ハリーが目を覚ました時、そこにはロンもドラコも居なかった。代わりに彼を心配そうにのぞき込んでいたのは、見たこともない赤毛の青年だった。既にホグワーツの制服を着ている彼のローブの襟元にはPの文字の入ったバッジが輝いている。
「ああ、目がさめたようだねポッター君。僕の弟が本当に申し訳ないことをした。僕はパーシー・ウィーズリー。ロンの兄で、グリフィンドールの監督生だ。」
ハリーの体を優しく起こしながらパーシーがそう告げ、暖かい紅茶の入ったカップを渡してきた。
ハリーはゆっくりとした動きでそれを受け取るが、飲もうという気にはなれなかった。
胸のあたりのざわめきは収まっているが、頭がぼうっとして何かをしたいという気持ちが起きてこないのだ。起きているだけで体力が削り取られていくのを感じる。ダーズリーの家にいたときだってこんな風になったことはない。ハリーは自分の身にいったい何が起きたのかよくわからなかった。
「君が倒れたときにちょうどこの車両のパトロールをしていてね。監督生の仕事なんだけど。でも近くにいて本当によかったよ。あ、温かいうちに飲むことだ。気持ちが落ち着く。」
小さくうなずいたハリーが両手に持ったカップを口に近づけるのを見てパーシーは笑みを浮かべた。
砂糖がたっぷりと入っている暖かい紅茶が喉の通り過ぎ、全身にその温かさを伝えているような感覚が広がる。
「もうすぐホグワーツに着くから着替えたほうがいいんだけど、動けるかい?それと組み分けが終わったらマダム・ポンフリーのところに行ったほうがいいだろう。元気の出る薬をくれる。」
「はい。」
ハリーは短く答えただけだったが、パーシーはそれに大きく頷いた。
パーシーはもそもそとハリーが着替えている間、ただそこにいるだけだったが、それがハリーにとってはとても嬉しかった。でも、倒れてしまったせいで、自分の態度が悪かったせいでロンやドラコに嫌われたかもしれないと思うと気分が暗くなってきた。
正直、ハリーはホグワーツに行くということが、これほどまで自分の環境に変化を及ぼすものだとは思っていなかった。
ハリー・ポッターという名前が一人歩きをしていて、彼が望まざろうと自分を有名人にしてしまっていることは予想していたが、ドラコの様にわざわざ会いに来る人がいるほどだとは思っていなかった。何しろ今まではなるべく周囲に認識されないように過ごしていたのだ。
でも、人が飽きやすいものだということもハリーは知っていた。自分たちが思い描いたものと違えばすぐにほかに興味を持っていかれる。ダドリー軍団にいじめられて泣いていたころは彼らはしつこく絡んできたが、泣きもわめきもしなくなってからはハリーいじめは彼らのお気に入りの遊びではなくなった。だから、自分が「英雄」ハリー・ポッターではないと分かれば、皆興味を失うだろう。きっと入学から少しだけ耐えればいい。そのあとは、いつもみたいに気配を消して過ごしていれば周りを不快にさせることもないはずだ。
「大丈夫かな?じゃあ僕はいくよ。グリフィンドールだったら僕を頼ればいい。なにしろ監督生だからね。じゃあホグワーツで会おう。」
パーシーは言ってコンパートメントを出て行ってしまった。
監督生と言っていたし、きっと色々忙しいのかもしれないとハリーは考えた。ついでにロンが兄弟にグリフィンドールの監督生がいると言っていたっけ、と思い出す。パーシーもロンの兄だと言っていたし、よく似た赤毛をしていた。
倒れる前はまだ窓の外は明るかったような気がしたが、今は真っ暗だ。結構長い時間眠ってしまっていたらしい。
ガラスに反射する自分の顔はひどく疲れて見えた。ぼさぼさの黒い髪に、少し壊れた丸メガネ。その奥にある緑色の目はひどく濁っていることをハリー自身自覚していた。こんな暗くて気持ち悪い子の友だちになりたいなんて言う人はいないだろう、とふと思う。
