ハリー・ポッターは諦めている   作:諒介

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CHAPTER8-1

 ハリーは翌日の昼間、フレッドとジョージの言っていた鏡を探してみることにした。二人は細かく場所まで教えてくれたし、夜でなければ校内をどれだけ歩こうとも基本的には咎められることはない。入ってはいけないあの廊下は別だけれど、少なくとも鏡がある場所はそうではない。休暇中は生徒の数も少ないからほかの生徒に会うこともなくその場所までたどり着くことができた。

 扉はうっすらと開いていた。

 ハリーは廊下にほかの誰もいないことを確認してから、なるべく素早くその部屋に身を滑り込ませた。

 少し埃の臭いがするその部屋は使われていない教室なのだろう。何年もあけられていないだろう窓には日に焼けた古いカーテンがかけられていて、それすらもずっと触られていないようだった。隅のほうに追いやられて積み上げられた重そうな木の机と、以前は白かっただろうが、ずっとそこにあることで薄く茶色いほこりをかぶってしまっているリネンをかけられた布張りらしい椅子。一見すればそこは物置のようにも感じられた。まあ、ともかく生徒が用事のある場所でないことは確かだろう。

 そんな部屋の中央あたりに、わざとらしいくらい目立つようにその《鏡》は置かれていた。

 凝った装飾が施されたその枠には「すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ」と刻まれていた。まったく意味が分からない。教科書に出てくるような呪文の文字列とも明らかに雰囲気が違っているし、だからといって何の意味もない言葉ということはないだろう。

 ハリーはきっとこれが双子の言っていた面白いものなんだろうと思った。とはいえ、見る限りはただのとっても古めかしい姿見でしかない。これだけでは一体何が面白いのか全く分からないが、あの双子が言うのだからきっと何か普通のものとは違うものがあるのだろう。

 ひょっとすると童話にあったあの鏡のように問いかけに答えてくれるのかもしれない。あれだって魔法の鏡だったし。それとも砕けた破片は心を凍りつかせてしまうようなものなのか。以前は童話の世界だけの作り話であり得ないと思えたことも、魔法界が存在することを知っている今となってはそれらも作り話だけではないのではないかと思えてくる。

 少しだけわくわくしながら、でも同じくらいの怖さを感じながらハリーは、恐る恐る鏡の中を覗き込んだ。恐ろしい何かがこちらを覗き込んでいるかもしれないし、鏡の向こうのハリーが勝手に動き出すかもしれない。そんなことを考えながら。

 しかしそこにいたのは顔をこわばらせて、こっちを覗いているハリーそのものだった。つんつんと跳ね回る茶色い毛先と神経質そうにきゅっと結ばれた薄い唇。いまいち大きさのあっていない眼鏡の奥にある緑色の瞳と目が合う。ホグワーツに来る前に比べたらいくらか血色がよくなった頬と、おさがりではない自分のローブを着ている自分自身。一体なにが面白いというのだろう。

 ひょっとして自分は何か見逃してしまったのかもしれない、とハリーは何度も何度も鏡の中を、隅から隅まで覗き込んでみた。

 それでも写っているのはハリーで、結局双子の言っていた面白いことが何なのかまったく分からないままだ。もしかすると自分は双子にかつがれたのかもしれないが、これが彼らの悪戯だというのなら意味がなさすぎるし、そんなことをするような二人ではない。せめて鏡を覗いた瞬間に、後ろでくそ爆弾が破裂するくらいはしてくるはずだ。

 あとはハリー自身が場所を間違えている可能性だ。いくらホグワーツが広いと言っても同じように鏡が置いてある部屋がいくつもあるとは思えないので、その可能性は低いだろう。いや、魔法界の事だからそれもありえるのか。ハリーはあの二人が何を言いたかったのか、そのまま鏡の前で考え込んでしまった。

 だから気が付かなかったのだ。

 誰かがうっすらと開いた扉からゆっくりと中に入り、自分の背後に立ったことなんて。

 

「それに魅入られた魔法使いは大勢おる」

 

 急に背後から聞こえてきたよく通る低い声にハリーはびくりと肩をすくませた。

 ハリーは首がふりきれてしまうのではないかというほど勢いよく振り向いて、声の主を見やった。そこにいたのはあり得ないほど長く白いひげを蓄え半月型の眼鏡をかけている老人、そうホグワーツの校長ダンブルドアだった。

