カルデアの外は基本的に変わり映えがしない。時間も空間も全て消えてしまっていたのだし、それを除いても標高の高い山脈に位置する以上、曇天と吹雪に包み込まれている。人間の積み立ててきた科学の現状や、季節による自然の移ろいをこの目で眺めることができないのはどうにも口惜しい。
この施設は最先端の科学や魔術で満ち溢れているが、僕が興味を惹かれるのはそこだけではない。普通の人たちが普通に接し、普通に扱うそれらにこそ別の価値がある。
貧富の差に左右されることなく、万人に等しく提供される碩学。それこそが真に発展した科学だ。
ミスター・エジソンの言うように、生産ラインの確保や安全性の保証があってこそ、科学は初めて発展したと証言することができる。
十九世紀のイギリスでさえ、上流階級の人間とそれ以下の人間では使える物の質が違った。それ以前の歴史に遡れば、その格差は想像に難くない。
現代の人間が普段口にしている菓子一つをとっても、古代では当時の王族のみが口にできるような超のつく高級品だったのだ。そのような資源が生産方法を確立し、大量に輸出できる環境になったのだから、つくづく人間の探求心には驚かされる。
菓子と言えば、今日はそれにまつわるイベントの日。浮足立ってお祭り感覚のようにはしゃぐ女性陣と、そわそわと落ち着かない男性陣の姿がちらほらと目に映る。分かりやすいものだ。
かくいう僕自身もまた、ちゃっかり参加している身であるが。何度かお返しとして用意したライスボールを渡したが、スタッフの皆はあれで満足してくれただろうか。
そして、それをかぎつけた男性陣からの詰問が来たり、他のところの騒動に巻き込まれたりと、色々と大変な目にあった。何が大変かっていうと、それはもう----
”----ッ!?”
”----!!”
と、甘味と苦味に満ちた地獄を想起しかけた時、書斎の外が騒がしいことに気付いた。
また、誰が誰に渡したと学生気分でいじり倒しているのだろう。喧騒は日常茶飯事だが、今日は三割増しだ。これ以上巻き込まれたくはない。
とはいえ、個人としては原因が気になるところ。大方ケルト系か悪魔系の仕業だと推測しつつ、走る音が響く廊下への扉に手を伸ばした。
その瞬間、扉が独りでに勢いよく開いた。
「おっと」
軽く仰け反り、扉に当たらないように数歩後退する。自動ドアなんてハイテクなシステムは搭載していないので、僕以外の誰かが開けたということになる。
事実、サーヴァントの気配が一つ、開いた扉から飛び込むようにして僕の書斎に転がり込んできた。
「ごめんよ。少し匿ってくれないかな?」
駆けつけ一言。しかし決して人を不快な気持ちにさせない爽やかさ。やや赤茶けたくせっけの髪と品のある顔立ちは、気さくに振る舞い人当たりの良い、朝の陽ざしのように温かな好青年を思わせた。
着込んでいる鈍色の金属鎧もまた、童話に登場する白馬の王子様を思い出させるような気品さを醸し出していた。その青年が着用しているからこそ、華麗な王子のようにであり歴戦の英雄のようにでもある、双方のイメージを無理なく調和させていた。
突然降って湧いた理想の王子様に、僕は口元に微笑を浮かべて扉を閉じた。
「誰かと思ったら貴方ですか。ミスター・ペルセウス」
ペルセウス。ギリシア神話に語られる大英雄。ゼウスとダナエーの息子であり、あのヘラクレスの曽祖父でもある。神々の寵愛を受け、怪物退治を始めとした数々の偉業は今尚語り継がれている。
そのような正真正銘の大英雄がいきなり自身の書斎に飛び込んできたのだ。通常なら多少は驚きこそしたが、先の騒動や彼の慌て様からなんとなく事態は察することができた。
「モテる男は辛いですね?」
「いやあ、ははは。君はどうなんだい、ジキルくん」
誤魔化すように髪をかき上げて、彼の視線が部屋奥の机に向けられる。山積みにされた資料や本の合間に、封の切ってある派手すぎない装飾の袋と、幾分か数の減ったチョコが見えた。
