東方供杯録   作:落着

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稽古と友誼に供する二八杯目

「はぁ、はぁ」

 

 木々に囲まれる森の中で何かから逃げるように涼介は走る。もう一体どれほどの時間走り回っているのか涼介にはすでに解らない。根が出ていたり、丈の長い草が生えていたりと足場が悪く、生い茂る木々の葉でどこか薄暗い森の中を駆け回る。涼介は視界の端に葉の緑と幹や土の茶色以外の白色が映ったことに気が付く。

 

「あぁ、くっそ!!」

 

 その白い物体、人型を象った紙に向かって距離を詰めて腕を伸ばす。人型が僅かに発光するも何かが起きる前に涼介の腕が間に合い握りつぶすと発光がおさまる。涼介が安堵するも、直後に背後から葉や枝を折りながら何かが迫りくる音がする。とっさに振り向けば金色の狐の尾が視界を埋めた。とっさに体の前で腕を交差させる。

 

 

――ゴッ!!

 

 

 鈍い音がして交差させた腕と金色の尾がぶつかり、涼介の身体が投げ出されるように後方に向かって弾き飛ばされる。

 

「ぐぅう!」

 

 そのまま地面と平行に吹き飛び背後にある木の幹に背中からぶち当たる。

 

「かはっ!」

 

 涼介の背中が幹に押され肺から空気が漏れ出る。ぶつかったことで飛ばされた慣性が途切れ地面に身体がずり落ちる。涼介は痛みを気にすることなくすぐさま尾に向かい走り出す。尾は木々の隙間を縫う様に森の奥へと素早く戻っていく涼介は見失わない様にその金色を意識しながら森を駆ける。

 

「あぁもう!」

 

 顔にかかる葉や枝に文句の声が上がる。視界が悪い中もチラチラとわずかに映る金を追う。追う先の明るさが僅かに増す。どうやら森の端か開けたところに出るらしいと涼介は察する。視界が一瞬明るさを増した周囲に目がくらむ。すぐさま視界が戻れば前方に立ちはだかる藍と自身の周囲を囲う様に空中に所狭しに浮く藍の式神が目に入る。

 

 

――誘い込まれた……狐らしい

 

 

 誘い込まれたことに舌打ちが出るもすぐさま状況に対応する。光を放ち始める周囲の式神群に能力を広げる。涼介のそばに浮く人魂が僅かに光を発する。

 

「落ちろ!」

 

 涼介の声と共に周囲を浮く式神から光が失われただの紙の戻ったように地面へと落ちていく。それを確認する間もなく涼介は藍に向かって走り出す。藍が飛ぼうとするもすでに涼介の効果範囲内であるため飛ぶことが出来ない。

 

「油断大敵!!」

「果たしてそうかな?」

 

 涼介が藍に向かって突き進む。藍はそれを邪魔する様に九つの尾を巧みに操り涼介に向ける。しかし、それは先ほど森の中で見た時と違い明らかに精彩を欠く。重石でもつけられたように、水の中で動いているように、尾の動きは鈍い。涼介が尾を躱し藍に近づく。しかし、九つ全てを躱すことが出来ず五つの尾が涼介に迫る。ぶつかる直前に五つの尾の前に氷の壁が現れる。

 

「レティ!?」

 

 涼介は胸元の雪の結晶から妖気が発せられているのに気が付く。それは以前の妖夢の時と比べればだいぶ弱弱しいが、藍の尾を一瞬止めるには十分だ。ひとまず涼介は当初の目的を優先するために今の出来事を頭から締め出し、藍に向かう。

 

「ほぅ」

 

 藍はレティの氷にわずかに眉をひそめるも感嘆を漏らし、向かってくる涼介に意識を切り替える。けれども、藍が何かをする前に涼介の手が藍に触れる。

 

「取った!!」

 

 涼介が歓喜のこもった声をあげる。しかし、直後触れた藍が白い煙をあげ一枚の紙に代わる。

 

 

――化かされた!!

