東方供杯録   作:落着

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お待たせしました。
久方ぶりの更新です。
リハビリがてら軽いお話を書こうと思いました。


誰でも一度は考える話に供する四二杯目

 

 

「毎回毎回わざわざすまないな、涼介」

「構いませんよ。それに買い出しのついでですから」

「それでもさ。感謝はきちんと表すものだろう?」

「どこで生徒さんが見ているか、分かりませんからね。せんせ?」

「悪い笑顔をしているな、全く」

 

 慧音と涼介、二人が慧音の自宅の玄関先で話をしていた。

 涼介の軽口に慧音が笑みを浮かべて言葉を返す。涼介の手元には水筒が一本。

 恒例の満月の夜の為の差し入れの容器だ。つい先日、満月であったために渡した物を、買い物ついでに回収に来ていたのだ。

 慧音も、満月の夜の仕事の後片付けと、いつも通りの寺子屋の授業で余裕が出来るまでに時間がかかる。涼介もそれを見越して、他の用事と合わせて取りに来ていた。

 もう何度も繰り返されている、恒例のやり取りであるとも言える。毎度律儀に礼を述べる慧音の相手は、気分が晴れやかになるなと、涼介は感じていた。

 

「どうした? また何か悪さでも考えてないかな」

「酷いなぁ。悪さ何てしたことないですよ」

 

 気分の良さで緩んだ顔を慧音がからかう様に指摘した。冗談めかした声の調子が、慧音にしては珍しい。何か良い事でもあったのだろうかと、涼介は感じた。

 

「春雪異変では随分と咲夜に心配をかけていたし、この前の異変でも主犯格とお酒を飲んでいたと聞いたよ。次は何をするのか、私は今からひやひやしているよ」

「もう、勘弁してくださいよ。文の新聞ですね? 春雪は確かに自業自得ですが、この前のは不可抗力ですよ」

「不可抗力でもなんでも君はもう少し気を付けるべきだよ。お店も里内に移さないか?」

「それはお断りさせてもらいます。今の場所が気にいってしまいました」

「はぁ、そう言うだろうと思ったよ。うん、でもそうだね……今の君なら問題なさそうだ」

「上白沢さん?」

 

 慧音が顔を破顔させた。穏やかで子を見守る母の様な優しい笑み。

 

「君の雰囲気はずっと良くなった。前よりも活き活きと活力に満ちている。だから、私も安心だ」

「……分かるのですか?」

 

 涼介が驚きの声を慧音に返した。慧音の言う通り、萃香との一件以後、涼介はずっと前を向いて生きている。

 胸を張れる生き方をするため、懸命に生きていた。漫然と死を待つような、生きる意思を落す事はやめていた。

 まさか、気が付かれているとは思ってもみなかったのだ。意識の問題で、生活に変化はないのだから。

 

「私は先生以外に何と呼ばれているかな?」

 

 涼介の疑問の声を受けた慧音が、クスクスと笑みをこぼしながら質問を返した。

 教師然とした慧音の立ち振る舞いに、涼介もクスリとついつい声を漏らしてしまう。

 慧音のふりに、涼介も応える様に口を開いた。

 

「はい、先生」

「それでは、涼介君」

「人里の守護者、でしょうか?」

「うむ、正解だ」

 

 生徒と教師のやり取りの様に軽口を二人は交わした。涼介の回答に慧音はよろしいと大仰に頷いて見せる。

 わかりやすい仕草に涼介がつい笑みを浮かべてしまう。きっと、実際の授業でもこうやっているのだろうなと思えばこそ、微笑ましさが増したのだ。

 慧音は続けてまた口を開いた。

 

「私は長い間、人の近くでずっと見守ってきた。多くの人を見守ってきた。だからだろうね、なんとなく分かるんだよ。今君は、懸命に生きている。私はそれだけで嬉しいんだ」

 

