東方供杯録   作:落着

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ご無沙汰しておりました
申し訳ありません


月下に輝く永夜世界
それぞれの友人に供する四四杯目


 いつもの様に張り紙一つ

『満月の為、休業』

 

 

 前回のウサギの少女と邂逅した満月から、月齢が一巡り。

 季節はもうすっかりと夏を終え、秋となっていた。

 蝉の声が無くなり、秋の虫たちの鳴き声が耳に着き始めた。

 今日の月見はいつにも増して風情がありそうだと、涼介は一人先の出来事に思いを馳せる。

 けれど、まずはその前にと。月一の恒例となっている慧音と妹紅宅への訪問の為その足を進める。

 里に入り、すれ違う人々と軽い世間話をしながら寺子屋を目指してゆく。

 少しすれば目的地が見えてくる。

 

「上白沢先生、お届け物ですよ」

 

 寺子屋にくっつくように併設されている、慧音の自宅の戸を叩いて声をかける。

 涼介の呼びかけの声に反応したのか、中から物音が聞こえてきた。

 廊下を速足で歩く足音が近づいて来る。

 

「やぁ、涼介。いつもすまないね」

「いえいえ。これも商売ですから」

 

 戸を開けて慧音が姿を見せた。授業の無い日であるのに、きっちりとしたいつも通りの服装。

 その姿に、やはり真面目な人だと改めて涼介は感じた。

 

「商売っ気のなさそうな君が、その言葉を口にすると少しだけ可笑しいな」

「ひどいですね、先生。私は霖之助と違ってまっとうな商売人ですよ」

「香霖堂の店主と比べている時点で底が知れそうな話だとは思わないかい?」

 

 慧音がクスリと笑いそう言えば、涼介は返す言葉に詰まってしまう。

 

「籠りがちで売る気の乏しい店主と、気まぐれに店を開ける君。似たもの同士なのだろうね」

「ここが誘惑が多すぎるのですよ」

「君がふらふらと惹かれ過ぎなのかもしれないね」

「それは否定はしませんね」

「素直なことで結構」

 

 旗色が悪いと涼介は判断をして、本題へと入る。僅かな仕返しの気持ちを込めて。

 手に持つ水筒を慧音へと涼介は差し出す。

 

「それでは、先生。いつもの物です」

「ん、確かに。今日はいつもみたいに少しは上がっていかないのかい」

 

 慧音は玄関先で水筒を手渡してきた涼介にそう問いかけた。

 いつもは慧音が中へと招き、多少の世間話の後に渡されているのが通例であった。

 けれど、ここで渡すという事は次――妹紅の所――へとすぐに行くのだろうかと。

 

「えぇ、さすがに散らかっている部屋に上がるのは忍びないので」

「はぁ、なるほど。そう言う意趣返しはあまり感心しないな」

「以前妹紅に不利な話題で闘うから劣勢になるんだよと薫陶を賜っているので」

 

 涼介が悪びれた様子をみせずに肩を竦めると慧音は苦笑を一つ。

 いい意味でも悪い意味でも、幻想郷に染まってきていると目の前の友人の姿から理解した。

 それが嬉しくもあり、少しだけ心配でもあった。

 

「まったく妹紅も厄介な者に厄介な忠告をしてくれるものだ」

「年長者の忠告は貴重ですから」

「君の周りの大半は年長者だから聞き放題だろうに」

「先生は私の周りにいる友人たちが素直に忠告をくれると思いますか?」

「……前言を訂正しよう。確かに身になる忠告は貴重だな」

 

 涼介が友人と呼ぶ者達を思い浮かべ、慧音は苦虫をかみつぶしたような顔をする。

 その反応に予想通りだと今度は涼介がクスリと声を漏らした。

 

「さて、一本取った所で退散しましょうか」

「やれやれ、君はその取り方で満足なのかい?」

「一本は一本ですから。まぁ、その一本すらいまだ取れない相手が大なり小なり存在しますがね」

 

 涼介はそう言って、いまだ勝ちえない相手の筆頭である門番の顔を思い浮かべた。

 いまだに彼女の前では良い玩具にされてしまう。

 苦々しい物が顔に出ていたのか、慧音が慈愛に満ちた視線を自らに送っている事に気が付いた。

 

「君も色々と楽しんで(くろうして)いるな」

「それはもう」

「ふふ、困った子だ」

 

 目元の笑った呆れ顔で慧音がそう零した。

 孫を見る祖母のような優しい瞳に、涼介は少しだけくすぐったさを覚えた。

 

