一割の代価と羽休めに供する二七杯目
カランカランと扉につけられている鈴が音を鳴らし、来客を告げる。
「涼介さん、お邪魔するわよ」
「やぁ、いらっしゃい霊夢」
扉から霊夢がいつも通りの紅白の装いで来店する。紅霧異変の約束以降それ以前より来店頻度が増えている常連様である。
「やっと暖かくなってきて外出がしやすいわ」
「霊夢のおかげで春が戻ってきたからね」
以前つけていたマフラーなどの防寒具を付けていない霊夢の様子から、幻想郷はだいぶ暖かくなってきているようだと察することが出来る。霊夢は涼介の言葉に気づかれない程度に眉をしかめる。すぐに、しかめた眉を戻すとカウンター席に陣取る様に座る。
「全然お客さんいないけれど大丈夫なの、涼介さん?」
霊夢が他に客のいない店内を見渡し涼介に問いかける。霊夢の言葉に涼介が苦笑いを浮かべる。
「霊夢がきた時間が遅すぎるだけだよ」
今の時刻は
ただし、空飛ぶ少女達は気ままに訪れる為か、他の客と出会う確率はその時々である。涼介的には人のいない時に来ることが多いので空いている時間を狙っていると思っていたのだが霊夢の様子から察するにそういう事では特にないらしい。
「ふーん」
自分で聞いておいてその無関心さに涼介はつい苦笑いが洩れるが、それも霊夢らしいなと思い笑みの種類が変わる。もしかしたら無意識のうちに勘を働かせて人気のない静かな時間を狙っているのかもしれないと涼介は思いつき何となくそれが当たっているのだろうなと納得する。涼介は思考を一度やめ、意識を切り替え答えの分かっているいつもの質問を投げかける。
「それではお客様、本日のご注文は?」
「日替わりランチ」
即答する霊夢の答えに笑いを漏らす。霊夢が頼むのはいつも日替わりランチである。霊夢曰く、いちいちお品書きを見て考えるのが面倒くさいとのことだ。
「いつも言っているけどランチタイムは過ぎているのだけれどね」
「でも、材料はあるのでしょう?」
いつも頼むけれど霊夢がランチタイムにやってきたことは片手の指で足りるくらいだろう。涼介もいつもの事で文句を漏らすも、声は楽しげな雰囲気で定型化したやり取りを感じさせる。霊夢もいつも通りの言葉を返す。それを確認すると涼介はやれやれと口にすると本日の日替わりランチであるボロネーゼを作るためにパスタを茹でる。背を向け鍋でお湯を沸かし始める涼介の背中を霊夢が静かに見つめる。
――いつも私の分の材料を一食分残しているのを知っているのだから
気が付いたのはたまたまだ。里の依頼で夜遅くなり神社に帰って作るのも面倒だと思い、その日まだ涼介の店に行っていないのを思い出した。紅霧異変での約束もあるからと店を訪れたのだ。たまたま不定期で行われる夜間営業をしていてこれ幸いと店に入ると涼介が、ランチだねといって、一つだけ残してあるハンバーグのパテを焼いてくれた。一食分の材料だけ別の皿に取り分けてあるのを見たとき自分用なのだと霊夢は初めて察した。そのちょっとした気遣いはうれしいけれど、それを確認するのが何故か癪で涼介本人に聞いたことは無いし、これからも聞く気は霊夢にはない。
「……もぅ」
何となくもどかしい思いが口をついて出る。少しだけ霊夢の胸がもやもやする。
「ん、どうかしたかい霊夢?」
「なんでもないわよ。お腹が空いているだけ」
「そっか、じゃあ丹精込めて作らないとね」
「はいはい、期待しているわね」
「それは僥倖だね。今回は小麦粉が安く手に入ってね、パスタも手作りだから自信作だよ」
「まず、パスタがその辺の店で売ってないから手作りするしかないじゃない?」
「実は里の製麺所で頼めば作ってくれるんだよ」
「へぇ、そうなの」
「ほら、川の近くの煙突の付いている――――」
