東方供杯録   作:落着

2 / 48
闇と氷に供する二杯目

 店には不在を示す張り紙一つ。

『少し出かけてまいります』

 

 

「……暑い」

 

 照りつける日差しが肌を焼く。店主は流れる汗を拭いながら恨めしげに太陽を見上げた。照りつける陽の強さに長袖など薄手とはいえこの時期に着るものではないなと小さく独りごちた。吐き出したくなるため息を飲み込みながら、前を先導する侍女に置いていかれないよう足を少しだけ早めた。

 軽く肩を揺すりリュックを背負い直す。背とリュックの間に感じる汗に不快さを感じる。先ほど飲み込んだため息を小さく吐き店主は能力を使う。自身の体温を落とし、夏の気象から逃れる。

 

(あまり使いたくはないのだけどね)

 

 暑さから逃れ一息つくも、今度は別の不満が生まれる。軽く頭を振って浮かんだ考えを店主は搔き消す。

 思考に意識を割いていた店主へ、先を歩く侍女から声がかかる。

 

「本当にお荷物はお持ちしなくともよろしいのですか?」

「自分の荷物くらいは自分で持ちますよ。それに私が飛べない為に歩かせてしまっているのにこれ以上ご迷惑はお掛けできませんよ」

「こちらが突然した要望に応えていただいているのに、そのように言われてしまいますとこちらの立つ瀬が無くなってしまいます。ですので、本当にご遠慮なさらなくて結構ですよ?」

「それでは男のなけなしの意地という事にしておいてください。これでも男の子ですからね」

「あら、そう言われてしまいますと無理強いは出来ませんね。これ以上のお節介は野暮というものでしょう」

 

 背後を歩く店主からは見えないが、侍女は口元を手で隠しながらクスクスと楽しげに笑っていた。少しだけ柔らかくなった侍女の雰囲気に店主もほっと一息を吐く。

 侍女は店に来た時からずっと張り付けた作り物の笑みを浮かべていた。けれども今の笑みは、少なくとも本心からのものだろうと店主には感じられる。

 笑いを治めた侍女がまた迷いなく歩を進めた。しっかりとした足取りで侍女は木々の合間を抜けていく。店主も彼女に置いて行かれぬよう歩きながら声をかける。

 

「それにしてもこのままですとお時間が遅くなっていしまいそうなのですが大丈夫でしょうか? 夜に珈琲を飲まれてしまいますと人によっては眠気が飛んでしまわれるかと」

「あぁ、その事ですか。それでしたら心配の必要はございませんよ」

「そうなのですか?」

「えぇ。理由の方は……そうですね、ついてからのお楽しみにしていただければ幸いです」

「お楽しみ……なるほど。了解しました」

 

 侍女の返答に店主は考える、客が妖怪かもしれないと。妖怪であれば人間と違い決まった生活サイクルなどは必要ない。しかしもし本当にそうであるならばと店主は思考する。妖獣である白狼のハルを置いてきたのは失敗だったかもしれないと。

 けれども店主は直後に自身の考えを小さく鼻で笑う。相手が妖怪である可能性を全く考慮していなかったわけではないのだから。いや、むしろどちらかといえばわざと聞かなかった側面の方が強い。

 結局の所で自分を大事にすることを徹底できていない。自覚した己の無意識を自らで嘲笑する。

 

(これではまた上白沢の先生に、お説教と共に頭突きを貰う事になるかもしれないなぁ)

 

 ふと思い浮かべた想像が店主の脳内をめぐる。不死人の友人と仲良く並んで怒られている姿。すんなりと思い浮かべられる自分の日頃にまた苦笑が漏れる。情けない内容でありながらも、実際そうなりそうな予感がしていた。

 侍女が店主の苦笑を耳にして反応を示した。

 

「どうかされましたか?」

「はは、いや別に大したことではないよ。ただ、不出来な生徒だなと思いまして」

「はぁ?」

 

 店主の要領を得ない回答に侍女が困惑を示す。その首が困惑の度合いを示して傾けられている。

 店主には詳しく説明する気が無い為に仕方ない事と言えるし、侍女の疑問が解消されることもないだろう。

 危機感の欠如が甚だしい自身へまた呆れの苦笑を零しながら店主は侍女の後を追った。侍女も店主に説明する気がない事を悟り、追及は行わずに案内を続けることにした。

 侍女の後を追いながら店主は周囲の木々へと意識を向けた。鬱蒼と木々が乱立した自然の森。

 外来の山林でよく見られる、植林されて等間隔で木々が生えている人工林。それとはまるで異なる手付かずの自然についつい視線を奪われる。

 所々で重なった葉が濃い影を落とす森の様子にふと懐かしい記憶がよみがえった。以前も一度森の中にいた時の事を思い出す。

 

