とりあえずせっかく来たのだと、涼介はアリスを尋ねようと扉に近づく。ここに来たのが偶然か、紫たちの思惑かは解らないがアリスに会うことで問題が起きるとも涼介には思えないのだ。
「それに、魔女は多くの知識を持っているから何か知っているのかもしれないしね」
涼介はそう零し、ハルと扉へさらに近づく。しかし、歩みが止まる。違う、止まったのだ。その周囲に浮かぶ無数の刃物をこちらに向ける人形達が現れたことで涼介とハルは足を止める。
「ハル、動くなよ」
少しでも動けば文字通り刺さりそうなほど、刃物は近い。ハルが反応できなかった時点で力量差は知れているのだ。何故、アリスがこのような真似をしたのかは涼介に解らないがすぐに刺さない時点で対話の意思があるのだろうと焦るような真似はしない。
「まったく、この寒空の中うちに何の用なのよ、妖か……あれ、涼介に白狼ちゃん?」
扉から出てきたアンニュイそうなアリスが、涼介たちの姿を確認すると首をかしげる。
「あぁ、良かったアリス。この子達をどうにかしてくれないかい。これじゃあ氷像にされたみたいに動けないんだ」
「あぁ、その馬鹿みたいに危機感のない物言い確かに涼介ね」
「いや、その判断のされ方はちょっと」
「いいんじゃない、それで本人確認できるなら。それともイヤーマフラーを特注しに来た時の理由言う?」
「勘弁してくれよ、その話題は新聞にもされていておなか一杯なんだよ」
アリスはそう言いながら指を少し動かす。そうすると涼介たちの周りにいた人形たちが離れていく。
「あぁ、人心地付いたね」
「よく言うわ、まるで緊張もしていなかったのに」
「まぁ、自分にも作用する能力だからね」
「呆れた能力ね、制御なさい。危機感や恐怖は身を守るのに必要な感情よ」
「うーん、訓練はしたのだけどね。未熟なのか無意識で抑えているのかわからないんだ」
「はぁ、もういいわ。言っても無駄なことは言うだけ疲れるだけだし。それでどうして貴方から妖怪の気配がするのかしら?人間やめた?」
「いや、今のところその気も予定もないけど」
アリスの問いかけに涼介は分からないと首をかしげる。傾げた拍子に首からかけているレティにもらった結晶が肌に触れ、そのひやりとする感覚に思い至る。
「もしかしたらこれかも知れないな」
そういって、紐を引き胸元から取り出しアリスに見せる。それを見たアリスが目を細め、得心が行ったとてでも言うように一度頷く。
「なるほど、どこで手に入れたか知らないけれど冬の妖怪の結晶を身に着けていたのね。だから、霊力の弱い貴方の気配がその結晶から漏れる妖力に消されて妖怪に感じられたのでしょうね」
「なるほど、寒さを消す以外にそんな効果もあったのか。レティから餞別としてもらったからそのままにしていたよ」
「貴方ねぇ……。まぁ、いいんじゃない。それとそこの白狼がいれば弱い妖怪は寄ってこないでしょうしね」
「それは重畳」
「……強い妖怪は避けてくれないわよ」
「それだけの妖怪なら話が出来るさ。なら大丈夫だよ」
「本当に相変わらずね」
「安心したかい?」
「頭が痛いわ。もうそれもいいわ。それで貴方達は私に何の用だったの?」
「いや、特に用事があってここに来たわけではないんだよ」
「用事がないのにこんな所まで飛べない貴方が、雪道を歩いてまで来たの?貴方本当に頭大丈夫?」
アリスの割と深刻そうな声に思わず涼介の顔がひきつる。
「違う違う、気が付いたらここに居たのさ」
「貴方……」
アリスの目が可哀想な者を見る様な光を携える。
「あぁ、誤解しないでくれアリス。詳しくは知らないのだけれど紫さんの能力で見知った場所のどこかに飛ばされたんだ」
