東方供杯録   作:落着

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煌めく星と陰る太陽に供する七杯目

 遊び疲れては眠る。ある種においては享楽的とも退廃的ともいえなくもない生活。

 しかも少女二人と成人した男が地下室でとの注釈が付けばもはや何をいわんやという状況だ。

 外の世界では事案発生と言われかねない。幻想郷でも知り合いに知られた日にはしばらくは話のネタにされること請け合いだ。

 ぼんやりと馬鹿げたことを考えながら涼介は寝ぼけ眼を擦っていた。覚醒を始めた頭が周囲を認識し始める。

 

「フランは元気だね」

 

 目覚めた視界に入ってきた光景は小悪魔の顔へ落書きをしているフランドール。疲れを知らない彼女の姿についつい年寄り染みた感想が口をついて出た。

 一端は目を覚ましたがいまだ眠気は残っている。あくびをかみ殺しながら涼介は起き抜けの一杯を自分に用意する。

 手にしたステンレス製のマグカップをみてふと思いつく。湾曲して歪みはあるが周囲を映す鏡面に自身の顔を映しこむ。

 鏡としては及第点もいいところだが、肌色に他の色が乗っていないかを確認するだけなら十分事足りる。

 

「お兄ちゃんには今回は描いてないわよ。ふふ、今度は小悪魔の番」

 

 無邪気に笑いながら描く手を止めないフランドールは小悪魔よりも小悪魔染みている。自身の真横で繰り広げられる光景にそんなことを考えさせられる。

 それにしても順調に学習も経験も進んでいる。嬉しくはあるが自身も悪戯の犠牲者候補であるためか、素直に喜べないのはわがままなのだろうかと少々悩んでしまう。

 現状は被害もないし、些末な内容で悩めるというのは幸せであると考えを改める。

 

「そうか、しっかり描くんだぞ」

 

 あれこれと考えはするが、今すべきことは悩むまでもなかった。当り前にフランドールに加勢して、悪戯をさらにけしかける。

 落書きを教えたのは小悪魔、その時のキャンバスは涼介だった。ならば涼介が止めないどころか促すのは自明の理であり因果応報である。

 小悪魔も教え子の成長のために教材にされるのであれば本望だろう。適当に自身の中で小悪魔の意思を作り上げて涼介は落書きされている少女を見捨てる。

 さて何が描かれているのやらと覚めきった身体を動かして覗き込む。

 

「ふっ、はは」

 

 瞬間、思わず笑っていた。額には大悪魔。頬には三本線の髭が左右対称に引かれており、鼻先が赤鼻のルドルフよろしく真っ赤に彩られている。極めつけは瞼に描かれた第三、第四とでも称すべき瞳であろう。口から垂れているよだれと相まって大変可愛らしい風貌となっていた。

 幸せそうな顔にどのような夢を見ているのか少しだけ興味をそそられた。むにゃむにゃと口が動いていることから意外と俗っぽい身近な幸せなのかもしれない。

 

「こんなもんかなぁ」

 

 終了を告げるフランドールの満足そうな声が作品の完成を知らせる。最初にあった時には想像もつかないほどに穏やかな姿である。

 小悪魔がときおり外から運んで来てくれる食事から考えるならば、地下室へ籠るようになってから六日程経過している計算になる。

 初めの頃は涼介の分の食事を運んでいて怪しまれないかと不安もあった。しかし小悪魔の「パチュリー様が異変が始まるということで珍しく食事を所望している。表向きはそうなっていますから大丈夫ですよ」との言に安心して引きこもり生活を送っていた。聞いた時はパチュリーは食べなくていいのかと思ったが魔法使いという種族は飲食を必要としないらしい。飲食は娯楽の類いであり、彼女は本があれば満足する性質らしく普段から食事を取らないので気兼ねなく食べていいということだった。

 

「フランも飲むかい?」

「うん、ちょうだい」

 

