東方供杯録   作:落着

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止めていて申し訳ありません。
また少しずつ進めていきます。
少し短めですがお楽しみいただけたら幸いです


認識の差に供する四六杯目

「さてどうしたものか……」

 

 穴の底で呟いてみるが名案は思い浮かばない。登る事も出来ないよう、上が窄まっていく意地の悪さの見え隠れする穴の底。涼介は一人途方に暮れていた。

 どうにかして登ろうにも窄まっていく壁面のため足はかからない。土壁をどうにかしようにもぼろぼろと崩れる始末。

 手元の鎖もそこまで自在に操れるわけではないため、現状の助けにはならない。

 最悪の場合は鬼の酒もあるが簡単に頼りたくは無かった。安易に便利な力を頼るのは弱さの表れに感じられるからだ。

 ではだからといって別の解決策が有るのかといえば、答えはノーであった。だからこそ涼介はいまだに穴の底で空を見上げているのだ。

 

「助けを呼ぼうにも風と草木のざわめきくらいしか聞こえないし……本当に小妖の気配さえないのか」

 

 本当に困ったと涼介は頭を掻く。しかし、いまだ命の危機がないためか、表情は普段通り……どころか少しこの状況を楽しんでいる節さえ感じられる。

 これからリグルが言っていた騒ぎが起こるのか。だとすれば誰が起こすのだろうか。思考がめぐる。妙案が思い浮かぶまでと別の事へ意識が向く。

 漠然と涼介の頭に思い浮かんだのは月下の姫君と従者だろう二匹の兎。この竹林に住い、騒ぎと呼べるレベルの出来事を引き起こせる心当たりが涼介にはそれくらいしかなかった。

 他には狼女の影狼や先ほど出会ってきたミスティアやリグルがいるが、個人として組織を持たない彼女らに出来るとは涼介には思えなかったのだ。萃香のように強大な存在であれば話は別なのだろうが。

 では仮に彼女たちが起こすのであれば理由は何なのであろうか。思考がさらに深く沈もうとした時、その声は聞こえた。

 

「──、──」

 

 少女の声が聞こえる。誰かを探しているのか、同じ言葉を何度も叫んでいた。

 

「て─」

 

 声の主が近づいてくるのか徐々に音がはっきりしていく。

 

「てゐ! どこ行ったの、てゐ!!」

 

 聞き覚えのある声だった。こんなに険のある感じではなかったが、確かに知っている声。以前に月の姫君の代わりにやってきた兎の少女。

 自分を穴に落とした少女との関係者であろうが、ダメでもともとである。涼介は兎の少女に助けを求めることにした。

 

「あのー」

「誰ッ!?」

 

 強い敵意。姿を見てもいないのに背筋がピリッとする殺気だった。警戒した彼女の力が高まっていく。

 

「兎の御嬢さんですよね? 前回の満月に伝言をいただいた者です、覚えていませんか?」

「へ? え、あ、あのっ」

 

 まるで見えないのに、手に取るように焦っている姿が思い浮かぶ。可愛らしい反応から幻想郷に住まう超級の人外たちにとても好かれそうだと何となしに思った。本人が知ればきっと憤るが、幸いなことに兎の少女に読心の術は無かった。

 

「ど、どこにいるんですか? ……姿が見えないし、波─も─え──いし」

 

 場所を尋ねた後の言葉は独りごとに類するものであったため、涼介の耳には全ては届かなかった。

 

「ここです、ここ。どうやら穴が空いていたみたいで落ちてしまいました。わかりますか?」

「はい、わかります。えっと、こっちから声がしたから」

 

 涼介の声に導かれて少女が近づく。かなり近くまで来たのか土を踏む音が僅かに聞こえてきた。

 

「ここですか?」

 

 そんな少女の問いかけと共に、涼介の頭上の穴から可愛らしい顔が覗き込む。

 

「えっと、その……お困り、ですか?」

「兎さんの手を借りたいほどには」

 

 少女が背負う黄昏時の空の赤よりも鮮やかで深い紅玉の瞳が涼介を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやあ、助かった助かった。ありがとうございます、お嬢さん」

「いえ、その、どういたしまして」

 

 身体に付いた土を払いながら笑みを浮かべる涼介と、いまだ困惑から抜け出せない兎の少女。

 それもそのはず。涼介は何一つ説明する事無く、穴の中を見下ろしてる少女に対して引っ張り上げて欲しいと腕を差し出したのだ。そして少女もつい反射的に腕をとって引き上げてしまった。