こういうことには鼻の利く人だ、と呆れつつも笑ってしまう。普通であれば何かと鼻につきそうな動きや言動なのに、彼の場合は全くそう感じさせないことが不思議で、何より自然だった。
「僕は違いますよ。彼女たちがくれるのは義理、労いをかけてのものですから。そのお返しがライスボールだけというのが、今更になって足りないなと考えてしまいますけど」
「へえ、君が握ったの?」
「はい。僕でもできる精一杯のお返しは、今はこれぐらいしか」
僕たちサーヴァントが存在できるのはマスターのおかげだ。だが、そのマスターを支えているのは他でもない、ここのスタッフたちだ。
特異点観測はもちろんこと、レイシフト先でのマスターたちの存在証明、電力供給の負担計算や確認、シバでの施設内異常の確認、マスターやレディ・マシュのメディカルチェック、現場に必要な資料の詮索や各種機材の調整などなど。
それらを随時確認し、統率してきたミスター・ロマンを筆頭に、彼らの助力なくてはこの旅を続けることはできなかっただろう。過去の英霊ではできない、今に生きる人間だからこそできた偉業だ。
彼らにも感謝の意を示さなくてはならない。僕の中で最大限に想った結果が、今回のライスボールだった。手軽でありながらスタミナ回復も効率的みたいらしい。
「意外だね。君の出身国はサンドイッチとかが主流だと思ったけど」
「どのような形であれ、想い入れの詰まった品を振る舞った方が心がこもると思いまして。料理と言えるような代物でもないですけど」
「いいや、そんなことはないさ。君の想いは確かに伝わってるよ。君だって、マスターからの手作りなら何でも嬉しいものだろう。僕もそうだからね」
「ところで、ミスターが隠れるほどの事態とは? 僕よりも英霊としての格が違う貴方でしたら、ある程度の揉め事にも対処できそうですけど」
「ああ、そうだね。話を戻すけど、今日はバレンタインデーだ。恥ずかしながら僕も、何人かの女性からいただいてね」
ペルセウスほどの気風溢れる青年なら、そりゃあいただけないはずがない。ルックス良し、性格良し、武勇良し。至れり尽くせりの最高物件だ。
渡されたチョコの中には、義理以外の感情がこもったものがあってもおかしくはないだろう。どこかの錬金術師にそそのかされて変な霊薬とか盛られていないといいが。
「それで、スタッフの女の子たちと色々話していたらね。その……あまり仲の良くない英霊とばったり出くわしてしまって……」
「ここまで逃げてきた、と」
そういうことか。ペルセウスが逃走を選択するほどの英霊など古今東西一人しかいない。
彼女も淑女の一人。誰に渡しに行ったのかはともかくとして、その道中に彼とばったり出くわしてしまったという展開。それで、一廊下にてギリシャ神話の再現が成り立ってしまったのが先程の喧騒の真実というわけだ。
英雄王と神造兵器の
「ふふ。どうあれ、やはりモテる御方だ。流石は神々からも愛された英雄、といったところです」
「そうでもないさ。少なくとも、マスターの方がよっぽどだ。君はもうマスターのマイルームを覗いてみたかい?」
その問いに、僕は自身の口元が苦笑に変わるのを実感しつつ首を縦に振った。
その返答が嬉しかったのか、彼はうんうんと愉快そうに頷く。
「僕も何個か宝具を持ってるけど、あれには敵わないね。マスターが古代ギリシャに生まれなくて良かったよ」
でないとオリュンポスの神々が取り合いを始めそうだ、と冗談めいて彼は笑う。
いや、実際のところ冗談では済まされそうにない。現にオリュンポスの神の一柱に気に入られているし、今の時点で僕たちのマスターにかかる寵愛は半端なものではなかったからだ。それが今年のバレンタインデーでめでたく証明されてしまったというか。
少し戻って、数時間前の話になる。今年はマスターからもチョコをいただいので、お返しのライスボールとお茶を贈った。満面の笑みで喜んでくれたマスターにホッとしていると、マスターが一緒に食べようと誘ってくれたのだ。