 描き終ったフランドールの視線に涼介が気が付く。一応確認をすれば案の定肯定の返事が返ってきた。

 フランドールの分を注ぎ、近くにあるナイフで涼介は自らの指先を浅く切りつける。傷口から流れ出た血が指を伝いカップへと落ちていく。

 ブラックコーヒーならぬブラッドコーヒーと落第レベルの洒落をそっと胸の内にしまい封印する。十分に血が落ちると痛みと出血を能力で抑える。

 ちょっとした能力の応用。痛みを発する神経の働きを落として抑制し、周辺の血圧を落として血の流出を減らす。

 欲を言えば傷を治せればいいのだが生憎と涼介もフランドールも治療の術を持ち合わせていない。今いる面子でそれが出来るのは今だ眠る小悪魔だけだ。何だかんだと魔女の助手として恥ずかしくない程度の手ほどきはされているようであった。

 

「小悪魔が起きたら治してもらえばいいか。はいフラン、できたよ」

「ふふふ、ありがとうお兄ちゃん。いただきまーす」

「どういたしまして。火傷に気を付けて飲むんだよ」

 

 フランドールはコクリと頷きながら、ちびちびとなめるように飲み始める。些細なことであるがお礼も感謝も自然と出てくる程に少女は社会性を手にしていた。

 乾いた大地が水を吸うようにフランドールは様々なことを吸収して成長している。ずっと一緒に過ごしていた涼介は、本当に賢い子だとフランドールを認識していた。

 

「さて、もう異変が始まってしばらく経つけど今外はどうなっているんだろうね」

「んー? んー、どうなんだろうねー」

 

 あまり気のないそぶりよ装っているがパタパタと忙しない翼が内心をこれでもかと表していた。本心を隠そうとしているさまはいじらしく見えた。

 本人が乗り気でないのならと話題を変える。何かをするのではなく、ただゆったりとくつろぎながらポツポツと二人で話しを続ける。眠っている小悪魔に配慮して少しだけ声を落としながらの会話。他者への気遣いももう指摘さえいらない。誰に言われること無く自分の判断でフランドールは出来るのだ。

 涼介は特別なことはしていない。強いて言うのであれば時折発作的に見せる破壊衝動を落ち着けていることだけだ。そしてその頻度さえ目に見えて減ってきている。

 

「ふぁ!? ぱ、ぱちゅりーしゃま! ……ふぁい、だひじょうぶです!! ……しゅぐに、すぐに向かいます!!」

 

 突然跳ね起きた小悪魔が独り会話を始める。内容を聞くに魔法を用いてパチュリーと話していると分かった。

 要件は短かったのか会話自体はすぐに終わった。小悪魔はまだ残る眠気を追い払うように頭を振り立ち上がる。

 

「何かあったのかい?」

「あ、はい。どうやら異変の解決人が屋敷の前まで来たようです。なので図書館に戻るようにと仰せつかりました。申し訳ありませんがここで席を外させてもらいます。それでは」

 

 説明が長いか、扉につくのが早いか。内容を伝えきった小悪魔はすでに地下室の扉に手をかけていた。

 

「小悪魔、か──」

「──申し訳ありません。ご用件はまた後程お聞きし──」

 

 相当急いでいたのだろう。最後まで言葉を聞くことも、言い切ることもなく扉が閉じた。涼介は落書きの件を伝えられなかったと形容しがたい後ろめたさを感じていた。

 

「フラン、私は言おうとしたね」

「うん、聞かなかったのは小悪魔だよ」

「なら、私たちは悪くない。いいね?」

「うん。悪いのは小悪魔」

 

 詭弁であることは百も承知だが二人して言い訳を完了させる。無論誰が悪いかといえば、落書きをしたフランドールであろうし、止めなかった涼介も同罪だ。けれどもそもそも最初に教えたのは小悪魔なので、結局のところ全員の連帯責任というのが一番確信に近い答えなのではなかろうか。だが幸か不幸かそのことを指摘するものは一人もいなかった。

 

 

 

 

 小悪魔が出て行ってからも何かを変えることなく二人でできる遊びをしていた。だがフランドールは外が気になっているのが丸わかりであった。気もそぞろに集中しきれていない。

 チラチラと結構な頻度で扉を盗み見ているつもりでいることから誰でも察することは容易であった。であるにも関わらずフランドールは外へ行きたいとは言わない。自分からは言い出しにくいのだ。