 そういう慧音の顔は清々しさに満ちていた。憂い一つない、美しい笑顔が涼介の視界に映り込んだ。

 慧音の笑みに対し、あぁと無意識に涼介が感嘆を漏らす。

 

「しっかりと生きるだけでその笑顔が見られるのなら、もっと早く前を向くべきでしたね」

 

 いつもの軽口がついつい涼介の口をついて出た。出した後に涼介は僅かに反省をする。

 慧音がため息をつき、呆れ顔をしたからだ。これはまたお小言かなと涼介が覚悟をした。

 慧音が小さく息を吸う。仕方ないと諦め気味の涼介に向け、慧音が口を、

 

「よっ、慧音に涼介」

 

 開くも声が出る前にそれは遮られた。別の声が割り込んできたのだ。

 二人が声の方向へ顔を向ければ、そこには予想した通りの人物、妹紅がいた。

 片手を上げた格好の、妹紅が二人に向かって歩いていた。涼介はひとまずお説教からは逃げられそうかなと、慧音から少し離れて妹紅に近づく。

 

「やぁ、妹紅。丁度いい所に来たね」

 

 妹紅を出迎える様に自らから逃げてゆく涼介の後ろ姿に、慧音がやれやれと言いたげにため息をついた。

 妹紅は慧音の様子に首をかしげるが、近づいてくる涼介へとすぐに意識を切り替える。

 

「丁度いいって?」

「妹紅の所にも回収に行こうと思ってね」

「あぁ、あの水筒か。あれなら洗って家に置いてあるよ」

「だろうね。妹紅は取りにいかないと返ってこないからなぁ」

「お前さんの店が遠いのが悪い。せめて里の中に作れよ」

「里の中を歩き回らないのに関係ないじゃないか」

「里の中にあれば気が向くかもしれないだろ?」

「それって何年単位の話なのだろうね」

「お前さん、痛い所を突くじゃないか」

 

 言葉でじゃれ合い始める涼介と妹紅。慧音も二人の様子を微笑ましげに見つめた。

 やんややんやと、手馴れた掛け合いが続けられる。そんな折、不意に妹紅が話題を変えた。

 

「そういや涼介、お前さんに聞きたいことが有ったんだ」

「珍しいね、妹紅が私に聞きたいことが有るなんて」

 

 妹紅の言葉に涼介が首をかしげた。慧音という知恵者が友人にいる妹紅が自分に聞きたいことが有るのが涼介には不思議に思えたのだ。

 妹紅も涼介の言葉を受けて、自覚はあるのか少しだけばつが悪そうに頭を掻いていた。

 

「お前さ、この前の満月の時、彼奴に会ったよな」

 

 問い掛けられた内容に涼介は納得がいった。

 なるほど、確かにその内容であれば自らに質問をするのだろうと。

 合点のいった涼介も妹紅に応える。けれど、それは妹紅が欲した答えではなかったのだろう。

 

「残念ながら実は会っていないんだよ」

「え? そうなのか。結局しばらく竹林の中にいたみたいだから話し込んでいるものだと……」

 

 妹紅の意外そうな声に涼介の笑みが深まった。

 

「あはは、ちゃんと帰るまで心配してくれていたんだね。ありがとう、妹紅」

「なっ、馬鹿、お前! 違うって、ただそのまま死なれちゃ寝覚めが悪いだけだよっ。勘違いするな、というか感謝するなっ」

 

 感謝の言葉をかけられた妹紅が、焦ったように早口で捲し立てた。後ろでクスクスと笑い声を慧音が漏らしている事から、照れ隠しであることが涼介にも容易に察せられた。

 涼介の笑みが消えるどころか、さらに愉快気になった事を睨みつける妹紅も理解した。

 その白い頬へと僅かに紅がさした。その直後、涼介の身体が膝から崩れ落ちる。

 

「ちょ、けほっ……妹紅、手が、早い」

「るっさい、にやにやしたお前が悪い」

 

