東方供杯録   作:落着

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悪魔の当主とその従者に供する四杯目

 

 侍女に案内された部屋はまるで王と謁見するためのような部屋だった。正面の奥がたくなっており、玉座が一つ置かれていた。

 部屋の広さもさることながら、図書館からこの部屋までの通路の長さも明らかに外で見た時の外観と一致しない。どう考えても館内の広さが比べるまでもなく外観と釣り合わない。

 どうやって作り上げているのか気になる店主であったが、今聞ける話ではないと疑問を一先ず呑み込む。

 呑み込んだ疑問を吐き出せる時が来るのかは全くの不明ではあるが。未練になったりするのだろうかと馬鹿な事を考える思考を切り上げる。今はそのような時間ではないのだ。

 

「我が招待に快く応じてくれたようでなによりだ、お客人」

 

 幼い少女の声が耳に届く。だが幼げな声とは裏腹に不釣り合いなほど威厳を感じる不思議な響きを含んでいた。

 声の主は玉座に座す小さき少女。それこそルーミアやチルノと変わらない程の幼さを宿す少女だ。

 しかし、明らかに先の二人とは違う。身に纏う風格や威厳は文字通り前者の二人とは持っている者が違う。

 王者の覇気であった。支配することが、傅かれることが当たり前と少女から感じられる全てが雄弁に語っていた。そして店主は少女の威圧感に懐かしさを覚える。

 

(初めて紫さんに出会った時のような思わず膝を着きたくなる程の圧迫感。ああ、ああ……久しい。これが怪物。これが大妖怪。彼女の蝙蝠に似た翼と夜のほうが都合良い。なるほど)

 

「……吸血鬼」

 

 絞り出された店主の声に反応して、吸血鬼の顔へ映し出された色は嗜虐。

 

「ご名答、人間」

 

 愉快げに歪められた口元から紡がれた声は傲慢に染まっていた。店主という人間を嘲っているようであった。自然と恐怖で身体が震えて叫び出しそうになる。思考が警告を絶えず発し続けている。恐慌に陥ってはいけないと、取り乱してはいけないと。

 吸血鬼は店主に僅かな興味を示している。心の任せるままに叫び散らせば、一握りの興味など露と消える。最悪そこで終わってもおかしくない。それ程までに目の前の吸血鬼は人間に価値を見い出していない。たった一度、少女の瞳を見ただけで店主には解ってしまった。

 普段意識せずに垂れ流して使っている能力を意識する。心を、身体を穏やかに、平静にする。身体の震えが、思考を阻害する恐怖が、少しずつ落ち着く。一度大きく息を吐き出して区切りをつけた。

 

「恐怖に打ち勝つか。いやはや、期待が持てそうじゃないか。どれ少し試してみようか」

 

 吸血鬼の瞳が紅い光を放つ。弱者を弄ぶ強者は手に入れた玩具(ニンゲン)で何ができるかを試すためその身に宿る力を無造作に振るった。

 店主の視線が紅い瞳から逸らせなくなる。身体の中を何かが這いずる異物感。ゾワリと背筋が震え、肌が粟立つ。感覚が狂い、感情の奥から熱が生まれた。

 狂おしい劣情。熱に浮かされた恋慕。満たされない渇愛。命じられたい隷属。尽きることなく湧きあがり高まっていく数多の感情。目の前にいる吸血鬼に己の全てを捧げたいと心が荒ぶる。

 しかし、高まる感情に魂が支配され尽くす前に理性が抵抗の声を上げた。頭の隅の冷静な部分が生まれ出た熱を、感情の多寡を冷まし落としていく。高ぶった心と身体を冷まし、荒れ狂った精神を落ち着けていく。

 熱が引く。目が覚める。結ばれた視線を一度切るために先ほどまで閉じることさえ叶わなかった瞼を落とす。再び開いた時にはもう吸血鬼の瞳に紅い輝きは無かった。

 

「素晴らしいな、人間。悪魔の誘惑を振り払うか」

 

