もしあの英霊がカルデアに召喚されたら   作:ジョキングマン

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真アーチャー(fake)

 

 瞼が重い。

 

 ふくれあがる豊かな木々の香りが、微睡みの中にいた鼻腔をいたずらにくすぐった。

 鉛のような瞼を根性で開く。ちょうどその瞬間、ざわざわとした葉音がそこかしこで囁かれた。

 上体を起こし、霧がかかった脳のまま周囲に視線を向けてみる。

 

 ……。

 

 端的に言って、そこは森だった。

 明るめの若い緑色をした葉をつけた数々の枝が、それぞれの自由を象徴するかのように思い思いに空へ身を伸ばしている。

 強いて普通の森と違う点をあげるなら、伸ばされた先に広がる空模様が、パレットの上でいろんな色の絵具をごちゃごちゃにかき混ぜたような不気味さを放っていることか。

 

 ……。

 

 空模様についてはこの際置いておくとして。目覚める前の記憶を、もう一度思い返してみる。

 昨夜は夜襲をかけてきた三人組に加え、最近過激側に足を踏み入れつつある玉藻ちゃんサマーも丁重に追い返したところで、疲労からか意識を奪われたように自室のベッドへ倒れ込んだところまでは覚えている。

 それなのに、頬を撫でるのは自然的な柔風。

 意識を刈り取りにかかるくらい柔らかなベッドはなく、代わりにごつごつと固く冷たい大地が尻下に押し当てられていた。

 今まさに、この身は異常事態にあるという事実をありありと知らされた。

 

 ----?

 

 実は夢遊病を患っていたという衝撃の事実がないのなら、寝ていたはずの自分はレイシフトなしでこの地に訪れたことになってしまう。

 しかし、「監獄塔」のように魂へ干渉してくるものだという可能性もある。絶対にありえないという言葉は、この旅の中でまやかしの拠り所にもならないものだと学ばされた。

 

 ……。

 

 第一に、カルデアとの通信を試みる。やはりというか、呼びかけに応じる気配はない。

 契約した英霊達との魔力経路(パス)は途絶えていないので、完全に繋がりが絶たれたわけでもなさそうだ。

 ひとまず、周囲を確認してみるほかにない。何かないものかと首を回してみる。

 するとここで初めて、後方に洋風の城らしき建造物があることに気付いた。

 

 --。

 

 思わずあっけにとられてしまうくらい、遠目からでも分かるほどの巨城。庶民感覚の抜けない自分ですら、途方もない費用と資材をふんだんに盛り込まれた豪華絢爛ぶりだと理解できる。

 ただの森の中で孤島のように佇むそれは、異質に揺らめく空も相まって、まるでファンタジーの物語から挿絵を抜き出して張り付けたかのように、どこか非現実めいたものを感じさせた。

 と、呆けて感心していたその時だった。

 

”■■■■■ーー!”

 

 地の底から鳴り響くような怒号が、静かに戯れていた森林を揺るがせた。

 次いで、隕石でも落下したかと思うくらい地盤の砕ける音が巨城から轟く。

 鳥のような生き物が、巣を叩いた虫のように枝の影から一斉に飛び立っていった。見せかけだけでも静謐に包まれていた空間が、にわかに喧騒に染まっていく。

 そして何より今しがた木霊した、獰猛な野獣よりも恐ろしい咆哮の主を自分は知っていた。

 

 ----ヘラクレス!

 

 古代ギリシャ神話に語られる、最大最強の大英雄。

 同時に、焼却された人理を取り戻す旅の狭間で相対し、後に心強い味方となってくれた狂戦士(バーサーカー)のサーヴァント。

 今の咆哮は、高レベルの狂化スキルによって言語を封じられた彼のものに違いなかった。

 魔力の繋がりを感じるため、そこにいるヘラクレスは間違いなく味方側のはず。しかし、前述した狂化スキルで理性が失われており、状況次第では巻き込まれる可能性も高い。

 --だが、怯えてうずくまっていても状況は好転しないことも事実。

 

 ……行ってみよう。

 

 四肢に力を込めて立ち上がり、ぼやけていた思考に喝を入れる。

 寝た時に装着したままだった魔術礼装の調子を確認し、濛々と不穏な煙が立ち上る巨城の眼下へと視線を移した。

 

 

 

 

 

 

 森は迷いやすいと言われているが、それは周囲すべてが同じ景色ばかりで方向感覚を狂わされるためらしい。

 現に、目印である巨城がなければ、自分もこの森の迷い人になっていたという確信があった。

 徐々に破壊音が近づいてくる。

 一歩踏み出すごとに、自分が死地へ赴いていくのを実感させられる。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 幾度目かの咆哮が森林をざわめかせた。

 周囲にいた生物は、既に鳴き声すら消え失せていた。

 

 ……。

 

 強張っていく足を奮い立たせ、無惨になぎ倒された大樹を横切っていく。

 音の元へ向かうほど、ここだけ突発的に嵐が襲来したのかと勘違いするほどに、大量の木々がへし折られていた。

 例えば半分から断ち切られて、あるいは根元から力任せに引き抜かれて、あるいは大砲を受けたかのように大きな穴を穿たれて。

 妙な違和感が芽生える。ヘラクレスにしても、ここまで破壊の爪痕を振り撒くことなどそうそうない。

 

 --ッ。

 

 焦る気持ちからか、自然と足は早まっていた。

 べきべきと乾いた音の悲鳴が、すぐそこで鳴り響く。一心に走り続けていたが、ここまで近づいているとは思わなかった。

 もう一度、幹が砕けていく様子が音の波となって押し寄せてくる。それも想像以上に、一瞬で縮まった距離の先で。

 ----まさか、と嫌な汗が背中を伝ったのと、薄暗い森影に鉛色の物体が浮かび上がったのはほとんど同時だった。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 圧倒的な比重をもった物体が、理性をかなぐり捨てた咆哮と共に、突然真横を掠めていった。

 

 --ッ!

