東方供杯録   作:落着

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不思議の国の幻想世界
始まりに供する一杯目


 

「さて、そろそろ帰ろうか。また明日の授業の為の準備をしなくてはいけないからな」

「いつもお越しいただきありがとうございます、上白沢さん」

「なに、ここは落ち着くからね」

「それは嬉しい感想です。それと話し相手をしていただきありがとうございました」

 

 

 蒼交じりの銀の長髪を持つ女性、上白沢慧音は店内へ差し込む陽の傾きから長居したことに気がつくと帰宅の準備に入った。

 丁度よく目の前に置かれているカップも空になったところであったので、店主へ声をかけつつ席を立つ。

 店内で唯一の店員である男性の店主が慧音の言葉に反応した。営業用でない朗らかな笑みを浮かべていることから、二人の関係が比較的に良好なものであることが察せられる。

 話し相手をしてもらったとの店主の言葉に慧音は苦笑した。喫茶店の店主の言葉としてはいささかならずに不安を覚える。流行ってないのではないかと。けれども浮かんだ思考を訂正する。実際は立地の割にそんなことはないと慧音も知っているからだ。

 バリスタ然とした制服に身を包む店主は、慧音を見送ろうとカウンター内からフロアへと出てきた。

 店主が出てきた後に足元を付いてくる獣が目につく。それは白狼の妖獣だった。真っ白な毛並みに清潔感を覚える。

 店主と慧音が出口付近で向かい合う。改めて見ると意外に上背があるのだなと頭一つ分高い店主に慧音はそんな感想を懐いた。

 

「どちらかといえば私が話し相手をしていてもらった側だと思うのだがな」

「いえいえ、上白沢さんのような美人に相手をして貰っているだけで私が相手をして貰っているんですよ」

 

 店主がにこやかに言えば、足元に控える白狼が尾で器用に店主の足を何度も叩く。

 まるで店主の軽口に不満を示しているように鼻までふんと鳴らす始末に慧音は微笑ましいものを見たと表情を崩した。逆に店主は不機嫌そうな白狼の様子に苦笑を浮かべていた。

 慧音が視線を白狼から切り、店主へと戻す。いまだ白狼を眺めている店主の意識をこちらに戻すため、軽いお小言を口にする。

 

「まったく、相変わらず口が上手いな君は。誰彼かまわず口説いているのではないのかな?」

「そんな事無いですよ。ただ思った事を口にしているだけですね」

「はぁ、それが本心から出ていると分かるからこそ、君は性質が悪いな。誰かに刺されるのが一番いい薬になりそうだよ」

 

 慧音の言葉にまた店主が苦笑する。指先で頬を掻きながら、以前も九尾のお狐様から似たような注意を受けたことを思い出す。

 慧音は店主の苦笑を見るとため息を一つ吐き出した。心当たりないし、それに類することに思い当たるのだろうと気がついたのだ。

 どこか呆れた雰囲気を纏い慧音が自身の考えを確かめるために言葉にする。

 

「そのいかにもな顔は、以前にも同じような事を言われているな?」

「はは、さすが寺子屋の先生をしていらっしゃる。隠し事は出来ないみたいですね」

 

 店主が降参だと両手をあげて肩を竦めた。分かりやすい態度にやれやれと頭を振ることで慧音が応える。処置無しだと分かりやすく示す仕草に店主は笑みを浮かべた。お互いに気を使わない気安いやり取りが心地よかった。慧音も同じなのか、浮かべられている表情は店主と同じ穏やかな微笑みだった。

 

「君の隠し事への器用さがまるで寺子屋(うち)へ来る子供と一緒ということだよ」

「なるほど。子供のような純真な心をしている事の証明ですね」

「ああいえばこういう。ふふ、君の口は減らないな」

「喫茶店の店主としては誇るべき長所かなと考えております、お客様」

「あはは、確かに違いない。私もそんな君とおしゃべりをしたくてこの店へと足を運んでいるのは否めないからね」

「それはそれは。そういって頂けると店主冥利に尽きます」

「君も存外逞しいな。元気そうにやれているようで何よりだ。御代はここに置いておくよ」

「ではまたのご来店お待ちしております」

「あぁ、またそのうち顔を見に来るよ」

 

