東方供杯録   作:落着

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門の守護者と本の主に供する三杯目

 侍女について、歩く、歩く、歩く。ただひたすらに歩いた。湖の外周に沿って二人は目的地へと向かっていた

 途中で何かを通り抜ける感覚に店主が気が付く。瞬間、視線の先に紅色の館が唐突にその姿を表した。

 あの館は結界で隠されていたのだろうかと、ぼんやりと眺めながら考える店主。

 

「ここが目的地の紅魔館、ですか?」

「えぇ、ここが我が主の住いでございます」

「なるほど……なぜ……いや、楽しみはとっておきましょう」

 

 何故隠匿されているのか。それには何かしらの理由があるのだと察するのはあまりに容易だ。

 しかし、聞いても教えてもらえるとは思えなかった。その上そこまで知りたいと思っていない店主は質問を途中でやめ口を噤む。

 自身の身の安全への意識が相変わらず低いと自覚する。そして直す気がない時点で何が起きても自己責任。自分の中で結論を出した店主は腹をくくり覚悟を決めた。

 

(だから、どうかそんなに悲しそうな顔をしないでください、紅茶の御嬢さん)

 

 侍女の表情が本人の自覚なく、悲しみを湛えていた。悲しげな顔をさせたくないという思いから店主は話題を振る。

 

「あぁ、そうだ。紅茶の御嬢さん?」

「どうされましたか?」

「今回の営業が終わったら、紅茶の入れ方を教えてくれませんか?」

「紅茶の入れ方ですか?」

「はい。お店でそっちの方も出してみようかと思いまして」

「なるほど、でしたら私は珈琲の入れ方を教えていただこうかしら」

「技術交換ですね」

「楽しそうですね」

 

 店主も侍女も微笑みながら言葉を交わした。しかし、侍女の声は少しだけ固い。

 店主にはそれが何故かは解らないが、話題を変えた方がよさそうだと判断をくだす。

 

「空を飛ぶというのはどんな心地なんですか?」

「心地ですか?」

 

 咄嗟に常々思っていた疑問が口から出た。思ってもみなかった質問だったのだろう、侍女が首をかしげる。

 その反応で侍女の周りにいる者は皆飛べるのだろうと、店主にはなんとなく想像がついた。

 

「えぇ、私は飛べない人類ですから。きっと飛べたら気持ちいいのだろうなと考えているんです」

「気にしたことがなかったですね。でも、そうですね。確かに、高いところから世界を見渡すと、すがすがしい解放感があるかもしれませんね」

「いいですね。悩みが吹き飛んでいきそうです」

「あら、珈琲の君には何か悩み事が?」

 

 侍女は振り返り、後ろ歩きをしながら問い掛けた。その仕草は幼い子供のようにあどけなく、浮かぶ表情も年相応の可愛らしい笑顔。思わず店主の顔にも笑顔が浮かぶ。

 日も沈み始めた薄暗い黄昏時、互いの顔が見える距離に自然と近づく。店を出た当初と比べ随分と近づいたと店主は感じていた。

 

「そうですね……ずっと悩んでいることがあるんですけど、解決しなさそうです」

 

 店主は内心を隠そうと笑みを浮かべる。しかし、侍女には浮かべられた笑みが酷く儚く見えた。

 

「そうなのですか。それはどんなことなんですか?」

 

 侍女は気が付いているのだろうか。質問する声色がとても心配しているものであることに。最初は作っていた表情が今では全てが自然な物になっていることに。

 言動の一つ一つに存在した壁を作ろうとする意図がなくなっていることに。はたして、侍女は気が付いているのだろうか。

 里からここまで数刻は歩いている。その間ほとんど二人きりでずっと話していた。だからこそ、店主の能力の影響が色濃く出てしまっていた。

 だからこそ、名前も知らない他人である店主へまるで親友であるかのように接してしまうのだろう。この傾向はあまりよくないと店主は気が付く。苦く切ない過去が思い出された。

 

「いえ、これは秘密です」

 

 店主は浮かんだ感情を能力で落とすことで隠し、いたずらっぽく微笑んだ。侍女は落胆と寂しげな表情を一瞬だけ浮かべ、また前を向いて歩き出した。

 しばらく歩くと、門が見えてくる。

 

「立派な門が見えますね。それに出迎えの方もいらっしゃいますね。私が断っていたら待ちぼうけをさせてしまっていたのでしょうか」

「いえ、彼女は門番ですのでご心配なく」

「へぇ、門番さんもいらっしゃるなんて本当にすごいですね。庶民の私は緊張してしまいます」

「そんなに緊張なさらなくて大丈夫ですよ」

 

 実際は能力の関係で、緊張するのが難しいという問題を店主は抱えている。本人はリラックスできているということで良しとして気にすることないが。

 門が見えてからもしばらく歩き、やっと目の前までたどり着いた。湖の近くに西洋風な建物があるなんて里でも聞いたことがない。改めて記憶を探しても答えは変わらない。

 隠れ住んでいたのだろうか。それならなぜこのタイミングで自らを呼んだのだろうか。店主の疑問は尽きない。

 ゆえに、考えても理解できないことは気にしても仕方ない。店主は友人の古道具屋の言葉を思い出し疑問に蓋をした。

 