 

 伴われた突風が身体中を叩き、重心をもっていかれないように踏みとどまる。ちり、とした痛みが僅かに掠った右耳に走った。

 しかし、さらに驚愕の事実によって痛みはすぐにかき消された。

 何本もの大樹を粉砕し、ひときわ大きな樹木に激突してようやく停止した、巨岩のような大男に見覚えがあったからだ。

 こちらが何かを叫ぶよりも早く、大樹へ身体を預けるように沈んでいた巨人が、何事もなかったように身を起こした。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 石柱からそのままくり抜いたような巨大な斧剣を片手に、巨人は白い息を吐きだし猛々しく吼えた。

 見上げるような巨躯を誇るあの巨人こそが、オリュンポス最強の称号を授かった大英雄。

 狂戦士(バーサーカー)、ヘラクレス。

 しかし様子がおかしい。

 見間違えでなければ今、ヘラクレスは吹き飛ばされてきた(・・・・・・・・・)のではないだろうか。

 

”■■■ー”

 

 ヘラクレスが自分に気付いたらしく、獅子より鋭い輝きを宿す瞳と目線が交差した。

 その目に映る狂気は薄い。どうやら、若干の理性までは呑み込まれていないようだ。

 と、安心からか、恐怖と緊張で強張っていた筋肉が緩む。肩を下ろし、深く嘆息した。

 ふと、木の葉がにわかに騒ぎ立つ。

 なんとなしに顔をそちらへ向けて----

 

 「死」が、音よりも早く迫ってきていた。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 身の丈以上もある大剣が、「死」を虹彩から覆い隠す。

 刹那、目と鼻の先に落雷が直撃したような轟音と閃光。

 

 --!?

 

 視界を遮られたにも関わらず、途方もない爆音と光が五感が残らず奪っていく。

 衝撃波が細い肉体を叩き、たまらず後退してしまう。

 やがて、雷鳴は収まった。石柱のような斧剣が離れ、ヘラクレスが怒り交じりに叫ぶ。

 よく見れば大剣の側面に、先ほどまでなかった青銅の矢が深々と突き刺さっていた。

 つまり、雷撃かと思われる一撃は、第三者によるただの一射でしかなかったのだ。

 

 そしてその一射が、寸分違わず自分の命を奪い去ろうとしていたという事実に、今更になって思い至った。

 

 …………ッ。

 

 思い出したかのように身体がどっぷりと汗を拭きだす。血管を流れる血液が、瞬間凍結したみたいに全てが冷え切った。

 もし、ヘラクレスがいなかったら、自分は風が吹くようにあっけなく命を散らしていたのだ。

 そのへんの木に成っていた果実を、矢で撃ち落とす感覚で。

 数々の特異点を経験していてこの様では、この先は命がいくつあっても足りはしない。

 今すぐ逃げ出しそうな足を抑え、せめてヘラクレスがカバーできる距離へ移動する。

 巨人は、得物にそびえ立った矢を憎々し気に見下ろしていた。

 

”■■■ー”

 

 尋常ならざる威力を生み出した矢を大剣から引き抜き、べきりと半分からへし折った。

 形状崩壊を起こしたためか、破損した部分から粒子となって矢は消滅してしまう。

 

 ……。

 

 はっきりと分かったことが二つある。一つは、ヘラクレスは何者かと敵対しているということ。

 そして、もう一つ。その何者かは、オリュンポスの大英雄(ヘラクレス)に比肩する強大さを有しているということ。

 ヘラクレスに並び立つ英霊はそういない。さらにその中で、弓矢を扱う人物となるとかなり絞られてくる。

 それが自分の知る英霊か、まだ見ぬ強敵かまでは今のところ分からない。

 けれど、ずっと鳴りやまない本能の警鐘が、覚悟を決める要因になった。

 その時、ヘラクレスが遠方を強く睨んだ。

 

 --! 

 

 彼が視線を向けた先----すなわち、洋風の巨城。

 刹那、何かを反射したような光が、巨城の最上部の塔の頂上で煌いた。

 それを目撃した途端、指一つで潰されるノミのような、不断の危機に再び曝されていると危険信号が絶叫した。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 瞬きもできない須臾の狭間。

 かろうじて認識できたのは、森林を大気ごと切り裂き、額を貫かんと迫る斬撃の風。それが己の眉間上に届く前に、巨体から想像もつかない超反射で矢を切り飛ばした大英雄の背中。

 文字通り、あっという間の、瞬く間。

 刹那的な時間に自分は一度死に、生き残った。

 

 ……。

 

 二度目のためか、滝のような冷汗はもう吹き出ない。だが、自分の耐久力をはるかに上回る一撃が連続で押し寄せる重圧に、吐き気が込み上げてくる。

 しかし、一呼吸も置かせないと言わんばかりに、巨城の頂上が再び光を反射した。

 もはや弓での狙撃とは思えない、レーザーのような推進力をもった矢が連続で飛来する。

 それを、大壁のように自分の前に仁王立ちしたヘラクレスが、虫を叩き落すかのごとく次々と切り伏せ、切り捨て、切り落としていった。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 自らが介入することすらおこがましい、強者と強者のぶつかり合い。

 だが、謎の相手--仮にアーチャーとして--が遠方から狙撃している一方、ヘラクレスは自分を庇うために防戦へ回るしかなく、消耗するばかりになってしまう。

 このまま立ち尽くしているだけでは、自分はただの足手まとい。マスターとして、それだけは避けなければ。

 そう思ったその時、立て続けに響き渡っていた剣戟がぴたりと止んだ。

 

 ……?

 

 見れば、最後の一本を防いだヘラクレスが白い息を吐きだしている。

 こちらの粘り強さに相手がしびれを切らしたのか。であれば、今のうちに撤退し、カルデアからの応答や救援を待った方がいいだろうか。

 束の間、僅かに込みあがった希望は、瞬時に絶望へ塗り替えられた。

 

”■■■ー”

 

 ヘラクレスが犬歯を剥き出しにして空を見上げた。

 つられて顔をあげる。

 そして、あまりの光景に戦慄して声も出なかった。

 

 --!