(あの時は確かこちらの方面の森で一息ついていたら)

 

「そうそうあんな感じの闇が……」

 

 周囲を見回していた視線に闇が映り込んだ。直径二メートル程の黒い球体。風に揺られるシャボン玉みたいにふわふわと視界の先で漂っていたのだ。追憶と重なる光景についつい言葉が漏れ出ていた。

 侍女が店主の声で振り返り、店主の視線の先を追う。

 

「宵闇の妖怪?」

「そのようですね。少しお時間よろしいですか?」

「お時間ですか? えぇ、かまいませんが」

「ありがとうございます。おーい、ルーミア!」

 

 店主が闇に向かってルーミアと呼びかける。するとふよふよと浮いていた闇の塊がパッとその姿を消す。闇の消えた場所には十歳程度の背格好をした金髪に赤いリボンを付けた黒服の少女、ルーミアが浮いていた。

 ルーミアは声がどこから来たのか分からないようで、周囲をきょろきょろと探り頭を動かしていた。

 

「こっちだよ、ルーミア」

 

 再び店主がルーミアへと声をかけた。その声に導かれルーミアの顔が店主たちの方へと向く。ルーミアの表情には笑みが浮かび、見つけられた事を店主たちも認識した。

 ルーミアが宙を軽やかに滑り店主たちへと近づく。

 

「おー、泥水さんなのだー」

 

 十字架へ張りつけにされたような姿でルーミアが宙に止まった。そんなルーミアの発言に侍女が小さく眉をひそめる。

 けれども泥水と呼ばれた本人は、笑みを浮かべてルーミアへと返答をしている。

 

「おー、泥水さんなのだよ」

 

 店主の返した言葉に侍女の顔が今度は困惑に染まる。店主も彼女の表情を確認すると、説明した方がよさそうだと思ったのか困り顔で頬を掻いていた。だが店主が説明をする前にまたルーミアが言葉を返す。

 

「今度は最初から甘いものを飲ませて欲しいのだー」

「はははっ、この前はごめんね。あぁ、説明をした方がいいかな?」

「あ、はい。していただけるのであれば是非に」

「以前も森の中で彼女に会ったことがあるのです。その時の私は森林浴気分で森を歩いていて、休憩がてら腰を下ろして珈琲を飲んでいたのです。そうしたらルーミアが、いい匂いなのだと言ってやって来てね。飲んでみるかいと聞いて飲ませてみたのだけれども、無糖は苦かったみたいで大不評だったんですよ」

「そうなのだー。美味しそうに飲んでいるから美味しいのかと思ったのに泥水だったのだ。あれには驚いたなー。人間はあんなものを美味しそうに飲むなんて謎なのだ。だから泥水をくれて、泥水を飲んでいるから泥水さんなのだー」

 

 ルーミアが店主の話の続きを途中から奪って話をそう締めくくる。店主はルーミアの話を聞いて苦笑しながら、やれやれと言いたげに首を左右へ振ってみせた。

 けれども侍女にはその店主の仕草がどこか嬉しそうに見える。わざとらしくため息を吐いて見せる店主に、ルーミアが軽くじゃれついて抗議を示す。

 二人のその仲のよさそうな様子に侍女は両者の関係が良好なのであろうと察した。

 

「はぁ、そのような事があったのですね」

「えぇ。その後甘めに入れたカフェラテで許してもらいました。似顔絵でラテアートを入れたのが良かったのかもしれませんね」

「おぉ! そーなのだー。すごく上手い絵だったねー」

「絵、ですか?」

「絵ですね。そういった物があるのですよ。機会があればまたお見せいたしますよ」

「その際はぜひお願いいたします」

 

 侍女の顔が店主の言葉に一瞬こわばった。しかし、その僅かな変化はすぐさま立ち消えてしまう。

 店主は侍女の表情の変化には気づかないふりをして穏やかに微笑みかけた。店主の笑顔に対して、侍女は作られた笑みをまた張りつける事で応えた。

 そんな二人のことをまるで気にかけることなくルーミアが口をはさむ。

 