「そういうことね。説明はちゃんとしなさい。とうとうガタがきたのかと思ったわ」
「辛辣だなぁ」
「日ごろの行いよ」
「うぅん、言い返せないのがつらいところかな」
「なら善処なさい。それと事情は分かったわ。誤解とはいえ刃物を向けてしまったのだからお詫びをさせてちょうだい」
そういって返答を聞く間もなくアリスは家の中へと戻っていく。人形が扉を開けて待っていることから入ってこいと言うことなのだろう。ハルは扉の前で伏せここで待っていると言いたげだ。仕方ないと、涼介は中へと一人入っていく。
「アリス、誤解をさせるような真似をした私が悪いんだ。詫びは必要ないよ」
「じゃあ、久しぶりの来客だからもてなさせて頂戴。最近寒くて外出する気も起きないのよ」
「はぁ、そういうことなら一席ご一緒させてもらうよ」
「じゃ、おとなしく待っていて下さるお客様」
「かしこまりました」
普段とは逆の立ち位置。アリスが紅茶をいれお菓子を用意する。アリスが店に来た時とは逆の配役、それに二人はわずかに笑いを漏らす。
温かい紅茶を飲み、いくら寒くないとはいえ多少は冷えている体が温かい物でじんわりと温まる感覚にほっとする。
「それで貴方は冬妖怪から原因を知り、春を探して、マヨヒガに迷い込み春の欠片を手に入れ、ここにたどり着いた、と」
「ん、その通りだよ」
「馬鹿じゃないの?」
「辛辣だなぁ……別段危険はなかったよ。それに少しずつだけれど真相に近づけているのじゃないのかな」
「馬鹿なのね」
アリスの答えは変わらないどころかむしろ悪化する。その表情は、その瞳は本人と同じように馬鹿じゃないの、と雄弁に語っている。
「いや、あのねアリスさん」
「どう言いつくろうと馬鹿は馬鹿よ。自衛もできないのに異変へ首何て突っ込まない。貴方、何考えているのよ」
「何と言われると、異変の解決だけど」
「本物の馬鹿ね。そんなもの博麗の巫女に任せなさい」
「そうは思うんだけどね。自分で出来ることは頑張りたいじゃないか」
「そこが馬鹿だというのよ。貴方じゃどうにもできないわよ」
「それは解らないよ。対話が出来ればどうにかなるかもしれない。私の能力ならその可能性がある」
「問答無用でこられたらどうするのよ」
「ほら、こんなか弱い人間に問答無用ではこないでしょ」
「楽観がすぎるのよ、貴方は!第一に今は……はぁぁぁ……どうせ言っても無駄ね。無駄なことを言ってもつかれるだけだしもういいわ。一度痛い目を見て学びなさい」
アリスが深いため息を漏らし諦めを口にする。その彼女の姿に涼介は申し訳なさを感じるが、改める気はないので口には出さない。それは逆撫でする結果しか生まないだろうからだ。だから話を進める。
「アリス、これについて何か詳しいことは解らないかな?」
そういって瓶をリュックから取り出しアリスに見せる。アリスはそれを受け取り、目を細める。
「これが春の欠片ね。なるほど、これ取り出してもいい?蓋にされている封はかけ直すから」
「封なんてされていたんだね、知らなかったよ。構わないよ、アリスの好きにしてくれて、教えてもらう側だしね」
「なんで貴方が知らないのよ。これ渡した奴から何か聞かなかったの?」
「うーん、あの子はちょっとそそっかしい所があるからなぁ」
「
「何か含みを感じるのだけど?」
「自覚があるならそういうことよ」
アリスは素っ気なく答えると瓶から春の欠片、桜の花びらのような形をしたそれを数枚取り出し、蓋を閉めなおす。そして指から糸をだし、瓶を一周する様に巻、縛る。
「それで、これはどういった封なんだい?」
