東方供杯録   作:落着

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開花と変化に供する二五杯目

「あぁ、全くもって綺麗だな」

 自己の記憶の追憶に耽って、ぼんやりと眺めていた弾幕ごっこに対する感想が洩れる。四人が四人ともスペルを使っているようで、空が一際明るく彩られる光景に意識が追憶(かこ)から現在(いま)に引き戻される。

「私にも空を自由に飛んで、弾幕を形成できるほどの霊力があればなぁ」

 涼介の口から出てくる言葉はない物ねだり。視線には空を飛ぶことへ憧憬の色が宿る。

「ははは、あーうらやましいなぁー!!」

 子供の様に声をあげる。

「う、ううん」

 涼介の背後から声がする。縁側で寝かせられている咲夜の声だ。

「ん、お目覚めかな?」

 涼介が振り返り咲夜を見る。丁度よくうっすらと瞼が開き咲夜と涼介の視線が合う。

「りょう、すけさん?」

「おはよう、御嬢さん」

 まだ頭が覚醒しきっていない咲夜は視界に入った涼介の名前を呼ぶ。涼介はそれに応えて咲夜に笑顔で返事を返す。咲夜がゆっくりと言葉を呑み込む為か何度か瞬きを行う。少しずつ眠りに落ちる前の事を思い出し表情に変化が生まれる。咲夜の瞳が驚愕に見開かれる。

「りょ、涼介さん!!」

 咲夜の体が跳ね起き、涼介の来ている和服の襟をつかむ。

「はは。ずいぶん元気だね、御嬢さんは」

 咲夜の様子に涼介は楽しげに笑い声を漏らし、言葉を続ける。

「どうして、どうして?何があったのですか?何故、死んでしまわれたのですか?」

 襟をつかみ、縋り付くように咲夜は涼介に問いかける。至近距離で二人の顔が見合される。真剣な咲夜と、笑う涼介、両極端な表情が互いに浮かぶ。

「うーん、何て説明したものだろうか?うん、そうだね。簡単に言えば今の私は亡霊だね。死んでいるのかと言われれば体はどこかで生きているらしいから死んではいないのかな?でも、霊体である今は死んでいるとも言えるのかな?難しい問題だね」

 涼介はそう嘯いて見せる。

「亡霊?体は生きている?」

「そう、亡霊だよ。だから私は君が誰か知らないし、生前と言うか生きている時の記憶はないね。体を治療するために私を霊として分離しているらしいからどこかで体は生きているのじゃないかな?」

「冗談、ですよね?」

「いいや、本当だよ」

 咲夜が震える声で聞き返すが、涼介はあっさりと事実を告げる。その迷いのない声色と虚ろな瞳に咲夜はその言葉が真実だと思い知らされる。

「妹様、フランドール様は?」

「知らない」

 震える声で咲夜が問いかける。

「パチュリー様は?」

「知らない」

 表情が悲痛に染まる。

「小悪魔は?」

「知らない」

 視線が涼介の目から外れ下へと下がる。

「美鈴は?」

「知らない」

 涙声で咲夜が問いかける。

「お嬢様、レミリア様は?」

「知らない」

 涼介の服の襟をつかむ手に力がいっそう込められる。

「私の事は?」

 咲夜の顔が弱弱しく上がる。

「……知らない」

「う、うぅぅ……」

 瞳にこぼれない様に溜まっていた涙がハラハラと流れ始める。それまで軽快に応えていた涼介が咲夜の表情に返答が詰まる。咲夜の表情を眺めている涼介に、赤い廊下に無数のナイフが突き立てられその中で泣いている咲夜の姿が脳裏をよぎる。それと同時に、理由は分からないが目の前の少女の涙を止めないといけないと感情が湧き出てくる。

 咲夜は涙を止められず、自分を覚えていないとはいえ涼介にジッと見つめられる事が嫌で顔を下げ、涼介の胸に頭を預けすすり泣き始める。

「……赤い廊下に無数のナイフ」

 泣き出した咲夜の肩を抱き、頭を撫でようと上げた手をおろし、脳裏によぎった記憶の断片と思われる物を口に出す。手は下げられ体の横に戻る。自分には、逃げている自分には彼女を慰める資格はないと涼介は思い手を下げた。原因が分からない、胸を締め付けられる悲痛な感情を慰める自己満足の為に彼女を使うことが憚られたのだ。

 咲夜は涼介の言葉を聞くと頭を勢いよくあげる。胸に預けた顔をあげたため二人の顔は驚くほど近くにある。互いの視界に相手の顔が全部入らない程だ。

「それは、あの時の?涼介さん、思い出してくれたのですか?」

「……ごめんね。思い出した訳ではないんだ」

 涼介の申し訳なさそうな響きの言葉に咲夜は唇を強く噛む。

「記憶の残滓の様な物だと私は思っている。きっと記憶が無くても忘れられない程に私の心を揺さぶった出来事なのだろうね」

「え……」

「理由は分からないけれど、君の泣き顔を、悲しそうな顔は見ていたくない。そう心が叫ぶんだよ」

 零れ落ちる涙を掬う為に涼介の指が咲夜の頬から目元をそっと撫でる。

「今の私に言う資格は無いのは分かっている。それでも君には泣いていてほしくない。だからお願いだから泣かないで、紅茶の御嬢さん」

 咲夜の瞳が零れそうなほど見開かれる。咲夜は思わず言葉が漏れ出そうになり口を開くがそれが音になる前に咲夜は口を閉じる。そして、涼介との今までの会話を思い出そうと瞳を閉じ考え込む。

 涼介はひとまず落ち着いた咲夜の様子に安堵する。ちりちりと心を焼くような謎の焦燥感は無くなっている。涼介もそのことで落ち着きを取り戻すと改めて今の状況を認識し直す。

 綺麗な少女が自分の胸元に縋りつき、瞳を閉じている。先ほどまで泣いていた為に睫毛は濡れ、感情が高ぶっていた為か頬が少しだけ赤らんでいる。涼介はその光景に背徳的な色気を感じる。会話を脳内で反芻している為か咲夜の唇が音もなく僅かに動いている。それに惹かれるように涼介の顔が動き、唇が重なりそうになる。しかし、直前でその動きが止まり、顔が離れる。咲夜はいまだ思案の中でそのことには気づかない。

