いつものように張り紙一つ
『友達のところに行ってきます』
涼介は昨晩の積雪で白銀の世界となった道を進み紅魔館へとたどり着く。初めてこの館を訪れてから季節は巡り、冬がやってきた。寒い寒いと手を擦りながら涼介はハルと一緒に道を歩む。
「あぁ、やっと到着だ」
門前ではいつものごとく美鈴が、体を動かし鍛錬をしていた。寒いのによくやるなぁ、と涼介は思う。しかし、門番としてずっと外にいるなら動いて体を温めているのかもしれないとも思い直す。
「やぁ、美鈴。精が出るね」
「こんにちわ。珈琲屋さんも熱心ですね」
多分太極拳か何かだと思われる動きを止めた美鈴が涼介に向かって手を振ってくる。
「寒い中お疲れ様。元気そうで安心するよ。他のみんなも変わりないかい?」
「えぇ、お嬢様と妹様は時折お店にも行かれていると思いますが元気ですよ。小悪魔もパチュリー様もお変わりない様です。時折現れる黒白も元気いっぱいですね」
美鈴はそういうとクスクスと笑みをこぼす。本当にいい顔で笑うなぁ、としみじみと思いながらも涼介は会話で出た気になるワードに触れる。
「魔理沙も元気にやっているみたいで何よりだね」
「はい、私は弾幕ごっこの練習が出来ますし、妹様も遊べて喜んでいます。でも一番はパチュリー様にとっても定期的な運動になってよろしいかと」
そういう美鈴の顔はどこかいたずらを企む子供の様な雰囲気がする。
「さすがは悪魔の館。悪戯好きが多そうだ」
「えぇ、ここは悪魔の支配する紅魔館ですからね。でも、読み終わった本は返却日を忘れずに返しに来て欲しいですね」
「はは、なるほど。じゃあ私の方でもそれについては言っておくよ」
「助かります、そうでないと私が返却の催促に行く羽目になりますからね」
なるほど、ちゃっかりしている、と内心でつぶやく。
「そういえば、先ほどの元気かどうかの話で咲夜さんの名前が出てこなかったのだけれど何かあるのかい?」
美鈴は先ほどの会話の時、わざと咲夜の名前を出していなかったけれど何かあるのだろうかと涼介は首をひねる。咲夜は涼介にとって一番頻繁に出会う紅魔館の住人だ。買い物帰りや吸血鬼姉妹の付き添いなどでよく出会うのだ。
「そうそう、聞いてくださいよ。昨日の私が門番を終えて寝ようとしていた時の話なのですがね。咲夜さん、もう寝る前だというのに」
「美鈴、お客様を寒空の下で長話に付き合わせるのは褒められたこととは言えないわよ」
美鈴の話を遮る様に、話題の当人の声がする。
「こんにちは紅茶のお嬢さん。お邪魔しているよ」
「当館へようこそ、珈琲の君」
「やぁ、咲夜さん。遊びに来たよ」
「お待ちしておりました、涼介さん」
いつも通り恒例のやり取りの後、咲夜へと挨拶をする。メイド服姿の咲夜が雪の積もる白銀の世界に立っているととても寒そうに見えてしまう。特にスカートは丈が短いために、見えている足は特に寒そうだと涼介は視線を向ける。
「涼介さん?」
「いや、寒そうだなと思いまして。長めのスカートかズボンなどにはされないのですか?」
「いえ、ご心配には及びません。パチュリー様のおかげで寒さ対策は施されております」
なるほど、魔法の品かと涼介は感心する様に呟く。いや、それ長くするのではダメだったのだろうか、とすぐさま頭で考えるがそれが言葉になることはない。ダメだったのだろうな、と良い性格をしている咲夜の主人を思い出す。
「そういえば美鈴、さっきの話なのだけど結局オチはなんなんだい?」
先ほどから一言も話さない美鈴を訝しみつつ話を向ける。
「あーいやー、オチのない話なのでお気になさらずに。風邪をひいたら大変ですから、ささ、お早く中へ」
なるほど、咲夜には聞かれると怒られる様な話かと想像が涼介の脳内をめぐる。興味がないとは言わないが進んで虎の尾を踏みたいとも思わないからここはおとなしく中へと入ろうと涼介はすぐさま判断を下す。
「そうかい。なら入れてもらおうかな。ハルはどうする?」
涼介がそう聞くとハルは門の脇でうつ伏せになる。ここで待っているという意思表示のようだ。
「了解。先に帰るなり、他の場所で遊んでいてもいいからね」
涼介がそう声をかけるとハルは尻尾を二回パタパタと振った後にわぅ、と一度鳴いて答える。
「涼介さん、扉の先に小悪魔がいるので彼女に案内してもらってください。私もひと段落つきましたら向かいます」
「お忙しいタイミングにすみません」
