東方供杯録   作:落着

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太陽の畑の特別なお客様に供する一三杯目

「またのご来店お待ちしております」

 カランカランと鈴が鳴り、来店していたお客様が帰っていく。いつものように食器を下げて片付けを行う。磨いた食器を棚に戻した後に、カウンターの内側にストックとしておいてある豆が随分と少なくなっていることに気がつく。

 あぁ、補充をしないとと思いながら店の奥にある倉庫に向かうがどうやら最後の一袋らしい。

「また、仕入れに行かないとなぁ」

 涼介のもらした呟きは誰に聞かれることもなく空気へと溶けていった。

 いつものように張り紙一つ

『豆の補充をしてきます』

 ひまわりが咲き誇る通称、太陽の畑。黄金の絨毯のように広がるひまわりの中に彼女はいた。日傘をさし、赤と白のチェックの柄をした衣装を身に纏う彼女の姿は涼しげに見える。残暑厳しいこの時期に、何故あんなにも涼しげにしていられるのだろう、と涼介は思う。これが妖怪と人との違いなのかなどと益体のない事を考えながら彼女を見つめていると、不意に彼女が涼介に気がついたのかゆっくりと振り返る。

「女性を背後からじっと見つめるのはあまりいい趣味とは言えないわよ」

 どうやら涼介がここで見ていることに気がついていたらしい。まったく恐れ入ると、涼介は舌をまく。

「いやなに、君があまりにも絵になるから声をかけるのをためらってしまってね」

「相変わらずの軽口ね。痛い目に合わないと治らないのかしら」

「三つ子の魂百までだから、どうあっても治らないだろうね」

「あら、それは残念」

 なにが残念なのか分からないと涼介は首をかしげる。幽香はその様を見てクスクスと綺麗な笑みで笑い声を漏らす。

「それでどうしたのかしら?商いの種でも品切れになったの、商人さん?」

「ズバリその通りだよ、幽香。豆が切れてしまってね、また君にお願いしようとえっちらおっちらと尋ねてきたのさ」

「ふうん、この間のわんちゃんはどうしたのかしら?」

「別に君と会うのに危険はないからね。お留守番をお願いしたのさ。それにあの子は変に君を威嚇するみたいだからね」

「あら、私の縁起を読んだことないの?」

「一通り乗っている知り合いは読んださ。まぁ、それも先代の阿礼乙女が書いたもので古い情報らしいからね。それに書かれた内容より私は自分の経験を優先できる程度には賢いつもりだよ」

 涼介がそう答えると幽香はクスクスとまた笑い声を漏らす。機嫌よさげに日傘がクルクルゆったりと回る。

「あなたが賢いのならこの世にバカは存在しないわね」

「これはまた手厳しいな」

 そう言いながら涼介は肩をすくめる。しかし、幽香の言は確かに正しいのだろうとも思う。でなければ、左腕の肉を抉られたり、吸血鬼の館にホイホイついていったりはしないだろう。涼介は自分がどうにも危機感やら、危険に対する嗅覚が鈍いらしい事を自覚している。以前も博麗の巫女でもある彼女に死に急いでいるなどと言われた記憶がある。

「まぁ、いいわ。そうね。三日後に収穫できるようにしておいてあげるわ」

 幽香が予定日を教えてくれる。まったくすごい能力だと涼介はいつも感心させられてしまう。花を操る程度の能力、作物を咲かせたり実らせたりと、農業関係者には喉から手が出るほどの能力だろう。私のそれよりよほど素晴らしい能力であると、涼介は少しだけ視線に羨望の色を滲ませる。

「あぁ、これはすまないね。また手間をかけさせてしまう」

「構わないわよ。その代わり以前と同じようにお願いね」

「うん、了解したよ。えっと水やりの手伝いに、食事の用意、後は今回収穫した豆での一番初めの一杯を」

 涼介がそう言うと幽香はよくできました、とでも言うように笑みを浮かべて頷いてみせる。彼女には世話になりっぱなしだ。だから、精一杯満足してもらえるように努めよう。涼介は心新たに決意をする。

 