 様々なことを知った今の彼女は過去の自分の振る舞いを客観的に見ることが出来ている。出来てしまっている。

 だからこそ言い出しにくい。だからこそ外が怖い。また暴れるかもしれないから。誰かに怯えられるかもしれないから。無論フランドールは妖怪で吸血鬼だ。暴れるのも怖がられるのも本来的にみれば正しいことだ。だがそれは不特定多数の人間に限った話だ。最愛の姉に破壊を向けたくない。世話をしてくれる侍女や、奇跡的に落ち着いている時に話し相手になってくれた門番に怖がられたいわけでない。

 自分を完全に信じきれないから不安がある。不安があるから言い出せない。不安があるから自分が怖い。

 

「フラン、外に出てみようか」

 

 自らをがんじがらめにして押さえつけているフランドール。涼介も正確にフランドールの内心を理解していたがそれでも提案する。

 何かが切っ掛けで暴れないか。姉にあって何かを言われないだろうか。そんな悩みは些細なことだと涼介がフランドールの心に踏み入る。

 

「でも……」

「でも、どうしたんだい?不安があるなら言ってごらん」

 

 フランドールは口を開けては閉じる。何度も繰り返し、視線を不安に揺らした。自身のなさに不安が勝り、ついには視線も涼介の顔から下がっていった。

 涼介は膝をついてフランドールの目線までかがむ。

 

「わたし、また暴れちゃうかも」

「大丈夫、フランはもう何も知らない子供じゃない」

 

 大丈夫だと、血の気が引いて冷たくなっているフランドールの頬に手を添えて言い聞かせる。

 

「わたし……お姉さまとまだなんて話そうか考えてない」

「それならもし見つけてもこっそり隠れて遠くから見ていようか」

 

 何とかなると冗談めかしておどけてみせる。

 

「わたしまた何か壊しちゃうかも」

「何も壊さない。私も近くにいるよ」

 

 強く断言する。大丈夫なのだと。何とかなると。絶対の自信なんてものは涼介にもない。けれども欠片も表に出す事無く涼介は言い切る。

 俯いていた少女の顔が上がる。至近距離で二人の視線が向き合う。初めて遊び始めてからフランドールが外へと興味を持ったのだ。健気な少女の孤独と努力を知っている涼介は、叶えてあげたいと思ってしまったのだ。不安があるのなら、カバーをするのが大人の、自分の務めだと涼介は決意していた。

 

 

  だからフラン、私が君の支えになるよ

 

 

「フラン、外へ行くよ」

 

 立ち上がり、フランドールの手を取る。吸血鬼であるフランドールに抵抗されたらとてもではないがただの人間の涼介ではどうにもできない。しかし、つないだ手から伝わる抵抗は酷く弱々しい。握り返される手は涼介の手を握りつぶさないように繊細に加減されていた。

 

「さぁ、フラン。行くよ」

 

 再び少女に決意を促す。覚悟を決めたのか緊張で冷え切っていた手に熱が戻っていた。

 

「すぅ……はぁ……すぅ……うん!!」

 

 少女は決意し、自らの足で一歩目を刻んだ。

 

 

 

 

 

 響く足音は一つ分。フランドールは涼介におんぶされていた。涼介に背負われているからこそ彼を気にして激しく動けない。言ってしまえば足かせに近いのかもしれない。

 それにもしも気持が高ぶった際にはすぐに涼介の血が飲めるようにと首筋に近いこの体勢が適している。

 地下室を出てとりあえずはと二人は大図書館を目指すことにした。明確な目的地になりそうな場所に心当たりがなかったのもあるが、出て行った小悪魔が心配だったのも理由の一つだ。

 後はフランドールの姉の吸血鬼に会う確率も低く、何かあればパチュリーという心強い味方もいて現在の状況の説明も聞けるかも知れない。二人のそんな思惑が大図書館へと足を向けさせた。

 

「赤いな」

「うん。それにお姉さまの魔力を感じる」

 