 

 捻じ曲がった歪な空を、幾つもの流星が流れていく。

 流星は次第に数を増やし、十、二十と、サイケデリックな空を一呼吸のうちにみるみる覆っていく。

 彼方で僅かに反射して煌く流星の一つ一つ。

 星光のように輝き、群れ成す光。

 それら光は全て、奇怪色な空で尚目立つ青銅色に尾を引いていた。

 

 ------。

 

 脊髄の合間につららを差し込まれるよりもひどい寒気が、毛細血管の先々まで染み渡っていった。

 大砲よりも遥かに疾く、鋭い一撃。それが青銅の曇天となって空を覆い、あまりある殺意の雨が今にも降りだそうとしているではないか。

 これほどの妙技、並大抵のアーチャーでは不可能だ。

 無論、一つでも掠っただけで自分の肉体なんかは消し飛ばされる。

 どうにかして、あれを打開しなくては。

 だが……逃げ道なんてどこに?

 押しつぶされそうな重圧の中で思考を張り巡らしていた時、ひょいっと身体がいきなり軽くなった。

 

”■■■ッ”

 

 否。ヘラクレスに襟元をつままれていた。

 いきなり何を、と抗議をあげるより早く、巨人は岩肌のような左肩にすとんと自分を乗せたのだ。

 

 --ヘラクレス?

 

 自分の問いに、ヘラクレスは当然答えない。 

 だがその瞳が、吐息が、大剣が、迫りくる殺陣豪雨を前にして悠然と物語っていた。

 

 ----己なら、あれら全てを墜としてみせよう。

 

 言外に、そう言っているように思えた。

 いや、この男なら本当にやってのけると言い切れる。

 なぜなら、男こそ音に聞こえし大英雄。全ての英雄の頂点に近しい存在であり----ヘラクレスなのだから。

 

 --いこう、ヘラクレス!

 

”■■■■■ーーー!”

 

 上空より殺気ひしめく雨空の下。

 振り絞って出したなけなしの空元気を、力強く勇気づけるような雄たけびが鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 走る。

 走る。

 走る。

 豹よりも速く、風よりも速く、音さえ置き去りにするほどに、薄暗の森を巨躯が躍動する。

 北東の枝葉が騒ぎ出した。

 騒乱をねじ伏せるように鏃の雨が降り注ぎ、枝ごと切り裂いて大地を砕いていく。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 それを巨人は躱し、間に合わないなら防ぎ、地面をえぐり飛ばしながら突き進んでいく。

 通算、三度目の矢雨。自分たちが通り過ぎた大地は全て、針山のように突き立った矢で覆いつくされていた。

 いくらヘラクレスといえど、大量の矢群を三度もかいくぐれば消耗は無視できない。

 直撃こそまぬがれているが、アーチャーの放つ神気を宿した一射は、想像以上にヘラクレスの体力を奪っていった。

 このままでは埒が明かない。

 その時、一際異質な気配が空気を一変させる。

 その変化にいち早く気付いたのは、やはりヘラクレスであった。

 

”■■■ッ!”

 

 四度目の、数十本の矢が彼方から飛来する。

 だが、その軌道は先刻までの「面」を蹂躙していくようなものではないと思い知らされる。

 突如として、矢の一本一本がぐにょりと大きく歪曲したのだ。

 

 --!?

 

 矢羽は尾っぽに、()は翼を生やし、鏃は嘴へ。

 降り注ぐ矢雨だったものは金属の鳥の大群と変貌し、餌を啄むようにして一斉に襲い掛かってきた。

 群がる怪鳥たちを、ヘラクレスは驚愕もせず力任せに粉砕していく。

 ところが、今まで直進的だった矢とは違い、仮初とはいえ意思をもった青銅鳥は、ひゅるりと舞うように風に乗り巨人を翻弄する。

 瞬間、豪撃の合間を縫って、幾つもの金属の嘴が鉛色の肌を突き破りだした。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 痛みのためか、ヘラクレスは大銅鑼のように喉を震わせ、一撃を加速度的に増していく。

 しかし、それに比例して金属鳥たちの飛行速度も上昇していった。

 捌ききれない数が少しずつ増えていき、鋼の肉体は徐々に傷が増えていく。

 不意に、頬を何かが掠めた。

 生温かい、どろりとした粘液が右頬を伝い、鉄臭い匂いが鼻腔に届く。

 

 --ッ!

 

 今の一刺しで命の危機を感じたのか。

 結局のところ分からないが、人間、死を間近に感じれば、どうにか生き延びようと体のスペックが上昇するらしい。

 いわゆる火事場の力とやらが働いたのか、脳の引き出しが慌ただしく動きだした。

 

 青銅の羽をもつ奇怪な巨鳥。

 かつて、興味本位で博識の誰かに教えてもらったそれの名が、急速に脳の中心から喉元へと運ばれてきた。

 

 --ステュムパリデスの鳥!

 

 叫びに、大英雄が呼応した。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 前進から一転、ヘラクレスは踵を返す。

 囲んでくる怪鳥を強引に薙ぎ払う。

 彼の瞳孔は既に怪鳥ではなく、地面を凄惨に装飾していた無数の矢に向いていた。

 

”■■■ッ!”

 

 絨毯のように敷き詰められていたそれらを岩盤ごと引き抜く。

 そして、拳いっぱいに掴んだ矢束を、怪力にものをいわせて怪鳥の群れへと次々に投擲したのだ。

 すると驚くことに、矢は糸で結ばれているかのごとく怪鳥たちへと吸い込まれていく。

 程なくして、全ての怪鳥は金属の胸板を紙のように貫かれ、鳴き声一つもあげずに鉄くずとなった。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 がしゃりと軋む音をあげ、最後の一匹が地に墜ちると同時に勝利の雄たけびが轟く。

 無意識にその太い首にしがみついていた自分も、急に体の力が抜けて安堵のため息が漏れた。

 

 ……た、助かった。

 

 安心感に満たされたためか、頬の切り傷が熱を帯びて痛みを訴えかけてくる。

 それを意図的に無視し、既に魔力残滓となって消滅しつつある金属の鳥だったものに視線を落とした。

 ステュムパリデスの鳥。軍神アレスのペットとして知られているとか。

 古代ギリシャ神話の中に登場する怪鳥の名前であり、ステュムパロースという島に住むことからその名がつけられたらしい。

 伝承の姿は、青銅の翼で飛行する鳥の群れ。

 誰に教えられたものだったか。記憶の一局から無我夢中で叫んだ名前だったが、改めて考えると見事に合致している。

 偶然か。それとも----

 

”■■■■■ーーー!”