 大広間で食事の時にいるのは見たことがあるが、校内で彼を見かけることは殆どない。クィディッチの試合の時には見た気がするけれど、彼自らが教壇に立つこともないのでまったくと言っていいほどハリーにとっては接点のない人物だ。

 もっとも校長ということもあり彼を尊敬している人たちは多い。特にグリフィンドール出身ということもありグリフィンドールの生徒たちからは大いに支持をうけているし、「ニコラス・フラメル探し」で読んだ偉大な魔法使いをまとめたような本には必ず載っている。例のあの人の関係だと、彼がもっとも恐れていた魔法使いとして書かれていることが多いので実際すごい人物なのだとは思う。

 だからだろうか。ハリーにとってのダンブルドア校長という人物はどこか現実離れした存在のように感じていた。

 その校長が自分に話しかけてきたのだから、ハリーはとても驚いたのだ。

 

「あの。えっと…ぼく…そのすみません。ひょっとしてここは入っちゃいけない場所だったんでしょうか…」

 

 怒られるのかもしれない。

 自分は悪い事をしているのかもしれない。

 ハリーは緊張と恐怖で高鳴る鼓動を抑えるように思わず右手でシャツの胸元をネクタイごと握りしめた。双子だってまるで隠されるようにおいてあるから透明マントの出番だと言っていたような気がする。昼間だから見咎められることもないだろうと、ハリーはマントをベッドの下の大きなトランクの底のほうに大切にしまったのだ。

 

「そういうわけではないよハリー。ところで君にはこれが何かわかったかね?」

 

 ダンブルドアは怯えるハリーにやさしく笑いかけると、ゆっくりとした口調でそう聞いてきた。

 

 「いえ、校長先生。ぼくにはこれが何なのかわかりませんでした」

 

 わからないと答えることが正解なのかは不明だが、本当に分からない以上そう答えるしかないわけだが、ハリーはこれによって彼を失望させるのではないかと考えていた。もっとも今日話したばかりなのでそうとも限らないが、スネイプ教授はおそらく最初の授業でわからないと答えたハリーに失望したのだと考えていたからだ。

 

「ほう。ではハリー。君は鏡の中に何が見えた?」

 

 この学校の先生たちはみんな質問してくるのが好きなのだろうか。

 ハリーはまたも問いかけてきた校長に対し首をひねりながら自分自身が見えた、と答えた。

 ハリーの答えを聞いたダンブルドアは半月型の眼鏡の奥ですっと目を細め、考え事でもするかのようにゆっくりとその長い髭を撫でた。

 やっぱり自分はなにか間違えているのかもしれない。そんな思いがハリーの頭の中を占めていく。きっと双子には『ふつう』ではない何かがこの鏡の中にみえたのだろう。しかしハリーにはいつもと変わらない、普通の鏡にしか見えなかった。『まともではない』なんていう言葉は言われなれてしまったし慣れているけれど、魔法界でも『まともではない』扱いを受けるのかと思うと少し気分が重くなる。きっと魔法界の『まとも』であればこの鏡になにかが写るのだろう。だからダンブルドアは何が見えたのかと聞いてきたに違いない。

 しばらくダンブルドアはハリーを見つめ、ハリーはそれに目を逸らせず見つめ返していた。どのくらいの時間そうしていたのかは分からないが、ハリーにとっては息が詰まるほど長い時間のように感じられた。

 結局ダンブルドアはそこに何が見えるべきなのかは教えてくれなかったが、この鏡をこの場所から動かすこととこれをさがしてはいけないとハリーに優しく言い含めた。

 つまり最後までハリーにはこの鏡が何なのか、校長が何を言いたかったのか全く分からないままになったのだ。まあ、世の中には知らないほうがいいことが多いこともハリーは知っている。うかつに知ってしまえば碌なことが起きないのだ。掃除の際にうっかりバーノンおじさんのへそくりを見つけてしまったときなどは本当にひどい目に遭った。ちょっとあれは思い出したくない記憶だ。

 だからハリーはそれ以上詮索するのはやめておこうと思った。ただ、どうだった?と期待に満ちた目で聞いてきた双子にはどうやって答えればいいのだろう。そんなことを考えながらハリーは自分以外の生徒のいない廊下を寮に向かって歩いていた。

 