「泥水さんはまた何か持っていないのかー?」

「うーん。今はちょっと用事があるから飲み物を入れている時間は無いなぁ……うん、そうだね」

「うん? なにかあるのかー」

「今は時間が無いから前みたいには出来ないけれど、これならあげられるよ」

 

 店主が返答と共に背負ったリュックから二枚の黒い板、チョコレートを取り出してルーミアの目の前へ差し出した。

 目の前へ差し出された物体にルーミアが瞳を揺らして店主を見上げる。口元が小さく引き結んで不安げな表情を作り出していた。

 店主は彼女の表情で察した。また理解できない黒い物を差し出してきたことで、以前の事を強く思い出したのだろうと当たりをつける。

 

「これも黒い……また苦いのかー?」

 

 ルーミアの口から零れ落ちた言の葉に、店主は自らの考えが間違っていないと肯定を得た。さらに目じりを下げ、顔も伏せがちで視線をチラチラと上目づかい気味に送ってくる。

 店主は胸元の前でふよふよと浮いているルーミアの頭をポンポンと、軽くなでつけて安心させようと口を開く。

 

「大丈夫だよ、これは甘いから。食べてごらん、ルーミア?」

 

 店主がほらと言いたげに手に持った物を差し出した。ルーミアは差し出された物を受け取ると鼻をひくひくと動かし匂いを確かめる。

 確認の後、もう一度ルーミアは店主を見る。店主が笑顔を返せばルーミアも信じたのか、小さく口をあけて端を少しだけ齧る。

 ゆっくりとした動きで咀嚼を始める。しかし、次第にその速度が増していきさらに一口大きく齧った。

 

「美味しいー!!」

 

 

(あぁ、こういう混じりけのない笑顔は癒されるなぁ)

 

 

 貰ったチョコを落さないよう大事に持ちながらルーミアがモグモグと食べ進めてゆく。店主はその様子に笑みを一つ漏らすと視線を侍女へと向けた。

 侍女も店主と宵闇の妖怪のやり取りを微笑ましげに眺めていたのか、口の端が僅かに上がり目じりが下がっていた。

 

「さて、お待たせいたしました。そろそろ行きましょうか、紅茶のお嬢さん」

「いえ、お気になさらずに。では、参りましょうか珈琲の君」

 

 

 侍女はスカートを軽く摘まんで瀟洒に一礼をしてみせた。洗練されており、けれど気取った雰囲気の無い仕草。店主がそう感じたのはきっと彼女の浮かべている表情が理由だろう。

 柔らかで自然な笑顔。陶器めいた作りものでない笑顔。店主へと本日初めて向けられる表情。少しは距離を縮められたようだと店主は内心で安堵した。

 少しだけ打ち解けた二人はチョコレートを幸せそうに頬張るルーミアを後に、さらに先へと歩を進める。

 侍女の歩む速さは少しだけ緩んでいた。

 

 

 

 

 森の中を侍女と会話をしながら店主は進む。長い長い森を抜けると二人の視界が開ける。

 薄暗い森の中でも木々の合間から見えていた光を受け煌めく湖面。それが森を抜けた両者の視界に広がった。大きな湖は風に煽られ、海のように岸へと波が打ち寄せている。

 湖の上には白い霧がかかっており、霧を通った光がベールのように幾筋も降り注ぐ。

 夕焼けにより色付けされた世界が広がりをみせる。幻想的なその光景に店主は思わず息を飲み、足を止めた。

 空が、湖が、霧が視界の全てが茜色に染まった世界。無意識に感嘆の吐息が漏れ出た。

 

(これが霧の湖か、まさに幻想的というのだろうな。そして霧の湖ならチルノと大ちゃんはこの辺りに居るのかな?)

 

「珈琲の君? もう間もなくで到着となります」

 

 侍女が目の前の景色に心奪われている店主へと声をかけた。店主もかけられた声にハッとして、意識を目の前の光景から侍女へと戻す。視線の先では侍女が少しだけ困ったように苦笑していた。

 

「あぁ、すみません。あまりの美しさについ心を奪われてしまいました」

「構いませんよ。確かにこうやって改めて見てみますと綺麗ですね」

「えぇ、とても幻想的で……もし声をかけていただけなかったらずっと眺めてしまっていたかもしれません」

「水を差してしまい申し訳ありません」

「いえ、そんなことはありませんよ。それに我々には行く所が有りますからね。また案内をお願いしても、紅茶の御嬢さん?」

「ふふふ。それでは参りましょうか。我が主の居城、紅魔館まであと少しでございます。見失わないよう着いて来てくださいね?」

「畏まりました」

 