自分の贈り物を食べるのは、と最初は断ったが、二人で食べたほうが美味しいと押し強い熱意に苦笑しつつ承諾。そうしてマスターのマイルームに入った瞬間、視界にぶち込まれた光景は今でも脳裏に焼き付いている。
部屋中に所狭しと並び立つ、綺麗に包装された箱の山。机の上、椅子の上、ベッドの上----とかく置けるところ全てにチョコというチョコが並んでいた。カルデアに滞在する女性サーヴァントやスタッフの総数を考えれば、これだけの量になることは容易に想像できる。実際、僕もここまでは想定していた。
問題はここから。フランス聖女の雑誌、よく磨き込まれた槍に杖、いくつか可愛らしいぬいぐるみ----ヒポグリフだったかのぬいぐるみは結構のサイズだったが----、その他小物類など。これらは十分にお返しだと理解できる。
壊れた枷や鉄の塊、皇帝ネロをかたどったと思わしき彫像、猫をモチーフにした車、何やら物々しい手紙、鮭。これもまだギリギリ許容範囲内だ。
言いしれぬ圧を放つ宝剣、そこにあるだけで大気を浄化しているたてがみのアクセサリ、太古の
どれ一つとっても並のサーヴァントの宝具級アイテムがずらりと並んでいたのは流石にどうかと思う。控え目に言って心臓に悪い。これらを渡したであろう英霊たちが即座に思い浮かぶのと、全員悪意があってのお返しでないということが猶更質が悪い。
この聖遺物まみれの部屋だけで大抵の魔術師ぐらいなら撃退できるだろう。うん、やっぱり馬鹿なんじゃないかな。特にスフィンクスはよくない。
そんな逸物しかない戦略兵器庫と化した部屋でリラックスしていたマスターには、その底の深さを見て唖然と呆けてしまっていたわけだが。
少し話が逸れ過ぎた。一夜にして世界一物騒なマイルームと化した話はさておき、主題をペルセウスへと戻す。
「君の宝具というと、ギリシャの神々から与えられたという様々な武具のことかな」
「そうそう。今装着しているのだとこれかな」
そういって、肩から羽織っていた黒色のマントをばさりと広げた。外見上ではただの薄生地のマントにしか見えないが、内から発せられるエーテルの圧力は紛れもなく
深緑の外套を羽織るロビンフッドもまた、
「たぶん今、透明になれるマントかなって思っただろう? その通り、それが能力その一」
「その一?」
つまり、その二もあるということだ。透明になれるだけでも十分強力な宝具だが、流石は神からの賜りもの。それだけでは終わらないらしい。
おもむろにペルセウスが肩からマントを外し、表裏とひっくり返して確認をとった。
「これ、どこからどう見てもマントだろう? ところがね、これをこうして----」
慣れた手つきでマントを畳み、何かを形造るように織り込んでいく。それが第二の能力の発動キーのようだ。
やがて、兜のような形状にマント折り終えたペルセウスは、それをすっぽりと頭に被った。
その直後、目を疑うような出来事が起こった。マントで型どられただけの布製の兜が、一瞬にして金属質な光沢を帯びたのだ。材質も黒色のマントが元のはずなのに、いつの間にか鎧と同じ鈍色の金属のような重厚さを獲得していた。
「これは……」
「そう、畳めば身を護る防具へと早変わりというわけだ。どっちも視覚的に派手さのない地味な能力だけど、これはこれで結構使いやすいのさ」
見てみるかい、兜を取り外してこちらに差し出してきた。手にもってみて、本当に金属製の兜に変化していると認識できた。掌から伝わるひやりとした感触や重厚感が何よりも物語っていた。
お茶らけているようでやはり英雄なのだ、と改めて目の前の青年を総評する。さっと出てくるものが鉄兜のあたり、伊達に死線をくぐり抜けてきたわけではないということか。
と、ここで一つ尋ねたい議題が閃いた。
しかし、ただ匿ってもらいにきただけの彼に突然質問するのはいかがなものか。ああ、気になることがあると突き詰められずにはいられない科学者特融の悪癖が。
あれだ。部屋に匿った分の借りを返してもらうということで手を打つのはどうだろうか。うん、そうしよう。
「ミスター・ペルセウス。一つ、質問いいでしょうか」