「中にある春の気配を外に出さないようにしているだけの簡易的な封よ。やり方は違うけど効果は一緒だから元通りよ、安心して」
「別にどういった形でも大丈夫だよ。なるほど、そういった封がされていたんだね」
涼介はそういうと興味深げにアリスから返された瓶を見る。
「最初にしてあったのと同じだから開けると封が解けるわよ」
「じゃあ開けない限りは漏れないのだね」
「そうなるわ、でも一度開けたら封が出来ない貴方ではどうにもならないわね。封が解けたからと言って何があるわけではないけど」
「ふぅん?別に春が逃げるとかいうわけではないのだね」
「そういうことはないわね。でも、春の気配は漏れるからその春を奪っている犯人にはばれるかもしれないわね」
「なるほど、行き詰ったら開ければいいのか」
「……本当に痛い目を見た方が速そうね」
「怖いなぁ」
「感情が籠ってないわよ、
「含みを感じるなぁ」
それに応えずアリスは欠片を興味深げに眺めるばかりだ。
「何かわかりそうかい?」
「春と言う概念を固めたものとでもいうのかしら。ほら、触ってみると解るけど仄かに温かさも感じるわ」
そういってアリスから手渡された春の欠片を手に乗せると確かに温かい。
「本当だ。これは本当に春そのものなんだなぁ」
「そのようね。詳しく知りたいのならもう少し時間がかかると思うわ」
「じゃあ、お願いしようかな。分かったら店まできて教えてくれないかい。今日の所は大人しく帰ることにするよ」
「そう、賢明ね。あながち言った事すべてが無駄ではなかったのかしら。いいわ、その依頼受けてあげる」
「ありがとう、アリス」
「いいのよ、私もこれに興味があるし。純粋な季節の結晶、面白そうね」
そして、涼介はアリスと別れ、ハルと一緒にアリスの家を発つ。あたりは薄らと暗くなり始め黄昏が訪れる。
ハルと二人で魔法の森を歩く。生憎とガスマスクがなく困っていたが、アリスが宝石に簡易の結界を施してくれ、それで瘴気を弾き涼介たちは帰路に着く。魔法の森をもう少しで出るという所でハルが何かに気が付き、走っていく。
「ハル、何かあったのかい?」
雪原の一点で止まり、軽く雪を掘る。中から白い服を着た三対の白っぽい透明な羽をもつ人物が出てきた。
「えっと、確か…春告精だったかな?」
「は、はる…どこ、ですかー?」
その様子はひどく弱っているように見える。意識はないのか目は開いておらず、うわ言の様に春の行方を捜しているようだ。春告精は確か、春に現れる妖精だったはずだ、と涼介は思い出す。この長冬、と言うか春が奪われた状態はこの妖精にとって好ましくないのだろうと涼介は考え、リュックから瓶を取り出す。
「開けると、犯人がくるかもしれない…か」
開けようとした涼介の脳内にアリスの忠告が思い出される。それでも目の前の弱った少女は見捨てられないし、これも思し召しと思うことにして、犯人に会おうと考え封を開ける。瓶の中身を半分ほど取り出し、春告精に近づける。
「は、春です!!」
ガバッという幻聴が聞こえそうなほど勢いよく体を起こすと涼介の手にある春の欠片を取り食べ始める。
「た、食べるのか…」
唖然とする涼介に目もくれず、一握りの春を瞬く間に食べ尽くす。食べ終わると涼介に気が付くのか慌てだす。
「あ、あのすみません。春が足りなくてですね、思わず春の気配に飛びついてしまいました」
どこか気恥ずかしそうにする彼女の姿に涼介は表情を崩す。
「気にしなくていいですよ。先ほどの欠片は貴女にもともと上げるつもりでしたので。私は白木涼介と言います、涼介とお呼びください」
「ほ、本当にありがとうございます。私はリリーホワイトといって春告精という妖精です」