 ひまわり達に水を与えながら幽香と涼介は談笑をする。幽香は別段なにをするでもなく涼介の事を見ながらの会話ではあるが。

「そういえば、以前起きた赤い霧の時はここの子達は大丈夫だったのかい?」

 紅霧異変と呼ばれる、以前涼介が咲夜に招待され、滞在中に起きた異変。館に拘束されてしまったからその当時の外の様子は伝聞でしか知らないが里の者達には体調不良者なども出ていたらしい。であるならば、この子達にも影響が出ていてもおかしくないと考える。

「あぁ、あのうっとうしい霧の事ね。別段どうということはなかったわ。でももしも害が出ていたら、タダではおかなかったかもしれないわね」

 涼介は背筋に冷たいものを感じる。霊夢が太陽の畑に影響が出る前に解決してくれて本当に良かったと涼介は心底思う。でなければ、怒った幽香が紅魔館に殴り込みをかけたかもしれない。涼介はぞっとしない想像だ、と出そうになった言葉を口の中で転がす。今度霊夢が来た時は食後の一杯につけるお茶請けは奮発していつもよりいいものを出そうと涼介は決意する。

「それは重畳だな。影響が出てないようでなによりだ」

「あなたは随分と異変の時楽しんでいたみたいね?」

「えーと、それは何のことかな?」

「あの烏の新聞に載っていたわよ?」

 おのれ、あのブン屋と、小さく憎々しげに涼介はつぶやく。余計なことをまた書いたのではないだろうな、というか私も新聞を取っているのにその記事を読んだ記憶がないぞと内心で涼介は狼狽する。意図的に涼介に配らなかったのであろう文に対し涼介の怨嗟は止まらない。

「あー、その、幽香?……その新聞には何て書いてあったんだ?」

「聞きたいかしら?」

 

 幽香が可愛らしく小首を傾げる姿に涼介は寒気を覚える。しかし、涼介は頷きを持って返答をすると幽香はよくできましたというように笑顔で頷くと、表情を冷笑に変え記事の内容を語り出した。

 

 

――いわく、館のメイドに一服盛って屋敷に招待させた

 こちとら飲食店だぞ、何で迷惑な風評を!

――いわく、門番に賄賂を渡し懐柔した

 それは仕事中の美鈴に差し入れをしただけだ!!

――いわく、当主に取り入り当主の妹に近づいた

 違う!あれは利用されたのであって自分で望んだことではない!!!

――いわく、図書館に座す魔女の体を撫で回した

 あの天狗……赦されんぞ…いや、絶対に赦さん……

――いわく、当主の妹を誑かし昼夜にわたって地下室にて二人きりで篭っていた

 ……早く、早く博麗の巫女に退治依頼を出さないと

 涼介が苦虫を潰したような顔を上にあげ目元を手で覆う仕草をすると、案の定幽香は笑い声を溢す。

「まったく、笑えないよ」

「まったく、悪い男ね」

「勘弁してくれ」

「そうやってあっちこっちで女の子を引っ掛けて。あぁ、かわいそうな私」

「そう畳み掛けるようにして虐めないでくれよ。泣いてしまいそうだ」

「あら、それならもう一押しかしら」

「今度から目薬を常備しておかないとな」

「悪い男ね」

 涼介は、これはとても勝てそうにないと敗色濃厚な会話の行き先を察すると、戦略的撤退とでもいうように黙々と作業を行う。返事を返さずに急にてきぱきと作業を始めた涼介を見た幽香はその真意を悟ると、クスクスと楽しげに笑う。その笑い声は涼介が作業を終えるまでついぞ途絶えることはなかった。

 

 

 

 

 風見幽香は思い出す。目の前にいる危機感が薄く何処か壊れている稀有で面白い人間との出会いのときを。

 

 それは去年の初夏頃だった。幽香は咲き始めたひまわりの世話をしながら、太陽の畑を散歩していた。いつものように静かな日になるはずだった。しかし、太陽の畑に侵入者がやってきた事を草花たちが幽香に教える。花を操る程度の能力を持つ幽香には、花の感情を察することもできる。

 

「こんないい日にどこの誰かしら?」

 

 せっかくの心地を邪魔されて、少しだけ苛々とした幽香がその感情を逃がすように口に出す。せっかく咲き始めたばかりなのだ血の匂いが混ざるのはいただけない。だから、穏便に済まそうと侵入者と出会う前にある程度気持ちを落ち着けようとしたためだ。

 