「……ふっ」

 思わず口づけをしてしまいそうになった自分に対し笑いが零れる。この行動こそ最もばかげている。忘れて逃げているのに、惹かれたらとしていい行為ではない。でも、と涼介は考える。

――少し、無防備すぎるよ

 咲夜は思案が終わり瞳をあける。涼介に質問をしようと口を開くも目の前の光景に行動が止まる。咲夜の額に少しだけひんやりとした柔らかい感触がし、わずかな時間の後にその感触は離れていく。

「あまり男性に無警戒に近づくものではないよ」

 涼介はそういって咲夜に笑いかける。咲夜は起きた出来事を脳内で処理できたのか、涼介の言葉の後しばらく固まっていたが、弾かれた様に涼介の服から手を離し座ったまま後ずさり背後の壁にぶつかると自身の額に両手を当てる。

「あ、あ、ああああの、涼介さん!!」

「ははは、可愛いなぁ」

 涼介からクスクスと笑い声が洩れる。咲夜の少しだけ非難がましい視線も柳に風とでも言いたげに涼介は堪えた様子を見せない。

「な、何を急にするのですか!?」

「何っておでこにキスをしたんだよ?」

「そういうことを言っているのではなく、何でそんなことをと聞いているのです!?」

「御嬢さんがあまりにも無防備過ぎるからね。これを戒めとして以後気を付けるといいよ」

「な………はぁぁ」

 涼介は楽しげに声を弾ませながら咲夜に言う。咲夜が言い返そうと息を吸うも、それを吐き出す。それは大きなため息をついているようにも見える。

「もういいです。このまま記憶の無い涼介さんのペースで話していると話が進まないです。この件については全部解決した後にとっておきます」

「それは怖い」

 咲夜は、案に涼介の記憶が戻ってから話をするという。それを察した涼介は肩を竦めて冗談めかす。咲夜が話を進めようと口を開く前に別の声が割って入る。

「まったく、何をやっているんだろうな?人が弾幕ごっこをしている最中に」

 涼介の背後から声が聞こえる。涼介が振り返り確認すると、黒白の魔法使い魔理沙が箒に跨り縁側近くの石庭に降り立つ。

「人が真面目に異変を解決しようとしているというのに、随分と良いご身分じゃないか咲夜」

 魔理沙はやれやれだぜとでも言いたげにわざとらしく首を振って見せ笑みを浮かべる。魔理沙の言葉に咲夜はリリカとの弾幕ごっこの後に二人にかけた言葉と同じ言葉を返されてしまい、顔をしかめる。魔理沙も伝わったのが分かったのかにひひと楽しげに笑う。

「そういう当てつけよくないと思うわよ」

「まぁいいじゃないか。それに嬉しそうじゃないか?からかわせろよ」

「もう最悪。まだ霊夢に見られた方がましだったわ」

「それにしても記憶の無い涼介はダイタンだな」

「その様子だと妖夢が負けちゃったのか」

 どことなく残念そうな声色で涼介が魔理沙に応える。

「残念だったな、あの半霊もいい線いっていたんだけどな」

「そっか。うーん、でも君から春は私では取れそうにないなぁ」

「そいつは残念だったな。これで霊夢が勝って異変は解決だな」

「さぁ、それはどうだろうね」

「記憶があれば涼介も私と同じことを言っているはずだぜ」

「へぇ、私はあの紅白の子のことを信頼しているのか」

「あー、まぁ信頼と言えるのか?」

 魔理沙の歯に引っかかった物言いに涼介は首を傾げるも追及はしない。どうせ答えを聞いたところで納得するには記憶が足りないのだから。

「魔理沙、話しているところ悪いけど少し私に話をさせてもらえないかしら?」

「ん?良いぜ。口づけをされた咲夜が何を話すのか興味あるからな」

「今度来た時にたっぷり歓迎させてもらうわね、魔理沙」

「うげっ、やりすぎたかぁ。あー、しばらく間を開けるか」

「返却期限」

「うっ!忘れてた…………はぁ」

 魔理沙が大げさにため息をつき、肩を落としてみせる。その仕草に少しだけ溜飲を下げた咲夜は視線を魔理沙から涼介に戻す。

「それで、お嬢さんは何を聞きたいのかな?」

「身体がどこかで生きていると言っていたけどそれはどういう意味なのですか?」

「そのままだよ。実際には私は生き霊らしいのだけれど身体を持っている人に記憶を封じられてしまっていてね、今の私はほとんど亡霊なのだよ」

「何故身体だけを別で保管しているのですか?」

「さぁ?私の能力のせいで治療が進まないと聞いたけどそれだけではないのだろうね」

「身体に霊体を戻せば元どおりになるのですか?」

「そう聞いているよ。異変が終われば元の状態に戻れるらしいよ」

「推測や伝聞ばかりなのは何故ですか?」

「私が別段興味を持っていなくて調べてなかったのさ」

「興味がないとは?」

「私は今のままでいいと思っているからね」

「生き返りたくない、と?」

 咲夜の声が強張る。

「何もない今は楽だからね。亡霊だからこそ過去もなければ霊だからこそ未来もない。只々今を好きに生きる。素敵じゃないか?」

 咲夜は涼介のその言葉を聞き、胸がジクジクと痛む。友達となってまだ半年、それは確かに短いのかもしれない。けれど、咲夜にとってとても大切な 時間(思い出)なのだ。それを否定された気がしたのだ。

「咲夜、そんな言葉気にするな」

「そんな言葉なんてひどいなぁ」

「確かにそいつは涼介の霊だ。だけどな、記憶が何もないから別人なんだよ。大元が同じだからこそ姿や形は似ているし、仕草だって、場合によっちゃ言葉選びや考え方も似ているところもあるかもしれない。だけどな、こいつは私らの友人の涼介じゃない」