 吸血鬼のクツクツとした楽しげな笑い声がかすかに聞こえた。このままされるがままに遊ばれてはどうしようもない。その事を理解した店主は流れを変えるために話を切り出す。

 

「本日はそちらのメイドさんより、出張営業をして欲しいとの要望により伺っております。業務の内容としましては、お客様をおもてなしする事でよろしいのでしょうか?」

 

 いつの間にか吸血鬼のそばに控える侍女へ一度視線を向けて吸血鬼に店主が問いかけた。

 

「あぁ、すまない。思いの外愉快で本題を忘れていたよ。お前には妹の相手を頼みたい」

「妹君ですか?」

 

 目の前の吸血鬼の妹ということは少なくとも外見においても同じかしたくらいであろう。小さな女の子が相手。しかし小さくとも自分より何倍も生きているのは揺らがない。

 

「そうだ。可愛い可愛い我が妹さ」

「その妹君はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」

 

 何故妹の相手をして欲しいというのにこの場にその妹がいないのだろうか。

 ここで顔を合わせた方がスムーズであるし、時間もあったから呼べなかったということはない。

 ならば意図的という事だ。理由がある、呼べない理由が。

 店主の問いに吸血鬼は先ほどの尊大で楽しげな態度をやめた。あからさまに気分を害されたと顔をしかめる。

 

「……地下室だ」

 

 店主の問いに対し吸血鬼は眉間にしわを寄せて苦々しく吐き棄てる。

 

「地下室ですか?」

 

 地下室なのは問題ない。吸血鬼故に日の当たらない場所に部屋があるのは理解できる。しかし何故、苦々しげなのか。想像が店主の中で膨らむ。

 

(閉じ込めている?)

 

 

「少々妹は落ち着きがなくてね。暴れても問題のない部屋を地下に作ってあるのさ」

 

 わざわざ他へ被害が出ないように地下へ部屋を作る。吸血鬼が、大妖怪が暴れる。肝が冷える話しだ。

 

(その妹(暴れる吸血鬼)の相手を私がする?)

 

 勘弁してくれと、口をついて出そうになった言葉を呑み込む。呑み込んだ言葉の代わりに別の言葉を吐きだす。

 

「左様でございますか」

「お前なら大丈夫だろう。妹が暴れても落ち着けられるのだから、その能力であればな」

 

 ここでやっと店主は得心する。だからあの時落ち着ける要因に注目していたのか、と。そしてダメで元々とでも思われている。そう考えると館の住民たちの対応も腑に落ちた。

 詰まる所、落ち着けることができずに殺されると館の住人達は考えている。

 狂気は害をもたらす。図書館の主の言葉には実感がこもっていた。

 それらから導く答えは一つ。狂って暴れる吸血鬼。

 出来るならば落ち着けろ。無理ならばガス抜きの一端になれ。無茶苦茶過ぎる注文に店主は笑いがこみ上げそうだった。漏れ出そうな笑いを営業用の笑顔で覆い隠す。

 

「さぁ、それは分かりかねます」

「死ぬ気で頑張るといい。咲夜、案内しろ」

 

 侍女に命令を下す。そして急激に吸血鬼から店主に対する興味が失せてゆく。

 店主を見る吸血鬼の瞳はゴミを見る瞳だ。壊れてしまう物に興味を持っても仕方がない。吸血鬼の中で暇つぶしの余興は終わりを迎えた。もはや彼女の中の店主は死んだ。

 侍女に促されて店主は吸血鬼の前を後にした。諦観も恐怖も浮かばない表情の奥で店主は何を思っているのだろうか。

 

 

 

 

 コツコツと二人分の足音が響く。地下へと続く階段を侍女と二人で降りてゆく。登る事のない階段を下りていく。

 

「質問してもいいかな?」

 

 侍女の肩がピクリと揺れた。侍女は店主に罪悪感を抱いているようであった。店主は侍女の反応に悪い事をしてしまったと申し訳なさを感じた。彼女の罪悪感は錯覚だというのに。