 鳩尾を抑える涼介と、手を軽く振る妹紅。背後にいた慧音は、涼介が殴られたのだと理解した。

 本当に子供の様な二人だなと、また慧音が笑い声をあげた。笑う慧音へと妹紅がキッと鋭い視線を投げかけるも、どこ吹く風と気にした様子は欠片も見られなかった。

 楽しげな慧音の様子に妹紅は諦めの吐息を漏らした。そして、いまだ腹を押さえて蹲る涼介へと視線を落した。

 

「んで。それでお前さんは、彼奴もいなかったのに一人で月見をしていたのかい?」

 

 声を落してくる妹紅へと応えるため、涼介は能力を使って痛みを和らげる。

 数回浅く息をして、呼吸を整える。平静な状態へと戻ると、涼介は応えるために口を開いた。

 

「それもハズレ」

「ん? 誰かいたのか」

「いたよ。ウサギさんが一人いた」

 

 涼介はウサギがいたと妹紅へ答えた。

 そう、あの日の満月の夜に月下の姫君と涼介が呼ぶ少女、輝夜は姿を現さなかった。

 その代わりと言う様に、涼介の前には一匹のウサギが。赤い瞳の迷いウサギが現れた。

 

 

 

 

 毎月の恒例行事と化している、月下の夜会へと涼介は足を向けていた。慧音と妹紅の所へはすでに赴いた後だ。

 ここに顔を出すのも久方ぶりだと涼介は感じた。春雪異変の際は、雪の為に来なかった。前回の満月は、萃香に捕まっていた為に来ることが出来なかった。

 だからこそ、久方ぶりだと涼介は感じた。前回は待ちぼうけさせてしまっただろうから、謝らないといけないなと。

 涼介はそう思い、いつもより多めに荷物を持ってきていた。

 黄昏時が近い為、空は良い塩梅にその暗さを増している。今宵も綺麗な満月が見えそうだと気分が上向いていた。

 

「さて、今日も先に来ているのだろうね」

 

 ふと思い浮かんだことを口にしながら涼介が進む。いまだに涼介は輝夜より先に着いて待っていたことがない。

 いつも先に来たと思っていても、すでに輝夜が死角に居るのだ。少したどり着く行程を変えても、死角から輝夜は姿を見せる。

 もはや何らかの能力なのであろうと涼介は気が付いていた。けれど、それはなんであるのかは分からない。

 

「なんだかんだと彼女も負けず嫌いなのかもしれないね」

 

 涼介は輝夜について、多くは知らない。否、多くを聞かないのだ。

 名前さえ妹紅がふと漏らしたことが有る為に知っているだけだ。現在でも、涼介は輝夜の事を月下の姫君または、満月の君と呼称していた。

 名前さえ聞かないのだ。それ以外の事を深く聞く機会は少ない。けれども、妹紅の愚痴や、彼女が漏らす、妹紅への愚痴である程度は察せられた。

 野蛮な知り合いがいると輝夜は漏らしていた。燃え盛る炎のように暑苦しいと言っていたので、それはきっと妹紅の事なのであろう。

 慧音も妹紅が不死を理由に、自らの身を顧みない喧嘩をしていて困っていると言っていた。

 妹紅と輝夜、良く二人は競い合う仲なのだろうかと、涼介は漠然と考えていた。

 

「……あぁ、良い風だ。涼しい夜になりそうだね」

 

 蝉のうるさい夏真っ盛りにしては珍しく涼しげな夜。へばっているレティにとってもいい夜かもしらないと。涼介は首飾りの氷の結晶に軽く触れた。

 ひんやりとした感触につい頬が緩む。溶けない氷の結晶。幻想の欠片がすぐ近くにある。その事がたまらなく愉快なのだ。

 しばらく、涼介が目的地の岩を目指して歩いていれば、そこへとたどり着いた。

 ぽかりと竹が無くなり、空を見上げる事の出来る場所。人工的に整えられたかのような、お月見用にあつらえたかのような空間。

 