背を向けたまま耳ざとく、霊夢の漏らした嘆息の声に反応して涼介が話しかけてくる。当たり障りない返答から会話がつながる。何という事のない日常会話に霊夢は胸の中のざわつきが落ち着くのを感じる。パスタに乗せるミートソースも温め始めたのか、いい香りが霊夢の鼻をくすぐる。しばらく涼介と会話をしていると料理が出来上がる。
「はい、霊夢お待たせしたね」
出来た料理を皿に盛りつけ、涼介が霊夢の前にコトリと小さな音を立てて平皿に入ったパスタを提供する。続くように、いつも通りの温かい緑茶とサラダにスープも同じように目の前に置かれる。
「めしあがれ」
ひどく優しい声音を涼介が発する。少しだけ、子ども扱いされているようで不満を感じるが空腹を訴えるお腹にせっつかれ食事を始める。平たい見た目をした霊夢には珍しく見える麺に、ひき肉と裏ごししたトマトで味付けされたソースがかかっている。料理と一緒に出された普段あまり使わないフォークを使い少しだけたどたどしく麺とソースを巻き取り口に運ぶ。少し味付けの濃いソースと、平たい割にもちもちとしっかりした食感を感じさせる味の薄い麺が口の中で混ざり調度いい塩梅となる。スープも具は少な目ではあるけれど、入っている野菜はどれもくたくたになるまで煮込まれており、飲むと口の中の塩気を流し舌の上がすっきりとする。
「んーー、美味しい」
「それは良かった」
涼介は霊夢が幸せそうに食事を始めたのを確認すると調理に使った鍋や、ソースが空になった容器などの片づけを始める。背後から時折、フォークが皿にかちゃりと当たる音や、持ち上げた食器を机に置くコトリといった音が聞こえてくる。黙々と食べ進めるその様に食事が進んでいるようで何よりだと涼介は笑みを深める。そして、そういえばと、先日店に来た咲夜との会話を思い出す。春が一気に来たせいで美鈴の育てている苺が余りそうと嘆いていた。今度行くときにはスコーンとジャムでも作りに行こうか、先の予定に思いをはせる。居心地のいい無言の時間が流れる。
「ふぅ、ごちそうさま」
「はい、お粗末さまでした」
食後のデザートに出した甘さの強めのタルト生地にチョコレートのスティックケーキを食べ終わり、霊夢が珈琲を片手に笑みを浮かべ言葉を漏らす。涼介も洗い終わった食器を布巾で水気を取りながら応答する。霊夢が珈琲の入ったカップを見ながら少しだけ真剣さを帯びた表情をしている。涼介はそれに気づいてはいるけれどどうしたのかは聞かない。霊夢であれば話すべき必要があれば自分から言うだろうし、自分に対して遠慮することもないと思っているからだ。
「それじゃあ、涼介さんまた来るわね。美味しかったわ」
霊夢はそう言って空になったカップを置き立ち上がると、自身の懐を探る。その霊夢の仕草に涼介は首をかしげる。いつのであれば、立ち上がればさっさと出ていき帰っていくからだ。
「はい、これ御代ね」
霊夢がそういうと食事の御代を机の上に置く。紅霧異変以後受け取っていなかった代価だ。涼介は一瞬その出来事に頭を傾げるも、納得する。あの時確かに涼介は死ぬまでと言ったのだ。だから、霊夢は一度霊になったからと律儀に払っているのだと考える。
「はは、霊夢。御代はいらないよ」
だからこそ涼介は、御代はいらないと意外と律儀な所のある霊夢に笑みをこぼして伝える。しかし、霊夢は御代をひっこめない。怪訝に思い涼介が霊夢の顔を見ると、霊夢はひどく真剣な顔をしていた。
「霊夢?」
「これはけじめよ。知らなかったとはいえ涼介さんは霊になった」
「一度はね。でも今は生きているよ」
「西行妖を封印する時に何もできなかったわ。それで今まで助けたのは相殺よ」
「封印をかけたのは霊夢じゃないか、それにあれだけで相殺になるほどではないよ」
「そういう事じゃない!!」