「その通りだね、ふふ、あはははは」

 涼介は何がおかしいのが魔理沙の言葉を聞くと愉快げにクスクスと笑い声をあげる。魔理沙は涼介のその様子に不満そうに眉をひそめる。

「確かに……魔理沙の言う通りね。ちょっと焦って空回りしていたわ、ありがと魔理沙」

「気にするな。私もこのバカに後で説教せにゃならんからな」

「怖い怖い、余計に思い出したくなくなってしまうなぁ」

 周りで起こる喧騒さえ今の涼介にとっては楽しい刺激の一つでしかないとでも肩を震わせ楽しそうな様子を隠すことさえしない。

「亡霊ってのは手におえないな」

「そう寂しい事を言わないでくれよ」

「で、涼介。その身体は誰が持っているんだ?」

「はは、無視かいまったく……狐の妖怪が持っているらしいよ。ゆゆさんならもっと詳しい事を知っているのではないかな?」

 涼介はそういうと視線を今なお空中で弾幕ごっこを行う幽々子と霊夢へ向ける。それを追って魔理沙と咲夜も視線を向ける。激しさを増した弾幕が冥界の空を埋めている。涼介にはもう二人の姿を見つけることが出来ない。

「狐?」

「そう、狐。確か、ゆゆさんは何と言っていたかな……あぁそうそう、友人の紫と言う人の式がその狐らしいよ。そんなことを確か言っていたね」

「咲夜、知っているか?」

「隙間妖怪……」

 魔理沙の問いかけに咲夜の口から言葉が洩れる。

「誰だそいつ?」

「境界を操る妖怪の賢者とも呼ばれる大妖怪よ」

「ふぅん、てことはそいつから身体を取り戻せば万事解決だな」

 魔理沙が軽い調子でそういうも咲夜から返答はない。

「どうした、咲夜?難しい顔して」

「実際かなり難しいわ……一度だけ会ったことが有るけれどアレは正真正銘の化け物よ。それに居場所までは知らないわ」

 冷や汗をかいたのか咲夜の頬に雫が伝う。

「……それでもやる事は変わらないぜ。ただ嘆いているだけじゃ何も変わらない。望みをかなえるのは何時だって行動した奴だけだ」

――だからこそ私は今、魔法を修めてここに立てている

 魔理沙は霖之助からもらった魔女然とした帽子を視線の端でとらえながら咲夜に伝える。魔理沙の射抜く真剣な眼差しに咲夜は少しだけ怯むもまっすぐとその瞳を見つめ返し頷く。

「そうね……もう、泣いているだけは、嘆くだけなのは沢山だわ」

「話は纏まったみたいだね」

「随分大人しく聞いているんだな。正直今の涼介ならちゃちゃ入れてくると思っていたぜ」

「私だとて空気くらい読めるさ。それに妖夢もこちらに戻ってきているみたいだしね」

 涼介の視線の先に服の所々がほつれ、顔や袖から出ている腕や足が少し煤けている妖夢が降り立つ。

「おかえり妖夢。残念だったね」

「涼介さん……申し訳ありません、敗けてしまいました。約束を、春を手にいれることができまわぷ」

 涼介は立ち上がり、妖夢に近づき汚れた頬や腕を用意してあった手ぬぐいで拭ってやる。妖夢がそれに構わず心底申し訳なさと悔しさを滲ませ謝罪を言葉にするが言い切る前に、涼介に鼻をつままれて言葉が途切れてしまう。

「はいはい、元気出して妖夢。それより大きな怪我が無くて良かったよ」

「あ、はい。ご心配お掛けしてしまいすみません」

「そこは心配してくれてありがとうだろう。あと勝負は時の運でもあるさ。それに敗けることは悪い事ではないさ、だから謝る必要はないよ」

「しかし春が……」

「ふふ、まだゆゆさんが頑張っているからそれに期待しようじゃないか。それにあの黒白の子が持つ春が無くても案外大丈夫じゃないかな?」

「それはどういう意味ですか?」

「少し前から西行妖に花が付き始めているんだよ」

 涼介がそう言い西行妖に視線を向ける。妖夢、咲夜、魔理沙の三人も同じように視線を向けると巨大な桜のつぼみが開き始めている。

「……本当だ。咲き始めている……でもなぜ?春はまだ残っているのに」

「もともと最後の一押しとなるきっかけが足りなかっただけなのかもしれないね。だからメイド服の御嬢さんが持っていた春がきちんと消化できて咲き始めたのかな?」

 妖夢が不思議そうに疑問を漏らし、涼介がそれに応える。魔理沙はその涼介の言葉にアリスの言っていた内容を思い出す。自分と咲夜の持っていた春は偽装されていたが、濃縮された濃い春であったことを。