涼介の言葉に安心したのか慌てた様子をなくし、ほんわかと温かくなるような笑みを浮かべる。
「本当はまだ春があるのですが、残りはお分けすることが出来ず申し訳ありません。春を集めている犯人と会うために必要なのでお許しください」
「えっと、犯人さんと会ってどうするつもりなのですか?」
「春を返してもらおうかと考えております。そろそろ雪も見飽きましたし桜が恋しいですからね」
雪も見飽きた、と言った時胸元がひんやりとする。冬の欠片を着けながら雪を見飽きたといったからかな、と呑気なことを考えながら涼介はリリーに理由を話す。
「そういうことでしたら…我慢します。でも、大丈夫なのですか?」
「何とかなるんじゃないでしょうか」
「楽観的なのですねー」
「頭の中が春ですねー」
「ふふふ」
涼介のくだらない冗談にリリーが笑みをこぼす。
「それでは私は貴方が春を取り戻してくれるまでじっとしてようと思います。今貰った春があるのでまだしばらくは大丈夫そうです」
「もし、その春が足りなくなるまでに、春が戻ってこなかったのならば博麗神社にいる巫女に相談するといいですよ」
「はい、わかりました。でも期待して待っていますね」
リリーはそういうとふわりと浮きあがる。
「それでは頭が春のお兄さん、またですよー」
「はい、またですよー。春告精さん」
リリーは涼介に手を振ってどこかへと飛び立っていく。きっと、少しでも温かい場所でも目指すのだろうと涼介は思う。
「さて、封を開けてしまったから家に戻ってじっとしているのはなぁ。人気のないところを散歩しようか、ハル」
がう、と返事が一つ。今度こそ本当に目的地もない旅路が始まる。ただ待ち人が訪れるまでさ迷い歩く。どこかで春の気配を察知した犯人が来るのをさすらいながら待ち受ける。
当てどもなく歩くにしても、せっかくならどこかを見に行こうと、霧の湖へと向かう。湖が凍ってさぞ見ごたえがあるのだろう、もしかしたらその上に乗ることもできるかもしれないと軽いレジャー感覚で目的地を決める。
「紅魔館に行かないのにこっちに来るのは初めてだね」
相槌をうつようにハルが一吠えする。視界の先に凍った湖が見える。夜の暗さも相まって少しだけ寂しさを感じる。涼介が感嘆の吐息を漏らすとその耳に音が聞こえてきた。
「ん、音?違う、これは……何かの演奏?」
音に誘われるように涼介は進む。湖から少し離れた所までその音に誘われて行くとまたしても廃屋がある。洋式の古い建物、廃洋館とでも言うのだろうか、そこから楽器の演奏が聞こえてくる。
「こんなところに誰かいるみたいだね、ハル」
聞こえるメロディーが心地いいのかハルの尻尾が音に合わせて揺れている。どうやら音はこの廃洋館の後ろの方から聞こえる様だ。二人で静かに近づいていく。そこには赤いシャツに、同じ色合いのキュロット、頂点に星の飾りのついた帽子を着けている少女が楽器に囲まれ立っている。
「すごいな」
その楽器はすべて浮かびふわふわと上下に揺れている。そして触れてもいないのにその楽器達から音が紡がれ演奏をなす。たった一人のオーケストラだ。
「でも、なぜかどこか」
言葉は続かない。涼介の瞳から涙が流れる。涼介はそれに気が付かない。そして、二人は演奏する少女の後ろ姿を静かに見つめ、演奏に耳を傾ける。そして、演奏が終わる。少女は疲れたのか一度手を組み、伸びをするように組んだ手を上へと伸ばす。その姿に、涼介は一区切りがついたのを察し、拍手をして近づく。
「盗み聞きして申し訳ありません。でも、素晴らしい演奏でつい、すみません」