「ん、どうかした?」
「貴方にとって、悪とは何でしょう」
その問いかけに彼の口元が下がる。
「これはまた難しいことを訊くね」
「はい。僕が生きていた時代と古代ギリシャでは、人間の善悪に対する概念を知りたくて。特に貴方なら鋭い意見を訊けそうですし」
椅子借りるよ、と尋ねてきたので二つ返事で了承する。
椅子を引いて座り込んだので、棚に残っていた珈琲豆に手を伸ばした。
丸めて筒状にしたろ紙に珈琲豆を入れ、お湯を適度に分けて注ぐ。急造ながら鼻腔をくすぐる香りに、我ながら中々の出来栄えだと自負した。ライスボールもこれくらいできるように練習しなければ。
ドリップした珈琲と茶菓子の入ったバスケットをもって、ペルセウスの前に差し出す。感謝の言葉に謙遜を返しながら、反対側の席に腰かけた。
英雄ペルセウスの善悪への観念。一科学者として興味の出る題材だ。
やはり有名な逸話に絡めて、怪物は悪であるという話になるだろうか。そうしたら、僕も少しばかり楽になれる。
そう思っていた矢先、話題は意外な形で口火を切られることになる。
「実はね。僕は前に聖杯戦争に召喚されたことがあるんだ」
唐突に開け放たれたカミングアウトにぎょっと目が開いた。
ペルセウスがどこかで聖杯戦争に召喚されていた。それだけでも驚く事実だが、この一言には別の意味も含まれている。
「そして尚不思議なことに、その時の記憶もうっすらとだけど覚えている」
そう、彼は召喚されたという事実を記憶しているのだ。
聖杯戦争の記憶があること自体は、さして珍しい話ではない。他の英霊、例えばパッションリップというサーヴァントはカルデアに召喚される前の記憶を明確に覚えている。逆にジャックのようにカルデア以外での召喚記録は覚えていないサーヴァントもいる。
それらが分かたれる明確な理由は未だに判明していない。また、記憶があっても程度の差があるようで、はっきり覚えているものもいれば他人ごとに近い感覚のものもいる。
僕の場合、多少の記憶の混濁と
「その時のマスターはね。僕が召喚された時、既に死に体だった」
途端、今まで柔らかだった彼の瞳の色が、どろりと粘質なものに変わったような気がした。
「全身に機械をつけられて、無理やり延命させられていたのさ。手足も腐っていて、呼吸は虫のようにか細くて、顔は苦痛によって常に歪んでいた。おまけに彼の魔術回路は、おおよそ邪悪なもの全てを練り混ぜたかのような醜悪なものに侵食されていた」
聖杯からもたらされた知識に、それに関する情報も識らされていた。化学工業の発展した現代では、人体の一部を機械が代用できるとされている。例えば、失った大腸の代わりとして、体外に大腸の役割を果たす機械を取り付けるなどだ。
当然、有機物と無機物が完全に馴染むことはない。相応の苦痛や負担が装着者の身体に圧し掛かることになる。何より人間離れしていく自身の姿に、装着者自身の精神がひどく蝕まれることだろう。自分が自分でなくなっていく恐怖は、僕がもっとも理解している。
加えて、魔術師の生命線である魔術回路まで異常をきたしていたという。魔術師としても人間としても尊厳を奪われ、侮辱と屈辱に満ちたであろう姿に憐れみの念を覚えざるを得ない。
「聖杯戦争のマスターということは、その彼が望んだものは、やはり----」
紡いでいた唇に、ふっと指を添えられる。
僕が口を閉じたのを確認したペルセウスは、指を離して静かに笑った。
「彼が望んだもの。それは----世界の平和さ」
人当たりの良い笑顔とも、王子のように気品立つ笑顔でもない。かけがえのない友を賛美し、誇らしく胸を張る幸福な笑顔だった。
「彼は一言も不平不満を漏らさなかった。一度も怨恨憎悪を零さなかった。ただひたすらに、この世界がどれだけ温かなものかを、天使のように安らかな顔で語ってくれた」
ペルセウスの語った元マスターの惨状を想像すれば、世の全てに恨みを抱いていてもおかしくはないはずだ。否、抱くべきなのだ。そうでなければ、あまりにも----不幸にすぎる。
