東方供杯録   作:落着

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見開く瞳とお節介な魔女に供する六杯目

 

 泣き疲れた少女は眠りへ落ちた。深く寝入っていることは店主から見ても一目瞭然だ。それでも彼は起こさないよう慎重に彼女を抱き上げる。

 最初に投げ捨てたリュックを探すために周囲を見回す。部屋の隅に探し物の姿を見つけると店主はそちらへ向かって歩みを進める。

 リュックの傍まで来ると店主はある事に気が付いた。あれほど弾幕が飛び交っていたというのにリュックは傷一つ付いていなかった。偶然などではないと確信を持てるが、原因はわからない。

 腑に落ちない事ではあったが、一先ず荷物が無事なことは喜ばしい。店主は浮かんだ疑問を脇へと置いて考えることをやめた。

 少女が眠りやすいように自らの膝を枕として提供する。がさごそとリュックを漁る。目的の物に手が触れた。引っ張り出せば目的たがわず水筒が出てくる。中身のホットコーヒーをカップ代わりの蓋へと注ぐ。

 ゆっくりと一口、二口。身体を通り抜ける温かさに心が安らいでいく。この段階に来て、ようやく生き残った実感が得られた。なんとかやり遂げることが出来たのかと他人事に思いながらも達成感を仄かに覚える。

 自らの能力を嫌っている店主であったが、誰かを助けることもできるのかと感慨に浸っていた。微睡む少女を見れば心を救われる。ありがとうと感謝をこめて金糸のような髪を優しく撫でる。

 最終的に本当の意味での彼女の助けと成れるのか分かりはしない。だが見捨てる事だけはしまいと自らに誓いを立てる。

 撫でられてくすぐったいのか、少女がむずがる。起こしてしまうのも忍びないので、名残惜しい気持ちを仕舞い込んで手を止める。

 しばらく目を覚ましそうにないので店主は時間をつぶす為にリュックから一冊の本を取り出す。鈴奈庵で借りた本だ。

 広く静寂な部屋にめくられる紙と少女の寝息の音が落ちる。それだけのことなのに心地よさがあった。誰かと一緒にいる。そんな些細なことがたまらなく嬉しかった。心強かった。

 広い広い部屋を見渡す。鬼ごっこやサッカーだって出来てしまいそうな程広い部屋。けれども驚くほどに物がなく殺風景な部屋。

 独りでいることを想像して身が震える。ただっぴろい箱に自分だけが放り込まれて閉じ込められるのと何の違いもない。

 寂しくて苦しいだろう。寂しくて悲しいだろう。寂しくて気が狂うだろう。死にたくなるだろう。

 少女の小さな身体は一体どれほどの寂しさ(負の念)を背負ってきたのか。想像することさえ敵わない。

 考え事をしながら本を読み進める。どれほど時間がたったのか分からないが三冊ある本の内の二冊目を読んでいる時、不意にくすくすとした笑い声が聞こえてきた。

 少女は目を覚ましていた。眠っていた時の体勢のまま店主の男を見上げていた。

 気付いた店主と目覚めた少女の視線が重なる。お互いの瞳がお互いの姿を映しこんだ。

 

「おはよう、気分はどう?」

「すごく、幸せ」

 

  (それは重畳。でも、これからが始まりだよ。さぁ、自己紹介をしようか、お嬢さん)

 

「それは良かった。あぁ、そうだ忘れる前に。私は白木涼介。好きに呼んでくれて構わないよ」

「しらき、りょうすけ……ふふ。私はフランドール・スカーレット。フランって呼んでね、お兄ちゃん!!!」

 

 お兄ちゃん。なんだかむずがゆくなる響きであった。けれども否定しない。

 無償の家族愛を無意識に求めている。涼介はそんな気がした。きっと大きくは外れていないのだろう。

 ならばと気持ちを改める。兄のようにフランドールへ愛を注ごうと。今までずっと飢えていたその分まで、溢れんばかりの愛を注ごうと。

 嬉しそうにはにかむフランドールの姿に涼介は心に決めた。

 

「そうか。ならフランは私の妹になるのか。うれしいね、こんなに可愛い妹ができるなんて」

 

 言いながらフランドールの頭を涼介が撫でる。撫でられたフランドールはもっととせがむように頭を手のひらに押し付けてくる。愛らしく微笑ましい反応。

 だが妖怪としてはあまりに素直すぎる、それこそ見た目相応の反応。それがフランドールが人とのふれあいに、愛されることに飢えていると如実に思わされる。

 