 侍女はそう言うとまた歩を進めた。店主も置いて行かれないように後を付いてゆく。

 湖を横目で見ながら歩いていると視界の中に小さな点を店主は見つけた。ジッと目を凝らしてみればその点が徐々に大きさを増していく。

 

「紅茶の御嬢さん」

「はい? どうかさ──」

「あんた達っ、こんなところで何しているのよ!?」

「あぁ、今日も元気だね、チルノ」

 

 近づいてきた点、氷の妖精であるチルノの事を教えようと声を侍女へとかけた。けれども侍女の返答を遮って、チルノが近づき声をあげる。水色の髪に、同色のワンピース、そして氷で形作られた翼が夕焼けを反射し煌めく。

 チルノが店主の声に反応して目を大きく見開く。

 

「あっ、あんたはバリバリのおっさん!!」

「バリスタだよ、チルノ」

「ふふん、そんなことは知っているわ」

 

 胸を張り堂々と言い切るチルノに店主から思わず苦笑が漏れる。

 

(全くこの子は覚えないなぁ)

 

 けれどもこれこそが妖精らしさかもしれないと思い直して笑みの種類を変えた。

 さて、とついでに思考も切り替えて店主はチルノに意識を戻す。

 

「それでどうしたんだい、チルノ?」

「ん、そうよそれよ。あんた達アタイの縄張りで何をしているのよ?」

「そうなのかい? それはごめんね、チルノ」

「謝って住むなら警戒はいらないのよ」

「それを言うなら警官かな?」

 

 店主は視界の端に見える侍女の雰囲気が剣呑になり始めている事に気が付く。思いのほか気が短いのか、間もなくと言っていたことから近隣である為に直接の面識があるのかもしれない。

 その気の短い姿に店主はどこかの巫女を思い出して少しだけ可笑しさを感じた。けれどもまずは彼女を諌めないといけないと行動に移す。

 店主が侍女へ向けて軽く微笑んで手を振ってみせた。店主の仕草に気が付いた侍女が、ハッとして一度びくりと身体を跳ねさせる。

 瞳を瞬かせ不思議そうな様子を見せる侍女から剣呑な気配が霧散した。

 店主は瞳をぱちくりとさせる侍女の姿に安堵した。何だかんだと便利な能力だと実感させられる。

 一先ず緊急性の高い問題は解決した。次は目の前の問題──チルノの事──をどうにかしなければと考えを巡らせる。

 

「君の住いの近くに無断できてごめんね」

「そうよ。無断で入るなんてじょーしきがないわね、バリバリは」

「その通りだね。お詫びといってはなんだけれど、今度また氷を作りに来てくれた時にはとっておきのお菓子を用意しておくよ。それで許してもらえるかな、チルノ?」

「ふ、ふうん? ま、まあそれなら仕方ないって許してあげるわ。今回はバリバリに免じて許してあげるわね」

 

 店主の選択は物での懐柔。素直なチルノの反応に感謝を懐きながらお礼を述べようと口を開く。

 

「ありがとう、チルノ」

「じゃあ、私は大ちゃんとの約束があるからもう行くね」

「あぁ、今度は大ちゃんと一緒においで。歓迎するよ」

「ふっふーん、なら首を洗って待ってなさいよ、バリバリ!!」

「首を長くしてって……あぁ、行っちゃったか」

「扱うのが上手なんですね」

「素直なだけですよ」

「あれは頭が悪いと言うのですよ」

「それがまた妖精の魅力でしょう?」

「妖精の魅力……面白い考え方ですね」

「そうですか?」

「えぇ、面白いですよ。貴方は妖怪とも妖精とも友達になれるのですね」

 

 クスリと小さく笑いながら侍女は笑みを浮かべた。店主は少しだけ照れくさそうに頬を掻く。

 わかりやすい店主の反応に、侍女は笑みを深める。笑われてしまっている店主は、やれやれと肩を竦めて本筋に戻ろうとする。

 

「さぁ、あと少しみたいですね。案内をお願いいたします」

「畏まりました。それではどうぞ私にお任せくださいませ」

 

 侍女は少しだけ気取った声で、先ほどの氷精のように胸を張って見せた。剽軽な彼女の態度に店主がクスリと笑い、侍女もつられてまたクスリと笑みを零した。

 夕日が徐々に沈んでいき夜が、闇が、少しずつ広がりをみせる。薄暗い空の下、二人はふざけ合う友人同士のように朗らかな空間をつくっていた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。