「濃い春が最後の後押しをしたのか。これまずいんじゃないか、咲夜」

「えぇ、そうね魔理沙。あの桜の放つ濃密な死の気配……さっきまでは全然分からなかったのに今はどんどん膨らんでいっている」

「花の開花に合わせてどんどん強くなっていく……寒気がしてくるぜ」

 魔理沙はいつもの調子で軽快な口調で言葉を紡ぐも、その声は微かに震えている。咲夜も、肌が粟立つのを感じる。

「あの桜の気配……幽々子様に似ている?」

 妖夢は桜の放つ気配が死を操る程度の能力を使用している時の幽々子に酷似しているように感じる。

「へぇ、そうなんだ。それにしても良い心地だね」

「はぁ!?涼介何言ってんだよ。これのどこが心地いいんだよ!!」

 涼介が平然とのたまう内容に魔理沙がギョッとする。

「え?心地よくないの?」

「完全なる霊体である涼介さんにとっては生も死もありません。むしろ本来は死の向こう側にある物が霊なのです。だからこそ脅威を感じないのでしょう」

 涼介が首を傾げ心底不思議ですとでも言いたげな表情を浮かべる。それに対す答えを涼介の隣に立つ妖夢が応える。

「なるほど、そういう事ね」

「納得できる理由だなってそんなのんびりと話をしている場合じゃないぜ。あの桜をどうにかしないと」

 咲夜と魔理沙が妖夢の返答に納得を示すも、魔理沙が慌てて行動を起こそうと箒に跨り飛ぼうとする。

「それは許可できないかな」

 しかし、魔理沙は飛翔しない。涼介の声に呼び止められたからではなく飛べないのだ。

「飛べない?どうなってんだこれ!?」

「今君たちは私の能力の効果圏内にいるからね。飛べない様に落とさせてもらっているよ」

「おまっ!!今どんな状況かわかってんのか?」

「桜が咲いているだけじゃないか?」

「あぁ、もうこの亡霊話が通じねぇ!!」

 危機感を微塵も感じていない涼介とのやり取りに魔理沙がじれったさのあまり声をあげる。二人(生者と死者)の間にある認識の齟齬が大きすぎる為、話が合わないのだ。

「これならお花見が出来そうだね、妖夢?」

 頭を抱え込む魔理沙から隣の妖夢を見て笑顔で涼介は問い掛ける。

「え、あ、はい。そうですね……ですが……」

「何か心配事でもあるの?」

「えっとですね、あの桜が大人しく鑑賞されるのでしょうか?」

「あぁ、それは問題だね」

「涼介さん、お花見以前にあの桜はなんなのですか?」

「ん?御嬢さんはあの桜が気になるみたいだね。あれは千年の間封印され続けていた妖怪桜らしいね」

「何故封印されていたのですか?」

「……さぁ?知っている妖夢?」

「いえ、私も聞いたことありません」

 そういって首をかしげる二人に咲夜は頭痛を覚える。こめかみに指を当てトントンと当てながらため息をつく。

「大変そうですね」

「えぇ、涼介さんたちのおかげです」

「あぁもう、呑気に漫才してんなよ……頭が痛いぜ」

 刻一刻と花を増やし死の気配を増す西行妖の横での呑気なやり取りに今度は魔理沙が頭を振る。そこで唐突に涼介の気が抜けた声がする。

「あれ、あっちも終わったのかな?」

 幽々子たちが弾幕ごっこを行っていた空間に弾幕は一つも飛んでいない。幽々子と霊夢が距離をあけ対峙する様に浮かんでいる。

「いや、それにしては様子がおかしいぜ。霊夢が警戒を解いていない」

「様子がおかしいのはあの亡霊?」

 咲夜が幽々子を強く見つめる。涼介も目を凝らし、幽々子を見つめる。

「明滅している?」

 幽々子の全身が明滅して濃淡が変化する。明滅の間隔は短くなり、どんどんと幽々子の全身が薄くなっていく。

「幽々子様!!」

 妖夢が叫び、幽々子に向かおうと飛ぼうとするも、涼介の近くにいたために飛び立てない。妖夢はとっさに涼介を振り返る。涼介はそれを確認すると頷き返し能力を解く。妖夢の身体がふわりと飛び、幽々子に向かって飛翔しようとする。幽々子に妖夢の声が届いたのかこちらを振り返る。その全身はほとんど透けて景色に溶け込もうとしている。幽々子の口が何か言葉を紡ごうと動きを見せるも音にはならない。

「―――――――――」

 直後に幽々子の姿が消える。その空間にはもともと何も無かったかのように冥界の夜空が映る。

「幽々子様ぁ!!」

 妖夢の絶叫が白玉楼に響き渡る。飛びあがったその場で妖夢の身体が進むことなく制止し、再び地上に降りていく。

「おいおい、消えちまったぜ。何が起こってるんだ、いったい」

「少なくとも良い事では無いのは確かでしょうね」

 魔理沙と咲夜が焦燥感の混じる声で話す。

「桜が……美しいな」

 涼介が西行妖をみて呟く。花開く蕾が加速度的に増えていく。すでに六分咲きと言える。

「最悪ね」

 涼介たち三人以外の声が聞こえてくる。近くにいつの間にか霊夢が来て浮遊している。

「いったい何があったんだ、霊夢」

「さぁ、急に明滅して消えたのよ。それになんだかあの桜咲いちゃってるじゃない」

「どうするんだ、霊夢」

 魔理沙が箒に跨りやる気を見せるように魔力をみなぎらせ霊夢に並び西行妖を見つめる。

「どうせやる事は決まっているのでしょう?」

 咲夜も霊力を高め二人に並び青球からナイフを取り出し構える。

「妖夢」

 涼介が妖夢に近づき俯いたまま固まっているその肩に手を乗せる。それに対し妖夢は反応を示さない。ただ、触れた涼介は妖夢の身体がひどく強張っていることが分かった。

――オォォオオォオオォォォォオォオォオオオォォォオォオォオォォォォォオオ!!!

 西行妖の全容が脈打つように、その巨大な幹が身震いする様に一度震える。亡者の嘆きの様な、死者の絶叫の様な、どこか物悲しい声が冥界に響き渡る。

「来るわよ!!」

 霊夢が叫ぶと同時に空を生めるような濃密な妖力弾が形成される。漆黒の大小様々な妖力弾が無差別に周囲へ放たれる。霊夢達が視線を涼介に向けるが、涼介は大丈夫だと示す様に笑って手を振り、妖力弾を消して見せる。それを確認した三人が散開し、涼介が自身の周囲に近づく妖力弾を能力で霧散させ自分と妖夢を守る。

「妖夢、大丈夫?妖夢?」

 涼介は周囲を気に掛けることなく妖夢に呼びかける。

「妖夢、妖夢?」

 語りかけても反応のない妖夢に対し涼介は一度呼びかけるのを諦めアプローチを変える。

「ゆゆさんが消えて桜が目覚めた……桜の下で眠る富士見の娘はゆゆさんだったのだね」

 妖夢の肩がピクリと反応を示す。

「西行妖を封じていたのは生前のゆゆさんだったみたいだね」

 妖夢の顔がゆっくりと持ち上がる。

「その話は……どこで……どうして?」

「さぁ、何故話してくれたのだろうね。私にも分からない」

「私は…私はそんな話を知りませんでした。私は、そんなにも頼りないのでしょうか?」

 妖夢の身体が涼介に向き直り、体重をかけ縋りつく体勢で涼介の服を掴む。

「そんなことは無いよ。ゆゆさんは妖夢の事を本当に大事にしていたよ」

「大事にされていることは知っています…でも、頼りにはされていません……きっと私では力が足りないのです……」

「妖夢……」

「今だって、どうしていいのかわからなくて何もできない。こんな自分ではいつまでたっても……いつまでたっても、祖父に追いつけません……半人前のままです……頼りない従者のままです」