 窓の外に見える景色は赤に染まっていた。うっすらと赤みがかっているとかのレベルではない。数メートルも離れれば視界が赤にそまるだろう。正直な話かなり目に痛い景色だ。

 目の前に広がる紅い霧が幻想郷中に広がっている。パチュリーの以前の説明を信じればそう言うことになる。 

 分かりやすい異変。パチュリーが評した通りの乱痴気騒ぎだ。屋敷で雇っているらしい妖精メイド──小悪魔呼称──も高揚しているようで暴れていた。

 遠方からは爆音が聞こえていた。ひときわ大きい音源は二つ。一つは見当もつかない程に遠くで。もう一つは今まさに向かっている進行方向から聞こえていた。発生源は大図書館だと予想できる。予想を裏付けるように段々と聞こえる音も大きくなっていっていた。

 

「パチュリーか小悪魔が戦っているのかな?」

「たぶんそうだと思う」

 

 今だ状況が分からないため、話す内容がいささかならずふんわりとしているがたどり着けば分かることだと歩くペースを僅かにあげる。

 フランドールも身体を僅かに浮かせてペースアップに貢献する。他にも古傷で左腕の筋力が低下している涼介へ対する配慮も含まれていた。

 ちょっとしたフランドールの気遣いにまた心が温まる。少しの時間を置いて二人は大図書館へとたどり着いた。普段は閉じ切られている大扉が開け放たれていた。無論二人は普段のことなどは知らないが、意外とまめな小悪魔が扉を開けっぱなしにすることなどないと知っている。

 ついさっきだって急いでいたのに地下室の扉をきちんと閉じていたくらいだ。それが原因で落書きを伝える声が届かなかったという悲劇ないし、喜劇が巻き起こっていたが。

 ふと気が付けば先ほどまで鳴り響いていた音が一切しなくなっていた。

 

「終わったのかな?」

「どうだろう。でも、話し声が聞こえる」

「どの辺りかな?」

「あっちのほう」

 

 吸血鬼の五感は人間とは比にならないほど優れている。その吸血鬼たるフランドールが聞こえているというのだから事実だろうと指示に従う。

 フランドールの誘導に従い同じような景色に見える本棚の森を進んでいく。やがて本を片手にもつパチュリーと、金髪にウィッチハットを被る魔女然とした格好の黒白の少女が放棄にまたがり浮いていた。 

 黒白の少女に涼介は既視感を覚えた。店に来てツケていく少女にとても似ている。というよりも完全に本人だ。知り合いの少女の姿に頭痛を感じたが今はひとまず頭の中から浮かんだ懸念を追い出す。

 

「なんて話しているか聞こえる?」

「ん、とね。使い魔を使って笑わしてくるなんて卑怯だぜ。知らないわよ、私だって笑い殺されるかと思ったわ。お前の使い魔じゃないのかよ。少し前まで貸し出していたのよ。どういうことなんだぜ? 言葉のままよ。まったく、お詫びはここにある本でいいぜ。それは、ダメよ。あなたには勿体ないわ。」

 

 フランドールの聴力を利用して空中に浮く二人の会話を中継してもらう。視線の先で少女がカードを取り出してパチュリーも構えることで応えた。

 

「私に勿体ないかどうか、試してみるんだな。はぁ、調子が悪いから早く終わらせたいわ」

 

 直後に弾幕が世界を彩った。

 

「綺麗」

 

 フランドールの口から思わず感嘆が漏れ出ていた。確かに弾幕ごっこは綺麗だ。創設の理念を反映した結果なのだろう。美しさと思念を競う信念の争い。

 パチュリーが大量の弾幕を展開している。彼女を中心に赤色の弾幕が全方位へ放たれる。追加だとさらに青色のレーザーが4本展開された。無数に展開される弾幕の奥より四本のレーザーが空間を薙ぎ払いながら少女へ迫る。

 

「ああ、綺麗だね」

 

