東方供杯録   作:落着

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秋と冬の境界に供する一六杯目

 秋も終わりに近づきそろそろ冬になろうというそんな境目の時期にあるいつかの夜。涼介は桃源亭の扉口で本日最後のお客を見送る。

 

「レミリアさん、お気をつけてお帰り下さい。咲夜さんも気を付けてくださいね」

「涼介さんも戸締りはしっかりするのですよ」

「はい、今日はもうこれで看板ですからね。この後は施錠をして寝るだけですよ」

 

 最近試験的に始めている夜間営業。そのきっかけとなるお客様。吸血鬼であり涼介の友人となるレミリアである。従者である咲夜を伴い訪れていた。妹であるフランは、本日図書館を訪れたらしい魔理沙と弾幕ごっこをしているらしい。元気そうで何よりだと思う。

 

「ふむ、涼介」

「なんでしょうか、レミリアさん」

「まだ決心はつかんか?」

「前も断ったじゃないですか、その話は」

「何の話でしょうか、お嬢様?」

「何、ちょっとした勧誘さ」

「はぁ、そうですか?」

 

 涼介は以前からレミリアに紅魔館で働かないかと勧誘されている。むろん、そこまで本格的な勧誘ではなく、時折思い出したかのように話をされる程度であり、レミリア本人の気まぐれな部分もあるのだろうと涼介は思っている。咲夜は何の話か分からないと首をかしげているが、質問に対し明確な答えがない時点で従者として深く追求することはしない。

 

「まぁ、構わないさ」

「恐れ入ります」

「そう畏まるな。そうだな、代わりに今度また遊びに来い、フランも喜ぶ」

「それでしたら是非」

「お前が中々来ないと文句を言っていたよ。もう少し頻度を増やせ」

「いやぁ、歩きだと中々遠くて頻繁にとはいきませんよ」

 

 異変以後も涼介は紅魔館に遊びに足を運ぶことがある。動かない大図書館と魔理沙に評されるパチュリーなどは会いにいかないと顔を合わせる機会が中々訪れない。咲夜との技術交換という茶会もまた訪れるときの楽しみだ。しかし、如何せん歩きでは日帰りは不可能であるためそう多くは行けないというのが現状だ。

 

「なるほど、それなら咲夜を遣わそう。抱えてもらえばいい」

「お、お嬢様……」

 

 レミリアがそう意地悪く笑う。隣の咲夜が耳の先を少し赤らめ狼狽える。

 

「それは情けなさすぎますって。それに天狗に見られたらと考えると想像するのも怖いので、せっかくですが遠慮させていただきます」

「そうか、残念だな。咲夜」

「い、いえ、そのようなことは。それに彼も歩いたほうが健康にいいかと!」

 

 話を向けられた咲夜が混乱からか、解るような、解らないような理屈を呈する。レミリアは楽しそうに自身の従者の様子を見て笑いを漏らす。

 

「あまり苛めてはだめですよ、レミリアさん」

「なに、可愛がりさ。さて、そろそろ帰るとするよ」

「またのおこしをお待ちしております」

 

 そういって涼介は頭を下げる。レミリアと咲夜はそれに応えると夜の空へと消えていく。今日は看板だと、涼介は外に出している桃源亭と書かれている衝立を店の中にしまおうと持ち上げ運ぶ。カランカランと鈴が鳴り、扉の中へと衝立をしまう。今日もつかれたと衝立を置いた後、伸びをしていると不意に店内から声がかかる。

 

「あら、今日はもう看板なのかしら?」

 

 唐突にかけられた声にドキリとするが、聞き覚えの声に安堵する。

 

(ゆかり)さん、いらしていたのですね」

「驚いてくれないなんて悲しいわ」

 

 紫と呼ばれた少女はむらさき色のドレスの様な服を来て、金髪のロングを先でいくつかリボンで束に結んでいる。カウンターの一席に腰かけこちらに体を向けている。悲しいわと言い、自前の扇子で顔を隠すとしくしくと口で言いながら泣きまねをする。

 

「いつも驚いていますよ。どうやって音もなく現れるんですか?」

「内緒よ」

 

 泣き真似をやめクスリと笑みをこぼす。

 