「そんなことないよ。妖夢はいつも努力しているじゃないか」

「結果が出ない努力に一体何の意味が……そんなもの」

「確かに結果は大事だね。でも、努力をするという過程も大事だよ。積み重ねるということは大切な……」

 涼介の言葉が途切れる。妖夢は突然途切れた言葉に疑問を覚える。涼介は自分から出そうになった言葉をかみしめる。

「積み重ねることでその人が出来るんだ。多くの経験がその人を作るんだ。妖夢は問題から逃げずに真っ向から立ち向かうじゃないか。立ち止まってしまう事はあっても超えようと努力するじゃないか。だから、ゆゆさんは、君の主人は君の努力をいつも見ていた。手助けせずに見守っていた」

 涼介の言葉に妖夢の記憶が刺激される。思い返される多くの記憶。いつも自分が剣の鍛錬をする時は、努力する時は、悩んでいる時はいつでも幽々子が自分を見守っていたことを。妖夢の瞳から自然と涙があふれる。

「ゆゆさんは、努力する妖夢が、成長する妖夢の事が何よりも大切で、誇りに思っていた。そんな時間を少しでも長く見ていたいから手助けをしなかったのだろうね。だから多くを語らないんだ。だから、頼りにされていないと妖夢は思ってしまったんだ」

 涼介の視界の端で三人が防戦に追い込まれている光景が映り込み、一瞬意識がそちらに向きそうになるもそれを抑える。目の前の妖夢に再び意識を戻す。

「きっとゆゆさんはこれからもずっと妖夢に多くは語らないと思う。だからこそ、妖夢が頼りにされたいと、力になりたいと思うならただ命じられるままに動くのではダメなんだ。自分で考え動かないと、いつまでたってもゆゆさんの真意は見えてこない。さっき、あの黒白の女の子がこう言っていたんだ。ただ嘆いているだけじゃ何も変わらない、望みをかなえるのは何時だって行動した奴だけだ、てね」

 涼介は魔理沙を探すために視線をあげる。妖夢もつられ視線を空へと上げる。紅白、黒白、青白の三人が西行妖の勢いに押され苦戦している。桜は八分ほど咲き誇っている。しかし、彼女たちは誰一人諦めの表情をすることなく抗っている。

「諦めないで闘う事は強さにつながるんだ。自分を成長させるんだ。だから、妖夢。嘆くのは終わりにしよう。何が出来るか分からなくとも今できることをするしかないんだ。今はまだ弱いかもしれない。今はまだ力がたりないかもしれない。でも、挑戦しなきゃ、立ち向かわなければ何が足りないか永遠に分からないままだよ」

 視線を妖夢に戻す。妖夢の視線には力強さが戻っている。

「西行妖を封印していたのは幽々子様なのですね」

「そうだね、生前のゆゆさんの身体ともいえるね」

「封印が解けかけているから、肉体も目覚めかけて霊体が肉体に惹かれたのかもしれない……」

「その可能性もあるね」

「私が知り、敬愛する幽々子様は亡霊の幽々子様なんです。きっと、身体に戻ってしまえば亡霊の時の記憶はなくなってしまいます。ましてや、あの死の気配を振りまく桜の元で生き返ってしまえば、たちまち殺されてしまうかもしれません」

「そうだね」

「私は、いつも悪戯をする幽々子様が好きです。昔、眠れない私に怖い話をたくさんした幽々子様も好きです。そのせいでお化けが怖くなっちゃいましたけどそれも大切な思い出なんです。幽々子様の食いしん坊なところも、謎かけみたいに言葉をぼかすところだって私は好きなんです。」

 

 涼介は妖夢の語る言葉を真剣に聞く。それは過去から逃げようとしている涼介にとっては耳の痛い話でもある。きっと、咲夜やリリカが自分に対して似たような思いを抱いていたのだろうと容易に想像できてしまう。

 

「祖父を振り回す奔放な所も、幽霊なのにポヤポヤとしていて近くにいるだけで暖かくなるような雰囲気も、振り向けばいつだって笑顔で私を見守ってくれる所も全部、全部が大好きなんです。幽々子様は私の大事な家族なんです」

 

 もう、妖夢は涼介に体を預けることなく自分の力でまっすぐと立っている。

「だから、私はあの桜を咲かせたくありません。幽々子様の願いを無視してでも咲かせたくありません。もう一度封印をかけ直せば私の知る幽々子様が帰ってくるかもしれない。それなら私は幽々子様の命でも背きます」

「じゃあ、妖夢はどうするの?」

「西行妖を封じます。幽々子様は生き返らせません。生前の幽々子様を封印することになっても、殺すことになっても私は西行妖を封じます。涼介さんはひどい従者だと思いますか?」

 疑問を投げかけてくる妖夢の顔には強い意志が宿っている。涼介がどうこたえようと妖夢の中にはもう答えが出ている。

「……いいや、ひどいなんて思わないさ。だって、私の友人も亡霊のゆゆさんだからね」

 涼介はそう言って微笑みかける。妖夢は強くうなずくと霊夢達の加勢に向かうために飛び立っていく。

 

「……やっぱり妖夢は強いね。私はどうしたいのか自分でも分からないよ」

 

 涼介も西行妖に向き直る。だが、足が進まない。心の中で様々な想いがめぐり逡巡してしまう。躊躇いが、葛藤が足をその場に縫いとめる。自分の友人を助けたい。生前の友人と思われる彼女らを危険から守りたい。妖夢の手助けをしたい。それらとは反対に、生き返るであろう幽々子から話を聞いてみたい。このまま満開となった西行妖をみてみたい。このまま全員死んで霊になればみんなで花見でも出来るのではないか。そんな馬鹿な考えも浮かび、足が止まってしまう。