「先生、それではまた」

「あぁ、またな涼介」

 

 こそばゆさを隠そうと、涼介は足早に慧音の前を後にした。

 しかし、きっと目ざとい慧音の事だから気が付いているのだろうと涼介も分かっていた。

 前回、自分の変化に気が付いた慧音は自分の機微を見透かしていると。

 恥ずかしさと、見守ってくれる存在が居る事の嬉しさを胸に涼介は妹紅の家へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「妹紅、起きてるかい?」

 

 慧音の家の戸を叩くときより、幾分か強い音が鳴る。

 叩かれる衝撃に、戸が軋む音をあげる。

 

「起きてるよ、だからガンガン叩かないでくれ」

「今日は起きていたね、妹紅」

「その言い方だと私が寝坊助みたいに聞こえるじゃないか、涼介」

「起きているか寝ているか、半々なら立派な寝坊助だと私は思うよ」

「全く、小姑みたいなやつだね、お前さんは」

「小姑一人は鬼千匹に向かうってところかな」

「鬼の弟分を名乗るだけはあるって事かね、やれやれ」

 

 建て付けの悪い戸を開けながら、妹紅が顔を出す。

 僅かに眠そうな表情から、起きていたと言うが寝起きに近いのかもしれないと涼介は感じた。

 今日も今日とて気安い言葉の応酬の後、妹紅に招かれ家へと上げてもらう。

 

「ふわぁ……」

「大きなあくびだね。相変わらず不摂生な生活をしていそうだ」

「何を言うんだ、涼介。私程の健康マニアはそうはいないよ」

「あー、うん確かにそうだね」

 

 妹紅が不満そうに言葉を返す。けれども、涼介は妹紅の返事にそっぽを向いて頬を掻く。

 確かに妹紅レベルの健康マニアはいないだろう。低い水準という意味合いにおいて。

 妹紅も涼介の態度にそれを感じ取る。

 

「おい、その反応はあまりにもアレだろう」

「いや、だってさ、妹紅。毒草とか気にせず食べる人を健康マニアって……ねぇ?」

「それは……慧音が野菜とかもちゃんと食べろというから……」

「確認とかしなよ」

「どうせ食べても死なないし。そ、それに有毒の方がおいしい事もあるんだぞっ」

 

 どうだと言わんばかりに胸を張った妹紅が言えば、涼介の瞳が遠くを見つめる。

 

「おい、その目をやめろ。何故か物悲しくなる。というかなんだその目は」

「前まで上白沢さんに、妹紅と同列に見られていたと思うと、私はどれだけちゃんと生きていなかったのかと……そう考えたら何だか悲しくなって」

「お前、めちゃくちゃ失礼だぞ」

「ははっ、半分冗談だよ」

「半分本気じゃないか」

「さて、妹紅の分の水筒はっと」

「もっとまじめに誤魔化せ。誤魔化すなら」

 

 いそいそとリュックをあさる涼介の姿に、妹紅はふてくされて頬を僅かに膨らませた。

 けれど、口の端が僅かに上がっている事から、涼介とのやり取りは楽しい物であると察せられる。

 何だかんだと一切の気負いなく話をしてくる涼介の事を妹紅は嫌いではなかった。

 慧音とはまた違う気安さが少しだけ心地よかったのだ。

 

「なんだい、妹紅こそ」

「何がだ、涼介?」

「何がって……人を見てクスクスと笑っておいてそれは無いだろうに」

 

 涼介の不満そうな言葉を聞いて妹紅はぱちくりと目を瞬かせた。

 そして、無意識に自分が笑っていたことに気が付いたのだ。

 それが意外であり、しかし同時に当然の様に感じた。

 

「お前さんみたいな飽きない友人を持つと楽しくなるのさ」

「それは……褒められているのかな」

「褒めてるさ。慧音は次は何をするか気が気じゃないって言うけれど、私は楽しみに見てるよ。良い酒の肴さ」

「まぁ、精々楽しんでもらえるように精一杯生きるよ」

「それが良い。短い時間なのだから大事に生きな」

 

 何でもない風に妹紅が言う。けれどその言葉には不思議な重さが感じられた。

 

「そうだね。まぁ、短いかはこれから次第かな」

「ん? それはどういう――」

「ほい、妹紅」

「わ、っと」

 

 涼介の漏らした言葉に、妹紅が聞き返す。けれど、遮るように涼介が水筒を放った。

 妹紅が放られたソレを器用にキャッチする。その際、非難交じりの声色が漏れた。

 

「どういう意味、それは私にも分からないよ」

 