霊夢が唐突に声を荒げる。突然の大声に涼介は驚くが、霊夢も怒鳴った自分に驚いているようだ。
「そういう事じゃない……」
そして再び同じ言葉を続ける。
「霊夢……何を思っているか話してくれないか?話してくれないと私は馬鹿だからね、察してあげることが出来ないんだ」
ただ霊夢が律儀なだけだと勘違いしていたからこそ涼介は霊夢に言葉をかける。
「表面だけで分かった気でいるのは怖い事だからね。今回の異変で身に染みたんだ。だから、霊夢…話をしてくれないかな」
涼介の頭に思い起こされるのは、レティであり、記憶の無いときに怒らせてしまったリリカである。楽観視していたから、深く考えなかったから起きてしまった出来事だと涼介は考えている。だからこそ、涼介は霊夢に対して言葉を重ねる。
「話しにくいなら、お酒位サービスするよ?」
最近強く行使をしたおかげで感覚がつかめた能力の訓練を始め、無意識に周囲へ影響させるのをやめていた能力を使い霊夢を少しだけ落ち着ける。霊夢も急速に心が落ち着き始めたことでそれに気が付いたのか涼介をわずかに睨む。
「強く使って無理やり話させようとはしないよ。でも、今のままだと話が進まなそうだからね」
涼介の言葉に霊夢も理性でそれが正しい事だと理解できてしまうから何も言わない。
「ごめんね」
悲しそうな声色で謝る涼介に霊夢はわずかな罪悪感を覚える。ふと紫の話していた衰弱死をさせた妖怪の事を思い出す。
「別にかまわないわよ」
霊夢はそう言って再び席に着く。御代はいまだ机の上に出したままでしまいはしない。
「それでもさ」
涼介はそれを確認すると後ろの棚から酒瓶を取り出し、自分と霊夢の分を注ぐ。そこで霊夢に出す前に一つ思い出したかのように、棚の中から紙とペンを取り出し文字をさらさらと書いていく。霊夢はそれに何を言うでなく、座って待っている。涼介は書き終るとその紙を持って扉を開けて外から見えるようにそれを張る。
いつもの様に張り紙一つ
『本日貸切の為ご来店はお断りしております』
この時間からくるのはたまに訪れる空飛ぶ少女達くらいではあるが念のためだ。それを確認して、よしと小さくつぶやくと涼介はカウンターの中に戻り、霊夢に酒の入ったグラスを渡し自分のグラスを持ち上げる。
「とりあえず乾杯しようか?」
「……はぁ、何に乾杯するのよ?」
霊夢が涼介の呑気な態度に僅かばかり毒気を抜かれため息を吐く。霊夢の返答に涼介は少しだけ考え込むと口を開く。
「初めての喧嘩に」
「ふ、ふふふ」
真面目に言い切る涼介につい霊夢は笑ってしまう。
「笑うなんてひどいなぁ」
「喧嘩って呼べる程度までいってないじゃない?」
「小さな諍いだって立派な喧嘩さ。それに霊夢が代価を払いたいように、私には受け取る意思がない。どちらも引く気がないならそれは立派な喧嘩さ」
涼介はそう言ってグラスを差し出してくる。霊夢は涼介の仕草にやれやれと言いたげに自身のグラスを差し出す。
「それじゃあ」
「初めての喧嘩に」
「「乾杯」」
チンッとグラス同士がぶつかる小さくも高い音がする。互いにグラスを口元に運びのどを潤す。
「これ……美味しいわね」
霊夢が思わずといった感じでつぶやく。
「実は紫さんのキープしている秘蔵の一本なのさ」
「私は構わないけれど、そんな物を出して涼介さん大丈夫なの?」
「今回の喧嘩の原因は前回の異変だからね。紫さんにも少しだけ原因があったみたいだし、その喧嘩の仲裁にお酒を出すくらい許してくれるさ」
涼介はそういって嘯いて見せる。大妖怪相手にも普通の友人と変わらない様に接する涼介を見て霊夢は苦笑いをする。ある意味大物だなぁと。それと涼介は自分とは逆の意味で平等なのかもしれないとも霊夢は思う。自分は浮くことで皆等しく同じように相手を見る。涼介は落す事で、皆等しく身近な相手としてみる。真逆であるのに似ていることが霊夢にとっては少しだけおかしく感じる。