 

 

 突然の出来事に驚愕し涼介が目を見開く。すぐに背後から藍の声がかかり、首に冷たく鋭利な金属の感触がする。

 

「まだまだ詰めが甘いぞ、涼介」

「あぁ……いい線いったと思ったんですけどね」

「確かに成長しているがまだまだだぞ」

「厳しいですね、藍さん」

「当り前だ。以前とは目指すところが違うのだろう?」

「そうですね、咄嗟の時に身を守る程度の力は欲しいですからね」

 

 藍が涼介の首に突き付けたドスを下げる。涼介はそれが解ると藍に向き直る。

 

「心の方も成長したようだな」

「……えぇ、そうですね。私の死に悲しんでくれる人が、心を痛めてくれる人がいますから」

「気が付くのが遅いな」

「痛い目を見ないと学べない性質なのかも知れませんね」

「心身ともに鍛錬が足りないぞ」

「精進します、師匠」

 

 涼介の言葉に藍が頷く。

 

「それと、ちゃんと冬の妖怪の手綱を握っておけ。とっさの出来事にすぐに対応できた点は褒められるが、あれはいつでもお前の味方というわけではないぞ」

「そうですね、まさかあそこでレティが藍さんとの稽古で手助けしてくれるとは思いませんでした」

「まぁ、ちょっとした仕返しだろうな」

「何かあったんですか?」

「気にするな、それより話が聞かれるから早く抑えろ、涼介」

 

 涼介は藍にそう言われ、雪の結晶の力を落とし抑える。普段から能力の鍛錬の一環でレティからもらった結晶の力を落している。先ほどは他に意識が向いて能力が緩んだためにレティが干渉することが出来た。しかし、季節は冬ではない為力も以前と比べると弱く、レティも寝ている時間が多いため、こういったことは稀だ。レティ曰く、力の抑制が無いと声を聴くことができ、寒気を周囲に広げればその中であれば見ることもできるとのことだ。

 

「でも、以前の様な事は早々起きないと思います」

「それは楽観が過ぎるのではないか?」

「どうやら彼女、私の身体を氷像で保存したいらしいのですが、死後でもいいそうです。だから、私がそのあたりの妖怪にやられるのに力を貸さないと思いますよ。それで私が死ねば食べられちゃいますからね」

「ふむ」

「それに、歴史が長いほうが保存した後も思い返せて長く楽しめるとも言われたので」

「妖怪らしい、納得できる理由だな」

「妖怪の藍さんがそういうとなんだか可笑しいですね」

 

 涼介が藍の言葉に笑みを浮かべる。藍はどこか不満げな表情を浮かべ口を開く。

 

「まったく、その減らない口をきくのも懐かしいな」

「二年ぶりくらいですからね、こうやって稽古をして長く話をするのも」

「そうだな。これもお前が紫様に認められたという事だろう。以前は最低限の稽古でもあったからな」

「それでも、私は助かりましたよ。能力なんてものがある事を、使い方を教えてくれたのは藍さんでしたからね。おかげでフランの力になれ、霊夢達の手助けもできましたから」

「そこで自分で助けたと言わないあたりがお前らしいな」

 

 藍が穏やかな笑みを浮かべる。涼介は少しだけ気恥ずかしくて肩を竦めて無言で答える。

 

「お疲れ様です、藍様。涼介もお疲れ」

「いやぁ、本当に疲れたね」

 

 橙が空から降りてきて二人の労をねぎらう。気恥ずかしい話題の流れを断ち切る登場に涼介は内心で姉弟子に感謝する。

 

「さて、それでは反省と行こうか」

「はい」

「橙、見ていて気が付いたことは無いか?」

「は、はい。えっとですね…」

 

 突然藍に話題を振られ、橙が驚くもすぐに思考を開始する。僅かな時間の後に口を開く。

 

「涼介の能力はまだ影響範囲が広いとは言い難いので、序盤の森の中での藍様の式を用いたゲリラ戦の様な物に弱いと感じました。後は、最後の時に藍様が突き立てた物が符で造った刃物であれば無効化されましたが、金属でつくられた物質であるために対抗手段が無いように思えました」