「私は、どうしたいのだ?」

 葛藤が言葉となり口をつく。

「自分に胸を張れる選択をすればいい……はぁ」

 背後から声とため息がする。振り向けばメルランとリリカを抱えたルナサが僅かに浮遊したまま涼介を見つめている。

「貴女は?それにその子は確か……」

 意識のないリリカを示す。

「私の妹で、貴方の生前の友達」

「自分に胸を張れる選択って?」

「そのままの意味よ。後ろめたく生きるのと、胸を張って生きるの、どちらがいいのって話」

「私は霊で生きてはいないのだがなぁ」

「言葉のあやよ。誤魔化す為に適当に揚げ足取るのはやめて」

 図星を憑かれ涼介は顔をしかめる。

「何故君がそんな話を?君も生前の知り合いだったの?」

「いいえ初対面よ。でもリリカの姉として、その友達にはシャンとしていてもらいたいから言っているの」

「そんなに情けない顔をしていたのかな」

 少しだけ道化を気取って大げさな動作で肩を竦めてみせる。

「情けない姿よ。心配で心配でたまらないって顔しているのに、それに気が付かないふりをしていて滑稽」

「酷い言いようだね」

「見て見ぬふりをする貴方の行いよりよほどまし」

「君は何もかも忘れて憂いなく生きるのと、色々な物を抱え込んで苦悩しながら生きる。どちらも選べるならどうしたい?」

「選ぶまでもなく後者」

「何故?」

「妹たちの事を忘れてのうのうと存在する私なんてそれは私なんかじゃない。私は私を生きる」

 

 ルナサの視線に迷いはない。覚悟を持った強い眼差しだ。

 

「私は私を生きる……いい言葉だね」

「末の妹の言葉よ」

「いい妹さんだね」

「最高の自慢よ」

 

 心を整理する様に大きく深呼吸をする。涼介の中で決意が固まりつつある。しかし、最後の一押しが、きっかけが足りないと感じる。

 目を閉じ、思考を深めようとした涼介の耳にドンッと言う鈍い音が届く。目をあけ音の元を確認すると、咲夜の持つ青球の一つが涼介たちの近くの地面を転がっている。

 

「これは、御嬢さんの?」

 

 視線をあげると、苦戦している四人が映る。咲夜の近くには青球が一つだけ浮いている。

 

「出来ることが有るなら早く決断したら?生者である彼女たちとあの死の桜は相性が悪すぎる」

 

 ルナサが述べるように、西行妖と生者である四人との相性は最悪だ。西行妖の放つ妖力弾は死の能力が付与された物で、霊夢達にはわずかに掠る事でさえ大きく生命力を削られるため近づけない。大量の春を得て力を増し、さらに目覚めかけている今は周囲の他の桜からも春を奪っている。周囲の桜は花がどんどんと散っていき、花びらが干からびていく。皮肉にも周囲の枯れた桜が広がるにつれ、西行妖は生き生きとしていく。

 

「生者でない貴方なら容易に近づけるのではないの?」

 

 ルナサの声がする。涼介にはその声がどこか遠くから聞こえる感覚がする。涼介の意識は青球の亀裂から覗く白いイヤーマフラーに奪われている。

 

「これを……知っている」

 

 手がゆっくりと伸びそれに触れる。手触りの良い、仕立てのしっかりとしたイヤーマフラー。泡が弾けるように記憶の残滓が頭をよぎる。本に囲まれた場所で耳を赤くした彼女が寒そうだったから送ろうと思った。その時周りには他にも誰かいた。背中に張り付く少女に、呆れた表情をした少女、椅子を引き誰かを促す少女。

 また泡が弾ける。民家の立ち並ぶ場所で様々な店を探し、青い服を着た女性に相談している光景。

 泡が弾ける。木々に囲まれえた森の中の童話に出てきそうな雰囲気の家でトリコロールカラーの服を着た少女に相談をする光景。

 弾ける。どこかの喫茶店の様な場所でイヤーマフラーを付けた姿を見せてくれる少女の笑顔。

 失いたくないと強く思う。守りたいと強く思う。

 

「ああ、もう答えは出たじゃないか」

 

 自然と言葉が涼介の口をつく。口元に笑みが浮かぶ。馬鹿な考えが頭に浮かぶ。

 

 

――こんな綺麗に後押しされるなんて神様も様式美と言う物が分かるらしいな

 

 

 偶然イヤーマフラーが入っている方の青球が壊れ、偶然迷っている涼介の近くに落ちて、偶然亀裂からイヤーマフラーがはみ出て、偶然それに記憶を刺激される。偶然の積み重ねに後押しされ涼介は決断する。紅の館で悪魔が笑い声をあげていた。

 

「リリカさんのお姉さん。これ、壊れない様に持っておいてもらえませんか?あそこのメイド服の御嬢さんのものなんです」

 

 涼介は亀裂の走る青球を持ち上げルナサに問い掛ける。ルナサが軽くうなずくと青球は浮かびルナサの周囲を浮かぶヴァイオリンの隣に並ぶ。

 

「どうするの?」

「前に進もうかと」

 

 涼介はそういうと体を払うような仕草をする。手で胸元をトントンと払う。変化が起きる。どこか希薄さのある存在感をしていた亡霊の雰囲気がなくなり、どこか生気を感じさせる生霊の雰囲気を纏う。涼介の身体から一枚の紙が現れ剥がれて地面に落ちていく。

 

「あぁ、まったく。これはお説教が怖いなぁ」

 

 言葉とは裏腹にその声は歓喜に満ちている。

 

「今のは?」

「記憶を封じる為に憑いていた式を落しました」

「そう」

「リリカに伝言お願いできますか?」

「なにかしら?」

「店で待っているよ、と」

「そう」

 

 ルナサの口元が僅かにほころぶ。言外に、ちゃんと帰ってくると涼介が言っているのを察したからだ。涼介はルナサの同意が得られるとルナサに背を向け西行妖に向かい歩き出す。