 クリスマス休暇が終わってホグワーツはいつもの活気を取り戻した。

 家に帰っていたほかの生徒たちが一気に学校に戻ってきて、急速に日常を取り戻していく。皆が口々に休暇中の出来事を興奮気に交換し合うのをハリーは少し離れたところから見ていたい気分になる。

 家族と過ごしたディーンやシェーマスの話を聞いているロンは少し寂しげに見えた。確かに兄たちは一緒にいたけれど彼の両親はルーマニアに行っていたのだ。寂しくないわけはないだろう。いつも一人だったハリーは彼らのおかげでとても楽しかったわけだけれど、ロンにとっては初めての親がいないクリスマスだったのかもしれない。

 

「そういえばハリーに《透明マント》が届いたんだ」

 

 ロンが賑やかな談話室を気にするように見回してから、ディーンたちを集めるように固めてそう言った。

 

「なんで!?」

 

 大声を出しそうになったシェーマスを慌ててロンが視線だけで諫めた。軽く横に首を振ればシェーマスも慌ててそれ以上大声が出ないように両手で口を押さえた。ディーンはよくわかってないようだったけれど、ネビルも同じように驚いていたようだ。ディーンは自分の母親が魔女だということすら知らずに育ってきたのだから《透明マント》と言われてもピンとこないのは仕方ないと思う。実際のところ、ハリーだってその価値をよくわかっていないわけだし。

 しかしそれを聞いて一番驚いていたのハーマイオニーだ。

 いつも通りに本で読んだことがある、と最初に言ってから《透明マント》の説明をしてくれた。もっともその内容は殆どパーシーがすでにハリーに教えてくれたことだったけれど。それでもディーンにはありがたいことで、それがどういうものなのかしっかりと伝わったようだ。

 

「で、もちろんそれを使って調べてみたのよね?禁書の棚」

 

 その上でニコラス・フラメルは見つからなかったと言って。そんなことを言いたげにハーマイオニーが少し低い声でずいっとハリーに身を乗り出して言った。

 もちろん調べていません。なんてここで答えたらきっとハーマイオニーは怒るだろう。でも透明になって禁書の棚を探そうなんてまったく、これっぽっちもハリーの頭には浮かんでこなかったのだ。それはもちろんロンだって同じことで、二人はどう答えたものかとどちらからともなく顔を見合わせた。

 

 「あきれた。結局なーんにも調べてないんじゃない」

 

 「でも!禁書の棚には危険な本だって多いんだよ。見た瞬間に呪われる本があるって、チャーリー兄さんが言ってた気がするし。やっぱり危険すぎるよ」

 

 「あらあなたたち。校長が何を隠しているのか気にならないの?」

 

 ハリーはもともとそれほど気になっていないし、ロンたちにしてもそこまでして無理やりにでもその中身を突き止めたいと考えているわけではない。禁書の棚が危険だから、なんていうのはロンがこの場を何とか凌ぐために言い出した言い訳なのは彼の表情を見ればなんとなくわかる。正直にロンとハリーがこの休暇何をしていたのかなんて言った日にはきっとハーマイオニーはとてつもなく怒るのではないかと思う。だってほとんど雪合戦とチェスしかしていなかったのだ。

 それでも気にならないわけではないけど、ともごもごと彼らは呟いて今にも爆発してしまうんじゃないかというほど感情を高ぶらせ始めたハーマイオニーを上目づかいにちらりと見やった。

 ついでに言えればだけれど、ハリーは自分たちの探し方が間違っているのではないかと思い始めている。

 何しろ本の項目に「ニコラス・フラメル」がないかぱらっと見ているだけで細かい本文まではほとんど読んでいない。この前ダンブルドア校長に会って思ったのだ。調べるべきは彼のほうなのかもしれない、と。ハグリッドはこの二人の大切な何かだと言っていたように思う。ならば校長の事を調べれば何かわかるのではないだろうか。

 もっともハリーにはそれをハーマイオニーに伝える勇気なんて持ち合わせていない。いや、この場合は勇気というよりそれによって引き起こされるであろう面倒が嫌だからというほうが正しいだろう。

 ハリーがそういえば彼女は早速にでも彼らを図書館まで引きずっていき、手当り次第にダンブルドア校長について調べ始めるだろう。なにも休暇明け早々にそんなことはしたくない。

 だからハリーはぷりぷりと調べ直し計画を組みながら怒っているハーマイオニーを静かに見つめていた。




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進捗など呟いてみたりみなかったり。

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