「ん、そうだな。後は何かあるか?」

「……申し訳ありません。すぐには思いつきません」

「構わない、涼介はどうだ」

「そうですね…範囲が狭いからこそ近づこうとするあまり誘い込まれやすい。相手の攻撃が当たる際は威力を落すのに能力を使用させられ被害を抑えます。しかし、抑えるのに回すせいで、相手に触れているのに意識を落す方に力を回せません」

 

 涼介の回答を聞き藍が頷きを見せる。その反応に落第は免れたらしいと涼介は内心で安堵する。落第して宿題を増やされるのは勘弁してほしいと、以前の稽古を思い出す。藍が再び口を開く。

 

「そうだな、見た目は派手に飛んでいるが損傷がほとんどなかったのは褒められるな。しかし、相手の意識を落すまで油断するのはよろしくない。お前は相手と闘える様になっただけで相手の方が強いのは変わらない。まだ相手の能力に干渉するほどの技術がないから能力を使われたらより、彼我の戦力差は開くと思え」

 

 藍の言葉にうなずきを見せる。

 

「紅魔館の門番であれば気と武術がある為にお前では絶対に勝てない。逆に偶然を支配するあの悪魔であれば勝てる確率は僅かながらに存在する。つまるところお前の戦闘では能力の相性が占める割合が多いと言えるだろう」

 

 藍の説明は涼介にとっても納得できる内容だ。他にも幽香が相手なら闘いにはなるが、文が相手なら美鈴同様勝負にならないと涼介は判断している。むろん幽香とも戦いになるだけで勝てるなど涼介は微塵も思っていない。

 

「お前は弱いのだ、自覚をしているだろうが改めて認識するんだ」

「そうですね、ちょっとだけ浮かれていたかもしれません。肝に銘じておきます」

「先ほどの冬妖怪の結晶もそうだがそういった道具を活用するといいかもしれんな」

「なるほど……すこし考えてみます」

「ん、よろしい。それと能力を強く使う際、人魂が淡く光ることが有る。今から何かすると言っている様な物だ、自分の身体で隠すなり工夫しろ。冥界の半人半霊にそのあたりの扱いについて学ぶといい。ひとまずはここまでとしよう、精進をわすれるな」

 

 涼介は藍のその言葉に力強く頷く。藍も頷き返し橙に視線を向き直る。

 

「さぁ今度は橙、お前の番だ」

「ご指導よろしくお願いいたします、藍様」

 

 藍の言葉に橙が了承を示し、二人して空へと舞う。涼介はそれを確認すると、とりあえずマヨヒガをめざして足を進める。背後で橙と藍の弾幕がぶつかり合う音がする。

 

 

――あぁ、霊力があればな

 

 

 空から聞こえる音にわずかながらの羨望が顔を出す。浮かんだ考えを払う様に頭を振り目的地への足を速める。

 

 

 

 

 マヨヒガにたどり着くと、涼介は外にある切株に座りながら橙が飼っている猫たちと戯れつつ二人の修行を眺める。

 

「相変わらず、動物に好かれるみたいね」

 

 涼介の近くから声がする。顔を少しだけあげ、上を見れば隙間に腰かける紫が笑みを浮かべ涼介をみている。涼介と視線が合うと笑みを深め腰掛けている隙間にもぐり、涼介と並ぶ様に隣に現れる。

 

「安心させていますからね」

「以前制御できなかった安心感を与えてしまうのを今はもうやめていると思っていたわ」

「場合によりけりで使い分けていますね」

「彼女の事は吹っ切れたのかしら?」

「意地悪ですね、その質問をするの」

 

 紫がクスクスと笑みをこぼす。涼介は猫を一匹膝に乗せ今なお稽古を続ける藍たちに視線を向ける。隣にいる紫も同じように視線は空を向いている。

 

「それでどうなのかしら?」

「吹っ切れてはいません。でも色々あってこの能力も悪い物ではないと思えました。何が悪かと言えば私の無知だったのでしょうね。それにこの力は友人を守ってくれました」

 

 自らの手に視線を落とし涼介が応える。

 