 少女もそれに負けじと星形とミサイル型の弾幕を放っていた。弾幕同士がぶつかり合い、はじけて光の粒子となった。煌めく光はまるで夜空に浮かぶ星々のように明滅していた。

 生み出される弾幕で天井はもはや見えなかった。濃密な弾幕を維持しながらパチュリーは時折自らの弾幕をすり抜けてくる少女の魔力弾をゆったりと躱す。

 対照的に少女は跨る箒を自在に操り縦横無尽に空中を駆け巡る。奔り抜けた少女の軌跡からパチュリー目がけて弾幕が打ち返される。

 太陽と流星群のようであった。無数の煌めきが、輝きが、生まれては消え、そしてまた生まれる。

 

「……凄い……」「……ふぁ……」

 

 感嘆が漏れる。言葉が出ない。

 

「あぁッ! くそう!」

 

 押され気味の戦況に少女が苛立ち交じりの声を上げた。苛立ちの相手は自分自身。向上心の強い少女は押されっぱなしの自身の実力が歯がゆいのだ。

 眼前の相手に対抗しようと少女も白色のレーザーを放つもパチュリーの出すレーザーとぶつかり踏みつぶされた。

 少女が懐からカードを一枚取り出す。爛々と輝く瞳が少女の不屈の精神を表していた。

 

「魔符・スターダストレヴァリエ!!」

 

 決意を胸に、思念をカードに少女は叫ぶ。掲げたカードが輝き弾ける。四散した光が少女に集まりその身へ宿る。輝きを宿した少女が空に光の軌跡を描き、一条の流星が生まれた。

 空を疾走する少女の箒の先端がパチュリーへと向けられた。力が高まっていくのがわかる。自ら光る星のように輝きが強くなる。

 

「余裕ッ、こいてんじゃ、ねェ!!」

 

 咆哮のような叫びと共に少女が突撃した。自身に向かってくる弾幕はその身に宿る魔力の奔流にぶつかると拮抗する事無く消えていく。

 少女が駆け抜けた場所には箒の房の部分から生成された大きな星形弾幕が浮いていた。いくつもの星形弾幕が宙を埋めるように広がっていき、パチュリーの生み出した弾幕を圧壊させていく。

 パチュリーは己の弾幕を引き潰しながら迫ってくる少女に気が付いた。だが完全に回避するには少し遅かった。咄嗟に身体を直線状から外す。

 少女本人による突撃は回避した。けれども少女の弾幕が彼女の軌跡にもその跡を残すのだ。一拍遅れて発生した星形弾幕がパチュリーに牙をむく。

 迫りくる弾幕の奔流にパチュリーの飛翔速度が加速する。右へ左へ、上に下にとめまぐるしくそれでいて激しく揺れ動いていた。

 回避に専念したことでパチュリーの放っていた弾幕の圧が目に見えて弱まる。千載一遇の隙を逃すほど少女は甘くない。速度故に小回りが利かない。それでも大きく旋回しながら飛び、再び突撃体勢へ入った。

 大仰な機動にパチュリーは二度も見落とす愚を犯さなかった。格下だと侮っていた慢心が薄れゆく。視線が僅かに熱を帯びた。一枚のカードを掲げ告げる。

 

「金符・メタルファティーグ」

 

 激しい動の少女と異なり、静かで重々しい宣言。弾幕同士の衝突音で掻き消えてもおかしくない程に小さな声は不思議と図書館内全体へと浸透した。

 掲げたカードが光を放つ。散った光をその身に宿し、輝くパチュリーが再び弾幕を放ち制空権を掌握する。パチュリーを起点に八つの光が生まれる。

 弾幕が宿す光はどこか金属的な光沢のある光であった。放たれた弾幕が八方に散り、一定の距離でまた同じ大きさの八つのたまに別れて散る。何度も何度も弾幕は分裂を繰り返し、やがて視界全てを埋め尽くすほどにその数を増やす。

 空間を埋め尽くす弾幕を少女はその身に宿す光で消し去りながら飛翔していた。だがパチュリーの弾幕に触れるたびに、少女の身にまとう光が、魔力が引きはがされていく。星形の弾幕がパチュリーの生み出した弾幕に消されていく。

 やがて身にまとう光が完全に消え去ると少女は突撃を諦め、距離を開けながら回避行動へ移行していく。

 

「涼介さんに妹様、こちらにいらしてたんですね」

 