「お父さんって呼ばれないのは私が若く見えるからかな」

「ううん。お父さんとかお母さんってよくわからない、生まれてすぐに私は閉じ込められたみたいだし。でも、お姉さまは私とたまに遊んでくれるし、玩具もくれたりするから好き。だから、貴方はお父さんじゃなくてお兄ちゃんなの」

「そうなんだね。お姉さんの事も大好きなんだね」

 

 両親というものがわからない。フランドールの何でもない風なその言葉が涼介の心に苦い物を落す。

 

 強すぎる彼女の力が恐れを助長させ、独りで閉じ込めることで解決を図らせてしまった。

 力の使い方を、他者との接し方を、誰も教えなかった。誰しも周囲と繋がり生きていくことで多くのことを学ぶが、幽閉という結果がその機会を全て奪っていた。

 だからこそ壊す力を持ってしまった少女は壊すことでしか自己を表現できなかった。生まれ持った力。もっとも身近な自分だけの個性。自己の象徴。

 何も分からぬ赤子が持つには過ぎた力。物事の判断が付かぬ赤子が振うには危険な力。だから生まれてすぐに幽閉された。それも両親が関与した上でだ。

 フランドールの姉が接しようとした時にはすでに遅すぎた。もはや壊すことでしか自分を表現できない怪物が出来上がっていた。何もかもを壊す怪物を狂っていると誰もが称した。

 だからこそフランドールは独りきりだった。狂ってなどいなかったのに。それしか知らないだけの少女を独りぼっちにした。そして孤独が本当に彼女を狂気へ導いた。

 それでも姉を慕っているのは本当に吸血鬼がフランドールを愛していたことの証明だ。何度も救おうとした。何度も会いにきた。接し方もわからぬ妹に愚直なまでに愛を注いだ結果なのだ。

 だがそれでもどうにもならなかったから今の歪な関係が生まれたのだ。

 

「うん、お姉様も大好き。でも、お姉様は私の事……」

 

 フランドールは言葉にしてしまうのが怖い。言ってしまえばきっと自分の言葉をそうだと信じてしまいそうな自分がいるから。

 だが涼介は知っている。吸血鬼の心に宿るフランドールへの愛を。フランドールは狂気を落ち着けて仕舞えばこんなにも普通な子だ。だからこそ大丈夫。今からでも遅くはないと強く思う。

 

(なにせ、妖怪の寿命は長いのだから)

 

 だからこそ涼介が否定してあげる。何も心配はいらないと、少女の不安を吹き消してあげる。

 

「フラン、心配は必要ないよ。お姉さんもフランの事が大好きなんだ。フランと同じでね。でも、どうやって接すれば良いのかわからないんだよ」

「フランも、フランもどうすれば良いのかわかんない」

 

 不安げな弱々しい声。

 

「大丈夫、これから一緒にどうするか考えよう。ね?」

「うん!!」

 

 とはいえこれからどうするか、それが問題であった。ひとまず一端は落ち着いたからと、いきなり姉に合わせてもダメだ。流石にそれが不味いことは涼介でも簡単に分かる。

 このまま自分が近くにいて、破壊衝動を落ち着けつつ壊す以外の感情表現や人との関わりを学ばせたい。だがそれをするには足りない物が多かった。

 不足を補うためには部屋の外へ行く必要があるがそれは避けたいというのが本音だ。侍女と会うのはまずい。会えばすぐさま姉たる吸血鬼へ伝わるだろう。それは避けねばならなかった。

 であるならばおのずと選択肢は限られてくる。第一候補は図書館にいた小悪魔。館の中で一番融通が利きそうな人物。だがあくまで涼介が知る中ではと注釈がつくが。

 誰にも会わずに図書館まで行けるか。自身に問い掛けるが答えはすぐに出た。リスクが高すぎる。原理は不明であるが瞬間移動の真似事の出来る侍女がいるのだ。どこで鉢合わせるか分かった物ではない。

 さてさて手詰まりで困ったぞと涼介が頭を悩ませていると、扉の軋む音が聞こえてきた。

 

「確認に来たのか?」

 

 反射的に浮かんだ思考が口から出た。あれだけ暴れていた音が無くなったのだ。確認ないし、掃除にくる可能性があるのは当り前だ。そんな簡単なことに気が付かない己の愚鈍にため息が出そうだった。

