東方供杯録   作:落着

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それぞれに供する三六杯目

 結局、異変後の区切りとなる宴会は涼介が起きることなく終了した。後日、目が覚めると自室の布団で眠っており枕元にメモが置いてあった。

 

 

――疲れていたみたいだからお家に帰しておいたわよ

――萃香の事ありがとね、仲良くできたみたいで安心したわ

――何だかんだと綺麗な落としどころが見つけられたようね

――やっぱり貴方に任せて正解だったわ

――また何かあったら利用させてもらおうかしら?

――追伸

――みんな怒っていたみたいだからお見舞いがてら訪ねるみたいよ

――ご愁傷様、でも楽しそうだから鍵は閉まらない様にしておいたから頑張ってね

――貴方の友人の紫より親愛を込めて

 

 

 メモを見た後涼介が布団の中で崩れ落ちたのは言うまでもない。まだまだ体も不調で起き上がって扉の確認に行く気力も紫のメモで根こそぎ刈り取られ、涼介は只々自室で安静にするばかりだ。

 

 

 

 

 

 涼介が部屋で身体を起こして本を読んでいると裏口が開く音がし、誰かが階段を上がってくる。少し経てば部屋の襖の外から声がかかる。

 

「涼介さん、起きていますか?ハルが通してくれたのですが?」

「あぁ、ハルが……相変わらず賢いなぁ。妖夢、起きているから入ってきて大丈夫だよ」

 

 涼介が声をかければ襖が静かに開く。風呂敷袋を提げた妖夢の姿が涼介から確認できる。

 

「いらっしゃい」

「お邪魔します。お身体大丈夫ですか?」

「特に問題は無いよ。酷い筋肉痛みたいな感じかな?後は身体がひたすら重いね」

「本当に大丈夫なのですか?」

「そう心配そうな顔をしないでよ。栄養を取ってゆっくりしていれば問題は無いから。怪我自体は治っているみたいだし」

「藍さんが手当てされたそうですよ」

「なるほど、それなら心配事は何もないね」

「はぁ、もう全く。相変わらずですね、涼介さんは」

 

 萃香との殴り合いで出来た腫れなどの怪我が無くなっている謎が解け涼介はすっきりとする。そして、涼介が心配ないと笑って見せれば妖夢はため息をつく。妖夢はそれでも一先ず元気そうな涼介の姿に安堵すると、布団の上で上体を起こして座っている涼介の隣に座る。座った二人の視線が交わる。妖夢の瞳が涼介をとらえる。

 

「それで……涼介さんは一体全体どうやったらあんな風に騒動の中心へと巻き込まれるのですか?」

「いやぁ、あはは」

「何で頭を掻きながら照れるのですか……褒めてないですよ……」

「場を和ませようかと思って」

「本当に反省しているんですか?」

「反省する点は確かに見えたね」

「どうせ危ない事をしたという事への反省ではないのでしょう?」

 

 妖夢の言葉に涼介が図星を言い当てられて苦笑する。妖夢も涼介の様子から察してついつい苦笑してしまう。しかし、流されてはいけないと妖夢は表情を引き締める。

 

「私や咲夜さんがあの夜、このお店に来た時にどれだけ心配をしたか分かりますか?」

 

 妖夢が真剣な表情をして涼介を見つめる。妖夢は涼介が消えた夜の事を思い出す。店内は荒れており机やカウンターに椅子は砕け、瓶やカップも割れ所々に僅かな血が飛んでいた。荒れ果てた店内に落ちる無音に、気配を感じられない室内に血の気が引く思いであった事を妖夢は鮮明に思い出す。思い返せばリリカも同じような心持であったのだろうと妖夢は察する。謝りにいかないといけないなと頭の隅で考えながらも、本日訪れた目的を果たす為に涼介を見つめる。

 