 弾幕に魅入っていた涼介とフランドールの二人へ背後から声がかけられた。二人して振りかえれば本棚の影から小悪魔が顔を出していた。残念ながらなのか、当然ながらなのか不明であるが顔の落書きは綺麗に無くなっていた。

 

「あぁ、小悪魔無事だったんだね」

「やっほー、こぁ」

「いえいえ、無事ではありませんでした。乙女の心はズタズタですよ!」

 

 小悪魔の主張に何事も無かったようで安心したと涼介は安堵していた。落書きの件はご愛嬌だ。フランドールが拾った会話の中でも笑われたことは示唆されていたので改めて驚くほどのことでも無かったといえる。そしてそれは涼介だけでなく、フランドールもにたような考えだったらしい。

 

「好評だったと聞いているよ」「先生の教えが素晴らしかったって言っていたわ」

「もう、反省していませんね!!」

「ごめんごめん」

「反省してまーす」

「まったく……って、パチュリー様?」

 

 小悪魔の声に反応して二人の視線も弾幕合戦の場へ戻った。先ほどパチュリーが放っていたスペルは終了していた。

 今は互いが距離を話して空中で対峙している。パチュリーが僅かだけ少女より高い位置へ陣取っていた。

 あれほど濃密に展開されていた弾幕が存在しなかった。勝敗が付いたのかと一瞬考えたが、戦意を失っていない二人の姿がその考えを否定している。

 パチュリーは疲労しているのか息が荒く肩が大きく揺れ動いている。それを隙と見たのか少女がカードを構えた。すかさずパチュリーもカードを掲げる。

 同時にカードが輝き弾け飛んだ。お互いに光が宿り魔力の奔流が身体の内から吹き出す。

 パチュリーの足元に巨大な五芒星の魔法陣が姿を現してゆっくりと自転を開始した。対する少女の目の前には等身大の六芒星が現れた。

 六芒星に手をかざす少女と頭上へ両手を掲げるパチュリー。それぞれの手先に魔力が淡い光の筋となり集約されていく。それは徐々に輝きを増していく。それは徐々に大きさを増していく。

 輝く光は絶えず揺らめき色を変え続けていた。肥大化する明かりは赤熱した恒星のように爛々と燃え盛る。

 虹を掴む少女と太陽を戴くパチュリー。お互いが自らの敵対者を見据える。敵を落とせと自身の魔法へ主人は命ずる。

 

「日符・ロイヤルフレア!」「恋符・マスタースパァァァァーク!!!」

 

 太陽が堕ち、虹が登る。まさに幻想そのもの。現実では決して起こり得ない、起こし得ない奇跡の光景。たった三人の観客は息をすることも忘れ目の前の光景に魅入られていた。

 速度は虹の閃光が優っていた。二つの力の激闘は互いの中心よりわずかにパチュリーに近い位置であった。

 

「ぜぇ……くぅ……ひゅう……くっ」「っ、あぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 だが力はパチュリーが優っていた。太陽が徐々に虹の閃光を押し込めていく。じりじりと、しかし確実に少女の輝きが飲み込まれていく。

 パチュリーの不規則な呼吸音と少女の裂帛の咆哮が二人の本気を物語っていた。

 中間を超えてなおも太陽が突き進む。七色の光が一回りその大きさを縮小した。このままパチュリーが押し込む。見るもの全てが同じ結末を予測した。

 けれども予測は裏切られる。あとわずか。だがわずかな距離を押し切るよりも早く太陽は一瞬でかき消え霧散した。

 障害となるものが消え去ったことにより光が疾る。最初と比べれば随分と細くなり頼りないが未だに消えず、宿した魔力も力も健在だ。

 目の前の相対者を落とさんと虹の光が宙を貫く。

 

「パチュリーさまぁ!!!」「危ない、パチュリー!!」

 