「……あれ? いないのかな」

 

 涼介から訝しむ声が出た。

 いつも通りであれば、涼介がたどり着くと同時に輝夜が岩陰から顔を出すのだ。

 それがいつまでたっても現れない。

 

「今日は初めて私の方が早くこられたのかな?」

 

 涼介が続けて言葉を漏らすも、やはり輝夜は現れない。

 今の言葉はどちらかといえば輝夜の負けず嫌いを煽るつもりの言葉であった。

 けれども、反応は皆無であった。涼介はひとまず岩に近づき、腰掛けた。

 岩の上に乗り、周囲を見渡しても人影一つ見られない。これは本格的に欠席なのかもしれないと。涼介はなんとなくそう感じた。

 

「独り占めするには……いささかもったいないなぁ」

 

 見上げる夜空には星々が煌めいていた。まだ月は昇っている最中であり、ベストの位置とは言いがたい。

 けれども、竹で縁取られたキャンパスの中に満月はあった。手を伸ばせば捕まえられそうな満月。竹で作られた虫かごで捉えたかの様な錯覚を覚える視界。

 これは一人で見るにはもったいない。見上げた夜空に涼介はそう思わざるを得なかった。

 

「仕方ない、か」

 

 小さな声で涼介が呟く。胸に湧いた僅かばかりの寂しさを隠すためだ。

 前回すっぽかした返礼だろうかとも一瞬思うが、そんなことをする相手ではないとすぐに浮かんだ想像を否定する。

 ここの少女達はそんな迂遠な方法は取らないだろう。相手の反応が楽しめない様な方法は取らない。

 それはきっと長く生きる故なのだろうと涼介は考えていた。折角の暇をつぶせる反応を自らが見ないなどありえないと。

 だからこそ、きっと事情があって彼女は来ないのだろうと涼介には思えた。

 背負っていたリュックをおろし、中身を並べた。折角もってきた飲み物も食べ物も無駄になってしまったなと。

 

「帰りに妹紅の所でも寄ろうか……うん、それも良いかもしれないな」

 

 月がキャンバスから消えた時にでも行こうかと、涼介は友人の顔を思い浮かべた。

 不機嫌そうな顔をしながらも、酒でも見せれば快く迎えてくれるだろう。幻想郷の長命種……だけではないが、空飛ぶ者はたいてい酒に目がない。

 それは幻想郷の法則と言っても過言ではない。それほどまでに酒好きが多い。

 

「それまではこの場所を独り占めしてしまおうか」

 

 一人で飲む月見酒も味気ないと、水筒から珈琲を注ぐ。広がる香りが心地いいが、風情に欠けるか、と少しだけ苦笑いが顔に浮かんでいた。

 月を眺めて杯を傾ける。贅沢な時間の使い方だ。涼介は月を眺めながら時を楽しむ。

 ただただ月を見つめる涼介の耳へ、地面を踏みしめる音が聞こえた。輝夜が来たのだろうかと視線を向ければそこには知らない少女の姿があった。

 

「えっと、あの……」

 

 戸惑いがちな言葉が少女より発せられた。綺麗な赤い瞳は地面を向き、長いウサギ耳もその先端が地面を差す様に垂れていた。

 外の世界の学生服の様な装いの少女が、そこには立っていた。言いづらい内容なのか、彼女の性格故なのか。言葉を探す彼女の耳がゆらゆらと揺れて不安を分かりやすく表していた。

 

「君も月を見に来たのかな?」

 

 月にはウサギが住んでいる。昔からよく聞く与太話。だからだろうか、ウサギを示す耳を持つ彼女を見て、涼介はそう口にした。ここで輝夜と月を見ていたのも理由の一端であろう。

