東方供杯録   作:落着

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屋台の雀と迷い兎に供する四五杯目

 リグルと別れた後も涼介は竹林を進む。

 竹林が静かに感じるのは、やはり気の所為ではなさそうだと思い直す。

 聞こえる音は風のざわめきと、竹が揺れる音くらいのものだ。

 時折、動物か妖獣の物かと思われる鳴き声が聞こえるがそれもほとんどない様なもの。

 時期外れの蝉の声も、鈴虫やコオロギと言った虫達の声も聞こえない。

 

 

――嵐の前の静けさ、だったりしてね

 

 

 次いで、もし今の考えを知り合いの子らに読まれでもしたら怒られそうだと苦笑が一つ。

 それでも涼介は進むことをやめない。また何か楽しい事でもありそうだと、自らの経験からくる勘が囁くからだ。

 また誰ぞに狂っていると言われそうだが、涼介自身はその事はまるで気にならない。

 外来から人外魔境たる幻想郷に住いを移す次点で、既にその人物はどこかしら狂っているのだろうと思っている。

 そしてそれは自身さえ例外ではない。むしろ幻想に取りつかれた自分はそれらの筆頭であるかもしれないとさえ、そう感じている。

 

「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか……いや、鬼はもう出たから次は蛇なのかな?」

 

 つらつらと意味をなさない戯言を呟きながら歩を進める。

 すると竹林を進む涼介の耳に、チッチッチッという音が届く。

 とたん涼介は足を止めた。

 いや、止められた。

 

「これは……」

 

 声で行先を遮られる不思議な感覚。

 そして、視界が狭く暗く閉ざされてゆく。

 

「はぁ……ミスティア」

 

 涼介が誰かの名を小さくつぶやくと音がやむ。

 代わりに風を切る羽音が返ってきた。閉ざされた視界を、音の方向へと向ける。

 そこには文とはまた違う、鳥の様な翼をもつ少女が一人。落ち着いた茶色の色合いのジャンパースカートに、薄い桃色の髪。

 それらの特徴を持つ妖怪の少女が、空から降りて来ていた。夜雀の妖怪、ミスティアだ。

 けれど、涼介の視界に映るのはぼんやりとした輪郭だけだ。

 

「全く、驚きの一つもないんだから。涼介は驚かし甲斐がないなぁ」

「それは良いからヤツメウナギを一つおくれよ。視界が狭くてかなわない」

「あー、はいはい。分かりましたよー」

「そうふて腐れないでよ。数えるのすら億劫になるくらいされてるんだから。驚けと言っても今更じゃないか」

「それは……様式美ってやつよ」

「それでいいのかい、妖怪さんや」

「うーん、その時の気分しだい……かな?」

「悩ましい上に勝手な話だね」

 

 不満さを隠す事無くミスティアが涼介へと告げるも、涼介の反応は薄い。

 コロコロとミスティアは表情を変えるが、彼女の声で感覚を惑わされている涼介にはあまり良く見えない。

 これが日の落ちた後であれば、輪郭さえも見えなかった事だろう。

 

「当り前よ。妖怪なのよ、私」

「それもそうだね。所で店主さんや、ウナギは売ってくれるのかい?」

「もー、全然わかってないっ!」

 

 妖怪らしく不敵に笑ってみせるミスティア。

 しかし、妖怪としてではなく、店主として扱う涼介に不満が口をついて出た。

 

「もう、置いて行ってやろうかしら」

「それは困っちゃうなぁ」

「……困っているように見えないんだけどなぁ。仕方ないから売ってあげよう、感謝なさいな」

「ありがと、ミスティア」

「何だかなぁ……」

 

 暖簾に腕押し、柳に風。それらを体現する涼介の態度に、ミスティアがため息を零した。

 やれやれと一度かぶりを振った後、ミスティアが涼介の手を取ると歩き出す。

 

「ほら、屋台は近くにあるから行くわよ」

「助かるよ」

「会うたびに図太くなっていくわよね、貴方って」

「そうかな?」

「……初めからこんなだったかも」

 

 大人しく引かれるままについてくる涼介に、ミスティアはまたため息を一つ。

 互いの店を訪れて、料理談義をする程度には、二人の仲は良好であった。

 人妖問わず、というより人妖双方の為に店を開いている者同士、気が合ったのだ。

 里の店にも妖怪が訪れる事もあるが、あくまで里の店は人間の為に営業している。

 双方の為に店を開く酔狂な者など自分くらいだと思っていたミスティアにとって、外来人が自身と同様のスタンスの店を開いた事は中々に好奇心を刺激された。

 桃源亭が営業開始した間もないころから通って知己を得たが、まるで変わらない警戒心の低さには不安を覚えた物だ。

 せっかくの同好の士がふらっとのたれ死ぬのではないかと。

 