「秘密が相変わらず多いですね」

「秘密は女を美しくするのよ」

「それ以上美しくなってどうする気なんですかね、怖いなぁ」

「あら、口がうまいわね。新聞に書いてあった通りだわ。同伴者もつれてくるべきだったかしら」

 

 その発言に涼介は顔しかめ、紫の笑みが深まる。当分この話題は知りあいにからかわれそうだと先行きに不安を感じる。そして、同伴者と聞きふと思いつく。

 

「藍さんは、今日はいらしてないのですね」

 

 涼介の呟きに残念そうな響きが含まれる。

 

「私という者がいながら他の女の話?ゆかりん悲しいわ」

「もう、解っているくせに紫さん。藍さんは能力の使い方や他にも色々とお世話になっていますからね。師匠の様に思って感謝しているんですよ。まぁ、藍さんからしたらこんな不出来な弟子では認めてもらえなさそうですけどね」

「もう、冗談が通じないわね。藍は今仕事中よ。それにあの子もなんだかんだ言ってあなたの事を気に入っているわよ。厳しいのは愛情の裏返しね」

 

 少しだけ不満そうに頬を膨らませながらも紫は涼介に伝える。その言葉に涼介は温かい気持ちになる。

 

「そういってもらえるとうれしいですね。それにまだ藍さんにも紫さんにも恩返しできていないですからね。こういう時にでも少しずつでも返していきたいので機会があれば次は是非ご一緒に」

「あら、恩返しだなんて気にしなくていいわ。こちらにも目的があってあなたを呼んだのですもの。その時にしっかりと働いてくださればそれでいいわ」

 

 笑みを浮かべ紫は応える。その表情にゾクリとするものが背筋を走る。しかし、涼介はそれに笑顔で応える。これだけの物を、たくさんの物を、居場所(幻想郷)を、そして失ってしまった物を取り戻してもらったのだ、いくらでも利用されても構わないと考えている。

 

「はい、その時は是非働させていただきますよ」

 

 だから、偽りのない笑顔で応じる。

 

「いい子ね。貴方のそういう所好きよ」

「はは、ありがとうございます。そうですね、それまでは死なない様に頑張らないといけないですね」

「そうね、がんばってね」

 

 クスクスと笑い声を漏らし機嫌のよさそうな紫を見ながら、涼介はカウンターの中に入る。

 

「さぁ、お客様ご注文はなににいたしましょうか?」

「そうね、店主さんのおススメで」

「かしこまりました」

 

 さて、何を出したものかと涼介は頭をひねる。そんな涼介を微笑ましげに見つめながら紫は供される一杯をおとなしく待つ。

 

 

 

 

 二人きりの時間が流れる。ハルももう二階で眠っている。静かに、それでいてぽつぽつと会話は途切れることなく続く。杯が乾けば新しい一杯を差し出し、空いた杯を片付ける。

 

「そういえば涼介、悪魔の妹を落ち着けたみたいね」

「……どこでそれを?」

 

 提供されたアイリッシュコーヒーや、ラム・カフェ・オ・レ、珈琲モヒートなど、酒精を含む品々を重ねている紫が不意にそれを話題に出す。詳細は、当事者と魔女だけ、暴れていていたのが落ち着いたのを知っているのは他の紅魔館の面々だけのはずだ。自分の行動が逐一監視されているのかと涼介はわずかに警戒する。恩人に利用されることは厭わないが生活を監視されるのは勘弁願いたいのだ。

 

「怖いの?」

 

 それを察しているのか紫は答えずに笑う。

 

「プライベートは欲しいですね」

「ふふ、相変わらず怖がらないのね」

「……そうですね」

 

 涼介の顔に苦々しい表情が刻まれる。紫はそれに満足したのか口を開く。

 

「別に監視なんてしてないわよ。でも、そうねぇ、十年前にあの悪魔の妹を見たことがあるのよ」

 

 十年前というと以前話していた吸血鬼異変の事だろう。涼介は詳細を聞いたことはないがその時にフランにあったと紫は言う。

 

「それで、貴方が紅魔館で何かをしていた後すっかり落ち着いた様子だったからね。貴方だと思ったのよ」

 

 紫はそう言い笑うといつの間にか持っていた新聞をカウンターの上に置く。たびたび目にする異変について書かれた文々。新聞である。しかもご丁寧に異変について書かれたものと涼介の行いについて脚色されて書かれた妹紅の所で見たものと同じ物の二部ある。顔をしかめる涼介を紫は楽しげに見つめる。