 けれど、彼女の顔が涼介の言葉を受けて歪んだ。どこかで見たことのある顔。かつて冥界で幽々子が消えた時に見せた妖夢の表情が重なる。

 過去の自分の行いを悔いている、そんな表情であった。しかし、それだけではなかった。何かに対する恐怖が入り混じっているとも感じられた。

 血の気の引いた唇に、動揺で揺れる瞳がそれを感じさせる。

 知らないとはいえ、悪い事を聞いてしまったと。自らの言動を涼介は反省する。

 意識を変えて、能力の範囲を広げた。ウサギの少女を落ちつけようと自らの能力を涼介は使う。

 その効果はすぐに表れた。自身の感情の動きに不思議を感じたのかぱちぱちと何度も瞬きをみせた。

 そして、彼女の視線が上がり、

 

「貴方、ですか?」

 

 少女と涼介の視線がまっすぐと向き合う。宝石の如き、月明かりで煌めく紅い瞳が涼介を捉えて離さない。

 

「あっ、ごめんなさいッ」

 

 しかし、少女が突然謝罪の声と共に再び顔を俯けてしまった。前髪で隠されてしまった瞳。髪の隙間から僅かに覗く紅が、ちらちらと涼介の様子をうかがっていた。

 落ち着かない彼女に、涼介は疑問を覚えた。何故、彼女は謝ったのだろうか。何故、あんなにも焦っているのだろうかと。

 

「えっと……一先ず落ち着いて話でもしませんか?」

「あ、えっと、その……はい……」

 

 頬を指で掻きながら涼介が提案をした。少女も僅かに逡巡するも、他に何も思い浮かばなかったのか涼介の提案を受け入れた。

 涼介が場所を空ける為、岩の上で身体を動かす。少女はそれで涼介の意思を察し、警戒を表しながらも岩の上へと腰を下ろした。

 空いた距離はどこか涼介に懐かしさを感じさせる距離だ。輝夜に難題候補者認定される前と同じ距離。

 それが少しだけ可笑しくて涼介はクスクスと笑い声を上げてしまった。

 少女は突然あげられた声にびくりと肩を震わせた。そして、自らが笑われていると思ったのか、自身の顔を触れたり、服を確認していた。

 

「ははっ、ごめんね、お嬢さん。君を笑っていたわけじゃないんだよ」

「そう、なのですか?」

「実はいつもはもう一人いるのだけれどね。その子と初めてここであった時の距離と君の取った距離が同じくらいで。何となく懐かしくて、ついつい笑ってしまったんだ。ごめんね、不安にさせてしまって」

「あ、いえ、全然問題ないです。そのてゐに――じゃなくて、知り合いに悪戯をされたのでてっきり汚れが残っていたのかと」

「大丈夫、どこも汚れていないよ。顔も服もとても綺麗だから、心配はいらないさ」

「あ、ありがとうございます」

 

 自身が笑われているのではないと解り、安心したのか肩の力が抜けていた。

 投げかけられた謝罪の言葉に、身振り手振りで応える様が微笑ましく涼介には感じられた。根が真面目な良い子なのだろうと。

 流れる様に続けられた涼介の軽口に、その頬を僅かに染めていた。褒められ慣れていないのか、人なれしていないのかどちらなのだろうかと少しだけ疑問が浮かんだ。

 けれど、少女が口を開くことで、その考えがまとまる前に意識が逸らされた。

 

「実は伝言を届けに来たのです」

「伝言?」

 

 伝言という少女の言葉に思い浮かぶ顔が一つ。輝夜だ。

 ここで合う人物は彼女だけであるためにすぐに分かった。

 さしずめ姫に着き従うウサギの従者、といった所だろうかと涼介の思考が飛躍した。

 

「はい、伝言です。あの、大丈夫ですか?」

「あぁ、大丈夫。少し考え事がね。それで何と?」

「今日は行けないから帰っていいわよ、だそうです」

「あははっ、何ともお姫様らしい物言いだね」

「あの、本当に申し訳ありません」

「構わないよ。それに前回は私がすっぽかしてしまっているしね。満月の彼女は怒っていなかったかい?」

「いえ、怒ってはいませんでしたよ。ただ、帰って来てから一言だけ」

「なんと言っていったのか聞いても?」

「今度はどんな難題に巻き込まれているのかしら、と。そう漏らしておられました」

「それはまた……何とも的を射た言葉だなぁ」

 