「以前冥界で会った時のリリカや咲夜さんと同じような心持にさせてしまったんだろうね」

「たぶんあの時のお二人も……いや、霊夢や魔理沙も同じ似たような心境だったのでしょうね」

「学んでも実践するのは難しいってことかな」

「一度目の原因となった私が言うのもアレかと思うのですがもっとご自愛ください」

「それは……難しいんじゃないかな?」

「どうしてでしょうか?」

 

 普段の涼介であれば心配をかけてごめんと、気を付けるよと言いそうな場面であるのに否定の言葉が返ってきて妖夢には疑問が浮かぶ。

 

「私はここ(幻想郷)で胸を張って生きることにしたんだ。幻想の住人になる決意をしたんだよ、妖夢」

「幻想の住人になる決意ですか?」

「そうだよ、私も幻想の仲間なんだ。だから異変なんて言う()()()()()が有れば指をくわえて見ていられないよ」

 

 涼介の返答に妖夢がポカンとした顔をする。涼介は妖夢の反応に予想通りだと楽しげに笑い声をあげる。

 

「だから参加しても大丈夫なように身体を鍛えないとね。幻想郷のお祭りはハードだからさ」

「はぁ……もう、私が何を言っても決めてしまったんですね?」

「そうだね、また何か大きな出来事があって衝撃でも受けない限りはね」

「私の言葉では届きませんか?」

 

 妖夢の言葉に考えるように涼介が瞳を閉じしばし沈黙する。二人の周りを浮く人魂がゆらゆらと揺らめく以外動きのない静寂が室内に訪れる。涼介がしばらくして瞼を上げる。

 

「妖夢の言葉は届いているよ。だけど、変わる(萃香姐さん)程には揺さぶられない」

 

 妖夢は涼介の答えを半ば予想していた。しかし、実際に口にされてしまえば想像以上に堪える。結果、妖夢は言葉を返せず口を噤む。涼介は妖夢の表情から心境を察すると口を開く。

 

「妖夢はアリスに似ているね」

「アリスさんですか?」

「そう、アリスも妖夢と一緒で優しいからさ」

「そうですか?」

「私がふらふらしていると心配で気が気でないんだろうね。私は弱いからさ」

「いえ、そんな事は――」

「強くなるから」

 

 涼介の言葉に妖夢は咄嗟に否定の言葉を口にするも、実際には図星であり視線を伏せてしまう。しかし、妖夢の言葉が最後まで言い切られる前に涼介が言葉を重ねる。そして、妖夢の伏せた視線の先にある握りこまれた妖夢の手に涼介の手が重ねられる。自身より僅かに温かい涼介の体温に妖夢の胸が微かに高鳴る。

 

「心配かけない位に強くなる。鬼にだって勝てるくらいに強くなる。だからさ、妖夢」

「涼介さん?」

 

 涼介が妖夢の名前を呼び言葉を止める。妖夢は不思議に思い、伏せていた視線を戻す。視線をあげた妖夢と涼介の瞳が再び向き合う。真剣な涼介の眼差しと表情に妖夢の呼吸が微かな緊張と高揚で止まる。妖夢の硬直に合わせるかのように涼介の妖夢の手を握る力が強くなる。涼介が少しだけ緊張している事が手の触れた個所から妖夢にも伝わる。

 

「見ていてくれないかな?私は幻想郷で生きていく。平々凡々と日々を生きるのではなく、みんなと、妖夢たちと一緒に生きていきたいんだ」

「涼介さん?」

「だからさ、妖夢……仲間外れにはしないでくれ、寂しいじゃないか」

 

 涼介の穏やかでそれでいて強い意志の宿った言葉が妖夢の中にするりと入る。妖夢は自然に色々と言おうと考えてきた事を呑込んでしまう。何だかんだと流されてしまう私は意志が弱いのかもしれないなどと考えながら妖夢は笑みを浮かべる。握っている拳から力を抜いて開いた手を裏返し、涼介の手を握り返す。最後に一区切りつけようと妖夢は短くすぅと息を吸い込み、想いを言葉にする。

 