「いつでもあまり変わりがありませんよ。妖精メイドがもう少ししっかりしてくれれば」
そう頬に手を添えながら悩ましげに言う咲夜に対し、妖精メイドの勤務実態が如実に思い浮かべられ涼介の顔に苦笑いが出る。
「ゆっくり待たせていただきますので、ご無理をなさらないでくださいね」
働き者の咲夜にそう声をかけると扉に向かって足を踏み出す。
涼介が、扉の中へと消えていくのを見届け、咲夜は美鈴へと向きなおる。
「美鈴、何を言おうとしていたの?」
言葉の語気を少し強めて問い詰める。
「もー、怒らないでくださいよー、咲夜さーん。珈琲屋さんに咲夜さんの可愛い話をしようとしていただけじゃないですかー」
まったく悪びれた様子のない美鈴の姿に頭痛を覚える。確かに昨日寝る前の美鈴を捕まえて、涼介から前回教わった珈琲の淹れ方の復習をする練習台にしたのは自分が悪いと咲夜は昨日の自分の行動を反省する。けれど、とも思う。だからと言ってその仕返しとして涼介にそのことを告げ口するのはいくらなんでもズルいと思うのは自分の我が儘だろうかと咲夜は頭を悩ませる。それにしても、目の前でニヤニヤと笑う美鈴に腹がたつと咲夜の眉間にしわが寄る。
「もう、何がそんなに楽しいのよ」
「あの小さかったさくやちゃんにも、春が来たんだなぁと思うと考え深くて」
その言葉で合点がいった。つまり、そういう視点で見ているのかと咲夜の脳内で美鈴の行動に合点が行った。つまるところ美鈴は自分で楽しみながらも咲夜の事を涼介に売り込もうとしているのだろうとあたりをつける。咲夜は微かな頭痛を覚える。
「涼介さんとはそういうのではないわよ。ただの友人よ。変に邪推しないでちょうだい」
しかし、どこ吹く風とでもいうのか、咲夜の言葉をちゃんと聞いているのかさえ怪しい美鈴のニヤニヤは止まらない。
「別に今すぐどうこうって話じゃないですよ?強いて言うなら、年頃の咲夜ちゃんに年頃の異性の友達が出来たというだけで私としては大満足です」
何なのだろう、この妙な手強さというか、やりづらさはと咲夜は美鈴の雰囲気に怯む。この流れでは勝てそうにないきがする、と直感的に感じる。
「そういう美鈴はどうなのよ。涼介さんとは話がはずむみたいだし。涼介さんに限らずとも過去にそういう人とか居たりしなかったの?」
「いやー、昔は鍛錬一辺倒でそんな人いなかったですね。涼介さんが妖怪だったら良いなーとは思いますね」
咲夜はその答えに少し驚く。
「あら、そうなの?」
「ほら、涼介さんっていつも穏やかで一緒にいると安心感あるじゃないですか。それにお仕事の後とかに、珈琲とかを用意してまっていてくれそうじゃないですか」
確かにその場面は容易に想像できると同意する様に咲夜はうなずく。
「例えばほら、涼介さんなら執事長とかで雇ってもらえそうですし、そうなったらお互いの仕事終わりに、私が中国茶を、涼介さんが珈琲をお互いに入れるんです。それでその日あったこととか何気ない話をするのとか幸せそうじゃないですか?それで妖怪だったら長い時間を一緒に過ごせますし、惹かれたかもしれないなーとは思いますね」
――確かにその光景はきっと幸せな時間になるのだろう。私がメイド長で彼が執事……何を、自分で置き換えているのかしら
想像したことを追い出すために咲夜は軽く頭を振る。
「あっ、想像しちゃいましたか?」
「美鈴、怒るわよ」
「ふふふ、じゃあたとえ話をしましょう」
「例え話?」
唐突に切り出す美鈴に咲夜は首をかしげる。
「身近なもので例えるならば紅茶みたいなものですよ」
「紅茶?」
要領をえない言葉を重ねられ咲夜の疑問は深まる。
「はい、紅茶です。葉や芽を萎凋させ時間をかけて発酵させた茶葉の種類や量、蒸らす時間で味や香りが変わりますよね。それと同じです」
「同じ?」
ますますわけがわからないと咲夜は首をひねる。
「色々な
そう言って美鈴は笑う。解るような解らないようなそんな面持ちの咲夜の顔に美鈴は苦笑いを浮かべ、言葉を続ける。
「ええっとですね、つまりは今まで通りで良いのですよ。あれやこれや言っちゃいましたけど先の事なんて誰にもわからないのです。咲夜さんが今考えたことが起こるかもしれないし、ずっと友達のままなのも良いのかもしれないし。もしかしたら何かが起きて絶縁してしまうかもしれない。この先どんな事だって起こりうる可能性があるのです。だから、今を積み重ねて、いつか咲夜さんの心に芽生えた