 輝夜の慧眼に思わず感嘆させられてしまう。からからと快活な笑いをあげる涼介に少女もホッと吐息をもらした。

 どうやらかなり気を使われているみたいだと涼介には察せられた。おぼろげながら輝夜と目の前の少女の関係が見えてきた。

 目の前の少女にとって輝夜は上位の存在なのであろう。だからこそ、輝夜の知り合いである涼介へと気を使っているのだろうと。

 

「伝言、助かったよ。ありがとね、お嬢さん」

「お礼など必要ありません。私はただ自分の任務を全うしただけです」

「それでも助かったのは事実だからね。お礼は言える時に言わないとね。だってさ」

 

 涼介が少女から視線を空へと上げた。自然と少女が、言葉を区切った涼介の表情を伺おうと視線をあげた。

 少女の視界には消え入りそうな人の顔が映った。儚く弱弱しく見える人間が映り込んだ。

 

「ヒトなんていつ死んでしまうか分からない。感じたことはちゃんと伝えていかないと。じゃないと次の機会は永遠に訪れないかもしれない」

 

 穏やかな笑顔を浮かべ、涼介が視線を少女へと戻した。再び少女と涼介の視線がぶつかる。

 少女が僅かな逡巡をみせ、口を開く。

 

「貴方は、貴方は死ぬのが怖くないのですか? 人間としての短い生は怖くないのですか?」

 

 少女の口から疑問が漏れ出た。強い思いが込められていると解る声。少女にとっては大事な質問だと容易に伝わった。

 少しだけ涼介は考え、自らの答えを返す。

 

「死ぬ事は怖くない、と言ってしまうのは嘘だね。死ぬのは怖いよ」

「でもそんな風には感じられない……そんな波長は……」

「死後の世界、という物を知れたのが大きいかもね」

「死後の、世界」

 

 思い浮かべる場所は霊たちの住まう土地、白玉楼。死は終わりではなく次への変化。

 来世があると分かったことが、恐怖を大きく薄れさせるのかもしれない。

 

「でも死ぬのは怖いよ」

「貴方は死の何が怖いの?」

「君は死の何が怖いの?」

「えっ?」

 

 唐突に質問を返され少女が驚きの声をあげた。質問が返ってくるとは思ってもみなかったのだろう。

 けれど、真面目な性分なのか、少しだけためらった後に言葉を返す。

 

「だって、死は穢れだから……穢れは忌避されるべきものだから……そうみんな言っていたし、それが常識で……それに、死んだら、死んだら何も無くなっちゃうから……だから私は死ぬのが怖い」

 

 ぽつりぽつりと少女が言葉を紡いだ。涼介はそれを静かに聞いていた。少女は応え終えると、涼介の答えを急かす様に、強い視線を向けた。

 

「私は死ぬことで身近な誰かが失われるのが何よりも恐ろしいんだよ」

「身近な誰かが失われる?」

「そう。例えば血の繋がった親類。例えば友人。身近な誰かが自分の周りから失われることが何よりも怖いんだ。私はそれが何よりも苦痛に感じられたんだ」

「それは……ちょっと私には分からない感覚かもしれません……」

「そうなんだ。君の周りの人は皆、長生きなのかもしれないね」

「いえ、それは……はい、そうですね。私より皆長生きで長く生きると思います」

「そっか。それは良い事だね」

「私も、そう思います」

「ならちょっとわかりにくい話かもしれないね。その人の事が大切であればあるほど、思い出が沢山あればあるほど、失われた時が辛いんだ。それはまさに身を割かれるほどだ。君の身近の誰かが永遠に失われてしまうとしたら君はどう思う?」