 落さぬように受け取った水筒を、手元に置いて涼介へと視線を戻す。

 そこにはリュックを背負い、家を出ていく準備のできている涼介の姿があった。

 

「何だか妖怪じみてきてるね、お前さん」

幻想郷(ここ)らしいでしょ?」

「それで、さっきの言葉の真意は?」

「さて、どうだろうね」

 

 涼介はクスリと笑い、応えない。ただ、腰の裏のポーチを一度叩いた。

 その反応に妹紅はため息を一つ漏らした。妹紅は酒の事を知らない。しかし、何となくの予想は着いた。

 

「お前さんね……」

「もしその時はきっと良く考えた結果さ」

「そうかい。もしそうなら……私はそう願うよ」

「ありがと、妹紅」

「全くもって厄介な友人を持ってしまったね」

 

 やれやれと頭を妹紅がふって見せる。

 涼介はそれに笑い声で応えた。

 そしてまた、妹紅が大きなため息を一つ増やした。

 

「さて、それじゃあ本当にお暇しようかな」

 

 涼介が戸に近づいて振り返る。

 

「あいよ……あぁ、そうだ。気をつけなよ」

 

 戸を開けた涼介の背に妹紅が言葉を投げかけた。

 踏み出そうとした涼介の足が止まる。顔だけを妹紅へと振り向ける。

 

「妹紅?」

「最近アイツらの様子が変なんだ」

「変って?」

「なんか竹林内でこそこそしているんだよ。それにかぐ、じゃなくてアイツも普段より姿を見せないんだ」

「へぇ、そうなんだ」

 

 普段とまるで変わらない涼介の返答。

 また妹紅がため息を増やす。

 

「危機感がないねぇ。進歩してるんだかしていないんだか」

「してるさ……まぁただ方向性がアレな事は否定しないけどね」

「それを自覚しているだけ良しとするか? いや、自覚しているからこそ性質が悪いのかね」

 

 妹紅の呆れ声に涼介が苦笑を漏らす。

 今度こそ涼介が玄関を一歩跨ぐ。

 

「何か起きるなら精一杯それを楽しむよ」

「長生きしそうにないね、お前さん」

「さて、それは結果を見てからのお楽しみに」

「ま、墓に酒位はお供えしてやるさ」

「その時は冥界から飲みにくるよ」

「全く、死神が門前払いしそうな問題児だね」

 

 妹紅の言葉を背に受け、涼介は竹林へと歩を進める。

 開いた戸の場所まできた妹紅がその背を見送った。

 その瞳には呆れの色が湛えられていた。

 

 

 

 

 妹紅と別れた涼介は竹林を進む。いつもと違い物音の少ない竹林。

 様子がおかしいと妹紅に言われたから、そう感じているのか。

 それとも実際にそうなのか、少しだけ判断に迷う。

 大人しく感じる竹林を涼介は進む。

 

「ん……やぁ、久しぶり」

「うぅん? あぁ、涼介か。久しいね」

 

 涼介の視界の先に少女が現れた。燕尾状のマントに白のシャツとキュロットパンツ。

 それらを身にまとう少女が、竹林内をふわふわと飛んでいた。

 涼介に言葉をかけられ、少女もその存在に気が付き、涼介の目の前まで降りてきた。

 

「涼介が竹林をうろうろしているって事は今日、満月だったか」

「風情がないね、リグルは」

「風情って……まぁ、そうだねぇ。確かに無いかもだけれど、私は満月の影響を受ける妖怪ではないし、いちいち気にするほどではないね」

 

 涼介にリグルと呼ばれた触覚を着けた緑髪少女が、気のない声で返答をする。

 蛍の妖怪らしく日中は元気が出ないのだろうかと、ふと涼介はそんな事を考えた。

 どことなくアンニュイさを漂わせたまま、再び口を開く。

 

「涼介はいつも通りお月見かい?」

「そうだね、私はそのつもりだよ」

「ふぅん」

 

 含みを感じさせる相槌。

 

「何かあるのかな、リグル?」

 

 ひょこひょこと小刻みな動きを見せる、自らの触覚をつまみながらリグルが小さく口元を歪めた。

 

「別に、何かある訳じゃないよ」

 

 前髪で少しだけ隠れた深緑の瞳が、涼介を静かに見つめる。

 酷く落ち着いた様子のリグルであるのに、その瞳は愉快気な光を宿していた。

 

「でも、騒がしくなりそうな気がするね」

 

 気だるげでありながら、どこか弾んだ様な気がする声。

 僅かに上がった口角が、気の所為ではなく、リグルが楽しそうであることを涼介に伝えた。

 

