もう! ウルサイ! 食べるから、それ止めなさいよ!」

 

 耳を塞ぎながら、ソラウはうんざりとした顔で席に着く。

 

「Master(ムァスター)! Dinner(ドゥウィナー) time(タァム)!」

「分かったから、落ち着け」

 

 頭に響く喧しい音に、ケイネスは顔を顰め、渋々と席に着いた。

 全員が席に着き、ランサーは漸く騒ぐのを止め、自分も席に着くと

 

「そんじゃ、皆さんいただきましょうか」

 

 と声を掛け、大盛りに盛られたそれを凄まじい速さで食べ始めた。

 ソラウも心から嬉しそうな顔をして、まず一口。

 

「うへぇ……」

 

 美貌が台無しになるような、気の抜け切った表情で口の端からは涎を垂らしていた。

 

「ソラウ、顔」

「……はっ!」

 

 ケイネスが指摘するまで、その状態が治ることは無かった。

 

「うへぇ……」

 

 尤も、二口目を食べれば元通りになってしまうのだが。

 

「いやぁ、ホントにソラウさんって美味しそうに食べるよね」

 

 それを見て、ランサーは輝かしいばかりの笑みを浮かべていた。

 

「……こんな風になるのはお前の作ったものに対してだけだよ」

 

 そう一言だけランサーに返すと、ケイネスは目を閉じ、無言で焼きそばを食べ進める。

 

「ほにゃ?」

 

 ランサーは首を傾げたが、ケイネスの言っていることは事実であった。

 ソフィアリ家にて生まれ育ち、処世術として“我儘”が嫌というほど身についているソラウは今まで行ったことのある総ての料理店に於いて、文句を言わなかったことが無かったというほどには食事に五月蠅い。

 婚約者であるケイネスは、当然ソラウとも食事に行ったことがある為、それをよく知っているのだ。

 そして、ケイネスの知る限りに於いて――というより、ソラウ史上、文句も一切言わず、ただ美味そうに食べるという例は、ランサーの料理が初めてであった。

 

「貴方、ホントに受肉したら? 料理人として雇いたい」

「い、いや……それはちょっと。死んだ奴がもう一度人生を得るってのもなんか違うと思うしさ」

 

 ランサーは手をぶんぶんと振って、苦笑する。

 

「そう……。それは残念ね……」

 

 ソラウは大きく気落ちした。

 

「てか、前もこんなこと言ったようね?」

 

 ランサーが思い出したのは冬木に着いて初日の出来事。

 料理の腕に覚えがあったランサーは勿論それを振るうつもりで、一番の得意料理である“肉まん”を作った。

 日本に於いてはコンビニでもよく見られる定番の中華料理であるが、その起源はランサーが仕えていた“蜀”にあると言われる。

 一般によく知られる説では諸葛孔明が作らせた饅頭が始まりとされ、それに関する記述が存在する書物を紐解けば、関羽の死亡した年と重なる。関羽が嬉々として肉まん作る光景に出くわせば、屹度歴史家は、それを知っている筈がないと断ずるであろう。併し、書物は書物。

 アーサー王が女性であるという真実を伝えられなかったように、関羽雲長が中華まんを編み出した人物だという真実を伝えはしない。

 この日、この瞬間を仮初ながらも生きるランサーは生前通り、料理の達人で肉まんを作ることが出来た。

 出来たのだが――それがいけなかった。

 

『ケイネス、何とかしてこの関羽を受肉させなさい! この素晴らしい料理人を私達で雇うの!』

 

 肉まんを食べて一口、ソラウの感想。

 それは出来ないと、ケイネスが宥めるが、ソラウが深く、甘い囁きをした。

 

『もしやってくれたら、あぁんな恰好やこぉんな恰好で、あぁんなことやこぉんなこととか、してあげるのになぁ……』

 

 その言葉で、ケイネスは、壊れた。

 令呪を三つ使えば、或いは受肉できるかもしれないと言い出し、実行に移しかけたのである。

 ……なんとか、ランサーが説得しなければ、そこで聖杯戦争が終わっているところであった。

 というよりも、もしそんなことをすればエルメロイの家は、周りの一族から愚者の烙印を押されていただろう。

 

「ねぇ、ホントにこの世界に残らない? そうしたら、お気に入りのメイド長も嫁にあげるわよ?」

「魅力的な提案ではあるが、それでも遠慮願うよ。あれだけ素敵な人なら、ボク以上の素敵な旦那様というのにも巡り会えるだろうし。それにやっぱりボクは過去の遺物だ。与えられるのは、一夜限りの夢のような、すぐ忘れ去られてしまうような時間だけで良い」

 

 ランサーの意志は固かった。

 その戦法や在り方に英雄らしい拘りを持たない彼にとって、唯一譲れない矜持なのであろうと、黙ってあんかけ焼きそばを貪りながらケイネスは考える。

 ソラウもそれが理解出来たのか、

 

「分かりました。諦めます」

 

 と肩を落とす。

 

「まぁでも、気に入って貰えたのは創り手として正直嬉しいね。成り行きながらも頑張って来た甲斐があった」

 

 ランサーが何気なく漏らした謝意に、

 

「成り行き? 一体どんな成り行きだ?」

 

 早くも焼きそばを完食したケイネスが反応を示した。

 すると、ランサーは遠くを見つめるような目で話始めた。

 

「あれは、確かまだ益徳と出会ったばかりの頃だった。ワケあって野宿をすることになって、張飛がご飯をつくることになったんだ。思えば、これが始まりだった」

「何故?」

「張飛が料理と言って出してきたものは“蜥蜴と蚯蚓の煮つけ”だったんだ」

 

 あんまりにもあんまりな内容に、ケイネスとソラウは言葉を失った。

 

「“兄者、お前は泥を食ったことがあるか? 俺はあるぞ、何度もな……”そんなことを神妙な顔つきで言いやがる益徳を見てボクは思ったよ。これからも屹度、野宿する機会はあって、そのたんびにこんなものを食わされていたんじゃ命がいくつあっても足らんと。このゲテモノ野郎じゃ、まともなもんを作ることなんぞ期待は出来ないし、これはボクがやらねばならないと」

「……大変……だったのね」

「関羽雲長、めっちゃ苦労しました」

 

 にこやかに答えるランサーであったが、その眼は死んでいた。

 ……少しばかり、ランサー陣営の食卓はしんみりとした空気に包まれた。

 


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