 慧音は代価を机の上へと置くと出口へと向かう。扉をあけると備え付けられた鈴がカランカランと音を鳴らした。少ししてまた鈴が音を鳴らせば慧音の姿が店内から消えた。

 慧音が居なくなると店内から他の客の姿はなくなった。一気にがらんとした誰もいない席がその寂しさを助長している。

 店内を少しだけ店主は見渡すとほうっと一息漏らす。その場でしゃがみ、足元に居る白狼の背を優しく撫でる。

 

「上白沢さんは優しい人だね。私がちゃんと元気でやれているかどうか様子を見に来てくれてさ」

 

 わしわしと少しだけ力強く白狼を撫でれば、気持ちよさそうに喉を鳴らす。

 そして店主の撫でていない方の腕、左腕へと頭をこすり付けた。店主は白狼のその仕草に小さく笑みをこぼす。

 

「大丈夫だよ、もう傷は塞がっているから。君も存外心配性だね」

 

 店主が穏やかな声で白狼へと言い聞かせるように言葉を紡いだ。しかし白狼は店主の物言いが気にいらなかったのか、一度低くのどを鳴らすと踵を返してカウンターの中へ戻っていった。

 機嫌を損ねてしまったなと店主が頭を掻く。気持ちを入れ替えるために一度小さく深呼吸をして店主は立ち上がった。一度だけ軽く伸びをして空になった食器を下げる。

 静かで穏やかな時間が流れる。変化のないのんびりとした何気ない日常。夏の強い日差しが窓枠の障子に遮られて、和らいだ光となって店内へと差し込む。僅かに開けた隙間から時折気持ちの良い風が吹き込んだ。

 

「ああ、平和だねぇ」

 

 白狼が小さく相槌の鳴き声をあげる。両者の声が静かな店内に溶けて消えた。

 しばらくの間、誰も訪れない店内で店主が一人黙々と作業をする。食器や箒をかける音だけが響いている。

 そんな折、扉についた鈴が来客を告げる。店主が音に反応して視線を扉へと向ける。開け放たれた扉には一人の少女がいた。

 光で煌めく銀髪と蒼玉のような深みのある瞳。メイド服を纏う侍女風な女性が店内を伺っていた。侍女は店主の視線に気が付くと、にこりと社交的な笑みを浮かべる。

 侍女の笑みに店主も同じく笑みを返す。来店したお客様へと向ける歓迎の言葉とともに。

 

「いらっしゃいませ、お客様。確か二度目のご来店でございましたね」

「あら? 覚えていらしたのですね」

「えぇ、とても特徴的な服装でらっしゃいますので」

「そうかしら?」

 

 侍女は店主の言葉に不思議そうに首を傾げ、自身の服装を見下ろした。身体を捻りながら余念なく自らの服装を見分するも傾げた首は戻らない。侍女の様子に店主はついつい苦笑してしまう。

 

「珍しいですよ。幻想郷で洋風なお仕着せなど特に」

「なるほど。確かに言われてみるとそうかもしれませんね。いつもこれでしたので考えたこともありませんでした」

 

 侍女は店主の言葉に納得を示し、服の乱れをサッと正す。

 もともとほとんど乱れてもいないが、その仕草は洗練されていて垢抜けた印象を見るものに与えた。あえていうなら瀟洒という言葉がしっくりと来る、そんな人物だった。

 侍女は自らの身だしなみに納得したのか、服から視線を離して店主の目の前のカウンター席へと腰を下ろした。侍女の双眸が店主へと向けられる。

 