強制的に命をつなぎ留められ、しかも想像を絶する激痛が常に付きまとっていただろう。外側からも内側からも崩壊していく己の姿に、幾度となく絶望しただろう。にもかかわらず、そこから導き出される願いが世界の平和。
どれほど屈強な精神力なのだ。人格や精神面を抽出すれば、それこそ過去の聖人たちにも匹敵するのではないだろうか。
「そして僕を召喚したために、彼は死んだ。聖杯戦争が始まる直前に」
唐突に、現実が突き付けられる。
エーテル体であるサーヴァントの現界を維持するには、マスターから魔力の供給を受けなければならない。
そのような衰弱しきった身体では、サーヴァントを召喚すれば僅かな寿命を大幅に減らすことも承知だったはずだ。ましてや古代ギリシャの英雄ペルセウス、その後の肉体維持にかかる魔力も馬鹿にならない。
それらを全て承知の上で、彼の元マスターは召喚に踏み切ったのか。あるいは何者かに強制させられたのか。いずれにせよ、文字通り命を賭してまで聖杯に願った理想が、自分のことを棚外に置いた世界の平和。
それではまるで----そう、それこそ『正義の味方』みたいじゃないか。
「生前の僕であれば、悪とは人に害成す怪物である、と答えたかもしれない。でも今は違う」
ペルセウスの
「悪とは、善なるものを救おうとしない全てだ。真に正しきものが潰され、欲にまみれた愚者が蔓延ることだ」
おぞましいほどの冷たさで彼は言い切った。
聖杯戦争を経験し、その記憶が偶然にも残ってしまったために、英雄ペルセウスの在り方は変わってしまったのかもしれない。自らが「悪」と定めたものに、彼はあの笑顔のまま容赦のない殺戮を振り撒くという確信があった。
その聖杯戦争でさえ、彼はマスターを失ってのスタートだった。性格上、他のマスターの下について優勝を狙うような行動はしないだろう。となれば必然、もう一つの方法で己のエーテル体を維持していかなければならない。
一般人から魔力----魂を強奪する、いわゆる「魂喰い」だ。魔力を限界まで搾り取られた人間は、魔力欠乏に陥ってしまい、そのまま放置されれば死に至る。無辜の民人に手を出すという英雄にあるまじき外道行為のために、それに手を染めるサーヴァントは人命に関心の薄い反英霊、もしくはそれを併せ持つ英霊であることが多い。
だが、ペルセウスは音に聞こえし大英雄。童話として語り継がれるほどの、神々に愛された英雄。
その彼が、言外に告げているのだ。英雄としての矜持をかなぐり捨ててでも元マスターの無念を晴らすと。
「だからこそ、僕はこの人理焼却の黒幕を許しはしない。蒔いた種から生まれる人理再編を認めはしない。そんな救いようのない人間たちを含めて、彼が愛していた世界を焼き払い、歪めた。いかなる事情があれど、生かすつもりはなかったよ」
冷ややかな面立ちのまま彼は語る。
世界を憎悪しながらも、彼が崇拝した元マスターの愛した世界を守ること。相反する願いの中を、今まで揺れ続けてきたのだろうか。
だとすれば、それはどれほど惨い話なのだろう。
「----すまないね。少し、熱くなり過ぎた。彼女も遠くの方へ行っただろうし、そろそろお暇するよ」
先程までの凍るような瞳は一瞬で鳴りをひそめ、清爽な笑顔に戻る。優雅にカップに手をかけるその顔は、女性スタッフからチョコをもらって得意げに鼻の下を伸ばす、いつもの英雄ペルセウスの
思いがけないものを見てしまったような気がした。普段は人当たりの良さそうに笑い、大勢に好かれるペルセウスの裏の----いや、新しい顔と呼ぶべきか。
このまま、彼を行かせてもいいのか。
一方的にコインの裏を見せてもらって、そのまま彼と別れていいのか。
いいや、駄目だ。話さなければならない。僕のコインを、改めて裏返さねばならない。
なぜなら、訊いてしまったからだ。
彼がそのコインの裏を獲得する過程のものこそ、僕たちが何より求めた----
「……僕もです」
気付けば、思考の端から言葉が漏れてしまったようだ。
