Fate/is inferior than Love 作:源氏物語・葵尋人・物の怪
「やめろォォォ! バーサーカー! 戻れ! もう良い!」
川辺でのたうち回りながら、バーサーカーのマスター、間桐雁夜は叫んでいた。
間桐雁夜は魔術師の家に生まれながら、生粋の魔術師ではない。
あまりにも残酷な魔術師の在り方を嫌い、出奔していた身である。ある目的を持って、生家に戻って来たのがほんの一年前。それから、間桐の秘伝により、魔術師となった言わば急ごしらえの魔術師だ。
然も、その秘伝魔術というのがこれまた悪辣。体内に、魔術回路を代替する虫を飼うというもの。
魔力を消費するという行為を行えば、体内に飼った虫が暴れ、肉を喰らう。
そして、サーヴァントの実体化とは、魔力を消費する行為である。加えて言えば、バーサーカーのクラスのサーヴァントは大食らいである。
「あぐっ……うぎぃ……」
その二つの組み合わせは、雁夜の体に激痛を与える。
否、“激痛”と言うには生ぬるい。
生き乍らも、体を貪り尽くされる恐怖と共に遣って来る痛みは地獄そのものであった。
神経が針の筵の如くささくれ立ったような、血液が一滴残らず毒薬になったような、細胞の一つ一つが癌細胞になったかのような、痛み、痛み、痛み、痛み――
雁夜は肌が裂け、爪が剥がれ落ちる程、全身を掻き毟った。
体を何度も地面に叩き付け、苦しみ喘ぐ。
これを止めるには、バーサーカーを撤退させ、霊化させれば良いのだがそれが出来ない。
バーサーカーが新たな標的を見つけてしまい、戦闘を止める気配が無かったから。念話で命令を下せども戦闘を止める素振りを見せない。それどころか、雁夜からバーサーカーへと流出する魔力は余計に増していく。
それに伴い、刻印虫暴走は激しさを増す。
「止まれェェェェ!」
令呪を使うという選択肢すら、雁夜の頭からは解け落ちていた。
†
「A――urrrrrrrrrッ!」
けたたましい咆哮と共にショルダーチャージを仕掛けてきたバーサーカーを、セイバーはひらりと躱した。
その勢いにより、そのまま樹木に激突する。
其処は、丁度ランサーが投げた匕首が突き刺さった場所であった。
バーサーカーは怯むことなく立ち上がると、匕首を引き抜きセイバーに向かって投げた。
音速で迫る刃をセイバーはいとも簡単に弾く。
「ちょっ!? ボクのだぞ、それ!?」
くるくると回りながら、宙を舞う匕首を慌ててランサーは拾う。
「大切に扱えよなぁもう……うん?」
と、そこで気が付く。
匕首に葉脈のような黒い筋が生じていた。魔力を感じる。バーサーカーから滲み出ているのと同じ、負の感情に満ち満ちた魔力を。
「まさか……」
ランサーがある可能性に行きついた時、めりめりと凄まじい音がバーサーカーのいる方向から鳴った。
ランサーはその音に驚き、顔を上げる。バーサーカーが傍の樹木を引き抜き、右腕に抱え込んでいた。どうやら、それを武器にする算段のようだ。高く、太い檜を軽々と引き抜き、片手で持てるだけの剛腕も凄まじかったが、それ以上に筆舌すべきは、その大木に起こった現象。
バーサーカーが握った箇所を起点に、蔓(アイビー)を思わせる、黒い筋状の魔力が絡みついていた。
相対するセイバーも、見守るライダーもランサー同様に理解する。
バーサーカーの宝具の正体を。
「手に触れたものを宝具にする能力か」
宝具はランサーの“青龍艶月”や、セイバーの“約束された勝利の剣”のような武具としての形を持つものばかりではない。
英霊の肉体に掛けられた呪いや加護、修練のなかで生み出された技、逸話が昇華された特殊能力などの形を取る場合もある。
バーサーカーのものは、そういった形のない宝具であった。
だが、正体が分かったところでその脅威は変わらない。そして、アーチャーが射出した宝具を奪い取り、自在に操ったその手前も、今ならば誰もが納得出来た。バーサーカーの魔力に浸食され、文字通り、“彼の宝具”と化していたのだ。
そして、ただの樹木ですらも、膨大な魔力を帯びて、他の宝具と打ち合う程の代物となる。
まずバーサーカーの突進。更に追撃の薙ぎ、唐竹。一発一発が大振りにも関わらず、研ぎ澄まされている。然も、樹木のサイズが超大であり、まるで破城槌のような威力がある。
セイバーは鍔迫り合いをする。互角に打ちあえてはいるが、それも何時まで持つか。
ランサーとの死合で、魔力放出を幾度と無く使った。マスターの魔力とセイバー自身に残る魔力を総動員しても切り札の“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”を一発放つのが限界。
そもそも、バーサーカーの猛攻は溜めを作らなければ放てない対城宝具を使わせるだけの隙を生じさせることすらない。