「こっちかしら?」

 

 草花の誘導に従い、ゆっくりと静かに進む。侵入者に近づくにつれ草花たちの感情に安心の感情が浮かんでいるのが分かる。どうやら、太陽の畑を荒らすつもりで来た輩ではなさそうだと幽香は思う。そして、侵入者を視界に捉える。こちらに背を向けた、成人の男性。長めのズボンに半袖のワイシャツという里ではあまり見ない変わった服装ではあるが、霊力も乏しいただの人間のようだ。その男はどこかを目指しているのか手元の紙を見ては、道を探すようにひまわりたちを見渡す。

 

「すぐに会えると言っていたのに全然会えないじゃないか」

 

 男はそう不満を漏らす。その言葉に幽香は自分を探しているのだろうとあたりをつける。太陽の畑で人探しなど自分以外には存在しないだろう、あの男がとてつもない方向音痴でない限り、と。

 それはいいとして、さてどうしたものかと幽香は考える。私に用事がある様子であり、その内容も気になる。しかし、せっかくのいい気分に水を差されてこちらは苛々と、とまで考えたところで幽香ははてと、首をかしげる。

 先ほどまであった苛々とした感情がなくなっている。それどころか、気持ちが安らいでいることに幽香は気がついた。幽香はそれを不思議に思う。長い年月を生きているため、どの程度の事をやれば先ほどの苛々が解消されるかも正確に把握している。

 だからこそ解せないのだ。何もしていないのに気持ちが安らいでいることに、そして気がつく。男の周りの草花も安心しきっていることに。それはもしかすると幽香が近くにいるときと遜色がない程である。ゆえに幽香は、面白いと思う。退屈を紛らわすことができそうなおもちゃを見つけた、とその口元に笑みが浮かぶ。

 

「面白い」

 

 そして、口に出しクスクスと笑いをこぼす。その声に男が気がつき振り返る。聞こえるように声を出したのだからそうではなくてはと幽香は満足気だ。

 

「あ、こんにちは。もしかして風見幽香さんでしょうか?私は白木涼介と申します。本日は風見さんにご相談したいことがありお伺いさせていただいております」

 

 男が涼介と名乗り、幽香に挨拶をする。それはとても丁寧なもので、どこにも幽香に対する恐れがない。そのことがますます幽香を楽しませる。

 

「あら、私をわざわざ訪ねてくるなんて酔狂な人間ね。私の噂を聞いたことがないのかしら?」

 

 いわく、人間友好度最悪。いわく、太陽の畑への侵入者には容赦しない。いわく、他社の苦痛を喜ぶ残虐な妖怪。いわく、いわく、いわく。悪い噂に事欠かない悪名高い妖怪として里では知れているはずだ。

 

「いえ、噂はお聞きしております。ですが、私はここより他に頼るあてがないのです。それならばと、噂は噂と割り切ここに来たしだいです」

「死ぬのは怖くないの?」

 

 あえて威圧して幽香は問いかける。

 

「いいえ、死ぬということはとても恐ろしいです」

 

 そう答える涼介の表情に陰りが見える。誰かの死を痛んでいるような、悲しみの表情だ。涼介は目の前に妖怪()があるのにそんなことを気にもとめずに誰かの死を痛んでいる。こいつは誰かが死ぬことで自分の周りから失われることの方が苦痛なのだろうと幽香は察する。目の前にいるのに恐れられない、それは幽香の妖怪としての誇りを擽る。恐れさせてみたいと、幽香に思わせる。

 

「私は妖怪よ?どんな要件か知らないけど妖怪は人を襲うのよ、怖くないの?」

 

 威圧を、周囲に振りまく妖力を増やす。その圧力に耐えかねてか、涼介が後ずさる。しかし、次の瞬間には元の場所に戻るように足を踏み出し応える。

 

「別にそれは怖くありません。外の世界では人間が人間を襲います。ここではそれが少しだけ変則的なだけです。それに妖怪の中には、特に人型を取るほど優れた知性と力を持つものとは分かり合えると思っています」