 

「次の機会はどうやら得られたようね」

 

 淡々と告げながら彼女が部屋に入ってきた。姉の吸血鬼ではなく、侍女でもなく、ましてや小悪魔でもない。図書館の主が姿を現した。

 

「レミィの難題をこなした貴方はいったい何に悩んでいるのかしら?」

 

 予想外の人物に涼介の思考が一瞬停止する。そんな涼介を笑うが如く、彼女の口元が弧を描く。

 

 

 

 

 現状の確認という名目で図書館の主が一席設けるように涼介へ要請した。フランドールの妖力弾で負った身体の打ち身は彼女が魔法で瞬時に癒した。

 涼介は自分と彼女とフランドールの分の珈琲を水筒から注ぎ全員の前へ置く。あいにくとこの部屋に、机や椅子などの家具はなかったため床に直置きだ。

 フランドールの分は砂糖とミルクを入れてある。好みは分からないが甘くて悪い事はないだろうとの涼介の采配だ。同じ金の色合いでルーミアを思い出したことは味付けに無関係ではないだろう。

 図書館の主にはお好みでどうぞと、それぞれの入った容器を目の前に置く。けれども彼女はそれらを無視してそのままストレートで飲んでいた。

 フランドールは人見知りが初対面の人にあったかのように大人しくなり、涼介に引っ付いて隣に座る。

 

「何故貴女がここに?」

「終わった後のひと段落も済ませたようだったからよ。ああ、あと貴方が困っていそうな雰囲気をしていたのもあるわね」

 

 ひと段落というのは自己紹介の事だろうか。彼女の言葉に涼介は予想する。であるならば目の前の彼女は何かしらの方法で監視をしていたことになる。

 自身の想像で背筋に寒い物が奔る。涼介は咄嗟に確認の声をあげる。声は自分で思っているよりもずっと低いものであった。

 

「私たちの様子は他の人たちにも?」

「知らせてないわ。知っているのは私だけ。それに音や振動なんてものはもともと外に出ないから気にもしてないと思うわよ。だからそんなに警戒しないでちょうだい」

「それは良かった。けれど、さすがに全く気にしてないというのはおかしな話なのではないのでしょうか?」

「元々期待もしていないからね。それに今は色々と忙しいから」

「忙しいとは?」

「異変を起こす準備をしているの」

 

 異変とは幻想郷中を巻き込む大掛かりな事件のことだ。それを起こすと目の前の彼女は言う。聞いた内容に疑問が浮かぶ。何故今になって、と。

 

「隠れていたのに何故今このタイミングで?」

「十年前の吸血鬼異変で結ばれた盟約を果たすために。そしてそれは幻想郷中に紅魔館の存在を認識させる。だからもはや隠れている事にもあまり意味はない。貴方は異変の裏でとりあえずやるだけやっておくかという感じで招かれたのよ。それに上が騒がしくなるからその前にガス抜きをしておこう、というところかしら」

「なるほど、それゆえの無関心か。それと込み入った話だけれど異変とはどのようなことをするのか聞いても?」

「レミィいわく、赤い霧を出して幻想郷を覆うらしいわよ。今はその準備中ね。多分明日にでも始まるわよ」

 

 盟約によって行われる異変とは一体なんだろうと疑問が浮かぶ。しかし、涼介には何となく心当たりがある。盟約の相手はきっと紫なのだろうと知り合いの顔が脳裏に浮かぶ。彼女の人となりから察するに幻想郷の安定を望むゆえの行動だろう。

 であるならば、ある種の出来レースなのかもしれない。異変の心配をしなくとも問題はなさそうだと涼介は問題を気にしないことにした。けれど心配などしなくとも幻想の守護者である霊夢なら問題ないのかもしれないが。そこまで考えて気付かれないように心の中で苦笑する。

 

(あの子も大概人間離れしているからな)

 

「ま、つまりは乱痴気騒ぎが始まるから些事にはかまっていられないということね」

「乱痴気騒ぎ、ね。なるほど言い得て妙とはこの事だ」

「それで時間のできた貴方はどうするのかしら? ここを出て帰るつもりはないのでしょう?」

 

 フランドールは彼女の口にした帰るという言葉に反応を見せた。涼介の服を握りしめる。不安があるならば言葉にして解消してあげなければならないとフランドールの不安げな様子に思う。