 人の好さが災いしたのか、幻想郷に染まった図々しさが功を奏したのか。どちらにせよ涼介は穴から出ることが出来たのに変わりない。

 だからといってこれで問題解決ですねと終わるわけではない。当然の疑問が少女の口をついてでる。何故穴になど落ちていたのか、である。

 

「兎の女の子に荷物を盗られまして」

 

 困った困ったと言いながらまるで困っている様子の無い涼介。

 そして心当たりのある人物を示され、笑顔が引きつる少女。それと同時に思い出される自身の状況。少なくともここでのんびり談話していて良い状況にはいないのだ。

 とりあえず会話を終わらせて、目の前の人物には竹林を出て貰わねばと少女は予定を決める。

 

「あの、それでしたら荷物は後ほどこちらで見つけて返却しますので、今日の所はひとまずおかえりになられてはどうでしょうか?」

「いえ、お気になさらずに。変えの利かない大事なものは入れていなかったので」

「そうですか……ではもう夜になりますし、竹林の出口はそちらの方面ですので暗くなる前にお早くお帰り下さい」

「丁寧にすみません。ですがもう少し辺りを探してみようかと。それにもともと今日は月に一度の満月ですので、いつもの場所にも顔を出しますからお気になさらずに」

「あ、それは」

 

 困る。すごく困る。言葉にしなくともありありと少女の仕草から伝わってきた。どうにかできないかと考えながら、綺麗な紅の瞳がぐるぐるとめまぐるしく動いている。

 見ていて飽きないが僅かばかり良心が痛む少女だと涼介は認識を改めた。だからといって「はい、では帰ります」という素直さが僅かでもあったら涼介は幻想郷にいないし、異変にも一度たりとも関わる事は無かっただろう。

 幻想郷に染まったことが原因か、元々の素養が色々な出来事で開花したのか分からないが、涼介も存外人が悪いのだ。少なくとも阿求はそう評するし、涼介も阿求と同じだよと嘯くだろう。

 だから涼介は畳み掛ける。

 

「どうかされましたか?」

 

 それはいかにも物腰柔らかく、安心する声色の問いかけであった。営業スマイルと言ってはいけない。

 

「あ、そうですそうです! 今日も姫様は行けないそうです! ですのでお顔をお出しにならなくても大丈夫ですよ」

「そうなのですか、それはわざわざありがとうございます。ですが折角ここまで来たのですから一人でもお月見を楽しんでいこうかと思います」

「え゛っ!?」

 

 思いのほか良い反応が返ってきた。良い事を思いついたとばかりに捲し立てる少女は、涼介の回答に再度停止した。心なしか頭上の耳も萎れて見える。どことなく妖夢を思い出して、ついからかいたくなってしまう己の悪戯心を涼介はそっと落ち着ける。

 それに涼介としてもリグルの虫の知らせを信じているし、先月からのお姫様の様子と目の前の少女の態度から本日の内に何かが起こるであろうと確信に近い予感を懐いている。

 であれば幻想郷のカナリア──阿求命名──と仇名される涼介としては是が非でも近くで見たい。帰る道理など微塵もない。

 

「あ、ほら妖怪が出ますからこの竹林! 虫の妖怪とかもたくさんいて危ないですよ」

「今日はいないみたいですよ。竹林に入る前にすれ違いましたから確かですね。ほら、ただの虫の声さえしないですよ」

「う゛!」

 

 そんな事は少女とて百も承知だ。竹林を探し回っている間に、虫達の声も生命も波長も感じなかったのだから。だが、把握されているとは思ってもみなかった。

 

「夜雀の妖怪も──」

「──少し前に分かれた所だね」

「………………あ、満月は狼の妖怪が」

「彼女は満月の夜は他人の目を気にして隠れてしまうよ」

「交友範囲広すぎませんか?」

「それ程でもあるかな? 数少ない自慢の一つだからね」

 

 少女の恨めしげな視線が刺さるが、朗らかに笑いながら答える涼介には無意味であった。

 暖簾に腕押し。あまりの手ごたえの無さに少女が小さなため息をつく。

 今まで動揺に僅かに揺れていた瞳が定まる。視線がキッと涼介を見据えた。

 

「警告です。貴方は姫様の話し相手なので無下に扱う真似はしません。だから言う事を聞いてください」

 

 がらりと雰囲気が変わる。声をかけた当初の殺気を放っていた時のように、ピンと気配が張りつめる。まるで別人のように目の前の少女は一変した。突きつけられた指先に銃身を連想させられた。