その声にペルセウスが視線を投げかける。口にしてしまったのだ。最後まで走り切るしかない。
息を吸い、短く吐く。騒がしく鳴動していた動悸と
「僕も、貴方と同じように記憶があるんだ。聖杯戦争で呼ばれた時の記憶が」
へえ、と吐息のように小さい一言が彼の口から零れた。
「以前の、いや以後かもしれない。聖杯戦争に召喚された時、僕のクラスはバーサーカーでした」
此度の現界ではアサシンクラスでの召喚となったが、もう一つ。バーサーカークラスの適性も併せ持っている。言うまでもなく、その理由は
「その時のマスターは、魔術の行使はおろか魔術の存在すら知らない少年だった。いや、その右目は一種の魔眼だったので完全な一般人とは言ませんが」
詳しいメカニズムは不明だが、彼の右目に見られたものは動きが極低速状態に陥っていた。最早停止と言い換えてもいいかもしれない。魔眼を有する神秘性と血統に僅かに残されていた魔力が奇跡的に絡み合い、聖杯戦争への参加権を得てしまったというわけだ。
「それで、僕は何も知らないその少年に、聖杯から与えられた知識を元に戦争の概要を説明した。それを訊いて彼は言ったんだ、『聖杯戦争を止めたい』と」
自分の住んでいる街を守るため。マスター同士の殺し合いなんてものを止めさせるため。
まっとうな魔術師であればとっくに捨て去っているであろう『正義』を彼は秘めていた。誰しもが一度は夢見たであろう『正義の味方』を彼は目指し、僕はそれに共感していた。
せめてもの魔力を得ようとライスボールを頬張っていた横顔が思い浮かび、自然と瞼を降ろす。
「そして僕は、彼と共に聖杯戦争を止めようと奔走し----敗れました」
瞼の裏に浮かぶのは、身を投じていた死闘の瞬間。
熱砂の閃光。黒い森を蹂躙する光の蛇。太陽を直に押し付けられるかのような灼熱と重圧。
振るった凶爪も、突き立てる鋭牙も、生者を捉える咆哮も無意味とばかりに灼き尽くされた。
心臓を不可視の剣で貫かれ、当時のランサーとアーチャーからの奇襲も受けていた。
とどめとばかりに、戦争の最中に突然マスターからの魔力供給も絶たれた。
つまりはそういうことだ。いっぱしの使命感だけでは、魔術世界の闇にあえなく吞まれてしまう運命でしかなかった。それをわかっていて尚、己は彼に賭けたのだ。
賭けて、望んで、手を伸ばして。
掴んだものは、
「彼の最期を僕は知らない。もしかしたら生きていたかもしれない。それでも、僕と彼が目指した『正義の味方』はあっけなく砕け散った」
狂った科学者に過ぎない己が身では、太古を生き抜いた英傑たちに挑むことすらおこがましかったのだ。
そして、その中で出会ってしまった。狂獣だった
彼こそが、僕たちが目指した『正義の味方』そのもの。そう思わざるを得なかった。彼の成すことこそが正義であり、彼の剣先が向く方こそ悪であると思い知らされた。
では、僕たちが目指した『正義の味方』は間違っていたのか。身近な人たちを守りたい、住み慣れた街を守りたいというありふれた願いを抱いてはいけなかったのか。
「ミスター・ペルセウス。僕には、君の元マスターのような高潔な精神力なんてない。一目見て圧倒されるような善たる気風もない。人間の善性を信じたかっただけの、悪性に乗っ取られた科学者だ。そんな男は、正義の味方を目指したことさえ罪なのだろうか」
俯き、拳に力が入る。爪先が掌に食い込む鮮痛が脳に伝達される。
所詮は過ぎたる望み。悪は悪らしくあれ。
善の英雄であるペルセウスなら、この未練を迷いなく断ち切ってくれるだろう。怪物退治で名の知られる彼ならば、
目指した正義自体は間違っていないはずだ。ただ、僕にその資格がなかっただけなのだ。
そう宣告してくれるだけで、気持ちが楽になれる。
「----正義の味方、か。少なくとも、僕にそれをどうこう言える立場ではないかな」
器から水滴がこぼれるような静かな声で、押し黙っていたペルセウスが口を開いた。
想定していたどの言葉でもなかったことに、思わず俯いていた顔をあげた。