 

 咆哮に意識を引き戻された。

 肌をびりびりと波打つ、これまで以上に膨れ上がった殺気。

 肺を直接握られたような重圧に、思わず息が苦しくなる。

 視線を上げる。気付けば、あれほど遠いと思っていた巨城が、既に見上げるくらいに接近していた。

 そして、近づいて分かったことに巨城にも破壊の跡が目立った。あの城でヘラクレスはアーチャーと戦い、そして吹き飛ばされてきたのかもしれない。

 つまり、目標はあの城内に潜んでいる確率が高い。

 

 ……。

 

 邂逅は近い。正体不明の弓兵の放つ殺気が、これまで以上に動悸を乱してくることが何よりの証。

 ヘラクレスが、肩に乗せている自分へと目を向ける。巌のような顔には、理性がないために怯えや恐怖はない。

 仮に理性があったとして、彼くらいになればこの程度の苦境など日常茶飯事だったのだろう。

 いつか余裕ができれば、きちんとした理性ある彼と話してみたいものだ。

 余談はここまで。このまま棒立ちしていては、射抜いてくださいと宣言しているに等しい。

 覚悟を決め、すぐ横にある顔に語りかけた。

 

 --いこう。

 

 返事はない。

 代わりに聴こえたのは、足元に散らばった青銅の欠片を踏みつぶす足音だった。

 

 

 

 

 

 

 存外、すんなりと城の中に入ることができた。

 というのも、クレーターだらけの庭園を越えた先。豪奢な大扉が解放されていたからだ。

 漂う圧迫感からか、開け放たれた大扉が、怪物がこちらを呑み込まんと大口を開けているのではないかという錯覚すら覚えさせる。

 だからといって、ここで引き返す選択肢などない。

 

 ……。

 

 粘り気のある生唾を飲み込む。

 怪物の口へと飛び込み、かつては瀟洒を誇っていたであろう大廊下を進んでいく。

 現在はヘラクレスから降り、先行して進む彼がカバーできる距離を保っていた。というのも城内に侵入してから、アーチャーによる苛烈な攻撃が静まったのだ。

 あれほどの威力を生み出す射撃だが、遮蔽物の多い建物内では流石に分が悪いと見たようだ。

 しかし、城内に充満する吐き気を催すような殺気はまるで薄まらない。狙撃ポイントを変えるために、ここを離れるようなことはしないのか。

 

 ……。

 

 怒涛の連撃が降り止み、一息つけるようになったところで改めて思い出す。

 想起するのは、青銅の身体を持った怪鳥。

 射程、速度、連射、破壊力。規格外ではあるものの、極論を言えば「矢」でしかなかっただけの射撃と、あの怪鳥たちの顕現は明らかに違っていた。

 スキル、あるいは宝具による効果と考えるのが妥当か。

 そして、青銅の鳥というフレーズで真っ先に合致するものが一つ。

 

 --ステュムパリデスの鳥。

 

 もう一度、怪鳥の名前を思い出す。

 ステュムパリデスの鳥に関係してくる英霊は、伝承に残されてる限りただの一人しかいない。

 その一人こそがヘラクレス。彼が成し遂げたという前人未到の試練、十二の難行の一つとして含まれているのだ。

 だが、当人は目の前で黙々と突き進んでいる。

 そうなると、考えられる可能性は----

 

 ……!

 

 空気の密度が変わった。

 いつの間にか大廊下を抜け、繋がっていた先の大広間に出ていたようだ。

 栄華に満ちていた内装は、やはり破壊の爪痕が生々しく刻まれてひどい有様になってしまっている。

 何より、広間に出た瞬間、じっとこちらをねめつける視線が感じられた。

 同様の気配をヘラクレスも感じ取っているようで、唸りながら一歩一歩、確かめるような歩行に切り替わっている。

 散乱した瓦礫の山。一歩踏み出すたびに、細かく砕け散った塵芥がじゃりじゃりと感触の悪い音を上げる。

 

 ……。

 

 草陰に隠れる獅子が、獲物を狩る時の空気に似た静けさに包まれる。

 こういう時に、どうしてか一般人とは足を引っ張るものである。

 極限状態の中、必死に周囲ばかりを警戒していたために、下側にまで気が回っていなかった。

 ぱきりと、足元にあった瓦礫の欠片を踏み抜く。

一際高い音が大広間に反響した。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 静寂を吹き飛ばす地響きが巨城を揺らす。

 大広間の最奥。暗闇に閉ざされた空間から、神気を帯びた矢が亜音速で飛来する。

 それだけではない。

 矢に纏わせていた神気がみるみる膨れ上がっていき、猛々しい牡牛の姿を形成したのだ。

 青銅の鳥とは違う、純粋な神気で構成された牡牛の幻影が、矢の速度を上回る勢いで猛進してくる。

 直線状にある瓦礫の山を悉く薙ぎ飛ばし、その勢いのままにヘラクレスへと衝突した。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 対するヘラクレスは大剣を投げ捨て、突進してきた幻影の双角を素手で掴んで食い止めた。

 突進を止められた牡牛は怒りで蹄を激しく鳴らし、ヘラクレスを一刺しにしようと脚に力を込める。

 組み合い、均衡状態の両者。

 だが長くは続かなかった。少しずつ、牡牛の右脚が地面から浮き始める。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 双角を捕らえていた剛腕に血管が浮かび上がった。

 身体が傾き始めた幻影が暴れもがくも、それをヘラクレスは力尽くでねじ伏せていく。

 怪力に有無を言わせて抵抗していた牡牛の身体が、完全に左に傾けられた。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 ハンドルを勢いよく切るようにして、ヘラクレスは幻影を地に屈服させた。

 実体ではないはずなのに地響きをたてて、巨大な牡牛が床の上に倒れ伏す。

 牡牛の幻影はしばらくその場で足搔く。だが抵抗空しく、その身を形造っていた魔力は霧散していった。

 魔力の粒子に還元され、牡牛の姿をした怪物は影も形も残らず消滅した。

 

 ……今のは?