「分かりました、涼介さん……もう私は心配しません。霊夢や魔理沙の様に信じます。だから、どんな時でもちゃんと帰ってきてくださいね」

「私の家はここだからね。いつだって帰ってくるさ」

「でも、あんまり遅いと今回みたいに迎えに行きますからね」

「あはは、前みたいに迷子になって居るかもしれないからね。それに私は飛べないからもしかしたら木の上で泣いているかもしれないな」

「ふふ、強くなるのではないのですか?」

「なるさ。理不尽に、不運な事故に、妖怪の気まぐれに負けないくらい強くなるさ」

「だから迷子や飛べないのは見逃してほしいと?」

「さすがに万能になれると思うほど思い上がってはいないよ」

 

 クスクスと二人の間に笑い声が響く。いつの間にか真面目な雰囲気はなくなり朗らかな空間が生まれる。重なる手から伝わる相手の体温が心地良い。そして二人の談笑が始まる。宴会に全然来なかった涼介に対する不満やいつ店を再開したいか、幽々子のお気に入りの里の和菓子屋の話にハルがこっそり宴会へ参加していた時の話と話題は尽きない。気がつけば日は真上まで上がっている。

 

「そろそろ御暇しますね」

「そう?もしよかったらお昼ご飯でも作るよ」

「どうせ痛覚を落して無理するのはお見通しですよ」

「藍さんに怪我を治して貰っているみたいだから動くくらいなら問題ないよ」

「これは教えない方が正解でしたね」

「一つ勉強になったね」

「次からは藍さんに涼介さんが分からない様に身体が動かなくなる式を憑けてもらう必要がありますね」

「それは怖い」

「反省の色が見えませんよ?それに私は涼介さんが無理をするのは見越していたのでお昼は作って来ているんです」

「これは大分行動が読まれてきているね」

「単純なんですよ、涼介さんは」

「妖夢に言われるとは……」

「なんでそこで悔しげなんですか……」

 

 二人して顔を見合わせ苦笑する。妖夢は正座を崩し立ち上がると脇に置いていた風呂敷袋を涼介に差し出す。

 

「はい、お昼のお弁当です。しっかり食べて栄養を取り早く元気になってください。私はそろそろ冥界に戻りますから、容器はまた後日取りに来ますね」

「久しぶりの妖夢の手料理か……冥界以来かな?楽しみだ」

「ふふ、それは嬉しいですね」

「妖夢のご飯は美味しいからね。良いお……」

「お、なんですか?」

「おかずも何か楽しみだなと」

「それはそれは……ふふふ、お楽しみに。丹精込めて作りました」

「妖夢は安心するなぁ」

「……何故でしょうか?褒められているのにどうしてか腑に落ちないです」

「はは、不思議だね」

 

 涼介の惚けた顔に含みを感じるが聞いても応えてくれないだろうと妖夢は判断し、これ見よがしにため息をついて見せる。涼介は妖夢の手馴れてきた返しについつい苦笑する。

 

「それでは失礼しますね。お昼過ぎにまた誰か来ると思いますよ」

「あぁ、順番制なんだ……」

「涼介さんが宴会で寝てしまうからですよ」

「さてさて、次は誰だろうね」

「頑張ってくださいね」

「ほどほどにするさ」

「では涼介さん、またお会いしましょう」

「またね、妖夢」

 

 妖夢は涼介の言葉を聞くと部屋から出ていく。軽やかな足音が離れていき最後には聞こえなくなる。

 

「次は誰だろうか。ひとまず腹ごしらえをして待ちますか」

 

 涼介は自分に言い聞かせるように言葉を発すると風呂敷の結び目を解き、妖夢の弁当に舌鼓を打ちながらのんびりと過ごす。冥界で食べた懐かしい味についつい口元がほころんでしまう。

 

「妖夢の作るご飯はやっぱり美味しいなぁ。良いお嫁さんになりそうだ」

 