 しかし誤解は後で解くとして、店主は悪いと思いながらも利用することにした。

 

「何故妹さんが暴れるのか知っているかな?」

「狂気に侵されていると聞かされております」

 

 硬質な声が返ってきた。館へ来るまでとは違い事務的な受け答えであった。妹君が狂っている事は店主には察しがついていた。だから知りたいのはもっと根元の部分なのだ。

 何故狂ったのかの原因を知りたかった。それでなくともとっかかり程度は欲しかったが侍女の反応からそれは無理だと理解させられた。

 だが足掻かないのは違うと店主は問いを重ねる。

 

「何故狂気に侵されたかは知ってるかな?」

「いいえ。生まれて数年もしないうちに狂っていたため地下へと幽閉していたと聞いております」

「それからずっと外には出てないと?」

「いえ、時折封を破り抜け出されます。その際はお嬢様やパチュリー様、美鈴達と地下へと連れ戻しております」

 

 その答えに驚愕する。衝撃を受けた。まるで猛獣と変わらない扱い。

 

「そんな状態がどれくらい続いているのかな?」

「五百年近いと聞いております」

 

 絶句した。五百年も一人ぼっちでいたら狂気は治るどころか悪化しかしない。妖怪とてたった独りでは生きていけない。

 退屈は妖怪を殺すのだ。退屈が我慢の限界まで高まった時に脱走するのではなかろうか。妹君にとっての脱走は生存本能ではないのだろうか。

 そんなにも長い間地下へと閉じ込めているのはなぜか。強大な吸血鬼とはいえ、姉ならば外で生活させても暴れ出した時に止められるのではないのか。

 多くの疑問が店主の中から噴出しそうになる。だがそれに十全に答えられる吸血鬼はここにはいない。

 

「何故、そこまで厳重に地下へと封じ込めるのかな?」

「所持する能力が危険すぎるからです」

「それは、どんな能力か聞いても?」

「構いません。能力は、ありとあらゆるものを破壊する程度の能力です。対象に見える目というものを自身の手元へと移動させ、それを壊す事でありとあらゆるものを破壊します。ですので、妹様が何かを握る仕草をしたらお気をつけくださいませ」

 

 なんともトンデモな能力だと驚嘆する。気をつけてどうにかなるとは思えない。飛ぶ事もできないほど脆弱な自分だからそう思うのかと考えるが、そんな事はないと思えるほどには理不尽な能力だと思えた。

 真っ向からどうにも出来ないから吸血鬼は藁にもすがる思いなのだと容易に分かる。可能性のありそうな事をしらみつぶしに試して、その一つに自分がいた。きっとそうなのだ。店主は理解した。己の役目を。すべきことを。成したいことを。理解した。

 

(ならば、きっとそれは)

 

「あの吸血鬼のご当主様は妹さんの事を愛しておられるのですね」

「はい、お嬢様は妹様の現状を酷く憂いておられます。そして言葉では言い表せないほど愛されております。だからこそ、十年前も吸血鬼異変と呼ばれるものを起こされました」

 

 吸血鬼異変。以前店主は酒の肴に紫から聞いた事があった。外の世界の吸血鬼が幻想郷を支配しようと攻めてきた事があると。自らの妹一人のために一つの世界と戦争をするほどの溺愛ぶり。

 それを聞いたら、知ってしまったら店主はどうにかしてあげたくなってしまった。自分が餌にされようとしているのにもはやそんなことは関係なくなっていた。困っている幻想がいる。助けたいと思ってしまった。ならば結論はもう動かない。動かせない。

 

「そうですか……なら、頑張らないと」

 

 言葉を漏らすと侍女が足を止めて振り返る。揺れる瞳と固く結ばれた唇。彼女の罪悪感に最後の追い打ちをかけてしまったことに店主は気がついた。

 

「貴女が感じているその罪悪感は勘違いですよ」

 

 侍女は一瞬何を言われたのか分からなかった。聞こえた言葉に思考が止まり、きょとんとしてしまう。咄嗟に何かを返そうと口を開くがと、音になる前に店主がさらに言葉を重ねる。