 

 たちまち繰り広げられた剛力同士の激突。

 迫力に呑まれていた意識を取り戻し、ようやく言葉をひねり出す。

 脳裏には、城外の森で強襲をかけてきた青銅の怪鳥がよぎっていた。

 同じく矢を媒介としていたあたり、仕組みが一緒であることは間違いない。

 真新しくできたクレーターを見下ろして、何気ない気持ちで視線を最奥に広がる闇に移す。

 

 瞬間、身体が凍り付いた。

 

 闇の中から、こちらを覗き込む影がいた。

 黙し、闇と同化したように、いつの間にか男の姿が出現していた。

 

”■■■ッ”

 

 鉛色の巨人が、放り投げた大剣を回収する。その間、彼の視線は闇より這い出た男から片時も離されなかった。

 男は、おおよそ二メートルはあろうかという長身の巨躯だった。

 赤黒い肌の表面を、白い染料か何かで紋様を刻んでおり、一目見て常人とはかけ離れた存在だと理解させられる。

 背丈の割に削げ落ちた筋肉も合わさって、冥界を彷徨う幽鬼を連想させた。

 表情(かお)はうかがえない。というより、頭頂部から獣の皮をなめした布をかけており、全面と後面に被さって顔そのものが隠されているのだ。

 木製の大弓を携えた、異様な風貌のアーチャー。男の放つ禍々しい瘴気が広間を侵食していく。

 

 ----。

 

 言葉が出てこない。

 アーチャーの異様な迫力に、ただただ圧倒されてしまった。

 天地がひっくり返っても、自分は決してあの男には勝てない。生命としての格が違いすぎる。

 この場にヘラクレスが同伴していなければ、瞬く間に己の心臓は鼓動を止めていただろう。

 ひたひたと足音を鳴らしていたアーチャーが、崩れた階段で足を止める。

 階段の上からこちらを睥睨し、男は布の奥でふんと鼻を鳴らした。

 

”■■■!”

 

 爆音、閃光。

 自分が知覚できる許容量を超えた何かが起こった、としか思考が追い付かない。

 幾度となく繰り返された狙撃が、またしても自分を貫こうとした。

 いつの間にか大弓を構えていたアーチャーと、大剣を振りぬいたヘラクレスを見て、そうだろうと推測することしか自分にはできなかった。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 広間全体を揺るがす咆哮。

 自分の指示がなくとも、ヘラクレスは今にも起爆しそうな爆破物のようにすぐにとびかかるだろう。

 鼓膜を振るわせる咆哮を前に、アーチャーは動じない。

 否。布越しに、顔のないアーチャーの感情が----胃液が込み上げてきそうになるくらいの濃厚な「負」の感情が、これでもかと分かるほどに伝わってくる。

 初めて、男が口を開いた。

 

「----醜い(・・)

 

 か細く、かすれた低い声。

 軽蔑するかのように、男は短く吐き捨てた。

 

「暴君共に隷属した肩書きでは飽き足らず、理性を捨ててついには獣に身を堕とすか。不快、不愉快だ。貴様という概念が存在すること自体、背を毒虫が這い回るよりもおぞましい」

 

 そういって、アーチャーは冷淡に切り捨てる。

 だがその手は、隠し切れない激憤で大弓を壊しかねないくらいに握りしめられていた。

 アーチャーの言葉に狂戦士(バーサーカー)は獣のように唸る。

 布に覆われたアーチャーの頭が、ヘラクレスから地面に転がった青銅の矢に移った。

 

「やはり、貴様には効かぬ代物か」

 

 賞賛ではない。それは侮蔑だった。

 わかり切っていたことを再確認したように、消え入りそうな声でアーチャーは言葉を続ける。

 

「それもそうだ。ステュムパリデスの鳥も、ミノスの牡牛も、貴様は既に突破している(・・・・・・・・)

 

 認めたくない事実とばかりに、アーチャーは最大限の嫌悪をヘラクレスに向ける。

 それよりも、アーチャーが出した名前に意識がひかれていた。

 ステュムパリデスの鳥に続いて、ミノスの牡牛。

 ヘラクレスの代名詞である『十二の試練』で課せられた難題。

 そう--ヘラクレスしか(・・)成し遂げれらなかった栄光なのだ。

 その難行を模した技を行使する謎のアーチャー。

 

 そんな、と心臓の鼓動が高く波打った。

 

 頭が真っ白になる。アーチャーへの恐怖に、ではない。

 辿り着いてしまった真相が、あまりにも惨たらしい現実ではないかという絶望からである。

 

 --あなたは。

 

 震える唇で、アーチャーに問いかけた。

 初めて、やせぎすの大男は視線をこちらに投げる。

 

「----」

 

 あなたは、もしかして----

 

「黙れ」

 

 続く言葉は、男の一言に絶たれる。

 広間の空気が目に見えて凍り付いた。

 男が発していた憎悪がみるみる増大し、広間中に拡散していく。空気が濃く、重く、コールタールのようにねばねばと皮膚にまといつく。

 皮布の奥に潜む視線が、釘で縫い付けられたように自分に注がれる。

 蛇に睨まれた蛙、どころではない。獅子に喉元に嚙みつかれた野ウサギのような、絶対の「死」で心が支配されそうになった。

 怨讐を振り撒き、男がぽつぽつと言葉を続ける。

 

「我が前で、あの神に成り下がった愚者(・・・・・・・・・・)の忌み名を口にするな」

 

 冷淡に、男は憤怒をぶちまけた。全身の白い紋様が蟲のようにざわめき、男の肌と同じ赤黒い影がわなわなと蠢く。

 手にした弓が構えられ、機械的な動作で弦に矢が添えられた。

 矢先は、自分の胸。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 乾いた音をたてて、男の手から矢が射出された。

 何度も襲来した死の点は、しかし同じようにヘラクレスに弾き飛ばされる。

 だが、布の隙間から垣間見えた男の口元は、邪悪に歪んでいた。

 

「そうだ。それこそが貴様の愚かさよ」

 

 弾かれることを(いと)わず、男は立て続けに矢を放つ。

 大英雄もまた、狂気に墜ちたとは思えない反射神経で打ち落としていく。

 