「少しだけ前に進めたようね」

ここ(幻想郷)に来てから多くの事を学びました。きっとこれからもそうだと思います……本当に来てよかったです」

「あらあら、ふふふふ。うれしい事を言ってくれるわね」

「お世辞ではなく本心ですよ」

「分かっているわよ?」

「どのような思惑があったとしても招いてくださり、興味を持ってくださりありがとうございます、紫さん」

 

 視線を紫へと向けて涼介は本心からの感謝を伝える。紫は思わず浮かびそうになる口元の笑みを隠す為に扇子を開く。

 

「その言い方だと誰かから聞いたようね?」

「咲夜さんから聞きました。隙間妖怪に気を付ける様にという言葉と一緒に」

 

 涼介は悪戯をする子供の様な笑みを浮かべてみせる。

 

「あらあら、それでは怒られてしまうのではないかしら?」

「心配はされるでしょうね。でも…話をしてしまうと嫌いになれないんですよね」

「難儀な性格ね」

「そうでしょうか?友人がたくさん作れて良いですよ」

「私は貴方の友人なのかしら?」

「私はそう思っています。紫さんにも同じように思っていただけると嬉しいですね」

 

 互いの顔を見ながら言葉を交わす。紫の顔は涼介からは半分以上隠れてしまっているのだが、それでも見える部分から察することが出来る事を知ろうと視線は逸らさない。

 

「ふふ、うれしいわね」

「でも、お好きに利用してくれて構いませんよ」

 

 涼介の続く言葉に紫は一瞬言葉を失う。あまりに気負いなく、それこそ天気の話でもするような気軽さで言ってのける涼介に驚く。

 

「……貴方、馬鹿な所は治っていないみたいね」

「そうでしょうか?」

「それで今回死にかけているのにね」

「確かに今回はそうですね。でも――」

「でも、なにかしら?」

 

 涼介が一度言葉を区切り、視線を空へと向ける。僅かな時間ではあるが、先の言葉が止まるじれったさから紫が先を促す様に言葉を発する。

 

「紫さんがそういった事をするのは幻想郷の為なのでしょう?私もこの妖怪が、幻想が存在できる場所を守る為に力になれるなら手伝わせてください」

「そう……貴方は本当にここ(幻想郷)を愛してくれているのね」

「はい。それにここがあれば外で弱ってしまった幻想も生きられる……幻想を引き込む結界もありますしね」

 

 空を見上げる涼介の顔を見つめながら紫は改めて目の前の人間に興味を持つ。いや、すでにある興味が強まった。だから、少しだけ意地悪な質問をする。

 

「貴方は私に聞かないのね?」

「何をでしょうか?」

「私があの娘を幻想郷に誘わなかったのかどうかをよ」

 

 紫の質問に涼介が視線を紫に戻し、その内容に目が見開かれる。浮かぶ表情は驚愕だ。

 

「……考えたこともなかったです」

「あら、そうなの?」

「紫さんが私に声をかけてくださったのは、あの娘が死んでから一年ほど後でしたから直接面識はないと思っていました」

「あぁ、なるほど。そうだったのね」

 

 紫はこの後涼介が何を聞くのか興味があるが、あえて素っ気ないふりをして視線を藍たちに向ける。

 

「紫さんは……誘ったことが有るのですか?」

 

 どこか絞り出すような声が涼介から発される。

 

「えぇ、一度誘ったことが有るわ。断られてしまったけれどね」

「理由は聞きましたか?」

「いいえ、聞いていないわ」

「そう、ですか」

 

 涼介はそういったきり黙って視線を空に戻す。しかし、視線は藍たちを見ているようで見ていない。

 

「怒らないのね」

「怒る事がありますか?」

「私が連れてきていればあの娘は死んでいなかったと」

「一瞬だけ考えなかったと言えば嘘になります。でも、彼女がそう判断したのなら考えがあったのでしょう」

「どんな考えかしら?」

「さぁ、分かりません。でも、それが何であったか考えたいと思います」

「分かるといいわね」

「その時はお酒でも飲みながら教えてあげますよ」

 

 涼介が少しだけ笑ってそう言う。その様子に紫は漫然と死を待つような、以前にはあった雰囲気がなくなっていることに気が付いた。知らない間に前を向いて成長しているようだと紫は思う。

 