「おかえりなさいませ、咲夜さん」

「お疲れ様、美鈴。こちら、お嬢様がお呼びしたお客様です」

 

 侍女が店主を門番に紹介する。侍女の声色が、表情が、雰囲気が、今日店で会った当初のように作りものへと戻っていく。

 

「こちらの方が、お嬢様がおっしゃられていた方なのですね。ようこそ紅魔館へ、お客様。どうぞお通りください」

 

 中華風の服を着た門番の女性は短く告げると門を開いて館への道を示した。名前を名乗らなかったのは名乗る価値がないと思われているのか。

 はたまた名乗る意味がないのかどちらなのだろうか。疑問が浮かぶも応えてくれる相手はいない。とりあえずは相手が名乗らないので、こちらも名乗る必要はないと考え結論とした。

 それに、名乗ってもこの状況なら覚える気が無い可能性すらある。

 

「ありがとうございます。また、帰る際はお願いいたします」

「はい、お任せください」

 

 先ほどから門番が浮かべている微笑みに変化はない。年期が違うということだろうかと感心した。門番に促されて侍女に案内されるままに門をくぐり、館へと足を踏み入れる。

 

 

 

 

 案内された先は本の森であった。どれだけあるのか、想像さえできそうにないほどの本の山。

 視界のどこを見ても背の高い本棚にきっちりと埋まるほどの本が入っていた。そして、その本棚さえいくつあるのか数えることは難しい。

 まさに大図書館とでも言いそうな本が詰まった部屋。その部屋の扉から少し歩いた先に、机と椅子が並べられた本棚のない空白のスペースが存在していた。

 本に隠れるように、この部屋の主がそこへ座している。

 

「お嬢様はまだ、眠られておりますので少々こちらでお待ちくださいませ。こちらの方がこの大図書館の管理をされているお方です」

 

 机の上で本を広げている少女が管理人だと紹介されるが、店主をちらりと見ない。

 どうやら招かれているのに歓迎されてないという、奇妙な状況についつい苦笑いが店主の顔に出てしまう。

 

「ひとまず、こちらの小悪魔に何か御用があればお声かけください」

 

 そう言われて管理者の背後に控える、頭と背中それぞれに対となる黒い翼を持つ小柄な少女を紹介された。さながら、管理人に対する司書と言ったところだろうかと店主は一人納得する。

 

「あ、あの小悪魔です。よろしくお願いいたします」

「あぁ、短い間かもしれませんがよろしくお願いいたします」

 

 店主は言葉の後に一拍置いて頭を下げた。下げる前の視線が管理者と一瞬重なり、小悪魔と紹介された少女は分かりやすく動揺を示し、侍女の瞳が僅かに揺れ口元が固く結ばれているのが確認できた。

 

(あぁ、どうやら長い間お世話になることが想定されていないのは確からしい)

 

 頭を下げた店主は各々の反応に口元を綻ばせた。誰にも視えない俯いた顔が浮かべた表情は暗い笑顔。

 

「紅茶の御嬢さん、案内していただきありがとうございました。そちらの準備が整うまでこちらで待たせていただきます」

 

 店主が侍女に伝えると一瞬表情を歪めたが、一礼することでそれを隠してその場から姿をかき消した。

 

(瞬間、移動? すごい能力を持っている人もいるものだ)

 

 思わず店主は感心してしまう。

 

「ふぅ……小悪魔さん、ここにある本は読んでもいいのかな?」

「えぇと、ここには読んだ者を発狂させたり、取り込んだりする魔本も存在しています。ですので、どのような本が読みたいのか教えてくだされば私が探してまいります」

「なるほど。じゃあ、そうですね。何でもいいので珈琲関連の本があればお願いいたします。あと、ここは飲食しても大丈夫ですか?」

「あ、はい。本を汚さないようにお気を付けください」

「畏まりました」

 

 許可も得たことなのでと店主はさっそくリュックから香霖堂で購入した水筒を取り出した。

 店で入れてきた珈琲を自前のステンレス製のマグカップへ注ぐ。

 アイスとホットの二つあるが、ひとまずアイスで体の熱を冷ます。

 

「はぁ」

 

 人心地付けたと吐息が洩れる。飲みなれた物を飲むと落ち着く。カップを考え深げに見つめながら店主は身体から力を抜いた。

 カップの向こう側に先ほど紹介された図書館の主が入り、ふと思い立ち図書館の主へ声をかける。

 

「貴女も一杯いかがですか?」

 