 先ほど本人に対しては呑み込んだ言葉が自然と零れる。口から出た後に涼介は本人が聞いたらまた真っ赤になるのだろうかと意味のない事を考える。思わず以前赤くなっていた妖夢を思い出し、赤くなるのだろうなと半ば確信に近い思いを懐きながらも弁当を食べ進める。冥界の空で誰かがくしゃみをするもそれを知る者は本人以外いないだろう。

 

 

 

 

 妖夢の作った昼食に舌鼓をうった涼介は自室の窓を開けのんびりと空を眺めている。特に何かをするわけでもなく空を眺めるという時間の使い方は久しぶりだなと考えながら体を休める。時折視界の中を鳥以外にも妖精が飛んでいる光景は幻想郷ならではだなと空を見つめる。

 

「本当にここは……良い所だなぁ」

 

 溢れる幻想に涼介はついつい口の端が緩み本音が漏れ出る。しばしの間初夏の陽気に包まれながら空を眺めていると見覚えのある青を視界にとらえる。僅かに引きつりを感じる腕を、こちらに向かって徐々に大きさを増す青に向けて振る。それに気が付いたのか空を飛ぶ青が涼介へ近づいてくる。

 

「やぁ、こんにちは紅茶の御嬢さん」

「こんにちは珈琲の君」

「次は咲夜さんの番なのかな?」

「えぇ、そうですよ」

「五人目には私が勝ったので私の勝ちでは?」

「涼介さんは賭けに参加していなかったので無効試合となりました」

「なるほど。確かに参加を表明していなかったね」

「ふふ、だから諦めてくださいね」

「そうだね。もう妖夢も来た後だし他の人はダメとは言えないね」

 

 涼介が妖夢の事を思い出しながら笑って言えば、咲夜が僅かに不満そうな表情をしている事に気が付く。

 

「咲夜さん?どうかしましたか?」

「いえ別になんでもありません」

 

 涼介が問いかければ咲夜はすまし顔を作り応える。涼介は咲夜の返答に対し疑問が浮かび首を傾げるも、ひとまずここで話をするのもどうかと思い咲夜に中へ入る様に提案する。咲夜も中へ案内されることへの拒否は無い為に、そのまま裏口からハルに挨拶をしてから涼介の安静にしている部屋へと入り畳の上に腰を落ち着ける。

 

「だいぶお加減の方はよさそうですね」

「そうかい?それは嬉しいね」

「顔色も良いみたいですしね。ちゃんと食事もとれていますか?」

「食べているよ。お昼は妖夢がお弁当を持ってきてくれたしね」

「そうですか……」

 

 部屋の脇に置いてある空になった弁当へ視線を向けて応えればやはり咲夜は少しだけ不満げな反応を見せる。

 

「どうされましたか、咲夜さん?」

「涼介さんは……」

「何か言いにくい事なのかな?」

 

 咲夜が珍しく口ごもる為涼介は首を傾げながらも言葉をかける。少しだけもじもじするような仕草をしながら咲夜は口を開く。

 

「その、涼介さんは、あの、妖夢とは随分と親しげですよね」

「ん?そうだね。冥界での異変から親しくさせてもらっているよ」

「えっと、涼介さんからすると妖夢の様な人物はやはり好感を持てるのでしょうか?」

「妖夢はまっすぐで反応も面白いからついついからかってしまうね。友人として得難い人物だと思うよ。咲夜さんともきっと従者同士通じる所もあると思うから仲良くできると思うよ」

「あ、いえ。別に仲が悪いとかではなくてですね、むしろ関係自体は良好です」

 

 咲夜が妖夢について聞いてくるために距離を測りかねているのかと思いそう言えば咲夜からは否定の声が上がる。言われてみればと涼介が思い返せば萃香の異変の際も一緒に行動していたので関係は良好であろうことは明白である。であるならば何故咲夜が妖夢に対して含むような雰囲気を持っているのかが涼介には分からない。

 