 

「何をするの?」

「葉を、蕾を、花を落してきます」

「……伝言の内容、守りなさいよ」

 

 ルナサのその不器用な心配の仕方に涼介は思わず笑いが洩れる。片手をあげてひらひらと振って同意を示し、ルナサ達から離れていく。西行妖に近づいていっても涼介を狙う攻撃は、西行妖から放たれない。霊夢達を攻撃し、近づけさせないようにするその余波が時折迫りくるだけだ。

 

「霊力のほとんどない私は警戒にさえ値しない、か」

 

 特に妨害に会うことなく涼介は西行妖の根元の幹にたどり着く。そして目の間に見える西行妖の幹に涼介は手を触れる。

 

「君にとって私は羽虫みたいなものなのかもしれないね」

 

 記憶の戻った今、改めて能力を使う感覚を体になじませる。妖夢との訓練を思い出し、肉体がある時との差異を修正する。

 

「でも、蜂の一刺しと言う言葉もあるくらいだから、羽虫だって舐められたものではないよ?」

 

 西行妖に語りかけ言葉を紡ぐ。返事はなくとも構わない。これは宣誓なのだから。

 

「返してもらうよ、西行妖。私の友達を、妖夢の大切な人を、みんなの春を」

 

 触れた手を起点に能力を発動する。西行妖の活性を落していく。生命力を落とし、温度を落とし、葉を落とし、蕾を落とし、花を落とし、春を落し、覚醒してきている意識を落す。触れた部分から広がる様に能力が西行妖を侵食していく。温度が落ちた為に、幹の表面に霜が降り西行妖の表面を白く染めていく。春が満ちた幹を、白が浸食する様にその領域を広げていく。根本からどんどんと白が枝先を目指して登っていく。

 

「きっついなぁ」

 

 涼介の口から苦々しげに言葉が洩れる。その声にはわずかに疲労の色が見て取れる。幹の四分の一ほどを白が一気に広がっていくも、その進行速度が急激に低下する。

 

「あぁ、さすがにこれは、見逃して、もらえないかぁ」

 

 西行妖が身もだえして震える感触が、幹に触れる手から感じられる。当てる手を増やし両手にする。

 

「でも、おし、とおさせて、もらうよ」

 

 能力の出力を、行使する力をあげる。霊体のあちこちから鋭い痛みが走る。その痛みを能力で抑えたいがそんなところに使っている余裕はないと、気力でねじ伏せる。

 

「こんな、ものより、彼女た、ちに、与えた、痛みのほうが」

 

 近しい人を亡くした痛みを知るがゆえに涼介は分かってしまう。その痛みは耐えることさえ難しい心の痛みを。止まった白の浸食が、また始まる。幹の半分まで白が広がり、ちらちらと西行妖の花が舞い始める。

 

 

――オォオォォオォオオオオォォオォォ!!!!!

 

 

 西行妖が再び大きく音をあげる。地面からビキビキと音がし、土が僅かに盛り上がるが、それ以上の変化は起こらない。

 

「下は、もう、うごかせ、ないね」

 

 根を動かそうとするも、すでに凍りつき、力を落されており、西行妖の思う様に動かすことが出来ない。しかし、頭上でがさりと大きな音がし、視線を向ける。

 

「枝、とは……器用だ、ねぇ」

 

 西行妖の枝が槍でも向けるようにその先端を涼介に向ける。その動きでまた葉や花びらが散っていく。

 

「さぁ、どれほど、たえられる、かな」

 

 苦笑いが洩れる。動けない為避けることが出来ないから、耐える覚悟を固める。涼介の覚悟を察したわけではないが、覚悟を完了すると同時にその枝先が涼介を貫こうと打ち出されるように迫りくる。しかし、枝先が当たる前に打ち落とされる。

 

「まったく、だいぶお寝坊さんね涼介さん?」

 

 涼介を守る様に霊夢が、魔理沙が、咲夜が、妖夢がその間に割って入る。空を生めていた弾幕は消えている。涼介との綱引きに西行妖が力を回し途切れたのだ。

 

「はは、しゅんみん、はきもち、がいい、からね」

 

 涼介のその言葉に魔理沙がこれ見よがしに盛大に肩を落としため息を漏らす。

 

「馬鹿は死んでも治らないっての本当らしいな」

「相変わらずでなんかもう逆に安心するわね」

 

 霊夢の呆れ声もそこに混ざって非難の視線を涼介に向ける。二人の横で、咲夜が何かを求めるような視線を向けているのに涼介は気が付く。

 

「さく、やさん、ただいま」

 

 苦痛の中でも笑ってみせる。咲夜の顔に綺麗な笑みが浮かび頷きを返す。霊夢と魔理沙が、咲夜の背後で西行妖の妨害を防ぐ。

 

「おかえりなさい。でも、後でお説教ですからね」

「おて、やわらか、に」

「さぁ、どうでしょうね?」

 

 蠱惑的な笑みを浮かべ咲夜も霊夢達に混ざる。

 

「涼介さん……」

 

 妖夢がどこか、後ろめたさを含む声で呼びかける。記憶が戻って斬られたことを思いだした涼介に対し、拒絶されないかと恐れが妖夢の中に生まれたのだ。

 

「やぁ、ようむ」

 

 涼介の返事に、何か言おうとするも言葉がまとまらず口を一度開けるも閉じてしまう。言葉の出ない妖夢に涼介は言葉を続ける。

 

「ゆゆさ、んと、さんに、んで、お花見、しよう、約束、おぼえ、てる?」

 

 妖夢の瞳が真ん丸に見開かれる。

 

「さく、らは、ちがうけ、どね」

 

 そう笑ってみせる涼介に妖夢は安堵を覚える。彼は思い出しても、記憶が戻っても私の友達なのだと、強く意識させられた。

 

「はい!美味しい料理、たくさん用意しますね」

「うん」

 

 妖夢も他の三人に混ざり防衛を始める。涼介も自身の仕事に意識を戻す。西行妖からはだいぶ死の気配が薄れてきている。根元にいるはずの幽々子の死体が、涼介の能力の支配圏にある為に弱まっているのだ。