「どうしてかしら?」

「言葉が通じ、心があるからです。ならば、分かり合える。それは少しだけ形態が違うだけの同じヒトです。私はそう信じている」

「貴方、何処かおかしいのかしら?」

「そうですね。妖怪に懸想をしたくらいですからね」

「あら、素敵ね。それは叶ったのかしら」

「フラれてしまいました」

「甲斐性なしだったのね」

「その通りです。甲斐性なしのロクデナシでした」

「きっと、その相手は見る目があったのね」

「私に見せる面がなかっただけかも知れませんよ?」

「見る所なしと判断するのもまた見る目の一つよ」

「なるほど、確かにその通りですね。これは私の負けですね」

 

 軽快な会話が続く。いつの間にか幽香は本心から笑っている。涼介にも緊張はない。和やかな雰囲気が二人を取り巻き、威圧で撒かれた妖力はいつの間にか消えている。

「じゃあ、敗者にはなぜここに来たのか洗いざらい話してもらわないとね」

 

 幽香は楽し気に涼介を促す。涼介も笑いながらポケットの中から一粒の種を出しそれに応えようと口を開く。

 

「これは私の未練です」

 

 

 

 

「幽香?おーい、幽香?笑いながらぼーっとしてどうしたんですか?気味がわるいですよ?不気味ですよー幽香さーん」

 

 過去に思いを馳せていた幽香の意識が目の前で手を振る男に今へと呼び戻される。心配気な表情の中に何処か面白がる表情をした涼介が幽香に呼びかけながら手のひらを視線の先で振るっている。

 

「女性に対して気味が悪いだなんて悪いことを言う口ね」

 

 幽香はそう言いながら涼介の両の頬を軽くつねる。幽香にとっては軽くとも涼介にとってはなかなかの苦痛となる。

 

「いひゃいいひゃいいひゃい!ふうははん、ふひとへひゃいはふ!」

「意外とその口が取れた方が見れる顔になるかも知れないわね」

「いあいあいあ、ほんはほふひひひゃはいへふは」

「不気味かどうかは取れてからのお楽しみよ。決め付けはよくないわ」

「ふうははん!ふうははん!!」

 

 抓られている痛みに耐え切れずか、それとも痛みに反応する生理的な涙かは判別がつかないが、瞳を潤ませ涼介は許して欲しいと思いを込めて幽香の名を叫ぶ。そんな情けない顔を見ながら幽香は目薬はいらなかったわねと関係のないことを考える。そして、退屈を潰してくれるこの変わった友人を今度はどう困らせてやろうかと口元をほころばせながら悩み始める。

 

「ふうははーーん!!」

 

 子猫が甘えるさいにカリカリと引っ掻くように ( そんな可愛いものでは断じてないが )三日間にわたり、幽香に虐められつつ涼介は代価を払う。商品たる豆を手に入れたときの涼介の感動はひとしおであったことだろう。あぁ、労働によって得られる対価とはかくも尊いものか、と涙するほどの感動を示す涼介に幽香の視線はどこか呆れ気味であった。涼介は早速、その豆を浅く煎り、自前のミルで砕いていく。シンプルなアメリカンコーヒーを涼介自身と幽香の分を入れて、彼女の分をそっと差し出す。差し出されたカップを幽香がそっと持ち上げ口へと運ぶ。一口、二口と幽香がコーヒーを飲んでゆき、そしてカップのふちがその唇から離れ、口元が小さく綻ぶ。

「うん、良い出来ね。持って行って構わないわよ」

「……ふぅ。この一瞬が一番緊張するね」

 

 そう言葉を漏らすと涼介もコーヒーを口へ運ぶ。

「うん、良い出来だ」

「あら、そんなに緊張するなんて私は怖いかしら?」

「そういう事じゃないさ。君の育ててくれる豆はいつも素晴らしい出来だよ。これでダメなら問題は私の技量さ。それに、何だかんだこの商売が出来ているのも幽香のおかげだからね。最初の一杯をお出しする特別なお客様、とあっては何回やっても緊張するさ」

 涼介がそう言い切ると、幽香は見開いた瞳をパチクリとさせる珍しい表情をしている。涼介の視線に気がつくと、表情はいつも通りに戻ってしまう。

「まったく…怖い、怖い」

 幽香はそう言うとコーヒーをまた口元へと運び、こう漏らす。

「今度はお茶請けに饅頭でも用意してもらおうかしら」

 涼介が首をかしげると、幽香の楽しげな笑い声がひまわり畑へと消えていく。


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