「英雄と担ぎ上げられ、貴様は人間を超越した。災厄と混乱しかもたらさない無能共に組入りし、貴様は地上の衣(人の魂)を脱ぎ捨てた」

 

 撃ち、

 弾かれ、

 撃ち、

 弾かれ、

 撃ち、

 弾かれ、

 終わりの見えない攻防。ピッチングマシーンから投げられる球を永遠に撃ち続けるよう。

 だが男はピッチングマシーンではなく、投げられる球も弾くのがやっと。

 射撃が、だんだんと威力を増していく。

 

「故に貴様は押し込めた。人の性を、人の業を」

 

 より速く、より重い一撃がヘラクレスを襲う。

 少しずつ、巨体が僅かに後退し始めた。

 

「見よ。貴様はまた人を守る。それは何からだ? かつて、貴様は何から人を守っていた?」

 

 男の矢が纏っていた神気は、今や別のものへと変貌していた。

 泥のように粘っこい、濃い澱みの魔力。見るだけで吐き気を催しそうな魔力が、ヘラクレスを通じて自分の肉体にも僅かに流れ込んできた。

 途端、胸やけよりもひどい悪寒が、全身を蝕んだ。

 

 --ッッ?!

 

 めまいがする。頭が重い。胸の奥が燃えるように熱い。

 何だこれは。こんなものが、この世に存在していいのか。

 こんな魔力を纏い続ける男は、その身をどれほどの憎悪に堕としているのだ。

 男の魔力がさらに噴き出す。

 

「それすらも忘れた神の傀儡が、英雄として讃えられるなど吐き気がする!」

 

 激高、渾身の一射が放たれた。

 同じようにヘラクレスが受け止めるも、桁違いの威力に三百キロを超える巨体が大きく後退する。

 

”■■■ッ!”

 

 白い息を蒸気のように吐き出し、ヘラクレスが呼吸を整える。

 冷めた目で、男は見下ろしていた。

 

「足掻くか。だが想定内だ。貴様に相応しい末路を用意してある」

 

 仁王立ちで弓を放っていた男の体勢が脱力した。

 憤りを立ち昇らせる闘気とは裏腹に、余分な力の抜けた自然体に近い構えをとる。

 

「貴様は--貴様自身の栄光に沈む。繰り返し、それだけだ」

 

 男が矢筒から、一本の矢を取り出す。

 その瞬間、台風のように暴れまわっていたヘラクレスが、突如としてぴたりと動きを止めたのだ。

 

”■■-、■■■■■ーーー!”

 

 大英雄の、これまでとは違う声色の咆哮。

 対して男は、弦に添えた矢をキリキリと引き絞り、皮の奥でくつくつと邪悪な笑い声をあげる。

 

「『十二の栄光(キングス・オーダー)』。神々に狂わされたにも関わらず、復讐ではなく贖罪を請うた偽りの栄光」

 

 ため込んでいた呪いを吐き出すように、男が吐息を漏らす。

 布の隙間から零れた白い吐息は、奇しくもヘラクレスが吐き出す吐息にそっくりだった。

 

「なるほど、確かに貴様には通じまい。かつての難行の再来も、所詮は足跡をたどり戻るようなもの」

 

 だが、と男は愉しそうに声色を変えた。

 

「貴様が突破した難行の中で、唯一貴様に牙を剥くものがある。貴様の師を、そして貴様自身を蝕んだ、ついに御しきることのできなかった毒竜の内臓」

 

 くぐもった声が響く。

 もったいぶるように、ゆったりと矢が絞られていく。

 その矢先からは、今まで以上に濃密な「死」の匂いを放っていた。

 ヘラクレスの雰囲気が変わった。

 

”---■■■ッ!!”

 

 狂った身でありながら、構えた矢を相手に異常なまでの警戒と嫌悪をあらわにしている。

 同時に、自身の肉体に異変が起きていることに気付いた。

 

 痛い。

 熱い。

 痛い、熱い、痛い!

 

 (からだ)が、皮膚(からだ)が、筋肉(からだ)が、(からだ)が、血管(からだ)が、神経(からだ)が。

 身体中のありとあらゆるものが、痛みによる絶叫の大合唱をあげたのだ。

 原因は、もはや言うまでもない。

 男が番えた一本の矢。

 鏃から漏れ出す瘴気に、肉体が反応したのだ。

 

 ……ッ!

 

 彼の言葉をそのまま信じるならば、あの矢に秘められた能力は-----毒。

 それも、ギリシャ最強のヘラクレスや、彼の師と言われる人物を屠ったという最大最悪の猛毒。

 

 ---ヒュドラの、毒!?

 

 ギリシャに登場する、九つの頭を持った毒の蛇。その蛇が内包する、圧倒的な致死性を誇る猛毒。

 男が()であるならば、鏃に塗られたものはそれしかない。

 

 ……ッ!

 

 肉体の悲鳴が次第に大きくなっていく。

 あれが存在する空間と同じ空気を吸っているだけで、体の内側から炙られる痛みが伝達されていく。

 ヘラクレスが警戒するのも無理はない。

 これだけ距離が空いていて、焼けるような痛みが全身を駆けずりまわっているのだ。

 もし、あれを直接体内に打ち込まれれば---想像する過程で死んでしまいそうになる。

 硬直していた巨人が吼えた。

 

”■■■■ッ!!”

 

 床を蹴り、大型トラックよりもすさまじい迫力で巨漢が激震していく。

 自分という枷を降ろしたヘラクレスは、とてつもなく速かった。

 ひたすらに、真っすぐに、構えたままの男へ爆進する。

 彼のスキル『心眼(偽)』であれば、初撃は躱せると踏んでの突撃だろう。

 安心感から、つい見落としていた。

 向けられていた矢先は、ヘラクレスが動いた今も全く動いていなかったことに(・・・・・・・・・・・・・)

 

 ニイ、と男の唇が歪に吊り上がった。

 

「--濁った瞳で見るがいい。地上の衣(人の魂)を捨てさせた毒牙が、再び人を奪う様を」

 

 ぱすん、と乾燥した音が小さく鳴った。

 あらゆる生命を悶死させる毒が凝縮され、一点の絶対な「死」となって空を切り裂く。

 大剣を構えるヘラクレス。

 さながら狡猾な蛇のように、必殺の一撃をもって大英雄に毒牙を剥き----。

 

 ----牙が、巨体の横をすり抜けていった。

 

 

”■■■ッ!!”