「えっと、咲夜さん?妖夢と何かありましたか?」

「そうではなくてですね……涼介さんと妖夢は友人同士ですよね?」

「そうだね」

「霊夢や魔理沙も同じですよね」

「えぇ、私はそう思ってるし、二人も同じように思ってくれていればと思うよ」

「私も友人ですよね?」

「私はそう思っているよ。咲夜さんはどうかな?」

「私もそう思っています。涼介さんは私の初めての友人でかけがえのない人です」

「あはは……やはり面と向かって肯定してもらえると嬉しいけれど少しこそばゆいね」

 

 咲夜の全く逡巡しない返答に涼介は僅かに気恥ずかしさと温かさを覚える。

 

「それなら……」

「それなら?」

「……私にだけさん付けなのは少しだけ寂しいです。……それにあの日の廊下で呼んでくれた時は付いていませんでした」

 

 幼い子供の様に口をとがらせながら咲夜が不満を漏らす。普段の瀟洒で凛々しい咲夜とはまるで違う様子と言葉に涼介は虚を突かれて言葉を失う。しかし、言葉の中身を理解すると涼介は笑みを深める。もしかしたら紅魔館の面々以外に咲夜のこう言った面を知っているのは自分だけかもしれないと思えば胸の奥にこそばゆさが生まれる。

 

「あぁ、なるほど」

「その笑顔は嫌いです」

「そう?」

「美鈴を思い出します」

「ははは、そうだね。確かに美鈴さんがしそうな顔だったかもしれないね。じゃあ、そうだね」

「ん?」

「咲夜」

「――!急に変えられると驚きます」

「でもこういうのはきっかけとかがないと中々変えられないから強引にいかないとね。不満はございますか、フロイライン?」

「ふふ、あははは、ありませんよ」

 

 咲夜はおどけるような涼介の問いかけに笑い声をもらし、花開くような笑顔を浮かべ頷いて見せる。

 

「さて、咲夜。愁いも無くなった所で本日はどのようなご用向きかな?」

「そうですね。それでは本題前に、涼介さんは私に何か言う事はありますか?」

「楽しい宴会だったね」

 

 涼介がすっきりとした顔で言い放てば咲夜は頭痛を堪えるように項垂れた頭へ手を当てる。咲夜が分かりやすいリアクションで答えてくれると、涼介はクスクスと笑い声を漏らす。咲夜は笑う涼介にジトッとした視線を向けるも堪える様子をまるで見せない姿に深くため息をつく。

 

「どうやら私は騒動と無縁で生きていける運命にはないらしいね」

「それは自らの行いもあるのでは?」

「否定はしないよ。でもね、咲夜」

「なんでしょうか?」

「私だけみんなの輪の外から一人ポツンと見ているのは、ね」

「それは危険に身をさらしてまで欲するものですか?」

「私は欲してしまう。だってそのおかげで今が有るから。だから私は咲夜の友人に成れた」

「それは……その言い方は狡いです」

「そうだね、私もそう思うよ。けれど本当の事だから。ただ人間と生きるだけなら私は外に帰るべきなんだ。でも私はそうは思わなかった。私は幻想と共に生きていきたい。だからこれからも私は首を突っ込むことは辞めないよ」

「はぁ、もう私の負けです」

「私の武勇伝を楽しみにしておくれ」

「今回も手酷くやられたそうですね」

「おや、もうすでに知られているみたいだ」

「あの鬼が楽しげに話していましたよ」

 

 咲夜がそう言えば涼介は容易にその光景を思い浮かべられる。杯を片手に持ち機嫌よさげな姿で声高に語る萃香を幻視する。萃香が自分とのやり取りをどのように語ったのか聞けなかったことに酷く残念な気持ちを涼介は懐く。

 