音に気が付き、少女が振り返る。驚きが表情に浮かぶが、涼介の顔を見て疑問が僅かに浮かぶ。
「貴方、どうして泣いているの?」
「え、あ、本当ですね。何故でしょうか、とてもきれいで感動したのに……」
考えている涼介の様子に少女は答えを待つ。
「あぁ、そうか。きっとどこかさびしく感じられたんだ。届かない誰かに、ここにはいない誰かに語っているように聞こえたから、だから寂しかったのだと思います。すみません、勝手に変なことを言ってしまい」
涼介のその答えに少女は小さく息をのむ。
「あぁ……貴方も……そういう人がいるのね」
少女が笑う。悲しげに笑う。今度は涼介が息をのむ。
「なぜ、そうだと?」
「私は、幻想の音を演奏することが出来る。そして、私は今の演奏に、その力を使いあの子への、もう届けることはできない子への思いを込めた音色を奏でた。自然に涙が流れる貴方はきっと、そういう人がいるから共感したのだと思うわ」
「……貴女は?」
「妹。貴方は?」
「愛しい人」
しばらく互いに無言になる。ハルは静かにそれを見守り、身じろぎもしない。
「私はリリカ。リリカ・プリズムリバー」
「私は白木涼介。里と妖怪の山の間にある喫茶店で店主をしています」
「そう、今度遊びに行くね」
「是非遊びに。また色々な演奏を聞かせてください」
「いいよ、でも今度はお姉ちゃんたちも一緒にね」
「お姉さん達がいるのですね」
「今はちょっと花見の演奏の打ち合わせに行ってもらっているの。私は面倒くさいからさぼっちゃった」
そういってリリカは笑う。でも、きっと一人で演奏をしたかったのだろう、涼介はそう思う。
「花見があるんですね。それに私が参加して聞くことはできますか?」
花見という言葉に涼介は反応し、それとなく聞く。こんな冬真っ只中の世界で花見の相談をするということはきっと春を大量に持っている異変の黒幕だろうと、想像が頭をよぎる。
「それは難しいかなぁ」
リリカの表情は苦笑いだ。それは隠し立てしているとかではなく、本当にそう思っているために、誘えないことへの申し訳なさだ。
「どうしてでしょうか?」
「冥界なんだ、その花見の場所」
「めいかい?」
「そ、冥界。死んだ人の魂が転生か成仏するまでとどまる世界。だから生者の貴方は入れないのよ」
「じゃあリリカは?」
「私はポルターガイストだから大丈夫」
「そっか……冥界、そんな場所があるのだね」
「あ、今死ねばさっきの人に会いに行けるかなとか考えたでしょ?ダメよ、自殺なんてしたら閻魔に地獄行きにされちゃうよ」
「…はは、さすがに自殺はしないよ。約束だからね」
「しっかりしていた人だったみたいね」
「私がダメダメだったからしっかりするしかなかっただけかもしれないね」
涼介がそう言い笑うと、リリカもつられて笑い声をあげる。
「冥界での花見が終わったら春は返してくれるらしいよ。だから、その時はどこかで演奏会をするから聞きに来てね、招待するわ」
「そういうことなら、首を長くして待っているよ」
「お友達として、特別席を用意しておくね」
「じゃあ、お友達として元気の出る美味しい差し入れを持っていくよ」
「ふふ、楽しみが増えた」
「待ち遠しいね。それじゃあそういうことなら今日はもう帰ろうかな。せっかくの素敵な演奏を今この場で聞いてしまうのは勿体ない」
「そう、気を付けてね。その時はお姉ちゃん達にも紹介するよ」
「ありがとう、それじゃあまたね」
「うん、ばいばい」
互いに冬の寒空の下、どこか人恋しい心が満たされたような満足感を得る。静かに続いた会話は終わり、二人は別れる。遠く離れた涼介はどこか遠くから聞こえる楽しげな旋律を聞いた気がした。