此方は戦えば戦うほど不利になる。劣勢に立たされるセイバー。
再び、バーサーカーの突きが放たれる。
セイバーは顔に焦りを露わにしながらそれを受け止めようとする。
だが、それがセイバーに届くことは無かった。
「Sorry(スォーリー)、狂戦士君。でもこの嬢ちゃんはボクの獲物なんだ」
ランサーが間に入り、大刀の切っ先を樹木の根に食い込ませ防いでいたのだ。
そして、そのまま剛力で以てはじき返すと、体の周りで得物を振り回し、後ろ手に持って構える。
「邪魔立てすんなら君の首から撥ねるよ?」
「ラン……サー?」
死闘の決着を付けて起きたい。ランサーの気持ちをそうだと考えてセイバーは、違和感を覚える。
――何かがおかしい。
決着を付けるという願いは、彼女が殉じた騎士道そのものである筈なのに。何も感じ入るものがなかった。
「何をしている! セイバーを攻撃しろ! 倒すなら今であろう!」
ランサーの行動に途端にケイネスが癇癪を起す。
「セイバーはこのボクがただ一人で倒す! 然う決めた! お願いだ、阻まないでくれ!」
優美な微笑みが似つかわしいランサーからは想像が出来ぬ、沈痛な面持ちでランサーは訴える。
「聞けぬと言うのならば仕方あるまい! 最早、これに頼るまで!」
そう宣言し、ランサーに見せつけたのは右手の甲に宿る令呪であった。
途端に、ランサーの表情が絶望に凍結した。
「止めろォ! 止めてくれ、主!」
喉が潰れそうな程の絶叫。
見ているセイバーですら胸が締め付けられそうになる。
だが――
「――“美塵葬・大紅蓮(チンロン・ユーメイレン)”」
冷ややかな声で告げられた真名解放に因り、セイバーの背筋に怖気が走る。
――拙い。
そう思ったが時既に遅かった。ランサーが、刹那で反転し、青龍を宿した絶対零度の刃の輝きをセイバーへと閃かせる。
迫り来る刃を寸での所で受け止め、セイバーは呆然とした表情でランサーを見つめる。
「……仕留めきれなかったか」
ぞっとするほど冷淡な声でランサーが呟き、漸くそれでセイバーは違和感の正体に気が付いた。
この男は、一対一で自分と打ち合った時に何と言った?
その力を讃えた時に何と返した?
誉れなど自分にとっては無用の長物であると切って捨てたではないか。
このランサーにとって、戦いは戦い以外の何物でもなく、命を奪うものという認識しかないのだ。
騎士道という精神がまるで存在していない。故の、騙し討ち。
「残念だったな、ランサー。そうまでして勝ちを狙ったようだが、私は以前未だ変わりなく健在だ」
「そうだね。でも、触れたな?」
そう指摘され、セイバーはぞっと顔を蒼褪めて聖剣を見つめた。
魔力も、宝具が持ち得る高貴な気も、何も感じられない。
聖剣が死んでいる。
一体何故?
セイバーは答えを探す。そして、彼女はあの技を躱す時に頭の中で何を思っていたかを考える。同時に、ランサーはその技をどのように説明したかを。
確か、武具や体で触れると拙いと感じた筈だ。
曰く、触れた者を紅蓮の華のような姿で殺す技だと言った筈だ。
そして、セイバーは答えを導き出す。
ランサーは嘘を吐いていたのだ、と。
「気が付いたか? ボクのこの技は人を殺すのみじゃあない。宝具を凍てつかせ――砕く!」
それが真実であった。
「だが、流石に聖剣だ。仮死状態に持っていくまでが精々か。長くて五日、短くて三日。封印しておくくらいが限界かな?」
ランサーはそう苦笑したが、セイバーにとっては今のこの状態ですら剣呑である。
何故ならば、
「けど、これでその剣は岩に突き刺さる程度の棒切れだ。襲るるに足りないよ!」
一対多数になった場合の唯一の打開策である対城宝具がこの場では失われたことになるのだから。
「いや、併しMaster(ムァスター)。中々の演技力だった。お蔭で上手く騙せたよ」
「フン……。貴様の三文芝居に付き合うのも楽ではないな」
仲間割れをしたように見せかける為にケイネスはよく働いたと言えた。
この場の誰もが、令呪を切ると思った事であろう。
「――外道め」
セイバーはランサーをそう吐き捨てる。
かはははとランサーは大笑した。
「外道で結構。やらぬ正道より、やる外道ってね」
そして、ランサーは依然大木を構えたバーサーカーと共にセイバーへとにじり寄る。
「悪く思わないでくれ。ボク、これでも三対一とか経験ある方でして。二対一で女の子を甚振ることに関しては何の感慨も無いんだ」
この状況下でも、優美な微笑みを絶やさないのが、セイバーにとっては殊更に恐ろしく感じた。
「アイリスフィール! 貴女だけでも逃げてください! 最早これまでです……」
成す術無しと判断したセイバーはアイリスフィールに逃走を促す。