「その辺りで死んでそうなのに……不思議よね、貴方って」

「良いヒトが多いからね」

「相変わらずね。話し合えれば分かり合える、だったかしら?」

「話し合う手段は一つじゃないって最近学んだけれどね」

「あー、何か聞いたことあるわ。花妖怪に時々苛められてたんだっけ?」

「稽古をつけてもらっているだけさ」

「蹴鞠みたいにぽんぽん刎ね飛ばされてるって聞いたわよ」

「いや、うん、まぁ……否定はしないかなぁ」

「物好きね。ま、元気そうなら私は何でも構わないけれどね。さ、着いたわよ」

「うん、タレのいい匂いがするね」

 

 屋台にたどり着くとミスティアが涼介の手を離し、調理台のある内側へと入ってゆく。

 ぼんやりとする視界を頼りに、涼介が置いてある椅子に腰かける。スンスンと鼻を鳴らし、香りを嗅げば、食欲をそそるウナギのタレの匂いがしてくる。

 

「犬みたいよ」

「誰かさんの所為で視界が悪いんだ。その所為か他の感覚が敏感でね」

「あら、それは大変ね」

「本当だよ。会うたび会うたび飽きないのか聞いてみたい所だよ」

「あー、手を滑らせそうだわ」

「食材に罪は無いよ」

「くっ、痛い所を……私が食べちゃおうかしら」

 

 気安い会話をしながらもミスティアの手は止まらない。

 綺麗にヤツメウナギを処理して、串を通して焼き始める。

 炭火にウナギの油が落ちて、じゅうじゅうと音を立てる。 

 タレに漬け、また焼けば香りも広がる。

 

「良い音だね」

「当り前よ」

「それにタレも本当においしそうな匂いだ」

「ふふっ、ウナギのうまみを伊達に吸い続けてないわよ」

「年季が違うね、文字通り。タレの半分を売ってくれないかい」

「だーめ。いつも言うけれど、食べに来なさいな」

「残念」

 

 クスクスと二人が笑いあう。

 楽しい時間を過ごしながらミスティアはウナギを焼く。

 涼介は身体を椅子に預け、それを待つ。

 

 

 

 

 

 

「ご馳走様でした。毎度のことながら感服するお手前で、大将」

「お粗末様でした。ふふ、貴方にそう言われると何度目であっても嬉しい物ね」

 

 ミスティアの焼き上げたヤツメウナギをペロリと平らげて涼介が感想を口にした。

 それに応える様にミスティアも言葉を返す。言葉にした通りなのだろう。顔に浮かんでいる表情は喜色に染まっていた。

 機嫌良く鼻歌を歌いながらミスティアは手元を片付けてゆく。

 涼介はミスティアの奏でるメロディにしばし耳を傾ける。

 タレの入った壺をしまい、包丁などの調理器具を綺麗に洗う。

 そして、最後に炭についた火を落す。

 それを見た涼介はおやと、首をかしげる。

 

「今日は店じまいなのかな? 随分と早いみたいだけど」

 

 感じたままに疑問を口にする。

 暖簾の隙間から空を見上げれば、茜色に染まり始めてはいるがまだまだ青空も見えて暗くなるには時間がある。

 であるならば、ミスティアが店を閉めることに疑問を覚えた。むしろこれからが客足の伸びる時間であろうと。

 現にミスティアの店は酒も出す。ウナギの串焼きをメインに他にもいくつもの酒の肴を提供していた。

 だからこそ夜へと向かうこれからが、月が顔を出す夜こそがミスティアにとってはメインとなる営業時間といえた。

 そんな彼女が目の前で火を落したのが涼介には不思議に映ったのだ。

 まるでもう店じまいと言いたげなミスティアの行動が。

 

「うん? あぁ、確かに大分早いわよね」

「大分っていうか、むしろこれからが開店準備って気がするけれど。いや、開店準備にしても少し遅い気がするんだけどさ」

「本当は開店準備をしてあったんだけどね、今日はお客さん来ないみたいだから閉店することにしたのよ」

「お客が来ない? 確かに今日の場所は少し竹林に分け入っているから人間のお客さんは来なさそうだけれど、妖怪のお客さんならくるんじゃないかな?」

 