 

「あぁ、もうバサバサ、バサバサうっとうしいぜ」

「博麗の巫女よ、こちらの手は足りています。西行妖の封印の準備をお願いできないでしょうか?」

「まったく、咲かせようとしたり封印しようとしたり人騒がせなやつらね」

「申し開きもありません」

「そう素直にされると私がいじめているみたいじゃない、まったく。もう少し他の奴らみたいにふてぶてしくしなさい」

「みんながみんな、貴女みたいに図太くないのよ」

「なに、咲夜?」

「別になんでも」

「ご機嫌だな、咲夜。良い事あったやつは違うな」

「魔理沙!!」

 

 

 涼介の背後で少女たちの姦しいやり取りが飛び交う。その緊張感のなさに頼もしさを覚える。頑張ろうと気力が湧き出てくる。

 

「う、おぉおおぉお!!」

 

 西行妖を押し込もうと気合をいれ叫びをあげる。じわじわと白が広がり幹の大部分に霜が降りる。花はもうほとんど散っている。しかし、最後の一押しが足りない。霊体のあちこちから感じる痛みがすさまじい。

 

 

――押し切れない……もっともっともっと、強く!強く!!

 

 

 能力をさらに強く行使しようとする。しかし、浸食は進まない。さらにさらに強く能力を行使する。痛みを、警告を、能力で抑え込み限界を超えて行使する。ピキとひびの入る様な音が聞こえる。視線をわずかにずらすと手元にひびが入っている。能力の出力をあげるほど、ピキピキと音が増え、霊体の至る所にひびが入る。

 

「なる、ほど……からだ、がない、とこうなる、のか」

 

 恐れを消すためにあえて呑気に嘯いて見せる。出力をあげる。腕のヒビが亀裂に代わる。亀裂は仄かに光を発しており、光の粉の様な物が漏れ出ていく。涼介はそれについての知識は無いがこれは能力の焼き付いている魂なのだと直感的に感じる。強引な能力の行使に霊体が悲鳴を上げ、魂が霊体から漏れ出ている。

 

「涼介さん!?」

 

 霊夢の焦燥を含んだ声が涼介の耳に届く。封印の準備のために激しく動いていない霊夢は霊体が割れ始めている涼介に気が付く。涼介は先ほどとは比にならない能力の強さを感じる。西行妖を押しこみ、魂が流れ出ない様に霊体の亀裂へ光を落としていく。亀裂が増え、能力がさらに強まる。亀裂が増えるも能力で被害を抑えてしまうため涼介の霊体は不思議な拮抗状態に陥る。しかし、それは亀裂がなくなるわけではないので長期的に見れば問題はあるが、この瞬間だけで考えるなら、むしろ能力が強まる為涼介的には好都合と言える。結果として霊体の痛みを抑えるために能力を回せるほど、余裕が生まれる。

 

「霊夢、準備は良い?」

「準備は良いって、そんな事より自分の心配をしなさい!!」

「今のところは小康状態だからひとまず大丈夫。心配するにもまずはこの桜をどうにかしないと」

 

 霊夢は涼介に言いたいことが沢山浮かぶも、涼介の言っていることも正しいため今は呑み込む。涼介は霊夢のその反応を了解ととり最後の一押しをする。枝から葉が、蕾が、花びらがすべて落ち、表面の全てに霜が降りる。空中にうっすらと幽々子の姿が現れ、その濃さをまし消える前と同じ姿となり落下する。

 

「幽々子様、幽々子様ぁ……」

 

 妖夢が意識のない幽々子を抱き留め、強く抱きしめる。名前を呼ぶ声には強い安堵が混じっている。咲夜と魔理沙も、西行妖が完全に静止したのを確認し、警戒はまだ解かないが空中で制止する。霊夢が大きく息を吸い込む音がする。

 

「神霊」

 

 呟くような霊夢の声。けして大きな声でないのにその声は冥界に広く響く。声が通った後は不思議な静けさが下りる。霊夢の身体から白い霊気があふれ出る。巫女服の袖口からバサバサと音を立てて、大量のお札が飛び出してくる。お札は空を舞い意思のある群体の様に動き西行妖に張り付いていく。

 

「夢想封印」

 

 霊夢が言霊を発する。張り付いたお札が強く発行する。

 

 

――オオォォオォォ……ォォオ………ォォ…………

 

 

 お札の発する光が強くなるほど、西行妖の発する音が、その存在感が弱まっていく。完全に音が消えしばらくすると、お札の発光がとまる。霊夢がそれを確認すると右肩に左手を当て、肩を回す。一仕事終えたお父さんみたいだなと涼介は馬鹿なことを考えながらも周りを見る。魔理沙と咲夜は、涼介の様子に気が付いたのか驚きを示し、妖夢は幽々子を起こそうと体をゆすっている。

 

「涼介さん、大丈夫なのですか!?」

 

 咲夜が驚きの声をあげ、それに反応し、妖夢も一度手を止め涼介を振り返り驚きをあらわにする。

 

「霊体が……割れている……」

 

 妖夢の口を驚愕がついて出る。涼介はとりあえず、すぐにどうこうなる訳ではないのを理解しているので、安心させようと口を開く。

 

「すぐに問題は無いよ。だから今は、異変の解決を」

 

 喜ぼう、と続け笑いかけようとするもそれは敵わない。涼介の背後の空間に亀裂が走り口をあける。現れた隙間の中より狐の尾が九本飛び出し、涼介を握りこむ様に覆い隙間へと引きずり込む。尾が隙間に呑まれると隙間は何もなかったかのようになくなる。本当に一瞬の出来事であり、霊夢達四人の誰もが反応できなかった。それは、西行妖の封印直後と言うこともありわずかに生まれた油断をつかれたのも反応できなかった原因の一つと言える。

 

「あぁもう!また行方不明かよ!!童話のお姫様かアイツは!!!!」

 

 魔理沙が頭を抱え不満を叫ぶ。それに応える者はしばらくの間誰もいなかった。


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