利用し甲斐がありそうね(頼りがいが出てきたわね)

「私だって成長していますから」

「ふふふ、確かにそうね。私のお酒を霊夢に勝手にあげてしまうくらいだものね」

 

 今まであったどこか落ち着いた雰囲気がその言葉でガラリと変化する。

 

「あ、えっとですね、紫さん?」

「何かしら?」

 

 扇子で隠されていない笑みが涼介に向けられる。あまりに綺麗な笑みに涼介の出ようとしていた言い訳が引っ込む。

 

「あー……大変おいしかったです」

「ふっ、ふふふ、うふふふふふふ」

 

 そう言いながら今日で一番取り乱しているのか、涼介の視線が右往左往する。紫はその素っ頓狂な取り乱し様に笑い声をあげる。

 

 

――どうしてこの話題で一番感情が顔に出るのかしら

 

 

 きっとそれは今までとの落差や、ずっと抱えていた問題であるために受け止めるだけの下地が涼介の中で出来上がっていたからという理由があるのだろう。紫にもそういった考えが浮かぶも、涼介のあまりにも取り乱す様子にこらえきれずに笑みがこぼれる。心の中で仕方がないと思ってしまう。

 

「ふふ、あぁ、可笑しいわ」

「紫さん?」

「ごめんなさい、ふふ、貴方の反応があまりにも面白くてツボに入ってしまったの。ふふふ」

 

 紫は笑いすぎて涙の出ている目元を自らの指で拭い、笑いながらそう言葉を漏らす。涼介は紫の楽しげな様子に理解が追い付かず目を白黒させる。涼介のその様子さえも今の紫にとっては愉快な出来事にうつる。箸が転んでもおかしいとはこの事を言うのだろうと、頭の冷静な部分が考えるも愉快さは止まらない。

 

「許してあげるわ」

「え?」

「許してあげると言ったのよ、お酒を勝手に開けてしまった事を」

「自分で言うのもあれなんですが、そんなに簡単に許してしまっていいんですか?あれ結構なお値段がしますし」

「構わないわよ、それくらい友人なのだから許してあげるわ」

 

 紫の返答に涼介は心に温かい物が広がる。紫と出会ってから初めて面と向かって真っすぐと認められるような言葉を聞いたからだ。思わず口元が緩んでしまう。

 

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

「でも、親しき仲にもと言いますし何か補填をしたいですね」

「あら、うれしい。それならアレでいいわよ」

「アレですか?」

 

 涼介には紫いうアレと言う物が思い浮かばない為聞き直す。

 

「里の酒造で貴方が作ろうとしているお酒よ」

「……なんでもお見通しなんですね」

「面白そうなことをしているから、ついつい覗いちゃうのよ」

「それは…仕方ないですね」

「仕方ないでしょ?」

「出来たら一番に持っていきますね」

「楽しみにしているわ」

 

 涼介も紫の事が僅かながらわかってきた。神出鬼没で、愉快なことが好きで、本心を隠したがり、お酒好きで、幻想郷を愛している自分の友人。そう考えると覗かれるくらい仕方ないかなと思えてきてしまうから不思議だと涼介は笑みを浮かべる。

 

「楽しみですね」

「えぇ、そうね」

 

 二人して空を見上げれば稽古が終わった藍たちがもうすぐここにたどり直前だ。涼介がフリフリと手を振れば橙は元気に振りかえし、藍は紫に向かって一礼する。

 

「お疲れ様、二人とも」

「精が出るわね、藍達も」

「ありがとうございます、紫様」

「いえ、まだ修練が足りないと前回の異変で痛感したばかりです」

「藍は真面目ねぇ」

「ありがとうございます」

「うふふふ」

 

 背筋をピンと張り、一部の隙もない藍の態度に紫が笑みを深める。

 

「紫様よろしければ、今から私の鍛錬に付き合っていただけないでしょうか?」

「うーん、そうねぇ――」

 

 紫はそう言って涼介を一瞥する。

 