 

 

 --えっ?

 

 「死」。自分でも視認できるくらい、それは肉薄していた。

 振り返るヘラクレス。腕を伸ばして掴もうとしたが、掴んだものは空だった。

 音もなく「死」が運ばれてくる。世界の時間がやけに遅く感じる。

 

 思えば最初から不思議だったのだ。

 男は、最初から自分だけを狙っていた。ヘラクレスという存在を憎んでいるにも関わらずだ。

 マスターである自分を消せば、間接的にヘラクレスを消滅させられるから、と今まで思い込んでいたが、違った。

 愉悦に笑う男の顔を見てようやく理解できた。

 男は----ヘラクレスから全てを奪ったうえで、彼を抹消するつもりだったのだ。

 

”■■■!”

 

 大英雄が叫ぶ。

 声にならない音に込められた意味は、もしかしたら「避けろ」と言ってくれたのか。

 けれど現実。どうあがいても躱せない距離まで、毒矢は接近していた。

 

 ……ああ、死ぬのかな。

 

 結局、ここがどこなのか分からないまま、あの悲しい男に何も言えないまま自分は死んでいくのか。

 悔しい。他でもない、自分の非力さに。

 脳裏に、自分を先輩と慕ってくれる影が思い浮かぶ。

 

 ”--先輩!”

 

 彼女の知らないところで、自分はヒュドラの毒に侵されて死ぬ。

 いや、あの威力であれば、当たるだけで身体が消し飛び、痛覚も何も残らないだろう。

 それはそれで、最期に与えられた慈悲なのかもしれない。

 逃れられない「死」。思わず、まぶたを閉じてしまう。

 

 矢が刺さる音が、大広間に反響した。

 

 

 

 

 

 ----?

 

 痛みはなかった。

 本当に痛覚ごと消し飛んでしまったのか。だとすれば、楽に逝けたということか。

 しかし、あの世にしては空気が悪いままだ。もしや、ここは地獄だろうか。

 

「いえ、ここは地獄ではありませんよ」

 

 唐突に、若い男の声が鼓膜をくすぐった。

 狂気の咆哮でも、怨嗟に埋もれた呻きでもない。まるで草原に吹く風のような、爽やかで清廉な響きだった。

 閉じたまぶたを開く。胸元に視線を落としてみると、あるはずの毒矢は刺さっていなかった。

 さらに視線を下に向けてみる。そこで、己の生命を蝕んでいたはずの矢が足元に転がっていることに気付いた。

 それも、()の部分を別の矢で射抜かれたように折られた状態で。

 

「--なぜ、貴様がここにいる」

 

 「負」以外の感情を根こそぎ奪われたような男が、はじめて驚愕を口にした。

 ヘラクレスも同じく、虚を突かれたように静止したまま立ち尽くしている。

 問われた言葉に、入口の方向から青年の声が届いた。

 

「決まっているでしょう」

 

 かつん、と蹄の硬い足音が聴こえる。

 

「苦しむ弟子の姿があれば、導いてあげるのが教師の役目です。違いますか?」

 

 言って姿を見せた人影は、人影をしていなかった。

 優しげな表情を浮かべて現れたのは一人の青年。対して下半身は、雄々しく力強い馬の下半身をしていた。

 一言で言うならば、ケンタウロス。

 手にした弓も合わさり、まるで「いて座」が具現化したような男。

 当然だ。彼はまさしく、「いて座」そのものなのだから。

 

 ----ケイローンさん!

 

 自然と呼び掛けてしまった青年--ケイローンが、こちらを見て柔らかに微笑んだ。

 

「今まで、よく頑張りました」

 

 馬脚を鳴らし、ケイローンが駆け寄ってくる。

 そして、教え子を見守る教師のような表情で、そっと自分の頭に手を添えた。

 

「もう、大丈夫です」

 

 かけられた一言。

 それだけで、張り詰めた緊張の糸が一気に緩んだ。いや、張り詰めすぎて切れかけていた糸が、危うく切れずに済んだ。

 絶え間なく纏わりついてきた「死」が離れたような開放感。気が付けば、腰が抜けてその場に座り込んでいた。

 もう少し気を抜けば、意識を手放してしまいそうなほど身体が疲弊している。

 気絶を提案する脳に反対し、決して気を失わないように歯を食いしばった。

 自分の頭から手を放し、ケイローンが改めて男に向き直る。

 

「構えは上々、ですが弓速にあそびを持たせ過ぎです。あれでは落としてくれと言っているようなものです」

 

「……私の矢を撃ちおとせるものなど、貴様ぐらいだろう」

 

「そうでもありませんよ。今のあなたの矢は、獲物をいたぶって愉しむ獣の爪に等しい。で、あるならば、私でなくとも落とせるものはいますとも」

 

 轟、と殺気が爆発した。

 男の表面に刻まれた白の紋様が、苦痛にもだえる怨霊のように蠢く。

 

「これは私の悲願だ。貴様は、弟子の願いが成就する様を見届けるものだろう」

 

「その通りです。貴方も立派な教え子だ、そこに変わりはない。私には、貴方を討つ資格などありません」

 

「…………」

 

 ケイローンの返答に、男は閉口する。

 

「これはあくまで、貴方(・・)の問題。どちらが正しいのか、それは私が決めるのではなく、貴方(・・)が決めること。私はただ、そこに余計なものを混ぜない、向かわせないための()の役割をするだけです」

 

 ちらりとこちらに視線を下ろし、ケイローンは続けた。

 ふん、と男は短く鼻を鳴らす。

 そのまま、だらりと下げていた腕を持ち上げ、再び射撃体勢に入る。

 狙いは自分ではなく、ヘラクレス。

 

「ヘラクレス」

 

 ケイローンが一声をかけると、狂戦士は瞳だけで反応する。

 

「見ての通り、マスターは私に任せなさい。そして、答えを見つけてきなさい。あれもまた、貴方(・・)の解答の一つなのですから」

 