「僕は幸福な英雄だった。幸福だということは、不幸を知らないということだ。困っている人を助けても、その人がどれだけ不幸だったのかは終ぞ知ることはなかったからね」
不幸を知らない人生。果たしてそれはどのようなものなのだろう。
常に幸福に溢れ、眉をひそめることのない人生だろうか。いや、怪物退治の逸話や姫の救出の逸話を鑑みるに、相応の苦労を背負ってきていることは間違いない。
想像がつかない。幸福しかない人生とは、見方によっては一種の呪いにも思えてきた。他者と真に通じ合えることのないという、巨大な
「それに、死後もこうして手を汚しているんだ。それも一の幸福のために、多数の不幸を生み出して。そんな男が、正義の味方について語れる権利なんて持ち合わせているわけないだろう?」
己の両手に視線を落とし、ペルセウスが自嘲気味に笑う。
「それでも、伊勢三という幼い聖人は確かに存在していた。それを世界に刻み付けただけでも僕は満足なんだよ」
傲慢だろう?、と彼は小さく笑う。
元マスターを救いたい一心。どこまでいっても、それが彼を突き動かしてた原動力のようだ。
そのマスターは実際に救われたのかどうか。それはこの際訊くのは野暮だろう。
どうあれ、確実に一人は救われたのだ。残虐な世界の中で笑った少年のために奔走した、ペルセウスという英霊が。
「それでも言えることはある。正義の味方とは何なのか。たぶん、それに行き詰まってしまった英雄は他にもいると思う。そして、それは今の僕たちのマスターにも言えることだ」
いきなりマスターが話題に組み込まれ、疑問に眉をひそめてしまう。
その反応にペルセウスは珈琲で唇をしめらせ、今までになく真剣なまなざしを向けてきた。
「これまでの特異点の修復は、異なる歴史を辿った結果多くの不幸を生み出すようなものばかりだった。でも、その逆はまだ来ていない」
その言葉にハッとさせられる。今まで渡り歩いてきた特異点では、何かしらの陰謀が蠢いていた。それは魔術王の直属である魔神柱が絡んでいたり、或いは魔術王の仕掛けた聖杯に呼び出された英霊の暴走によって引き起こされたものばかりだった。
フランスは邪悪な聖女と邪竜が降誕した。
ローマは同じ名を持つ連合軍に攻め込まれた。
大航海時代は世界全てを海に呑まれた。
ロンドンは魔霧と殺戮機械の横行する死都となった。
アメリカは古代神話と有りえない邂逅を果たした。
中東は聖都と紀元前のエジプト庁が混ざり合った。
バビロニアは三女神と決戦を強いられた。
いずれも長く、辛く、切れかけのロープを渡り歩いていくかのようなギリギリの戦いだった。過酷な状況下の中でマスターは、いつだって人々の苦悶に喘ぐ声を救うために奮闘した。
では、その逆とは。
「特異点となった結果、本来の歴史と変わって幸福になった歴史……」
ぽつりとつぶやいた一言にペルセウスが相槌をうった。
「そうだね。そして、そういう可能性に成り得る歴史はいくらでもある」
歴史の闇は深い。それは人間の救われなさと愚かさを同時に示している。
例えば、奴隷格差社会。例えば、フランスの死刑問題。例えば、セイレムの魔女裁判。
少し掘り返すだけでも人間の悪性はすぐに現れる。
もし、これらの歴史が特異点となり、その結果として人々が幸せな世界を得ていたとしたら。
異端審問、無意味な戦争、略奪、貧富の差。本来の歴史では辿ってしまった血肉の道をなかったことにできた世界。
そんな世界を修復----元の歴史に戻さなければならないとしたら、マスターはどうするだろうか。
「この先の旅で、マスターはその壁に必ずぶつかる。すなわち、現地の人間をとるか、歴史全ての人間をとるか」
普通に考えればすぐに分かる話だ。多くを救うためには小を切り捨てなければならない。
その判断を即座に下せる人間もいる。心の芯まで冷え切った、壊れてしまった人間ならば、引き金に掛けられた指を簡単に引くだろう。
では、マスターはどうか。とても違う。弱きを助け悪しきに挑む、決して折れることのない精神。どことなく彼に似た、ひたむきに誠実な人間だ。
