ハリーはそれまで自分が住んでいた、プリベット通りから遠く離れたスピナーズ・エンドという寂びれた一角の廃屋のような家にいた。
彼のために与えられた部屋はそれまでの階段下の物置とは比べ物にならないほどに広かったし、服にしてもハリーの体に合わない毛玉だらけのダドリーのお下がりではない。
外観は雑草の生え放題の庭と、蔦に覆われくすんだ窓硝子のせいでまったく人が住んでいるようには見えなかったが、内側はそうではないということにハリーは当初驚いていた。これが魔法ということらしい。
ここまでの移動も「姿現し」という非常に難しい魔法で、ハリー自身は「付き添い姿現し」とやらで連れてこられたということも分かった。
埃だらけだった部屋も、スネイプが杖を一振りするだけできれいになってしまったし、魔法とは本当に便利なものらしい。
連れてこられたその足で、スネイプはハリーをダイアゴン横丁という魔法使いの街へと連れて行き、秋から必要になる学用品を買い揃えた。教科書だけかと思っていたら、杖に制服、そして魔法薬学で使う道具に関しては非常に丹念にスネイプが選んでくれた。なんでもスネイプはその魔法薬学の教授らしい。
しかしスネイプが色々と面倒を見てくれたのもその日だけだった。
ホグワーツの教授職にある彼は非常に忙しいらしく、それ以降は一人でこの家の中にいることのほうが多い。
書斎にある本は好きに読んでいいと言われたので、教科書をある程度読んでしまうとハリーは早速書斎の様々な本に手を伸ばし、魔法界のこともある程度分かってきた。
魔法界は遠くない昔に、闇に包まれていて、その原因たる闇の魔法使いをどうやらハリーが滅ぼしたらしく、「生き残った男の子」などとまるで英雄の様に自分自身のことが伝えられていることを知った時には軽くめまいを覚えた。
そして、偶然なのかハリーの11歳の誕生日にスネイプは久しぶりにその家に帰ってきた。
そこで、ハリーはこのしばらくの間に生まれた疑問をぶつけてみてもいいものか、とゆったりとしたソファーに体を沈めて、何やら難しい本を読んでいるスネイプの後頭部を凝視していた。
「言いたいことがあればいいたまえ。」
振り向くこともせず、スネイプはそう言った。
どうも彼に心を読まれているのではないか、とハリーは思うときがある。初めて会った時もまるでハリーの考えていることがわかるかのように話していたし、今にしてもそうだ。
ひょっとしたらそういう魔法もあるのかもしれない。
そう思って、おずおずとハリーは口を開いた。
「あの、なんでMr.スネイプはあの日あの家に来たんですか?」
あのあと初めて手紙の中身を読んでみたが、教授が来るなどと一言も書いていなかったし、ホグワーツには彼以外の教授もいるだろう。にもかかわらず彼が来たことが不思議でならなかった。尤も、あの時の話しぶりからするにペチュニアも彼のことを知っているようであったからそれが原因なのかもしれないが、入学を断ることのできない学校など聞いたこともない。
「貴様からの断りの手紙は確かにホグワーツに届いた。そこにはペチュニアからも重ねるように断りの言葉が足されていたわけだが…校長は当初、別の人物を行かせるつもりだったのだがね、彼ではいかんせん説得に向いていない。ほかの教授でもよかったのだが、我輩はペチュニアのことも知っている。だから我輩が向かったのだ。」
もっとも説得はできなかったが。と付け加える。
「でも断ったのになぜ。」
「貴様は断ることなどできないのだ。随分本を読んだようだし、わかっておろう。自分が『生き残った男の子』と呼ばれる英雄であると。」
心外だ、とハリーは叫びたかった。
ホグワーツに行くことだって本当は望んでいない。それしか道がないのだから、それに従っただけだ。その上、自分の知らない場所でこんなにも目立つ存在にされているなんて入学前から気が重くて仕方がない。できる事なら今からでも入学を辞退したいが、それも許されなさそうだ。
ついでにあのように出てきてしまったダーズリーの家にもう一度帰れるとも思えない。
「そして、闇の帝王はおそらく滅びてはいないだろう。貴様は命を狙われる存在、というわけだ。ならば身を守る術程度は学ぶべきであろう。」
意地の悪い顔でスネイプはハリーのほうを振り向き、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。
本には闇の時代があったとは書いてあったが、どのように闇だったのかまでは詳しく書かれていなかった。ただ、闇の魔法使いと彼に従う「死喰い人」と言われる者たちが傍若無人の限りを尽くしたのであろうことは、ハリーにも容易に想像ができた。
だが、自分がどのようにそのような強大な力に打ち勝ったのかはわからない。
ただ、どうやら額にある稲妻型の傷はその時についたものらしい。これも本に書いてあった。