「それは……勿体ない事をしてしまったなぁ」

「本当にあの鬼と仲良くなられたみたいですね」

「うん、そうだね。私は萃香姐さんに惚れ込んでしまったよ」

「ほ、惚れ込んだって……その、あの、まだ見た目は小さな子供ですよ」

「違う違う、なんというんだろうね……生き様に、その存在に惹かれるんだ。忠誠心ではないけれど咲夜がレミリアさんに懐くような感情に近いのかもしれないね」

「分かる様な、分からない様な話ですね」

「ははは、確かにうまく言語化できないね。うーん、なんだろうね。犬に近いのかもしれないね」

「犬ですか?」

「犬だね。もっと認めてもらいたい、もっと褒めて欲しい、もっともっとかまって欲しいそんな感情だろうか?うぅん、これも微妙に違うけれど一番近い気がするな」

「何となく理解できます。思考で、言語で言いにくいですよね。心から湧き出る気持ちですからね」

 

 咲夜が胸に手を当てながら言えば涼介も頷いて見せる。互いの心に思い浮かべる人物(妖怪)は違うが懐く思いに大きな違いは無い。妖怪に惹かれた者同士、普通の人間には理解できないある種の異端な思考ではある。妖怪とは本来人に畏れられる存在であり、本能的に恐怖を与える存在でもある。妖怪に惹かれる人間は恐怖を覚える感情が壊れているかどこか狂っていると里では言われる事だろう。涼介も咲夜も妖怪に好意を懐く異端の思考を持っている事で疎外感や孤独を感じたことは無いが、仲間がいるという事に心が温まる。自然と朗らかな笑みが二人に浮かぶ。

 

「あはは、そうだよね。理屈じゃなくて感情だから仕方ないね」

「涼介さんは鬼に、私は吸血鬼に。お互い強大な妖怪に惹かれたものですね」

「強大だからこそ惹きつけられたのかもしれないね。でも――」

「たとえ力が弱くとも懐く思いは変わらない、ですよね」

「心を読む能力をいつの間に手に入れたのだろうね」

「涼介さんは意外と単純ですからね」

「妖夢にも今朝同じ事を言われたなぁ」

「ふふ、みんな同じことを思っているみたいですね」

 

 咲夜が綺麗に笑ってみせれば、涼介は苦笑してしまう。そして同時に思う。

 

 

――やはり私はみんなと関わって生きていきたい

 

 

 幻想の世界にますます色がついてゆく。世界が広がり、心が躍る。

 

「でも、涼介さんは犬と言うより猫ですよね」

「そうかな?」

「ふらふらと気が向くままに散歩へ出かけられる所とかですね」

「そう言われれば確かにそうかもしれないね」

「好奇心が強い所もそうですね。気を付けてくださいよ、好奇心は猫をも殺すそうですから」

「イギリスの諺だったかな?」

「さぁ、パチュリー様から教えていただいたので諺の出自までは」

 

 咲夜が肩を竦めて見せれば微かな笑いが互いからもれる。

 

「魔女に猫と言えば使い魔の定番イメージがあるね。黒猫とかさ」

「実際、猫を使い魔にすることも多いらしいですよ」

「へぇ、実際に人気なんだね」

「えぇ。使い魔の好奇心が刺激されているかどうかで、自身の研究が他者から見ても好奇心をかき立てられる物かどうかを測るバロメーターにするそうです」

「使い魔を殺す様な実験であれば最上の研究だと……なかなかブラックなジョークになりそうだね」

「小悪魔がその話を隣で聞きながら顔を青くしていました」

「あぁ……なるほど。パチュリーは活き活きとしていたのだろうね」

「それはもう」

 

 咲夜は当時のパチュリーと小悪魔を思い出し、涼介は二人の姿を想像し笑みを漏らす。悪魔の館の住人らしい冗談と言える。聞かされた小悪魔は気が気でなかった事だろう。

 