 

「どうして、みんなそれをわざわざ私に見せるのだろうね」

「きっと貴方のそのかわいい顔を見たいのよ」

「勘弁してくださいよ。これは没収しますね」

「あら、横暴だわ。酷いお店」

 

 口ではそういうが阻止しようと手を伸ばしもしないので涼介はそれをカウンターの内側にある、引き出しの中へと一先ずしまう。

 

「まぁ、そういうことでしたら納得ですね。すみません、変に勘ぐってしまって」

「構わないわよ。でも、仮に私が貴方の事を監視していたとしても貴方にとやかく言われる事では無いわよね」

 

 少し不穏な気配を感じ、視線を手元から紫に戻す。

 

「ねぇ、そうでしょう。涼介?」

 

 頬杖をつきながら涼介を見る紫の瞳は胡乱な光を宿している。その瞳に涼介は気圧される。過去に出会った、幽香やレミリア、文の様に妖力を振りまいている訳ではない。むしろ、そんなものは全く感じない。恐ろしいほどに静かだ。その瞳を覗き込んでいるとどこまでも自分が堕ちていくような錯覚に陥る。無意識に息が止まる。喉が渇き、喉が張り付く感じがする。潤いを求めるためか、喉が無意識に口内の唾を嚥下するためコクリと喉が鳴る。体はピクリとも指先一つ動かない。初めて紫と会った時のことを思い出す。突如部屋に現れた彼女相手に、今と同じように何も反応が出来なかった。時間が止まったかのように静止した二人に対し、時間の流れを教えるように、室内の灯りとしておいてある行燈の灯りが妖しく揺れて陰を作る。そして、唐突に紫が均衡を崩す。瞬きを一度して醸し出す空気を霧散させる。

 

「ふふふ、冗談よ。ごめんなさいね、からかってしまって」

「あ……そ……」

 

 先ほどの後遺症なのか、喉が異様に渇き、口がひきつる。言葉を出そうするがうまく形にならない。能力を意識し、体の強張りを抑える。意識を切り替えるために一度深呼吸をする。

 

「すぅ……はぁ……別にかまいませんよ。でも、あんまりからかわないでくださいよ。心臓が止まっちゃいます」

 

 気を紛らわせるためかわざと明るく冗談めかして言う。それにノる様に紫がクスクスと笑いを漏らす。

 

「それも面白いわね。一度止めてみようかしら?」

「一度止まったらそれでおしまいですよ」

「そうかしら?それは分からないわよ」

「私はただの人間です。一度止まって死んでしまえばそこで終わりなのですよ」

 

 少しだけ呆れた声色で涼介が言ってみせる。

 

「じゃあ、賭けてみましょうか。私はきっと大丈夫に賭けるわね」

「それで賭けたら今ここで試してみましょうとか言わないでくださいよ」

「いやね、私はそんな野蛮ことはしないわよ」

「まったく、怖いなぁ」

「実感がこもってないわよ、もう」

 

 どちらからともなく笑い声が漏れる。

 

「涼介、そろそろお暇をするわ。最後に一杯よく眠れそうな温かい物をお願いするわ」

「散々カフェインを取っているのですから難しいですね」

「努力は必要よ」

 

 そういって嘯いて見せる紫にため息が零れる。ホットココアでも入れようと無難な選択をして涼介は準備に取り掛かる。ミルクを温め、ココアパウダーを取り出す。温まったミルクのパウダーを溶かし、それを紫の前に出そうとした時、紫から声がかかる。

 

「涼介その後ろにあるそれを取ってくれるかしら」

 

 顔をココアの入ったカップから上げ紫を見れば涼介の後ろを指さしている。何を取ればと訝しみながらも涼介は振り返る。

 

「紫さん、どれを取ればいいんですか?」

 

 紫からの返事はない。

 

「紫さん?」

 

 疑問に思い振り返る。しかし、そこに紫はいない。空になった杯と、まだ出されていない湯気の立っているホットココアだけがある。まるで狐に化かされたかのようにそこには紫だけが抜け落ちている。あっけにとられて涼介が固まっているとカランカランと鈴が鳴り、誰かが入ってくる。

 