「構わないわよ、今はかなり機嫌がいいのよ」

「それは重畳です」

「あぁ、霊夢もこれくらい修行を積んでくれないかしら」

「妖怪である紫さんが巫女である霊夢の修行の心配をするのはなんだか可笑しいですね。幻想郷の要の巫女であるからと理解はしているので理由はちゃんとわかっているんですけどね」

 

 紫の呆れとどこか気苦労を感じさせる声につい涼介は言葉を返す。

 

「実はここだけの話ではあるが、紫様は幼いころの霊夢の為に色々と巫女としての力が付くよう手を回しておられたのだ」

「へぇ、でも言われて見ればおかしな話でもないのかな」

「本当に大変だったのよ、霊夢ったら全然やる気がないのだもの。それでなまじ才能があるから頭を抱えた物よ。でも、ふふふ、ムスッとしながら修行する霊夢は可愛かったわよ」

「でも、そんな話を私にしてよかったのですか?」

「別に今更霊夢に知られても問題ないのよ。幼い時に、私が直接教えて妖怪寄りになられても困るから隠していただけなの。今の霊夢に言って妖怪寄りになるかと思うかしら?」

「ないですね。霊夢は基本的に誰にでも平等ですからね」

 

 涼介がそういうと紫は良くできましたと言う様に笑みを浮かべて頷く。

 

「そういう経緯もあって紫様は霊夢の怠惰ぶりに嘆かれておるのだ」

「ほんと、どうすれば霊夢はちゃんと修行してくれるのかしら?でも、だらんとしている霊夢もかわいいのよね」

 

 閉じた扇子を口に当て霊夢の可愛さを時折漏らしながらも紫はウンウンと頭を悩ませる。涼介はその紫の素であろう姿を見てつい言葉が口をつく。

 

「なんだか今の紫さんは孫が心配なお婆ちゃんみたいだね」

 

 涼介には時間を止める能力は無いけれど一瞬時間が止まった気がした。視界の中に藍と橙の尾が逆立っているのが見える。冥界での時といい、時折考えなしに軽口が出てしまう癖をどうにかしないといけないと涼介は改めて思う。きっと思うだけで治らないのだろうと心のどこかで声が上がる。

 

「あら……あらあらあら」

 

 一目で造られていると解る笑顔を浮かべた紫が涼介を見る。涼介はその時以前紫が店を訪れた時、見つめられて指一本動かせない時の事を思い出す。種類は違うが似たような威圧を感じる。取り繕うと思うも口が動かない。それは藍達も同様なのか、憐みのこもった視線を涼介に寄越すだけだ。

 

「これはお仕置きが必要ね?」

 

 紫がそう言って扇子で自身の手をパチンと音を立てて打つ。次の瞬間、涼介は浮遊感を感じる。涼介の下に隙間が空き、涼介を呑み込もうと口を開けて待っている。涼介はこの時ほど落とす能力ではなく、霊力がなくとも飛べる霊夢の浮かぶ能力か、もしくは空を飛べるだけの霊力が欲しいと心から祈ったことは無いだろう。

 

「その軽口、しっかりと反省しなさい」

 

 落下が始まる瞬間に紫の楽しそうな声が聞こえそちらに視線を向ける。紫の表情は作られた笑顔から、友達同士がふざけ合う時の様などこか茶目っ気のある物に変わっている。それに安堵したい所ではあるが、紫の後ろで藍が目を瞑って手を合わせ、橙が目を瞑り十字を切る仕草をしているのに不安をかき立てられる。

 

 

――何故、師弟で和洋違うんだ!!

 

 

 隙間が閉じる間際、涼介は心の中で最後の現実逃避を行う。けれどもやはり現実は無情で涼介に奇跡が起こる事もなく隙間に飲まれて姿を消す。

 

 

 

 

 後日隙間送りから解放された涼介は、数日の間に渡って女性に対して過剰なまでに丁寧に接したという。常連の天狗に記事にされ、評判を呼び客足が伸びたとか伸びなかったとか。その後、普段通りに戻った涼介は里の酒蔵と協力して作っている不純物や雑味を能力で完全に落とし、純粋な上澄みだけで作られた酒をもって紫と杯を交わしたそうだ。そこでどんな会話が交わされたのかは当人同士だけが知る所だろう。


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