 

「今日は大人しく帰ってください。ここでのやり取りも忘れて静かにしていてください。そうすればまた何事もなく明日が来ます。今日と変わらない明日がまた始まります。だから今日は帰りなさい」

「帰らない」

「貴方はッ!」

「変わらない明日なんてない。いつだって世界は違う。変わっていく。今日という日は今しかないんだ。だから私は私の思いに従うよ」

 

 少女の言葉に涼介が応える。否を突きつける回答に少女の感情が波立つ。紅の瞳が爛々と輝く。激しかけていた少女が一つ息を吐く。また気配が変わる。

 

「どうしてもというのですか?」

 

 酷く落ち着いた声。けれどもぞくりとする寒気を感じさせた。光を受けた水面のように煌めく瞳が涼介を捉えて離さない。

 

「どうしても、と応えたら殺すかい?」

「……貴方は死を恐れていたのではないのですか?」

「怖いよ、今でもね」

「ではなぜ恐れない。私が害すことなどないと盲信でもしているんですか?」

 

 平坦で感情の無い声。けれども噴火寸前のような抑圧を感じる声であった。

 

「していないよ」

「では」

 

 光を湛えた静かな瞳が見開かれる。

 

「では何故ッ!? そのように命をベットする!?」

 

 抑圧していたものが暴発した。少女は自分の感情がぐちゃぐちゃになっている事を自覚していた。

 目の前の男は死を恐れている。以前に自分でそう言っていた。そしてそれに自分は嘘を感じなかった。だから少しおどせば言う事を聞くと思った。殺す気などなかった。

 それでも男は引いていない。それどころか恐れることなくこちらを見据えてくる。向き合った男の瞳に映る自分。自らの死への恐怖を、男の中にも視ているみたいだった。

 死を恐れるのは自分だけじゃない。誰だって怖い。だから自分が逃げたのは普通の事だ。そう言い訳する為に彼の中へ自身の恐怖を投影しているようだった。

 それなのに彼は恐れない。怯えない。逃げようとしない。やっと見つけた同類だと思ったのに。裏切られた気分だった。妬ましかった。知りたかった。死を恐ろしいと言いながら恐れない彼が怖かった。

 波長を操ってどうにかしようにもどうしてだか上手くいかない。別の力が加わっているみたいでいつものように操れなかった。波打つ感情が抑えられなかった。怯えを威嚇で覆い隠す。

 

「何故だ!!」

 

 掴みかかりそうな自分をぎりぎりの所で自制して問い掛ける。揺るがない瞳が自分の弱さを見通しているみたいでまた心が波打つ。

 

「そんなに深い事は考えていないよ」

 

 そんななんでもない返答がすっと耳に入ってきた。

 

「ただ……そうだね。君が私を殺すとしよう。であるならばそれは、殺してでも追い返さなければならないことをするという可能性。それはきっと幻想郷にとっても良い事ではないと思う」

 

 淡々と語る声が身体に染みわたる。

 

「だからここが好きな私としては殺されたのなら幽霊にでもなって白玉楼で妖夢辺りに解決を頼むだろう」

 

 波打っていた心が少しずつ落ち着いていくのがわかった。

 

「でもそうしないとは思うんだけどね。君は優しいみたいだし。だったら何かが起こると分かっているのに出ていくような私ではないよ」

 

 最後に心の底から楽しそうに言葉を締めくくる。完全に心が落ち着き、少女の心は腑に落ちる答えを得た。

 

「なんだ」

 

 気の抜けた声。

 

「貴方、もうすでに狂ってたのね」

「ひどいなぁ」

 

 少女の言葉に困った笑いを浮かべながらも涼介は否定の言葉を口にはしなかった。自分の正気など、幻想郷へ来た時点で既に投げ捨てている事など明白だったのだから。

 

「ああ、そうだ。殺して魂をどうにかするという可能性もあったけどその場合の説明はいらないよね」

 

 魂を害せば死神が来る。さらに最悪閻魔が出てくる可能性もある。それは自分も、主人達も望まない。

 溜息を一つ。平常心が戻って来る。自分の命を平然とベットしてくる狂人に少女は頭を抱えたい思いだった。

 そして同じ価値観を共有できるかもしれないという淡い期待が消えた事を知った。

 

「なんだかなぁ」

 

 切なさの詰まった呟きは誰に届くことなく風に吹かれて消えて行った。


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