「ご注文がお決まりになりましたらお声かけください」

「そうね……今日はとても暑かったから何か冷たいものが飲みたいわ。おススメはあるかしら店主さん?」

「そうですね。それでしたらダッチコーヒーなどは如何でしょうか? 水出ししたもので苦味も少なく、飲みやすいかと思います」

「じゃあそれでお願いするわ。生憎と珈琲は詳しくないのよ」

「そのようですね。普段はよく紅茶を飲まれるのでは?」

「あら、分かるのかしら?」

「えぇ、紅茶の良い香りが貴女からしますので」

「ふふふ、鼻がいいのね」

「これでも以前は外で料理人をしておりましたのでそのためかと」

「なるほどね。嗅覚も味覚も鋭いほうなのね、貴方は」

「はい。数少ない取柄だと思っています」

 

 店主は背後に設置してある冷蔵用の箱──氷の妖精、チルノの特性の氷入り──から昨晩の内に作っておいた水出し珈琲を取り出した。

 フィルターを使い一杯分だけグラスへと注ぎ、砕いた氷を入れて侍女へと供する。

 

「お待たせいたしました、お客様。こちらがダッチコーヒーとなります」

 

 コースターの上に置いたグラスと共に、お茶請けとなる焼き菓子を差し出す。

 侍女はグラスに入った珈琲を少しだけ観察するような目つきで眺めた後に口へと運んだ。グラスを小さく傾け、味わうように少しずつ喉を潤す。

 グラスを口から離した侍女は何かに納得したのか一度頷いてから視線を店主へと戻した。

 

「貴方の淹れた珈琲を飲むとひどく心が落ち着くの。これは何か特別なものでも入っているのかしら?」

 

 問いかけた侍女の口元が蠱惑的に歪む。けれども彼女の目元は口元とは対照的に酷く剣呑であった。

 侍女の様子に店主が理解する。どうやら一服盛っているのだと疑われていることに。流石に何かを盛るような店と思われてしまっては飲食店としてはやっていけない。ゆえに店主は彼女の疑問を解消するための回答を示す。

 

「ああ、なるほど。それでしたら私の能力が原因ですね」

「貴方の能力?」

 

 侍女の纏う剣呑な雰囲気が立ち消える。そして次に純粋な疑問が彼女の顔に浮かんだ。無意識に首を傾げている姿はあどけなさを感じさせ愛らしさを覚える。彼女の身じろぎに連動して空のグラス内の氷がカランと音を立てて壁面にぶつかった。

 

「はい、能力です。私の能力は落とし止める程度の能力です。落ち着ける程度の能力でも構いませんが、結局この辺りは自己申告の側面が強いですからね。私の近くに居たり、私の作った物を飲食したり、話していると心が落ち着くのですよ。高ぶっている気持ち、感情が落ちるようで結果として落ち着く、という事になります」

「ああ、なるほど。そういう能力なのね」

 

 傾げられていた首が戻ったことで侍女が納得したことが見た目からも分かった。店主も理解が得られたことにほっとして胸をなでおろす。

 これでいわれのない噂が立つこともないだろうと店主は安心を得られた。もしそのようなことになったら慧音に言われるお小言が増えるかもしれないと、少し前に別れた友人の顔が思い出される。

 思考を遊ばせる店主の意識を侍女の声が引き戻す。

 

「確かにこのお店の近くへ来るとホッとするような安心した心地を感じたわ。だから以前も一度お邪魔した様な所もあるわね」

「ご理解いただけたようで何よりです」

「えぇ、理解したわ」

「安心いたしました。何かを盛るような店だと思われてしまえば飲食店としてはお終いですからね」

「ふふふ、別に私はそれでも良かったのよ」

「それはどういった意味でしょうか?」

「さあ、どういう意味かしら? 強いて言うのであれば、心を落ち着けるタネを知れれば良かったとここは申しておきましょうか」

「原因がそこまで重要でしたか?」

「ええ、その通り。そして要因は貴方自身だった……ねぇ、店長さん?」

「なんでしょうか、お客様?」

「是非──」

 

 侍女の声に誘うような艶がのる。自らを写し込む蒼玉の瞳からは熱を感じられない。侍女は請い、店主が問う。

 

「──当家へと出張営業をして下さらない?」

 

 本日で一番綺麗な笑顔を作り侍女は囁く。彼女の口元が蠱惑的な線を描いた。

 


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