また、あてどなく雪原の中を彷徨う。冥界に自力で向かう手段を涼介は持ち合わせていない。だからこそ、涼介は犯人を待つ。そろそろ日付が変わるころだろうかと、手巻き式の腕時計で確認する。もうあと十分ほどで今日が終わるそんな時間。まだ犯人は来ないものなのかと涼介は考え、仰ぐように空を見上げる。そして、視線の先に浮かぶ少女を見つける。こちらに突撃する様に飛んで来ている。その手に月明かりを反射する白刃を持って。
「えっ……」
その少女と視線を空へ向けた涼介の視線が交わる。少女は視線が合った瞬間進行方向を変え、涼介たちの眼前十mの地点に着地する。
「奇襲を見破られるとは、見事です」
少女が口を開くがその内容が理解できない。呆然とする涼介とは違い、ハルが眼前の少女に牙を剥き跳びかかる。制止する間さえない、一瞬の出来事。
「ハッ!!」
少女の裂帛の声が聞こえたと思った直後、ハルから血が飛び涼介の脇をすり抜け背後の木にぶつかり落ちる。振り返りリュックをその場に捨てハルに駆け寄る。腹が斬られ、霊気弾で飛ばされたのか球体状に殴られた跡が見える。意識は混濁としている様ではあるが、生きてはいるようだ。それに安堵し、出血を落ち着ける。
「その程度の妖獣ならば、切らずともわかります」
視線を少女に戻せば血で濡れた刃をふり、血を振り落す。
「いきなり何のつもりだ」
「貴方が持つ春を頂戴しに来ました」
それを聞き涼介が待っていた犯人だということは解った。しかし、これでは話すどころではないと同時に思う。アリスの懸念が当たったようだ。
「何故冬の妖怪が春を集めているのか知らないが、それは渡してもらおう!!」
少女が刀を構える。
「まて、私は」
涼介が否定をしようと声をあげるがその声は続かない。胸元がひどく冷たい。涼介の周りに冷気が満ちる。つむじ風の様にその冷気は渦巻き、雪を巻き込み少女を威嚇するような動きを見せる。
「レティっ……」
原因は十中八九胸元の氷の結晶だ。涼介が何故だレティ、と思考をめぐらせようとするが、目の前の少女がそれを許してはくれそうにない。少女の体から霊気が沸き立つ。
「待ってくれ!誤解が」
「言葉は不要!我が師は斬れば解ると言っていた!!」
その言葉と同時に少女が駆け出す。涼介にはそれが消えたように見える。周囲の吹雪が勝手に動く。しかし、少女に弾かれたのか、その動きが不自然に変化する。
「覚悟!!」
視界に少女が現れる。涼介の視界での出来事がゆっくりと流れる。少女が右下から左上への切り上げをしようとしていると視界は、脳は理解する。だが、体は固まったように動かない。意識に体が追い付かない。
「まっ」
言葉はつながらない。刃が体内を通り、通り道にある肋骨などの骨を両断していくのが解る。胸元で揺れる氷の結晶もその刃で砕かれる。その直後、目の前の少女が目を大きく見開く。刃は止まらず、そのまま左肩を抜けていく。
「あ」
どちらが発した声かわからない。刀の勢いに流される形で涼介の体が後ろに向かって倒れていく。血が噴水の様に噴き出て、目の前の少女を赤く染める。能力で、血を止めようとするも、意識が混濁してきた涼介にはそれが出来ない。死ぬ、と涼介は直感する。どこか、心のどこかで安堵している自分に気が付くもそれに納得する。
「だ」
真っ赤に染まる少女が我に返ったのか倒れゆく涼介に手を伸ばす。しかし、それは唐突に止まる。涼介は落ちゆく意識のさなか、背中に柔らかい感触を覚える。
「まったく、情けないな涼介」
聞き覚えのある呆れを多分に含む懐かしい声。そして、視界の端に一瞬見えた金色。それを最後に涼介の意識は消える。