 ミスティアの店は手押しの屋台だ。だからこそ決まった場所で店を開くことは無い。

 その日のミスティアの気分で幻想郷のあちこちで店を開いている。

 里では、妖怪の縄張りの外で開かれているミスティアの店を見つけることはちょっとした幸運であるとさえ言われているとかいないとか。

 そんな噂が立つような程度にはあちこちふらふらとして店を開いている。

 だからこそ今日は妖怪相手に店を開くためにここで腰を据えているのかと思えばミスティアは客が来ないと言葉にした。

 

「リグルが今日は騒がしくなりそうだからお店なんて開いてられないよ、って言っててさ。まぁ友人からのありがたいお言葉だから、従おうかなって事の運びでございます」

 

 てきぱきと片づけを進めているミスティアが、冗談めかしてそう口にした。

 

「なるほど。リグルの虫の知らせはここにも来たわけだ」

「あぁ、涼介も来たんだ。何て言われたの?」

「楽しい事があるかもねってさ」

「……懲りないわねぇ、貴方も」

「私らしいだろ?」

「鳥目にヤツメウナギはあっても貴方につける薬は無さそうね」

「健康だからね」

「馬鹿につける薬は無いって言ってるのよ」

「そこはささやかな誤魔化しを気づかないふりして流して欲しかったなぁ」

「ばーか」

 

 片付けの手を止め、頬杖をつきながら呆れ眼のミスティア。

 発される言葉は飾り気のない、されどそれ故に本心であると理解させられるものであった。

 あまりにもストレートな物言いに思わず苦笑が涼介の顔に浮かんだ。

 

「返す言葉もないね」

「ま、いいんじゃない? それで死んでも困るのは貴方だけでしょうに」

「さて、それはどうだろうね」

「ん?」

「ま、死ぬ気はさらさらないさ。ミスティアも話し相手が一人減る程度には悲しんでくれるだろうしね」

「……ばーか」

 

 痛い目に合えばいいと言いたげなミスティアがぶっきらぼうに言えば、涼介が言葉を返す。

 落ち着いた静かな瞳で見据えられ、言葉を投げかけられたミスティアは図星であったのか、少しだけふて腐れたように口をとがらせた。

 そんな様子を見た涼介がクスクスと笑い声を漏らせば、ミスティアの瞳に非難めいた色が宿る。

 涼介にそんな気がないのは知ってはいるが、手玉に取られて翻弄されているみたいで不満なのだ。

 そうこうするうちにミスティアの片付けも終わり、二人は別れる。

 ミスティアは外へ、涼介は奥へ。

 それぞれは進んでゆく。

 

 

 

 

 

 

 ミスティアと別れてしばらく進めばいつもの岩場が見えてきた。

 空を隠す様に乱立している竹が、その近辺だけ空白を作っている。

 お月見用にあつらえたかのような小さな空間。

 空も茜色に染まり、間もなく夜がやってくる。

 そんな頃合いに涼介はたどり着いた。

 

「いない、か」

 

 岩場に腰かけ一息つけばそんな言葉が漏れた。

 悪天候でもないのに姿の見えない輝夜。

 前回に引き続き二度目だ。

 元より約束している事では無いが、やはり少しだけ物悲しくはあった。

 

「ふふ、相も変わらず寂しがり屋か」

 

 自身の心の動きに笑いが漏れた。

 それは大人になりきれない自分への自嘲か、そう感じられる程の知己を得られた事への喜びか。

 フッと小さく息を吐き、身体から力を抜く。

 何かを探す様に空を見上げるが、まだ月が出るには早いのだろう、涼介の視界には茜色に染まる空と雲が映る。

 

「リグルの言う騒がしい事に彼女たちは関係あるのだろうか」

 

 思い浮かべるは輝夜にウサギの従者の二人。

 

 

――関係あるのだろうな

 

 

 そう、言葉にすることなく結論付ける。

 根拠などない。けれど涼介にはそう感じられた。

 妹紅が彼女らの様子が普段と違うと評した。

 それも涼介の考えを後押ししているのだろう。

 

「さて、今宵の騒ぎはどれほどのにぎやかさになるのかな。異変(お祭り騒ぎ)程までいくのかどうか……」

 

 どうなる事やらと涼介はその口元を綻ばす。

 願うならば、騒がしい事を望みたい。

 願うならば、またそれを近くで見ていた。

 涼介は声に出す事無くそう願った。

 

「届かぬならばせめて、せめて……」

 

 空へと手を伸ばす。

 決して届かぬ雲を、星を捕まえようとするように手を先へ先へと伸ばそうと。

 涼介の視界の中に自らの手と、流れゆく雲が映る。

 逃がさぬようにと握ってみても、何もその手には残らなかった。

 握りこぶしの向こうに見える雲は、何も無かったという様に何も変わらない。

 