「そう……まぁ文句を言って来たら私に言いなさい。おまけして退治してあげるわ」
「大丈夫さ、そんな情けない事で泣きつかないから」
「あら、よく烏に苛められるって泣きついてくるから今更よ?」
「それは言わない約束だろうに……」
「ふふ、知らないわね」
機嫌よさげに霊夢がグラスを傾ける。あまり酔いが回ってもアレだろうと涼介は考え、少し早いけれどと思いながらも疑問を口にする。
「それで、霊夢はどうしてさっきはあんなに取り乱したんだい?」
「それは……博麗の巫女として不甲斐なかったからその戒めと思ったのよ」
霊夢の口をついて出たのは咲夜との時にも出てきた表層の理由だ。涼介もあの時の咲夜と同じように霊夢の回答に怪訝な表情をする。咲夜と違うのは涼介には踏み込んでくる意思がある事だ。
「百歩譲ってそうだとしたら、霊夢はあんな風に声を荒げないよね」
図星を突かれ、霊夢は口を噤む。
「霊夢、この店は落とす店主がやっているんだよ」
霊夢が唐突に話を変えた涼介に対し首をかしげる。
「知っているかもしれないけれど、私は里でもめ事とかが起きた時に呼ばれることが有るんだよ。双方を落ち着けて話し合いをさせるために、争いに落としどころをつけるためにね」
涼介は他者を落ち着けることが出来る為そう言った力が必要なたびに里から呼ばれることが有る。酔っ払いの喧嘩から痴情のもつれに、親子げんか大小関係なく、双方が熱くなっている時に声をかけられる。
「それに話のできる妖怪とも友人になれるし、人型を取れない妖怪だって大人しくさせられる。だからこの店は里の外と中の境界にありながら壊されることもないし、妖怪が人を襲うこともない」
霊夢はその話に納得する。この店の中でも、行き返りの道中でさえ妖怪に襲われたという話は聞かないことに思い至る。
「ここはさ妖怪と人間が一緒になって居られる空間なんだよ。人間が妖怪に恐れを抱くことなく一緒に居られる唯一の空間なんだ。そりゃ、店を出て里に戻れば能力の影響から脱してしまうから恐れは元に戻るけれど、この店の中だけでは恐れと言う垣根が取り払われるんだよ」
「……だから、里の中に店を作らなかったの?」
「……あぁ、紫さんから話を聞いたのかな?」
涼介は霊夢の問いでそう考える。ずっと能力の影響下に置いて妖怪から恐れを奪わない様にしている事を察せられていると気が付く。
「ちょっとだけよ。恐れを奪って妖怪を一体殺しているって聞いただけ」
「そっか……その通りだよ。ここにはたくさんの人たちがいて、皆妖怪を恐れているから私が里の中で店を開いて居座ってもたいした影響にはならないけれど……当時の私はそれでも耐えられなかったんだ」
「今は?」
「ここも案外良い所もあるよ。里の中とは言い切れないからね、妖怪が来店しやすい」
霊夢の問いかけにはぐらかすような言葉を返す。応えたくないのではなく、涼介の中でも答えが分からないのだ。
「ここでは誰だって落ち着ける。妖怪と人間が一緒に居ようとね。妖怪と人間が共存できる私だけの小さな理想郷、だから桃源郷から名前を取って」
「桃源亭ね」
「ふふ、そうだね」
霊夢が涼介の言葉尻をとって続ける。
「話がそれたね。何を言いたいかというここでは誰だって羽を休めて欲しいんだ。それがたとえ博麗の巫女であってもね」
ここまでいわれて涼介が言わんとすることを霊夢は察する。
「私は――」
「今はお酒が好きで、私に対して後ろめたさを感じているただの女の子だよ」
霊夢の言葉を遮り涼介が言葉を紡ぐ。言葉を遮られたことでムッとして涼介を見るもにっこりと笑い返される。
――そこまでいうなら話してやるわよ!!