 

「貴女は私の能力のせいで私の近くにいると、私と話していると、落ち着いてしまい安心感を覚えています。そして安心感を抱くからこそ、貴女の心は私が近しい人物だと誤解し、ありもしない罪悪感を覚えているのです」

 

 開きかけた口は再び閉じられた。言われた事を理解しようと必死に言葉を呑み込む。混乱は収まらず瞳が小さく揺れ動く。

 

「無条件で安心してしまうからこそ、家族や親しい友人のようだと心が誤解するんです。安心感を得てしまうからついつい情が移りやすくなってしまうんです。悪いのは私で、貴女が悪いところなんて一つもない」

 

 侍女の視線が下がり力なく頭がうなだれた。きっと説明をしても今は解ってもらえない。理性じゃなくて感情の問題なのだ。理論では理解できても感情が追いつかない。

 

(だからこれは自分が死んだ未来で、彼女が心の整理をする際に必要な作業だ)

 

「私は何も言わなかった!」

「違う。私が何も聞かなかったんだ」

 

 俯いたまま荒々しく言い放つ叫びを否定した。

 

「私は貴方が断っていれば無理矢理にでも連れてきていた!」

「私は断らなかった。それが全てでその仮定には意味がない」

 

 先ほどよりも幾分弱い吐露を否定した。

 

「私が……一度も店によらなければ……貴方の事を報告しなければ」

「入ったきっかけは不思議と安心感を覚えたからでしたね。ならばそれも私が悪い。報告したのも仕事なのだから悪い点は一つもない」

 

 絞り出された懺悔を否定した。

 

「貴方は……妖精にだって、親切で……人や妖怪にも……好かれている……良い人なのに」

「それは君が見た短い間での一側面でしかない。私は過去に自分の大切な人を殺している」

 

 今にも泣きそうで途切れ途切れな言葉を否定した。侍女が店主の返答に顔を上げる。瞳は涙で潤み、悲痛さに表情が歪んでいた。

 

「私は……私はまだ貴方の名前も知らないのに!!!」

 

 混乱していると簡単に察することができた。なぜならそんな事は罪悪を感じる理由にならない。否定するまでもなく明白である。

 初めは聞く必要がなかった。途中からはきっと聞いた事で長く記憶に残る事が怖かった。故に名前を聞かなかった。聞けなかった。店主には侍女の想いが解ってしまった。

 

「そう。私達はお互いの名前も知らない赤の他人。だから貴女が私の事で心を乱す必要も理由もない」

 

 他人だと、無関係なのだと断言する。

 侍女は愛情深い性格なのだ。だからこんなにも心を乱してしまっている。また己の能力は誰かへ不幸を振りまくのだろうかと吐き気を覚えた。

 自分が嫌になる。浮かんだ嫌悪は誰にも届かない。それに今は自分の事では無く眼の前の彼女だと、軽く頭を振り考えたことを追い出す。

 

「難しい事なんて何もありません。ただ貴女は仕事の依頼をし、自分の力を過信した馬鹿が何も聞かなかったが為に不幸な事故にあっただけ。たったそれだけの話です」

 

 言葉を失った侍女を尻目に階段の先に見える地下室の扉へと近づく。扉を開ける前に店主は背後を振り返り確認した。何かをこらえながら背を震わして俯く侍女がそこにはいた。

 最後に一言だけ言いたかった。「心配してくれてありがとう」と。けれどもそれを言ってしまったら、彼女の罪悪感をさらに煽ることは明白だった。

 吐き出しかけた言葉を呑み込む。迷子の少女のような姿の侍女から視線を外す。何も言うことは無いと扉から部屋へと入る。侍女の人柄は短い間でしか知りえなかったが好ましい人物であった。

 だからこそ希う。

 

(願わくば、私の死後は心安らかに過ごして欲しい。そして)

「願わくば」

(もし私が生きて戻れたら良き友人となって欲しい)

 

 背後で扉の閉じる音がした。

 

 

 


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