「マスターは優しい。実際に特異点に跳んで人々と触れ合えば、必ず葛藤するでしょうね」
「だからこそ、さ」
くせっけのある髪を再びかき上げ、ペルセウスは笑った。今日、最初に見せた時のような温かな笑顔で。
「その時は、しっかりと導いてあげよう。僕の正義と、きみの正義で。共に夢破れた残滓だけど、それは新たな正義を正しく育む
曇天とした暗闇に、一筋の光が差し込んだように思えた。
僕と彼の正義。ペルセウスの正義。それらは等しく世界に跳ね返され、無念にも押し通すことができなかった。
だけど、それは間違い方を示すことができた。次に正義を目指す者に、この道は行くなと誤ったルートを助言することができるのだ。
マスターの歩む道が真の正義か。それは分からない。きっとマスター自身、深く理解はできていないと思う。
だがそれでいいのだろう。正義を突き詰めてしまうと、待っているのは僕やペルセウスのような失敗への道。葛藤し、憤怒し、報われない悪道。
マスターの赴くままに。マスターが信じる正義のままに取捨選択していけばいい。ただし、僕らが通った道にだけは通さないように注意しながら。
それでもその道を突き進むのなら、その時は----
「そうですね」
自然と笑みがこぼれた。マスターからチョコを渡された時のように朗らかな気持ちが、正義と悪の狭間で溺れかけていた僕の心に染み渡った。
「もちろん、貴方も手伝うんですよね。幸福の英雄さん」
「当然さ。僕を誰だと思っている。オリュンポスの神々の寵愛を賜った英雄ぺルセウスだ。マスターが望むなら、天馬のように駆け抜けるさ」
人は必ず善と悪を内包している。そして、どちらかの側面に偏り、形成された信念を正義とする。
それは誰しもが当てはまること。英霊も反英霊も、人も怪物も。
けれど許されるのであれば。いつかマスターに訊いてもらいたい。
悪性の想念でありながら、正義の味方を目指した愚か者の物語を。
---------------
クラス:ライダー
真名 :ペルセウス
キャラクター紹介
ギリシャ神話に語られる怪物退治の英雄。
主神ゼウスを父に持つ半神半人で、ヘラクレスの曽祖父に当たる。
神々からの祝福を受け、怪物に堕ちたゴルゴーンを討った。
パラメーター
筋力:D+
耐久:E+
敏捷:B+
魔力:B+
幸運:A+
宝具:ABCDE
小見出しマテリアル
ギリシャ神話の中でも古株で、その性格も相まって後輩ギリシャ英雄との関係はおおむね良好。本人は「後輩ほど誇れる武勇もない」と謙遜しているが。
しかし、その温厚すぎる性格に不信を抱く者もわずかにいる。「奴は笑顔で人を殺す甘い毒のようなものだ」とある毒殺者は語った。
過去に新宿に召喚された記憶があり、現代の知識に優れる。英霊のくせにプリクラとか撮る。その時に召喚されていた他の英霊とも面識がある模様。
直接的な面識こそないがアルターエゴ----サクラファイブから一方的に距離を置かれている。系譜が悪いとしか言いようがない。
ゴルゴーン三姉妹との関係は複雑。討たれた当事者であるメドゥーサは、ペルセウス側にも神々の事情が絡んでいることを察しているので恨む気になれないらしい。対してゴルゴーンは、クラスの補正故かペルセウスへの憎悪が強い。槍メドゥーサは黙秘。上下姉様は「駄妹を手にかけた男」と明確に嫌悪している。
特異な宝具ステータスは、彼が持つ六つの宝具それぞれのランクのもの。また、その中にはメドゥーサと同じ
シェイクスピア「失礼!匿っていただきたい!」
ジキル「ミスター・シェイクスピア?」
ジャンヌオルタ「待ちなさい!骨の一本も残さず焼き尽くしてやるわ!」
ペルセウス「そして黒い聖女サマ!?作家の君、またやらかしたな!?」
ゴルゴーン「----向こうが騒がしいな」
次の新宿でプロト勢が絡んでこないか僅かな期待を抱いております。ブリュンヒルデとかプロト兄貴とか。もちろんペルセウスも。
殺ジャックとかも新宿で召喚されてたからワンチャン……!