涼介のその余裕な態度に霊夢の短気な部分が顔を出す。グラスの酒を一気に煽り空になったグラスをタンッと机に叩き付ける。涼介が苦笑いをして空になったグラスへいつもの宴会の時の様に酒を注いでくるその様子も何故だか無性に気に入らない。
「私は博麗の巫女なのにあの時何もできなかった!!」
霊夢がキッと涼介に鋭く視線を向け立ち上がり吠える。
「気づいたら涼介さんは行方不明で見つけたら幽霊になっているし!」
涼介は霊夢の視線をまっすぐ見つめ返し黙って話を聞く。
「西行妖の封印だって御膳立てされて最後だけ貰っただけなのに!!」
言葉にわずかだが涙声が混ざる。
「涼介さんは霊体が割れるくらいボロボロになっても助けてくれたのにお礼を言う前に消えちゃうし!!!」
怒った表情で瞳だけ潤ませて霊夢はさらに続ける。
「冥界に戻れば紫が元に戻した後で私は結局何もできなかった!!!!」
霊夢が大きく息を吸う。
「私は、私は……無力な子供のままじゃいけないの!私がしっかりしないといけないのよ!!」
博麗の巫女としての誇りと、霊夢本人の矜持が此度の異変で大きく傷つけられていたとようやく涼介は察する。
「そっか……霊夢は本当に大きな物を一人で背負っているんだね……ありがとう」
涼介は霊夢の頬に両手を当てる。こぼれそうになっている霊夢の目元の雫を両の親指で零れる前に拭ってやる。
「
涼介の感謝が不思議と霊夢の心にすっと流れ落ちる。情けなさと申し訳なさが涼介の中で生まれるが、ここは感謝をするところだと言葉にする。
「
本心から出た言葉が続く。霊夢の瞳がまた新たな雫で潤みだす。それを拭おうと指を動かそうと涼介がすると、その感触で霊夢はまた泣きそうになっている自分に気が付く。少しだけ乱暴に涼介の手を外すと巫女服の袖で涙が落ちる前に拭う。
「普段馬鹿で全然学ばないのに、こんな時だけかっこつけ過ぎよ、涼介さんは」
「そうかな?」
霊夢がもう濡れていない瞳を涼介に向け文句を言う。涼介は肩を竦めてそう返す。
「どれだけ女性をたぶらかしているのかしらね?」
「酷いなぁ。ここだけの話、外にいた時は結構振られっぱなしだったんだよ」
「本当かしら?」
「安心して恋愛対象に見えないって言われてね。お兄ちゃんとか、お父さん、従弟みたいってよく言われたけど一際傷ついたのがあるんだ」
本音をぶつけ合って、いつも通りに戻ろうと互いに普段通りの何でもない会話を意図的にする。二人してわざとらしく言っているような声色で会話を続ける。
「あら、何て言われたのかしら?」
「……お爺ちゃんみたい、だってさ」
「ふ、ふふ、あははははは」
「笑うなんてひどいなぁ、当時は泣く程傷ついたのに」
その時の事を思い出したのか絞り出すような声と苦々しい顔、そして言葉の内容に霊夢は堪えきれなくなって笑い声をあげる。言葉で攻めるも涼介は霊夢のどこか吹っ切れた様子に笑みを浮かべる。
「だって、ふふふ、その、あはは、気持ち」
「しゃべるか笑うかどっちかにしてくれよ」
「あははははは、お腹、ははは、イタ、あはははは」
笑うことにしたらしい霊夢に諦め顔を涼介は向ける。どうやらツボに入ってしまった霊夢の笑いはまだ収まりそうにない。しばらく、涼介が諦めて霊夢の笑い声をBGMにして酒を飲んでいると、やっと笑い声が収まる。
「あー、久しぶりにこんなに笑ったわ…お腹痛い」
霊夢はお腹を押さえ清々しい表情をする。
「それでさっきは何を言おうとしていたんだい?」
「その気持ち分かるって思っちゃったのよ」
「お爺ちゃんがかい?勘弁してくれ…」
涼介がげっそりした声をあげ、お爺ちゃんと言う単語で霊夢がまた軽く噴き出す。
「あぁ、もうやめてよ。また笑えてきちゃうじゃない」
「それは私の所為なのかなぁ」
「涼介さんの所為よ。それで分かると思ったのはお兄さんみたいって所よ」
「そいつは嬉しいね」
「ただし前にダメダメが付くけどね」