 

「いいや、帰らないさ。少なくとも異変が終わるまではここでこの子と遊んでいようかな」

 

 フランドールの頭を軽くポンと撫で付け言葉にする。服を握りしめる手からは力が抜けた。

 その様子にちゃんと言葉で伝えてあげる事は大切だと涼介は改めて思う。

 図書館の主もそれを解っているからこそわざと涼介に問いかけるのだろう。

 存外気が効く良い子じゃないか。涼介は自身の中での彼女の評価を修正する。

 

「やる事が決まっている貴方は結局何に悩んでいたのかしら?」

「それはもちろん玩具が欲しいんだ」

 

 胸を張りながら情けないことを言う涼介。珍妙な生き物を見つけてしまったかのような顔で図書館の主は固まる。

 

「トランプやボードゲーム、人生ゲームにジェンガなんてのも良いね。二人で遊ぼうと思ってさ。用意できないかい?」

 

 一人では遊ぶ事ができないものであるがゆえにこの部屋には置かれていない。もともと、なんとか小悪魔にコンタクトが取れたら頼もうと涼介が思っていたものだ。

 

「なるほど、そう言う事ね。なら、あとで小悪魔に持ってこさせるわ」

「それは助かる」

「構わないわよ。さて、私もそろそろ戻るわね」

 

 図書館の主はそう言うと珈琲を飲み干した。ご馳走様と短く告げるとカップを涼介に返却する。カップを受け取る涼介の中で不意に一つ疑問がわき出る。

 

「何故私の肩を持つんだい?」

「私も時間をおいて会わせたほうが良いと判断するからよ。でも、レミィにはそれが多分できないから貴方の肩を持つのよ」

 

 彼女の分かりやすい弁に涼介は納得した。ただの善意だと言われるよりよほど信用できる。立ち上がると扉に向かって図書館の主は歩き出した。

 

「君も一緒に遊ばないか? 人数が多いほうが楽しい」

「魅力的な提案だけどごめんなさい、と言わせてもらうわ。流石に長い間私の姿が見えないと怪しまれる。それに私も異変を手伝わされる事になっているの、面倒くさいんだけどね。二人には私が誤魔化しておくから安心なさい。少なくとも異変が終わるまではなんとかするから」

「そうか、それは残念だが世話になるね」

「気にする事はないわよ。元々こちらが始めた事だもの。支援するのは当たり前だわ。レミィはこの問題に対して感情的になりやすいから今はあまり時期がよくないわね。それに咲夜の様子も少し変だったのよね、何か知っているかしら?」

「紅茶のお嬢さんは私の能力のせいで情が移ってしまったみたいだ」

「ふぅん、なるほど。そういうことなのね。それもおいおい解決しそうだから良いわ。配達ついでに小悪魔も貸してあげるから三人で遊びなさい」

「ありがとう。それと先ほどから引き止めて悪いけど最後に一つだけ。私は白木涼介、君の名前は?」

「パチュリー・ノーレッジ。パチュリーで構わないわ」

 

 そう言い終わるとパチュリーは扉の向こうへと消えていく。

 

「ありがとう、パチュリー」

 

 この言葉はパチュリーに届いただろうか。涼介は扉を見つめフランドールの頭を撫でる。

 

 

 

 

 その後やってきた小悪魔を含めた三人で沢山遊ぶ。勝ったり負けたり、冗談を言い合いながらも遊ぶ。

 負けたら悔しがるし勝ったら喜ぶ。接戦になるとハラハラするし、時にはブラフなんてかます。

 小悪魔の巧妙なイカサマに思わず感心するし、ズルいと怒りもする。圧勝されるともはや感心する。

 逆に圧勝すると申し訳なくなる。相手が追い詰められて悩んでいるのを見るのは楽しい。苦しい状況を打破する為にウンウンと悩むのもまた楽しい。

 これら全てはフランドールにとって初めての体験となる。遊びの中からでも多くのことを学んでいく。

 遊んでいて涼介は分かったのだが、フランドールはとても頭が良い。

 姉と和解できる日もそう遠くないのかもしれない。そんなことを思いながら勝ち目の薄い将棋盤を涼介は睨みつけた。

 対戦相手のフランドールは取った駒を片手で転がし、観戦者の小悪魔が茶々を入れてくる。そんな当たり前で平和な時間が続く。

 


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