「それは、忠告かな?」

「どうだろうね? ふふっ、私風に言うのであれば虫の知らせ、とでも言うべきかな」

 

 口元に手をあて、リグルが肩を震わせ愉快さを隠す事無く笑う。

 深緑の瞳が弧を描き、涼介を捉えて離さない。

 自身は力の弱い妖怪でありながら、その弱さをまるで感じさせない独特の雰囲気をリグルは纏う。

 能力ゆえに妖蟲の女王として君臨する為、培われた物であろうリグルの纏う空気は、涼介の友人たちと比べても特徴的であった。

 圧倒される様な強さや自負は微塵も感じ取れない。しかし、一筋縄ではいかないという厄介な印象を受ける。それがまた妖怪らしくもあった。

 

「なるほど」

「それで、君はどうするのかな? 引き返すかい?」

「リグルの直観、虫の知らせの答えは?」

「君は進むと」

「正解。これは当たりそうな知らせだね」

「ま、これくらい君の人となりを少しでも知っていれば簡単に出る答えさ。だから私の知らせを、今の答え程度で補強しないでおくれよ。ある意味、心外だよ?」

「これは失敬」

「構わないよ」

 

 さて、とリグルが切り替える様に声を一つこぼす。

 それに合わせ、彼女が再び出会った時の様にふわりと浮かぶ。

 

「そういえば、奥から飛んできていたね。どこかへお出かけの途中だったのかな?」

「いんや。ただまぁ、騒がしいのは見る分には好きだけれど、騒動の中心に近いのは嫌だからね。竹林の外にでも出てながめてようかなって所さ」

「賢い選択だね」

「君は愚かだね」

 

 涼介を見下ろすリグルが言葉を一つ落とす。

 

「最後に一つ、いいかな?」

「いいよ」

「危険はあるかな?」

「答えを決めているのに、その問いに意味はある?」

「あって進むのと、なしで進むのでは大違いさ。主にお説教に関して、だけどね」

「一理あるね。でも所詮私の根拠のない勘だよ」

 

 出会った時と同じように、気だるげな視線でリグルが問う。

 涼介はそれに応えることなく、穏やかな笑みを浮かべた。

 その反応にリグルはやや呆れ気味なため息を一つこぼした。

 

「たぶん……無いんじゃないかな?」

「そう。それなら安心だ」

「妖怪の言う事なのに随分と素直に信じるね」

「君の言った通り、別段戻るつもりはないからね。占いみたいなものさ。当るも八卦、当たらぬも八卦ってね」

「ふふっ、それぐらいが丁度良い心構えかも知れないね。一つ勉強になったよ」

「それは良かった。またね、リグル」

「あぁ、生きていたのならまたその内にね、涼介」

 

 リグルはその場で、竹林の奥へと分け入っていく涼介を見送る。

 涼介の姿が見えなくなると、地中から、竹藪の奥からと、その周囲から無数の妖蟲達が顔を出す。

 女王からの命令を待つ様に身じろぎ一つ見せない。

 

「追わなくていいよ」

 

 リグルの言葉に妖蟲達が身じろぎを一つする。

 

「君達はいかない方が良い気がする。だから」

 

 リグルが妖蟲達を止めて、指を軽く振る。

 数種類の妖怪ではない小さな虫達が、それを合図に涼介を追う様に竹林の奥へと飛んでゆく。

 

「あの子達に任せるよ。別段何もする気はないから。ただ……面白そうなものが見れれば私はそれでいいからさ。暇をつぶせる面白い事でもあればね」

 

 消えてゆく虫達を見送りながら、リグルは手元まで来た巨大なムカデの妖蟲の頭を撫でる。

 

「それにちょっかいをかけそうな子は他にいそうだしね」

 

 瞳を細め、竹林を見回す。何もリグルの瞳には認識されない。けれど、確かに何かが涼介を追っている事はなんとなく分かった。ただの勘、虫の知らせ(無意識下の直観)だ。

 

「さて、私達も行こうか」

 

 リグルがふわりと飛びながら進み始めると、妖蟲達は姿を隠して、自らの主を追う。

 

「うん、面白くなりそうだ。これでもし異変でも起これば、巫女と弾幕ごっこをするのもいいかもしれない」

 

 クスクスと笑いながら蟲の女王も姿を消す。

 虫達を連れ、竹林を後にした。竹林からまた一つ、ざわめきが消えた。

 日はまだ落ちない。けれど、刻々と時は進む。待つことなく、夜へと流れてゆく。


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