「でも、ぼくはじぶんのことも、どうやってその闇の魔法使いを打ち負かしたのかもわかりません。本にもその部分は書いていない。」
ハリーがそういえば、スネイプは今まで見たこともないような悲しいような苦しいような顔をした。
どうやらこれ以上この話題を続けるべきではない、とハリーは考え何とか代わりの話題はないかと考えを巡らせた。
「あ、その!えっと…入学まではまだ時間があるので、えっと、庭の草むしりをしてもいいでしょうか。その、いさせてもらっているわけだし、あの、なにかしないと。」
ダイアゴン横丁に行ったときに、グリンゴッツという銀行にろくでなしだと思っていた父親がありえないほどの資産を残してくれていたので、その中からスネイプに夏の間の生活費を渡そうとしたのが、固辞されてしまいそれ以来何かしたいと思ってはいたが、言い出せないでいたことをハリーは思い出し、自分でもできそうなことを提案した。家の中は魔法できれいになるが、外はそうはいかないらしい。
ペチュニアは常日頃、居候の身なのだからできる限りの家事をして家主の負担を減らすべきだ、とハリーに言い聞かせていた。だからハリーは何もできず、ひたすら本を読んでいる間居心地が悪くて仕方がなかったのだ。
スネイプの目がじっとハリーを見つめていた。
「貴様の好きにすればいいだろう。尤も、予習を怠らない範囲であればであるが。」
スネイプの答えはハリーの荷を下ろすには十分だった。
予習を言いつけるあたりはやはり教授といったところか。それでもハリーは生まれて初めて誰かに期待されているのではないか、と思った。一方で、その期待を裏切ってしまうかもしれない自分が怖かった。
「そういえば、ホグワーツの森番のハグリッドから貴様への届け物を預かっている。誕生日祝いだと言っていたが…少し待つように。」
そう言ってスネイプは立ち上がると、自身の研究室がある――この部屋はハリーは立ち入り禁止にされている――地下へと向かい、しばらくして、白い大きなふくろうが入った鳥かごと、何やら黒い皮に覆われた両掌よりも少し大きい箱を持って戻ってきた。
ふくろうの入った鳥かごをハリーの前に出し、ハグリッドからだと告げ、黒皮の箱は自分からの誕生日プレゼントだと、スネイプは非常にぶっきらぼうに言った。
押し付けられるままにハリーはそれらを受け取り、鳥かごを覗き込めば真っ白いふくろうがほーっと鳴く。
誕生日プレゼントという聞きなれない単語にハリーは非常に困惑していた。
言葉が出てこない。
今まで誕生日だからといって何かをもらったことはない。あったとして、図書館でハッピーバースデーと刻まれたしおりを渡されたくらいだ。ひょっとして自分は騙されているのだろうか。嬉しいと思ってしまったらその瞬間にこの夢は冷めてしまって、ダドリーが「まぬけ!」といって蹴り上げてくるのではないか。そんな疑念すら湧いてくる。
鳥かごには白い手紙がはさまれている。これもそのハグリッドという人からなのだろうか?
ハリーの中で様々な思いが交錯する。
「まあよい。あまり難しく考えないことだ。素直に受け取っておけ。そして、魔法界ではふくろうが手紙を運ぶものだ。あとでハグリッドにお礼の手紙でも送ればいい。」
それだけ言うとスネイプは地下の研究室へ戻っていってしまった。
リビングのソファーの後ろに残されたハリーは、しばし放心した後、二つのプレゼントを抱えて2階にある自分に与えたれた部屋へと向かった。
鳥かごと黒皮の箱をデスクの上において、鳥かごに挟まれていた手紙を開封した。
『おたんじょびおめでとう ハリー。
本当なら俺がお前さんを迎えに行くはずだったんだが、なにしろ俺はああいう話っつうのがどうも苦手で。お前さんの両親はすごい魔法使いと魔女だった。きっとお前さんも才能に恵まれているはずだ。
このふくろうはたんじょびぷれぜんとだ。きれいだろう?名前を付けてかわいがってやってくれ。
ホグワーツで待っとるよ。 ハグリッド』
ところどころ誤字の目立つその手紙をハリーは何度も何度も読み返した。
初めて誰かから誕生日を祝われた嬉しさよりも、どう返事をしていいのか戸惑いのほうがまだ大きい。
スネイプから渡された黒皮の小箱の中身は魔法薬の調合に使うらしい様々な刃物と薬さじなどのセットだった。いかにも魔法薬学の教授らしいものだ。
どうやってお礼をすればいいのか、本当にハリーにはわからなかった。
本来ならさっき、渡されたときにありがとうと言えればよかったのだが、出てこなかったのだ、その一言が。
完全にタイミングを逸してしまった。
ハグリッドにお礼の手紙を書きたいが、なんて書いていいのかもわからない。
ハリーは羊皮紙を広げてはみたが、羽ペンを持ったまま固まってしまった。
こうしてハリーの11歳の誕生日の晩は更けていった。