 ペラリと紙のめくれる音が返ってきた。どうやらこれが質問の答えらしいと察して出そうになるため息を我慢する。

 ぺらり、ぺらりと本がめくられてゆく。会話のない沈黙が下りた。図書館の主がページをめくる音と、店主が珈琲を飲む音だけがあたりに広がる。

 しばらくすると、小悪魔が戻ってくる。手に持っている本は、『珈琲の歴史』、『代用珈琲の作り方』、『豆の抽出の種類』といった本であった。

 

「こちらでよろしいでしょうか?」

「あぁ、ありがとうございます。大丈夫です。もしよろしければ一杯お付き合いいただけますか?」

「えぇっと、パチュリー様、どうすればよろしいでしょうか?」

「今は何もないから好きになさい」

「大丈夫なようです」

「それは良かった」

 

 良かったと笑いながら別のカップを取り出して珈琲をそそぐ。

 

「砂糖とミルクはお好みで」

 

 言葉と共に小さな瓶を二つ取り出して司書の前に差し出す。司書は一口飲んでみた後、砂糖を一匙入れて再び飲み始めた。

 

「珈琲って言うんですよね。私ほとんど飲んだことないんですよ」

「そうなのかいって言いたいところだけど、紅茶をよく飲むのだろうね」

「あれ、分かるんですか。もしかして咲夜さんに聞きましたか?」

「違うよ、でも彼女だね。彼女からは紅茶の茶葉のいい香りがしたからね」

「そうですか? お鼻がいいんですね」

「はは、そうかもしれないね」

 

 二人が交わすものはたわいのない話。お互い深い事情には触れず、表面だけの話をしている。店主は意図して内情に踏み込むような話は振らない。

 司書が気づいているのか分からないが、素直に振られた話題に対して丁寧に応えていく。

 

「小悪魔、この本を戻してこれを持ってきてくれるかしら」

 

 図書館の主は机の上に積んである本を指差して司書へメモを渡した。積んであるだけで8冊ほどはあるだろう。そしてメモの方にも同じだけの本が指定されていた。

 これからこのまま本を返して新しく持ってくる。言ってみれば簡単に聞こえるが、この図書室はいかんせん大きすぎる。宝探しのようだ。中々、大変な仕事なのだと店主には感じられた。

 

「相手をしてくれてありがとう。がんばってね」

「はい、珈琲ありがとうございました」

 

 司書は傍らに置いてあるサービスワゴンへ片付ける本を載せると本棚の奥へと消えていく。車輪が床を走る音が徐々に離れていく。また静寂が落ちるかと思えば、今度はそうならなかった。

 

「貴方、自分の置かれている立場を薄々気が付いているのに随分と呑気なのね」

「さぁ、まだ確定している訳ではないからね。だから、実感がないんじゃないかな」

「あら、そうなの。じゃあ、あなたの推理を聞かせてくれないかしら、採点くらいはしてあげるわよ」

 

 どうやら、暇つぶしの相手程度には興味を抱いてくれたらしいと店主は笑みを浮かべた。ならばと店主は会話を始める。

 

「そうだね……たぶん、すぐに死ぬと思われているのじゃないのだろうか」

「どうしてそう思うのかしら」

「わざわざ招かれたのに、誰も名前を名乗らないし、聞いてもこない。でも、そちら側から招待された。用はあるけどすぐに死ぬから名乗る意味もないし、名前を覚える気もないっていう意思表示かなと」

「単位は出そうね」

「それは重畳」

「焦らないのね」

「ここまで来てしまったら逃げ出せないだろう。だったら焦っても仕方ないさ」

「狂っているのかしら」

「そうかもしれないね」

 

 そうかもしれない。いや、事実そうなのだ。店主は相手の言葉を内心で肯定した。心のどこかで死を望んでいる自分がいつもいる。

 否、生への執着を落している。そうすればまたあの娘に会えるのかもしれないとどこかできっと考えている。

 しかし、自殺をするのはあの娘との約束を破ってしまう。

 だからわざと危険があるような場所へも、それに気づかないふりをして踏み込んでいく。

 

(あぁ……度し難い)

 

「でも、狂っていることは悪ではないと思うよ」

「でも、害はあるのではないかしら」

「それは周りによるんじゃないかい?」

「面白い見解ね」

「狂人の戯言さ」

 

 軽快な掛け合いが止まった。図書館の主は手元に残っている書物へ視線を落とす。

 

「次の機会があれば、ご一緒させてもらうわ」

「これはがんばらないとなぁ」

 

 最後に彼女が付け足す。少ないが可能性はあるとのメッセージだと店主は受け取った。危険には飛び込むが無抵抗で死にたいわけではない。

 抵抗して抵抗してそれこそ死ぬ気で足掻いて、それでもダメだったのならきっとあの娘との約束を破ったことにならない。

 だから許してくれるだろうと心に言い訳を一つ。そして、キィィっと扉の軋む音が響く。

 

「珈琲の君、お嬢様がお待ちです」

 

 さて、鬼が出るか蛇が出るか。どこか少しだけ楽しげな心持ちで立ち上がった。荷物を片付けてリュックを背負い、店主は侍女についていく。

 


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