マスターの妻を守らないという考えはセイバーの中には無かった。
「セイバー、諦めないで! 貴女のマスターを信じるの!」
だが、アイリスフィールはかぶりを振った。
セイバーを死なせるつもりなど毛頭ない。屹度、この場には夫が――切嗣がいるとアイリスフィールは信じた。
夫が考えた策により自分は此処にいるから。戦場で華々しく戦えと命じられて。実際多くの敵を惹きつけた。
今も、ランサーとそのマスターはセイバーに注目して背中を晒している。
屹度、切嗣が考えた通りの展開成っている筈だとアイリスフィールは信じて疑わなかった。
†
――こんな展開であって良い筈がない。
切嗣は内心でそう毒づいていた。
最強のサーヴァントの筈のセイバーが此処まで追いつめられる展開も。
アサシンに見張られながら、制圧射撃をしなければならないこの切迫した状況も。
何もかも予想外だ。
「……舞弥。“聖杯”を守ることが最優先だ。制圧射撃をする。カウントに合わせてアサシンを攻撃しろ」
もう何度目になるか分からないが、ランサーのマスターそ今度こそ仕留めきり、ライダーのマスターをも完全沈黙させる。
他に選択肢はない。
アサシンの攻撃に関しては恐らく切嗣の側に来ることはないだろう。何故ならば、切嗣のライフルには消音装置が取り付けられ、相方の舞弥のそれには消音装置がない。
十中八九、アサシンは彼方に行ってくれるだろう。
そう自分でも甘いと思えてしまう目論見を立てて、いざ一世一代の賭けに出ることにした。
†
その時、耳を劈くような轟雷が鳴った。
目を抉るような、閃光。ひた走る何億Vにも価する紫電。土石を巻き上げながら爆走する車輪。
「AAALaLaLaLaLaLaie(アアアラララララライッ)!」
猛々しい声を上げ乍ら、ライダーがランサーとバーサーカーへと迫る。
「うおっ!?」
ランサーは驚きに目を見開きながら、身を翻して回避する。
「■■■■■■ッ!?」
バーサーカーはセイバーばかりを注視していた為に思い切り跳ね飛ばされた。
空中を錐もみ旋回しながら吹き飛ぶ。
そして、海へと叩き付けられ、大きな飛沫を立てる。
だが、雷電を纏った角が抉り込まれ致命傷を負った筈のバーサーカーはそれでも息絶えてはいなかった。
ぴくりぴくりと痙攣しながらもなんとか陸上に戻ろうとする。
「ほう……良い根性ではないか」
ライダーはバーサーカーを見下ろしながらも讃える。
併し、残念ながら足掻きもそれまで。バーサーカーは海の中に吸い込まれたかのように、蝋燭の炎の如くぼうと音を立てて消えた。
「それでだ、ランサー」
まるで、何事も無かったかのように、ライダーは獣の如き眼光でランサーを見た。
「貴様の頼みの綱であったバーサーカーはいなくなったぞ? 如何する気だ?」
ランサーは顔に焦燥を露わにしていた。
「……何だい君は? 卑怯者が気に入らないから正そうってのかい?」
「違う。先程、貴様が投げた刃。この征服王への挑戦状と受け取った。それだけだ」
ランサーはハハハハと弱弱しく笑った。
「……Master(ムァスター)。Pinch(ペィンチ)だ」
「説明しなくても分かる」
だが、ケイネスは至って落ち着いた態度であった。
「無論、これを打開する策はあるんだろうな」
その眼差しには期待が籠っていた。
「そうだ、ランサー! これで万策尽きたというわけではないだろう! 我はこのセイバーと貴様を潰しに掛るが、勝機はあるんだろう? それを、この征服王に晒すが良い!」
ライダーからも威勢の良い声が掛り、ランサーは顔を覆った。
そして、はあと溜息を吐き、凛烈な面差しへと直り、ライダーとセイバーを睨み付ける。
「無論だ。君らに対する策は決めている」
そう言うと彼は、大刀を一文字に構える。
「“青龍艶月(チンロン・グアンダオ)”」
その宣言と共に起こったのは、セイバーに襲撃を掛けた時と同じく濃霧であった。
「なんだ……一体何をする気だ?」
セイバーは困惑しながら辺りを見渡す。
隣のライダーは押し黙っている。
そして、どれほどの時間が経っただろう。
やがて霧が晴れると、其処にはランサーとそのマスターのケイネスがいなかった。
「……逃げたな」
セイバーが呟いた。
「やっぱりな」
ライダーも呆れたように呟いた。
逃走経路は海であった。
海上を若芽の様にランサーとケイネスは揺蕩う。
ランサーに抱きかかえられる形で波に浮かぶケイネスは
「おいコラ、ランサー! 策はどうした!?」
と暴れるように彼を怒鳴り散らした。
ランサーはHAHAHAと愉快そうに笑い飛ばした。
「そんなものはない! 逃げるんだよ!」
「お前を信じた私が馬鹿だったよ!」
ケイネスは忌々し気に叫んだ。
大英雄と時計塔の君主は、その名にあるまじき敗走を決めたのだった。