続けられる霊夢の言葉に涼介は大げさに肩を落として見せる。
「それは手厳しいな」
「でも実際そうでしょ?」
「否定できないところがもうすでにダメダメなのだろうね」
「ふふ、まったくしょうがない人ね。涼介さんは」
「こんな優秀な妹を持てて私は幸せ者だね」
互いにじゃれ合うように冗談めかして言葉の応酬をする。けれど霊夢は、心の内でそっと思う。
――兄がいるってこんな感じなのかなぁ
結局自分の負い目に対する明確な答えは出なかった。けれど、霊夢は思う。
――このお店の中で位は兄に甘えることを許してほしい
桃源亭の中だけでは、ここだけでは自分は博麗の巫女ではなく、ただの少女に戻ろうと霊夢は思う。この店の中だけでは浮かばずに羽を休めるようとそう思う。なにせこの店は落とす店主が営業しているのだから。
「さて、兄としては妹から代価をもらうわけにはいかないのだけどな」
涼介がそういって今回の話し合いの起点に話題を戻す。霊夢も視線を机の上の代価に向けて考える。心の整理はついたけれど、それは心持ちの話であって物理的な形で甘えるのは憚られ返答に窮する。霊夢のその反応に涼介はどうしたものかと考え、落としどころを思いつき、机の上の代価を受け取る。霊夢はその様子に安堵する。
「はい、霊夢」
「え、どうしたの?」
涼介が手に持った代価を差し出してくる。
「代価は受け取ったよ。これはおつり」
調度の代価を出したはずなのにと、その発言に眉をひそめるも霊夢は手を出す。掌に涼介から支払った代価の大半を返される。
「これ、明らかに多いでしょ?」
「いいや、そんなことは無いさ」
霊夢が不満を漏らすも、涼介はしれっと言葉を返す。
「私は今一割幽霊だからね。つまるところ一割だけ死んでいるともとれるわけだ。だからこそ御代は一割だけ貰ったから後はおつりだよ」
霊夢は涼介の言葉に、なんだそのトンチみたいな回答は、と思う。
「死ぬまでは無料で今は一割死んでいるから、死んでいる分だけ貰うよ。それ以上置いていこうとするなら神社の賽銭箱に返すからね」
どうやって切り返そうか悩んでいる霊夢に涼介が隙を与えないという様に逃げ道を塞ぐ。霊夢もそれを言われてしまうとこれ以上は意地になるだけだと思って、涼介の思いやりを受け取る。
「お賽銭を入れてくれるのか歓迎だけどちゃんと神様への信仰心を込めてくれないと意味ないわ」
言われっぱなしが少しだけ癪でそう言い返す。
「でも、霊夢もあの神社の神様を知らないじゃないか?」
涼介から返ってきたのは、特大のカウンターで思わず眉をしかめる。涼介は霊夢の表情にからからと笑いを漏らす。霊夢はムッとし年相応の少女の様に頬を膨らます。
「ごめんごめん、そう怒らないでくれよ霊夢」
ご機嫌をとる様に涼介が謝ってくるが声が笑っている時点で霊夢の溜飲は下がらない。涼介の手元のまだ中身のある酒瓶を取る。
「これは涼介さんが私の為に開けてくれたお酒だから持って帰るわね」
「ふふ、構わないよ」
「涼介さんなんて、紫に怒られたらいいわ」
余裕を見せる涼介についつい憎まれ口がついてでる。子供を優しく見守る様な涼介の視線が少しだけむず痒く、けれど心地いいと感じる。でも、そうやって見られ続けるのは恥ずかしくて今日はもう帰ろうと霊夢は思う。
「じゃあ、私帰るから」
口に出して、霊夢は扉に向かう。霊夢の背に涼介から声がかかる。
「またおいで」
ありがとうございました、ではないいつもとは違う言葉。そんな小さなことがたまらなく嬉しい。今日は良く眠れそうだと霊夢は笑みを浮かべる。
「うん」
扉を開け、踏み出す前に一度振り返り笑みを浮かべて外へと出ていく。背後でカランカランと扉のしまる音がする。子供になるのはここまでと意識を切り替え少しだけ能力で浮かして普段通りに霊夢は戻る。そして、霊夢は神社へ向かって飛んでいく。
「でも、また店に行ったときは甘えさせてね兄さん」
背後で小さくなっていく桃源亭を振り返り霊夢は一人言葉を漏らす。