「輪の中に入る、か」

 

 以前、阿求に言われた言葉を思い出した。

 

「私は本当に輪の中にいるのだろうか」

 

 阿求はそう評したが、本当は自らも阿求より輪に近いだけで、輪の外から眺めているだけなのかもしれない。

 届かぬ空を見上げているとそんな気が涼介にはしてきてしまった。

 空を飛べるので在ればきっと考えなかったのだろうな、そう小さな声で独りごちた。

 そう飛べない。飛べないのだ。

 それは涼介の霊力が乏しい為という話だけではない。

 鬼の酒を飲めば一時的ではあるが妖力を持てる。

 借り物のそれではあるが力を得るのだ。

 けれど涼介は飛べなかった。

 過去、萃香に稽古をつけてもらっている時に判明した。

 萃香いわく、落とす能力ゆえに飛ぶ適性がないのだろう。

 そう涼介の姉貴分は評していた。

 プリズムリバー三姉妹のソレの様に、咲夜のソレの様に。

 涼介は修行しようとも、仮に大妖怪といわれる程の力を得ようと飛ぶことは無い。

 

「もとより飛べぬこの身で合ったけれど、いざ飛べるかもと希望を見い出した後に飛べぬと言うのはいささかクる物があるなぁ」

 

 飛べぬことが判明してから、あまり気にしない様にしていたし、実際あまり気にはしていなかった。

 否、気にしていないと思っていた。

 けれどもいざ、異変が起こるかもしれない。それでなくとも何か騒がしい事があるかもしれないと考えた時に、飛べぬこの身が恨めしかった。

 それこそ幻想の少女達の様に自由に空を駆けられたのならば、それはこの上なく幸せであると思えてならなかった。

 

「ふ、ははっ……一人で気を滅入らせていても仕方なし」

 

 負の方向へと転がり落ちかけていた思考を戻そうと小さく笑い飛ばす。

 やはり一人でぼぅっとするのは良くない、そうため息交じりに零すと涼介は下ろしていたリュックに手を伸ばす。

 寂しがり屋なりに寂しさを紛らわせようと瓢箪を取り出す。

 ただ酒の入っている特別なことなど何もない瓢箪。

 伊吹瓢で酒を飲む萃香を真似る様に買った入れ物。

 野球少年が憧れの選手と同じ道具を使うのと同じ、子供染みた行為。

 けれど、萃香に見せた時には、萃香も嬉しそうに涼介の頭をぐりぐりと乱暴に撫でつけていた。

 手にした瓢箪を見た時にその事も思い出し、ふっと口元が揺るんだ。

 

「っはぁぁ……きっついなぁ」

 

 一口、二口と中身あおる。

 瓢の中より漏れ出る酒精はかなり強い。

 中身は鬼の酒。伊吹瓢の中身を分けて貰った酒は、かなり強い。

 ザル、というより酒精を自身の中から落としてしまえるが、飲んだ時に感じる酒の強さは変わらない。

 けれども今はそのきつさが心地よかった。

 しゃんとしろと萃香に叱責されているようで愉快でさえあった。

 

「何処にでも行ける足が有って、弾幕を眺める事の出来る目があるのだ。今はそれで十分だ」

 

 今はね、と心の中で付け加え、再び酒を口へと運ぶ。

 喉を通る灼熱感がまた気持ちが良い。

 一人で小さな酒宴を楽しむ涼介の耳に地面を踏む音が聞こえた。

 カサリという小さな物音。

 瓢箪を傾ける手を止めて涼介は音のした方向へと視線を向ける。

 

「おや君は――」

 

 涼介の視線の先には小さな子供がいた。

 けれどそれは人間の子ではない。それを示すかのようにふわふわとしたウサギの耳がついていた。

 前回の満月の時に出会った少女と比べると短い耳ではあるが確かにそれもウサギの耳であることに変わりは無かった。

 桃色のワンピースがさらにあどけなさを強調しているように感じられた。

 そして、瞳の色。紅い瞳の彼女と比べれば明度は低いがこの少女の瞳もまた赤みがかっていた。

 これらの事から涼介は

 

「――以前ここに来たウサギの御嬢さんの妹さんかな?」

 

 そう、口にした。

 いつもの様に物腰柔らかく、にこりと笑ってそう問いかけた。

 

「……」

 

 しかし、帰ってきたのは沈黙であった。

 涼介は少しだけ困ったように頬を掻いた。

 涼介を見つめる少女に変化はない。

 変化はない、けれども何故だか涼介は非難めいた視線の圧を感じた。

 別段少女の瞳が言葉を発してから宿す感情の色を、形を変えたということは無い。

 しかし、不思議と涼介にはそう感じられた。

 言うなれば気配や雰囲気という物であるのかもしれない。

 