 小悪魔とフランドールの悲鳴のような叫びが大図書館に響いた。突然の声に驚いたのか閃光を打ち出す少女の意識が僅かに逸れた。

 首元を手で押さえ苦しげに顔を歪めるパチュリーはわずかに身体をずらして直撃を避けた。少女が意識をわずかに逸らしたことが幸いして虹の光が躱したパチュリーを追従することはなかった。けれども閃光の周囲を漂う収束しきれなかった魔力の余波がふらつくパチュリーの身体を揺さぶった。

 ふいにパチュリーの身体から力が抜けて落下を始めた。少女は突然のことに固まっていた。涼介は気がついたらすでに走り出していた。

 大図書館を駆ける涼介の頭上を黒い影が追い抜いていく。初めて見た小悪魔の鬼気迫る表情に主従の絆が垣間見えた。

 

「小悪魔! 抱き留めたらこっちに連れてきてくれ!! 私が何とかする!!!」

「はい!!」

 

 自らの主人の危機にいち早く駆けつけた小悪魔が未だ自由落下を続けるパチュリーを抱きとめる。

 少女が事態の進展に困惑していると分かるが、いまは気を割く余裕が彼らにはなかった。小悪魔がパチュリーを抱えて地面に降り立つ。

 

「涼介さん、パチュリー様を!!」

 

 間近で見ればパチュリーが変調をきたしていることが一目でわかった。顔に血の気がなく呼吸がスムーズに行えていない。

 

「彼女は何か持病でもあるのか!?」

「喘息を患っておられます」

 

 原因不明の突発的なことではないことを祈り問いを投げかければすぐさま小悪魔が答えた。受けた返答になんとかできるかもしれないと希望を見出す。

 

「薬があれば持ってきてくれ。無ければないで構わない」

「すぐに持ってきます」

 

 すぐさま涼介は小悪魔に託されたパチュリーを座らせる。頭を自身の肩に寄せ、体重を自らに預けさせてわずかでも身体から力を抜けやすくさせる。

 フランドールも涼介の背中から離れてすぐ後ろで心配そうにパチュリーを見つめていた。

 涼介は己の内の能力に意識を向ける。抱きとめているパチュリーの背中をさすりながら、呼吸が出来ずに強張りきっている身体の力を抜く。喘息は副交感神経が緊張状態で起きやすい。緊張とは張り詰めて高ぶっている状態だ。

 高ぶりを落として心身ともに落ち着けていく。気管支に発生している強張りから起こる筋肉の収縮も、緊張が解かれ筋肉の力を落とされて気道が通る。塞がっていた気管支が元に戻りパチュリーの呼吸が平時のそれに戻った。

 息がほとんど吸えなかった大きな発作から小さな発作へと症状が緩和されていく。時間をかければ完全に落ち着くところまで持っていけるが今はその必要はない。

 忠実なる魔女の従者が戻ってきたからだ。

 

「パチュリー様、お薬です!」

 

 文字通り飛んで戻ってきた小悪魔がパチュリーへ吸入器を渡す。吸入器と行使され続けている能力が合わさりみるみると喘息が収まっていった。青ざめていた顔色へ生気が徐々に戻っていく。フランドールも安心したのか再び涼介の背中へ張り付いた。

 

「調子が悪いなら無理はしない方がいいよ」

「小悪魔が笑わせるからよ。始める前にすでに軽く発作が起きて調子が悪いとかの話ではなかったわ」

 

 苦言を呈する涼介へパチュリーが非難めいた視線で言葉を返す。どうやら元を正せば涼介とフランドールが原因らしい。フランドールも涼介と同じ結論へ至ったらしく、二人が顔を見合わせた。

 考えていることもこれからやろうとすることも同じらしいとお互いに察した。悪いことをしたらどうするかなど考えるまでもなく決まっている。

 二人の言葉が一言一句一致する。

 

「「ごめんなさい」」

「まったく、気を付けてくださいね」

 

 

  おい、小悪魔。お前も原因の側だからな

 

 

 注意なさいとでも言いたげに、パチュリーではなく小悪魔が言葉を返してきた。腰に手を当て次はないですよなどと面の皮厚く嘯く小悪魔にパチュリーも苦笑いをこぼすだけだ。

 しかし何はともあれ大事に至らなくて良かったと涼介は目の前の暖かな光景に安堵した。

 


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