「……それは……怖いです」

「だから私は死ぬのが怖いよ。そんな思いを誰かにさせてしまうのが怖いんだ。私はその痛みを知っているから。私は一度その痛みを与えてしまったことが有るから」

 

 涼介はいつもと何一つ変わらない声色でそう言いきった。冥界より戻ってからずっと考えていたこと。

 自らの死で、自分が受けたような痛みを誰かに味わわせることが怖い。涼介はその事に対して怖さを覚えていた。

 だから涼介は少女の答えにこう答える。

 

「だから私は死が怖い」

「貴方の考え方は、少し変わっていますね」

「そうだね。ちょっとずれているかも知れないね」

「ちょっとなんでしょうか?」

「さぁ、統計を取って比べてみたことは無いから正確なことは言えないさ」

「ふふ、それはそうかもしれないですね」

 

 少女が小さく笑った。最初の緊張した様子は見られない。涼介の能力の効果が色濃く出ていたのだろう。

 ふと見上げれば、月もキャンパスから逃げようとしていた。まだまだ夜は明けないがあまり長居して、少女を引きとめるのもまずいだろうと涼介は腰を上げた。

 リュックから持ってきた酒を一本取りだす。不純物を落した酒だ。それを少女へと差し出す。

 

「あの、これは?」

 

 差し出された酒に対し、少女が首をかしげた。

 

「話し相手をしてもらったお礼だよ」

「これは与えられた任務ですので、そこまでしていただかなくて大丈夫ですよ」

「それはそっちの話。これは私の気持ち。だから、はい。結構おいしいよ」

「えっと、ですね……」

 

 意外と瞳が酒に囚われている所から、嫌いではないのだろうと涼介には察せられた。もう一押し位すればと。だから、涼介は酒瓶を岩の上に置いた。

 

「じゃあここに置いて私は帰るよ。君が持ち帰らなければ、見つけた他の誰かが飲むのではないかな?」

「……意外に性格が悪いですね」

「幻想郷に染まっているだけだよ」

「恐ろしいですね」

「楽しいよ」

 

 恨めしげに睨んでくる少女の視線に笑みを返して、涼介はリュックを背負った。

 少女もため息を一つ吐き、酒瓶を抱えた。

 

「ありがたくいただきますね」

「それは良かった」

「仕方がないので美味しく飲んであげます」

「そのお酒も本望だろうね。それじゃあ私がここに居ては君も帰りにくいだろうからね。、もう行くよ」

「最後まで気を使っていただいてすみません」

「一人で寂しく杯を乾かす事にならなくて助かったくらいさ」

「姫様の言う通りですね」

「彼女は何と言っていたのかな?」

「内緒です」

「それは怖い」

 

 涼介と少女が向き合って、笑い声を漏らした。笑いが収まると、両者が別れの挨拶を交わして、涼介は竹林へと消えて行った。

 消えていく涼介の後姿を少女が見送る。

 そしてふと、疑問が口から漏れた。

 

「あの人……私の瞳を見ていたのに、波長が乱れていなかった」

 

 涼介の答えが気になって、表情を見た時から視線が合っていた。

 知りたい気持ちが先行していて、すっかり視線を外すことを忘れていたなと、少女は自覚した。

 けれど、平気そうにしていた相手の態度もその事を失念させていた原因の一端ではあるのだろう。

 

「名前、聞いておけば良かったなぁ。姫様、知らないかしら」

 

 ぽつりと小さなつぶやきが漏れた。満月が消え、星々が彩るキャンバスの下でウサギの少女は消えた背中を闇に捜した。

 話をする友人程度にはなれたかもしれない。惜しい事をしたなと。

 そして少女もまた、その場を後にして闇の中に姿を消した。




ウサギの少女、一体誰なんだ……(すっとぼけ)
二人で軽いお話をしてバイバイするだけの予定でした。
でも書いていたら自然とこうなっていました。
不思議ですね。

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