「ねぇねぇ」

 

 見た目に反する事無く可愛らしい声を少女が口にした。

 幼い子供のようにひょこひょこと涼介へとに近づいて行った。

 あまりにも無邪気な子供らしい仕草に、涼介は一瞬思考に空白が生じた。

 妖怪と認識した相手。見た目相応ではない年齢なのだろうとそう思っていた相手。

 その人物の取った行動、雰囲気、表情、そのどれもが見た目相応の子供に見えた。

 故に自身の認識と目の前の現状との齟齬に、虚を突かれる様な形となった。

 

「えへへ」

 

 涼介のすぐそばまで来た少女が愛らしく笑みをこぼした。

 少女は目ざとくも涼介の状態に気が付いたのだろう、少女の笑みの種類がガラリと変わった。

 

「鈴仙の妹ってのは無いわ」

「え――」

 

 低い声を出し、少女はそう言った。

 浮かべられた笑みもどこか嘲笑うかの様な物。

 涼介がその変わり様に声を漏らすも、それは途中で途切れてしまった。

 

「――つぅ」

 

 パシンと乾いた音が物静かな竹林に響いた。

 少女の指が涼介の額を弾いたのだ。

 完全に意識の外から来たそれに涼介は対応できなかった。

 美鈴の様に隙を縫う様なそれ。意識の隙間を通った一撃は涼介に綺麗に入った。

 威力はそれほどでもないのか、座っている身体が仰向けになる程度であった。

 

「いきなり」

 

 身体を起こして言葉を投げかけようとするも、少女の姿にそれも止まった。

 涼介の持っていたリュックを背負い、先ほどこちらを覗いていた時に立っていた場所まで戻っていたのだ。

 

「悪い事は言わないからさ、今日はもう帰りなさいな。あ、これは失礼な言葉の謝罪分と幸運の駄賃に貰っていくよ、にしし」

 

 悪戯が成功した子供の笑顔に似た表情を浮かべて少女がそう言った。

 そしてその笑顔は、彼女にとても良く似合っていた。

 

「じゃあまた機会があれば会おうじゃないか、涼介」

「あ、こら――」

 

 涼介が何かを続ける前に少女が走り出した。

 反射的に涼介もそれを追って駆け出した。

 

「おやおや、まあまあ。危ないよ、お兄さんや」

 

 涼介が追いかけてきている事に気が付いた少女が後ろを振り向きながらからかう様に言葉を口にした。

 愉快さを浮かべた表情には老獪さが滲んでいた。

 前方を見ていないのに乱立する竹にぶつかる事無く走る少女に妖怪じみているなと思うも、妖怪だったかとすぐさま思い直す。

 光の三妖精の時のように鎖を伸ばしたいが、周りを埋め尽くす竹がその選択肢を除外させる。

 仕方なく走って追いかけるも、地力が違う為か距離が徐々に開いていく。

 

「せめて持っていくのならもう少しまともな説明を頼みたいんだけれど!」

「持っていくのは許容するってのがまた何とも達観してますなぁ」

「君らに人間側の道理を説いても仕方ないだろう」

「うんうん、全くもってその通り」

 

 追いかけながら言葉を投げかければ、ちゃんと返答が返ってきた。

 その事にあまり悪い子じゃなさそうだと涼介は感じた。

 進行形で荷物を盗まれている状況であるのだが。

 涼介とのやり取りがお気に召したのか、少女はクスクスと笑った。

 

「お兄さん、良い人そうだから忠告を一つ」

「なんだい!?」

 

 走っている所為か声についつい力が籠ってしまう涼介に対して、少女が急に立ち止まる。

 

「危ないよ?」

 

 最初に出会った時と同様に、あどけない子供らしい仕草と雰囲気を醸し出しながら、少女が小首を傾げてそう言った。

 

「何を――」

 

 問い返す前に涼介の視界から少女が消え去った。

 

「――う、おっ」

 

 違う。涼介が地面に吸い込まれる様に姿を消した。

 直後、地面に重たい物がぶつかる音が竹林に響いた。

 

「落とし穴があるからね、にしし」

 

 少女はその様子を見届けた後、見た目にそぐわない、けれど何となくらしい笑いを一つこぼすと竹林の奥へと姿を消した。

 穴に落ちた涼介には少女の声も、姿も捉える事は叶わなかったのだが。

 もう間もなく夜が来る。満月が、昇る。


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