パーシーは監督生だから自分にやさしくしてくれたんだ、とハリーは結論付けた。
ロンが必死に話してくれたのだって、自分が有名人だからだ。ドラコが訪ねてきてくれたのだってそう。
その気持ちに答えるべきだったかどうかもわからないが、ハリーは自分が友だちがほしいのかもしれないと薄々感じていた。
誕生日プレゼントにふくろう――ハリーはヘドウィグと名付けた――をくれたハグリッドには一応あの後「ありがとう」とだけ書いた手紙を送ったが、それ以降のやり取りはない。本当はもっと気の利いたことを書きたかったが言葉が出てこなかったのだ。ハリーはそのことを後悔している。
そして今、ロンとちゃんと話ができなかったことを後悔し、ドラコの前で倒れてしまったことも後悔していた。
きっと彼らはもうハリーと関わってくれないだろう。自分のことを疎ましく思っているはずだ。
ゆっくりと速度を落としホームに滑り込んでいくホグワーツ特急に列車の中がにぎやかになっていくのをハリーは感じていたが、同時にどんどん気持ちも重くなっていった。いっそこのままこの列車に乗ったままでロンドンに帰ってしまいたいが、そのあとどうすればいいのか見当もつかないので、停車した列車からがやがやと降りていく人に続く様にハリーもまた列車から降りた。
ホームの端で見たことないような大男が一年生はこっちだ、と声を上げているので、ハリーは俯いたままそちらに向かっていった。
顔さえ上げなければ額の傷も見えないだろうから、自分がハリーだとばれないだろう。でもきっと、それだって無駄な努力なのかもしれない。
大男に案内されながら小さなボートに乗り込んでもなお、ハリーは顔を上げようとしなかったが、同じボートに乗り合わせていた子たちが列車の中にハリーがいたらしいことと、倒れたらしいことを話し合っていた。
倒れたことまでみんなに知られていることにハリーは驚いた。
魔法使いというものはずいぶんとゴシップが好きらしい。プライマリースクールだってここまで数時間程度で話が広まるなんていうことはなかった。
このノリについていけるか、ハリーの心配事は増加する一方だが、一番の心配事は組み分けだった。
それはほかの子どもたちも同じのようで、ボートが城の様に大きな学校につくまでの間その方法を予想し合っていた。
トロールと戦わされる、だの知力を量るテストをするだろうだの憶測ばかりが飛び交っていたが、どれも決定打には欠ける様だった。
学校についてボートを降りたところで先導者が大男から、三角帽子が印象的ないかにも魔女といった女性に変わった。
大男はその魔女をマクゴナガル教授と呼んでいたから、スネイプと同じこの学校の先生なのだろう。ひっつめた髪と四角い眼鏡、更にはぴんと伸びた姿勢は彼女が厳しい先生なのだろうと予想させた。スネイプだってかなり気難しいタイプだったし、この学校の先生たちはみんな厳しそうだ、とハリーは思った。
組み分け儀式のためにハリーたち一年生はマクゴナガルに連れられて大きな講堂に向かった。そこには、長いテーブルが並んでいて、上級生たちがずらりと並んでいた。きっとみんなの前で組み分けをやることになるのか、とハリーの気分はさらに重くなった。
正面には教師らしき人々も並んでテーブルについている。その中に見知った顔、スネイプを見つけて、本当に教授だったのかとハリーは少し失礼なことを考えていた。彼が教員らしくないわけではなく、実感がなかっただけだ。黒ずくめの彼はいかにも魔法使いだったが、他の先生たちは結構色とりどりの格好をしている。マクゴナガルも緑のドレスだ。
別に魔法使いや魔女だからと言って真っ黒い格好をしなければいけないわけではないのか、と少し呑気なことを考えればちょっとだけ気分も晴れてくる。
そうやって前をちょこっと見ただけで、ハリーは再び顔を伏せた。