「さて、私はこれで長居をすることなく帰ります。涼介さんの元気そうな顔を見ることもできましたし」

「そう。じゃあ余計なお世話かもしれないけれど気を付けてね」

「ありがとうございます。でも、これから夜が始まります。我が主の時間である夜が……であるならばその従者たる私がその時間に不覚を取る様な失態は犯せませんよ」

「完全で瀟洒ですね」

「それくらい出来ずしてどうしてレミリアお嬢様の従者を名乗れましょうか」

「かっこいいね、咲夜は」

「惚れてしまいそうですか?」

「あぁもう……私などと比べるまでもなくみんなかっこいいなぁ」

「ふふふ、それではまた元気になりましたら紅魔館までお越しください。皆、心待ちにしていますから」

「そうだね。元気になったら遊びに行くよ」

「それでは、涼介さん。またお会いするのを楽しみにしています」

「またね、咲夜」

 

 咲夜は帰宅の挨拶を告げると一瞬で姿を消す。時を止めて涼介の部屋を後にする。涼介は苦笑するとぽつりとつぶやく。

 

「ならば私も萃香姐さんの弟分として恥じない生き方をしないといけないな」

 

 咲夜は涼介の部屋を後にし、紅魔館への帰路を飛ぶ。意外と元気そうであった涼介の様子に安堵する。そして交わした会話を思い出し、ふと本人に言えなかった言葉が口をつく。

 

「本当に猫みたいです。特に目を離してしまえばそのまま消えてしまいそうな所なんて死に際を見せない猫みたい……本当に」

 

 だからこそ咲夜は思う。見失わない様にしっかり見ていようと、共に幻想が息づくこの世界を歩いて行こうと思う。涼介が輪に入りたいというのであれば輪の中で待っていようと咲夜は思う。心配で心配でたまらないが、同時に止められないとも分かってしまうからこそ自分に出来ることをしようと咲夜は決意する。

 

「あぁ、もう本当に涼介さんは困った人です」

 

 口から出る言葉とは裏腹に咲夜が浮かべる表情は楽しげだ。メイドをするからこそ咲夜は世話好きなのねとパチュリーが見ればそう漏らしたかもしれない。山の裏から顔を出し始める月は美しく輝いている。

 

 

 

 

 

 次の日、体の引きつりもだいぶ緩和した涼介は、ひとまず仕事場の確認だと荒れた店内へ行く。

 

「はぁ、机やカウンターも直さないとなぁ」

 

 荒れた店内についついため息が出る。店内に視線をさっと巡らせばカウンターの中にメモを見つける。近づき手に取ってみれば見覚えのある文字が目につく。霖之助の店で時折見つけるメモの文字に酷似している。

 

「さてさて、魔理沙は何を書いているのやら」

 

 涼介が一息ついて内容に目を通す。

 

 

――涼介へ

――どうせ色々言うのは咲夜や妖夢がすると思うからそっちに任せようと思う

――まぁ、だから私は涼介が宴会に持っていこうとしていた酒を貰ったぜ

――宴会ではみんなで楽しく飲んだから涼介も本望だろう

――飲めなかったのは寝ていた涼介が悪い、宴会にも寝ていたが参加していたしな

――以上、普通の魔法使い霧雨魔理沙より

 

 

 読み終わった後に涼介は小さな、しかし楽しげな笑い声をあげる。

 

「なるほど、確かに私は宴会に行くときに持っていくと言っていたね」

 

 酒を入れていた戸棚を開ければ中身が空になっている。そのことに清々しささえ覚えてしまう。

 

「まったく、魔理沙らしいな。さて、今日は調子もいいしリハビリがてらに神社まで散歩に行こうかな」

 

 メモを引き出しにしまい、伸びを一度する。パキパキと関節が音を鳴らし、筋が伸びる。僅かな気怠さを覚えていたが、メモを見てからは出かけようという気持ちが湧き出る。

 

「魔理沙に元気を分けて貰えたのかな?はは、さて霊夢の顔でも見に行こうか」

 

 桃源亭の入り口に不在を告げる、張り紙一つ。

『博麗神社に行ってきます』

 涼介の足取りは軽い。視界に入る光景は今まで以上に美しく色づいている。幻想の世界はどこまでも広がっている。


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