 ………………ニイッ。

 

 岩よりも固い巨人の口元が吊り上がった。

 狂気による破壊衝動からではない。本来の理性、高潔な精神と謳われる英雄の笑みだった。

 それも一瞬。表情は狂化に侵され、野獣のような咆哮をあげる。

 爆進が再開される。一瞬で詰められる距離。弓兵(アーチャー)としてなら、致命的な間合い。

 それでも、男は全くの焦りを見せなかった。

 

「我は貴様という存在(忌み名)を消し去るもの。貴様の中の影法師。思い出せ、取り繕うな。貴様は、あってならないものだ」

 

 弓を握る力が目に見えて強くなる。

 今まで一本ずつ番えていた矢。それを、男は九本同時に番えた。

 男の魔力が急速に高まっていく。これまでは前座だと分からせるような、圧倒的な魔力の上昇量。

 間違いない。男は宝具を使用するのだ。

 

”■■■■■ーーー!”

 

 同じくして、怒号をあげたヘラクレスの腕がぶれた。

 一本の大剣が、一瞬にして九つに分かれて見えるほど高速の一振り。

 九つの斬撃が、まるで一つに重なっていくように唸りを上げる。その剣先が、至近距離にまで接近した男めがけて振るわれる。

 

 刹那。

 

 ----射殺す百頭(ナインライブズ)!!

 ----■■■■■!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めた後、そこはいつもの天井だった。

 跳び起き、軽く身支度を済ませてから、急いでヘラクレスとケイローンを探す。

 ほどなく、ケイローンはすぐに見つかった。

 説明を求めると彼はすんなりと承諾し、事の顛末について語ってくれた。

 

 

「あそこは、ヘラクレスの”精神世界”です」

 

「はい。どこで見たのまではともかく、あの森も、あの巨城も、ヘラクレスの記憶にあったもの。肝心の本人が狂化スキルで喋れなかったために、最後までそれが分からなかったのも無理はありません」

 

「そしてあの男については----既に、マスターも察しているとは思います」

 

「そうです。彼は、ヘラクレスが僅かに備えていた別側面(オルタナティブ)

 

「いずれかの世界で、何らかの方法で、彼の在り方が捻じ曲げられたのでしょう。彼の精神を歪めるとは、いかほどの外法を用いれば……話が逸れましたね」

 

「そうして、復讐者(アヴェンジャー)に歪曲された彼という存在は、そのままヘラクレスという英雄の一部として刻み込まれる」

 

「未だ人理が不安定な現状。ふとしたきっかけがあったのか、ヘラクレスの中に潜んでいた彼が突然暴走してしまった。そして、ヘラクレスが精神力でそれを抑え込んでいたところに、眠りについていたマスターの精神が魔力経路(パス)を通じて迷い込んでしまった。これが事の顛末です」

 

「え? 私がヘラクレスの”精神世界”に来られた理由ですか?」

 

「そこは、あの夢魔がいたことが幸いでしたね。彼の協力と、私自身『精神干渉』のスキルをとっさに習得したこともあって、無事に彼の”精神世界”に入ることができました。あとであの夢魔から、何を要求されるのか分かったものではありませんが」

 

「……ヘラクレスは大丈夫か、ですか?」

 

「はい。今は元通り……と言っていいのか分かりませんが、いつものようにバーサーカークラスの彼です。今は精神修行が足りないと見て、オケアノスに放り投げて泳がせている最中です。あと六時間すれば戻ってきますよ」

 

「……あの男はなんと呼べばよかったか、ですか」

 

「そうですね。彼は神々を嫌悪し、憎悪し、復讐を謳っていました。自らの名前さえ……いえ、それこそがもっとも消し去りたかった忌み名だったのでしょう」

 

「なので、彼のことはこう呼んであげてください。『神の栄光(ヘラクレス)』という名を持つ前の、彼が人間だった時代の名前」

 

 

「----アルケイデス、と」

 

---------------

クラス:アヴェンジャー/アーチャー

 

真名 :アルケイデス

 

キャラクター紹介

 かつて、英雄は「神の栄光」という名を与えられ、最後には人の肉体を脱いで神の座へと召し上げられた。

 だが、そこに至るまでに英雄は人間に触れすぎた。超人は、常人には真に理解されるものではなかった。

 また、神々の気まぐれで己が運命を狂わされ続けてきた。くだらぬ神の感情で、時には妻子さえ失った。

 いつしか、英雄の内側には極少ながらにある感情が宿る。

 どういう因果か、高潔な武人である彼の魂----在り方を根本から歪曲することができたなら、かの英雄は「復讐者」としての一面をさらけ出すだろう。

 傲慢なる神々に復讐するために。そして「神の栄光」と名付けられた名を消し去るために。

 

パラメーター

筋力:A

耐久:B

敏捷:A

魔力:A

幸運:B

宝具:A++

 

小見出しマテリアル

 神様絶対殺すマン。異教の神?よし殺そう。

 とりあえず神性もってる奴はだいたい敵。目安としてはBランク以上がねらい目だとか。

 魔法少女?関係ない、とばかりに子どもも平気で手をかけるような外道っぷりだが、一応理由なしで襲うことはしない。

 子供を襲うという考えを抱くこと自体、彼とヘラクレスの違いを感じさせる。

 ひどくやさぐれてしまった彼ではあるが、完全に変わってしまったわけではない。

 武人としての精神は若干残っており、強さを認めた相手には敬意をもって殲滅にかかる。

 彼がこんな感じになってしまった理由の一つである最弱英霊曰く「いやいやそこまで責任もてませんから。人の排出物で勝手に遊んでるだけっしょ」とのこと。




アルケイデス「生きているのなら神様だって殺してみせる」シュバババ
イアソン「信じて送り出したヘラクレスが聖杯くん+αにやられて布顔Wピース(肉片)とは」
オリオン「神様は理不尽だなんてギリシャじゃ常識だし仕方ないね」
ケイローン「功績を残すか慈悲を与えられると大抵星座になりますからね」

すまない、実に一月以上かかってしまい本当にすまない……。
それと、活動報告にてアンケートじみたことを取るつもりです。詳しくは活動報告にて。

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