美鈴に色々と言われ、整理がつかなくなっていた頭の中が、今の言葉でストンと落ち着くのを咲夜は感じた。今はまだ、私と彼は友人だ、と咲夜は自分の心に言う。今は、それで良いのだとさらに重ねる。先の事は分からないけど今この時間はそれで良いのだ。そう思うと、咲夜の気持ちが次第に落ち着いてくる。かき乱したのも、落ち着けたのも同じ人物なのでお礼は決して言わないが、とせめてもの反抗にジッと咲夜は美鈴を睨みつける。
「咲夜さん。耳、赤いですよ?」
咄嗟にナイフを投げた自分を責める人はいないだろう、と咲夜は思う。
美鈴と別れ咲夜は一人、大図書館へと向かう道すがら改めて自分と涼介の関係について思いを巡らせる。
――初めはただお嬢様の命令で連れてくるだけの人柱だった
――道中で彼と話していて安心した
――友人と言うのはこういうものだろうかとも考えた
――彼と友人に成れたらと心のどこかで思っていた、と今ならばわかる
――宵闇の妖怪との仲の良い様子にこの人は妖怪と友達になれる変わった人だと微笑ましかった
――妖精を上手にあしらうその姿に、慕われているだろうその姿にこの人は本当にいい人なのだと心が痛んだ
――美鈴の所に着く頃には人柱の運命からどうにかしてこの人を助けられないだろうかと悩んだ
――パチュリー様の所ではどうしてこの人はこんなにも危機感を持たないのだろうと憤慨もした
――お嬢様の目の前でその力に抗う姿が痛々しくて胸が締め付けられた
――地下へと向かう道すがら彼はすべてを悟ったうえで、妹様を救おうと頑張らないと、と呟いた
――その一言がひどく私の心を強く揺さぶった
――なぜ自分を大事にしないで、見知らぬ誰かの為に死地へと向かおうとするのか理解できなかった
――耐え切れず爆発した私に彼は突き放す様に私の言葉を全て否定した
――彼は一度も私を責めなかった、それが逆に酷くつらかった
――彼が一度でも助けて欲しい、逃げたいと言えば私は逃がしたかもしれない
――代わりに妹様が暴れられることがあれば私が発散させるとそう思ったのに
――背後で扉のしまる音がしたとき絶望した、私が彼を今殺したのだと自分を責めた
――パチュリー様にダメだったと伝えられたとき、もう希望がない事が心を苛んだ
――お嬢様が異変を起こしてからはそれに集中することで胸の痛みを忘れようとした
――自らが完全であれば彼の死にも意味が生まれると自分に言い聞かせた
――霊夢に負けた時、自らにたてた誓いが破られそれを支えにしていた私は立ち上がることが出来なくなった
――通りがかったパチュリー様に堰き止められなくなった思いを溢れ出るままにぶつけた
――そして私は……再び彼に出会った
――妹様を背中に貼り付け、別れた時と変わらないその姿に心の棘が抜ける思いだった
――蹲る私に近づき手を握ってくれた彼の温もりが、彼の声がどん底にいた私を引き上げてくれた
――そしてそれからも色々あった、妹様は自由になり紅魔館は幻想郷の一員となった
――彼はいつも桃源亭で穏やかに笑って私を迎えてくれた
――そして今だって
大図書館へとたどり着く。フランドールを背中に貼り付けた涼介がパチュリーや小悪魔と談笑している。何て事のない日常であり、少し前では考えられなかった光景。確かに先の事は分からない、と咲夜は美鈴の言葉を思い出す。
――でも、いつかは……
先ほどの想像が再び頭をよぎる。
――私がメイド長で彼が執事長。私がお嬢様付きで、彼が妹様付きで。仕事終わり、二人でお互いに飲み物を入れ、ただ何気ない談笑をする。そんな光景がいつかあるのだろうか。
そんな事を咲夜が考えていると不意に声が聞こえる。
「咲夜さん?そんなところでどうしたのですか?」
涼介の声だ。考え事をしていた咲夜の頭に視覚の情報が入ってくる。フランドールが手を振って、その勢いで涼介の体が揺れている。パチュリーはそんな二人を苦笑いしながら見守って、小悪魔が咲夜に座るようにと椅子を引いて待っている。
――あぁ、私は今とても幸せだ
「咲夜さん、耳が赤いですけれどやっぱり寒かったんじゃないのですか?」
その言葉に時間を止めて逃げ出した事を誰が責められようか、と咲夜は一人止まった時の中で自己弁論をする。
そのままその日の紅茶・珈琲講座はそのまま流れてしまう。フランドールはその時間も遊んでもらえたと大変お喜びであったという。
後日、涼介から咲夜へ宛てて、白い毛糸生地で出来たイヤーマフラーが送られてきた。
――彼はこういうところがマメで困る