「灯りがついていたのでまだいるのは分かっていましたが、こんな時間まで一人で何をされていたのですか?」

 

 入ってきたのは咲夜であった。

 

「あれ、咲夜さんどうしたのですか?」

「お嬢様の日傘を忘れてしまいまして、まだ起きられているようでしたら持ち帰ろうかと望み薄だとは思っていたのですが一応確認だけしに来ました。それより、どうされたのかは涼介さんですよ?別れてからだいぶ時間がたっていますが、まだお片付けが終わっていないのですか?」

 

 そう冗談めかして咲夜は楽しげに笑う。そして、店内を見渡してある一点で視線を止めおや、と首をかしげる。

 

「空のカップが出ていますが誰かいらしていたのですか?」

 

 涼介の立つカウンターの前の席に置いてある空の杯に視線をやり問い掛ける。

 

「先ほどまで私がそこで座って飲んでいたんですよ」

 

 涼介はとっさに嘘をつく。別に隠すことではないのに何故かそうしていた自分に驚きつつも涼介は表情を取り繕う。

 

「はぁ、そうですか」

 

 咲夜は席に近づき、訝しげながら納得を示す。席はまだ温かく、先ほどまで誰かが座っていたことを示している。そして、自分が店まで飛んでくる間に空では誰も見ていない。だからこそ、咲夜は涼介を疑わない。釈然としない物を感じながらではあるが。

 

「それでしたら、そのココアは最後の一杯ということですか?」

 

 咲夜に言われココアの存在を思い出す。自分で飲みたい気分ではないなと涼介は思う。

 

「そのつもりだったのですが、思いのほか飲みすぎたみたいでもう飲めないなと考えていた所で咲夜さんが来たのですよ。これも何かの思し召しかもしれません、良ければどうですか?寒空の中飛んできたのでしょう、温まりますよ」

 

 涼介はそういうとカップを咲夜に差し出す。奇しくも先ほどまで紫が座っていた席に。

 

「そういうことならご厚意に甘えようかしら」

 

 咲夜はそう応えると、その席に座る。その時珈琲の香りに混ざり他のいい香りがした気がするがそれはすぐに消えてしまい気のせいかと咲夜に思わせる。

 

「貴方の淹れる物で珈琲以外の飲み物と言うのは紅茶を除けば考えてみると初めてですね」

 

 咲夜は、少し時間がたったとはいえまだまだ温かいココアをゆっくりと飲む。

 

「そうですね。そういえば珈琲と紅茶以外は初めてですね。これからは色々な物をお淹れ致しますよ」

「ふふふ、それはそれは。楽しみが増えますね」

「手始めに今度遊びに行くときに何か持っていきますよ、紅茶の御嬢さん」

「心よりお待ちしております、珈琲の君」

 

 そして二人して顔を見合わせ笑いあう。一杯のココアの杯が乾くまでの僅かな時間、二人の会話が途切れることはなかった。

 その後、咲夜は忘れ物の日傘をもって帰っていった。どうやら、明日と言うかもう今日と言える時刻であるが、日中に活動するため早めに回収したかったようだ。きっと博麗神社に行くのだろうと涼介は思う。今度こそカップも洗い終わり、棚に戻し片付けが終了する。店内に客の姿は見えない。今日の営業は本当にここまでと、心の中で一つ呟く。

 

「あぁ、そういえば」

 

 紫から没収した新聞の存在を思い出す。引き出しに入れておくのも邪魔になるから二階に持っていこうと思い引き出しを開ける。

 

「なんだこれ」

 

 そこにはしまったはずの新聞は見当たらず、書置きが入っている。

 

――新聞は回収していくわね。まだ、藍に読ませていないから持っていくわ。

――あと、貴方に働いてもらう時は意外と早く訪れそうよ。待っていて頂戴ね。

――追伸:ココアは後からくるお客さんにあげてしまって構わないわよ。

――貴方の紫より親愛を込めて

 

 綺麗な文字で書かれた書置きが入っていた。涼介は頭痛を覚える。そして、書置きの内容が正しければあの新聞が藍にも読まれる、その事実が涼介の心を重くする。

 

「あぁ、碌なことがない」

 

 涼介のその疲労に満ちた愚痴は誰に届くこともなく店内の静寂に飲まれる。秋と冬の境目のそんなある日の夜の一幕。


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